第十話 「見習い騎士、その名は」
『さぁ! いよいよ始まります、新入生オリエンテーション!! 実況解説は私、ジッキョーヤッテヤンゼと!』
『誰かこいつのマイクのボリュームをマイナス100まで下げてください』
『のっけから地味に心に刺さる毒を吐いたボードルさんで送ります! お次は来賓紹介と……!!」
ビリビリと肌の表面を揺らす大音量が天井からぶら下げられたスピーカーによって、収容人数二千人のドームに響き渡る。
「す、すごい音……!」
「観客席にいなくともうるさいくらいですね……!」
「……」
「? お嬢様、カキスが静かなのは……?」
「カキス君、耳がすっごく良いですから……」
俺らは初めから音と熱気で満たされるだろうと踏んでいた観客席を早々に離れ、今は入り口近くの廊下に避難している。
ゆりは耳をふさぎながらディングと会話をしているが、俺は特別性の耳栓をしているので、まったく聞こえていない。
さて、ここで恒例、本日のゆりのワンピース。
まず今日のワンピースの色は薄い水色。肩を露出させるタイプの肩紐と、ゆりの雪のように白くしなやかな細い四肢と相まって、より儚さを感じさせる。
また、肩は大胆に出しているが、二の腕の半ばくらいから指の付け根まで青と水色の間辺りの深さの色をした袖が過剰な露出を防いでいる。袖の形としては珍しく、胴体部分の布とは繋がっておらず、それだけで独立しているかのようだ。
本人に聞いたところ、これが正式な戦闘服とのことで、軽さを重視した相手から距離をとり、魔法を交わす戦いを想定しているのだろう。布地自体に魔力が込められている。
ディングの装備は特に変わりなので割愛。
「ディングやゆりは何に出るつもりなんだ?」
「私は他に何も出ないよ。魔力を温存しなくちゃいけないから」
「私もだ。……というか聞こえているのか?」
「唇の動きと呼気でわかるから心配しなくても大丈夫だ」
耳が聞こえなくとも、読唇術をすれば会話は可能だ。まぁ、さすがに背後から呼ばれても気づけないが。
「とりあえず、選手控室にこもろう。あそこなら連絡用のスピーカーしかないし、あっても競技風景を写している音量調整可能なヴィジョンぐらいしかないしな」
「そうしよっか」
「確かこちらだったはずです」
いつまでもエントランスにいても仕方ないと判断した俺たちは移動することにした。
が、
「……すまん。先に行っててくれ。寄る所があったんだ」
一歩足を進めただけで俺は止まった。
「一緒に行こうか? どうせ時間は余っている」
ディングも立ち止まり、そう提案してきたが、俺は首を左右に振って断る。
「いや、俺一人のほうが良いだろう」
「? ……ぁ、わかったよ。先に行って待ってるね?」
ゆりは何か察したのか、ディングを置いて先を歩き始める。
「あ、お嬢様お待ちください! カキス、用が済んだら早く来るんだぞ!」
「あぁ、わかってる。早くゆりを追わないとあいつこけ……」
「あぅっ!?」
ドテッ。
「「あ、こけた」」
別にゆりが重度のドジだったからこけたのではなく、何故かここの床は妙に滑るのだ。おそらく、滑る足場によって喧嘩を防止させる狙いがあるのではないかと俺は睨んでいる。
そして今はもうちょいで見えそうというチラリズムを睨んでいる。
「ほら、行って来い」
「言われるまでもない」
ディングは慣れた様子でゆりを助け起こすと、ゆりを引き連れて曲がり角の奥へと消えていった。
「さて」
俺は主従というよりも家族に見える二人に苦笑しながら見送ると、踵を返して観客席へと通じる階段に立つ。
一段一段数えるようにその段を見上げていくと、途中で赤いヒールに包まれた肌色の存在が飛び込んできた。それを伝って視線を上げれば、
「……」
シェリルが立っていた。
「……あんたは」
今ここで長い睨み合いが始まるかと思ったが、以外にもシェリルは口を開いた。
「何が目的なの? なんで今回のことを受けたの?」
シェリルの髪と同じ色のローブを揺らし、数段ほど降りてくる。
「お嬢様はなんでだと思った?」
俺がゆりとディングと別れたのは、ここでシェリルが俺たちの会話を聞いているような気配がしたからだ。出てくるのを躊躇っていたのは、俺と二人で話がしたかったからだろう。ゆりもおそらく、それを察してディングを連れていったのかもしれない。
問われた俺は、くるりと背を向け数段降りる。
するとシェリルはカツカツとブーツのヒールを鳴らして俺の正面に回り込む。
眉間にしわをよせ、
「思ってもいないのにお嬢様と呼ばないで。大方、これを期に貴族とかかわりを持とうと思ったんでしょ?」
と言った。
俺はまた背を向け、今度は階段を上りながら会話を続ける。
「その言葉、そっくり返してやるよ。俺がその程度のことを目的に考えてると思うか?」
言い終わる頃には、踊り場についていた。
踊り場の壁にかけてある有名な画家の絵には一瞥もくれず、シェリルを見下す。シェリルの瞳には数日前までの敵意の色が薄まり、代わりと言わんばかりに、瞳いっぱいに興味の色を詰め込んでいた。
それに答えるように、理由を口にする。
「俺にはしなければいけないことがある。そのための準備として受ける必要があった」
「それはゆりとかいう子を守ること?」
先ほどまでのように距離を詰めることをせず、シェリルは俺の答えは噛みしめるようにつぶやきを漏らした。
俺は静かに首を振る。縦ではなく横に。
「大きく見ればそうとも言える。ただ、ゆりのためっていうのが最優先事項じゃない」
「どういうこと?」
シェリルは瞳だけに留めていた好奇心をあからさまに表情に出した。本当に意外そうな顔のシェリルには、俺がゆり以外のことで動く理由が理解できないようだ。
わからなくもない。俺と話そうとはしなかったが、観察は続けていたので、俺がゆりのことを最優先で動いているところばかり見ていたのだろう。
初めてだった。シェリルがここまで俺と距離を詰めようとしたのは。距離は物理的なものではなく精神的な意味の方であって、今まで拒絶しか反応を示さなかったというのに。
何か心変わりをする要素が知らずの内にあったのかもしれない。
「……どうせ理解できない。例え、それがゆりであってもな。だからあいつに聞いても無駄だぞ」
だからだろうか? 俺も少しだけ、その距離を詰めていた。
「…………何を、しようとしているの?」
シェリルは俺の顔を見て、恐る恐る聞いてくる。
今、俺は自分がどんな表情をしているか自分でもわかっていない。どうせ、いつもの活力に満ちていない顔をしているに違いない。
シェリルはただ俺の目を見て、俺がやろうとしていることの大きさを間接的に感じただけだった。
「言えない。口に出せば不確かな予想が、確かな確信に変わる。……あいつにだけは、知られるわけにはいかない」
顔を伏せながら首を横に振った。今日の俺は頭を横に振ってばかりだ。だから危うく自分が揺れるところだった。
俺は一段降り、シェリルは三段。会話をしているうちに気づいたら埋めていた距離だ。
俺とシェリルの間にはまだ、少なくない数の段数が残っている。
「そろそろ一つ目の競技が始まる時間だ。確かアルターが出るんだろう? 俺たちはさっき言ってたように控室にいるから」
シェリルが口を開く前に、無理やり話を占める。
そしてあっけにとられているシェリルの脇を通ろうとし、足を止めてシェリルの顔を正面からじっくり眺める。
「な、何?」
突然の行動にたじろぐシェリル。
「……さっき見上げた時も思ったが、そのドレス似合ってるな。可愛いって言うほど幼い感じでもないし、美しいってほど大人びた感じでもなくて……」
「なっ、なっ、ななっ!?」
「綺麗だ、シェリル」
「っ!? せりゃあっ!?」
「うおっ!?」
急に、背核に顎を狙ったアッパーカットをしてきやがったよこの女!?
俺は階段から落ちるように飛びのき、それを回避する。着地時に足を滑らせかけたが、どうにか持ち直して顔を上げて困惑のまなざしを向ける。
と、向こうも混乱しているようで、何故か顔を真っ赤にさせている。
「きゅ、急に何をするのよ!?」
(いや、何もしてないし。そしてそれ俺のセリフ)
さすがにあの流れでアッパーをしてくるとは思わなかったが、突発的な行動で冷静さを失う俺ではない。
「別に貴族の娘ならお世辞やら社交辞令やらで言われ慣れてるだろ? あの程度の言葉ぐらい」
「お世辞のつもりで言ったっていうの!?」
「いや、本心を口にしただけだが……」
「ありがとう!? お礼なんか言わないから!?」
「いや、今言ったろ」
なんかもういろいろめちゃくちゃだった。
今のシェリルは髪やドレス以上に赤い顔をしている。
スカートのすそを強く握りしめ、恨めしそうに睨まれるとまるで俺がシェリルに性的ないたずらをしたように見える。
「じゃあ、アルターによろしく言っておいてくれ」
「あ、ちょっと!?」
これ以上面倒なことと関わり合いたくない俺は、さっさとその場から脱出した。
一人残されたシェリルは、
「あ、あいつは嫌な奴で、何考えてるのかわからなくて、強くて、顔も分からなくって、ってぇ!? これじゃああいつに恋してるみたいじゃない!?」
動揺し続けていた。
俺は相当後に知るのだが、シェリルはどうやらお転婆お嬢様というか、男勝りな感じのせいで俺のように褒められたことがないらしい。
それにしたって動揺してアッパーなんか繰り出すか、普通?
○ ○ ○
「それで、うちのクラスはどうだ? たぶん下から数えた方が早いだろうが」
シェリルと別れ、フードコーナーによってから控室につくころにはいくつかの競技が終了していた。本部から時間変更の放送がないので、実際に見ていなくともその程度はわかる。
「残念。カキスにしては珍しく外れだね。今は上から数えた方が早いよ」
「予想が外れたことより、お前がここにいる方が残念で仕方ねえよ」
ヴィジョンから視線を外さずに答えたコルトに、俺は半眼になりながらそう返した。
コルト達第三学生は数日前にオリエンテーションを行った後だ。オリエンテーション後の数日間は休日となり、今のコルトは休日を満喫していることになる。
「それを言ったら僕は残念どころか失望したよ」
コルトはようやく俺に体を向けると、不満そうな顔を向けてきた。
一瞬、俺が参加する競技の数が少ないことについて不満があるのかと思ったが、すぐに、それはないなと思い直す。俺が一つしかでないことは事前に言ってある。今頃になってそれを怒っているというのも考えづらい。
理由が分からないことを察したのか、コルトはやれやれと肩をすくめる。
「本当にわからないのかい?」
「参加競技が少ないからとかじゃないよな?」
「はぁ……、やれやれ」
なんで分からないんだい? という感じの溜息を吐かれた。とりあえずむかつく。
「君が僕の晴れ舞台を見に来てくれなかったことだよ!」
「俺はお前の兄か何かか」
熱く抗議するディング。しかし俺の反応は冷め切っていた。
どうでもいい理由だったので、こうなるのも当然だった。
「……ロリコンでシスコンな兄とか……、はぁ……」
「はぁ……!」
コルトは溜息を吐き、俺は握りこぶしに息を吐きかける。
コルトはすでにオリエンテーションを終えているのだ。多少顔が腫れあがっても問題あるまい。
「……そういえば、二人はどうした?」
俺が人目がないか確認してから腕を振りかぶって、ゆりとディングのことを思い出す。二人の姿は見えない。
「あぁ、二人なら……」
顔と、時点で狙っていた腹の近くに手を置いているコルトは、顎でヴィジョンを指す。……勘のいいやつめ。
腕をおろし、トラブルのにおいを感じた俺はヴィジョンを見やる。
そこにはやはりというか、案の定というべきか、
「臨時で今からの競技に出ることになったよ」
見知った男女がヴィジョンの向こう側、競技場のステージに立っていた。
「二人ともいない時点でそうだと思ったよ」
さっそく、トラブル体質をいかんなく発動させている幼馴染に、俺は肩をがっくりと落とす。魔力を消費せず温存させるとか言っていたのに、あのざまである。
ゆりのトラブル体質を知っているコルトは楽しそうに笑う。
「はははっ。あの時はびっくりしたよ。あれよあれよという間に出場が決まったからね」
コルトにとっては他人事であり、色んな意味で期待を裏切らないゆりの存在を気に入っているようだ。
「随分と楽しそうだな」
ゆり本人以上に大変な思いをしてきた俺だが、コルトの発言に同意することなく咎めた。ゆりだって好きであの体質ではないのだ。
「何を当然なことを。毎日が楽しそうじゃないか」
「じゃあ一週間程預かってみるか?」
「遠慮する」
即答。しかも真顔である。どうやらゆりはコルトを持ってしても他人事でありたいようだ。間違っても、自分がトラブルの中心に置き換えられるのは勘弁らしい。
「じゃあそんなことを言うな。あれでも本人は気にしてる」
「わかってるよ、保護者さん」
「はぁ……」
本当にわかっているのか判断の付かない態度に、俺は大きな溜息を吐いた。
それに気にした様子もなく、コルトはいつものウザやかスマイルを展開すると、興味深そうにヴィジョンを見る。
「へぇ……相手は重装兵にヘビーソーサラーか」
つられて俺も画面を見るが、コルトほど興味は湧かない。
「そりゃそうだろうよ。こっちと違ってあらかじめ、この競技に出るつもりだったんだ。人選を考えてるだろ」
ゆり達が出ることになってしまった競技の名前は『天下分け目の主従対決!!』。
内容はシンプルに、主役である魔法使いと従者役の騎士がペアとなり、相手チームの的を破壊した方が勝ちとなる。
主役が魔法で的を狙うのが一般的であり、その理由が的の構造が物理的な衝撃等に強く、魔法等に弱いという構造のためだ。ルール的には別に騎士が的を壊しに行ってもいいが、どうせあまり貢献できないので、もっと別の仕方で主をサポートすればいい。
主役は所定の位置から動けないが、その代わりに周囲に特殊な壁がある。その壁が生身の主役を守る役割を果たしている。しかし、防壁は耐久力があり、攻撃され続ければやがて壊れてしまう。そうなった場合、主役は失格扱いとなり、何もできなくなってしまう。
そのうえ、壁を攻撃されるたびに集中を乱される魔力の波を当てられるので、詠唱の邪魔もされる。
従役はその壁を攻撃されないように守るのが役目とされている。
時間内に両方が的を破壊できなければ両方とも負けとなる。壁を壊して主役が失格になっても、勝利ではない。
この競技、主従のバランスによって先方は大きく変わる。
例えば今回の相手のチーム構成は主が魔法の威力を上げる類の杖を持っていることから、威力重視で長い詠唱を必要とする魔法を放つ可能性が高い。そして、従者役の騎士は水谷家の前で争った時のディング以上の重装備をしている。重点的に壁を守ることに特化している。
まるで砲台とそれを守る防壁のような構成は、一般的なパターンの一つだ。
対策としては、強力な魔法というのは詠唱以外にも高い集中力を必要とするので、少しでも壁を攻撃できれば十分詠唱を邪魔できるだろう。問題となる従役だが、正面から相手せず搦め手で攻めれば勝機はある。というか、適当にあしらって適当に壁を攻撃すればいいという結論だ。
正直、こちらの従役がどれだけの腕かで勝ちか負けかが決まる。
簡単でシンプルなことである。しかし、しかしだ。
「これは分が悪いかもね。とてもじゃないけど、ディングには無理な話だ」
「相手にもよる。少なくとも、こっちが不利なのは変わりないが」
ゆりとディングの実力が噛み合っていないのが問題だ。
ゆりはこの競技をするにあたってとくに問題点はない。あるとすれば、本人が自分は支援型の魔法使いだといっていたのであまり火力のある魔法を使えない可能性があるが、どうせ相手騎士は自陣から動く気はないだろうし特に問題にはならない。
だがディングはとても搦め手で相手を攻めることができるほどの実力がない。今できることといえば、時間を気にせずの一対一で耐えることだけ。その原因は俺とコルトにあるが、そもそも奴の本職は騎士であって、剣士ではない。
だからとにかく最初は自分の身を守る術から、と考えこれまで訓練をつけてきたのがここにきて仇となった。
それ以前にも、二人が協力して何かに立ち向かうということが想像できない。連携という点では可能性が未知なペアだ。
それがわかっているのか、ヴィジョンのモニターに映るディングの表情は緊張で余裕がない。
「あ、ついでにこれに負けると最下位真っ逆さまだから」
楽しそうにそこそこ重要な情報を付け加えられ、俺は思わず右手でこめかみをおさえる。
「……まさか、プレっシャーに負けて代理を預けたんじゃないだろうな」
「どうだろうね。僕としては二人の実力が見れれば良いんだけど」
「おいこら」
口では注意する俺だが、思うところは同じだ。オリエンテーションの結果など俺にはどうだっていい。
まともな普通科で、学校行事に参加するという経験をしてみたかったからオリエンテーションに参加しただけだ。そこで何かを望むつもりはない。
観客席にいなくてよかったと思う。俺たち二人がいたら周囲の空気に水を差すことになっただろう。
そんなことを思いながら、ヴィジョンが映し出すバトルフィールドを見ていた。
○ ○ ○
「それでは両ペアとも準備は良いかな?」
「「「「はいっ!」」」」」
最後のルール確認を終え、四人は声をそろえて威勢良く頷いた。
審判役の男性教師はその返事に笑顔を浮かべると、フィールドから降りる。彼がフィールドから降りると結界が張られ、外に影響を与えることも出すこともできなくなる。
ゆりは男性教師の後姿を最後まで見送らず、バトルフィールドを見渡した。
上から見ると長方形に見えるフィールドの両端には守るべき的と、反対側には壊すべき的がある。
フィールド全体の大きさは縦45、横175程で、長い通路と化している部分には障害物も何もなく、本当に巨大な廊下のようだった。
自陣近くに視線をやれば、直径十メートルはありそうな壁がある。今からあの中に自分が入るのか、とどこか他人事のように思っていたゆりを、ディングは心配そうに声をかける。
「ゆりお嬢様……」
「……えっと、どうかしましたか?」
「いえ、それはこちらが聞きたいのですが……」
自分が呆けていると気づいていないゆりはディングの歯切れの悪い言葉に、小動物のように首を傾げた。ディングがうまい言葉が見つからず、言葉を探しているうちに、また壁を見て小さく呟く。
「あの壁……カキス君に比べて頼りないと思いませんか?」
「……」
主に意見を求められたが、騎士は微妙な顔を返すだけだった。
○ ○ ○
「何その顔?」
「幼馴染に壁と比較された時の顔、としか言えん……」
「あぁ……、それはまた……」
○ ○ ○
「随分と余裕そうですわね。クラスの命運を預けられているというのに」
「まったくですね。それに比べ、ミラお嬢様はなんと責任感に溢れた方か」
ディングが心の中でカキスに同情していると、背後から話しかけられ、そちらをゆりともども振り返る。
相手ペアのミラとマルコだった。
二人はどうやら試合開始までの僅かな時間に、あいさつに来たらしい。言葉ほど悪意は感じられず、口調も表情も穏やかだった。これから正々堂々戦おう、という彼女らなりの鼓舞なのかもしれない。
「……あ、えっと、よろしくお願いします……」
ゆりはざっと二人を見ると、気のない反応をするだけでこれといって何も言いださない。
コルトは微妙な顔に申し訳なさそうな色を上乗せして謝罪した。
「……その、色々とすまない。いつもはこうではないんだ……。今は、緊張で若干現実逃避中だと思うんだ」
思いもよらない反応に、二人は困惑した。
「な、なんで謝ってくるのよ? もうわけわかんない……」
「動揺を作戦でしょうか? いや、しかし……」
ぶつぶつと呟きながら離れる二人。
ヒートアップする観客と、閉まらない空気のフィールド。相当にカオスな状況を作り出す原因となった少女は現実に戻って、
「……今日のお夕飯、何かな……?」
いなかった。
○ ○ ○
「さて、解説のカキスさん。誰が勝つと思います?」
「誰が解説だ。しかも、”誰が”とか……。ディングはお前の弟弟子みたいなもんだろうに」
もともと自陣側だったゆり達とは違い、相手――ミラ側は真反対に自陣がある。今はミラ達が移動している最中で、それが終わり主役二人が壁の中に入れば試合が始まる。
「僕は今のところミラペアかな。ディングの実力も期待できないのがわかってるし、水谷さんの実力はよくわかんないし」
あきれ口調で返す俺を無視し、コルトは勝手に己の予想を口にする。
「ディングに教えたのは対多数戦闘で生き残る基本だけしか教えてないし、それも満足のいく出来じゃない。相手側の騎士、マルコは戦い方がわかってるみたいだしね」
ニコニコといつもの笑みを浮かべながらも、その判断は辛い。
○ ○ ○
『それでは準備が整いましたのでぇ~、競技開始!!』
オープニングで殺人的なボリュームだった実況解説担当のマイクの音量はキチンと絞られているようで、耳をふさぐほどではなかった。
(どう動くべきか……)
始まってすぐ、主の二人は詠唱に入ったが、従役の二人は動かない。
正確にはマルコは動く必要がないから動かないだけで、ディングは思考に没頭しているからだ。
相手が攻めてこないので、こちらから仕掛ける必要があるが、ゆりに任せて自分は余計なことをしないでいるべきか。
(いや、それではここに私がいる意味がない)
ディングは鞘から刃を潰してある剣を抜き放ち、マルコに向かって走り出す。
少しでも自分にできることをやろうと、まだ遠く離れた敵を見据えて走る。
○ ○ ○
「ん? お前は対多数を教えていたのか?」
「あれ? 言ってなかった? と、いうかその口ぶりはもしや」
「対一戦闘なら実戦形式で何度か俺が相手したぞ」
○ ○ ○
「ふっ。正面からこの僕、マルコにいどむ心意気やよし。しかし……ってアブな!?」
ブォン!
地面を這うような低い位置からの振り上げは、バックステップで躱され、音を立てて空を切った。ディングは振りぬいた姿勢からワンテンポ置いて距離をとる。
「しかし、このマルコ、ミラお嬢……ちょ、わっ!?」
開けた距離を一歩で詰めたディングは、正面に構えた剣を右手で突き入れ、それを右に逃げられると、今度は裏拳のごとく避けた方向に振りぬく。だが、これも後ろに避けられる。
「ま、前口上ぐらい言わせろー!?」」
「問答無用!」
○ ○ ○
「「いや前口上ぐらい許してやろうよ」」
○ ○ ○
「いや前口上ぐらい許してくれよ!? 別に何分も時間を取ろうってわけじゃないから!」
マルコは必至で訴える。何度も襲い掛かってくる剣を裁きながら。
「全てが終わった後に聞こう。今は目の前のことに集中するんだな!」
一瞬の隙を突いて、鎧に守られている腹を蹴り飛ばすことに成功したディングはニヤリと口元を三日月に歪める。
(やはり試合前のあれは油断させるための作戦だったか!?)
マルコがそんなことを考え始めた時、自分の立っている場所に気づく。
いつの間にか、壁から大きく引き離され、しかもディングの方が壁に近かった。
「まさか、誘導されたのか!?」
壁を守る騎士と壁を攻める騎士は、気づけば立ち位置が交代していた。
○ ○ ○
「いや~、確かに実践的だね。特に前口上を許さないあくどさが」
コルトはモニター前の長椅子に座り、後ろに手を突きながら笑った。
俺はあぐらで膝の上に肘を突いて手に顎を載せてた状態で観戦していた。
「相手が察する前に場を入れ替わらせるあくどさの方が目立つと思うがな」
お互いにディングの行動の容赦のなさを擦り付け合いながら、マルコの実力を分析する。
「マルコ、あんまり周りを見てない感じだね。もしかしたらディングより弱かったりして?」
「あ~、どうだろうな? 剣を抜いて実際に戦うところを見てないから何も言えないな。必要なかったぐらい周りと実力差があった可能性もある」
コルトはマルコの評価を低めにつけているようだが、俺はそれに肯定しない。
マルコ本人の性格もあるかもしれないが、ディングに前口上を邪魔されて動揺が少なかったように見えた。余裕があるからディングの猛攻をすべて躱しことができていた。
そこそこの場数は踏んでいるとみるべきだ。
ただ、コルトの言うとおり、視界が狭い……、いや、
「……案外わざとかもな」
「何が?」
「わざと壁から離れたことに気づいていない、ふりをしていた可能性もある。逆にはめられたんじゃないか?」
俺が苦虫を踏みつぶしたような表情で答えると、コルトは視線を落として思案する。
『ワァァァーーー!!』
ヴィジョンの脇にあるスピーカーからは、ちょうど大きな歓声が上がった。映る映像は俺の予想が当たっていた。
○ ○ ○
「これで詠唱の阻止がしやすくなったな」
性悪師匠二人が、そのことを否定し擦り付け合っているとは知らないディングは、自らの作戦がうまくいったことに安堵の息を吐く。
「ふん……、調子に乗らないでもらおうか。このマルコ、騎士歴五年で初陣を済ませたのだ。戦場でのミスは戦場で取り返せばいい」
マルコは青髪をかきあげながらディングを見下ろすように言ってきた。
腰に差した剣を抜き、ディングに見せつけるように掲げると、
「『纏え、水よ』」
そう呟いた。
鉄でできた答申が透き通るような青色に代わる。鈍い輝きに代わり、鮮やかな青を反射する刀身。透けて見える刀身の中は、まるでそこに水でも入れたかのように揺らいでいた。
一般的な魔術。コルトのような相手には火力不足で魔力の無駄遣いに等しい。カキスともなれば、児戯となんらかわりない程度の魔術でしかない。
しかし、それすらも知らないディングには、正体不明の武器になる。
「はぁ!」
裂帛の気合いとともに振り下ろされた剣をディングは危なげなく自分の剣で防ぐ。
ギィンッ!
水でできたような刀身に見えるにも関わらず、音は鉄と変わらない。しかし、重量はケタ違いだった。
「ぐぅ……!」
剣を防ぐのはできたが、予想以上に重いその一撃に思わず膝を突きそうになる。
(なんだ、この重さは……? まさか、さっきのは魔術だったのか!?)
ガギィッ!
ディングの思考は、横なぎに払われた攻撃から身を守ることに集中することを余儀なくされ中断される。
ギィンッ! ギャリィン、ガギッ! ガァァッン!!
次々と、休む間もなく振るわれる剣を防ぐことに、すぐに手一杯となったディングは、ただひたすらに剣を受け流し続けることに集中する。
○ ○ ○
「やっぱりな。あれは油断させるためにわざと退いたな」
俺は嘆息した。
意外と頭が回るマルコの強さにではない。ディングの迂闊さに、だ。
「すっごい簡単な魔術なんだけど……ディングにはちょっと荷が重いね」
同じ道場の仲間、しかも最近は周囲にも仲の良先輩後輩と見られているコルトは、苦戦する後輩の姿を見てニコニコしている。
俺はそのことを無視しながらコルトに問う。
「お前ならあれにどう対処する?」
『アクア・ヴェール』。この魔術の効果をひどく投げやりに説明すると、一定レベルの身体強化を確実に発動できる魔術、と言ったところだろうか。
身体強化も魔術だが、実は上位魔術に位置付けられている。というのも、身体強化は扱う術者によって強化率が大きく変わる。単に魔力を肉体に流し込んでも意味はなく、とても繊細なコントロールを必要とするためだ。
魔力の循環路を作り、そこに魔力を流すことで全身に魔力というエネルギーが効果を発するし、魔力もほぼ体外に放出されることがない。のだが、この『魔力の循環路』を作ることが難しい。
魔力は自由気ままに動き回ろうとし、ただ道を作っただけではそこを真っ直ぐに通ってくれない。常に循環し、なおかつ魔力が暴れまわっても決壊しない路を作るのは至難の業。
俺やコルトレベルの身体強化ができるなら、それだけで一流の人間として見られる。
効果の薄いものなら、そこまで魔力操作の腕を問われないが、やはり効果が薄いのであまり意味がない。少し重いもの程度を持てるようになるとかそのぐらい。燃費だって悪い。
そこで、自分が使っている武器に魔力を纏わせることによって、疑似的に身体強化を行う。高レベル、とまではいかないが、低くないレベルの身体強化に等しい力の恩恵に与れる。
剣の重量を増やし、術者には剣の重量を軽くさせて振る速度も上がるし体力の温存にも繋がる。これは場合にもよるが、属性を付与することだってプラスに働く場合だってある。
武器に魔力を纏わせる程度であればさして難しくもなく、身体強化を上手くできないならこちらを選べば一定レベルにまではなれる。
ここまで説明すると『アクア・ヴェール』が上位魔術になりそうなものだがそうでもない。
デメリットや条件が目立つからだ。
「僕なら武器を壊すかな? もとは同じ材質で同じ職人が作った剣だろうから、こっちの剣もひどいことになりそうだけど」
「頑張ればディングにもできるかもな」
条件の一つにまとわせる媒体を必要とすること。当然の話だ。媒体がなければ何に纏わせろというのか。なお、肉体に纏わせてもあまり効果がない。
更にデメリットの一つとして身体強化は僅かながら肉体を硬化できるが、ヴェールシリーズのように纏わせるだけでは媒体の強度は増さない。こめられる魔力量だって、武具の質によって変わる。
つまり、重さが増えるだけだから、武器を壊せばいいじゃない、というのがコルトの対処法。
俺もコルトも、ディングに真っ先に教えたのが武器破壊だったが、それは今回のように魔術に対抗するために必要な手段の一つだったからだ。当の本人の習得具合は……お察しである。
他の条件は、効果時間を継続して伸ばすことはできず、掛けなおさなければならないとうこともある。
デメリットに、相応の魔力を消費すること。どれだけ魔力を纏わせても効果は剣の質によって決まっていること、使用後は一定時間経たなければ再度魔力を流せないこと。
うまく身体強化を行えない人間には良いが、できる人間にとってはデメリットが多すぎる。
「カキスだったらどうする?」
「俺? 俺は参考にならないだろ」
「まぁ、そうだろうけど一応ね」
ついでのことのように言ったが、興味津々そうに耳を傾けている。
俺はため息を一つして、顔を上げた。
「壁殴り代行」
うまくいなして、マルコの攻撃を壁に当てて壊してもらうというものだ。
「それは参考にならないだろうね」
「うっせ」
○ ○ ○
ギィン、ギギィッ! ガギギギギギギ……!!
「う、うおおおおおお……!」
「意外と……耐える、なっ!」
ゴンッ!
鍔迫り合いまで持ち込みはしたものの、押し切れないと判断したマルコに腹を蹴られ、逆らわずに数回転がってから立ち上がる。
カキスとコルトに言われ、軽装備のディングは、腕にいくつもの細かい小さな赤い線が刻まれていた。
(ここが外じゃなくて良かった……)
もし、屋内ではなく屋外だったら今頃土や砂だらけになっていたことだろう。
痛む肩を押さえて立ち上がり、剣を構える。
気が付けば、せっかく近づいた壁からは大きく引き離されていた。
時間にすれば五分にも満たない間の攻防だったが、ディングの体力は既に底を尽きようとしている。その証拠に、構えた剣の位置が、試合開始時に比べ下がっている。
(こういう時、カキスやコルトにどうすれば良いと言われたか、覚えてはいるんだが……)
疲労で思考に靄がかかり始める中で、必死に頭をフル回転させる。
(相手との実力が近く、それでも勝てない場合は相手の力を利用する……か)
教えを生かそうと、試行錯誤を繰り返したが、どれも失敗に終わっている。比較的得意な受け流しも、まだまだ拙い武器破壊も、どこか決め手に欠けているような印象が強い。
そして、あまりにも目の前のことに気を取られすぎ、頭上高くで飛び交う魔法に気付けずにいた。