第二十三話 「白き世界の中で」
ヒュ、ビシャ!
俺は剣を振るい、刃に付着した鮮血を飛ばす。人間の血は刃を悪くする。ただでさえはが潰されて切れ味が悪いので、これ以上使いものにならなくなってもらっては困る。
「う、ぐぁ……!」
「い、づぅ……!」
「どうした? 随分と情けないじゃないか。こんな子ども相手に四人がかりでおそってきた割には」
「で、でたらめだ……あんな能力」
「……」
興味と畏怖のこもった視線を受け、俺はそちらを見下す。
俺の周囲には四人の男が、深手を負い、床に倒れている。それだけではなく、床には亀裂やひびがいくつも走り、戦闘の激しさを物語っていた。
「異能系の能力はこんなものだ。よかったな、死ぬ前に一つ良いことを知って」
もう手を出す必要もないが、これ以上情報を持った人間を生かしてはおけない。どんなところから情報が漏れるか知れたことじゃない。
肉を切り裂くことはできないが、意識を飛ばすことぐらいなら、この剣でもできる。
剣を持った右手を振りあげ、狙いを外さないようにしっかりと視界に捕らえ……、
「ダメ! カキス君!?」
「……ゆり。お前は下がっていろ。こいつらは間違いなく”あの家”の人間だ。ここで始末する必要がある」
引き留めようとするゆりを冷たくあしらう。今の俺はすでにスイッチが入っている。そう簡単には甘い決断を下さない。
第一、ゆり自身がそこまで強く俺をとどめようとしていない。
「あの頃には戻りたくないんだよね……!? だったらこんなことしちゃダメだよ!」
「これは正当防衛だ。あの頃の殺しとは違う」
「や、め……止めてくれ」
眼下で、男が息も絶え絶えに呟く。
(見え透いた演技を……)
ゆりが俺に対して影響力を持っていると理解した男は、少しでもいきのびる道を選ぶ。同情を、ゆりに誘っているのだ。
俺がこんな演技にひっかかるとは思っていないはずだ。だが、ゆりなら引っかかると想っているのだろう。
「まだ元気そうだな……もう少しいたぶってやるべきだったか? 本気で命ごいをしたくなる程度に」
さすがに、この程度の分かりやすい嘘をゆりが見抜けないとは思わない。とはいえ、これを理由にゆりがまた口を出す可能性もある。
それを阻止すべく、俺は男の襟首を持って、無理矢理立たせる。
持ち上げた男の体には、小さな傷はほとんどない。その代わり、後遺症が残るレベルでの傷を、二つほど俺から受けている。
大量出血により、早くも体温が下がり始めた男の体を持ち直しながら、言葉で揺すっていく。
「たとえば、今は肩とももに穴があいているが、そこから無理矢理内蔵を引きずり出すとかな。そうすれば、少しはすっきりするだろう?」
おぞましい内容を至近距離で囁きながら威圧すると、途端に男の足は激しくふるえ始めた。
プロの殺し屋。普通ではないその職務を果たすために、普通ではない修行を積んできている。
毒を使うものとして自分自身に毒の抗体を作らせる。尋問するために人間心理学を学びつつ、どこまでも残虐な拷問内容。人体を効率よく壊す方法、どこを切れば大量出血をねらえるか、逆に傷をふさぐにはどうすればいいのか。
そういったもの全てを身につけて初めて、プロといえる。さらにそこから一流になろうと思ったら、数々の修羅場をくぐり抜けなければならない。
この男たちも、同様の訓練を、もしかしたらもっと厳しい訓練を積んできたのかもしれない。
「お前の、ーーいや、お前等の命は俺の手にかかっているんだよ。簡単に殺すことも、生かすことも、苦しませて殺すことも。俺のこの手に掛かっている」
襟を掴んでいない右手を眼前にかざしながら言葉を紡ぐ。
殺し屋のプロになるということは、本能を克服すること。恐怖にあらがい、欲を消し、そうして初めて成立する職業。
それについているこの男は今、おびえている。
俺に本能的恐怖を感じている。
「わかったら、余計な口を開くな。俺が舌を切らないようにな」
恐怖を植え付けた後、なけなしの気力を振り絞ってナイフを取り出そうとしていた男の上に放り投げる。
「うぐっ……!」
傷の深い彼らにとっては、それだけでも十分な激痛となる。良い薬になっただろう。
「か、カキス……」
その様子を見ていたアルターは、白くぼやけた世界の向こう側から、俺の名を確かめるように呟く。
俺は一度殺気を納め、アルターに目を向ける。
ただ、殺気を納めただけで鋭さは変わっていない。ビクッ! と、アルターは身を揺らした。
「ゆりと一緒に逃げろ。お前は、お前等は、この場にふさわしくない」
容赦なく吐き捨て背を向ける。路傍の石を見るような、感情の伴っていない言葉に背後でアルターがふるえた気配がした。
(それが……普通の反応だ、アルター)
今の俺はきっと、彼の目からは感情のない殺人鬼として写っていることだろう。そしてそれは間違っていない。
(きにするだけ無駄だな)
恐れられることは馴れている。少し前まで仲良く会話していた人物と殺し合うことにだって馴れている。
アルターのように誰かに恐れられたのは初めてではない分、ショックを受けることもなく、その事実を受け止められた。
それよりも今は、目の前の男だ。
「あ~あ~あ~、嫌われちまったなぁ少年?」
「……少しは部下の心配をしたらどうだ? そろそろ出血が無視できないレベルだと思うが?」
「さぁてね。これぐらいで死ぬなら、その程度の実力ってことだろ。第一、こいつらは元々この作戦中に死ぬ予定だからな」
仲間の状態に眉ね一つ寄せず、あっけからんと言い放つ男は、血の気の薄い部下たちに憐憫の眼差しを向ける。
とても、仲間に対して向けるものとは思えない眼差しだった。
「可哀想だろ、こいつら。若い世代が十分育ったからって、交換されるんだぜ? こいつらを抱えても消費する物資が多いってんで、この作戦で死ねっていう指令を下されてる。あぁ、可哀想だ」
両手を広げ、劇でも演じているような大仰さを演出する。男の表情は本当に部下たちを哀れんでいるもの。だが、こいつが本当に感じているのはそんな優しいものじゃない。
「……だから、遠慮なく捨て駒にしてやろう、か?」
「イエェェスウゥ!! どうせなら役にたったところを作ってやらないと死んでもしに切れないだろぉ!?」
男は絶叫しながら足下に転がっていた部下の一人を足先で跳ね上げ、俺に向かって蹴り飛ばす。
横に回避しようとしたが、真っ赤な鮮血が左右に広がりサイドの回避をじゃまする。
「ちっ……!」
飛び越すには少々高い障害。膝を折りしゃがんでやり過ご……、
ヒュッ!
身を屈めた瞬間、目前に黒い物体が飛来してくる。進行方向は、俺の右目。
バシィ!
直前で、なんとかガードに成功する。しかし、勢いのついた攻撃にガードした両手ははじかれ、がらあきの胴体を晒すはめになった。
「もらったぁ!!」
絶好のチャンスを作り出した赤衣の男はクナイを懐から取り出し、俺の両手を弾いた右足を軸足に踏み込む。
だが、そのクナイが投げ放たれることはなかった。何故なら、”男の靴の裏には大量の血が付着している”のだから……!
「あぁ!?」
男はべっとりとついている深紅の液体に足を滑らせ、転倒する。かろうじて投擲されたクナイも、俺の頬をかすらせるだけにとどまる。
「いつの間に……!? 腕でガードしたときか!」
「ご名答」
即座に体制を立て直した男の背後に回り、背中に掌底を打ち込むと競技場のはじまで飛んでいく。
血が付着することを嫌った俺がしゃがみ、その動きを狙ったトーキック。あれを防いだときに、両の手のひらにつけておいた血液を塗っておいたのだ。そのことがばれないように、腕を弾かれた振りもしておいた。
結果は成功。男は裏についていることに気づかず、その足で踏み込み足を滑らせた。
「まずは一撃。じっくりと時間をかけていたぶってやるよ」
「へへ……!! 本当に面白れぇ奴だなぁぁ!!」
たかが身体強化した程度の蹴りではこの男にダメージを与えられないらしい。
(まずはこいつの属性を割り出すところからだな……)
タッ! と軽快な踏切音で飛び上がった男の姿は、ミストディレクションによって白くぼやける。
身軽な格好と周囲の状況にあわせた戦術といえる。頭上からの攻撃は、人間対応しにくいものがある。姿がみれる状況であればまだマシだが、薄暗い場所だと一気に視界が狭まってしまう。
今、この中央競技場は薄暗くはないものの、白い霧によって一寸先がまともにみれない。上に飛ばれると視覚では相手を捕らえられない。
「ははっ!!」
白くぼやけたシルエットとは、まったく別の方向から甲高い笑い声が聞こえてくる。
ミストディレクションによって魔力では位置を特定できなくないのを利用した、攪乱目的。男はおそらく魔力ではなく気配でこちらの位置を正確に特定している。
それはこちらも同じだ。
「気配を読めるのが、お前だけだと思うなよ?」
俺も地上から離れ、白い霧の中につっこむ。まるで雲を割ってその向こうの青空を目指しているような気分を得るが、目指しているのは赤い男。
「もちろんわかってるさ! お前の動きはまさに同業者もんだったからなぁ!」
目と鼻の先。手を伸ばすまでもなく届く距離で、其の男は剣を構えていた。
(毒塗りの忍刀か……!)
今のところ、俺に効果のある毒は発見されていない。それはおそらくこの毒も同じ。だが、忍刀には警戒が必要な要素があった。
「こいつは魔剣の一種。傷口が勝手に広がる拷問ようの武器だ……! お前のために出力は最大にしておいてやったぜ、喜べ!」
「そいつはいらん気遣いをどうも……!」
おそらくかするだけでもやばい代物。俺は空中で無理矢理体をひねってそれをかわす。ぎりぎりのところで二の腕をかすりそうになるが、何とか完全に避けきることができた。
その代わりに、体制は崩れきっている。それに比べ男は、まったく体制が崩れていない。
(最初から外す気だったなこいつ!)
罠にはめられたことに気づくが、時すでに遅し。
男の凶刃は背中を袈裟切りにかける。
「さっき蹴りとばしてくれたお返しだぁ!!!」
(快楽殺人鬼め……!?)
男は俺が痛みにうめくところを想像し、満面の笑みを浮かべる。それも、最上級に愉悦にそまった笑みを。
一度空中で無理な回避をかんこうした俺にはもう、その刃を身で受けるしかできなかった。
「カキス君!?」
「間に合いなさい……!」
ゆりが悲鳴に近い声をあげ、ウンディーネが魔力をとばして刀をはじきとばそうとするが、絶対的に間に合わない。第一、ねらいがわずかにずれている。
(仕方ない、か……)
俺は背中に迫る無情な鉄を背中越しにみながら覚悟を決める。
「目覚めろ、「……ンバー……」……!」
○ ○ ○
「カキス君!?」
「間に合いなさい……!」
五十メートルほど。しかしゆりにとっては絶望的に遠く感じる距離で、カキスが男の凶刃にその身を傷つきそうになっている。その事実にゆりは困惑と動揺で短い悲鳴をあげる。
ウンディーネもその現実に驚きを感じながらも、すぐさま魔力を飛ばして助けに入ろうとする。
だが、そのねらいは焦りによってわずかにずれていた。
(後からでも修正はきく……!)
ウンディーネはミストディレクションが発動していても、かなりの魔力操作技術を持ち合わせている。そのため、直線でしか魔力を飛ばせないわけではない。
問題は、間に合わない可能性だった。速度をあげることもできるが、そうなるとカキスにまで被害がでてしまう可能性がある。
仮に男にぶつけることができたとしても、魔力が周囲にはじきとび、それが無属性のカキスに当たらない保証はない。
かといって指をくわえてカキスが切られるのを待つよりはよっぽどマシだと、ウンディーネは判断を下した。
しかし、結果として、魔力球がカキスのところまで届くことはなかった。
バシュンっ!
「……余計なまねはやめてもらおうか。精霊ウンディーネ」
「っ!?」
ウンディーネの放った魔力球は、空中に突如出現したドス黒い渦にぶつかり、弾けて消えてしまった。
ウンディーネは目を見開き、ゆっくりと上空から降りてきた男を凝視した。
その姿は黒いローブで包まれており、顔も体格も正確に情報として伝わってこない。また、フードに隠れて見えづらいが、まがまがしい仮面も身につけている。赤と黒の線が螺旋状に絡み合い、中心に収束するその模様は、不気味としか表現できない。
仮面の双穴から除く黒玉は感情というものが感じられなかった。
みるからに怪しい男。ウンディーネがもっとも警戒しているのは、男の纏う魔力の質と量にある。
「その魔力……人間のものではありませんね?」
「…………」
分類で言えば無属性のそれだとウンディーネには感じられる。精霊であるウンディーネにとって、魔力というのは体を形作る重要な物質。しかも、人間以上に魔力に敏感かつ繊細な精霊が属性を見誤ることなどありえない。
「属性は無属性のものですが、魔力の質がありえないほど圧縮されています。それこそ、”上位精霊”クラス並に。一見して人間のように見せていますが、私の目は誤魔化せませんよ?」
「……もう少し」
「もう少し?」
自らの持論を語りきったウンディーネを冷たく一瞥し、小さく呟いた男の声に、ウンディーネは警戒を滲ませながらオウム返しに反応する。
「もう少し、魔力を見極める力があると思ったんだがな。高位精霊ごときではこの程度か」
「……なんですって?」
ウンディーネはぽつりと小さくその言葉をもらした。ウンディーネは別に怒ったわけではない。男の言っていることの意味が伝わってこないからだ。
男は、高位精霊をごとき、などと貶めたのだ。それも、人の身か精霊の身か定かではないが、確実にウンディーネより劣っている状況で。
「まず俺は、人間だ。正真正銘の、な。このローブと仮面は魔力で構成しているから、人間ように見えないだけだ」
言外に、自分はそれだけ魔力を圧縮する技術をもっていると伝えている。
「高位精霊と相対するのは初めてだが、この程度も見抜けないのか?」
次に、ウンディーネをバカにしている。
「……なるほど」
ウンディーネは少年の言葉にゆっくりと瞼をおろす。長い息を吐く。
「あなたは私を挑発しているのですね」
「そうだ。人間と違って余計なしがらみのない精霊相手に、な」
「……目的はなんですか?」
「目的? 俺の目的はさっき言ったはずだが? 余計なまねはやめろ」
「余計? なにが余計なのですか?」
「あの少年の邪魔をすることだ」
男が指さしたのは、”傷のない”背中を向けているカキスの姿があった。
「俺の主人は面白いことが大好きでな。この見せ物を中断されると、本人がでばってくる可能性が大なんだ。……悪いが、ここで足止めさせてもらおう」
「どきなさい。人間であるならなおさらに。邪魔をすれば容赦しませんよ?」
「やれやれ、随分と好戦的な精霊だ」
ウンディーネの後ろではゆりが目を白黒させて、カキスの無事を確認している。できるなら、この少女を早くあの少年の元につれていってあげたい。
その一点で、ウンディーネは目の前を阻む男に精霊としての力を振るう。
「後悔なさい。人間の身で精霊に牙を向いたことを」
「…………」
ボゥッ!!
二人は同時にそれぞれの属性の色をした魔力を解放する。ウンディーネは青色、男は黒色の魔力を身に纏う。その量は圧倒的にウンディーネが多い。
なのに、
(この男がひれ伏すイメージが沸かない……。本当に人間なのでしょうか?)
ウンディーネは絶対的優位に立っているとは思えなかった。黒煙を纏っているかのような少年の立ち姿からはウンディーネには計り知れない圧力を感じる。生物とは言えない精霊であるウンディーネが、本能的な恐怖を感じる何かが。
そうして、強者同士の戦火のひぶたがもう一つ、ここに切っておろされた。
○ ● ●
「あ~あ、つまらないわ、アリー」
「そうおっしゃらないでください、姫様。姫様のためにアルテミスが下に降りたばかりではありませんか」
「そうね。そうだけどそれだけよ。私が楽しいかっていうほどじゃないわ。どうにかしてちょうだい」
「無茶をおっしゃらないでください……」
特別来賓室。
階下の様子など我関せずという感じの暴君ぶりを発揮しているのは第五王女のテリスである。
相も変わらずのわがままっぷりを見せつけているが、その裏では複数のことについて思いを巡らせていた。
(今回の首謀者、おそらくあの男ね。最近国外でていると聞いているし。それにしてもあの少女、精霊を、それも上位精霊を呼び出すなんてなかなかみどころがあるじゃない。あとは、あの少年。あの銀髪からは大きな力を感じる。私の勘が正しければあれはおそらく……)
「お嬢様、はしたない顔をなされていますよ」
「……それはいけないわね。私も年頃の少女なのだから」
一ミリも思っていない理由を口にしながら王女は表情を整える。
腰掛けている高価なイスのサイドに存在している小さな円卓の上にある、これまた最高級の果物を一つ摘み、上品に口へ含む。
「……ん。これ、おいしいわね」
桜色をしたその果物はこの大陸でしかとれない貴重な果物で、形状はリンゴに似ているが、味自体はレモンに近い。強い酸味と爽やかな甘みを感じさせる後味。どの大陸の貴族も上品だとこぞって買い求める。市場で価格高騰が続いているのはそのせいである。
「あの、姫様……。今はそのようにリラックスするような状況ではないかと?」
「そんなこと言ったって、暇な物はひまなんだもん」
「だもん、とおっしゃられても困ります。絶対にこの部屋から出させませんからね」
「でないわよ。というか、あなたが張った結界を私ごときが破れる分けないじゃない。私は文官よりの人間なんだから」
第五王女がここまで気を緩めている理由。それは、己がもっとも信頼している部下が作り出した結界の存在だ。
アリーが作り出す結界は狭い範囲に絶大な効果を示す。世界に二つとない、神が作り出した武装と間違われそうなほどの力を秘めているムチを使って作り出されたそれは、一端の魔法使いごときでは傷一つすらつけられない代物に仕上がっている。
王女は文官としての才能はあれど、武官としての才能が自分にないことをはっきりと自覚しているため、こういう場合は、全てパーヂコード任せにしている。
「さてさて、あの少年はどうなってーーっ!?」
「どうしました? 姫さ……っ!?」
突然、言葉を止めた主の異変に、従者は主の視線の先を追う。そして、アリーもまた、息をのんだ。
二人の視線の先では、銀髪の少年が何事もなかったかのようにたたずんでいるところだった。
● ○ ○
--時を少しばかり遡る。
(このままじゃ直撃、か……。惜しんでいる状況でもないな)
宙に浮き、重力に引き寄せられている俺。その背中に迫ろうとしている一振りの刃。凶悪な力がこめられており、ひとたびその身に触れれば勝手に傷口が広がる。そういう、呪いがある。
刀から発せられるオーラには、息苦しくなりそうなほどに重々しい狂気を感じる。
そんな刀の一撃を直撃するわけにはいかない。と、常人なら思うだろう。
「目覚めろ、『ウェポンバース』……!」
たった一言の詠唱。それだけで俺に備わる力は解放される。呼びかけに応じた手ごたえをつかむと同時に、頭にひとつの”武器”を思い描く。強く、鮮明に。脳内で形を成したその武器は、世界に存在しないモノ。
ブシュッ!
背中に走る衝撃。冷たく細い塊が通り過ぎ、その直後に鮮血が吹き出る。背中の神経から痛覚が伝達されるよりも先に、俺は地面に着地する。切られたからといって、着地を乱すようなマネはおこさない。着地しても戦闘が終わらないからだ。しっかりと足裏で地面を捉え、柔らかくひざを曲げて衝撃を吸収、平行して周囲に殺気を振りまく。殺気をソナー代わりに用いて敵の位置を特定するためである。
「……何だ、それは?」
俺を傷つけてくれた男は、少し離れた所に着地していた。男は、呆然とした口調で疑問をつぶやく。
「何だ、とは?」
俺は着地のために曲げた膝を伸ばし、男の姿を視界の正面を捉える。男の問いは具体性に欠けており、どれについて答えを求められているのかわからない。だから答えようがない。
肩をすくめてそう返すと、男はぎりっと歯が軋む音が聞こえそうな強さで歯を食いしばり激昂しそうになるのを堪えた。
「……その、右手に持つモノだ」
「これか? これは……そうだな『グリュエルシィース(女神の天恵)』と言ったところかな」
「そんなもの、ついさっきまで手にしていなかったはずだ……いつ取り出した?」
男は先ほどまでの勢いはなりを潜め、最大限の警戒心を向けてくる。俺は無表情を変えず男の質問を鼻で笑う。
「はっ! 滑稽だな。あれだけ楽しそうにこちらを見下していたのに、余裕をなくして必死になっているお前の姿は」
回りくどいことはせず、正面から男を侮辱しながら、右手に藍色の刀身をした片手剣で足元を切りつける。
「足をきられた程度で……動きが鈍くなると思うのは安直だぜ、ガキがぁ!!」
「足を切られた程度で冷静さを失うのは訓練が足りないな」
右足首を切られた男は、血が噴き出すのも気にせず、その足で地面をける。黒装束の裾をはためかせて背後に回り、ぬらぬらと赤い液体で鈍く光を反射する鉄と狂気の塊を握り、横凪に振り払ってきた。
俺はわざと男の足首を浅く切っていた。当然、男が回り込んでくるであろうことを想定していた俺に、その動きが見えないはずがない。
わずかに身を左にねじり、左側の肘と膝を使って挟むことで魔剣を受け止める。半身を使っての真剣白羽どり。男にとってその避け方は予想外だったのか、驚愕に瞳が揺れる。
それをしり目に、火属性魔力を肘と膝に集中させ、小さな爆発を起こす。
ボンッ!
爆発が起きる瞬間にはさんでいた力を緩め、直接触れることなく魔剣を弾く。と同時に下した左足で男の懐へ一瞬の内に肉薄する。
俺も剣を持っているが、ゼロ距離では思うようにふれない。
「このっ……!」
若干の焦りを表に出した男は、膝蹴りを俺の顔面めがけて突き出してきた。ひゅっ! と間近に風を感じながら首を傾けてそれを回避。
俺は臆することなく、男から目を外さない。
男が次に何をしようとしているか。そのすべてを見極める。
「うっ、くっ……!?」
向けられた方はたまったものではない。戦闘中、至近距離から観察するような視線を向けられると、迂闊に行動できない。自らの施行を読まれることによる行動のしにくさもあれば、圧力に負けることもある。
男は眼力に負け、思わず上半身をほんの少しだけのけぞらせた。
その隙を狙って攻撃はしない。ただただ、見抜くだけ。真っ黒な闇を抱えた瞳で。
ぞく……!
「う、おおおぉぉぉぉぉぉっ!!?」
耐え切れず、男は雄たけびをあげて全身から大量の魔力を放出する。とっさに放った、魔術でも魔法でもない単なる魔力の放出。稚拙なそれに威力などたかがしれているが、属性によっては最悪の結末を迎える可能性もある。そう判断した俺は、一旦男から距離をとる。
長時間瞳を凝視したことによる恐怖心の植え付けにも成功している以上、リスキーな行動をとり続ける必要はない。
「どうした? ずいぶんとおびえているように見えるんだが?」
軽い長髪もそこそこに、男の呼吸の隙間を縫って剣の間合いに入る。
上段からの降りおろし。
キィンッ!
間髪入れず甲高い音で弾かれる。
それだけではなく、感情の消えた表情から繰り出されるプロの急所への刺突は、容赦のかけらもない。
俺は突き出してきた剣ではなく、その先にある腕を払うことで軌道をずらす。男は払われたのを確認しているとは思えない俊敏さで手首を返し、剣を脇下から跳ね上げる。
タタタンッ。
腕を切り飛ばされる直前、俺は影身で残像を作り難なく回避する。男が残像を切った動揺を狙って足を踏み出しかけ、
「…………」
止めた。
(相当頭にきているのか、ようやくスイッチが入ったのか。どちらにせよ、もうバカ正直につっこんでくることはないか……やりづらい)
俺の戦闘スタイルは基本的に後手に回る。相手の動きを見てから対応することが八割。自分からは攻めていないように誘導し、相手に手札を切らせる。それが俺の戦い方だ。
男は少なくとも表面上は落ち着きを取り戻してしまっている。そう簡単には攻めてくれなくなる。
(できるなら、もう一度能力を使わずに済ませたいところだが……かといって、このまま硬直状態が続いても困るのはこちら側だな……)
やっかいな状況になったと顔をしかめた瞬間だった。
「こ、これは……!?」
戦場と化している中央競技場に新たな人間が迷い込んできた。
距離は遠く、ミストディレクションのせいで姿は見えないが、声音から察するに俺やゆりと同年代の若い少年の声。しかも、その声には聞き覚えがあった。
視線だけでお互いをけん制しあうおれたちは一歩も動けないまま、足音から少年が近づいてくるのを聞くことしかできない。
「き、君は……!」
霧の中から姿を見せたのはトラクテル兄妹のライバル、シュゼイルだった。




