第二十四話 「縛魂結晶」
――何故ここに?
最初に感じたのは、それだった。
シュゼイルはすでに非難した後だと思っていたからだ。第一に、突如乱入し今もウンディーネを相手に戯れているあの男が尋常ではない殺気を発している中を、突っ込んでこれたことが信じられなかった。
しかし、すぐにその思考は中断を余儀なくされる。
カシャンッ!
(しまった!?)
男のことを一瞬、一瞬も動かしてしまった!
自分の間抜けさに歯噛みをしながら男を見れば、片腕を抑えながら消え去っていた余裕の笑みを向けてきている。足元には、何かの注射器が落ちていた。
注射器には中身の液体が一滴分ほど残っている。その液体が何であったかはみただけでは判別できないが、毒々しい緑色からわかるのは、普通の薬ではないということだけだ。
「ひひ……! 運が良いのかもしんねぇなぁ……!」
「ゲスめ、何をした? 何を自分の体に打った……!」
俺はシュゼイルの姿を男から隠すように立つ。背中から息をのむ気配が伝わってくる。それは俺の気迫によるものではなく、急激に膨れ上がった男の魔力を感じてだった。
急に魔力量が増えたのは注射器の中身に違いない。
「こいつはウチの組織が考案した薬品でな……何倍にも凝縮したあるモノにいろんな化学薬品をまぜっかえした一種のブースターだよ……!! あるモノってのは……精霊さっ!!」
「精霊……? 精霊を仮に凝縮できたとして、人体に影響を及ぼすようなものにできるはずがない。連中は意思を持つ魔力の集合体。それをたかが化学用品で調整したからといって、体内に吸収できる代物にはならない」
「化学用品は普通のブースターとしてのものであって、精霊云々は関係ないのさ。精霊を体内に取り込もうたってすり抜けて体から出て行っちまう。だぁがぁ、それを可能にするのがこいつなんだぉなぁ……? この『縛魂結晶』だ。見たことあるか? え!?」
「……まさか」
縛魂結晶。空気中の魔力を長い時間かけて取り込んだ石が地中に埋まり、そこからさらに許容量を超えた魔力を詰め込んだ物が、さらにいくつも結合してできた鉱石が縛魂結晶だ。その結晶は、魂を石の中に封じ込めて縛りこむとも言われている。縛魂結晶自体から魔力を取り出すことはできないが、それを体内に入れることで潜在的な魔力を引き出すことができるようになる。普段は眠っている魔力を無理やり引き出されるが、それを吸収できるほどの余裕がないため、その魔力を自由に扱うことができるのだ。
それだけなら、ほぼすべての魔法使いを志す人間が喜んで丸呑みを敢行してもおかしくないのだが、残念ながらそんなうまい話はない。
「縛魂結晶を体内に入れ込んだとするなら、重度の魔力酔いを起こす。ブースターとして使うには身を削りすぎるな」
魔力酔いを起こすと、軽度のものでは魔力を放出するたびに頭痛が術者を苛む。縛魂結晶レベルの超高純度魔力を強引に体内へ取り込んだ場合、わけもなく気分が高揚し、魔力を放出している間は激しい痛みと強烈な快感が襲い、放出していない間はひどく不安になる。ジャンキーと大差ない状態になってしまう。
さらには、三十分以内に除去しなければ自らの意思とは関係なく、魔力が体内を暴走機関車のように駆けずり回り血管という血管をずたずたにしてしまう。毛細血管に至るまで。
そうなってしまえば最後。その頃には完全に魔力酔いから醒め、やむことのない痛みを全身に感じながら息絶える。
「ブースターは確かに肉体を削って本来以上の力を呼び起こす薬だが、それにしたって一回の服用で死んでしまうようなブースターはあまりにもコストが悪い。第一に、商売としてなりたたない。なぜならリピーターがいなければ売るものも売れなくなる。……そんなものをどうして使う?」
男の魔力量は今も天井知らずにあがり続けているが、それでも俺の最大魔力量が増えれば俺も本気をださざるを得なくなるだろうが、この程度ならまだいくらでも殺れる。
「おいおい、何を勘違いしてやがるんだ? 俺は別に縛魂結晶を直接取り込んだなんていってないだろうが。俺が注射したのは、縛魂結晶を飲み込んだ精霊を取り込んだんだっつの!?」
魔力酔いによって情緒不安定になっている男から、半分予想していた答えが返ってくる。
「……魔力酔いを起こした精霊を取り込むことで、精霊の意思をなくし、魔力を供給し続ける機関となるようにしたってわけか。それにしたって、どんなことがおきるかわからないと思うがな」
「そうさ。まだこいつは研究段階! これからにこうご期待っ!!? でなわ~け~で~、全員まとめて死にやがれぇぇ!!!」
ズドンッ!
ただ踏み込んだだけとは思えない重い音を出しながら、音速以上の速度で突っ込んでくる男。その狙いの先にはシュゼイルがいる。少しでも多くの人間を殺す気なのだろう。ただでさえ禁断症状が出ている状況なのだ。解放した力で一度撤退する考えを思いつくような状態にないのだろう。
「ふっ!」
俺は懐から数本のナイフを男に投げつける。
一本一本にそれなりの量の魔力をまとわせたそれは、尋常ではない硬度を持たせている。
ギィン、ギィン、ギィン!
にもかかわらず、その一切を魔力の盾で弾いてしまう。
「シュゼイル……!」
男にダメージを負わすことはできなかったが、その分勢いをいくらかそぐことができた。俺は短く名前を叫ぶと、腕をつかんで男の突進の軌道からどかす。
ドゴンッッッ!!
一瞬で視界を横切り消えて行った男は、白い霧の向こうで何とか激突したようだ。
「シュゼイル、すぐにここから逃げろ。このままだとお前が”辛くなる”かもしれない」
「確かに、私では足手まといでしょう。けれど、あの男の気をそらすことぐらいはできるようですが?」
「邪魔だ。そんなことをされては相手の狙いが分散してやり難くなる。それに、俺が言いたいのはそういうことじゃない。お前が知らなくてもいいことを知るかもしれな……く!?」
シュゼイルと問答する時間すら、男は与えてくれない。
「よく防いだなぁ、ガキんちょおぉぉぉ!!? くく、クキキキキ!!!」
「ドラッガーはどいてろっ……!」
死角から突っ込んできた男は、その勢いを利用してのドロップキックを顔面に叩き込んでくるが、その靴裏を身体強化した片手で受け止める。そして、唾を撒き散らして嬉しそうにわめく男を地面にたたきつけようとする。
「甘いっ!」
男は地面に衝突する直前に身をよじり、地面と正対し両手から魔力を吐き出す。膨大な魔力は炎に水に風に雷に、次々と色や現象を変えながら男の体を持ち上げる。
(やはり覇属性か……!)
男があの家の人間だと知った時から予想はしていたが、どうやら四代属性を統べるだけの力があるらし。
バチィ!
両手から噴出する魔力を利用して高速で体を回そうとする推進力に負け、俺の手は男の足を話してしまう。
「そういえば、まだ俺の名前を教えてなかったなぁ!? 俺の名前は『赤角』だぁぁぁ!! 末永くよ、ろ、しくっ!」
「あんたほど一秒でも早く忘れたいと思った奴はいない、ねっ!」
バシィッ!
赤角は自己紹介と一緒に、魔力で足に刃を作りながら回し蹴りをしてくる。俺はそれを下から掬いあげるように跳ね上げる。
赤角は逆らわず、そのまま回転を続け、その最中に魔力球を周囲にばらまき始める。
「本当に余計なことをする男だ」
俺は飛び上がり赤角を迎え撃つ。
「ハハハヒャハハッ!」
「品のない笑い声だなっ!」
赤角は俺の連続攻撃を全て薄皮一枚というギリギリさでかわしながら、楽しそうに笑い声をあげる。上気した頬と血走った目とのアンバランスな表情は、より赤角の狂気性を見る者に植え付ける。心を強く持たなければ、恐怖に震えだしそうなほどだ。
「楽しい、楽しい、たのっしいぃ!! 本当にこの依頼を受けてよかったぜェっ! 面白いものは見れるし、面白いやつはいるし!!」
「……お前だけ楽しんでばかりで不公平に感じるな」
避けるばかりで、一切反撃に移る様子を見せない赤角を警戒しながらも、意味のない言葉に言葉を返す。そうでもしていなければ、俺ではなくシュゼイルの精神が持たない可能性がある。俺は別にいい。すでに恐怖に震える心を”壊された後”なのだから。
シュゼイルが気が付いているかどうかはわからないが、赤角は少しずつ魔力操作のカンをつかみ、精神に訴えかけるタイプの魔法を張り出している。正気を失うように仕向けられた魔力に負けないよう、緊迫した状況を少しでも緩める必要があった。
「なら、面白いことを教えてやるよっ!」
「何……?」
返されるとは思っていなかった言葉に、反応があった。俺の言葉に充血した瞳を向ける赤角は、魔力を全身から放出させ、俺を引き離すと、少し離れた場所に着地する。俺は崩れた体勢を立て直し、両足から足をつける。
「今回の騒動の黒幕、だ~れだと、思うぅぅぅぅぅ!?」
(ちっ、もっと面白くないことを……!)
今回の首謀者など、すでに情報を得ている。いまさらそんな情報を得たところで何一つ喜ぶものはない。それどころか、”辛くなる”人間がこの場にいる。
「そんなことは聞いて……!」
「いや、ここは重要な情報を得られる場面です!敵が口を割ってくれるというのなら、耳を傾けるべきでしょう!」
シュゼイルは俺の言葉に途中で割り込み、赤角に意識を集中させる。
俺は眉をしかめ、再度言葉を口にしようとして、
「…………後悔しても、知らないぞ」
止めた。
おそかれ早かれ、シュゼイルの耳に入る可能性は高い。それなら、今耳を塞いでも無駄になるかもしれない。
俺は何が起きてもいいように、魔力を集中させつつ腕を下す。
それをみた赤角は赤い顔で満足そうに何度も縦にふり、ニッコリと話始める。
「今回の騒動は、この競技場においてある縛魂結晶と収集と、俺たちの力を見せつけるビジネス。俺たちの力を見せつけるのはオマケで、本当の目的は縛魂結晶を大量に手に入れることにある」
俺はそのことを情報屋から断片的に得られた情報から知った。どこかの組織が縛魂結晶をかき集めていること。その組織がこの周辺に潜り込んでいることも。その段階ではまだ俺も、赤角が所属している因縁のある組織だけとはおもっていなかった。どこか別の、禁忌を研究しているマッドサイエンティストの集団だろうと思っていた。しかし、さらに情報を集めていく中で、真実は違っていることに気が付いた。
「ウチはこの学院にスパイを送っているが、縛魂結晶の存在はしらなかった。それを、その情報をリークした人物が今回のクライアントだ」
真実に気が付いたのは、トラクテル兄妹と模擬選をして少し経った頃。不穏な動きをしている貴族の存在が目立っていた。
内部工作をたくらみ、このオリエンテーションでの勝利を確実なものにしようとする動きがあった。背後にあの組織が絡んでいることに気付いた時は、縛魂結晶の件はブラフだと思っていた。あの組織が縛魂結晶ごときのためにこんな大がかりな事件を起こすはずがない。だから、狙いは別にある、そう勘違いしていた。
実際は、その組織も縛魂結晶を求めていたのだ。具体的な理由まではわからなかったが、赤角が使ったブースターを大量生産するために必要だったのだろう。
「リークしてくれたのは当然、貴族。それも学院の中に立ち入れる立場にある人間だ。そいつはこのお遊戯会を本当にお遊戯会だと思っているらしく、工作を行ってまで勝利を手に入れようとしていたみたいだが……本人はすでに海を渡ってこの大陸にはいない。失敗したことはまだ知らないだろうなぁ! とと、話がずれたな」
「工作……? ぁ、ま、まさか……!?」
いくらか魔力酔いが醒めてきた赤角の言葉に触発され、シュゼイルは頭の中である一つの可能性に辿り着く。そして、それはシュゼイルにとって信じたくないものになるであろう真実だ。
「協力してくれのは『ミストレン』。そこの茶髪のガキ、てめえの実の父親だよ」
赤角はどこまでも面白そうに、どこまでもムカつく顔で、そう言い放った。
○ ○ ○
シュゼイルと直接血縁関係があるのは両親だけだった。祖父母は父を養子として引き取り、育て上げ、その父は母と結婚して子をなした。それが、シュゼイルの生まれた家庭の状況だった。
元々、祖父母は善良な人間だった。三代にかけて築き上げてきた名誉ある地位を何の血のつながりもない父にすべてを譲ったのだから。母親もやさしい人間だった。貴族社会を生き抜いてきた生き汚さも持ち合わせているが、それにまけない誇り高いプライドを持っていた。真面目に嫁いだ家を栄えさせようと身を粉にして尽くしていた。
それに比べて、父はどうであっただろうか? 寡黙で眼力の強い父は果たして善人と言えただろうか? 自らの地位を確固たるものにするために、汚い工作を行ってきている。それも一度や二度などではない。数十を優に超える回数は行ったはずだ。それでもなお、シュゼイルの父親の暗いまなざしはいささかも衰えを見せることはなかった。
来る日も来る日も、彼は何かにとりつかれるように研究を続けていた。
シュゼイルは生まれてから一度も父の部屋に入ったことはなかった。それどころか、父親らしいことをしてもらった記憶は一桁までしかない。シュゼイルの記憶力に難があるからではない。
二、三年前、祖父母が遠く離れた瞬間だった。もっとも、それは対外的なものであり、内部では既に父が全てを取り仕切っていた。その頃からだろうか。シュゼイルの父が目に見えて悪行に走るようになったのは。
トラクテル兄弟はどうやら覚えていないようだが、幼い頃は三人で遊んでいたこともあった。それなりには仲も良かった。しかし、ある日突然父から言い渡された。
曰く、あの家は邪魔だから近年中に徹底的に叩き潰す。だから今のうちに別れを告げておけ、と。
最初、シュゼイルは耳を疑った。確かに善人とは決して呼べないし、子供に愛情を注いでくれない冷たい父親だと思っていたが、ここまで突飛なことを言うような父であったか?
シュゼイルはこの時から頭の周りがよかった。だから父に問いかけた。どうやってつぶすのですか? と。
それまでまるで興味を示そうとしなかった息子が、急にこちらの考えを聞いてきた。そこに、父親としての何かが刺激されたわけでもないだろうに、シュゼイルの父は穏やかな口調で計画の極々表面だけを、幼い息子に告げた。
数年後、デルベル魔学院のオリエンテーションで大規模な”レクリエーションを行う。その場で、彼らは絶望を感じることになるだろう。今でこそ力をなし、私に無謀にも牙を向けてきている番犬だが、自慢の牙をへし折ってやれば、大したこともない。ただ煩わしく吠えるだけの犬に、成り下がる。そこを徹底的に圧力をかけて潰す。
父が語った内容の、一割も理解できなかった。そんな面倒で大回りなことをする意味があるとは思えなかった。父なら、コネクションと財力でもっと直接的に鉄槌を下すことが可能のはずなのに。
しかし、当時のシュゼイルの脳内でそれ以上の質問を要求するだけの余裕はなかった。
そして、実際に数年経過して、父の語っていた事件が起きてしまった。シュゼイルはすでに父が語っていた内容のほとんどを忘れていたため、今日何が起きるのか、もう忘却の隅に追いやってしまったのだ。幼い頃に明かされた計画の全貌を。父の醜悪さを。
シュゼイルはシュゼイルで汚さを学んでいった。上流階級に属するシュゼイルは、きれいごとだけでは回らない社会があると身に沁みつけていった。。気が付けば、あれだけ恐ろしかった父の目が恐ろしく感じなくなるほどに。父も私と同じで、なるべくしてあの態度をとっているのだと。そう考えたとき、祖父母は父が本当は優しい人だと見抜いていたのだと知った。母も父のやさしい一面に心奪われたのだ。
なんだ、勘違いしていたのは自分だけか。
いつしかシュゼイルは、父に畏怖の視線を向けることはなくなった。以来、尊敬のまなざし向けるようになっていた。
だから、シュゼイルが赤角から真実を聞いた行動は一つしかなかった。
「父上を侮辱するな!! 殺人鬼風情が……!!」
「…………シュゼイル」
父はこんなことはしない。無差別な殺戮劇のスポンサーになるはずがない。あの男が、誤解されがちな父を利用して自分たちの行動を正当化しようとしているのだ。
「くくっ! じゃあそう言い切れる理由があるのか?」
それに対し、赤角はくつくつと喉奥を震わせながらシュゼイルに問う。シュゼイルの父が関与していないという明確な証拠を出せ、と。
「逆だ! 父上がしたという証拠を出してみろ!」
普段は決して激高しないシュゼイルが、力の限りに父の罪を否定する。その様子をカキスは視界に納めなかった。納める気はなかった。
「そんなもん、調べれば大量に出てくるだろうな。まぁ、事実確認をする頃には依頼主はすでに海を渡ってるだろうが」
嘘だ、父上が私たちを置いて逃亡の真似事などする意味がない!
「シュゼイル、一度落ち着け。冷静に状況を判断しろ。でないと……」
「君は関係ない。黙っていてもらおう……! おい、もっと具体的な証拠を出してみろ! 確かに私も父上の犯行を否定する証拠を持ち合わせていないが、だからといって貴様が証拠を見せない理由にはならないぞ!」
「具体的な証拠、ねぇ……。今持っていたかな~っと、ああ、運がいいな。持ってた持ってた。これだよ、これ」
そういって男はポケットから何か小さな物体を取り出す。しかし、何かを取り出したことは確認できても、濃霧のせいで何かは見えない。
思わず、シュゼイルは大きな一歩を踏み出してしまった。男に向かって、無防備に距離を詰めてしまった。
「ばっ……!?」
完全に魔力酔いから醒めた赤角を警戒していたカキスは、シュゼイルの動きを見逃してしまった。シュゼイルを男に近づけてしまった。
あわてて引き戻そうとするが、赤角はすでに口元を耳まで届きそうなほど釣り上げていた。
ひいては間に合わないと判断したカキスはシュゼイルの眼前に躍り出る。シュゼイルの頭を抑え、少しでも体を小さく、体勢を低くさせる。
「クヒッ!!」
その瞬間、赤角の体は、
バシュンッッッ!!!
大量の魔力によって内側から血と肉と攻撃的な魔力をまき散らして四散した。
○ ○ ○
バシュンッッッ!!!
膨大な量の魔力は身を固める暇もなく俺の背中を引っ掻き回す。
時に炎の渦で肌をめちゃくちゃに焦がし、時に水の塊で肌を溶かし、時に風の刃で肉を切り裂き、時に雷の線で内臓の機能を破壊した。
(このままでは……!)
シュゼイルの安全を確認するよりも、自分の体を修復するほうが先決だった。
(『女神の錫杖』……!)
作り出す武器の全形を思い描く。そこにどんな傷も治すイメージを付け加える。そして、腕のバングルの補助を借り実際に創り出す……!
シュンッ。
短く空間をかすめる音を発しながら、右手に現れた杖に、魔力を注ぎ込む。
それだけで、杖は創り出された意味を全うする。
シュワァァァ……。
暖かい緑色の光に包まれた背中から痛みが全て、消え去る。さらには外気からの風を感じられる。
俺の背中は、完全に元通りに治っていた。
「……くっ……!」
くらっ……。
短期間に消費した魔力が多すぎて、一瞬めまいを起こすが、奥歯を噛みしめ倒れこみそうになるのを防ぐ。今俺が倒れてしまうと、シュゼイルが下敷きになってしまう。
「シュゼイル、は無事か」
シュゼイルは魔力の余波を食らって意識が飛んではいるものの、体に傷はない。どうにか間に合ったようだ。
「それにしても、初めから死ぬ気だったな、あの男」
男は最初から自爆をするつもりだった。でなければ、あんな話をしない。爆発に巻き込むつもりで、シュゼイルの気を引き無意識に近づくよう仕向けて自爆した。”後で始末する必要が省けたからよかったものの”、もし少しでも助けに入るのが遅れればシュゼイルはなすすべもなく死んでいただろう。さらに、赤角が覇属性の魔力を開放していなければ、無属性の俺では耐えられなかった恐れがった。
パシュンッ。
俺は、誰かに見られる前に右手に持つ『女神の錫杖』を握りつぶして消す。
この能力は、できる限り秘匿にしておきたい。広まった場合、予定がいくつも繰り越しになってしまう。これは予想でもなんでもない、純然たる事実だ。もし、大勢の人間が俺の能力の全貌を知った時、世界は大戦争の始まりだ。
そうなってもらっては困る。
「ふぅ……。今回はさすがにやばかったか……?」
予想外、というほどではないが、少々能力を”使いすぎた”。
俺にはまだ、やるべきことが、それも大物が待ち受けているというのに、こんなことではこの先が思いやられる。
「……一度、大和に戻って親父に話をする必要がありそうだな」
丁寧にシュゼイルの体を床に横たわらせると、周囲に首をめぐらす。
「とりあえず、ゆりを迎えに行くか」
首を止めた先には、濃密な魔力をぶつけ合っている水の精霊と黒いローブを着た男がいる。
男は人間とは思えない動きでウンディーネを翻弄し、優雅な舞を披露している。
「お、霧も晴れてきたな。ようやく発生源をつぶすことができたのか」
おそらく、学院の教師が止めに行ってくれたのだろう。手間が省けて助かった。
俺は立ち上がりウンディーネたちのほうに足を向けた。その瞬間、男は両手から黒い闇の塊を作り出すと、片方を自分の足元に、もう片方を俺に向かって投げつけてくる。
得体のしれないそれを受け止めるつもりはなく、また牽制目的であったためか少し右にずれるだけで外れた。男はその間に足元の闇の塊の中に沈んでどこか消えた。塊から魔力が途切れたため、そう判断した。
(…………パーヂコード0、か)
俺はあの男のことを知っている。パーヂコード0のことは良く知っている。
が、今はいなくなった男のことではない。
「ゆり、ディング、コルト。無事だったか」
今は安否の確認のほうが重要だ。
「無事だったか、じゃないよぅ……! し、心配しただよ……!?」
「悪い。少し油断した」
ゆりは俺の顔を見ると同時に、目じりからぶわっと涙をにじませ、俺の胸に飛び込んでくる。俺は、謝罪の言葉を口にしながらゆりの頭をゆっくりと撫でる。
「それで、今回の首謀者はどうしたの?」
「……自分で使ったブースターを利用して自爆した。それと、本当の黒幕がいる。今からそこへ向かうつもりだ」
本当の黒幕。シュゼイルの父であるミストレスの元へ。
シュゼイルの家はすでに調べをつけてある。それどころか、奴が今現在隠れ忍んでいる別荘も特定してある。ゆりがいる手前、赤角から情報を得たかのように見せておく必要がある。
「ゆりとディングはこのまま学院の指示に従って行動してくれ。俺とコルトは少々別行動だ」
「で、でも、背中の傷は……?」
「傷なんてないよ。ほら、きっちり治してある」
ゆりの手をつかんで後ろに回すと、小さくてやわらかい手の感触が伝わってくる。平熱が俺より高いのか暖かく感じる。それが、安心できる。
ゆりは何か言いたそうな顔をしたが、うつむいて顔を振った。
「後で、説明してもらうからね……?」
涙目で俺を見上げるゆりの瞳からは、何を言われても受け止めるという強い意志を感じた。そらすこともなく、余計なものを入れるでもなく、ただまっすぐに俺を視界の真正面にとらえている。涙にぬれた目をめいいっぱい広げ、まばたき一つ見逃さないでいるつもりが、俺には理解できた。
ゆりの前で完全に能力を使っておいて、逃げられるとは思っていない。俺もまた、話す気でいる。だから俺は、ゆりの目を見つめ返し無言でうなずく。
少しはゆりに打ち明けるべきだろう。この能力の闇を。
「よし。行くぞ、コルト。時間がない。黒幕はおそらく今、逃亡の準備をしているはずだ。国外逃亡なのか、大陸外逃亡なのかはまだ見当つかないが、一度船に乗られれば追跡は困難になる」
「わかってる。僕はもうこのままむかってもらってもかまわないよ」
「オーケー。ディング、ゆりをちゃんと見守ってろよ」
「わかっているとも」
ディングに視線を配り、それにディングも力強くうなずき返す。
俺は最後にゆりを抱き寄せ耳元でささやく。
「黒ゆり。万が一の時は頼んだぞ?」
「ええ、わかっているわ。……あなたの能力については私も気になっているから早く帰ってきなさいよ?」
「あぁ。死んでなければな」
「もう。そこは嘘でも必ずっていう場面よ」
「こういう性格なんだ、許してくれ」
そんな冗談を言い合えるのが、俺と黒ゆりの関係性だろう。冗談でも嘘でもゆりに言った場合は、離してもらえなくなる。普段は妙に鋭いくせに、冗談で言っても通じないのだ。
「さて、最後の大掃除に出かけるとするか」
「久しぶりに、本気で戦える相手になるかもね」
対等な実力者を探し続けているコルトの発言に苦笑を浮かべながら、身体強化を強める。
「……行って来る」
「うん、行ってらっしゃい……!」
トンッ!
俺とコルトは一瞬でゆりとディングの前から姿を消し、避難口とは違う出口から屋外に出る。
月が上り始めている空の下で、長いオリエンテーションのエキシビションが始まろうとしている。