第二十五話 「バケモノ」
魔法使いという存在は本来、貪欲な研究者の集まりだった。
魔力という人間その他生物が生まれた時から持っている不思議な力を解明するのが、彼らの目的だった。いつしか、それは人口の八割を占めるほどの割合になっていた。その理由は、その便利さにあった。
魔力というエネルギーの存在を明かし続けるにつれ、人々はその利便性に心奪われていき、そうなってから何十年後には、魔力を使わない、または魔力の存在を知らない人はいなくなった。
魔力の研究が始まってから、何万年という時間が過ぎている今なお、魔力の研究は終わっていない。終わりを見いだせていない。
研究対象である人間が際限なく変化していくように、研究者は常に変化し続ける。まるで、長い時間をかけて種の進化をたどるように、しかし、”正しい進化”を続けているとは限らない。
種の保存を目的に進化するのが正常とするなら、種を破壊する進化は果たして、正常なことだろうか?
人間たちはいつから、正常な研究を行わくなったのだろうが。
やがて、正常な研究は異様な研究へと進んで行き、人間たち自身を滅ぼしていく。
「もうあんたは、後戻りできない場所まで来ているんだよ」
「……突然人の別荘に乗り込んできたかと思えば……。そんなことを言いに来たのか?」
「まさか。お縄についてもらいますよ。国家反逆罪の罪で」
「国家反逆罪?」
目の前の男――シュゼイルの父親、ミストレス・ティーズド・リベル――は、俺たちの言っていることが心の底から理解できない、といった仕草をとる。
その様子に、俺は若干の疑問を感じながらも、言葉を続ける。
「あの場には王族がいた。そのことはあんたも理解していたはずだ。それなのに外から侵入者を招き入れた」
「ほう、王族があの場にいたとは、それは本当に知らなかったぞ」
俺が淡々と罪状を宣言している間も、ミストレスの体はリラックスを続けている。自分が囚われることがないとタカをくくっているのか、それとも俺たちに負ける気がしないのか。
「……とぼけないんですね」
「君達に見え透いた嘘など通用しない。それぐらい理解しているのさ、コルト君、カキス君」
「……これは驚いた」
俺は心にも思っていないことを無感情に口にしながら、左手を緩く握る。
この男を前にして、油断はできない。
そう判断した理由は、ミストレスが抑えることもしていない垂れ流しにしている魔力にある。この男の魔力はシュゼイルを遥かに上回り、コルトすら上回っている。それは単純な魔力量ではなく、魔力の質だ。
ミストレスの魔力は何十年もかけて磨き続けてきた刃物のように鋭く、されど迷宮のような複雑さを持ち合わせている。普通、このぐらい鋭い魔力の質は本当に何十年と魔法操作技術を磨き続けてきたものだけが持てるはずのもの。なのに、ミストレスは三十路程度でそれを有している。
「……お前」
その正体はわからないが、まっとうな道で手に入れた力ではない。おそらく、あのブースターを開発した経緯で作られたナニカがある。
最早この男に敬意は必要ない。それどころか、遠慮すら必要なくなる。
「いつからこの研究に手をかけた? 手にかけたきっかけはなんだ?」
「ふっ……」
ミストレスは雰囲気の変わった俺を見て、微笑を浮かべる。若い頃のミストレスを思い浮かべると、きっと
(親子だから、当然か)
ミストレスは冷たく睥睨する俺に向かって、玉座の様なイスから立ち上がり一歩一歩距離を詰めてくる。その間にも、ミストレスの漏れ出す魔力に変化はない。
俺程度には、戦闘態勢を整える必要もない、ということか……。
「……なめられたものだな」
「子どもが大人にあしらわれるのは、当然のことだ」
「どうかな? 大人はそうやって子ども扱いをして首元に歯跡を付けられることが多いと思うが?」
ピリ……。
否応なく高まる気配。俺もミストレスも、まだ本気を出すつもりはないが、いつ戦いが始まっても構わないようには準備をしている。
例えば、
「二重の結界か。この程度で私が捉えられるとでも?」
「まさか。お前を捉えつづけるのに、こんな結界をする必要もない。これはただの”自衛手段”だよ」
「…………」
「…………」
「……『スパイラルブレイド』
「流練流鏡華水月の型、”奥義”『―月』」
ズバッ!!
ミストレスの放った魔法、『スパイラルブレイド』。何十にも重ねられた水の刃が錐もみ回転しながら対象に接触し、全身粉々になるまで刻み込む。『スパイラルブレイド』は発射速度が早く、詠唱終了から一秒も経たずに百メートル先に到達する。なので、無詠唱で唱えられた場合、発射を見てから回避するのは困難だ。
俺はそれを”一歩も動かずに”避けた。
「何……?」
ミストレスは発射と同時に背後を振り返る。
俺はその先でミストレスが座っていた豪奢なイスを、ミストレスに蹴り飛ばす。当然、素早く俺の移動先に気付かれたことによって魔力の盾で防がれる。
それを確認するよりも早く、ミストレスの脇に飛び込むが、急激に膨れ上がった魔力に反応してバックステップを踏む。ミストレスは俺が下がった方へ手を振り下ろすと、天井から大規模な流水が起こる。
俺は敢えてそれに正面から飛び込む。
触れる瞬間、魔法の核部分に手刀を切り入れ、その先に潜んでいたミストレスへ能力を使って生成した大斧を、全体重を使って横なぎに叩き潰す。
「『スパイラルブレイド』『アクアスプリット』『狙い穿つ侵食するモノ』」
「『製造』!!」
ミストレスは、己の胴体と同じ面積を持つ斧を三つの魔法を使って相殺する。しかも、最後の『シューターシュルラルド』は水属性上級魔法の一種で、古代語でシュルラルドは『侵食するモノ』という意味を持ち、まるで触手のように斧に纏わりつきながら持ち主を狙ってくる。
『狙い穿つ侵食るモノ』に触れた斧は触れた部分から錆びつきボロボロに砕けて使い物にならなくなるばかりが、敵の攻撃を伝えてくるとなれば、邪魔にしかならない。
俺が強く柄を握りこむと斧はシュンっと音を立てて消滅し、次の武器を脳内に浮かべ、キーワードとなる言葉を詠唱する。
「今度は剣か」
「行くぜ……!」
創り出したのは剣。刀身は燃えるように赤く、刀身に触れている空気は灼熱へと変化する。名付けるならシンプルに『フレイムソード』。
着地と同時にお互い距離を詰め、武器を持っている俺が先に攻撃を開始する。
フレイムソードの間合いの外から逆袈裟に切り上げ、刀身を滑らせた空間が一瞬だけ燃え上がる。大気中の塵を全て一瞬で燃え上がらせることによって、ほんの一瞬だけの目くらましを演出させることができる。もし、お互いに静止状態だったなら、こんなことをしてもあまり意味がない。
だが、今は刹那の狭間。
急な方向転換もできないミストレスは、全身に薄い水の防御膜かぶせ無理やり炎の線を突き破る。しかし、その先に俺はいない。
「僕を放って二人だけで遊ぶのは、ひどい、なっと!」
いるのは、本来の獲物を手にしたコルトだけだ。
「宝剣か……!?」
「当たり……!」
コルトが手にしているのは、一家に伝わる家宝、ではなく、とある犯罪組織が所持していた大昔の遺物。その力は持ち主の身体強化の他に、多くの特殊能力を持っている。その能力の多さは、数年使いづつけているコルトですら全てを把握できていないほどだとか。
その数多の能力の一つが、引力。
「はぁ! 喰らえ!!」
コルトが剣先に魔力を流し込むと、剣はそれを吸って動力に変え、大きな引力を生み出す。右に払えば相手は右に引っ張られ、左に振るえば相手は左に吹っ飛ぶ。身体強化をして大地に足を付けていても抗い難い力は、刺突との相性が抜群だった。
コルトが大きく踏み込みながら放った全力の刺突は、前に押し出す力だけではなく、引き寄せる力も加わって相対的な速度は音速にまで足を踏み入れる。
「甘い!」
ガキィッ!!
「読まれた……っ!?」
しかし、それでもミストレスを傷つけるには至らない。
ミストレスは咄嗟に大量の魔力をまとわせた右手を切っ先に向かって突出し、受け止める。受け止めた右の手のひらは、薄皮一つ向けていない。
固い金属同士がぶつかり合うような音を立てて必殺の攻撃を避けたミストレスは、剣を握りこんで持ち主であるコルトごと上空に放り投げる。コルトは戦闘スタイルがスピードよりなの体重が軽いといっても、剣を含めれば重量は七十キロを超す。それを身体強化した様子もないミストレスがいとも容易く投げる光景は異様だった。
「ふっ!」
「ちぃっ!」
ゴッ! ガガッ!
俺は生成した剣を消し、一瞬のもとミストレスの懐に肉薄すると、顔面と脇腹を狙ったパンチと肘鉄を繰り出す。ミストレスはそれらを苦し紛れに右手で防ぎつつ、俺から距離をとる。俺はそれを深追いはせず、上から落下してきたコルトを両手で受け止める。
ボスッ。
「君は白馬の王子様かな?」
「お前みたいな野郎じゃなくて、もっと綺麗な女性を受け止めたかったな」
軽口を交わしながら、コルトを地面に降ろす。女性相手のように優しく隙だらけに降ろさず、手を放すようにして降ろす。
「やはりそう簡単には沈んでくれぬか」
「当然だ。これでも特異科出身の生徒だ」
「……私はこの世で気に入らないものがある。人は多かれ少なかれ、気に入らないものがあると思うが、私は複数ある中でも特に、気に入らないものがあると思うが、私は複数ある中でも特に、気に入らないものがある」
ミストレスは両手をおろして、急に独白を始める。そういうタイプの人間だとは思っていなかったので、少し驚いた。てっきり、寡黙で冷静沈着な性格をしていると思っていたが、目の前の男の瞳には強い意志の光が見え隠れしている。
「それはこの世界に不要であるはずの存在。無属性だ」
「……何故、そう思う?」
怪しい光をギラギラとさせながら、国の宰相が演説でもするかのように、わざと大仰な立ち振る舞いでミストレスは語りだす。
「世界の基本となる四大属性。それを総べる覇属性。また、四大属性とは違う断りを持つ自然属性。これらが複雑に絡み合うことで、美しい自然や雄大な自然、過酷な自然が生まれていく。私は世間的に見ればマッドサイエンティスト、悪の研究者だろうが、それでもこの世界の大自然の美しさにはよく感銘を受けている」
「その割には、自然には必要のないブースターを使っているように思えるがな」
「そう茶化すな。第一、あれはまだ試験段階だ。だから正式名称も決まっていないし、これから本格的な使用用途を考える。あの薬も、大自然の一部といえる精霊を利用して製造しているのだから、そう矛盾した話ではないと思うが?」
何が「そう矛盾した話ではないと思うが?」、だ。
精霊の意志を消し去りただの魔力発生器として扱っているくせに、どこに共通している部分がある。むしろ、大自然に歯向かっているとしか思えない。
しかし、ミストレスは俺の施行を読んだかのように、やれやれといった様子で肩をすくめる。
「大自然の雄大さにあこがれるからこそ、その力を自由に使いたいと思うのだよ。尊敬しているからこそ、それを超えてみたいのだよ。だから、精霊を道具のように扱う、支配することで、一時的かつ一部分であるが大自然を得たことになる。素晴らしい研究だろう?」
「……くだらん。心底、くだらん。その程度の研究のために、家を捨て妻を捨て子を捨てたのか、貴様は?」
「そうだ。今君がその程度と呼んだ研究のために私は、全てを捨てた。そして、もう少しで手に入る」
ミストレスは初めてこちらに怒りを孕んださっきを向けてくる。その殺気は、俺が研究内容を馬鹿にしたからではなく、
「その邪魔をした君たちを、私は、許せない……!!」
グォッ……!
後もう一歩というところを邪魔した俺たちに対する怒りだった。
「外道が。貴様は普通には殺さん。せいぜいいたぶってやるから、……さっさとかかってこい」
「右に同じ、かな」
「良いだろう。私が研究者である前に、魔法師であることを思い知らせてやる!」
ミストレスが獣の咆哮に似た叫びを上げると同時に、俺とコルトはミストレスの真上の天井めがけて跳躍した。
ドドドドドドゴォォォッッ!!
つい一瞬前までいた地面からは特大の土の槍があふれ出し、さらにそれらを突き破りながら水の極太レーザーが噴き出る。一つ一つの威力が馬鹿にならないそれらはすべて中級でもトップクラスの威力を持っている魔法たちだった。
俺とコルトはそれをしり目に天井へ足をつける。そして、ドンッ! と大砲のようなけりを天井に対して行い、ほぼ直角にミストレスのわきへ着地する。右が俺で、左がコルトだ。
「流練流……!」
「王剣流……!」
「ぬるいわっ!」
挟み込むことに成功した俺たちは、同時に高威力の技を放とうとするが、ミストレスは自分を中心に無数の水球を発生させ、高速で周囲を回転させる。
小さな水球たちは、少しでも触れた瞬間に肉をこそぎ落してしまうだろう。
俺は、量が多く動きが速いそれを魔絶で消し去るのは難しいと判断し、能力を発動させる。
思い描くのは、対象を貫く必中の槍……!
「『必然を(ザーリデアス)穿つ槍』!」
その槍は穂先が三叉に分かれひねりながら付きこむことで敵に深いダメージが追わせられる。
反対側のコルトが飛びのいたのを確認しながら、次なる一手を打ち込もうとしているミストレスの腹めがけて抉りこむ!
「くっ!?」
ミストレスは魔法使いらしからぬ素早い動きで自らが作り出した円形の壁から抜け出し槍を回避する。
グゥォッ!
槍は意志を持っているかのように、ミストレスに向かって三叉を曲げ伸ばす。
『ザーリデアス』は古代語で必中を意味し、一度狙った獲物は噛み殺すまで逃がさない獣の名前から付けられている。その名を冠する槍は、森に潜むオオカミの牙のように鋭く凶悪に、ミストレスの回避先に向かって首を伸ばす。
「水よ!」
ミストレスは一小節だけの短い詠唱を唱え、足元から分厚い水の壁を作り出し、『必然を穿つ槍』をやり過ごそうとする。
が、『ザーリデアス(必中)』の名をつけた槍は伊達じゃない。
スババババババババババババッッッッ!!!
『必然を穿つ槍』は水壁に三つの切っ先がぶつかると、それぞれのスピンはさらに勢いをまし、まるでドリルのように水壁を削っていく。
「何っ!?」
「流練流激天脚の型、其の一『雷心槍』」
大量の魔力を消費して作り出した渾身の壁が今にも貫通しそうになることに驚愕しながら、ミストレスは後方に下がろうとしていた。見上げた状況判断だが、俺は『必然を穿つ槍』がミストレスを穿つのを待つほど我慢強くない。
丁度よくある水壁を遮蔽物として、俺は真後ろという死角からミストレスの心臓を狙う。今回は手加減なしの本気だ。
喰らえば一瞬で心臓は黒焦げになり、その他の内臓も焼き爛れて即死は免れないほどの一撃。
二つの槍に挟まれたミストレスは、緊迫した状況で端正な顔を歪め回避方法を模索している。
「くっ……くくっ」
かに、思われた。
「『ウォーターバースト』ぉぉぉっ!!!」
「なっ!? ちぃっ!!」
ついさっきまで眉を歪めて苦しそうに状況を見ていたミストレスは、口の端を釣り上げてきたかと思えば、”精霊でしか扱えない”魔法を繰り出してきた……!
俺は能力で何の変哲もないただの剣を創り、それを緊急の足場として後方に身を投げ出す。
その数瞬間後、
バッッッシャンッッッッ!!!!
大容量の水が俺を襲う。
○ ○ ○
「ウンディーネさん、お怪我はないですか?」
「ええ。大丈夫ですよ、ゆり。私たち上位精霊は魔力さえあればどんな傷でも一瞬で治せます。人間と違って生き物としての在り方が違う私達にとって、外見的な傷などあってないようなものですよ」
「そうですか……よかったぁ」
聖母のように優しい微笑を浮かべるウンディーネさんの様子に嘘は感じない。
私は大きな安堵の息を吐く。
今はピースへ帰っている真っ最中。本当は競技終了の閉会式とか優勝クラスを挑発する表彰式もあるはずだったけど、なくなってしまった。
それもこれも全部、あの人たちのせいで。
「……あの集団は、人間の中でもそれなり以上に手練れでしたね。ゆりは何か知っていますか?」
「知っているというか……、私はカキス君の共通の、敵です」
「敵……。あなたの口からはっきりとそのような言葉が出るほどの相手、ということですか」
そう、私がこんな攻撃的とも取れる言葉で表現してしまうような相手。それが、ほんの数時間前まで楽しく競技をしていた私たちを邪魔した人たちのこと。
本当は私とカキス君の共通の敵じゃなくて、覇閃家と因縁のある一族なんだけど、私にとっても敵に変わりない。
「あの人たちは一言でいうと、頑固な悪い人、です」
「それはまた、面白い表現をしますね」
できるかぎり簡単に伝えようと言葉を選んだ結果、ウンディーネさんには笑われちゃった。でも、私があの人たちに抱いている印象と大きな違いはない。
「あの人たちはとっても大きな信念を抱えています。その信念は世間一般では、悪の思想で、でもそれを曲げずにひたすら力を大きくしてきた一族なんです。今回はカキス君が目的じゃなくて、縛魂結晶だったようですけど……次は違ってくるかもしれません」
「……彼らは、あの少年を狙っていると?」
「正確には、カキス君が持っている肩書に関係して、ですけど……」
カキス君は普段からは考えられないような立場を持っている。それは、世界に大きな影響をぽんと与えられてしまうような家で、そのせいで、カキス君は寂しい幼少期を送ることになって。
「まぁ、あの少年ならそう簡単には負けないでしょう。どんな敵がきても持ち前の余裕と魔法全般に通じている膨大な知識があれば、いくらでも対処できるでしょう」
だから怖い顔をしないで。かわいい顔が台無しですよ?
フッとウンディーネさんが笑って私の頬を両手で包み込んでくれた。いつの間にか、怖い顔をしていたのかもしれない。
「そうですね、カキス君なら大丈夫ですよね。すっごく強い魔法を使われたって、当たらなければどいうということはない、って本人も言ってましたし……!」
私はできる限りの笑顔を浮かべて、ウンディーネさんにそう返す。
心の内では鳴り止まぬ不安の警鐘の音を聴きながら……。
○ ○ ○
ドサッ!
「カキス!!」
「だい、じょうぶだ……!」
予想外の一撃を喰らった俺の体は、余波だけで背中一面が重度の火傷を負っていた。それだけではなく、左の腕の骨は折れ、内臓の一部も小さな穴が空いてしまっていた。
無属性の俺と違って魔法障壁を張ってやり過ごせたコルトは、続く追撃を警戒しながら俺の元へやってくる。
「『女神の錫杖』……!」
パァァァァァ……!
中級魔法などとは比べものにならないほどの魔力を消費して、全身の傷を完全回復させる。魔力量は、残り少ない。これ以上の能力の乱使用はできそうにない。
俺は『女神の錫杖』をまさに杖として使いながら立つと、ミストレスがこちらを興味深そうに見ていた。いや、正確には、俺の手元にあるコレか。
「なんだ……その能力は?」
「悪いが……企業秘密だ」
「私はお前たち二人の情報を伝え聞いているが、そんな能力があるとは聞いていないのだが?」
ミストレスはしゃべりながら小さな、しかし弾けると巨大な水の槍に変化する水球を放り投げてくる。俺はそれを能力で創り出した剣で片っ端から消し去る。
「その能力は、まっとうではない。異能力者だな、お前は」
「今更気づいたか、間抜けな科学者よ」
俺はあえて挑発の言葉を投げかけるが、ミストレスの眼には俺を研究対象としてしか視界に収まっていない。過去に味わったことのある胸糞悪い視線だった。
ミストレスは次々と同じ魔法を緩急つけながら放ってくる。俺はそれを律儀に一つ一つ切りつける。コルトは俺の隣に立ち、無言で俺ごと魔法障壁を作る。万が一の備えだろう。
「だが、あんたの伝え聞いたであろう情報の中で、あんたが理解していないものがあるだろう? それを見せてやる」
「何を……?」
ミストレスがどこまで俺の情報を手に入れているか知らないが、魔絶を見ても驚かないということは知らされていないはずがない。そして、その情報をきちんと理解しているなら、こんな無属性の俺が喰らってもギリギリ即死しない魔法を放たない。
俺はコルトに目線で合図を送り、障壁の外へ一歩踏み出して一つだけ、魔法を左わき腹に”直撃”させる。
ボンッ!
弾けた水の玉の中から、水の槍が膨らみ俺の脇腹をごそっ!と削り取る。
「ぐがっ……!」
胴体の半分を持っていかれたんじゃないかと錯覚しそうなほど抉り取られた腹は、内側の内臓ごとぐちゃぐちゃにひき潰す。
「気でも狂ったのか……?」
誰がどう見ても瀕死の状況。しかも、今の俺の魔力量では『女神の錫杖』は生み出せない。ミストレスには俺が死にに行ったように見えたのだろう。嘲りを含んだ視線を、向けてくる。
「気が、狂っているのかどうかは……すぐにわかるさ……!」
それに対して不敵に微笑んで見せた俺は、ふらつく足元に力を入れ踏ん張り、片手で顔を覆う。
視界を世界から閉ざす。まぶたを閉じれば暗黒が広がっている。
つぎに、目を開く時。次に、世界をこの瞳に映す時。
俺の視界には――
…………ゴォゥォッ……!
――灰色だけの世界が広がっている。
○ ● ●
(何、だ……この魔力、いや違う……殺気か……!?)
濃厚な血の匂い。濃密な死の気配。
それは目の前の、凶行に走った少年からではなく、すぐ近くの、
(私から……!?)
私――ミストレス――は考えも何もないただの条件反射、本能でその場から飛びのいた。少年は動けていない。ただ、無感情な瞳でこちらを見ている。
(あれはやばい……!!)
かつて感じたことのない恐怖に、私は見栄や恥をかなぐり捨てて、窓を割って暗闇の中に身を躍らせた。
あのままあの場所にいてはまずい。あの少年の前に立っていてはまずい。
後ろを振り返ることなく私は自分の背中に水を噴出させ、空中でロケットのように飛ぶ。飛び続ける。一刻でも早く逃げたかった。一歩でも遠く逃げたかった。
顔から手を外した少年の瞳には私が映っていなかった。私を正面に捉えながらも、私が網膜に描かれていなかった。描かれていたのは私によく似たナニカだった。
「あれは……あれは……!」
わなわなと震える唇で言葉をつむごうとするが、うまく言葉にできない。言葉にしたくないと体が拒んでいる。
言葉にして表した瞬間、それが現実となって私を襲う気がして、口にできるものではなかった。
だから私は真っ暗な夜空を飛びながらも何度も何度も唇を開いては閉じて、開いては閉じた。
「あれは……あああ、あれは……!!!」
「貴様の”死”だ」
ゾッ!!
死神の声。地獄の気配。鮮血の香り。意識の消失。永遠の眠り。
全てを覚悟した。一秒の何千分の一の思考の中で、私はそれがはっきりと映像化されていた。映像化だけではなく実感もしていた。
少年の瞳に映っていたのは、死を映す私だったと。
私の思考は暗転して、途切れた。
……ドンッ!
「がはっ!?」
「おお、おお、みごとに恐怖で顔がひきつっとるのう」
途切れた思考はすぐに復活した。
「い、生きている……?」
「自分が生きていることを受け入れるのには、数秒もかかった。
「なんじゃ、情けない。あれだけ大見栄を切っておいて、このような無様な姿で戻ってくるとは、情けない……」
言われて、私は声の主を見た。
声の主は今年で90を迎える男性の老人だった。この爺は、私の研究の師匠、などではなく先輩のようなものだった。私がこの老害に尊敬を抱いたことはないが、いままでの成果には一目置いている。
私はそのおいぼれに言われて初めて、股間の部分が湿っていることに気付いた。遅れて、臭いも。
だが、そんなことはどうでもいい……!
「あれはなんだっ!!?」
私は老いぼれの服の襟元を両手で捻りあげながら詰問する。
「あの”バケモノ”はなんだっ!?」
私が言っているのは、あの少年、いやバケモノについてだった。
「ほほう。あやつに会ったのか。そうかそうか、楽しめたじゃろう?」
おいぼれは何が楽しいのか、満面の笑みに浮かべて私を見下ろす。その笑みに、背中に氷を入れられたような感覚を抱くが、いつものことだ。
今はそんなことより問いただしたいことがある!
「おいぼれじじい! あんたが言っていたような生ぬるいもんじゃなかったぞ!! あいつは本当のバケモノのようだったんだぞっ!」
「ワシは最初から言って負ったじゃろうが。あいつは、世界最強の男の”生まれ変わり”だとな。大方、生半可に攻撃して”枷”を外してしまったんじゃろう? それと、お主相当臭うぞ? 離れい」
そう冷たく突き放すと、爺は小屋から出ていく。
まるで、私からはきょうみが なくなったかのように……。
「いや、最初からあのじじいが私に興味を向けていなかったか」
それも、いつものことだ。今更きになることではない。
それよりも! それよりも……それ、よりも……。
いったん深呼吸しよう。頭に上った血を下げなければ。
そう思い、頭に手をやる。
ハラッ……。
視界の上から、数本の黒い糸のようなものがはらりはらりと舞い落ちる。
頭にやった手を下してみれば、手のひらにはごっそりと抜けた頭髪が、手汗でこびりついていた。
「………」
それすらも、正直どうでもよかった。今はただ、生きた心地がしなかった。
次回で二章終了です。




