第二十二話 「殺戮を告げる侵入者」
一か月ぶりの更新。
もう、ね。夏休みとかなかったんだ……。
執筆にだけ集中できる夏休みが超ほすぃっす。
白く、白く染まる世界。
現在、新入生オリエンテーションが行われている第二体育館は謎の濃い霧に包まれている。その濃さは、十メートル先が白く染まりきるほどである。
原因はとある組織が侵入するために展開したからだ。
白昼堂々の侵入を成功させるだけではなく、続く行動を運びやすくするためもある。
「……随分と金を使っているな」
俺は、ゆり達より先に仮想空間から戻り、現実での異変を高いところから眺めていた。
システムは乗っ取られ、非常用の出入り口には謎の武装集団に封鎖されている。
現状を、視覚からではなく魔力や気配で判断する。
「ミスト・ディレクション。一級魔法具はずだが……入手経路はどう考えたって学園側か」
冷静に霧の正体と、その入手先に狙いをつけ、現在足場にしている天井の照明から跳躍する。
この学園の体育館は外からの人間が視察するための、特別席が用意されているのだが、俺が飛んだ先はその部屋のガラス。
パリィンッ!
「な、何だ!?」
腕をクロスさせ顔面を守りながら、ガラスを割って強引に部屋に侵入すると、中は上等な服を着た男が一人いた。
「お前だな、この霧を作り出しているのは。鬱陶しくてかなわん。さっさと消してもらおうか」
ミストディレクションは使用者の属性が現れる。この会場で唯一学院の人間で、覇属性はこの男だけだ。わずかに漏れ出ている魔力からそのことが判断できる。
これが四大属性であれば誰かがすでにレジストしていただろう。
(こいつ、大五学の教師か……何故ここに?)
魔力を追ってここまできたが、目前で驚いている男は、第五学の専修属性は覇属性であり、エリート扱いされている。生徒は半々だが、教師陣は特にプライドが高い。覇属性の貴重性や特徴を考えれば当然だ、などとのたまう奴もいるが、下手な覇属性より強い人間などゴマンといる。
要するに、こいつらは覇属性というだけで好き勝手ふるまう人間なのだ。そんな奴がこの場にいる理由はないはずだが……。
まぁ、どうせくだらない理由だろうから、聞いても無駄か。
「聞こえなかったのか? とっとと解除しろと言っているんだが?」
チャキッ……。
呆気にとられたまま動かない男の首元に、刃の潰されていない実剣を突きつける。
「ヒッ!?」
「三度目だ。ミストディレクションを止めろ」
大量の魔力と殺気をこめた言葉に、怯えた表情で見上げてくる中年の男は慌てて口を開く。
「そ、そんなすぐには止められん。広がった霧を消し去るには時間が……うぎぃっ!?」
ザシュッ!
「時間稼ぎなんてしたって、寿命は延びないぜ……?」
「いだいいだいいだいっ!? 悪かった、悪かったから許してくれっ!?」
ブシュッ、ブシュッ!
怯えているのは表情だけだ。交じり合わせた視線からはこちらを見下している気配を感じた。そして、それはまったくの間違いではなかった。
時間稼ぎなどという浅はかな考えを、懐から一本のナイフを取り出して切り裂く。
男の手のひらを床に縫い付けたナイフの上に足を乗せ、数回揺らす。それだけで男の瞳から一切の余裕がなくなった。
俺はそれを確認すると、足をのせたまま、嗜虐的な笑みを浮かべて交渉を持ちかける。
「等価交換としよう。お前は魔力の供給を止めるだけでもいい。そうすれば、このナイフをとって解放してやる」
「ど、どこが等価だ……!!」
「等価だ。今お前ができる範囲では、これが限界だ。そうだろう?」
俺が強い口調で冷やかに睥睨すると、男は顔を逸らし唇を強く噛んだ。
自分たちが普段から見下している生徒に従わざるを得ない状況。
いい気味だ、とは思わない。自業自得とか因果応報とも思わない。思う必要性を感じない。こいつには、解除させるという目的程度のことしか抱いていないからだ。
「……おい、どうした? 魔力の供給を止めろ」
「……私の制御下におかれていないから、無理だ。起動時は確かに私の魔力を使ったが、それ以降は他の者が魔力を供給している」
「貴様……」
ピシッ……!
そのふざけた言葉に、思わず魔力を解放して威圧する。さきほどとは段違いの魔力量に失禁した男。
「ちっ……!」
使い物にならなくなってしまった男に、吐き捨てるような舌打ちを残す。
(気絶しても変化がない……嘘じゃないか)
鉄とアンモニアが混じったむせ返るような異臭が室内を満たし始めるころには、俺はミストディレクションを止めることを諦めゆり達と合流するために移動をしていた。
○ ● ●
「さてアルテミス。私たちは避難を始めるべきかしら?」
「はぁ……」
仮面をつけた黒ずくめの男は、疲れを十割含めたため息を吐く。
「姫様。こういった場合、迂闊に動きません」
もう一人、傍付きの女性が主の暴走を咎める。彼女の心情としては仮面の男と一緒だが、彼が主の暴走を止める役目をしてくれない以上、陰鬱な気持ちを飲み込むしかなかった。
代わりに、ジト目で咎めるように、アルテミスと呼ばれた彼を見た。向けられた本人はまるできづいていないかのようにふるまっているが。
「そんなことは知っているわ、アリー。私が耐えられないのは状況を正確に把握できないことよ。特に、誰が喧嘩を売ってきたのかもわからないのが、ね」
「一国の姫とは思えないチンピラ的思考だな」
男は、一国の姫を相手しているとは思えない失礼な言葉を返す。
言葉の剣を向けられた姫だが、その表情に煩わしさは感じられなかった。
「王族だと知っていながらちょっかいをかけてくる相手を野放しにしておくほうがもっと問題なのよ。それくらいあなただってわかってるでしょ?」
「そうだな。姫さんが新しいおもちゃを見つけたような表情をしていなかったら、の話だがな」
男の言うとおり、第五王女の顔は公園で遊ぶ子どものそれと大差なかった。
当然自覚のある王女。図星を突かれても動揺するどころか、肯定するように微笑んで見せた。
主の無駄に上品な、しかし中身は上品とは程遠い微笑に、アリーは今度こそため息を吐く。
「とにかく、ここからは一切出させませんからね?」
隙あらば外に出る理由を考え出す第五王女に、アリーは強い口調で釘を刺すのだった。
● ○ ○
「ディングさん、危ない!」
ドンッ!
ゆりは突然、前を歩くディングの背中を魔法で弾き飛ばした。
カツッ。
その直後、ちょうど通路の曲がり角の影から、先端がぬらぬらと光っているナイフが飛来してくる。悪寒に従ったゆりの行動により、ディングの身の危険は回避された。その後、連続して飛んでくるが、シェリルが炎の壁を発生させ、すべてを溶かしつくすことでしのぎ切る。
「あ、あぶない……」
「まだ油断しないでくださいっ」
ゆりはウンディーネを現界させ、強力な結界を作り出させる。
ボボォン! ッヅッドンッッッ!!
ぎりぎりのところで間に合い、爆風は人間には作り出せないような強固すぎる結界に阻まれ、白くからわずかに茶色に変化する。
「ウンディーネさん、周囲の警戒を頼んでも良いですか?」
「それよりは私が敵を倒しましょう。どうやら、人間の中でもそれなり以上に強いようですから」
言うが早いか、ウンディーネは瞬時に水のトゲを展開すると、霧では見通せない通路の先に自動で飛ばしていく。
簡単に自立飛行をさせているが、実際にはそうも上手くいかない。
普通なら視界の外に言った時点で制御から離れるのだが、ウンディーネは巧みな魔力操作技術によってそれを可能としている。
それどころか、視界外に数百の中級魔法を発生させることすらやってのけられる。
なお余談ながら、コルトの場合、初級魔法に限り同じ数発生させることができる。できるようになった原因はカキスだったりする。
「あ、一緒に、カキス君がどこにいるか探すことができませんか?」
「……難しいですね。この霧に邪魔をされています。魔力の伝わり方が悪いからでしょう」
「そう、ですか……」
心配そうにうなずくゆりの表情は、何かを思案し続けている。
その間にも、ディングはカキスに渡された通信石を確認するが、残念ながら魔力切れを起こしている。横に立つコルトは、自らが持つ武器の確認と軽い整備をする。
ミストディレクションの効果は、視界阻害以外にも、魔力の伝導率を著しく下げる効果がある。そのため、普通に魔法を唱えることも、魔法具を使うことも通常以上の魔力を強要される。また、伝導率が下がる影響で魔力を感じることも難しくなる。本来ならカキスも魔力を読めなくなるのだが、例え薄くかろうが距離が離れていようが幼い頃からの”躾”により状況に左右されなくなっている。それでも、若干精度は鈍る。
カキスがミストディレクションを優先的に解除させようとしていたのもこのためだ。
魔法が使えないカキス自身にはあまり影響がなくとも、魔法を使う学園側にとっては十分な打撃となる。魔法具による精密機器の数々は、ミストディレクションが発動している間、正常に起動しない。
最終的に、この騒ぎを起こした一団のリーダーが制御を握っていると判断したため、後回しになった。
その影響が早速この場に出ているということだ。
「ウンディーネさん、開けた場所に行きましょう。たぶんですけど、このまま狭い場所にいたら危険です」
「わかりました。私も狭い場所では戦いづらいですから」
「問題は、どこが開けた場所に通じているか、だね。できれば中央競技上に出たいところだけど」
「大丈夫です。私、道を覚えていますから」
「……普段とは大違いだね、水谷さん」
「あはは、あんまりのんびりしていられるような状況でもないですから」
テキパキと状況判断に加え、指示を出すその姿は、銀髪の少年と重なるものがあった。コルトは目を細めて面白そうにゆりの横顔を眺めた。
覇閃家での生活が、ゆりから非常事態での無駄を一切合財払いのける。
残ったのは、凛とした芯のある一人の少女の姿だけ。
「カキス君……」
ただ愛しい少年のことを思い浮かべながら……。
○ ○ ○
「ど、どうにか生き残れましたね……」
「ふ、ふん、当然ではありませんか。我がクラスはエリート揃いで、そう簡単にはやられませんよ」
汗を拭う少年もいれば、震えそうな足を意地と自尊でむりやり押さえつけている少年もいる。
「無駄話をしている暇があったら、すぐにでもここから離れますよ」
そんな彼らをまとめるのはシュゼイル。シュゼイルも、仮想空間から帰還していた。
「すぐにでもって……シュゼイルさん、あなたはさっきつらそうにしていたではありませんか? 無理しない方が……」
クラスで唯一の良心(とシュゼイルは思っている)の男子がシュゼイルを引き留めようとする。だが、シュゼイルは首を振る。
「そういうわけにはいきません。この非常事態にのんびりしている暇など……。私は侵入者を迎撃してきます。あなたたちは先に避難していなさい」
万が一にでもこの心優しい男子がついてこないよう、厳しく言いつける。シュゼイル自身が危険を感じているのだ。自分ですら、太刀打ちできるか怪しい相手だ、と。
幸い、仮想空間での競技では、実際に魔力を消費したわけではない。最初から全力で戦うことは可能だ。
それが、シュゼイルにまだ闘志を奮い立たせる。
「とはいっても、避難経路は自分たちで道を切り開きなさい」
「あ、シュゼイルさん、ちょっと!」
シュゼイルは制止を振り切り、通路を失踪する。リノリウムの床を踏み鳴らしながら、シュゼイルは目指す。
中央競技場へ。
○ ○ ○
俺は今まで、ゆりと再会してから新入生オリエンテーションでトラブルが発生した今に至るまで、とある家との接触はゼロだった。正確にはマルニアスと呼ばれていた殺人ギルドの大男を雇っていたのはそこの家だった。しかし、その家が抱えている戦闘集団とはあたっていない。
ともかくとして、準備期間であった四年間が経過してからは、お互いに手を出さず様子を見ていた。食料の少ない荒れ地で過ごす獣と獣。弱肉強食の世界であった二匹は睨み合いをしていた。
何がきっかけだったのだろうか? 二匹は、自慢の爪牙に己の命運を載せて取っ組み合いを始めた。
空腹に耐えられなかったから、奪い合いを始めたのか。
緊張感に耐え切れず、二匹とも同時に脱したのか。
荒れ狂う思いによって動き出したのかもしれない。
もし、それらが理由でないとするならば、二匹の野獣は、緩やかに動き出したのかもしれない。
本能という邪念を捨て去り、スローモーションの時の中でゆっくり手を伸ばしたのかもしれない。だが、それが正しいとなると、もはやそれは獣などではない。
本能の赴くままに暴利を貪るのが、獣。理性によって闘争を始めるのは、人間。
血に飢える二匹の獣はいつしか、二人の人間に変化していた。
それと、同じだ。
俺はただ人を殺すだけだった。理論的には世界のためになると理解していても、理論的にはわかっていなかった。必要だから命を奪う。邪魔だから動きを拘束する。
ただそれだけだった。
しかし、ある時から自分自身の目標を持つようになり、心で世界のための行動をし始めた。奇しくも、それは相手もだった。変化を感じられた。これで終わりにしよう。この二人だけでの命の奪い合いに終わりを告げようと、動き出した。
その結果が、これだ。
白く、白く染まる世界。
「世界は白い。赤いのは、おれたちだけだ。こいつらは世界だ。白だ。俺たち側じゃない。だというのに、単なる気まぐれ程度の感情で色を変えようというなら、相応の覚悟をしてもらおう」
刃の潰れた剣先を、切るべき敵に向ける。スイッチを入れる。それだけで、俺は人殺しに戻る。
「……んぁ? 終わったか? なっげぇなっげぇ前口上。半分以上意味不明だったけどな!?」
「体調、お気をつけを。こいつ、ただのガキじゃなさそうです」
おちゃらけた様子で、耳をいじりながら下卑た嗤いを浮かべる男に、注意を促す部下。部下の方は黒装束に黒いマスクまでつけて素性を隠している。情報を漏らしたくないのだろう。
だがしかし、隊長と呼ばれた黒髪の男は、赤い戦闘服を着ている。
一瞬、返り血によってのモノかと思ったが、そうではない。あれは生地自体が赤い。
しかも、顔には何もつけず素顔を惜しげもなくさらしている。
「んなことはわかってる。さっきから向けてきている殺気からな」
薄情そうな笑みを浮かべながらも、侮ることもなくこちらの戦力を図ってくる。
だが、所詮はその程度。
「でもまぁ……皆殺しにするのは変わりねえけどなぁ……!!」
ダンッ!
赤衣の男は重い踏切音とともに一瞬で俺の懐に肉薄する。
(正面からの接近、と見せかけての……)
低く、深く、こちらの間合いへと入り込んでくる赤い影。武器はすでに抜いているといっても、このままでは深手を負う。すぐにでも退くか蹴り飛ばすか、対処すべきだが、俺は後ろを振り返った。
「あぁ……!?」
俊敏かつ迷いのない右回り百八十度ターン。しかも右手には刃の潰された剣を持っている。潰れていなかった実剣は道中で折れてしまった。原因は魔術を正面から受け止めたせいである。
真後ろに振り返ると、手を伸ばせば届く距離に赤衣の男は、居た。
ビュオッ!
遠心力の乗った鈍い鉄の塊は、空を切った。
男は直前で地面に剣を突き立て、勢いを殺した。ちょうど男のスピードが最高速度に乗ってから剣と交差するように振ったせいで大きく空ぶったのだ。
「流連流鏡華水月の型、其の一『影身』」
赤衣の男が剣を地面から抜く前に、俺は影身で空ぶった隙を消しながら、男の左側に移動する。おそらくこの男相手には残像など意味をなさないだろうが、重要なのはそこではない。
「見えてんだよ!」
男は剣を抜くことを言った諦め、俺が移動した左側の空間を、回し蹴りで穿つ。まともにくらえば派手に吹き飛びそうな一撃だが、しゃがめばやりすごせる。
膝を折って回し蹴りを回避。したかと思えば、今度は火属性魔力のかかった左足での後ろ回し蹴り、俺めがけてはなってくる。
ババッ!
腕をクロスして防御してもダメージを軽減できなさそうなので、その場から飛び退くことにした。
「ははっ! 楽しめそうなガキだなぁ!」
「別にお前を楽しませるためにいるんじゃ、ない……!」
男は剣を捨て、連続で拳と足を使った怒涛の攻めを展開する。すべてかわしながらも、決定打を打ち込む隙を伺う。
肉を抉る拳を打ち払い、骨にひびを入れる蹴りを叩き落とし、内臓にダメージを与える魔術をかわす。
「どうした? 魔法は使ってこないのか?」
「ハンッ! わかっていることを聞いてくる……!」
俺が挑発すると、その意味を理解した上で楽しそうに口の端をゆがめる。
ミストディレクションは敵味方を識別することはできない。そのため、こいつらも魔法が使えない。魔術は使えても、自分の制御化から離れる魔法は扱いが途端に難しくなる。
「安心しろよ。俺たちは魔法も使えるが、近接格闘術のプロだ。退屈させないぜ……?」
「……それはこちらのセリフだな。お前たちがそうであるように俺も、この手を”染める”方法を熟知している」
ゾワッ。
「良い殺気を出しやがる。思わず足が退いちまったじゃねぇか」
「……隊長。加勢します」
殺気を二段階ほど強める。それだけで男は顔に脂汗を噴出させる。俺の勝手な所見では、コルトよりわずかに強い程度の男。場合によっては俺との経験が多いコルトの方が、強いかもしれない。
上司の分が悪いと察した部下たちが数人前に出てくる。
「おう。こいつは数人がかりで胴と頭だけにしてやろう。もいだ手足はそうだな……」
「焼いてこの学園の長に送り付けるのはどうですか?」
「それもいいな。楽しそうだ!」
無表情で容赦のない言葉を吐く黒装束の男たちもさることながら、心底楽しそうに提案を受け入れる赤衣の男も、相当イかれている。
「ふん。やれるもんなら、やってみるがいいさ」
一つ鼻を鳴らした俺は、改めて剣を構えなおす。
○ ○ ○
「本当にこっちであってるの? 水谷さん」
「カキス君がいる保証はないですけど、中央競技場に向かう道は間違っていないと思います。あ、ちょうど表示が」
コルトの問いかけに、ゆりは迷いなくうなずき、壁にある矢印型の表示を指さす。
そこにはきちんと「中央競技場」と書かれている。
デルベル魔学院の体育館は非常に規模が大きく、中規模ほどの競技場が三つ四つ収納されている。その中でも、鼻も大きいのが中央競技場。今回のオリエンテーションのほとんど、そこで行われてきた。
他の競技場は、予選に使われたり、長時間必要な競技に使われた。
中央競技場への道は複数あり、そのどれからでもかまわない。現状、怪しい黒装束の男たちがいない道はなかった。どの道も、見張りと門番をかねた黒子たちが油断なく霧の先に目を光らせていた。
ゆりたちが直接見てきたわけではないが、高位精霊のウンディーネが飛ばしていた魔力球から集めた情報なので、間違いではないだろう。
どの通路も等しく人員配置されているので、最も近い道を選ぶことにしたのだ。
「そういえば、これだけ緊急時に素早く行動できるのに、少し前の時は随分と反応が遅かったね」
「えっと……私はカキス君みたいに頭が回らないので、犯人が誰なのかよくわからなかったんです。だから、いろんな人を疑っているうちに捕まっちゃって……」
ゆりの言い分をまとめると、こうだ。
自分自身の危機だったので少し甘く見ていた内に、少々雲行きが怪しくなり始めた。ので、犯人捜しをしてみるが、これが上手くいかない。その間にもじわりじわりと精神を蝕まれ始めていった。
そして、いざ緊急事態に陥った時、恐怖で足がすくんで動けなかったのが原因らしい。
「今みたいに、私だけを狙っている、ということじゃなかったら大丈夫なんですけど……。カキス君は私が人見知りだからだろうって言ってました」
「確かにそうかもね。水谷さんの人見知りは、今までみたことのないレベルだから。あの時はすごかった、というよりわけがわからなかった、て感じだったね」
「あ、あの時のことは忘れてくれると嬉しいです……」
コルトが言っているのは少々前のことで、ディングの実技テストの練習を二人で見ていた時のことだ。カキスがいなかったので、必然的にコルトが全てを受け持っていた。
受け持ってしまったがゆえに、ゆりのマイナス方面での運命力を体験する羽目になったことがある。
あれ以来、コルトは時折カキスに同乗の視線を向けるようになった。
「それにしてもこの霧、本当に邪魔だね。学園生なんかは魔法主体の戦闘スタイルだから、何でもできずに倒れていきそうだ」
「そうですね……せめてもの救いは、相手も魔法が使えないことですが、あんまり変わらないですもんね」
「カキスと同じで、徒手空拳の使い手のようでした。しかも、容赦なく人体の急所を突いてくる非常さ。人殺しに近い戦い方でした」
コルトは視界の邪魔だけではない白い霧に、目を細めて文句を呟く。ゆりは顔をしかめ、困った、という表情をする。ディングは、敵のことを思い出し、正解としか言えない線をつつく。
コルトとゆりはそろって黙り込み、ディングの言葉に肯定も否定もしなかった。
「もう少しで中央競技場です」
「さ、ディング。ここから先は気を抜いちゃだめだよ?」
「わかっている。足を引っ張らないよう最大限気を付けよう」
霧の向こうから発せられる殺気にそれぞれ武器を取り出しながら声を掛け合う。まだ距離はあるが、すでに相手はこちらの存在に気付いている。近づかなければ襲ってはこないだろうが、その向こうに行かなければならない用がある。
ゆりは逸る気持ちを落ち着けながら魔力を高ぶらせる。
詠唱すれば変わらぬ威力で魔法を唱えることもできるが、詠唱が伸びているうえに実戦の中でそんな悠長なことをしていられない。
いくつかの魔力球を体内で複数作り出すイメージを固め、さらに魔力を圧縮する。
できるだけ早くカキスのもとに辿り着きたい。隣に立って戦うことができなくても、せめて見守ってあげたい。
その想いも魔力にこめる。
「水谷さん」
「…………」
「水谷さん……!」
「えっ。あっ、な、何ですか?」
あまりに集中しすぎたせいで、コルトの呼びかけに気付かなかった。ゆりは慌ててコルトに向き直る。
「ここは僕たちに任せてよ。君は先にカキスのところに合流した方がいい」
「え、でも……?」
突然の提案に、ゆりは意味も分からず目を白黒させる。
「正直に言っちゃうとね。ちょうどいいからディングの稽古もつけたいんだよね。本当の命の奪い合いを経験してこそ、騎士としてのハリが出るから」
「……ごめんなさい。それと、ありがとうございます」
もっともな理由を話しウィンクも付け加えたコルトに、深々と頭を下げるゆり。
ゆりにはわかってしまった。焦っている自分を見かねて、コルトがこんな提案をしてくれたことを。
お礼を言わずには、居られなかった。
「気にしないで。作戦としては、僕が先行して敵を引き付ける。その間にウンディーネさんの力を借りてすぐにその場を切り抜けちゃって。あまり時間をかけられると、さすがに僕も限界があるから」
爽やかに微笑んで見せるコルトに、やっぱりイケメンさんだなぁ、と若干の苦笑をしながらゆりは頷いた。もしカキスがいなければ、これで少し胸がときめいていたかもしれない、とも思うのだった。
「それじゃあ、ディング。君は水谷さんと一緒にこっちにきたら、肉壁となって時間を稼いでね」
「ついにお前まで肉壁呼ばわりか……。わかった合図はどうする?」
「そうだね……それなら自分を中心に風を吹かせる魔法をするから、その風を合図にしてくれるかな?」
「大丈夫なのか? 魔法が使えない状況だったのでは?」
「すっごく使いにくくなってるだけで、まったくってわけじゃないよ。それに、魔法は得意じゃないって言ったって、これでも第四学生主席だから。この程度の悪環境に負けてたらカキスには勝てないしね」
「ふふ、頼もしいです」
もしこの場にカキスがいたならどんなことを言っただろうか、と考えて少し吹き出してしまったゆり。
「それじゃあ、先に行ってくるよ。また、後で」
「……コルトさん」
「ん?」
「さっき話してた、私がこの状況で冷静に動けているって話のことなんですけど、実際には違うんです」
「……どういうことだい?」
ゆりはコルトから顔を隠しながら、本当の理由を打ち明ける。
「相手が、相手、だからです。私とカキス君の宿敵だから、少し攻撃的になってるんです」
「…………そっか。コホン。そろそろ行くよ」
「……はい。また後で」
コルトには、ゆりが言っている内容が理解できる。だからコルトに正直に話したのだろうが、それが打ち明けた理由とは思えなかった。コルトに話す必要なんてない。コルトには、ゆりが何故自分に打ち明けてきたのか、わからなかった。
「私の場合はすぐ後で、だがな」
ゆりの言葉に隠された真意に思いめぐらせていると、ひねくれた発言が耳に滑り込んできた。その発言に苦笑しながら、コルトは風の力を借りて二人の見張りの前に躍り出ていった。
「少し、緊張しちゃいますね」
「……お嬢様なら、きっと大丈夫ですよ」
「大丈夫かどうかわからないですけど……頑張ってみます……!」
ブォ!
霧の向こうから、それなりに強い風が吹いてくる。
コルトからの合図だ。
「ウンディーネさん!」
水の高位精霊を一言で呼び出し、ディングと並走して霧の向こうの戦場へ、突入する。
「はっ、せい!」
「……!?」
「ちぃ……!」
キン、キキン、ギキィン!
白くぼやけた向こう側では、コルトが二人の見張り相手に、切り結んでいる最中だった。
こちらの存在にきづいているのだろうが、コルトは一切ゆりたちに視線をよこさない。それだけ油断できない相手ということだろうか?
ともかくとして、コルトが宣言した通り、見張りの意識を引っ張ってくれているうちに、ゆりはさらに前傾姿勢で疾走する。
ワンピースのスカートを由良氏、低い姿勢で走るその姿は、戦場に現れた妖精といっても過言ではない輝きがあった。
しかし、逆にその存在感がいち早く見張りに気付かれてしまう。
「おい、お前はあっちのガキを処理しろ」
「わかった」
「「させない!!」
ギギィンッ!!
コルトとディングは、同時に上段からの全体重を乗せた振り下ろしで、二人の見張りに切りかかる。
(ありがとう……二人とも!)
本当は立ち止まって感謝の気持ちを述べたいところだが、そんな暇はない。
心の中で二人に叫びながら、開かれたままあの両開き扉をくぐる。
中央競技場は通路と違って少し先がまったく見えないというほどではなかった。
そのため、うっすらとなら、遠くまで見ることができた。
「カキス君……!」
中央競技場の、中央。そこに見覚えのあるシルエットがあった。
ゆりが見たのは、月に負けない輝きをした髪を持つ少年が、痛みにうめく黒装束の男たちを冷たく一瞥しているところだった。
「……ゆりか」
その少年は、視線だけこちらに寄越すと、すぐに目を外す。
彼は今、戻っている。屋敷にいた頃に。人殺しとなっていた頃に。
たぶんおそらく九割方以上運命的に、作者が名前を忘れそうなので、今回出てきた赤衣の男の名前を紹介します。
彼の名前は「赤角」です。