第十二話 「ハーフタイム」
今回のプロットは、カキスとゆりのいちゃつき回です。
『天下分け目の主従対決』は両陣営の的が壊れたため、引き分けとなった。判定としては負け扱いのため、得られた得点は少なく、我がクラスは最下位となってしまった。
その結果、
「ひ、ひぐっ! わ、私のせい、で……最下位に、ふぇぇぇ……!」
その事態を引き起こした張本人のゆりが大泣きして泣き止まなくなってしまったのだ。
「これは思ったよりも重症だね……」
コルトは涙や鼻水といった体液で顔中がぐじゅぐじゅになっているゆりを見て呟く。俺もその呟きには同意見である。
一度クラスの女子に、「さすがに見るに堪えないから拭いてあげてくるね」とトイレに連行、洗浄をしてもらったにも関わらず、ここまでの帰り道ですでに元の状態に戻ってしまっていた。
「ふぇ~……!」
「ああもうほら、いい加減泣き止めって。脱水症状起こしそうなレベルで色々出てるぞ」
ワンピースの裾を握りながら、次々と涙を滲ませながら控室に入ってきたゆりに苦笑する。
ゆりは昔から本気で泣く時は泣き叫ばず、静かに絞り出すような泣き方をする。幼児が泣き出す一秒前を延々と繰り返す感じだ。そのせいか、泣き疲れるまでが長く、結果としてなかなか泣き止まない。
そんな幼女に近い少女は俺の前まで来ると、一瞬だけ泣き止んだが、すぐにまた上を向いて泣いた。
「ふぇ~ん……!」
「どんだけ泣くんだよお前は……」
放っておくとこのまま五時間近く止まらない可能性があるので、慰めることにする。
「別に皆は気にしてなかっただろ? それどころか尊敬されてたじゃないか」
「でも、ひっく、でもでもぉ~……グスッ……!」
俺は頭に手を乗せポンポンとあやしながら言うが、ゆりは弱々しく首を横に振るだけで泣き止んではくれない。
そう、ゆりが責任を感じていることは、誰一人としてゆりを責めなかった。以外にも、敵視していると思っていたシェリルですら。
クラスの皆はゆりの実力を褒め称え、胴上げすらしようとするほどだった。まぁ、ワンピースがスカートだったのでやらせなかったが。いくらクラスの順位の変動が二位か最下位かの二択しかなかったとはいえ、クラスメイト達の反応はとても暖かった。
それぞれが労いの言葉をかえ、男子達はあからさまにやる気を見せ始め、女子たちは予想外の反応に呆けているゆりを囲んで笑顔を見せていた。
物静かな性格の男子も。強気であたりの強い女子も。アルターもシェリルも、皆がゆりとディングを優しく受け入れた。
「素直で、良い奴ばかりだったよな」
「うん……ヒクッ……!」
とても心温まる仲間達だ。大半が弱小貴族で落ちこぼれが集まったクラス、なんて言われるようなやつらでは決してない。
現在トップのクラスは、トラクテル兄弟と争っていたシュゼイルのクラス。連中は権力の強い家柄ばかりで、自分達の家より劣っている存在を無条件に見下している。そのため、俺たちのクラスが集まっている所を通り過ぎるとき、弱小貴族の落ちこぼれ連中が騒がしいですな、と言い残していったのだ。
この学園において重要なのは魔法術であって権力ではない。確かに弱小貴族の寄せ集めのクラスかもしれない。しかし、ゆりやトラクテル兄弟、先に競技に出ていたクラスメイト達の力があったからこそ、今まで二位争いに残り続けたのだ。
実家で暖かいスープを飲んでいたような気持に泥を付けた貴族の言葉に、殴りかかろうとする者、それを止める者、敵意を露わにする者と、様々な反応を示したが、思いは一つだった。
俺たちを馬鹿にするのか? と。
三十人近くの敵意を向けられた貴族の一団は六人しかいなかったのに、その人数差でも勝てるという余裕なのか、気づいているうえでプライドがそうさせるのか、はたまたそれに気づけないほど鈍いだけだったのか、どれにしろ怯むことはなかった。
それどころか、二の句を告げようとしたので、言わせる前に俺が殺気を出すと額に汗を滲ませながらそそくさと逃げて行った。
(シュゼイルはともかく、他の連中は全員腐ってやがったな……)
さすがに、この程度の日常的な嫌味に動くつもりはない。この程度のことで動くのはいくらなんでも過保護すぎるというものだろう。
(それに……)
俺は目の前の小さな存在に目をやる。
(今やると確実にゆりにバレちまうしな)
この心優し少女の察しの良さは侮れない。場合によっては行動を起こそうと考えただけで察してしまうことさえある。
「どうするんだい、カキス?」
いつの間にかゆりの分の飲み物(俺とコルトはすでに用意していた)を持って問いかけてくる。
何を? とは聞く必要もない。奴らを潰すのかと訊いているのだ。
「どうもしないさ。……まぁ、あちらが俺の土俵に土足で入り込んでくるなら、痛い目にあってもらうさ……」
潰しはしない。だが、踏み込んでくるなら容赦はしない。
そう語る俺は、ゆりには見えない角度で黒い笑みを浮かべた。
「そっか」
俺の返答に満足したのか、コルトも少し悪い顔を見せると控室から出ていく。
……あれはおそらく、その時になったら自分も呼べということだろう。どうせ何も言わずともついてくる気だろうから、無視しても問題ないだろう。
とにかく今はゆりをなぐさめることだ。
「とりあえず座って落ち着こうぜ、な?」
コルトから受け取ったゆりの分の飲み物を持ちながらベンチに腰掛ける。が、ゆりはスンスンと鼻を鳴らしながら見てくるばかりで動こうとしない。
「スンスン、……グス、……ざ」
「ん?」
「膝の、上……座るぅ……!」
「はいはい。好きなようにしていいから、ぐずるなって」
言いながらまた泣き出しそうになるゆりの泣き虫っぷりに、苦笑しながら膝を明け渡す。
ゆりはコクンと頷くと、横向きに座る。腕を俺の背中に回して、顔だけを胸に押し付けてくる。
涙やら鼻水やらであまり人様に見せられない顔を押し付けられても正直うれしくない。着替えは肌着類しか持ってきておらず、上着の替えはないが、
「ふぇ~……! 皆、皆が優しくてぎゃぐにづらいよぉ~……!」
「後半言えてないぞ~……」
まぁ、良いか。
どうせ今日は気温も暖かいからなくても問題なさそうだ。
俺もゆりと同じように片腕を背中に回して体を支え、もう片方は椅子に手を付き、上体を少し後ろに倒してゆりが抱き着きやすいようにしてやる。すぐにその意図を察したゆりは全体重を任せてくる。
ゆりの体は片手で支える必要がないくらい軽く感じられ、その儚さを再確認させらる。
しばらくゆりを好きなように泣かせながら違うクラスが出場している画を見ていると、じんわりとゆりの体温が伝わり始めてきた。
(何年経っても、この感覚は安心するな……)
ポカポカとうららかな日差しのような体温は、体の内側から暖まるようで、全身にそのぬくもりが広がっていく感覚ですら気持ち良い。
その心身共にほっこりさせてくれる存在は、う~う~言いながら顔を擦り付けてくる。お返しに髪に鼻先を埋めて微かに揺らすと、鬱陶しそうに頭を振ってきた。
「んん~……!!」
「はは……」
いつもならこれぐらいで動じることもないのに、今回ばかりは抗議してきたことに思わず笑ってしまう。
「それ……!」
「むぅ~……!?」
背中に回した腕はそのままに、体を支えていた手で頭を抱き寄せて覆いかぶさるように顔を近づける。耳の少し後ろに鼻を押し当てると、甘い女の匂いがした。
鼻孔を通り、脳に到達すると、全神経を薄い甘い匂いが駆け巡り、溶けてしまいそうだった。
何度だって感じたい。
理性すら溶かしそうなそれは同時に麻薬のような中毒性を持っていた。気を抜くと、行動に身を委ねてしまいそうだった。
何とか理性を保ち抱き寄せる力を弱めた。
「ぷはっ」
それによって胸元から顔だけ脱走されてしまった。
「う~……かぷ!」
「いて」
今度はゆりが反撃に出る。
「かぷかぷかぷ……か~」
「いててて、ってちょっと待て」
相打ちを打つように、甘噛みに応えていると、数拍置いて急に首元に当たる犬歯が鋭くなり、待ったをかける。
「何どさくさに紛れて吸血しようとしてやがる黒百合」
「ゆりちゃんばっかり不公平だと思わない?」
「……それは何に対してだ。いや、やっぱ言わなくていい」
「あら、つれないわね」
例の器を使わず表に出てきた黒百合は、言葉ほど残念そうには見えない。それどころか、楽しげに眼を細めているくらいだった。
背中に回されていた腕はいつの間にか首の後ろに移動し抱き着かれているというより誘われているかのようだ。
「…………」
「…………」
その体勢でしばらく無言で見つめあう。俺は下に、黒百合は上に。お互いの視線を絡め合っていると、言葉にして会話することが無粋に思えてきた。
それは黒百合もなのか、ひたすらに瞳と瞳を映しあうことに二人して没頭する。全ての音が消え、時間が止まる。
感じられるのは、このぬくもりだけ。
たまらず、俺は黒百合を抱き寄せた。
トン……。
ゆりの時は髪に鼻を埋めたが、今は額と額をひっつけて、さらに近くに黒百合の存在を感じようとする。
「……ン……」
突然の行動に目をぱちくりさせた黒百合だが、それも一瞬のことですぐに唇を突き出してきた。その頬はうっすらと赤く染まり、背中を支える俺の手のひらには、ゆりの体から早鐘のような音が伝わってくる。
(いつもはクールぶってる割に、こういう時だけウブというか、乙女というか……)
普段は妖艶に振る舞っている黒百合だが、いざこういう場面になると、ウブな一面を見せる。その証拠に、可愛らしく突き出された唇はプルプルと緊張に震えているし、閉じられた瞼はこれでもか! というほど力がこもっている。
そのギャップが、子供が無理して背伸びをしている様な微笑ましさを感じながら口ではなく額に口づける。
「……何よ、期待させるだけさせといて、むぅ!」
「そういうのはもっと余裕を持ってから言えっての」
別に俺も恥ずかしくなってマウストゥマウスを避けたわけではない。もっと複雑な理由がある。
まぁそんなことを知るはずもない黒百合は、不服そうに頬を膨らませた。
そういう所も子どもっぽく見えてしまい、ゆりにするように、苦笑しながら頭を撫でる。
「いつか絶対、私が年上だってことを分からせてあげるわ」
「はいはい。楽しみにしてるよ」
目を気持ちよさそうに細めながら言われると、そんな日は一生来ない気もするが黒百合に余裕がなくなって慌てふためく俺を見てみたくもない、と少しだけ思った。……というか、一歳しか違わないとか一回りしか違わないとかいうレベルの年の差ではないはずなのだが……、何も言わないでおこう。
俺は横向きに座る黒百合を前に向かせ、後から抱きしめる。
「……こういう穏やかな時間の使い方も良いな」
「あなたにとって私たちは手のかかる妹でしかないものね」
体前面に感じる暖かさに思わず耳元で囁くと、黒百合はこそばゆそうに身をよじらせながら何故か拗ねたように声を返してきた。話の流れも少しおかしい気がする。
「確かに妹みたいに感じる時もあるが、それよりも可愛い幼馴染に感じることが多い」
見た目もそうだが、性格だって好意的に感じている。
「……どっちだって同じよ、私たちにとっては」
だが、そんな俺の思いは伝わらなかったようだ。
黒百合は俺の両手をとってヘソ付近に巻きつけると、そのままぎゅうっ、と短い指で強く握る。それはきっと、なんでわからないの? という意思表示で。一々それを口に出す恥ずかしさに負けた行動で。
そのいじらしさこそが可愛かった。
「こういう所が可愛いんだよ」
「……み、耳元でそんなことを囁くからジゴロって言われるのよ」
「…………」
「あ、今渋い顔してるでしょ」
心眼でもあるのかこいつは。というか、似た様なことをついこの間ゆりに言われた気がする。
「キスにすら緊張しすぎてまともでいられないサキュバスにそんなことを言われる筋合いはない」
「緊張してないわよ……」
きっと二人とも他から見たら説得力がないに違いない。
「……ねぇ」
「ん?」
「……頭、撫でても良いのよ?」
「仰せのままに。と言いたいところだが……」
何よ? と顔だけ振り向かせた黒百合が見てくる。俺は少し視線を下げ、
「その手を放してもらわないと無理だな」
いまだ強く握られている腕を見る。
「~っ!?」
瞬間沸騰を果たした黒百合は弾かれた様に手を放して、その手で顔を隠してしまう。
「ほんと、生まれてくる種族間違ってるんじゃないか?」
解放された手で長く艶やかな黒髪を梳きながら笑う。
「…………うっさい、バカ」
羞恥で消え入りそうな声が、その日もっとも可愛く感じたことをここに記す。
「日記とかに記したら干からびるまで吸血するわよっ!?」
「だからなんで俺の心が読めるんだよ……」
口に出したはずのない心の声に、火が出るんじゃないだろうかと心配になるぐらい顔を赤くしてなかなかに恐ろしいことを言ってきた。
「あれか、俺は実を思っていることを口に出してるのか?」
「そんなことはないわ、あなたの考えてることなんか大体わかるわよ。あなただってそうでしょ?」
「んな一般常識みたいに言われても……。しかも俺にそんな技能は備わってない」
どうやら俺が原因ではなく、黒百合の察しがよすぎるらしい。
「ゆりも似たようなこと言うなよ」
「まぁね。でも私よりゆりちゃんの方が細かいことに気付くわよ」
「そこまですごいのか」
ゆりが俺の思考を読めるのはそれだけゆりにとって俺が特別な存在だからだろう。あの家で知り合い、一緒に育ってきた。ゆりはあまり認めたがらないが、兄弟に似た関係性故に”なんとなく”お互いに考えていることがわかる。
そして、失念していたが、黒百合だって表に出てこらず半分寝ているのと同じ状況だったとはいえ、同じ時を過ごしてきたのだ。
黒百合だって俺の考えが読めてもおかしくない。
「まったく、二人には隠し事ができないな」
赤くなったふにふにの頬を突いて払われてを繰り返しながら言った時、指を掴まれ目を細められた。
「嘘吐き」
短く言うと、黒百合は俺の膝から降り立ち、ゆりを表に出して自分は器に移る。
今、俺の目の前には同じ顔をした幼馴染が立って俺を見ている。まったく同じ造形とまで言わないが、双子と見間違えるほどに酷似している。それは顔だけではなく、髪の長さも背の高さも腰の細さも。
そして何よりも、俺を見つめる眼が似ていた。瞳の色が違えど、そこに宿す思いは同じだった。
「カキス君は私たちに言ってない隠してることがいっぱいあるよね?」
「言う必要のないものもあるかもしれないけど、意図的に話さないことも、ね」
紺碧色の瞳の少女が言い、紅玉色の瞳の少女が語る。
俺は二人から目を離さず、正面から受け止める。
「そりゃあ一つや二つぐらいはな」
「「嘘吐き」」
声を揃えて非難する。大きくないはずのその声は、耳に残り何度も頭の中に反芻される。ジクジクと疼くような痛みが胸を襲う。
そのせいか、無意識に心臓を抑えるみたいに手を胸の前で握っていた。
「一つや二つなんて数じゃない……もっといっぱいあるはずだよ」
「思えば、この六年何をしていたのかまったく話そうとしないじゃない。……どうしてかしら?」
二人の言うとおりだった。俺はゆりに対して隠し事が多すぎる。誰よりも俺を知っていて理解して受け入れる覚悟がある相手に対して。
不義理が過ぎている現状に、ゆり達は怒っている。これまで俺がすべてを話せる相手として接してきたのに、そうしない俺に我儘に近い癇癪をおこしているのだ。
特に、黒百合の怒りは強かった。
「私達、ううん、ゆりちゃんを捨てて逃げ出して、そこまでして得た空白の間にあったことを全部話せとまで言わないわ。目的と重要な出来事を洗いざらい話しなさい」
黒百合は俺が話さないこともだが、それによって不安な気持ちを抱いているゆりのためにも怒っていた。最初を言い直したのはその時まだ自分が目覚めていなかったからだけではないように感じられた。
「……本当に知りたいのはそれだけか?」
真剣な表情で仰ぎ見ると、黒百合はゆりに視線を向けた。
「私は……いいよ。カキス君が言いたくないならそれで」
「ゆりちゃん? あなたはそれでいいの?」
「私が聞きたいのはカキス君の能力のことだけど、時が来れば教えてくれるって言ってたから」
「そんなの分からないじゃない! 自分の都合が悪くなることだからって誤魔化してるだけかもしれないじゃない!?」
妙に黒百合は聞き出そうとしたがる。前述のゆりのため以外にも何か理由がある気がする。
ゆりはそんな黒百合の様子に少し不思議そうな顔をしたが、すぐに薄く微笑む。
「それでも私は待つよ。黒百合ちゃんだってそうでしょ?」
「それは……」
黒百合は口論になるが、最終的には嘆息を一つ残してかぶりを振る。
「ゆりちゃんは甘すぎるわよ……」
「じゃあ黒百合ちゃんは優しすぎる、だね」
やはり黒百合でもゆりには勝てないらしく、恨みがましく言い残しながらゆりの中へと戻っていった。
その一連の流れを傍から見ていた俺は、二人には本当に悪いことをしていたなと、再確認した。そして、まだ終わらないことを心の中で一人、謝罪するのだった。
○ ○ ○
「それで、この六年間何をしていたかを話せばいいんだよな?」
「うん。その、話せる範囲でいいからね?」
「だそうだが?」
向かい合って座った俺達の手には独自な匂いのする黒々しい液体が入っているコップを持っていた。
ゆりの弱気な進言に、俺は黒ゆりに意見を求めたが、表に出てくる気配はない。結局は納得したようだ。まぁ諦めた可能性もあるが。
「そうだな……。最初は少し辺境の地を目指して旅をしていたな」
「皆に連れ戻されないために?」
「そうだな。まぁ、実際に俺の足跡を追ってきたのは水谷家だけだったがな」
覇閃家当主の親父の許可をもとに屋敷を出たこともあり、覇閃の人間が追ってくることはなく、水谷家意外と特に交流をもっていなかったのでその辺の心配はなかった。唯一全力をあげて追ってくるであろうと予測していた水谷家、というかおじさんおはさんは偽情報を流して逃げ切った。
「それから少しして、当初の目的の一つを達成するために動き出した」
「当初の目的って?」
ゆりは一口コップに口をつけてから訪いかけきた。俺のと違い、適度にミルクと砂糖が混ざっているそれは本来の苦みが姿をひそめている。
「初代覇閃家当主の残した文献だ」
「初代さん? ……あれ、初代さんって相当前の人なんじゃ……」
「あぁ。実際時間が経ちすぎて七割近く失われてたよ。まったくの無駄骨とまで言わないが、それでも全部が全部有用でもなかったな」
世界最強と言われた初代が残した文献の内容は全部で三つに分けることができた。
剣術と魔法術、そして……、
「覇世家の秘密。俺が最も望み、最も手に入らなかった内容だ」
どの文献も損失が激しかったが、中でも覇世家に関する物だけは特にひどかった。知ることができたのは、両家の血に流れる力のことだけだった。それも、屋敷にいた時点で判明していた物を細かい所まで書かれている過ぎなかった。
「……どうして、それを知ろうと?」
覇世家の名前が出た瞬間からゆりの表情が険しくなった。六年前の傷が疼くのか、片手で背中をかきそうになり、止めている。
「全てを終わらせるためだ」
俺は自分の手のひらを、この身に流れる脈動を、意識しながらそう答えた。
全てとは何を指しているのか。一つの物事だけではない。多くの物事を巻き込み、集まったモノを、この世界から消すため。
「全てを終わらせるためにはその文献に記されている事を知る必要があった」
「で、でもっ、思ったようには行かなかったんだよね?」
ゆりのその言葉には、そうであってくれと望んでいるに違いなかった。懇願する様な瞳で確認され、俺はうなずいた。
「あぁ」
「そっか……」
だが、
「だが、終わらせるつもりなのは以前変わりない」
「そんな……っ!?」
ガタッ!
続いた言葉にゆりは衝撃を受けた。
ゆりが何を想像しているのかは分からないが、俺が相当危ない橋を渡ろうとしている事だけは正確に思い浮かべていた。そうでなければこんな反応はしない。
「ゆりだって知ってるんだろう? 俺がゆりと出会う前のことを。あれだって元を辿れば覇閃家と覇世家の争いのせいだ」
ゆりと出会う前。それは俺の人生において、最も色濃い五年間だった。赤黒く染まったその記憶には、いつもいつも鉄臭い肉片と人の狂気が付随してくる。今でも思い出すだけで全身の血が止まったような冷たさが襲ってくる。
たった一人の老人の狂気が俺の人生は最悪のスタートを切った。
ゆりはその老人がしたことを知っているはずだ。俺の口から語っていないが、ゆりのアイツに対する反応から察することができた。それまで普通に脅えていただけ、という印象だったが、ある時期から敵意を見せるようになったのだ。
どの経路で知ったかわからないが、かなり細かいことまで知っていることが伺える。
「……話を戻すぞ」
「……うん」
ゆりは力なく頷き肩を落として見せた。
「ともかくとして、文献入手を目的としてある街に一年ほど滞在した。その後は……まぁ、一年色々あったな」
「その色々を話しなさいと言ってるでしょうが」
次の一年についてうやむやにしようとした俺に、鋭く突っ込む黒百合。だが、こればっかりは渋い顔をすることしかできない。
「聞いて良い気持ちになんかならない」
正直に言って、二年目のことは話したくない。できるなら墓まで持って行きたいほどだ。何故なら。
「聞いたらゆりが大泣きする自信がある」
胸を張って言ってやった。
「あんた本当何してたのよ……」
「色々だよ。本当に色々」
言いながら暖かくなり始めてきた黒い水を口に含むと、すぐに口いっぱいに香りが広がった。強い苦みが、今だけは妙に気になる。
喉の奥へ押しやり、話を三年目に移す。
「で、三年目はここリベルでコルトに出会ったり、能力に覚醒したり、学園でどこかに隠されている文献を探したりと、やることよりもやる羽目になったことの方が多かったな」
「激動の一年だったんだね」
「……その一言で終わるような面倒臭さじゃなかったけどな」
三年目のことはコルトの件もあり、ある程度知られているので、ゆりの反応は薄い。黒百合もあまり興味がないのか、さっきみたいに出てきて口を挟んだりしてこない。
「で、まぁ一部目的が達成できないこともあったり、変更したりしながら、ほぼ全ての目的が終わったんだが……」
「何か問題があったの?」
「問題というか……欲が出てきたんだ」
元々六年程度経つまで屋敷に戻らないと言ってあったのでどこかで時が来るまで強くなるつもりだった。しかしその三年間で喜怒哀楽が形成されたせいで、世界を見てみたくなったのだ。
今思えば、子供が新しく買ってもらったおもちゃを自慢するのと似ていたのかもしれない。ガラにもなくはしゃいでいたのは確実だ。
「世界を回ってみたくなって、そこで出会う現地人独自の知識を教えてもらったりしてたら、一年なんてすぐに過ぎていったよ」
「そっか……、カキス君にもそういう気持ちが持てるようになったんだね」
ゆりは俺の言葉を聞き、とても優しい顔をする。
人格形成のきっかけを与えたゆりにとって、俺が感情を戻していくのは我が子の成長と等しいのかもしれない。
(……つくづく俺とゆりの関係性は定まらねえな)
幼馴染の時もあれば妹のような時もあり、母になるときもある。俺たちはあまりそのつもりはないが、今は主従関係でもある。
(まぁ定まらないからといって、何か問題があるわけでもないか)
気を取り直しなおして続きを、という所でもう特に話すことがないことに気付く。
「後の二年は知っての通り深緑の森の小屋で隠遁生活をしていたよ」
言って気づく。
結局あんまり何してたのか話してない、と。
「具体的って言葉はご存じ?」
「……いや、わざとじゃないんだ。一年は説明したし、二年目は話したくないし、三年はそもそもお前らが興味なさそうにしてたから飛ばしただけだし……」
呆れたように呟く黒百合に弁明をするが、自分で言ってて弁明になってない気がする。
「もう良いわよ、はぁ……」
黒百合は俺の苦しい言い訳を途中で切ると、何故か器に移り向き合うようにして膝上に座ってきた。
「代わりに干からびるまで吸血することにしたから。カプッ」
「っ。……干からびるまでは勘弁してくれ」
大人しく首を差し出し、背中に手をまわして支えてやる。すると黒百合も手を回して自分から強く抱きしめてくる。
「おいこら、さりげなく足まで絡めてくるんじゃねぇ」
「んっふっふっふ。ンク、ンク、……ジュズッ!」
あまり詳しく説明してやれなかったので吸血は受け入れたが、さすがに足を絡めてくるのは許容外だが、抵抗すると更に強く抱きついてくる。
とても素晴らしい柔らかさの物体が二つ、俺の胸板でふにゅ、と押し潰されるのを俺は見た。
普通、若い女性の乳房はあまり柔らかくない。乳腺が固まっているせいであり、年を取るに連れ発達し、ふかふかのおっぱいとなる。我ら男たちが夢想する人肌の枕は、相応の時間をかけて完成される。
しかし、世の中には逃れられない運命があり、その世の中に生まれた俺たちも理不尽にも背負うことを強いられていた。具体的かつ簡潔に言うと個人差というものがあってしまっている。
それはかくも非常な神の作った世界の理であり、そこからは逃げられない。
黒百合は個人差をみにつけたことにより、断崖絶壁、大海原をこえ、大霊峰にたどり着くまで至った。ドストレートかつシンプルに言うと、デカくてふかふかで温かくってもう最高!! としか言いたい。
ゆりも大和平均では年齢や体格的にはある方だが、ボリュームでは黒百合に完敗している。
そんな幻の二物を正面から押し付けられ、その上に、絶妙なポジション取りによって、上から谷間を見せつけられている。
「フフッ……。ぁむ、ちゅじゅじゅる! はぁ……、ちゅっ、ペロペロ、はぁむ、んん~……んむっ」
わざと水音をさせながら滲み出る血液を舐めとる所作は、当然とも言える相乗効果を生み出している。
胸を押し付けるぐらいなら平気らしく、興奮による上気した頬に所々赤い血が付着していることにも気付かず、自ら強弱を調整して形を変えている。
「……干からびさせるつもりなのか、漲らせるつもりなのかどっちだ」
とても干からびさせる気のなさそうな黒百合に思わず突っ込む。
「漲らせてぇ……ゆりちゃんと二人で協力して干からびさせる♪」
「うわぁ、さりげなくゆりを巻き込みやがったよこいつ」
黒百合の考えはなかなかにえげつないものだった。決して、ナニを吸い尽くす気なのか訊いてはいけない。絶対に違う液体の名前が出てくるはずだ。
「えぇ!? わ、私も!?」
突然話を振られたゆりは何故か既に顔を赤くさせていた。
不審に思ったが、黒百合の言葉を聞いてその状況を予想したせいかもしれないと考え……たが、妙に落ち着きがない。
「……ゆり?」
よく見ると、もじもじと太ももの間に両手を差し込んで身をよじらせ、吐息も妙に熱い。肌は火照り、唇は熱い吐息のせいで艶やかにきらめき、瞳は少し前のとは違う意味で潤んでいる。
「……おい、万年発情ロリ」
「……ふぇ? はっ!? ち、違うの!? これは違うの!? 黒百合ちゃんの吸い方がすごいエッチな感じだったの!?」
「そんなこったろうと思ったがせめて名詞を出せ名詞を。吸い方だけだと何を吸ってるかわからんだろうが」
「ナニだけに?」
「上手かねえし、血だし」
黒百合の茶々に突っ込みながらゆりを見ると、いまだに興奮が収まっていない感じである。
「そ、それにね。この場所からだと、その……は、入ってる……みたいだから」
「ナ……」
「お前は黙ろうか」
ゆりの言ったことにも触れたくないが、だからと言って放置すると黒百合がとんでもないことを言いかねない。たとえ二人しかおらず、他人の目がないからといって、言わせるつもりはない。
「そんなわけないだろ。どう考えたって泣きついてくる妹だろうが。体格的に」
俺は冷静に返すことによってゆりを正気に戻そうとする。しかし、この程度で万年発情ロリと淫乱ロリの二人を正常な道に戻すことなど容易ではない。
「でもねでもね? 黒百合ちゃんの恰好は私と同じ、裾がスカートになってるワンピースでしょ? だから奥が見えない感じが余計に想像を掻き立てられるというか……」
「カキスから見たら私の胸の谷間しか見えてないけどね。それで自分でやってて楽しかったけど、胸の形を変えてたから後ろから見たら動いてるように見えたでしょ?」
「……う、うん。入ってるよね完全に」
「入ってねえよ。お前ら恥じらい持てよ」
衝撃な事実として、俺を誘うつもりでやっていただけではなく黒百合自身も楽しんでいたらしい。知りたくもなかったが。
俺は嘆息すると、これ以上誤解を招かないために黒百合を膝から降ろすために腋に手を差し込む。
だが、黒百合は更に強く抱きついてくる。
「……おいこら」
「あいたっ」
一瞬、押し付けられた感覚に言葉を詰まらせたが、これ以上吸血する必要もないくせに居座り続けようとする黒百合の頭にチョップをかます。
「いい加減離れろロリキュバス」
「え~?」
頑なに降りようとしない黒百合に、もう一度腋を持って力づくでどかす。その時、ロリコンビが何故か俺の下半身に視線を向けてきた。
「どうした?」
意図がわからず、黒百合を持ち上げたまま二人に訊く。
「「……すっごいなだらか」」
「胸のない女子がなだらかと言われることに殺意を覚えることに初めて理解を示したよ、お前らのお蔭でなぁ……!」
ピクピクと口元を引きつらせながら黒百合を下す。
俺の下半身に視線を向けていた理由が、男性のシンボル的なモノの変化を確認するためだったことに頭痛を感じる。最近めっきり変態思考と化したゆりもだが、その悪影響を確実に与えている黒百合にも悪い意味で脱帽である。
まさか男として生まれて、なだらかと言われて殺意を覚えるとは誰が思えよう?
「ストレートに聞かせてもらうけど、あんたってもしかして不能?」
「ストレート過ぎだ」
「そ、そうだよ黒百合ちゃん!?」
真剣な表情で嫌なことを聞いてくる黒百合に俺は冷めた眼差しを送り、ゆりは動揺し顔を紅潮させた。正直ゆりも大概人のことを言えないのだが、今は黒百合だ。
「言いか、絶対に他の男子にそんなことを聞くんじゃないぞ。思春期っていうのは無条件で心が脆くなる時期なんだ。絶対に身体的特徴に触れるなよ?」
「いや、普段私達のことをロリ扱いしてるあなたに言われても説得力が皆無だけど……」
俺は真剣な表情で黒百合に釘を刺す。俺だから良いものの、もし普通の男子がそんなことを女子から真顔で言われた日にはハートがブレイクする。重要なことなのだが、黒百合は呆れた視線を向けてくるだけで、真剣に取り合わない。
いつかこいつはとんでもないことをやらかすのではないかという、俺なりの心配だったのだが、そこら辺が上手く伝わっていないようだ。言葉というのはとても難しい。
「黒百合ちゃん黒百合ちゃん。カキス君があの顔をしてる時は大体適当なことを考えてるから」
「なるほど……」
「……なるほどじゃねえよ」
さも当然の様に人の表情を他人に教えるゆりに俺は渋い顔をする。
たぶん俺はポーカーフェイスをしてもゆりにだけは通じないだろう。まるで心理学者のような洞察力を持ってその内側にある考えを読み取ってしまう。
そういう意味では、かなり厄介な幼馴染だった。
「はぁ……」
俺は嘆息すると、顔を逸らしながら黒百合の質問に答える。恥ずかしさはないはずだが、妙な気まずさがそうさせる。視線を合わせづらい。
「……正常だよ。普通にエロいことを考えたり見たりしたら反応する」
「「…………えぇ?」」
「何か文句でもあんのか……!」
二人は俺の言葉を聞くと、顔を見合わせて疑わしい視線を向けてきた。馬鹿にされている気分でちょっとムカついた。
今夜は二人纏めて『お仕置き』をしてやることを心の中で決定事項にし、俺は青筋を浮かべながら二人に笑いかける。
その気迫に少し怯えながらゆりが口を開く。
「だ、だって……。普通、同年代の女の子にあんな……えっち、なことをされたら、健全な男子としてしかるべき反応があってもおかしくないと思うよ?」
「それだけじゃなくて、『お仕置き』だって正直言えば年齢制限的にアウトまっしぐらになってもおかしくないのに、最中も後も反応を示さないじゃない」
「だからそれは、俺はある程度自分の意志で制御できるって説明しただろ?」
確かにさっきも性少年としてかなりくるものがあったが、そもそもそんな気分でもつもりでもなかったので、簡単に抑えがきいた。しかも、膝の上というより太ももの根元近くに黒百合が腰を置いていたせいで、意地でも反応するわけにはいかなかったのだ。
その辺のことは理解していると思ったのだが、どうやらそうでもなかったらしい。
「だからね、普通そんなに制御できるものじゃないと思うよ? ……簡単に制御できるんだったら私だって苦労してないよぅ……」
ゆりは、苦笑しながら諭すように言ってくる。後半はボソボソと喋り過ぎて何も聞こえなかった。普段から性少年のように欲情していることを悩んでいることなんか聞いていない。もし聞こえていたとしても言わないのが優しさというものだろう。
というかその件について触れたくない。
「ゆりちゃんの言うとおり、普通はゆりちゃんみたいについつい欲情しちゃって治めるのに苦労するものなのよ。世間一般の男子生徒は」
「聞かれちゃってるぅ!?」
そして黒百合にはその優しさはなかった。さすが魔族、汚い奴だ。
「……人が後で弄ってやろうと思っていたのに、クソッ! 先を越された!」
「カキス君!?」
俺は先を越された悔しさを、親指の爪を噛んで耐える。黒百合を見れば、勝ち誇ったような顔を向けてきた。
ゆりはまさか聞かれているとは思わなかったのか、かなりの衝撃を受けていた。
弁明しようと、わざわざこっちの椅子に移ってきたゆりはがくがくと俺の体を揺らしながら、必死に語るが、ほぼ全て自爆どころか、一部聞いてはいけない情j、もとい事情を聴いてしまった気がするが、途中から特注の耳栓を付けて聴覚をシャットダウンした。
「……! ……!? ……、……!!」
ゆりはあまりにも必死過ぎて、俺が一切聞こえていないことに気付かず何事か叫んでいる。その間、前のめり過ぎにより俺の右腕が至福の柔らかさに包まれている。
ゆりのは黒百合と比べ、明らかに大きさという面では劣っている。本人いわく、着痩せするタイプ、らしいがたぶん脱いでも勝てないだろう。だが、黒百合とは違う魅力を持っている。
それは形状の美しさだ。ゆりのソレは垂れるわけでもなく、単に垂れるほど膨らみがないということもない。絶妙なバランスで上を向く二つの半球は、確かにその柔らかさと温かさを主張してくる。
また、黒百合のはどちらかと言えば、ギャップによる魅力の増大が加算されている。幼い体にアンバランスな二つの丘。そのギャップに惹かれる人、いや紳士もいるだろう。対してゆりは、全体バランスを計算したうえで成長したかのように、一個の女性として完成しているように思えるのだ。
儚げなゆりに、女性的な丸みを与え、またゆり最大の魅力である脚線美を邪魔しない程度に大きいマシュマロは、単体としての美しさだけではなく全体美としての美しさもあった。もしこれで黒百合並みに大きければそちらばかりに目が行って、ゆりの魅力の本質を見失っていた可能性がある。
そう考えると、女体というのはいかに神秘的であるかを思い知らされる。
「……!? カキス君いつから耳栓してたの!?」
「お前が時折トイレで……ってとこから」
「……ぁ、ぅ……安心すればいいのか怒れば良いのか、どっちかわかんないよぅ……!?」
自分で自爆したくせに、反暴走状態だったゆりは今更自分の喋った内容に顔を覆う。そのくせ、体は寄せてくるのだから、本当に恥らっているのかどうかも怪しい。
「……なんだかんだ言って、視線はゆりちゃんのオパーイに向けるのね」
「――っ!?」
今度は黒百合が俺の左側に座ると、ゆりに対抗するようにその雄大な存在を押し付けてくる。一瞬で左腕の半分以上が温かい水枕のような感触に包まれた。
そして、ニヤニヤと口元に笑みをたたえながら、俺の視線がどこに向いていたかを暴露しやがった。
ゆりは羞恥により自分の胸元を隠そうとする、のだが、それに俺の腕を使うあたりかなり動揺が出ているようだ。先ほど以上に強く押し付けられている。
「……悪いかよ。俺だって性少年の一人だ」
「う、ううん。悪くない……。悪くないどころか、う、嬉しい……よぅ」
俺は天井を仰ぎながら気まずげに呟くと、ゆりは腕ではなく体に抱き着いてくる。その声は、微かに震えていた。
前に、俺がゆりのことを女の子として見ていなかったせいで泣かせてしまったが、見たら見たらで泣かせてしまうらしい。まぁ、その意味が違うだろうから、文句はない。
チラリと下に視線を向ければトマトのような赤さになっているゆりが、にへらぁ、とだらしない微笑みで見上げていた。
その愛らしさは、今まで見たこともないほど満ち足りた顔をしていた。六年見なかった間に、更に表情が豊かになったゆりのその笑顔はこれ以上ないほど凶悪としか言えない。
思わずゆりの顎を持ち上げ、見つめあい……、
「ニヤニヤ……」
「「はっ!?」」
あ、危なかった!?
息がかかるほど近くに顔を寄せ合っていたが、黒百合の存在を直前で思い出した俺達は弾かれたように距離をとる。
危うく今まで踏み込まないようにしてきた一線を、その場の流れで踏み越えようとしていた。黒百合に感謝する一方、邪魔された気がして、ムカムカする思いが、奥底でくすぶる。
その逆らいづらい思いに従い、ジロリと黒百合を睨むべく振り向くと、
「…………」
「何よ?」
何故か、黒百合は泣きそうな表情で俺を見ていた。
整った眉は眉間に寄り、瞳は悲嘆の涙に濡れている。赤い瞳が潤むことによって反射する光は、罪人を縛り付ける楔のように俺の心に突き刺さった。
その痛みは先程邪魔された時に生まれたムカムカ以上の刺激を発っし、俺は何もできず、石像のように固まってしまっていた。
「黒百合ちゃん……」
ゆりもそんな黒百合の様子を見て苦しそうに呟く。何故黒百合がここまで悲しそうにしている理由がわかるのか、同情の眼差しを向けている。
俺もわからないなりに考えてみるが、やはり正解に辿り着けない。だからと言って、このまま黒百合自身すら気づいていない涙を放置するわけにはいかない。
もう、こういう時は何も考えずに行動するしかない。
そう思い、黒百合を抱きしめた。
「え、え? きゅ、急に何……?」
後頭部と背中に手を回し、強く強く抱きしめる。
「い、痛いわ……カキス」
「…………」
「な、何か言いなさいよ?」
「……なんとなく、抱きしめた方が良いかなって思っただけだ。気にするな」
「……わけがわからないけど、好きにしたら?」
突然の行動に、最初は動揺していた黒百合も、最終的には俺の行動を受け入れてくれた。俺と同じぐらい強く抱きつき、背中に回した手はゆりに握られていた。
「……ごめん、黒百合ちゃん。私、私……」
「ゆりちゃん? ……なんか、私だけ状況が理解できてないんだけど」
「ごめんね……黒百合ちゃん」
置いてけぼりの吸血鬼少女は、自分が流している涙にも気づかず、ただただ強く、幼馴染の少女に手を握られ、少年に強く抱きしめられるばかりだった。
どうしてこうなった?
本当は甘い感じで終わるはずだったのに、最終的に切ない感じなってます。
やはり作者は、執筆前のプロットと執筆中のプロットはネットワークが繋がっていないようです。