第十三話 「妨害工作……を妨害」
○ ● ●
「さっきの試合。なかなか面白かったわね、アリー」
「今年の新入生はレベルが高いようですからね。ここ数日で最も白熱した戦いでした」
「アルテミス的には……あれ?」
「俺ならここだ」
ガチャ。
来賓室の中でも特上の一室には、第五王女のテリスとその側近のアリーがゆり達の競技内容について話していた。もう一人の護衛に意見を求めると、返事はドアからだった。
全身黒ずくめ、仮面をつけた少年が部屋の中に入る。
「許可なく主のもとから離れるとは、感心できませんね」
デキる女という風貌のアリーの声は、可憐な少女のように透き通る高音という不思議な声の持ち主だった。
本人はそのことに慣れた物で、特に気にした様もなくアルテミスと呼ばれた少年を睨む。
「残念だが俺の主はそいつじゃない」
だが、睨まれた少年はそのギャップに笑うでもなく、眼光の鋭さにたじろぎもせず、軽く流してしまう。
同僚の軽口、というつもりのないアリーはアルテミスの言葉に殺気立つが、主の手前でそんなことはできない。このことを織り込み済みでそう返してきていることを理解したアリーは歯噛みしながら腰に下げたムチをなでる。
少年なのか青年なのか、中間の声音でアルテミスは部屋を出ていた理由を語る。
「不法侵入者を発見、確認していた」
「そう。……確認だけ?」
「あぁ。どうやら狙いは競技への不正の様だからな。放置しても構わんだろう」
アルテミスは侵入者の存在に気づき、出向いたが護衛対象である王女に危害が及ぶものではないと判断し、何もせず戻ってきていた。
あくまでもアルテミスの任務は王女の護衛であって、不正者に対する粛清を行う義務などない。また、アルテミスにとって新入生オリエンテーションなどどうでも良い行事にしか過ぎず、頼まれても動く気はない。
「わざわざあなたが行かずとも、私に報告し、私の部下に確認させれば良かったのではありませんか」
アリーは王女に茶菓子を出しながらアルテミスの独断行動を注意する。
「はぁ……、悪かった。次からはそうしよう」
何度も嫌味に近いことを言われては面倒だ。とでも言いたげに溜息を吐くと、入り口付近の壁にもたれかかる。黒のコートの裾が床についているが、気にした様子はない。
王女はモニターを見ながらクッキーを一つ掴み口に放る。部下達の仕事に対して不満もないので不干渉を決めていたのだ。別に、口を挟むのが面倒だったからではない。決して。
「ん……! このクッキー結構おいしいわね。アリー、どこのかしら」
「殿下から安全のためにと賜ったものですが……出所不明でして……」
「そうなの? まぁ、お父様がくれた物なら大丈夫だと思うけど……」
「…………」
王女はおいしければいいのか、次々とクッキーを食べていく。アリー本人が毒見をしてから出しているとはいえ、出所不明の物を迷いなく腹に入れるのはやめて欲しかった。
そんな部下の思いに気づいていないフリをして皿に手を伸ばす、と横合いから黒い腕がクッキーを一つ攫っていく。
「あ、私のクッキー!?」
犯人のアルテミスは、クッキーを裏返したり匂いを嗅ぐと、制止を振り切って租借した。
「あぁーー!?」
「姫様……はしたないですからお止めください」
叫ぶ王女に袖を持ってひかれながらアルテミスは仮面を元の位置に戻した。アリーは、主の物を勝手にとったアルテミスをしかるべきか、クッキー一つごときに大声を上げる主をたしなめるか迷ったが、結局後者を選んだ。
「で、私のクッキーを勝手に食べて何か分かったのかしら?」
ぶっすーと子どもの様に頬を膨らませながらジト目で睨む。
「あぁ。このクッキーは俺が昨日作ったものだ」
その言葉に二人は目を見張った。
「これあんたが作ったクッキーなの!?」
「一体どういうつもりで?」
「王に頼まれてだ」
二人にとって仮面の少年は根っからの暗殺者でしかなく、とてもクッキーのような家庭的なものを作れることが驚きだった。しかも、味も舌の肥えた王族を唸らせるほど。
意外な特技の発見だったが、当の本人はさらりとしている。
「王に少しの間”正直者になる”茶菓子を作ってくれと頼まれてな。その余りだろうな」
「ちょっとねぇ、それ私も今正直者になっちゃってないかしら?」
「大丈夫だろ」
「アルテミス! 気づいた時点でなぜ止めなかったのですか!」
「気づいたのはさっきだろうが。第一……」
「あ~ん。ん~……!」
「姫さんが食べ続けてるんだから、俺が何か言うのもおかしいだろ?」
「姫様!」
アリーは主に裏切られていた。
しかし姫と呼ばれた女性はひらひらと手を振って取り合わない。
「別に多少正直になったところで問題ないわ。どうせこの部屋から出るつもりはないし」
「そういう問題ではありません!」
次のクッキーをとった手をはたいて皿に戻させる。
「主に手をあげたな。この場合は不敬罪か?」
「何か?」
「何も?」
アルテミスの呟きを聞き取ったアリーが睨むが、肩をすくめて誤魔化す。その間に皿にそ~っと手を伸ばしていた王女は二人の護衛に頭と手をはたかれる。
ペシペシン。
「痛ぁ!? 何よあんた達!?」
「「さりげなく食べようと「しないでください」するな」
なんだかんだいって意外と息の合う二人に睨まれ、渋々クッキーの入った皿を机の奥側へ押しやり紅茶の入ったカップに口づける。
「……アルテミス」
「なんだ?」
ふと思いついたように王女は言う。
「何故今回あの女は譲ってきたと思う?」
それは王女の公務についてだった。
デルベル魔学院は私立ではあるものの、元は国に頼まれたことによって建った教育機関だ。その学園の新入生が中心となった催し物となれば、一度顔を出さなくてはいけない。
本来なら最有力次期国王候補である第一王子が来るはずだったが、外せない用事があるとのことで代わりに第二王女が指名された。
アピールするにはこの上ないチャンス。例え第二位だとしても、何で逆転するかわからない。だと言うのに、第二王女はそのチャンスを辞退して私達に譲ってきたのだ。
これに対し双子の姉は危険を感じ早々に遠方の小競り合いに逃げ込んでいた。残るは第五王女と第六王女だけ。
第五王女も辞退するつもりだったが、受けることになってしまった。その原因は仮面の少年のせいだった。
「どうして受けさせたの? 別にあの子だって良かったんだじゃない?」
「周囲が固まっていて、俺が介入できるのが姫さんだっただけだ」
アルテミスにとって今回のことは少々都合が悪かった。
「何の守り盾のない第六王女がこんな所に出てきたら、人形になるか人質となって面倒事が加速するかしかない。姫さんだって少しでも顔を売りたかったんだろ?」
「そうね。少しでも認知度を上げておきたいところだわ」
第五王女は第二王女の様に強力な男との繋がりを持っているわけでも、双子の様に軍事で手柄を立てているわけでもない。こういった地道なアピールの効果は無視できない。
まぁ、だからといって命と同じほどの価値があるわけではないが。
「……それに」
「それに?」
仮面の穴から覗く眼は、
「少し放っておけない組織が関わっていそうだからな」
鋭く鈍い光が宿っていた。
● ● ○
オリエンテーションはつつがなく進み、ついに競技は残り二つとなった。
そして俺達は今、入り口ロビーに立っている。
「と、いうわけで学園生じゃない人間が少なくとも七人侵入していることが盗ちょ、風の噂で分かっている」
「今明らかに盗聴って言おうとしただろ」
ディングが何か言っているが、話が進まないので無視。
「おそらく、現在50点差でトップのクラスが用意した不正工作を行う人間だろう」
「僕も確認してみたけど、特に戦闘員ってわけでもなさそうだったから、間違いないよ」
コルトは俺の発言を裏付ける。
「連中はどうやら、まっとうに勝負する気がないらしい。で、だ」
手にある会話石をディングとコルトに放る。
「嫌がらせをしてくるなら嫌がらせしかえすことにした。具体的には無理やりまっとうな勝負に変える」
「「おお~……」」
ディングは少し呆れながら、コルトはその場の空気に乗じて、俺の宣言に答えた。
「どうしたディング、やる気なさそうだな」
ディングが好きそうな計画だというのに、本人のやる気が振るわない。それどころか遠目をしている。
「私の仕事はお嬢様の身を守ることなんだがな……。最近、まったくお傍にいないことが多くないか?」
「お前どんだけ仕事好きなんだよ」
どこまでも真っ直ぐなディングとしては、めっきり本職から離れ始め、モチベーションが下がっている様だ。まるで仕事が忙しい恋人に会えないで意気消沈しているように見えるが、事実は全くの逆である。
女々しいやつ、という言葉を飲み込み、コルトに視線を向ける。
一つ数万する小さな石を右耳に入れていた。コルトは三年前にも似たことをさせているので、説明の必要はなさそうだ。
「ほらディング。お前もコルトと同じようにその石を耳にセットしろ」
「これもお嬢様をお守りする方法の一つ、として考えるしかないか……」
ぶつぶつ言いながらも、コルトを見て石を左耳にセットした。
「その石はチャンネルを繋いだ同種の石と離れていても会話できる。魔力はすでにこめてある。あとは念じればいつでも会話できるようにしといた」
ディングはあまり魔力量がないので、代わりに俺が前もってこめておいた。一応予備用の会話石も渡しておく。
「これを使って、侵入者の発見を伝えてもらう。その都度対応の指示は出すからそれまでは何もするなよ?」
「まるで別行動だな」
「別行動するんだよ。二人でどちらがより多く見つけられるか勝負してもらう」
首をかしげるディングに俺は頷いた。
「本当ならお前らに頼むまでもないんだが。俺は俺でしなくちゃならないことが出てきた」
口にした通り、当初は俺一人で対処するつもりだったが、別件で離れられないことが出てきてしまった。俺も予想していなかった事態が水面下で進んでいた。
(まさか、ここまで動きが速いとはな……。独断行動、って人数でもないようだし)
「まったく……私達、いや私はお前の小間使いではないんだがその辺りは?」
「二人、いやディングのことはちょうどいい手足だと思っているのは否定しない」
「どうして二人は僕を含めないのかな? ねぇねぇ?」
無視。
「さっきお前自身が言った通り、結果的にはゆりのためになる。仕方ないとあきらめてくれ。それじゃあよろしくな」
「……仕方ない、こんな上司でも腕は確かだし仕方ない……はぁ」
「まぁまぁ、景品もあるみたいだし、元気出していこうじゃないか」
ディングがコルトに肩を叩かれながら廊下を歩くその背中に心の中で謝ると、クラスごとに分けられているアップルームに移動する。
○ ○ ○
残り競技が二つ。それも一つはすでに選手が点呼されているため、最終競技に出る生徒しかアップルームを使うことはない。最終競技は特殊フィールド内で行われる、実戦式サバイバルだ。一チーム五人と、オリエンテーションの全競技中もっともチーム構成人数が多い。
そのメンバーが俺、ゆり、ディング、アルター、そして……、
「シェリル、競技前だってのに魔力を使いすぎじゃないか?」
「カキス……」
最後の一人はシェリルだ。
的を出さず、火の輪をいくつも宙に海だし、魔力制御の具合を確かめていた。どこか上の空といった目をしている彼女の額には汗の玉が浮かんでいた。
「ほら」
バサッ。
「……ありがとう」
やはりどこか気が抜けているようで、俺にタオルを投げ渡されるまでそのことに気づいてすらいなかった。
しばらく二人の間に静寂の時が流れる。集中できるようにと、スピーカーもなく、音を発することができるのは時計だけだった。しかし、広いアップルームの壁にある時計の時を刻む音は、二人の耳に届かず、時が止まったような錯覚に囚われる。
……カチ……。
「……前々から気になっていたんだが、なんでお前ら兄弟は第二学生を選んだんだ?」
まるで分針が動く音を皮切りにしたように、俺は止まった時を動かす。
俺は気になっていた。何故アルターとシェリルが水属性専修の第二学生になったのか。内のクラスには他にも水属性ではない生徒が数人在籍しているが、自己紹介の時点で判明している。
だが、トラクテル兄弟に限ってはその理由が明らかになっていない。
数時間前にシェリルが俺の目的について尋ねたお返し程度のつもりだった。
しかし、タオルから僅かに覗かせた視線には強い警戒心があった。
「なんでそんなことを聞くの?」
ごん外に、あんたには関係ないでしょ? と伝えるシェリルの態度に柔らかさはない。今日は随分と馴染んだ気でいたが、勘違いだったのかもしれないと思い直す。
「おいおい、朝は俺に質問するだけして、いざ自分の番になるとシャットアウトか?」
「朝はあんただって大して話さなかったじゃない……! し、しかも、去り際に変なことを言って逃げるし!」
その変な言葉に顔を赤くさせてアッパーしてきたのはどこの女だ。そう思ったが、ぐっとこらえ、肩をすくめることで応える。
「都合が悪いならそう言えば良い。俺だって重要なことは話さなかったんだからな」
自らのことを棚に上げるつもりのない俺は、嫌なら話さなくても良いと前置く。
「都合が悪い……わけじゃないけど……」
シェリルが何かを焦巡していると、脳内に聞き覚えのある声が響く。
(一人発見。どうやらディングが使う予定の剣に細工をしようとしてるみたいだよ)
それはコルトからの報告だった。
俺は一時的にシェリルから視線を外し、響いた音に集中する。
(細工内容は?)
(あ~、過剰エンチャント……かな?)
(ディングには?)
(言ったよ。僕たちに任せるって)
俺はコルトから伝え聞いた内容を整理する。
過剰なエンチャントによる耐久性の低下が狙い。とすらならば、かけられてしまえばその時点で折れやすい剣へと早変わりしてましまう。
剣を直前で変えるという手も考えたが、時間的余裕がはたして存在するだろうか?
俺はそこまでの思考を一秒未満で終わらせるとすぐに指示を出した。
(かけられるまでにやれ。殺しはするなよ?)
(じゃあ適当に追い払うよ)
(ああ。そうしてくれ)
「嫌味でもなんでもなく関係ないことよ、あんたには」
「それでもかまわないさ」
コルトとのゲートが閉じた感覚と同時にシェリルから話しかけられる。俺は動揺も焦りもなく、ごく普通に返す。よどみなく発せられた言葉にシェリルが違和感を抱いた様子もない。
シェリルは起伏の薄い胸をそらしながら話は始めた
「知ってると思うけど、シュゼイルと私達兄妹は家をかけて争っているわ。それは昔からなの。事あるごとにシュゼイルと比較され続けてきたわ」
シェリルが語り始めたのは過去から今に至る経緯だった。
人一倍過去に一モツどころではないモノを抱えている俺は、ゆりやコルトとも違う、一般的な思い過去に興味がある。体の向きは横向きながらも、顔だけはシェリルに向ける。
が、タイミング悪くディングから報告が入ってきた。
(私たちのクラスの様子をチラチラと伺っている男がいる。どうする?)
俺は舌打ちしそうになり、止める。シェリルの話の腰を折るわけにはいかない。仕方なく同時に処理する。
「そいつはまた、狭苦しそうな人生だな」
(そいつはどんな見た目、体格をしている?)
「そうね。今はいくらか慣れたけど、最初は苦痛でしかなかったわ。……あまり認めたくないけど、シュゼイルのほうが強いのは昔から」
(とにかくがっしりしている。見たところ、武器を持っている様には見えないが……大きめの上着の下に何を隠しているかまではわからないぞ)
耳ではシェリルの、頭ではディングの声を聴き、俺は思案するふりをしてディングに指示を出す。
(だったら警備員のふりをして話しかけろ。『どうかしましたか? 道に迷われましたか?』とでも言ってな)
(了解。……『あん? あぁ、いや実は知り合いの子どもが学園生でな。探してるだけだから気にするな』)
指示通りのセリフを言ったディングは、ゲートを閉じらずこちらが指示を出しやすいように中継している。ゲートを通し、俺の脳内に三十半ばの男の声が聞こえた。
(よし、おかえり願え。規則で学園生以外は入れないようになっていることを利用して)
(返してあきらめるとは思えないが?)
(そいつの役割はクラスの監視だ。今は実行犯の方が重要だから適当に時間を使わせさせればいい)
(なるほど。了解した)
もしその男が持ち場を離れたとしても、当人ですら気にしないだろう。クラスの監視が奴らの目的ではないからだ。
そう断言できる理由は、男が一人だけということにある。もし、クラス全員の動きを止めるつもりにしては人数が少なすぎる。監視だけに済ませ、工作班の動きを気取られないようにするためと考えるのが妥当だろう。
体格がいいのは単に威圧感を相手に抱かせるハッタリ。ディングは武器を隠している可能性を疑っていたが、実際にはそんな物は持たされていない可能性が高い。下手に武器を持って警備員に捕まってしまうのはよろしくない。
ディングは迷うそぶりすらなく通信を切った。俺が断言したとはいえ、念のためにゲートを繋いでおいてほしかったが、まぁ良い。
俺は顔を上げシェリルを見る。苦い過去を語る割にはどこか違うことに気を取られているような表情だ。
「二人がかりでも勝てないのか?」
トラクテル兄妹と違い、シュゼイルと戦ったことがないので、どの程度の強さなのかわかっていない。
「えぇ。最近は能力を使わせるところまで追いつめられるようになってきたけど、能力者かどうかが大きな壁になっているわ……!」
悔しそうに歯噛みしながら、呻くように呟く。呟きですら俺の耳に届くのは、どこまでも静かなアップルームが俺に届かせたからだった。
周りを見ても、誰もいない。シェリルの周りは、今だけは一人だった。
「なら、三人でかかれば問題ないな」
俺を除けば。
気に入っている店が満員で中に入れないなら、空くまで待てばいい。そんな軽さで言った俺に、シェリルは驚いたような目を向けてくる。
(まったく、人をなんだと思っているんだか……)
シェリルの反応に思わず苦笑し、すぐらにいたずらを思いついた子どものように口角を上げて語る。
「だってそうだろ? 一人だと勝てなくて、二人だと能力を超えられない。なら三人目が加われば勝てるんじゃないか?」
俺は一つ一つ、指を立てながら説明する。正直自分で言っておいて、相当バカな単純計算だと思う。本人ですらそう思うのだから、言われたシェリルが否定しないわけがない。
「あのねぇ……、能力者相手にあんた一人が加わったところでどうにか……」
「なる」
あきれたシェリルの言葉に割り込み、俺は表情を引き締める。
「忘れたのか? 俺はお前ら二人に、役に立たないどころか足を引っ張りかねないディング、もとい肉壁と二人で、無属性の俺が勝ったのを」
それは数日前のこと。詳しい理由は忘れたが、トラクテル兄妹と模擬戦をすることになり、実力的には二人を圧倒していた。
「いままでは二対一の戦いしかできなかったとしても、今日これからは三対一でやれる」
「そんなの、勝った気がしないわ。三対一とか、完全にこっちが卑怯じゃない」
くだらない。そう吐き捨て俺の脇を通ろうとするが、手で遮る。
「違うだろ? 勝った気がしないんじゃなくて、負けを認めたくないんだろう?」
パァンッ!
「…………」
「……ふざけないで! 何で負けが怖くて三対一を断るっていうの!?」
パァンッ!
二回、頬を叩かれた。涙を散らせながら振るわれたそれは目前が白く明滅するほど強烈だった。
俺の蔑む様な言葉に怒りの感情を爆発させたのは自分でもわかっていなかった感情を指摘された故の動揺。
二回ともたやすく受け止められたが、そうしなかった。シェリルが怒るとわかっていて言ったのだから、叩かれる覚悟があった。
「……負けが、怖くないと? 俺と勝負して負けるのが怖いと?」
「怖くないっ!」
シェリルは今ムキになっている。だからこんな簡単な誘導に引っかかってしまう。
「なら、この前の勝負の続きをするか? あの時は確か結果がうやむやになって終わったからな」
「い、嫌よ!?」
俺の提案を聞いたシェリルはその提案を速攻で蹴ってきた。
「あれは私の勝ちってことで決まった話でしょ!?」
シェリルの中ではもう覆しようのない結果になっているらしい。しかし、傍から見ても俺が価値を譲ったようにしか見えない。
それを認めたくない。だから無属性差別の言葉があの時出たのだ。
「あぁ、そうだな」
シェリルの言い分を否定する必要はない。
「だから、だよ。負けて悔しいからもう一度戦って今度こそ勝ちたいんだ」
否定せず、認めた上で再戦を望めば良い。
至極真っ当な、当たり前のこと。負けを認め、自分の悪かった点を省みる。そしてもう一度立ち向かう。ただそれだけのこと。
「うっ、……嫌」
シェリルはそれができなかった。
「どうしてだ? 魔力が心配か?それなら気にするな。魔力石は用意してある」
魔力石はその名の通り、魔力を帯びた石で魔力を即時回復するだけではなく魔力使用による疲労も回復する優れものだ。魔力石は使い捨てタイプだが、魔晶石という物もあり、そちらは自身の魔力を込めることで何度でも再使用可能だ。
俺は先手を打って逃げ道を潰す。シェリルもそのことに気づき、苦虫を噛み潰したような表情になる。
「……あぁもう! 認める、認めてやるわよ! 私はあんたに負けるのも怖いし、シュゼイルのことも悔しいわよ! これで満足!?」
ムキになっているかと思えば、今度はやけになってしまった。
「どうしてそこまでつっかかってくるんだよ……」
ガルルゥ、とまるで猛獣のように唸るシェリルに、集中を切らされた俺はがっくりと肩を落とす。別にシェリルの下へ足を運んだのは説得が目的ではないが、せっかくの流れを台無しにされた疲労感はかなりのものである。
(二人目発見。どうすればいいカキス?)
しかもディングから通信が入ってきた。
(今回は何をしている?)
(一人目と同じだな)
どうやらディングは人が多いところを回っているらしく、監視系の人間を見つけてくる。
(なら同じ対応をしろ)
一方的に通信を切ると、俺は深いため息をつく。最終競技を前にして俺はなぜここまで疲れなければいけないのだろう?
もう適当に魔力石でも渡して帰ろうか。そう思いポケットに手を伸ばした時、
(カキス! そっちに三人ほど向かってる!)
緊迫したコルとの声が聞こえた。
俺は瞬時に緩んでいた気を引き締め気配を探ると、報告通り三人ほどこちらに近づく反応があった。二方向から接近しており、遭遇せずにアップルームから離れることはできそうにない。
「シェリル」
俺は魔力石を投げ渡すと、ローブの下に隠してあったナイフを抜く。朝来ていた上着はどこぞの万年発情ロリに体液をこすりつけられたので、その代わりに用意したものだ。
危なげなく受け取ったシェリルは急変した俺に目を丸くしている。
「呆けるな。さっさと魔力を回復させろ」
厳しい口調で失跡すると、一瞬口を開くがあくまでも一瞬で、すぐに魔力石を強く握る。文句は行動をしてからにしたらしい。
(良い心がけだ)
内心で微笑むと、もう一度気配を探る。今度はさらに正確に。
(階段方向から一人、遅いやつが二人か。遅いやつらが先行しているのは、報告時の位置の差か。実力は……ちっ! こんなことに金を掛けやがって)
三人の魔力量、まとう空気の重さの感じはとてもシェリルが敵うレベルではない。どうやら本気で今回のオリエンテーションに勝つつもりらしい。
(カキス、今からそっちに向かって……!)
(いや、お前はディングと協力して最後の一人を探せ。こっちは俺一人で十分だ)
三人の襲撃者は先日の殺人ギルドの男、マルニアス以上だが、その程度なら問題ない。わざわざコルトがこっちにくるより、もう一人の工作員を炙り出す方が優先だった。
(ちぇ。せっかく楽しめると思ったのに……)
(おいこら……)
コルトはわざとらしく不満を口にする。もしかしたら、報告を遅らせたのはそのせいかもしれない。こちらには俺だけではなくシェリルだっているというのにとんでもないバトルジャンキーである。
「シェリル、どうせ俺はシュゼイルを倒すことはできない。だが、負けるつもりも毛頭ない。だったらお前らトラクテル兄妹がシュゼイルを倒しやすい様にするのが、俺にできることだと思ってる」
「……あっそ」
とりあえず言っておきたいことは言っておこうと、三人の対処法を脳内で考えながら口にしたが、シェリルは興味なさそうに反してきた。
真剣みが足りなかったのかと、両肩を掴んで床に押し倒しながら言ってやろうか、と手をわきわきさせながらシェリルに近づ、
「おい、あいつらじゃねえか?」
「あ~、でも男の方は銀髪だから違うな」
「いや、銀髪のガキは追加報酬を出すらしいからついでに殺ろうぜ」
残念ながら、三名様が到着してしまったようだ。
「誰よあんたら! ここは内のクラス専用アップルームよ!」
シェリルがいきなりの乱入者に食って掛かる。しかし、男たちは言葉は返さず剣を抜くことで返答とした。
(もう少し遅ければ……いや、時間を考えるとそうもふざけていられないか)
最終競技に出る選手はそろそろ受付に行く時間になっている。受付時間は二十分程で、その間にメンバー全員が揃って行かなければいけない。
そう考えると、実は今、かなり時間に追われている。ゆりにはあらかじめアルターと一緒に、早めに受付に行くよう言ってある。二人には黒ゆりがいるので問題ないはずだ。
だが、工作員もう一人見つからず、目前には剣を抜きゆっくりと距離を詰めてくる男が三人。時間内に工作員を見つけ、突破口を作ることを要求されている。
この状況はさすがの俺も切羽詰っているといわざるを得ない。
工作員を見つけることはディングとコルトの二人に任せるしかないが、男たちは男たちで苦戦する可能性が高い。マルニアスはB級の殺人鬼だったが、こいつらはおそらくA級の分類されるだろう。
マルニアスの場合、遊ぶ余裕があったが、三人にはその余裕がはたして保っていられるだろうか?
闘争か逃走か。どちらかを選べと言われたら時間に余裕がない以上逃走を選ぶべきだろう。だが、その選択を取ることすら厳しい。
「ちょっと、答えなさいよ! 剣を抜いたりして戦るっていうの!?」
「止めろシェリル。……それと喚く暇があったら詠唱しろ」
前に出ようとするシェリルを腕で抑えつつ、スイッチを入れるべきかどうかを迷う。
スイッチを入れていない俺は一定以上の魔力を使えず、思考速度も遅い。だからといって、スイッチを入れれば、自分のことを優先してしまう。
それこそが逃げるという道を狭くしてしまう原因だった。
この場を切り抜けるのは俺だけではない。シェリルも連れて逃げなければいけない。
(くそっ、どうする……? 一か八か、スイッチを入れずに……やる!)
お互いにあと五歩も歩けば接触するという所まで距離を詰められた時、俺は――、
シェリルを脇に抱えて右後ろの二人組みに向かって跳躍した。
「キャア!?」
「「うおっ!?」」
「ちっ!」
空中でくるりと体の向きを反転し、俺の予想通り経験不足らしい二人へ、ナイフを二本投擲する。
経験は浅い、されど実力は確かなようで、
キキィン!
正確に刃をこちらに向け弾き返してくる。
当然弾き返してくると予想していた俺は片手を使い、二本とも掴み取った。ナイフホルダーに収め終えるとちょうど、二人から五メートル離れた地点に着地。俺は影身逃亡を図り、二人は揃ってシェリルに炎球と雷球を放つ。
「――っ!?」
シェリルは影身による慣性に引かれ、声にならない呻き声を出しているが、気遣っている余裕はない。己の放った魔法が穿った少年少女は虚像だったことを動揺している間に、アップルームから抜け出たかった。
二人が正気に戻り、俺の姿を捉えようとする。しかし、俺はその前に二度目の影身で廊下へ飛び出ることに成功した。
「~ぅぷっ!?」
ついでにシェリルの胃をシェイクすることにも。……後でちゃんと謝罪しよう。
いまいち緊張感のない誓いを立てていると、視界の隅に階段を見つけた。もう一回影身をすれば一瞬で辿り着けそうだが、シェリルの食道から違うモノが上がりそうなので自重する。
「すまんが、もう少しだけ我慢してくれ。今お前を降ろしても……」
「……何?」
「いや、お姫様抱っこが楽なんだが許してくれないだろうなぁ、と」
「私は別に気にしないわよ? というかこの持たれ方の方が嫌なんだけど。内臓へのダメージ的に」
「悪いとは思っている。が、反省はしない」
シェリルの許可を貰い、脇から前へまわす。
両手がふさがってしまったが、いざとなればシェリルを宙に投げればいい。地面に落ちる前に回収することは容易なので問題ない。
(さて、どうする?)
このまま受付まで逃げ込むか、シェリルを安全な所へ避難させ迎撃するか。正直な話、二つに違いはほぼない。どちらを選んでも時間内に辿り着ける自身はある。少々手のこんだ準備運動。俺にとってその程度のトラブルでしかない。
(……面倒だし、逃げることにするか)
今一度考え直したが、結局は魔力も無駄にしたくないと思い逃走を選ぶ。
と、タイミング良くコルトから通信が届いた。
(カキス。駄目だ、見つからない。最後の一人がどこを探しても見当たらない。どうする?)
その内容に俺は眉を顰めた。
(本当に見つからないのか? お互いに見逃している場所がないか確認しろ)
(私の探した範囲もコルトがもう一度調べなおしたが、工作員も工作が行われた形跡もない)
(……そうか、とりあえずコルトとディングは合流しろ。いつでも動けるようにしてろよ?)
一旦通信を切ると、俺は一度立ち止まる。考えを巡らすためではない。シェリルにトイレの便器と語り合ってもらうためでもない。
「…………」
「…………」
ただ、目の前に汗一つかかず先回りを果たしていた男が立っていたからだ。
中肉中背の男は、釣りあがった目尻と殺気を宿した鋭い眼光でこちらを威圧している。アップルームで遭遇したときも特別油断していた様には見えなかったが、今はそれ以上の集中力を発揮している。どうやら中途半端に逃げたせいで、余計に警戒心を強めてしまったらしい。
手には剣を持ち、魔術を施している様子はない。必要がないほど剣の性能が良いのか、それとも別に理由があるのか。相手の真意がわからない以上、警戒しておくに越したことはない。
「…………」
「…………」
お互いに挙動の一つ一つに意味を持たせ、素人目には分からない高度な読み合いを展開する。
誘うように隙を見せるが、それに乗ってこない。逆に隙を見せてくることもあるが、罠だとわかって飛び込むような性格ではない。
(やりにくい相手だな)
おそらく、男も同じことを考えているだろう。二人ともどちらかと言えば”受け”の戦闘スタイルなため、フェイントも共通する点がいくつかあり、お互い簡単には引っかからない。
(仕方ない……)
時間に余裕がない俺は、残りの追っ手が来る前に突破を図るべく、場を動かしだす。
まず初手は、
「シェリル、投げるぞ」
「あっ、えっ!?」
シェリルの許しを待たず、男の頭上に向かって投げ上げた。
「…………」
男は冷静に標的をシェリルに移すと、無防備な脇腹へ剣を突き入れる。
ヒュオッ!
「このっ!?」
赤髪の少女は寸でのところで身をよじり、腹の下に剣を通す。ドレスの端をかすめ血の代わりに赤い布がパッと空で散る。
さらに男は手首を返すと剣を跳ね上げつつ、開いた左手に魔力を集める。
俺ならクツ底が厚いことを利用してクツ底で剣を受け、クツごと断ち切られる前に宙返りで回避するだろう。剣を足場とするので影身だって可能だ。
しかし、今剣を向けられているのは俺ではない、シェリルだ。
俺はシェリルがいなくなったことによって自由になった右手にナイフを持ち、シェリルと剣の間に差し入れるようにナイフを滑らす。
ギャリリィィィィィィィッ!!
下へと力を加えながら刀身の上を火花を散らしながら滑らすと、力点が動き続けるため男の方は剣を持ち上げられない。その間に左手でシェリルを引き寄せる。
「させるか!」
意地でもシェリルを真っ二つにしようとする男は、身体強化で無理やり持ち上げようとするが、すでにシェリルはいない。
それどころか、シェリルがいた場所と入れ替わりに俺が剣の上へ乗っていた。男が密かに設置していた魔法を魔絶で消しておきながら。
「っ!?」
「流連流鏡華水月の型、其の一『影身』」
上に仕掛けてあったのは雷属性中級魔法、『ボルテックスブラスター』。雷球を雷雲代わりにし、雷を広範囲に落とす魔法だった。
おそらく、剣は囮で本命はボルテックスブラスターによって俺ごとまとめて灰にするつもりだったのだろう。俺が救出するために近づくと読んだ上でのトラップだったのだが、残念ながら中級魔法程度なら簡単に無効化できる。
男は魔法を消される可能性を読めなかった。一つ読みが外れただけで生まれた隙は、確実に俺を優位に立たせる土台となる。
剣の上に載られるという意識の隙を突いた俺は影身で死角に隠れる。同時に、影身の踏み込みによって剣先は地面に沈む。
追ってはまだつかず、目前の敵には決定的なチャンスをさらしている。
俺は目を細め、ソレを、見据える。
「流連流激天脚の型、其の一『雷心槍』」
マルニアスにも使った、相手の動きを一瞬止めるだけの流技。体の中心である心臓に雷撃を加え、全身を硬直させるのだが、
パァッンッ!
スイッチを入れてない状態での手加減なしの|それ(雷心槍)は、心臓の働き自体を強制的に止める程の威力が生まれた。
「ガッ……!?」
例え、相手が雷属性だったとしても。
ゴトン、と受身も取らず床に倒れ付した男を一瞥すると、気配で追手の二人が近づいてきていることを感知する。
「残りの二人が近づいてきている。さっさとここから離れるぞ」
俺はシェリルの手を取って走り出す。
「じ、自分で走れるわよっ。それより……」
言いよどむシェリルの視線の先には、額から床に熱いベーゼを交わしながら白目をむいている男にある。
「殺したの?」
二人で階段を一段飛ばしで上りながらシェリルが訊いてくる。俺はその問いに首を横に振った。
「殺してはいない。一時的に仮死状態にあるだけだ」
近頃になって心臓に電気ショックを与える蘇生術が確立された。雷心槍はその真逆のことをなした。生きている心臓に電気ショックを与え鼓動を止めることができる。
時間が経つと心臓のマヒがとれ再び動き出すが、しばらくの間は頭がぼーとしてすぐには動けない。
そのことを説明すると、疑わしそうな目を向けてきた。
「……あの時のあんた、殺してもおかしくない殺気を出してたわよ」
「…………」
足の長さの関係上、俺が先に階段を上りきる。眼前に伸びる廊下の先には受付の部屋がある。
そこで俺は小さく呟く。
「本当に殺すつもりならスイッチを入れているさ」
あの時の世界には色が確かにあった。赤黒い世界は、そこに存在していなかった。
だから、相手を殺さずに済んだ。
俺の呟きは誰の耳に入ることもなく霧散して空気の中に溶けて混ざった。