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表裏の鍛治師  作者: かきす
第一章「入学編」
3/55

第二話 「水谷家」


「ねぇ、カキス君?」


「おう」


 辛うじて道として使える程度の獣道を進んでいると、後ろからついてきているゆりに話しかけられる。少し使わなかっただけでかなりのつるや草が道をふさいでいる。それらを、後から通るゆりが歩き難くない程度に退かしていく。

 そのせいで、ゆりのほうを向く余裕はない。


「この道、あんまり使われてないみたいだけど……」


 ゆりも止まらず歩き続けている。


「ああ。あんまりどころか全く使われてないな。俺は用がある所には直線的に行くから使わないし、そもそも、森には人が来ないから余計に道が荒れるんだよ」


 今、俺たちが歩いている道はゆりの母方の実家がある街、「カルヤ」に続いている。この道は森にある過去のものとなった獣道の中でもっとも古くからあるらしい。

 獣道というのは古くから使われて続けてれば安全で歩きやすい道となる。


(ま、何十年も前から人が来てないのか、今は道ですらないけどな)


 なぜ森に人が入らなくなったかは知らない。俺が森にすみ始めた時にはすでに荒れ放題で、何十年もの間整備されていないのが素人目でもわかるほどだった。


「ゆりは知らないのか?」


「何が?」


「この森がいつから人が来なくなったのかを」


「う~ん、おばあちゃんが確か七十年ぐらい前から人が一切入らなくなったって言ってたかな? たぶん」


 ゆりの母方のお祖母さんは現在八十七歳の筈。高齢であることを考慮してたぶんと付けたのかもしれない。


「いい加減だな、おい」


「そんなことないよ~!」


「そうかぁ?」


「そうだよ。私はしっかりした人なんだよ」


 ゆりがしっかりものねぇ……。


「もしゆりでしかっりしてるなら世界中に溢れるだろうな、しっかりした人」


「そ、そんなことないよ?カキス君が私のしっかり振りを思い出さないからそんなこと言えるんじゃないかな」


「そんな思いで、一つもない」


「今、全く思い出そうとしてなかったよね!?」


「気のせいだろ」


 ゆりの抗議を軽く流しながら、ツルを根元から引き抜く。同時に、膝上まで長さがある草を踏み均していく。


「気のせいじゃないよぅ!即答だったよぅ!」


「そういえばお前……」


「無視!?」


 うるさい奴め。これ以上続けても俺の嗜虐芯が満たされるだけということになぜ気づかないのだろう? ……あぁ、そうか。ゆりは若干M気質だったな。昔から

 変なスイッチが入らないように、ツルや草で発散しておく。

 それよりも、だ。


「昨日と比べて、胸が明らかに小さくなってないか?」


「……やっぱり分かる? てゆうか結局無視なんだね」


 これから重い話になりそうなのに、未だに俺が無視したことを引きずっている。


「もう無視した話はいいだろ。……それより、原因は解ってるのか?」


「ううん……。突然、前触れもなく小さくなるんだ」


「そうか……」


「うん……」


 それっきり、俺とゆりは森を出るまで何も喋らなかった。

 俺は昨日初めて遭遇したことだし、当の本人がよく解っていないのであれば無理に話を続ける必要もないだろうと思ってのことだ。

 森を出て少し歩くとカルヤの門が見えてきた。


「ん~……! はぁ……。やっと出れたね」


 ゆりは伸びをすると垂れ目を細めてカルヤを眺める。その横顔からは、まるでダンジョンで一晩過ごした冒険者のような顔だ。

 危険など一切なかったが、見知らぬところで一晩過ごし、荒れ果てた道が長く続けばこういう顔になるのかもしれない。

 対する俺は、微妙に青臭い手をそこら辺の木に擦り付けている。


「さ、カルヤまでもう少しだ。頑張れよ」


「え?カキス君も一緒に来るでしょ?」


 ゆりは俺の行動を見て少し申し訳なさそうな顔をしたが、俺の言葉に首を傾げる。


「いや、だって俺行く意味ないし」


 この後、何かやらなければいけないことは特にないが、だからといってついていく意味もない。


「カルヤまで競争! 早くしないと負けたら罰ゲームだよ~!」


 ゆりは俺の言葉を待たずして、もう走り出していた。……ここで森に帰ったらあいつは泣くだろうか? 泣くな、絶対。

 しかも、いつの間にか罰ゲームありの競争がスタートしていた。あれはフライングではないだろうか?

 罰ゲームの内容を言わないあたり何か企んでいるかもしれない。


「ふ、俺に勝てると思ってんのか」


 やれやれ、と肩をすくめると、もう小さくなってきたゆりの背を追いかける。

 久しぶりにゆりとじゃれ合うのが楽しくて、俺のテンションが少し高かったのもあり、その誘いに乗ることにした。

 ………………なお、最初は本気で追い抜こうかと思ったが、全力疾走していたゆりが息切れを起こしたので、俺の不戦勝となった。


 ○ ○ ○


 久しぶりのカルヤは人がいつもより多く感じられた。最近は体の成長も止まり、服を買い替える必要がなくなったこともあり、めっきりカルヤに行かなくなった。

 カルヤは、三大大陸の一つ「西のヴェルド」にある。そのヴェルドの中では東のほうにあり、ヴェルドの中でも大きめな街だ。「中央大陸リベル」に行く定期船も出ている港町でもある。

 なので、自然と人が多い街になるのだが……、


「今日は妙に人が多くないか?」


 ここは港とは正反対の位置だし、特にこれといってバザーがあるわけでもなし。しかもこの辺だけではなく街全体がお祭り騒ぎの様な騒がしさを感じるのは気のせいだろうか?


「あれ? カキス君知らないの?」


 首をかしげていた俺にゆりが騒がしい訳を説明してくれる。


「今はヴェルドウィークのお祭りの最終日だから人が多いんだよ」


「ヴェルドウィーク? ……なんだその自己主張の激しい一週間は」


 あの森に住み始めてから二年間全く知らなかった。


「自己主張なのかどうかはわからないけど……、ていうか本当に知らないの?」


「いや、知ってるけど?」


 ヴェルドウィーク。

 それは、初代ヴェルド王、二代目ヴェルド王、五代目、七代目、八代目、そして現在十二代目であるリリアド=ヴェルド王の誕生日が一日ずつずれて、更にその次の日が日曜だから一週間丸々休日にした、「祝日週間」ことだ。


「前々から思ってたことを言っただけだ。まぁ、祭りをやってたのは知らなかったが」


「そのヴェルドウィークの内、六日間はお祭りなの。それで今日は現ヴェルド王の誕生日だから人がいっぱいなんだと思うよ」


「ふ~ん、なるほどね」


(確かに祭りをするにはいいかもしれないが、六日間もよく続けられるな)


 さりげなく日曜日が含まれていないのはおそらく、六日間の疲れを取るためだろう。


「見て回る?」


 別にそこまで興味があったわけでもないので断っておいた。人が多いのも嫌いだし。


「いや……、それよりもさっさとお前を家に送るよ」


「うん、分かった」


 普通なら、一緒に祭を回りたがるかと思われるが、ゆりはそんなことなくすんなり頷く。


「こっちだよ」


 俺の手を引いて案内しようとするゆりに、一応確認する。


「あ、そうだ。俺が覇閃家であることは隠しておけよ」


「え、なんで?」


 なんでって……。


「あのなぁ、覇閃家は迷惑なことに有名な一族なんだぞ? しかも家をお得意にしてる水谷家はもっと知ってる。それこそいろんなことをな」


「うん、そうだね」


 ゆりは俺の手を引いたまま向き合う。その状況を周りの人間がちらちらこちらを盗み見る。

 ……なんか、気恥ずかしいな。


「覇閃家の人間は代々、黒い髪と金色の目なんだ。それと、使用人も含め、覇閃家の家紋を服のどこかにつけないといけない」


 うんうんとゆりは頷く。


「それなのに、俺は銀色の髪」


「似合ってるよ」


「青色の目」


「銀に青は映えるよね」


「しかも家紋をつけてない」


「あ、でもほら、ここにメーカーの……」


 プチッ☆←(カキスの何かがキレた音)


「お前は」


 ペチッ(小指でのデコピン)


「あぅ」


「人の」


 ペチン(薬指でのデコピン)


「いた」


「話を」


 ベチッ!(人差し指でのデコピン)


「あ、あぅ! ご、ごめ……」


「聞け!!」


 べチン!(中指でのデコピン)

「ごめんなさぁあい~い!!」


 泣きながら謝るので許してやることにする。まったく。


「とにかく! そんな俺を覇閃家の人間扱いされても困るからな。問題ないと思うがこれから覇閃とばれるような呼び方はするなよ」


「わかったよ~、覇閃君」


 ……スッ。


「じょ、冗談! 冗談だから! 私は普段覇閃君なんて呼ばないでしょ!?」


 ようやく分かったみたいなので手を下す。

 ゆりは目じりに涙をためながら、赤くなったすべすべしそうなでこを擦りながらも俺の手を引っ張る。


「それじゃあ案内します~……うぅ」


 半泣きで案内するといわれると、俺が無理やりそうさせているかのようだ。


(昔のゆりはここまで緩いというか、アホの子じゃなかった気がするんだけどな)


 俺の記憶の中のゆりは普段無口で、言葉よりも顔で感情を表していたのだが……。……今思うと、単にうまく言葉にできなかっただけのような気もする。うん、絶対そうだ。よく考えてみれば昔からドジっ子でゆるゆるでアホな子だった。

 あれは何か嬉しい事があったのだが、何だったろうか? まぁ、何かはどうでもよく、ゆりがその何かがすごく嬉しかったのだろう。ぴょんぴょんと体で嬉しさを表現していると、足を滑らして、転んでしまったことがある。

 その時のゆりの顔は幸せな顔から一転、泣きそうな顔に変わった。今のゆりだったら、「あうあう~」とか言いそうだが、その時のゆりは涙目でこっちを見るだけだった。

 俺が苦笑しながら手を差し伸べて起こしてやると、俺の服の端をギュっ!と握りながら小さく「痛かったよぅ……」と一言。

 俺がロリに目覚めた瞬間である。

 もうね、無意識にゆりを抱きしめてしまったのは仕方のないことだと思う。

 だってお前、小さい女の子が泣くの我慢して、涙目になって、服の端をギュッ! とされればもう抱きしめるしか残された道はないだろ!!(当時五歳)

 …………あれ? 何の話だっけ?

 俺がう~ん、と唸っていると、


「着いたよ。ここが我が家です。えへへ……」


 気が付くと、水谷邸に到着していた。

 目の前にはかなり大きい屋敷が立っていた。


「すげぇなぁ……」


 アーチの様な門。その門から屋敷に続く道の両側には色とりどりの花が、華やかでありながらも上品さを感じさせるように咲いている。芝生で貴婦人がお茶会でも行いそうな感じだ。

 また、所々に水路があり、全体的に見ると落ち着いた庭だった。


「でけぇ……」


 さりげなく回りも上流階級の屋敷がずらりと並んでいた。意外と考え事に集中していたらしく、全く気付かなかった。


「横に広いだけだよ」


 キィ……と、微かに軋むその音さえ上品に感じるのは、ここ二年ほど人里から離れていたせいだろうか?ともかく、門を開けて敷地に入っていったゆりについて行く。


「何と言うか……上品だな。でかいし」


 見上げるほどの高さのある建物は何度見ても金持ちの屋敷であり、貴族の家である。


「ゆりの親父さんって確か……商人……だったよな? 庭や建物が貴族の雰囲気を全力で出してるんだけど?」


「元々、水谷家は貴族だよ? ただ、お父さんが勝手に商売を始めたの。だから、お母さんの実家であるこの屋敷が上品で、気品があるのはふつう~の事なんです」


 まるで自分の事のように誇らしげに説明するゆりの説明にショックを受けた。


「ゆりにはないものが全てある……!」


「何でそこにショックを受ける!?」


 まだ、小さい子どもならいいが、この年になって気品溢れる屋敷に住んでいるならば、もっと上品さを感じさせてもいいと思うのだが……。

 ざっとゆりの全体を見直す。


「やべぇ……。どう見たって、で常に涙目の気弱そうなたれ目少女にしか見えねぇ……。上品さの欠片どころか、ゆるさの塊しか感じない」


「カキス君が酷いこと言わなければ常に涙目じゃないよぅ!」


 ゆるさの塊の部分は否定しないらしい。自分でもそれなりに自覚があるからだろう。


「うぅ……あんまり苛めると私、本気で泣いちゃうよ?}


 本人は睨んでいるつもりだろうが、涙目とたれ目なのと、睨み慣れていないのか、全然怖くない。それどころか、ゆりの身長が低いせいもあって、下から上に見上げるので上目使いみたいなっている。そのことに全く気付いていない様子のゆりに俺の本心を口にする。


「俺、お前が涙目になったり、泣くのを見ると背中とかがゾクゾクする。これ……恋、なのかな?」


「それはドSなだけだよぅ!」


 恋ではなかったようだ。


「それより中に張るなら入ろうぜ」


「冗談は置いといて、とか言って欲しかったよぅ……」


 いつの間にか、建物の玄関についたのだが、ゆりが疲れたのか中に入ろうとしない。心なしか、いつもの口癖にも力がない。

 仕方がないのでフォローしてやる。


「じゃあ、一割冗談」


「たった一割!?」


「冗談なのは、恋だと思ったとこ」


「しかも余計にドSが際立つ部分だし!」


 止めの一言を、ゆりの両肩に手を置き真剣な顔で放つ。


「自分に嘘を吐けない性分なんだ」


「あれ全部本当だったの!?」


 心のどこかで冗談だと信じていたらしく大きな衝撃を受けるゆり。


「そ、そんな……! 私は今までちょっとしたじゃれ合いだと思ってたのに……!」


 よろよろとしながら段々と目がマジな感じで潤み始める。

 あ、やばい。暴走するパターンだ。これは。

 ゆりは大きな衝撃(俺が与えたものに限る)を受けるとたまに暴走する。しかも暴走の方向が最悪で、人聞きの悪いことを大声で叫ぶ。

 しかも、さっきまでゆりの家の玄関の前で大声で言い合っていたのでいい加減、中の使用人に聞かれていることだろう。そんな状況で暴走されては危険だ。主に俺の社会的地位が。

 慌てて、ゆりの暴走を止めようと手を伸ばす。


「ゆ……!」


 ガチャっ!


「あなたにとって私はっ! ただ快感を感じるための大人の玩具だったんだね!!」


「…………」


「…………」


「…………」


 今、この場には三人。

 俺、ゆりに手を伸ばす。

 ゆり、ワンピースの裾をギュっと握り涙。

 鎧を着た男、最悪のタイミングで中から出てくる。腰には……剣。


「成敗!!」


「うぉ!」


 いきなり鎧の男が俺の目の前に上から叩き潰そうと剣━━幅の広さからおそらくバスターソード━━を振り下ろす。

 何とかバックステップで避けたが、もし避けなければ大変なモザイク映像になっただろう。

 ガスン!

 空振った剣は床を貫き、突き刺さる。

 ……全力で振ってやがったな、こいつ。

 あまりの勢いに冷や汗が背中を伝う。


「ふんぬ!」


 しばらく動けないかと思ったら、力任せに床から剣を抜くと、横薙ぎに剣を振る。


「あぁ、もう!」


(くそ! ゆりの緩い雰囲気に浸りすぎてスイッチが入らねぇ!)


 このままスリル満点の曲芸を続けても楽しくなんてない。

 鎧の男自身が、剣の重みを完全には制御できておらず、上段の隙だらけのフルスイングになる。そこに姿勢を低くしながら懐へ踏み込む。

 そして、男の手には雷の魔力を纏った右手で掌底を叩き込む。掌底自体には威力を籠めず、雷の魔力によって相手の手を痺れさせる。

 そうすることで、握力が無くなり、剣が手からすっぽ抜ける。


「なっ!!」


 男は実践不足なのか、懐に入り込んだ俺ではなく、飛んで行った剣を見ている。

 もちろん、その隙を逃すほど俺は馬鹿じゃない。

 左手で男の顎をかすめ、同時に、左足で相手の右足の踵を掬い上げる様にして男の片足を浮かす。

 脳を揺らされた状態で片足を浮かせば簡単に転倒する。男は初めて脳を揺らされたのか、目を白黒させて、自分の状況を理解していない。何度も立ち上がろうと手をつくが、足に力が入らずに立ち上がれていない。


(何とかなったか……)


 ふぅ……と一息吐くと、乱れた服を整え、まだ立ち上がろうと苦労している男に声をかける。


「無駄だ、脳を揺らされたんだ。後数分経つまでまともに立ち上がれない」


「くっ……!」


 男は悔しそうに俺を睨むが、立つことを諦め大人しくなる。

 そんな男に俺は肩を竦めて見せる。


「何じゃ、騒がしいと思ったら」


 開け放たれたままだった扉からしゃがれた声が聞こえてきた。扉の奥から歩み出てきたのは一人の老人だった。


「し、師匠……!」


(師匠?)


 師匠と呼ばれた老人は背を丸め、手を後ろに組んでいる。腰には短めの木刀を携えている。目は開いていないように見えるほど細く、ほとんど眉毛に隠れている。


「情けないのぅ、ディング」


 穏やかな顔のまま、男、ディングを責める。


「だから言ったのだ。『おぬしにバスターソードは扱いきれぬ』と」


 どことなく目元がディングに似ているのでもしかしたら、祖父と孫の関係なのかもしれない。


「あ、あれは! 不覚を取られただけで!!」


 ……不覚を取られたのはむしろこっちなんだが。


「たとえ不覚を取られなくとも、バスターソードでなくとも、結局はおぬしに勝ち目は一切なかったと思うがの?」


 意外と辛辣な言葉をディングに投げかけながら老人は首をこちらに向ける。


「あの小僧、おぬしよりよっぽど戦い慣れておる。いや、比べるのも失礼な程じゃな」


「そりゃどうも」


 俺は投げやりに答えると、ホケッと自分が起こしたことを呆然と眺めているゆりを呼ぶ。


「ゆり、ちょっと来い」


「……う、うん」


 はっ、と意識を戻し、ディングが壊した床の破片に気を付けながらこちらにたどり着く。

 小声で、


「もう面倒だから、おじさんのとこに直行して俺のことを伝えてくれ」


「う、うん」


 と、指示を出して、背中を押す。

 ゆりはうなずくと屋敷の中に入っていく。


「小僧」


 俺が、小走りに走っていくゆりが転ばないかを心配しながら見送っていると、老人が話しかけてくる。


「どうした、じいさん」


 後ろを振り返ると、老人は何とか立ち上がろうと奮闘しているディングを見ながら問うてくる。


「おぬし、能力者じゃな」


「……能力は使ってないんだがな」



 能力者。

 魔力と違い、全員にある力ではない。生まれつきの才能のような……、いや、様なではなくまさにその通りの力。

 それでも、世界の半数以上の人が能力者だといわれているが、実質の能力者はその四分の一しかいない。

 能力者は、能力を使えるようになるには覚醒する必要がある。覚醒には条件があり、その条件は人によって違う。

 自分が能力者だということも、覚醒の条件も知らない人がほとんだ。


「その腕に付けておるのは『バース』系じゃな」


「あぁ、これか。……目敏いな、爺さん」


 俺は自らの右腕を太陽にかざす様に上げる。その手首には文字が刻まれたブレスレットがある。


 能力には種類があり、ソーサラー系、ウェポン系、アシスト系、異能系と四つの系統に分かれている。

 ソーサラー系の能力は魔法に似た能力で、使用制限があったり、魔力を消費したりする代わりに、詠唱を必要とせずに魔法が発動できたり、能力だけの魔法が使えたりする。

 ウェポン系は○○バースとか、○○アーマーとか、魔力で武具を作る能力だ。ソーサラー系と並び一般的な能力でありながら、ソーサラー系と比べ、自由が利かないとされている。ウェポン系は能力の種類が決まっていて、バース系は武器を作る能力で、作れる武器の種類、十種の分類の中から一つだけ作れる。

 例えば、ソードバース。剣を作れる能力だが、実際に創造する剣は一つだけで、ショートソードなら一生全く同じショートソードしか作れない。

 アーマー系は四種で、バース系と全く一緒だ。

 ただ、そのぶんいつでも作れて(魔力消費)、いつでも消せる(継続するのに常時魔力消費する)ので燃費がいろんな意味ですごい。それはもうすごい勢いで。

 ただ、極めれば作った剣に本来ありえない特殊な力を付加することができるようになる。

 アシスト系は補助する能力が使える。多種多様にわたって、色々な効果の能力に目覚めるらしく、国もすべてを記し切れていない。上二つに比べ数が少ない。

 そして、異能系。異能系は他の能力とは桁が違う。協力でリスクがでかい能力はここに分類される。例えそれがウェポン系やソーサラー系であっても。

 例えば、分類としてはアシスト系に入れられる能力『ロストマジック』という能力があった。

 その能力は対象の魔力をなくすことができるが、能力者は使う度に視力を失い、使ったときに激痛が走り、一度使うと半年間能力が使えなくなる。

 とにかく異能系は、強力な効果、高いリスク、貴重性で分類される。

 能力者は一般人と比べるとエリートではあるが、異能系の能力者はエリート中のエリートなのだ。

 能力は、個別にすべてが違うといったことはなく、過去にあった能力が発現することもある。だから、能力に名前がある。そして、もし記録にない異能系能力であった場合に限り、本人が命名することができる。


「正確にはこれはソードバースじゃないけどな」


「むぅ?」


 老人が口を開きかけたが、


「ようこそ! カキス様」


 少し高い男性の声に口を閉じ、頭を垂れる。

 声がした玄関には黒いスーツを着たスキンヘッドの男が頭を下げていた。


「おじさん、俺昔にも言ったと思うけど、いちいち畏まらないでよ」


「はっはっは。すまんな、久しぶりなもんでな」


 六年経ってもお茶目な所が変わらないおじさんに苦笑が漏れる。

 とても楽しそうに笑うのは水谷春文。ゆりの親父さんだ。スキンヘッドと聞くとごついおっさんを思い浮かべがちだが、おじさんは違う。

 体格は細身で顔つきはとても穏やか。ゆりのたれ目はおじさんから遺伝したものである。性格も明るく気さくな人だ。

 口調もとってもフランクで、前にスキンヘッドの事で、


「河童の頭の皿と違って俺の頭はすぐ枯れるが、下はまだまだ枯れらんぞぉ? はっはっは!」


 と、対して上手くなく何を言っているのか分かりにくい下ネタジョークを昼間からいうユニークさを持っている。

 そんなおじさんがパチン、と指を鳴らすと音もなくメイドが現れる。


「お呼びでしょうか、ご主人様」


「彼を応接間に案内してくれ」


「かしこまりました。それではどうぞ、こちらへ」


 メイドは壊れた床にも動じず、手で道を示す。

 俺は一言、


「ありがとう」


 というとメイドについて行く。


 ○ ○ ○


 応接間に着いて、高級な品だと見ただけでわかるソファに腰を落ち着かせていると、おじさんが入ってくる。

 おじさんは、机を挟んで向かいのソファに座り、膝に手を置くと突然頭を下げる。


「すまなかった、カキス君。ディング……あの若い男は見習い騎士なんだ。無礼を許してやってほしい」


「おじさん、顔を上げなよ。俺は気にしてない。ゆりの暴走のタイミングの悪さにもずいぶん昔に慣れたよ」


 おじさんは頭を下げたままで言う。


「だが……」


 相変わらず部下の責任を重く感じすぎる癖は直していないようだ。まぁ、それがおじさんの良い所でもあるんだが。


「じゃあ……一つ、ゆりに関して聞きたいことがある」


「容姿の変化、かい?」


 俺は無言でうなずく。

 おじさんは長く深い溜息を吐くと、口を隠すように手を組む。目線は、机を向いている。


「……六年前、覇世家の襲撃があって君が出て行った。その日からちょうど一か月後にゆりが覚醒したんだ」


「覚醒?」


 ゆりは俺が居なくなって間もなく能力に目覚めていたようだ。


「あぁ。次の日の朝、ゆりの目の色が赤い色になっていた」


 目が、赤く?

 俺が森で見たのは、黒になった眼だったが……。

 おじさんは話を続ける。


「医者に見せても原因は解らず、分かったのは魔力が不安定になっていることだけだった」


 覚醒した後、数日間は魔力が乱れるので不安定なのは別段おかしなことじゃない。


「特に実害があるわけでもなかったからしばらく様子を見ることにしたんだ。そしたら、次の日には紺碧色に戻っていたんだよ。赤くなった時も驚いたけど、もっと驚いた」


 紺碧色というのは黒みを帯びた青色の事で、ゆり本来の目の色だ。


「その後、四年間は何事もなく、スクスクと成長していった。段々と女性らしい体つきになってきた頃に……」


「突然、小さくなったと……」


 そうだ。と、おじさんは険しい顔でうなずく。


「それからは、突拍子もなくああいうことが起きるようになった」


 ふむ……。


「容姿の変化に規則性は?」


「無い。数日で変化することもあれば、一日で変化することもある。変化する条件もわかっていない。」


 結局、何一つとしてわからないのは、周りの人間もだったようだ。半ば予想はしていたが、やはり実のある情報はなかったことに、お互い落胆を隠せない。


「「はぁ……」」


 二人同時に重い溜息をする。

 コンコン。


「失礼します」


 茎が重くなってきたナイスなタイミングでメイドが入ってくる。


「奥様とお嬢様の準備が整ったとのことです」


「おぉ、そうか。呼んできてくれ」


「かしこまりました。失礼しました。」


 ぱたんと扉が閉まるのを見てからおじさんは真面目な顔をして言う。


「さっきの話、あまりゆりに話さないでくれ」


「はぁ……、でも別に隠すこともないと思うんですけど。ゆり自身も知っているし」


「あらあら、男の方は隠し事が多いのですね。春文さん、カキス君」


 俺とおじさんが声のしたほうを向くと、赤のドレスを着た女性が笑顔で立っていた。

 谷間が強調されたドレスを着た女性は水谷すみれさん。ゆりのお母さんだ。

 いつも笑顔で、何事も「あらあら」で片づける、器と胸が大きい女性だ。同時に、常に笑顔のせいで何を考えているのか分かり難い。

 おじさん同様、とても優しい人なのだが、なのだが……何だろう?笑顔が怖い。


「隠し事? 何のことだい、すみれ」


 おじさんは、笑顔の裏に気付いているのだろうが、知らんぷりをする。俺は様子を窺うことにした。


「ではこのベッドの下に隠してあった本は隠し事ではないと?」


 ニッコリ笑顔のまま机の上に、バサッと投げ捨てるように三冊の本を置く。

 その本の表紙を見たおじさんは、瞬時にソファから降り、商人の本気である土下座の姿勢。


「あらあら。お客様が見ていますよ、春文さん」


 ちらっと一番上の本の題名を見ると『中年男性へ送る保健体育の実技』とある。カバーイラストには下着だけの女性の絵が……。

 あ、これもう土下座するしかないわな。

 おじさんに同情の視線を向けていた俺を、すみれさんが向く。……おじさんに向けていた笑顔のままで。


「お、おれは特に隠し事は……」


 こういった本に興味がないわけではないが、そもそも覇閃家いたときは幼かったので、こんな本を持っていなかった。というか、当時からすでに性欲についてはある程度コントロールできるよう訓練されていたし、今は特に興味もない。


「これは?」


 どこから出したのか、手には一通の手紙がある。


「そ、それは……!」


 すみれさんが持っている手紙は、俺が屋敷を出てすぐすみれさんの使い魔が俺を追ってきたので、嘘の居場所を書き記した手紙だ。


「私、これを信じてそこに向かったんです。カキス君が居た痕跡なんか一切なかったですけどね」


 やれやれ、すみれさんは……


「「すみませんでした」」


 俺はおじさんと肩を並べて土下座していた。


「あらあら。二人してどうかしたんですか?」


 すみれさんは土下座する男二人にも、終始笑顔だった。


 ○ ○ ○


 その後、何も無かったかのように三人で紅茶を飲みながらゆりを待つ。無言で。


(早く、早く来てくれ、ゆり!)


 内心ではそんなことを思いつつ、紅茶を味わう。

 俺はまだいいが、すみれさんの隣に座っているおじさんは今、どんな気持ちだろう?もしかしたら何も考えられていないかもしれない。だって目が死んでるし。


「ごめんなさい。少し遅くなっちゃった」


(来た!)


 カップから口を話して静かに机に置く。


「いや、すみれさんもさっき来たばかりだよ」


 努めて冷静にフォローする。が、ゆりのほうは決して向かない。なぜかって? あまりの嬉しさに殺菌作用のある液体が目から滲んできたからに決まってるじゃない。要は泣きそう。嬉しさで。


「うむ、カキス君の隣に座りなさい」


 おじさんはキャラが変わるほど、嬉しいらしい。

 俺は少し右にずれて、ゆりは俺の左に座る。ゆりが座ると、ふわりとバラの香りが鼻を通る。

 森の小屋ではこんな香りはしなかったので、香水でもつけたのだろう。おそらく、汗の臭いを隠しているつもりなのだろうが、残念ながら俺の鼻を誤魔化すことはできなかったようだ。

 ワンピースが淡い水色から白色になっているだけではなく、化粧もしているようだ。

 化粧といっても、かなり薄く、この距離でも口紅ぐらいしか俺には分からない。案外、口紅だけしかしていないのかもしれない。 ゆり自身が化粧を好まないのもあるだろうが、昔から俺が化粧が嫌いなのを覚えていて、気を使ってくれた可能性高い。その気遣いが嬉しい。

 そんな俺の視線に気づいたゆりが、頬を赤く染めて俯く。すみれさんとおじさんの前では不思議とゆりが大人しい。今までの冗談に近いあざとさとのギャップと相まって恥じらう姿がとても可愛らしい。

 俺はゆりのサラサラとした髪をなでながら微笑んでやる。


「可愛いよ、ゆり」


「はぅ……」


 その一言に耳まで赤くなる。それもまた、可愛い。

 そんな俺たちを、フフフッ、とすみれさんが笑う。


「森で再開したと聞いたけれど、その時もこうだったの?」


 すみれさんはワクワクした感じで聞いてくる。


「いやぁ、何と言うか。あまりにもあざといことばかりやるので、ついデコピンが乱舞していたというか……」


「そ、そんなにあざとくないよぅ!」


 ばっ! と勢いよく頭を上げるので手が押しのけられる。


「でも、常に暴走気味な感じだったぞ?」


「そ、それは……、久しぶりにカキス君と会ってテンションが上がったからで……」


 それは俺も一緒で、普段では絶対にないテンションだった。

 すみれさんは、俺とゆりの会話を聞きながらクスクスと上品に笑う。

 おじさんも微笑を浮かべながら本題に入る。


「さて、そろそろ本題に移ろうか」


 一応、俺もゆりも少し居ずまいを正す。


「カキス君はデルベル魔学院という所を知っているかね?」


「えぇ、デルベルにあるあの魔法学校ですね」


「そう、有名な魔学校だ」


 世界地図の中心にあるリベル大陸。その首都であるデルベルにある魔力についての学校がデルベル魔学院だ。

 世界的にも有名で、世界中から人が集まってくる。


「そこにゆりを入学させるんだが、ゆりのボディーガードを頼まれてくれないか? ディングはディングで通わせるつもりなのでな」


 あの学院は、平民だろうが貴族だろうが関係なく入学できるが、貴族が入学するにはボディーガードを最低一人つけないといけない。体裁を保つため、と言ってしまえばそこまでだ。


「期間は?」


「とりあえず二年ということになっている」


 あの学院は、卒業するのに最低二年掛かる。

 二年間……まぁ、どうせやることもないし、森の動物たちに関しても放っておいても問題はない。小屋も荒らされようが勝手に使われようが、ほかの場所に移住すればいいだけの話だ。別にこの地に拘りがあるわけではない。


「ゆりはどうだ?」


「え、私?」


「あぁ。お前次第だな。お前が嫌なら俺は辞退するし」


「守ってくれる?」


 不安そうに俺の服の端を握……ろうとしてやめる。手を引っ込めようとして、また服の端に手が伸びる。だが握らない。

 ゆりは迷っているのだ。ゆりが服を握ってくれば俺はそれを断らない。ある意味、絶対の命令となる。

 だがそれは、ゆりにとっては我が儘を押し通すことと同じと考えている。

 どの程度の可能性があるかはわからないが、ゆりの護衛をすることによって俺の命に関わってくる。ゆりとしては俺にして欲しいとは思っている。だからこそ、俺の服の端を握ろうとする。

 だが、同時にそれはゆりの我が儘。

 だからゆりは迷っている。だからゆりの手は、自分の望みと俺の命の小さな隙間を彷徨っている。

 俺はそんなゆりを見て密かに安堵した。少なくとも、ゆりは俺に守って欲しい思ってくれている。また、俺は苦笑もしていた。


(まったく、こいつは俺の言葉をちゃんと聞いているんだか……)


 だから俺は手を、小さな小さな手を、それこそ数十センチ手を伸ばせば届く程小さな隙間で迷っているゆりの手を両手で握る。

 今一度、俺の意思を伝えるために。


「ゆり、俺にお前のことを守らせてくれ」


(今度こそ、な)


 あの夜のようになことにならないように……。


(……そうか。ゆりは俺があの夜のことで使命感のようなものを感じていると思ったからか)


 だからゆりはかなり迷っているのだ。

 だとしたらかける言葉を間違っている。あれでは使命感が滲み出ている。でも、うまい言葉が見つからない。


「……ゆり。俺は使命感だけでお前を守ろうとしてない。罪悪感のせいじゃない。たんにお前を守ってやりたいからなんだよ。もう一度聞くぜ。……お前は、どうなんだ?」


 俺は無理に言葉を飾ろうとせず、直接ゆりの誤解を解く。

 これは俺がやりたいことだ。お前の我が儘じゃないし、使命感とか罪悪感でもない、と。


「お願い、します」


 ゆりは、俺の意思に、握り返してくれた。力強く握り返してやると、ゆりもまた、力を込める。

 俺とゆりは無言で見つめ合う。


「なんだかプロポーズしているみたいね♪」


 その言葉で俺はハッ! と気が付き、瞬時にゆりの手を放す。


(俺はなんという若気の至りを……!!)


 昔にも若気の至りで痛い目にあったというのに、それを忘れているかのような所業だ。

 すごく頭を抱えたい衝動に包まれたが、先に弁明というか訂正というかをしなければ!


「いや、あの、すみれさん。さっきのは別に、一生守るということではなくてですね!?」


 俺は柄にもなくあたふたと、訂正しながら恥ずかしさで顔が紅潮しているのが解る。

 そんな忙しいときにゆりが俺の服の端を握る。ゆりは切なげに瞳を潤ませ、顔も少し赤い。


(この流れはまずい!!)


 いまさらになって口紅が効力を発揮し、ゆりの艶っぽい唇からさらなる爆弾が投下されそうになる。


「私を一生守ってく……」


「おじさんはさっきディングも一緒に行く感じの言い方してたけど、そこら辺どうなんですか!?」


 ゆりが言い切る前に言葉被せる。

 何とか話を逸らすのに成功した!


「私たちは仕事に戻るか。すみれ」


「そうですね。あとは若い二人に任せましょう」


 と思っていた俺が甘かった……!

 すみれさんとおじさんは見合いのようなことを言って、本当に出て行ってしまう。

 俺は即座に次の逃走経路を考える。


(くっ、どうすれば! ……ハッ! そうだ! ディング本人のところに行くていで脱出すればいい!)


 思い立ったら即行動!完璧な計画におかしいテンションで、ほれぼれしながら計画を実行に移す。

 が、


「カキス君、逃がさないよ」


 ゆりが今までにないほど強く俺をソファに押し倒す。

 ……完璧な計画は実行から一秒もたたず終わる。

 押し倒すだけだったなら俺の計画は止まらなかったはずだ。

 だが、ゆりが体を張って俺の動きを止めたのだ。

 具体的に言うと、ゆりが俺の股間の真上に跨りやがったのだ。


「ちょ!ゆり!?」


「い、今動いたら大変なことになるからね!?」


(現時点でも十分大変なことだわ!)


 そこで、ゆりの言っている大変なことの意味が分かった。

 いまおれが下手に動くと、腰が動きパンツに包まれた乙女の柔肌が刺激されてしまい、その、……大変な事に!


(あ、やばいかも)


 そんな大変な事を想像してしまい、無意識に反応した俺の分身が、その、……変態なことに!

 変態しかけている変態の上に乗っているゆりはそのことに気づかず、


「……本当に、あっ! ……ダメだってぇ、ゃっ!」


 俺ががんばって巨木を苗木に戻そうと努力するが、ゆりが喘ぎ声という特上の肥料を与えるせいで、その、……さらなる変態に!


「だ、ダメなら乗るな! 降りろ!」


 ゆりは顔を真っ赤にしても、俺の上からどかない。


「せめて、せめて前か後ろにずれてくれ!」


 俺のアレは、成長しきってしまったことにより、別の問題が発生する。

 ついに、脈動を開始した。それにより、ゆりにさらなる刺激を与えかねない。

 そして、俺には喘ぎ声だけの生殺しになる。というか、なっている。絶賛現在進行中。


「ぁん……やぅ、動かない……でぇ」


「俺は一切合切動いてないから!」


「じゃ、じゃあ……もしかしてこれって……、ひゃぅっ!」


(スキあり!)


 わずかな瞬間にゆりの両脇に手を差し込み、大人が子供を抱き上げるようにして持ち上げる。

 が、姿勢が悪く、腕も伸ばしづらく力が入らない。これでは抜け出せない。


(くっ、仕方ない!)


 俺は、"思いっきり腰を突き上げる"。


「ひゃうん!?」


 ゆりは飛び上がり、俺はソファから転び落ちる。


「あ、カキス君!」


(待ってたまるか!)


 俺は全力で部屋から逃走する。

 ゆりの暴走、というか痴態は水谷家の血によるものだ。絶対。おじさんもすみれさんもその傾向がみられることがあるので、気を付けなければ。

 ……もし、あともう少しあれを続けていたらゆりを逆に押し倒して、その、大変な(ry


 ○ ○ ○


「おや、小僧。話は終わったのか?」


 部屋を出た俺は適当に歩いてたら、玄関でディングに『師匠』と呼ばれていたじいさんとすれ違う。


「ああ。ディングは?」


「今から儂と一緒に修行しに武道場じゃ。ディングに何か用かの?」


「あぁ。実は……」


 さっきの応接間でのことを説明する。


「ほぅ、おぬしが……。確かにあの馬鹿にはボディガードは無理じゃろう」


 じいさんは無言で俺を、いや、俺の右手首にある腕輪を見る。


「……異能か」


「…………」


(このじいさん何者だ?)


 見た目には、剣を作る力「ソードバース」にしか見えないはずだが……。

 ただの老いぼれじいさんではないということか。


「ついてこい、小僧」


 一人で進んでいくじいさんについて歩く。


「……なんで異能と思ったんだ?参考までに教えてくれよ」


「ふんっ。わしの腹など探りを入れても何も出んぞ」


「そうかい」


 話しながらもお互いが全く顔を合わせない。


「おぬしは我流じゃな。人から教わるのが苦手と見た」


「戦い方は生き方だと思ってるんでね。人生の説教なんか聞きたくねぇ」


「よく我流であそこまで技を磨けたのぅ。その年で」


「何が言いたい訳?」


「さぁのう……着いたぞ。ここが武道場だ」


 戯れのような腹の探り合いをしながら階段を降りた先に木製の大きな扉があった。その扉の上にあるプレートには武道場と書かれている。


「何人いるんだ、中に」


「今はディングを合わせて七人おるじゃろう」


「ふ~ん……開けてもいいか?」


 俺は扉に手をかけながらじいさんに聞くと、「好きにせい」とだけ返ってくる。

 ぐっと力を入れて押し開けると、さっきまでいた応接間の二倍ぐらいありそうな空間が広がっていた。

 ここが地下なので壁は土だが、床と柱に支えられた天井は木の板で作られてあり、覇閃家にも同じような物がある。まぁ、ここの数倍でかいが。

 その中心で組手が行われている。五人の男たちが俺らに背を向け、観戦している。

 その五人で隠れてよく見えないが、ディングは木刀を両手で構えてじりじりと間合いを測る。

 対する相手は……なんだあのマッチョ? なんで上を着てないんだ?

 相手の男は木刀を片手に持っているが、その木刀が小刀に見えるほど体がでかい。ディングもそれなりに筋肉があるが、目の前に比べると細く感じる。

 俺の顔が引き攣っているのが見えたらしいじいさんが説明をしてくれる。


「あの男はガズ。がルダン生まれじゃ。この屋敷内で一番の筋肉男だの」


 んなこと見ればわかる。どうやらマッチョの男はガズという名前らしい。


「あの筋肉、実戦で役に立たないな」


「うむ。ガズは、筋肉が好きだからの」


 ガズの筋肉は見た目にはすごいが、それだけだ。

 まず腹筋。腹筋は体を支える体幹なのだが、あまりにも腹筋が多いとバランスが悪くなる。腹筋が付きやすい。だが、反対側の腰は筋肉が付きにくい。そのため、バランスが悪くなる。

 しかも見た感じ、外ばかりで、腹の中にはあまり詰まっていないようだ。あれでは単に重いだけだろう。

 次は腕。腕は巨木のような太さを持っている。が、あの太さだと腕の可動範囲を狭くし、せっかくの筋肉が使える場面を少なくしてしまう。無駄に空気抵抗を増やすことにもなる。

 全体的に重い。本当の重騎士であれば見た目からして、ガズの二分の一以下で同じかそれ以上の力を発揮していた。つまり無駄。

 ……まぁ、ハッタリに使う分には良いかもしれないが。

 そんなガズがディングに上段から切りかかる。ディングはそれを馬鹿正直に受ける。木刀を横にし両手で支えるが、少しずつ押される。

 じいさんはふぅ、と小さなため息をつく。


「ディングめ、いつも言っておるのに……馬鹿だのぉ」


「ディングもだが、ガズもだな」


 そうだのぉ、とじいさんも同意する。

 馬鹿Dディング馬鹿Gガズの戦いはとても組手とは思えない。たぶんこのまま続けても馬鹿Dの木刀が折れて終わりだろう。

 じいさんもそう思ったらしく、馬鹿Dと馬鹿Gを止めに行く。俺はそのあとに続く。


「やめ!ディングの負けじゃ」


 じいさんの存在に気づき、七人全員が立ち上がる。

 頭を上げるとガズが豪快に笑う。


「グワハハハハハハ!またお前の負けだな、ディング」


「はい!ガズ先輩には敵いません!」


 ディングは目を輝かせ、ガズに尊敬のまなざしを向けている。

 ……名にこの熱血筋肉馬鹿塾。

 観戦していた奴らも口々にガズを褒めちぎる。


「いや~、強いな」


「あぁ、素晴らしい筋肉だな」


「カルヤ一、強いんじゃないでしょうか」


 などとほざくのだが、……今熱血筋肉馬鹿塾の生徒が一人さりげなく居やがった。


「そうだなぁ、グワハハハハハハ」


 ……うるせぇな、こいつ。


「ガズ、己の力を過信するでない」


 じいさんが釘をさすが、あまり意味をなさない。


「でも実際にガズ先輩より強い奴なんて師匠以外にいないと思いますけどね」


(ここまでくると、逆にイラつくな)


「そんなことないぞ。ガズはまだまだ弱い」


「えぇ、師匠には勝てません。グワハハハハハ!」


「……」


 ガズの舐めきった発言に、五月蝿い笑い声に高慢な態度にムカついてきた。


「あんた、『井の中の蛙大海を知らず』ってたとえを知ってるか?」


 突然、会話の中に入ってきた俺の存在に全員が気付く。


「あぁ、知っているとも。それがどうしたチビッ子。グワハハハハハハハハ!」


 ……いちいちむかつく野郎だ。


「あの例え、正にアンタの事だね」


「何?」


 ガズは笑みを消し、俺を見下ろす。俺は下から睨み上げる。

 ディングが俺に気づき、口を開きかけるがじいさんが止める。


「お前は『井の中の蛙』だって言ってんだよ、ザコ』」


「俺をザコと言ったなぁ!!」


 ガズの顔は憤怒に歪む。今にも襲い掛かってきそうな形相だった。

 ほかの連中も黙ってみている。


「証明してやるよ。……じいさん、審判」


 俺はディングから木刀を奪い取り、じいさんに審判を頼む。


「ふむ、良いじゃろう」


 俺とガズは位置につき相対する。

 ガズはギラギラとした目で俺を睨む。

 対して俺は、冷めた目で、それこそゴミでも見るかのようにガズを見る。

 ガズは中段で右手持ち、俺は下段左手持ち。


「魔力と能力の使用は無しじゃ。それでは……用意、始め!」


「うおおーーーーー!!」


 開始の合図と同時に鳩尾狙いの突きをしてくる。

 見え見えのそれを躱し、ガズの左横に回る。


「ふんぬぅ!」


 ガズは突きの姿勢から無理矢理、左への切り払いに切り替える。

 だが、重過ぎる肉体と遠心力によって、バランスを崩す。


「ぬぉっおっおっお!?」


 バランスを取ろうとして片足になったところで木刀を下段から逆袈裟切りの要領で浮いている左足の膝裏を掬い上げる。

 無様にも肩から転倒し、ガズが痛みに顔を歪める。


「うぐぅ……!」


 右肩を左手でおさえるので、木刀で筋肉と筋肉の間にある左腕の急所を突く。

 ついでに左足の、これもまた急所を鋭く爪先で蹴る。


「いっ!?」


「そこまで!」


 左半身の急所をやられ続行不可と判断したじいさんが早くも終了の合図をする。


「が、ガズ!?」


「ガズ先輩!」


 すぐにガズの周りに群がる『オタマジャクシ』達。俺はそれらを一瞥すると、呆然としているディングに木刀を返す。と、じいさんがやってくる。


「ディングにさっきの組手の説明をしてやってくれんかの」


「……なんで俺が? というか、あいつのとこに行かないのかじいさん」


「あやつの自業自得じゃ。それよりもディングに説明してやってくれ」


 ひどい師匠だな、と肩を竦める。


「最初の突きを躱して左側に回ったのが何故だか解るか?」


「い、いや……」


「あいつは左手に木刀を待っていたからだ。右に回ると裏けんされる可能性があったから左に回った」


 実際、無理に左への切り払いで、バランスを崩していた。


「さらに、掌側であるため、もし当たったとしても威力はそこまでなかったじゃろうがな」


 なるほど……、と相槌を打ち、納得した様子のディング。


「ま、そういうこった」


「……って、なんでお前がここに!」


 ディングは試合前に言えなかったことを今更になって聞く。


「お前……今更かよ。お前に用があってここにいるんだよ」


 なんだかんだ言って、俺も当初の目的を忘れていた。


「デルベル魔学院の事で聞きたいことがある」


「何故お前がその事を聞く?」


 ディングが警戒したように聞き返してくる。

 ディングからしてみれば俺は得体のしれない人間だ。警戒するのも当然か。


「そう突っ張るなよ。これから2年間、同じ学校に通うんだから」


 俺は敢えて、肩を竦めて軽い調子で返答する。


「どうやらこの小僧がゆりお嬢様の護衛に決まったようじゃ」

 じいさんは何でもない事のように告げたが、それを聞いたディングは口元をヒクヒクさせている


「こ、こんな素性も分からない男を?」


「まぁ、お前やじいさんは知らないもんな」


 俺は苦笑する。


「儂等が知らなくとも、ゆりお嬢様や旦那様は知っておられる。わし等使用人風情が口を出すものではない」


 ディングが俺の目をじっと見る。俺も真正面から見返す。

 その眼を見て俺はディングの評価をただの馬鹿から改めた。

 最初は、頭の固い猪突猛進タイプだと思っていた。それは間違いではない。だが、冷静になれば相手を見極める力は持ち合わせているようだ。

 相手の目を見るのは信頼できるのかを判断するのに有効的な手段の一つだと俺は思う。

 目を見て考えるのは物事の本質を見極めようとしているのだろう。それも、真正面から。


「……何か言いたいことがあるんだろう? 答えられる範囲であれば質問に答える」


 ピリピリし始めてきた空気を軟化させるために肩を竦める。

 ディングももう、俺の目を見てはいなかった。代わりに俺の全身を見ていた。


「お前は名のある家の出身か? 孤児か?」


「有名な家の生まれだ。我が家はおじさん……春文さんのお得意の家だ。俺が5歳の時にゆりと知り合った」


「家の名は?」


「儂も気になるのう」


 じいさんまで興味津々で参加してきやがる。


「残念だが、それは教えられない」


 覇閃家には一応表の顔がなくもない。だからと言って、大和ではないこの国で表社会で知れ渡っている家ではない。

 覇閃家は人殺しの家だ。裏社会と大和では有名だが、そのせいでおおっぴらに表社会に居座れない。

 それに、


「俺は今、家出中と言ってもいい。家の名を語る気なんてない」


 きっぱりと言うと、その話は終わりだといわんばかりに二人に背を向ける手武道場を出る。

 ディングは走って追いかけたが、じいさんは後始末でしているのか来ていない。


「おい、まだ聞きたいことが……」


 適当に手を振り無視する。が、以外にもしつこく聞いてこず、ただ黙って俺の少し後ろを歩く。


「……」


「……」


 つかつかつかつか…………。


「……」


「……」


 つかつかつかつか……ピタッ!


「…………何?」


 直立不動のまま言う。


「俺は、まだお前を深く信用できていない。少なくともお嬢様とお話しするまで」


「で?」


 俺はなんとなくディングが次に言いそうなことをわかってはいるが一応聞く。


「だから監視だ」


「面倒な奴だな、お前」


 また歩き出した俺の顔は嫌そうな顔をしているに違いない。

 今まで色んなことがあったが、こんな堂々とした監視宣言は体験したことがない。しかも若干短期なのがまた、面倒だ。


(まぁ、いいか)


 特に行動を起こしそうにもないので無視する。

 今の俺は何か監視されて困ることはない。あったとしても簡単に振り切ることはできるだろうが。

 じー……。


(監視じゃなくて観察だな)


 やっぱり面倒だ。

 そんな監視者を引き連れ『春文の部屋』と書かれた扉の前に立つ。応接間に案内されているときにちらっと見えていた部屋だ。

 トントン、とノックをすると中から、


「なんだね?」


 と返事が返ってくる。


「カキスだよ、おじさん。さっきは有耶無耶になったけど詳しく話を聞かせてもらえる?」


「そうだな、詳しいことを話していなかった。入ってきてくれ」


 ○ ○ ○


「それじゃあ、行ってきます。お父さん、お母さん」


「うむ。がんばれよ」


「病気には気を付けてね」


「うん!」


 あれから2日後、旅立ちの時が来た。これから船に乗ってリベルに行くのだが……。


「これ、船か?」


 目の前にあるものは船には見えない。

 というか、潜水艦だろ、これ。


「これしか手配できなくてね」


「まぁ、俺は構わないですけど……」


 おそらく水谷家の私物だろう。

 一般の船だとトラブルが起こった時に面倒なことが多い。その点、私物である方が楽といえば楽だ。

 案外、おじさんはそこら辺も考慮しているのかもしれない。


「いや~、一番早いのがこれしかなくて。一般の船に任せると遅すぎてつまらないし」


 前言撤回。まったくそんなことなかった。

 俺が一人げんなりしていると、別れを済ませたゆりが隣に立つ。


「思ったより早かったな」


「うん。あんまり長いとつらくなるから」


「そうだな、別れを引きずりすぎるのはよくないからな」


(成長したんだな)


「そろそろ乗ろう、ね?」


 潤む目は成長の証、ということにしておいてあげよう。


「あれ、ディングは?」


 妙に静かだと思っていたのはあいつがしつこく付きまとってこないからのようだ。


「荷物を入れ終わりました、お嬢様。いつでも出航できます」


「あぁ……出港準備の手伝いでいなかったのか」


「お前も手伝ったらどうなんだ」


 ジロリと睨まれた。


(俺、なんかしたか?)


 そんな心の内は欠片も出さず、肩を竦めて流すことにした。

 なお、ディングがカキスを目の敵にしているかというと、うまく扱えてはいなかったがお気に入りだった剣を飛ばされて行方不明になったから、というのもある。


「まぁまぁ、早く乗りましょうよ?」


 俺はそんなつもりはないが、ゆりは喧嘩を仲裁するようにして俺とディングの間に割って入る。


「そうだな」


「……はい」


 ゆりには逆らえないらしく、しぶしぶ矛先を収める。睨まれたままだが。

 かくして俺達3人は中央大陸『リベル』のデルベルへと出発した。

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