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表裏の鍛治師  作者: かきす
第二章「クラス騒動編」
19/55

第八話 「高位精霊」

「さて、残り三日まで押し迫ってきたわけだが……、今日はいい加減ゆりの能力を試そうと思う」


 俺、ゆり、ディング、コルトの四人は学園地下にある訓練場の一角で集まっている。

 今日は普通に登校し、放課後になってから来た。なので、他にも同じように魔法や魔術をを練習する学園性がちらほらと見受けられる。

 本当なら人目がある所で試したくなかったが、とにかく時間がない。


「能力の申請しちゃったからね……、頑張らなくちゃね!」


 グッと両手を握って気合いを入れなおすゆり。今日は紫色のワンピースの裾に藍色のフリルが付いている、少し大人っぽいワンピースだ。ゆりの長い髪や垂れ目から、柔和で物静かな少女の印象を受ける。愛でたい。

 それはさておき、時間がない理由はゆりが言った通りだ。レクリエーションに能力を使用すると申請したため、一定のレベルが使えるようにならなければいけなくなってしまった。

 一定のレベルというのは他者を圧倒できるような、とか言った攻撃的な面ではなく、他者を傷つけすぎないレベルのことだ。

 レクリエーションでは魔法術をメインとしている。多少のけがをすることだってあるだろう。だからといって殺し合いをするわけではない。もしも予想外に力が強ければ、”コト”だ。

 能力の制御をやっつけ三日でできるようになれるとは思えないが、まぁ、ゆりの場合は直接攻撃するようなタイプの能力ではなさそうなので大丈夫だろう。


「手始めに、水属性の精霊な」


「うん、わかった」


 俺は召喚士の教本(学園の図書室から借りてきた)の初心者向けのページを見ながら指示を出す。


「ついでに、位の高くない精霊なら俺達の様な一般人でも呼び寄せることは可能だ。というわけで、ディングも一緒にやってくれ」


「いや、やり方がわからないのだが……」


「それは今から説明してやる」


 俺は一旦本を置き、胸の前に手のひらを上に向け、台を作る。


「まずは手のひらに少量の魔力を集める」


 ゆりとディングは、俺と同じように手のひらを台に見立てて魔力を集め始める。ディングの手には見た目の変化はなく、ゆりは手のひらがほんのり光りだす。


「ゆり、もっと少なくていい。魔力の無駄になる」


「そっか……」


 魔力の制御に集中しているのか、どこかぼんやりとした返事を返してくる。しかし、声は聞こえているようで、ゆりが魔力の量を調整し、光を発さない程度まで抑える。

 精霊と対話するのに魔力は必要ない。対話の舞台を整えるために必要なのだ。


「意外と厳しいね。少しぐらい魔力が多くても問題ないんじゃない?」


「ゆりはこれから魔力を大量に使う可能性もあるし、これからもこの手順でやるかもしれない。だったら、最初から無駄を省いた方が断然いいだろ」


 ゆりの魔法操作は優秀なので、これくらいの注文を付けたとしても問題ない。

 コルトは苦笑しながら今日二十回目の中級魔法を背後の的に放つ。

 ヒュゴォォウッ! バキャキャッ、ベキッ!!

 コルトの背後に具現化された風の弓は、矢じりが魔力密度の高い魔力球で構成されている矢を、自動で放った。その矢が対象にヒットすれば、あたったその場で矢じりの魔力球が広がって対象を包み込み、中で暴れまわっている鋭い風の刃が切り刻む。

 『風の破弓ウィンド・ブレイクアロー』。この魔法の恐ろしさは矢が飛来するときにおこる風にある。

 先程、弓を射った時の音は『風の破弓』が空を切り裂く音、ではなく、風を引き寄せながら進む音が正体だ。矢を”目”とした小さな台風のようになりながら飛んでくるため、回避行動を阻害された所に……。

 結果は鉄で出来た的の破砕音という名の断末魔が見なくても教えてくれる。

 ……さよなら、二十代目『体目的』(製作者命名)

 ガシャン!


「自動で的をセットしてくれるのは本当にありがたいね」


 ……初めまして、二十一代目『体目的』(製作しゃry

 心の中で二十代目に冥福を祈り、意識をゆりとディングに戻す。

 ディングの方まだ少し魔力操作に難がありそうだが、おまけ程度のつもりなので放っておいても構わない。

 重要なのはゆりの方で、そちらに視線を向ければ完璧に制御できているようだ。


「良し、次のステップだ。次はその魔力で空間を作る。空間といっても、魔力の形を整える感覚で良い。それさえできれば、後の工程は俺がやる」


 本当ならこの後に精霊を呼ぶために魔力を捧げる必要があるが、今回は俺が代わりにやるつもりだ。

 ゆりはこの後にもっと魔力を消費するかもしれないことを残している。というか、そっちが今日のメインだ。

 ディングはディングで、そもそも最大魔力量が足りていない。コルトに頼むのも手ではあるが、コルトは魔力量は多くない。もしゆりの能力が暴走した時の保険なので温存してもらいたい。……温存して欲しいのだが、 相変わらず『体目的』の後継者が続々と生まれるのはどういうことだろうか? まさか、俺に丸投げのつもりじゃないだろうな……?

 まぁ、そうなったときは、あいつを肉盾にして抑えればいいか。

 さて、精霊を呼び寄せるために必要な魔力なのだが、今から呼ぼうとしている一番位が低いもので120程度。初級魔法の魔力消費を10、中級魔法を100程度と考えた基準だが、最低でも中級魔法を扱える魔力は必要となる。

 はっきりとした理由は分からないが、おそらくは一定ランク以下の人間と関わりを持ちたくないのだろう。


「カキス君、できたよ」


 ほら、と言って差し出してきた両手には歪み一つない正方形が術者の手の上でふよふよと宙を浮いている。


「あぁ、上手にできてるじゃないか」


 ゆりならそこそこ精巧な空間を作るとは思っていたが、そこそこどころじゃない腕前だった。

 俺は微笑みながら頭を撫でてゆりを褒める。


「えへへぇ……、子ども扱いされてるみたいで恥ずかしいよぅ……!」


 口では文句を言いながらも、気持ちよさそうに目を細めて笑い頭に乗せられた俺の手に頭を押し付けてくる。まるで、もっと撫でて! とおねだりする犬のようだ。


「二人は時々本当に恋人じゃないかって僕は思うんだけど……どう思う? ディング」


「確かにそうも見えるが、私には兄妹に見えるぞ?」


 二人の声に、ゆりは一瞬で顔を赤くさせ一歩、後ろに下がる。


「……邪魔するなよ」


 名残惜しさに逃げたゆりの頭へ手を伸ばしそうになるのをぐっとこらえる。しかし、言う気もなかった口から不満が漏れてしまった。


「おや?」


 いつもなら肩をすくめて流す場面に、不機嫌そうな目で見られたコルトは珍しそうに見返してくる。


「せっかく貴重なゆりだったってのに」


「貴重な私って何!?」


 俺は咄嗟に適当なことを言葉にして誤魔化す。その言葉にゆりは大きなショックを受けた。

 ゆりにそのつもりはないのだろうが、話が上手く逸れて行きそうなので、流れに乗る。


「もちろん、汚れを知らなかった頃のゆりに決まってるだろ」


 何を当然なことを。とでも言いたげな顔をする。


「今でも知らないよ!?」


「つい最近とんでもない発言をしただろうが」


 つい最近とは黒百合の体を作った時のことだ。半眼になって睨むと、分かりやすく目を泳がせるゆり。


「うっ! あ、あれは、その……。ごめんなさい」


 さすがにあの時のことを持ち出されては何も言い返せないらしい。ゆりは素直に非を認めた。


「まぁ、ゆりがどれだけ汚れているかは置いておくとして……」


「私にとってすごく重要なのに些末事みたいに言われてるよぅ……」


 ゆりは涙になりながら沈んでいるが、自業自得なのでフォローは一切してやらない。


「今からそこに精霊を呼び込むから、維持に集中してろよ」


 俺はゆりの両手から四十cm程上に自分の右手を掲げる。水の魔力を集め、具現化させた後、圧縮。それを数回繰り返し、見た目の五倍以上の体積を持った水を、空間に一滴ずつ垂らし落とす。


(……謎なのは、俺も同じか)


 無属性なのに四代属性が使える存在。能力に覚醒する前は魔術しか、それも初級レベルが扱える程度だったが、今では長い詠唱を必要とするものの、中級までなら魔法も使える。

 わかってはいたが、改めて実感させられる。俺は異常な存在だと。


「この後は?」


 ゆりは、ディングの穴だらけの空間に呆れている俺の服を撮んで引っ張る。


「そこから先は一人でやってみろ。精霊を呼ぶイメージだ。そしてディング、お前はもう無理そうだから諦めろ」


「い、いや、もう少しでコツが……」


「お前が掴めそうなそれは骨だ。それも粉々のやつ」


「原型ですらないと!?」


「大丈夫だよディング。集めて組み合わせれば形になるから」


 本日二十三回目の『風の破弓』を放ちながら、イケメンスマイルでフォローをする心優しいコルト。


「そ、そうだな。失敗という欠片を集めて組み合わせれば形に……!」


「なっても骨だがな」


 ふっ、と俺が呟くと、ディングは膝をついて崩れる。勝ったな。

 さて、どうでもいい肉壁は放っておくとして……。


「どうだ、ゆり、できそうか?」


「……う~ん、上手くいかない、かなぁ……。イメージを掴めないよぅ」


 口癖を出す時は泣きそうな時がほとんどで、例に漏れずじんわりと瞳に涙が留まり始めてきている。

 再会してすぐは泣き虫が治ったのかと思ったが、最近はまた出てきた。良いか悪いかおいておき、昔と変わらないゆりの様子に安心する。


「お前は骨を掴むなよ?」

「はは……」


 ゆりはうなだれている肉壁ディングに視線をやりながら乾いた笑いを零す。


「コルト。何かいいアドバイスはないか?」


 俺は精霊を呼ぶことができない。無属性の特性の一つでどうしようもないため、過去に読んだことのあるコルトにアドバイスを求める。


「そうだね……、心の中で話しかけると良いんじゃないかな?」


「心の中で……」


 コルトのアドバイスを受け、目を閉じて再び集中する。

 と、変化はすぐに起きた。

 中に注がれた俺の魔力は形を変え、ドロ人形ならぬ水人形に変形する。顔がなく、表情から考えていることは読めないが、じぃっとゆりを見上げている、気がしなくもない。


「え、えっと……こんにちは?」


 どうしたら良いのか判断がつかないまま、といあえず挨拶をするゆり。


「――」


 精霊は片手を上げてそれに返すと、ポンッ、と弾ける音と共に消え、またただの水に戻る。


「……え? あれだけ?」


「「あれだけ」」


 呆然としているゆりの独り言に近い問いに、俺はコルトは言葉を重ねる。


「ま、準備運動みたいなものだしな。次は実際に能力を試してみるか」


「う、うん……」


 さっきの衝撃をまだ引きずっていたゆりは、気を取り直して両目を閉じ、胸の前で手を組む。


「能力を発動するときは強く意識しろ。自分の心の奥底で小さく灯っている小さな小さな火を。……感じられるか?」


「……うん、わかるよ。青色の火がある」


 一瞬で能力の起動まで進めたゆりは、夢でも見ているかのような声で、独り言のように呟く。高い集中力で外界から意識をほとんど切り離しているからだろう。

 少々危なっかしい集中の仕方だが、昔からこうだったし、今は俺たちが傍にいるから問題ないだろう。


「その火を両手で包み込むように持て」


「……こう、かな……? あ、あぁ……!?」


「お嬢様!?」


「大丈夫だよ、ディング」


 突然うめいたゆりにディングが慌てるが、コルトが手で制す。


「能力は覚醒した後、使おうとするとその能力の情報が感覚として流れ込む。それによってなんとなく、使い方や能力の詳細が分かるようになるんだ」


「では、お嬢様は……?」


「心配しなくても大丈夫だと思うよ。ただ、慣れない感覚に少し驚いたんじゃないかな?


「そうか……」


 コルトの説明に安心したディングは肩の力を抜いて息を吐く。

 実際、ゆりは目を大きく見開いているだけで、苦しそうに顔を歪めているわけではない。急に知らない情報が次々と頭の中に入ってくる感じは違和感以外のなんでもない。

 まぁ、不快感よりはマシだが、それでもマシ程度だ。

 俺は頃合いをみてからゆりに近づき、その幼く小さな体を支える。すると、目を閉じると同時に全身の力がふっとなくなり、俺の腕の中に倒れこんでくる。


「どうだった? 初めての感覚は」


 ゆりの背中に回している片腕で軽く頭を撫でながら、冗談めかして問う。

「正直に言っちゃうと、少し怖かったかな……。えへへ……」


 少し恥じらいの混じった苦笑いで答えると、自分の足で立つ。


「……さっきは兄妹のようだと言ったが、やっぱりあの仲の良さは交際してないほうがおかしいな」


「そうだねぇ、僕もそう思う。最近慣れてきたけど」


「何か言ったか?」


「「何も?」」


 絶対に何か言ったと思うが……まぁ良い。今は、


「大体のことは理解できたか?」


 ゆりの能力だ。


「うん。特に難しい条件はなかったよ。あとね、魔力を使わないみたい」


「すごいね、それは魔法使いとして生命線にもなりえる能力だね」


 コルトはイケメンスマイルでゆりに笑いかけるが、ゆりは無邪気な笑顔で「うん!」と返している。普通の女子なら一発KOしているだろうコルトの攻撃にまったくダメージを受けていないゆり、おそるべし。


「さっそく使ってみてくれ」


 今日は一回使って終わりではない。トラブルプリンセスが何も起こさずに一日を終えるわけがないので、急ぎたい。


「私はどうすれば良いのかしら?」


「黒百合はそのままゆりの中にいてくれ。もしもの時は頼むぞ」


「了解よ」


「それじゃあ始めるね」


 ゆりが全員を見渡し、全員がうなずき返す。

 確認を取った後、ゆりが詠唱を始める。


「溢れ猛る水流の化身よ、我の呼びかけに応じ姿を現したまへ、『ウンディーネ』!」


 ……バッッッシャァァァーーーッ!!


 精霊の名を力強く呼び、一拍。突然、何もなかった地面から、滝を逆さまにしたような勢いで水が噴き出る。


『私を喚んだのはあなたですか』


 頭の中に直接声が聴こえる。なのに、この声を響かせている張本人はあの水柱の中に居るとわかる。理解できてしまう。

 不思議な感覚を抱きながら、俺はいまだに止まらない水流を注視する。


(中が視えない……。あれは水属性の魔力か)


 注視しなければ分からないほど、純度の高い魔力。高位精霊で間違いないだろう。

 純度の高い魔力は自然物に近くなる。元々、見た目には違いないに等しいが、純度の高い魔力の場合、魔力だと感じられなくなる。もちろん、威力も上がり更には操りやすくなる。魔力の質とはこの質のことも含まれるのだ。

 語りかけてきた印象では、敵意はない、と判断し、どうすれば良いか迷っているゆりに頷いて見せる。

 それにゆりは緊張した面持ちで頷き返すと、水柱に向き直る。


「わ、私です!」


『幼……少女よ』


「今、幼女って言いかけたよな、おい」


 つい反射的に突っ込んでしまった。口を挟まず見守っていようと思ったが、精霊の発言はあまりにも衝撃的過ぎた。


『気のせいでしょう』


 さっきまでの神秘的な空気は一瞬で霧散し、精霊の誤魔化しも白々しい。


『それで、私を呼んだのはどんな用ですか?』


「さりげなく流そうとするな」


『うるさいですよ人間』


 ビシュッ!


 水を飛ばしてくるが首を少しひねるだけでかわす。


「カ、カキス君、駄目だよそんな言い方。ウンディーネさんも落ち着いてください」


「……そう言うお前は何故俺の陰に隠れる」


「だ、だってぇ……!」


 ゆりは俺と水精霊をいさなめるが、俺の背中に隠れて裾を持っている時点で説得力がない。地味に腰に柔らかく|(個人的に)程良い大きさのナニかが当たっているのが、なおさら気が分散する。

 俺は微妙な表情でゆりをはがして、無理やり隣に立たせた。

 捨てられた子犬のような、涙に濡れた瞳を向けられ、抱きしめたい衝動に身を委ねそうになるが、ぐっと堪える。

 最近はゆりを甘やかしすぎているので、少しずつメンタル的に強くさせて俺に依存しないように強制させたい。問題は、割とゆりが好みな性格であることや、俺自身もゆりを心の拠り所にしていることだ。

 今だって、俺のシャツを掴むことを許してしまっている。

 コルトは俺が男女関係なく突き放す時は遠慮も思いやりもなく、冷たく突き放すことを知っている。ので、俺がゆりに対してだだ甘なことを見抜き、今もニヤニヤ笑っている。


(あいつは後でボロ雑巾にしてやる……)


 俺は、傍から見ればニコニコ微笑んでいる様にしか見えない笑顔を向けてくるコルトに、制裁|(物理)をすることを心に誓う。

 なお、ディングは俺とゆりを本当に兄妹の様に育ってきたと思っているので、そういった冷やかす様な視線は向けてきていない。


「ほら、ゆり。何を話せば良いか分からなければまずは自己紹介してみろ」


 コルトを人睨みしてから、ゆりの背中を軽く押し、精霊との会話のきっかけを作ってやる。


「う、うん」


 背を押され、一歩前に歩み出たゆりは、一度だけ不安そうな表情で振り返るが、すぐに長い髪を揺らして前を向く。


「初めまして、ウンディーネさん。私は水谷ゆりです。今日はウンディーネさんとお話がしたくて喚びました」


 先ほどまで頼りなく、あたふたしていた少女と同じ人物とは思えない程落ち着いた物腰で話すゆり。

 ウンディーネは、水柱から姿を現し、柔和な微笑みと共に自己紹介を返す。


『私は水の高位精霊。『ウンディーネ』とはあなた方が水の高位精霊と呼ぶ存在です。して、私に話とは?』


 水柱から姿を現したウンディーネは、人間離れした美貌を惜しげもなくさらしていた。肌面積が多いと言えば多いのだが、不思議と過剰には感じない程度で、メリハリのはっきりとしたボディラインは、薄い布の下からはっきりとその存在を主張している。

 容姿がなせる技なのか、長年の経験により自然と生み出されているのか、大胆な衣装に気を取られるより、神聖さに心が澄んでいくような気さえしてしまう。

 再び、場に神聖な空気が満ちる。最初からこの空気を保ってくれ、と思ったが、壊した一因は俺にもあるので、口には出さないでいる。

 人知れず無関係なことで我慢している俺を置いて、話は進む。


「えっと、聞いてもらえますか? 私がウンディーネさんを喚んだ理由を……」



『えぇ、聞かせてもらいましょう』


 ウンディーネだけがそうなのか、精霊自体がそうなのか。基本的に俺たちを下に見ているらしく、上から視線な口調が目立つ。

 もしこれが尊大に構えている貴族に召喚された場合どうなるか……いや、考えるだけ無駄か。どうせこの場で気にするのはディングぐらいしかいないのだから。

 そのディングには先に精霊達は人間を下に見ることがあるかもしれない、と伝えてある。後、一々そのことに口を出すな、とも。

 ウンディーネは母親の様な眼差しをしながら、時折相槌を打ってゆりの能力についての説明を静聴している。


 ○ ○ ○


『なるほど。だからいつも鬱陶しい鎖が感じられないのですね』


 十分後、ゆりの説明が終わると、納得した顔で自分の体を見渡す。


「鬱陶しい鎖、ですか?」


 ウンディーネの言葉に疑問を抱いたゆりと同じことを俺も疑問を抱いた。


『そうです。私達精霊を縛る鎖です。大昔、人は私達の力を我が物にしようと画策し、その末に今では召喚の詠唱と呼ばれる呪文を開発したのです』


 ウンディーネは淡々と無表情で召喚術についての真実を語る。その内容は軽く聞き流せるものではなかった。


「じゃ、じゃあ、私達人間が召喚術だと思っていたものは……?」


『私達精霊に首輪をかけ、強制するための儀式だったものです。もっとも、昔の様にそのつもりで儀式を行うものは居なくなり、強制力は皆無ですが』


 ひたすらに感情の籠めず話しているが、人間達に対する強い憤りが伝わってくる。鋭いゆりもその感情に気づき、沈痛な表情で俯く。


「ごめんなさい……」


 ゆりにそんなつもりも、知識もなかったのに、自らの過ちの様に詫びる。


『同情などいりません。謝罪もです。……第一、あなたが謝ることではないでしょう?」


 対するウンディーネの反応は冷たく、長い間従わされてきたことによる溝の深さを物語っている。


「そうだ、ゆり。お前は何も知らなかったし、召喚だって普通とは違う方法をとったんだ。だから、謝るのはお前じゃない」


「それでも! ……それでも、ごめんなさい」


 俺はゆりの肩に手を当てて頭を上げさせようとするが、ゆりは繰り返し謝る。

 許されると思っていなくても、望まれていなくとも、それでも謝罪の言葉を重ねる少女。その姿に、ウンディーネは少なからず動揺し、俺に助けを求めるような視線を向けてくる。が、こうなったゆりを止めるのは俺にも無理に近いので、肩をすくめる。

 逆に、お前が自分で何とかしろ、とアゴで指す。

 恨めしそうに睨んできたが、それも一瞬のことで、申し訳なさそうな表情でゆりに語りかける。


『顔をあげなさい、優しき少女よ。先ほども言いましたが、あなたが謝ることではないのです。ですが、あなたの熱意に免じて謝罪を受けましょう。ですから顔を上げなさい』


 許したのはゆりだけで全人類を許したわけではないだろうし、この状況から抜け出したいがために言ったのだろう。

 さすがにここまで言われては、ゆりも腰を曲げ続けられるほど神経は太くない。ゆりは何度か目をこすると、顔を上げる。


(こういう所も変わっていないな……)


 優しすぎるが故に謝りすぎる所や、涙もろい所も。

 俺は瞳を潤ませているゆりに近づき、頭の上に手を置く。それだけで雨雲の様に曇った表情が少しだけ晴れる。

 そんなゆりに苦笑しながら、代わりにウンディーネと会話する。


「ゆりがこんなんだから代わりに俺が話させてもらうが……」


「こんなんってひどいぅ……!」


 俺の脇腹に抱き着いている時点でひどいも何もない。ついでに、ゆりの身長が俺の脇よりも低いので、抱きつかれている右側の腕を上げなくても、ゆりを抱くことができる。その手でゆりの背中を撫でながら、ウンディーネに訊く。


「さっきも説明した通り、人を殺さず傷つけすぎずっていうぐらいの加減が出来るようにしたいんだ。できるか?」


『残念ですが、無理でしょうね。私達高位精霊の力はあなた方人間とは別格です。こども同士の、遊び程度ならなおのこと無理でしょうね』


 あまり良い顔はしていないが、質問には答えてくれたウンディーネの言葉は、ある程度予想していたことだった。


「そうか……」


 予想していたとはいえ、何割か期待していた部分もあるので、ため息交じりの返答になってしまう。

 俺はすぐに気持ちを切り替えて次善策を出す。


「なら、適当なやつを知らないか? できれば、気象が激しくない奴を」


 高位精霊として、中位や下位精霊をそれなりに把握しているだろうと判断した。

 素直に教えない可能性も考慮していたが、それは杞憂に終わる。


『それなら、あの子が良いでしょう。精霊『アルファディオル』。あの子は水の中位精霊の、大鷲の形をしているのですが……。こちらにも記録が残っていませんか?』


 ウンディーネが提示した精霊の名に、俺以外の全員が目を大きく見開く。俺はというと、納得顔で頷いている。


「確かに。アルファディオルなら空を飛べるし、基本的にはおとなしいしな。むしろ、言われるまで気づけなかった方が不思議だ」


 アルファディオル。水魔力によって構成された大鷲の精霊。高さは2.5メートル、羽を広げればゆうに7メートルを超す。

 そんなアルファディオルは別名『青い鳥』と呼ばれることがある。その由来は青い体と、召喚成功率の低さにある。

 記録には「おとなしく、人語も買いする理知的で温厚な精霊」と記されると同時に、「欲に敏感で、汚れた思想や邪な考えをもつ人間の前には姿を現さない」とも書かれている。

 それゆえ、滅多なことでもない限り、アルファディオルを目にすることは叶わない。

 ゆりたちが驚いているのはそこら辺の事情が関係しているのだろう。


「いや、いくらなんでもアルファディオルは無理なんじゃ……。最後に確認されたのが何百年前だと思っているんだい?」


 コルトは呆れながら聞いてくるが、俺は首を横に振って否定する。


「いいや、無理じゃない。現に俺は二年前に戦ったんだからな」


 今度は、口をあんぐりとあけて驚く一同。ウンディーネは口をあけてはいないが、呆然とはしている。


『何ですって!?』


「どうした? そんなにおかしいことか?」


 ウンディーネの反応の良さに、俺は眉を顰め、理由を問いただす。


『アルフォディオルが人を襲ったという事実があり得ないのです。あの子は欲深い人間を嫌うことはあっても、直接危害を加えることはめったにありません。あなたが何かしたということは……ありませんか?』


 返答次第では、今向けられている、服の突き刺さる圧力が殺気に変わることを否応なく理解させられる。

 その気迫にコルトが反射的に腰に差している剣に手をかける。ディングは完全に飲まれてしまい、動けていない。ゆり……ではなく、黒ゆりは俺の体にしなだれかけ体重を任せてくる。ゆりより鋭い視線が二倍増しでウンディーネを捉えて離さない。言外に、俺に手は出させないと言いたいのかもしれない。

 そして、殺気と紙一重の圧力をかけられている俺は、顔色一つ変えずに肩をすくめて見せる。


「まさか。召喚者を何人も操って禁呪を実行した結果、悪意に染まったアルフォディオルが近隣の町を壊しまわっていたから仕方なく、俺が倒したってだけだ」


『それでも、人の身でアルフォディオルを退けた時点で十分驚愕に値するのですが……、それなら良いのです』


 肩の力を抜いて安心した様に息を吐いたウンディーネに疑問を感じた。

 そこまで安心するような内容だったとは思えないのだが……。


「何が良かったんだ?」


『あなたを殺さなくても済むからです』


「そいつは随分と物騒なことで」


 俺は右腕でコルトを止めながら、左手で黒ゆりを抱き寄せるようにして拘束しながら言葉を返す。

 余裕そう返しているが、実際はコルト以上に何をするのかわからない黒ゆりの動向を制御するのにいっぱいいっぱいである。ので、余裕綽々なセリフとは正反対に、中々シュールな姿勢をしている。


『冗談で言っているのではありません』


 俺も冗談でこんなふざけた格好をしていないのだが、まるで責めるような視線を感じるのは気のせいだろうか?


『あなたを殺すと、あの少女が悲しんでしまうからです』


 傲慢な態度だが、ゆりに対して優しいウンディーネに、俺は内心で嬉しく感じていた。たとえ俺がどう見られても構わないが、ゆりだけは違う。

 これから先、俺がどれだけゆりのそばに居られるのか? 

 多少のことであれば起きた後でも対処できる。この前のイラプドの件が、まさにそうだ。だが、俺がいないときに大事が起きてしまった時、黒ゆりやウンディーネの存在は心強い。

 対処できる力を持つウンディーネの好意を集めるのは、こちらとしても都合が良い。

 等々、打算的なことばかり並べているが、ゆりが好かれているということ自体も、嬉しいことは隠しようがない。


『……変な人間ですね。殺害予告をされて笑うなど』


 どうやら顔に出ていたらしく、微笑む俺を見て不快そうに眉を寄せ、距離を取る。


「否定はしないさ。……自分でも、化け物だと思うしな」


 後半の呟きは、体を寄せている黒ゆりにも聞き取れないほど小さなものになった。


「そろそろ私は帰らせてもらうとしましょう。さぁ、少女ゆりよ。契約の儀を」


 長時間姿を現していたせいか、最初の頃のような量の魔力はなくなってきている。それでもまだ上級魔法使いよりも多いのだから、精霊という存在は侮れない。

 黒ゆりはゆりに体を返し、表に戻ってきたゆりはウンディーネの正面に立って首を横に振る。


「私は、契約なんて望みません。私はただ、ウンディーネさんとお友達になれればそれだけで良いんです」


 そういって、ウンディーネに微笑みかけるゆりの表情は、普段とは比べ物にならないほど大人びていて、ウンディーネですらゆりのまとう雰囲気に息を呑んだ。

 そして、一呼吸の後、


『ええ、喜んで。これからよき友としてよろしくお願いしますね、ゆり』


 片手をお互いに差し出し、固い握手を交わした。ゆりは照れたようにエヘヘ、ウンディーネは嬉しそうにふふふ、と笑いあう。

 これが、ゆりの初めての、異種間交友だった。


 ○ ● ●


「よう、調子はどうだい?」


「……お前か。お前に割り振られた仕事はどうした?」


「今は休憩中さ。元々そこまで仕事量が多いわけじゃなぇからな」


「そうか。ならば次の仕事に備えるために英気を養っているといい」


「お~っと、ちょいと待ちな。確かに休ませてもらうが、その前に確認しとこうと思ってな」


「……何をだ?」


「別に悪いことを訊こうとしてるんじゃねぇから、その殺気を収めてくれよ。俺が確かめたいのは、今回の作戦はあれで良かったのかって話だよ」


「…………問題ない。くれぐれも、”尻尾を引かれるなよ”?」


「了解、了解。ま、いい結果を待っときな、右腕殿」


「ふん……。どうせ、貴様程度では、良い結果などたかが知れているよ」


『引かれる尻尾があるなら、切っちゃえば良いもんね。クスクスクス……』


「そういうことだ。さて、我々も仕事に戻るぞ」


『ウンッ!』


 ● ○ ○


「……癒されましたね」


「本当ですよねぇ……、すっごくモフモフしてたし」


「してたね。モフモフでサラサラで」


「……、いや、気を抜きすぎだろお前ら」


 登場が派手だった割に、帰る時には透明になりながら消えていったウンディーネを見送った後、アルフォディオルを召喚したのだが……。


「だって、あんな可愛い精霊さんだとは思わなかったんだもん」


 緩みきった顔で紅茶を飲むゆりは、エヘヘともうだるんだるんに緩みすぎて、とても人様には見せられない表情をしている。


「まぁ、否定はしないが……、せめてニコニコしてると思われる程度に顔を引き締めろ。相当だらしない顔してるぞ」


「ハッ!? ……このぐらい?」


 指摘されて初めて気づいたゆりはむにむにと柔らかそうな自らの頬を、両手で揉みこんで整える。


「あぁ、そのぐらいだ」


 それぐらいならご機嫌な幼女に見えるぞ、という言葉が続きそうだったが、ギリギリで飲み込む。

 口を開いてすぐ閉じた俺の様子にゆりは長く艶やかな黒髪をサラサラと肩から流しながら首をかしげる。どうやらばれてはいないようだ。

 普段はこういうことに鈍い癖に、妙なところで鋭くて困る。主に、女関係とか裏関係とか。


「カキスは二回目なんだよね?」


「まぁな。と言っても、あの時は真っ黒で禍々しい魔力に覆われていたせいで、癒されることなんてできなかったけどな。


 いつも通りしているコルトはどこまで本当に癒されたのか、判断が使ない。


「へぇ~、強かったかい?」


「……まぁまぁだな」


 バトルジャンキーに片足を突っ込みかけているコルトは、どうやらそこが気になるらしい。

 俺はその問いに、当時のことを思い出すが、能力覚醒後だったため、そこまで苦戦した記憶はない。

 俺の答えに納得し様子で頷いたコルトは、立ち上がって大きな伸びをする。特に何も言わないということは、今は興味がないということか。

 コルトが立ち上がったのを見たディングは俺のほうに顔を向けてきた。


「どうするんだ? もう帰るのか?」


「今日はこんなもので良いだろ。ゆりが続けたいって言うなら……、ゆり?」


 今日はもう切り上げてピースに帰るのか、ゆりに視線を向ける。しかし、ゆりは胸元を抑えてうずくまっていた。

 俺はすぐさま駆け寄ると、ゆりの頭を抱きかかえ顔色をうかがう。顔色自体は悪くないが、発汗が激しい。


「黒ゆり、出てこれるか?」


 苦しそうに呻き身をよじるゆりの体を支えながら、黒ゆりを呼ぶが反応がない。

 ゆりが苦しんでいる理由を、内側にいる黒ゆりならわかると思ったが、声が届いていないのか、はたまた返す余裕がないのか、少し待っても出てくる様子はない。


「お嬢様!?」


「水谷さんはどうしたんだい?」


 ディングとコルトも以上に気づき、ゆりの顔を覗き込む。


「わからん。急に苦しみだした。黒ゆりを呼んでも反応がない」


 早口で状況を説明するが、急すぎる変化に説明らしい説明もできなかった。


(黒ゆりを巻き込んで何かが起きたのか? それとも、何かの病気……? まさか、”あいつら”がすでに……!?)


 ゆりをゆっくりと地面におろしながら、思考はひたすら原因を探っている。その速度はとどまることを知らず、加速していき、ありえない予想まで打ち立て始める。

 そんな時、


「……げて……」


 俺の腕の中でゆりが、何かを呟いた。聞き取れなかった俺は、二人に静かにするようにアイコンタクトを送り、ゆりの口元に顔を寄せる。


「に、……げて、ぇ……!」


「カキス、右っ!!」


 かすれた声で呟いた内容は、警告だった。


 バヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂィッッ!!


 コルトの叫びを鼓膜が受け取り、脳がそれもまた警告だと理解した瞬間には、俺はすでに右から襲いかかる雷の奔流に飲み込まれた後だった。


 ○ ○ ○


「カキス!?」


「ディング、よそ見をしない!」


 ディングは反射的にカキスが飛ばされていった方に体を向けたが、その隙を狙って第二射が放たれる。

 バヂヂヂヂヂヂヂヂィッッ!!

 とっさに、コルトが風を操り、ディングの体を無理やり射線上から吹き飛ばす。

 言葉通り、間一髪で逃れたディングは、自分を吹き飛ばした風の勢いに逆らわず、何度も転がってから立ち上がる。


「すまなかった!」


「そのまま下がっているんだ!」


 コルトはディングの礼に指示で答え、自分にも放たれた雷の奔流を前方に飛んで避ける。


「荒れ狂え暴風『ゲイルブロウ』!」


 短縮詠唱により、本来は二秒近くかかる詠唱を一秒弱まで縮められた魔法は、前方十メートルを暴風でもって薙ぎ払う。

 相手を逃さない範囲攻撃。だが手ごたえはなく、反撃のつもりだったが牽制程度の意味しか持たなかったようだ。


『中々やるようだな、人間』


「……精霊に褒められるなんて光栄すぎて、緊張してきたよ」


 そういって、後ろを振り向いたコルトの視線の先には長身の男が立っていた。

 その男はフード付きのローブを深くかぶり、バチバチとあふれる高密度の魔力を全身から発している。フードの奥からのぞけるのは琥珀の瞳だけで、それ以外の口だとか鼻だとかの顔面にあるべきパーツが存在しない。

 肌を突き刺す魔力の多さに、否応なく冷や汗が伝うコルト。ディングも、ぴくりとも動けずに固まっている。


(上位精霊……勝つのは難しいかな?)


 中級精霊のアルフォディオルでさえ、あのカキスに「まぁまぁ」と言わしめたのだ。それが上級精霊となれば、勝つ見込みなど三割ほどしかないだろう。


(今はただ時間を稼ぐしかないか……)


ちらりと、精霊の後ろに視線を向ければ、師と仰ぐ少年が倒れているのが辛うじて見える。

 動かないせいで、意識を失っているのかどうかすらもわからない。ただ、カキスがあの程度の攻撃を、いくら不意打ちとはいえ、完全に致命傷を受けるようなミスをするわけがない。少なくとも、意識がないという可能性はゼロだろう。

 となれば、何か狙いがある。それがなんであるかわからないが、自分にできるのはカキスが復帰するまでの時間稼ぎ。

 コルトは思考をそう結論付けると、不意打ち気味に魔法を放つ。


「風よ!」


 詠唱を必要としない初級魔法は、相対する精霊の足元、人工芝にあたると、弾けて風を巻き起こす。少し離れた地点から見ると、しょぼく見えるが、実際には向けられた本人は風がある間、視界を著しく阻害される。

 目くらませのために放ったが、逆に電圧の高い雷魔力を飛ばし返された。


(受けるのは不味いか!)


 大きな石のような大きさの雷球の下をスライディングで潜り抜け、潜り抜けると同時に勢いを殺さず跳躍し、右手に持つ木刀を上段から思い切り振りおろす。

 ガキィンっ!


『その程度の攻撃、我に届くとでも?』


「わかっていたさ。確認のためだよ」


 無表情ながら声に余裕を含ませて障壁の名からあざ笑うように告げる精霊。

 コルトは最初から障壁に防がれると知っていたらしく、特に気にした様子も見せずにもう一振り。

 ガキッッ、ズガガガガガガガガガッッ!!

 やはり結果は変わらず木刀は障壁にはじかれてしまう。が、今回はドリルで岩を削るような音がした。それも、数秒以上続いている」

 その正体は魔術。木剣に魔力を流し込み、障壁とぶつかった瞬間にその魔力で魔術を発動させたのだ。

 発動させた魔術は『吹き抜ける風』という一般的な対障壁用魔術の風属性版だ。何十、何百もの薄い魔力の層を作り、コンマ一秒差程度で次々とぶつけていく。

 一層自体は初級魔法以下の威力しかなく単発で当てても効果はないが、一点集中で障壁を張り直す暇を与えない連続攻撃となり、まるでドリルのように穴を空ける魔術だ。また、消費魔力量も大きな魔法を放つより少ない。

 コルトは魔術型で幾度もこの魔術を発動してきた。向きも角度も、層の数も適切だった。これ以上層の数を多くしても魔力の無駄になる範囲を見極め、それを一切のずれなく同じ向きに、なおかつもっとも衝撃を与えられる角度で打ち込み続けた。さらに、属性関係も、雷属性の精霊より風属性のコルトの方に利がある。

 ガガガガガガッ!! ガガッ、ガガガガ……。

 ……にも関わらず、精霊を覆う透明な壁を突き破ることは叶わなかった。


「無理、か……まいったなぁ」


 表情も変えずたたずむ精霊の姿を見て、コルトは肩の力を抜いてぼやく。


『良い準備運動になったぞ、人間。これで心置きなくこの地を荒らせよう』


 体の調子を確かめるように腕を振るう精霊は、確かに最初に現れた時より魔力が安定している。

 それを見たディングは、思わず精霊に噛みつく。


「ま、待ってくれ!? 貴方はゆりお嬢様の能力で呼び出されたのではないのか!? それなのに……!?」


『呼び出される? 我が? 我は自らこの地に降り立った。その幼子の力など知らぬ』


 ディングは正しく状況を理解していない。ゆりの能力が関係することこそが今の状況を作っていることを。

 ゆりの能力には強制力がない。ウンディーネの言っていた通り、ゆりの能力は従来の召喚術とは大きく違い、契約を結ぶために呼び寄せ、交わす能力ではない。

 ゆりの能力はあくまでも精霊達を現世に呼び寄せるための扉と道を作るだけで、そこを通ろうとするかどうかも精霊次第。また、実際に現世に舞い降りた精霊達が、自由に動けないようにする楔は存在しない。

 だからこそ、今の、精霊が術者であるゆりの意思に関係なく大立ち周りをする状況が生まれているのだ。

 だが、そんなことを知る由もないディングには、精霊の行動は理解できない。できるものではない。


『……だが』


 詠唱に入ろうとしているコルトを牽制しながら初めてゆりに視線を向ける。


「はぁ!」


 コルトは詠唱を諦め、風の力を操り高く飛び上がると、もう一度『吹き抜ける風』を未だ健在の障壁へたたきつける。

 障壁の削られる音に紛れ精霊は小さく呟く。


『その幼子の力は無視できるものではなさそうだな』


 精霊はコルトを見ようともせず、顔にまとわりつくうっとうしい虫を払うように手を振るうと、振るった範囲に赤くスパークした迅雷が広がる。

 バヂヂヂヂヂヂヂヂィィィンッ!!


「ぐあぁぁっ!?」


 宙にいたコルトは避けられず、受け身をとることすらままならないまま、地面に堕ちる。ドサっと音を立てて地面とぶつかったコルトは、しびれて動けない自分の体に歯噛みし、それでも視線だけは精霊から離さないでいた。

 戦意はある。だが、それに応えてくれるはずの体は動かない。


「コルト!? くっ……!」


 ディングは精霊とゆりの間に立ち、その身を盾にする。

 カキスを一撃で沈め、コルトを先頭不能にさせた相手。

 正面に立っただけで手と足の震えが止まらない。心臓が激しく鼓動を打つ。なのに、体は芯まで冷え切り、冷や汗が止まらない。

 前にカキスに殺気を向けられた時と同じ、いやそれ以上の恐怖を感じ、思わず一歩下がりかけたが、後ろには自分が守るべき小さな主が横たわっている。

 まだ苦しそうに整った眉を歪め、荒い息を吐いている。

 それを見て、決然とした表情で前を、己の主を苦しめた敵を今度こそ、正面から捉え、向き合う。


(何故仲間を思う心があるというのに……!)


 勇ましく仲間をかばう人間に、精霊はいら立ちを覚えた。

 精霊は人間を憎んでいる。友を呼び、縛り付け、用が終わればゴミのように捨てた人間どもを。

 そのくせ、自分たちがやったことを仕返せば、こちらを悪者扱いして抵抗する。

 どこまでも自分勝手な人間に、友の仇を討つ。その第一歩のために、目の前の邪魔な人間を黒焦げにすべく、魔力と殺意を向けた。

 ディングとゆりにとっては一撃でその儚い命を刈り取る魔力と殺意を、”向けてしまった”


『……あ?』


 先ほどディングに浴びせかけたのと同じように、腕を振るおうと上げようとしたが、上がらない。

 疑問に思った精霊が視線を己の体に下げる。そして理解した。

 上がるはずがなかった。何故なら、上げようと思っていた片腕が”肩ごと”消え失せていたのだから。

 痛みは感じない。傷口から血の代わりに魔力が噴き出すのを感じる程度。それよりも今は、もっと大きなものを感じる。


『まさか……』


 精霊が後ろを振り返る。その視線の先にはコルトではなく、最初に飛ばした人間が倒れているはずの場所だった。

 赤黒い血だまりは確かにそこに広がっていた。だが、小さい。出血量が極めて少ない。そして、その水たまりを作った張本人の姿もまた、なかった。


「ゆりに……殺意を向けたことを後悔するんだな」


 その声はどこから響いたのだろうか。

 その答えをすぐに悟った。

 その声は、すぐ後ろからだった。


 ○ ○ ○


 俺は一目で精霊が障壁を張っていることを見破ると同時に、損傷が激しい個所を発見する。おそらくコルト辺りが対障壁用魔術をぶつけたのだろう。

 まずは一発。

 ガァァンッ!

 単なる上段右回し蹴りにしては派手な音が響く。

 二発目。

 振りぬいた足の勢いを殺さず、そのまま両足を地面から浮かせ左の裏拳。

 ギシィッ!

 障壁のきしむ音を確認するより前に三発目。

 パリィィンッ!

 振りかぶった右腕に魔力を集中させ、損傷が激しい一点を狙って打ち抜く。

 すると、想定していたよりもあっさりと、障壁は甲高い音とともに割れた。


『何っ!?』


 精霊がこちらの存在に気づいて振り返るまでの一瞬で目には見えず、それでいて強固な鎧は消失した。

 そのことに驚いた精霊は、大きな隙を見せた。


「流連流鏡華水月の型、其の一『影身えいしん』」


 障壁を割った衝撃で大きく開いた距離を詰めるべく、残像を伴う高速の移動で精霊の懐に肉薄する。

 精霊は残った腕を自分の足元に向け、自分を中心とした雷の渦を生成する。が、俺はお構いなしに精霊に体を密着させる。


『馬鹿が!』


 精霊が罵り、雷の渦は俺へと枝を伸ばそうとする。

 姿勢を低く、地面を這うぐらいに低くし、精霊の両足に手をかけ一気に持ち上げた。

 無様にしりをつくようなことはせず、片腕で手を突き、俺のがら空きの腹部に両足でのけりを放ってくる。それが誘われているとも気づかず。


「流連流駈翔蠣羽くしょうれいはの型、其の一『爆蠣ばくれい』」


 蹴りを腕でいなし、今度は逆に精霊の腹部ががら空きとなる。脇にいなしたことにより、すぐ横にはそのがら空きの腹がある。

 そこへ、上から中級魔法と同等の魔力を集めたこぶしを叩き付け、魔力を爆発させる。

 ド、バッッァンッッ!!


『ガハッ……!?』


 これが人間であれば、さっきの一撃で内臓器官のほぼ全てをやられているが、魔力で構成されている精霊に容赦する必要性はない。

 上からの衝撃で地面を跳ね、正面に浮いた精霊に……。


『『ブラストマリン』!』


 突然、俺の周囲に泡のようなものが出現した。魔法名を聞き取った俺は、精霊への追撃を止め、冷静に後ろへ下がりながら身をかがめる。


『『アクア・イレイザー』!』


 頭上を通る水のレーザー。もしかがめていなければ頭部破裂、良くて昏倒だろう。


「……どういうつもりだ、ウンディーネ」


「ウンディーネさんだけじゃないよ、カキス君」


 横を見れば、小さな少女が両手を広げて立っていた。

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