第六話 「一つの決着と一つの問題」
アルターとシェリルは双子だ。そこそこ似てはいるものの、性別の壁を越すほど似ているわけではない。
二人はトラクテルの家で生まれた。トラクテルは高名な魔法使いを何人も輩出している。能力と違い、魔法術――魔法と魔術の両方を示すときをそう言う。魔法術は遺伝が関係することが多い。なので、二人もまた魔法術の才能をもっている。
トラクテル家の名に恥じぬ魔法使いとして研鑽を積み、これまでにささやかではあるものの、いくつかの功績を二人は持っている。
今も二人は魔法術の修業を継続している。調子に乗らず、驕らない。
とはいっても所詮十七才。驕りが全く無いはずがない。ほとんど無意識にプライドに近い自身を抱いていた。
アルターは熱血漢であり、自分でもそれを自覚している。なので、意識して自分を落ち着かせているが、シェリルは違った。
遠慮をする必要など無い。自分とアルターは十分に強い。それはもちろん今までに勝てない相手もいたが、それでもすぐに勝てるだろうと思っている。シェリルも熱血な一面があり、それと自信が合わさって気が強くなっている。
アルターはそんな妹に気がついていた。気がついていたが、あえて指摘しなかった。別に妹に甘いわけではない。自分が言うより、誰かに一度キツイお灸を据えた方が良いと考えたからだ。
そして今、その誰かに相応しい相手が、高く掲げた腕をゆっくりと降ろし、こちらを見ている。
そして、フッと姿が揺らいだかと思えば、仲間であるディングの隣に瞬間移動でもしたかのように立っていた。
瞬間移動してきた同い年の少年、カキス。
彼とはちょっとしたことで出会った以来、良く話すようになり友となった男だ。
とても大人びた少年で、悟りを開いたような、悪い言い方をすれば全てに対して諦観しているような少年だ。普段はぼぅっとしたような眼差しだが、真剣な時は途端に冷たい目になる。長い間その瞳を除いていると、背筋がゾワゾワする。
無属性で魔法が使えないのに、護衛としての役割を与えられているほど、体術や剣術の腕前が優れている。本人は知らない噂では、あのコルトという天才少年を軽々と越える剣術を持っていると言われている。
そんな相手が、妹のシェリルと勝負をする。
都合が良い。アルターは妹から勝負をすると聞かされたときそう思った。噂どおりなのかは分からないが、カキスの実力はおそらく相当のもの。ちょうどいい相手となるはず、そう思っていた。そう、”思っていた”。
「……ちょうど良い、なんてレベルじゃない……」
○ ○ ○
(さて、この後はどう攻めたもんか……)
開始直後の肌をピリピリと刺していた緊張感は無く、トラクテル兄弟は俺に気圧されているようだ。
盛大な啖呵を切ったものの、あまり手の内を見せるわけにはいかない。どこに目や耳があるかもわからない状況、できるだけ爪を隠した方が良い。
能力はそもそも当日もよほどのことがない限り使用するつもりはない。魔力も身体強化程度。となれば流技しかないのだが……、
(それもまた、重要な手の内だからな……)
心の中で、はぁ……と自分の八方ふさがり具合に嫌気がさす。
「……なぁ」
とりあえず、この状況をなんとかしようと、双子に声をかける。と、若干口を半開きにしていた二人は、まったく同時に身構え、魔力を滾らせる。立ち直るのは遅かった割に、戦闘態勢を整えるのが早いのは、俺に恨みでもあるのだろうか?
「あんなことされれば誰だって警戒するだろう」
ディングは俺の心を読んだのかのように言う。
「素手で魔法をあんな風に粉々にできるはずがないわ!? あなた、能力を使ったんじゃないでしょうね!!」
シェリルはルール違反だと言及するが、俺は両手を挙げて手には何も持っていないことを示す。
「俺は能力なんか使ってねえよ。あの程度の魔法、防ぐ方法なんていくらでもあるだろ」
中級の中で上位の魔法といっても、所詮は中級魔法。直撃を避けるなど容易い。……一歩間違えれば死んでいた可能性もあるが。
「……くっ!!」
そのことは中級魔法を使える魔法使いにはそれに対する対処方法も多く知られているので、シェリルは悔しそうに歯噛みする。まぁ、俺の方法は出回っていないだろうが。
「それで、お前はいつまで両手を挙げたままでいるつもりだ?」
アルターは悪い空気を払しょくするために話題の矛先を変える。
「そうだな……、俺たちの負けを認めてもらえるまでかな?」
「「「はぁ~!?」」」
味方であるディングにも、こいつ何言ってんだ? という視線を向けられる。
「ディングはどうか知らないが、俺はもともとお前ら二人の実力がわかれば勝っても負けても良かったんだよ。まぁ、ゆりを泣かせたからってのもあったけどな」
「な、何の為に?」
「何の為にって言われてもなぁ……」
アルターの問いに、俺はボリボリと頭をかく。
「さっき言った通り、ゆりを恐がらせた腹いせだよ。同時に二人の実力が実戦形式でわかるチャンスだったから、ぐらいだな。でなきゃ、こんな面倒なことをするような奴じゃねぇよ、俺は」
そういいながら両手を下げる。グナイとゆりがこっちに向かってくるので必要がなくなったからだ。
俺は一つ大きな伸びをすると、双子にひらひらと手を振りながら背を向ける。
「ふ……」
ディングのところまで戻り、おつかれと一声かける。ついでに木刀も返してもらう。ディングは少し呆然としながら木刀を俺に返す。
そんなディングに苦笑しながら、背中を押して歩かせようとしたその瞬間、
「ふざけないでよ!!」
横に一歩ずれ、背後から豪速で迫る炎弾を躱す。と、ボシュッ! という音と共にディングの服に引火する。
「あっっっっっつ!?」
俺は肩越しに炎弾を飛ばしてきた犯人、シェリルを睨む。
その視線の鋭さによるものなのか、それ以外のものなのか、一瞬だけたじろぐ。
ぐっと強く拳を握り心を震えたたせ、怒気を顕にして俺を睨み返してくる。
「何様のつもりなのよ、あんたは!!」
シェリルは叫びながら何発も炎弾を飛ばしてくるが、怒りにとらわれて狙いが荒いせいで後ろの悲鳴をあげる壁にしかあたっていない。
おれは 正面に飛んできたのだけは木刀で逸らす。木刀が燃えないのは魔力で表面をコーティングしているからだ。
「何様のつもりと問われてもな……。敗者、と答えれば満足なのか? それとも卑怯者か? まぁ、どれだけお前が罵ろうと、俺には勝てないだろうがな。さっきの試合しかり」
「あんたは無属性だから手加減してあげたのよ!」
その反論に、俺は目を細める。
そして、右手を正面に掲げ、炎弾を一発もらう。
ボジュウッ!
初級魔法レベルで当たっても服に引火する程度でしかなかったそれは、蒸発するような音を立てて俺の腕を焼き焦がす。一瞬で炎を形成し、二の腕まで燃え移ろうとするが、さすがにそれは腕を振って消化する。
人肉の焼ける臭いは俺の鼻孔を刺激し、その臭気に眉を寄せる。
脳が痛覚信号を受け取る前に、痛覚を遮断して痛みをなくす。
「どうやら知らなかったみたいだから教えてやるが、無属性にとって属性魔法ってのは初級魔法でもこうなる。初級魔法でもこれなんだ。もし、あの魔法を食らえば、どうなっていたと思う?」
俺はそういいながら、シェリルに見せつけるように焼き焦げた右腕を突き出す。その腕は所々炭化してしまっており、そうでない部分はほとんど火傷を負って皮膚が酷いことになっている。
本当にシェリルは理解していたのだろうか? こうなるということが。
「カキス君!? 腕、どうしたの!?」
怯えたように俺の腕を見ようとしないシェリルに、内心で、
(面倒な女……)
どうあっても自分の認めた現実以外を受け入れない人種らしい。
そんな分析をしていると、ゆりが俺の腕を見て悲痛な声を上げる。
「魔力使用ありの勝負なんだから、これぐらいの傷を負ったりするのは普通だろ」
本当のことを言うと面倒なので、俺は適当に嘘を吐く。
「嘘っ! さっき自分から当たりに行ったの見てたよ!? どうしてあんなこと……?」
仕方なく、さっきのことを短く説明する。と、それを聞き終えたゆりはキッ! とシェリルを睨む。
「手加減してたなんて嘘です! もしそれが本当なら中級魔法なんて使う必要なんてなかったはずです!」
ゆりは珍しく叫ぶような大声を出す。それだけ、シェリルの言い分に対して怒りを抱いたのだろう。
「わ、私にとってはあれでも手加減の内よ。だ、大体、あんたが無属性だって知ってたらやらなかったわよ!」
シェリルは誤魔化すように肩にかかっている髪を払って、烈火の如く怒るゆりをあしらう。もちろん、火に油を注ぐ行為で、ゆりの怒りの火を炎にまで燃え上がらせるには充分だった。
「初級魔法でこれだけの怪我をするのに、もしあれが当たってたら大けがは確実だったんですよ!」
「別に即死するわけでもないんだから俺は気にしないぞ?」
「そういう問題じゃないよぅ! すごく、すごく心配したんだよぅ……!」
ゆりは俺に向き直ると、ポカポカと腹をたたきながら鼻をこすりつけてくる。ギューっと細い腕のどこにそんな力があるのかと思うほど強く抱きしめられる。
その様子が、親と再会した迷子の子どものようで、兄から父にグレードアップしたような気分だ。
とか考えていたらゆりが腕に魔力を集めだす。今は集めているだけだが、これを放出されたら……、
「今、失礼なこと考えたぁ……!」
(エスパーかお前は!?)
俺は、さっきの中級魔法よりも身近に迫る命の危機に冷や汗が止まらない。
「どっちにしたって私にもダメージを与えられないんだから、私が強いことに変わりないわ。だって無属性だし」
「シェリル!」
ずっと苦い表情で口を挟まずにいたアルターは、シェリルの発言に強い反応を示す。
シェリルの発言は属性差別で、アルターはそのことを注意したのだ。
だが、一度調子に乗ったシェリルは止まらない。
「だってそうでしょ?特異科だか何だか知らないけど、魔法も使えない一般人が私に勝てるはずがないもの」
そう言って、すがるような視線をアルターに向けるが、アルターは首を横に振る。
「シェリル、カキスはわざと攻撃しなかったんだ。ほとんどディングのサポートしかしていなかっただろう?」
アルターは優しく教え聞かせるように言うが、聞き分けの悪い子どもはいっこうに認めない。
「それは私とアルターの魔法で近づく暇がなかったからよ! 私は絶対に認めない!!」
キッ! と涙に濡れた強気な瞳は断固たる意志を感じる。
(あ~あ。これはライバル認定されてしまったな)
これからは事あるごとに突っかかってくるだろう。とんでもなく面倒なことになってしまった。
俺はまたゆりが何か言う前に後ろから抱きすくめて抑えながら溜息を一つ。
面倒事には極力関わらないのが大事だ。とはいえ、何も言い返さず逃げるのもゆりの不満が悪い方向で爆発しかねないな、と思い、思っていたことを一気に言い切ることにした。
「もし、お前らの魔法が激しくて近づけなかったとしても、俺には無傷でやり過ごす手段がある。先に魔力切れを起こして負けるのはそっちの方だろうな。……それと」
一度言葉を切り、シェリル達の方を顔だけ向けて息を吸う。
「魔法を使ってもいいなら、”遠慮なく使わせてもらうが?”」
ピシッ、ピシピシ、ビキッ!
「……!!?」
俺がいつもは抑えている最大魔力量の十分の一を解放すると、周辺の床や壁に亀裂が走る。
トラクテル兄妹はガチガチと歯を打ち鳴らし、グナイは額に脂汗を浮かべながら小型の杖を構える。
ゆりは慌てたように俺の腕を引っ張ってふるふると首を横に振っている。
「……なんて、冗談だ」
ゆりの意思を尊重し、このぐらいでやめておく。本当は少しだけ見せてやろうかとも思ったが、ゆりに止められた。魔力を制御してゆりに影響がないようにしていたのだが、それでもまずいと思ったらしい。
俺が魔力を収め、顔を戻す。
「教室に戻るぞ」
キーンコーンカーンコーン……。
授業終了を告げる鐘が鳴り響き、先ほどまでの張りつめていた空気が霧散する。
俺はいまだに腰にしがみついている小さな身体を抱きかかえると、訓練場を後にする。
(これで少しは負けを認めてくれるといいんだが……)
自分で歩くから降ろしてよぅ!? と頬を赤らめるゆりを降ろしながら今回のことを振り返る。
まずはアルター。アルターの魔力量はおそらくシェリルより少ない。熱血だと思ったが、意外と冷静な部分も多いようだ。魔力操作はそこそこできるようで、バランス的にはシェリルよりも強いといえる。
ただ、大きな魔法を放たない。今回は見せ場をシェリルに譲った可能性もあるが、単に苦手なだけの気がする。
次はシェリル。シェリルはパワーでごり押しが大好きなのか、大きい魔法ばかりだった。
性格も難ありで、正直に言ってあれでは今はそこまで大きくないアルターとの差が広がる一方だろう。勝ちを誇るだけで負けを受け入れないままでは。
「ねぇ、カキス君」
「ん? どうした?」
立ち止まって俺を見上げる少女につられ、足を止める。
「どうしてあんな風に嫌な人を演じてたの?」
見上げる瞳にはすべてを見透かし、その理由を話せと言外に示している。実際、ゆりの言う通りで、あまり好かれないような態度を意図的にとっていた。
すんだ紺碧色の瞳に反射して映る、自らの暗く濁った黒玉に吐き気を感じる。
のど奥を焦がす液体を無理やり嚥下してから応える。
「演じてなんかいないさ。もしそう感じるとしたら六年の年月で変わったんだろう」
ゆりから顔を背けたのは嘘を吐いたことの罪悪感ではなく、自分の瞳を見たくなかったからだ。
だが、それを許してはくれない。
「ウソ。絶対にウソ。確かにカキス君はこの六年間で変わったと思うよ? でも、不器用な優しさまでは変わってなかった。ううん、もっと不器用になってる」
ゆりは、小さな身体を伸ばして俺の顔を掴み、正面を向かせる。傍から見れば、今にもキスしそうな体勢と距離。
俺の動機は収まる気配を見せず、激しくなる一方だが、それに対して、体温は急激に下がってゆく。
(違う、そう感じているだけだ。錯覚だ)
頭で解っていても心は分かっていない。
右腕が切り落とされたわけでも、左の脇腹を抉られたわけでも、複数の臓器を同時に潰されたわけでもない。なのに、血の気が引く感覚はなくならない。それどころか、より鮮明になっていく。
「離、して、くれ……」
俺は呻くような息を漏らしながら懇願する。
しかし、俺の顔を挟んでいる少女の力は断固たる意志によって緩まることがない。
また食堂からこみ上げてくる酸液。胃の中にあるものだけでなく正気まで溶かされていく。
「もし、あんなことが続いたら後戻りできなくなっちゃうよ?」
反射して俺が、俺のどす黒く濁った瞳が映って見えるだけじゃない。この吐き気はほかのことも要因している。
ゆりの瞳に俺が映ることでゆりを穢してしまっている気がしてしまう。なまじ俺の心の深いところまで覗けてしまえる分、内側から侵食してしまうような……。
「ねぇ、カキ……!?」
パンッ!
「あ……」
気が付いたら、俺は、ゆりの手を払っていた。
今まで絶対に有り得なかった、ゆりへの拒絶。
自分のしたことの過ちに気付いた俺は背けた顔を戻そうとして、止めた。
ポタ、ポタタ……。
俺の靴の上に数滴、水が落ちた。それは、誰よりも俺のことを想ってくれる少女の、俺が流させてしまった涙だった。
今、顔を上げればポロポロと真珠のような涙を流しているだろう。放心状態で、俺に手を払われた体勢から一ミリも動かずに。
できることなら、今すぐにでもその涙を止めたい。けれど、俺にはその資格がない。
「……もう、後戻りできるところにいないんだよ」
俺は、その場から逃げるように去ることしかできなかった。
「カキス、君……………………」
○ ● ●
「テリス様。アルテミスが登城したとのことです」
「ありがとう、アリー」
王城のとある執務室。荘厳なドレスを着こんだ十代後半の少女は、傍らに立っている全身黒色のドレスの女性を向く。
アリーと呼ばれた女性の腰には漆黒の鞭を携えている。見るだけで特別な一品だとわかるほど力が溢れている。
「今は第五王女のもとにいるようです」
凛々しい顔つきで、長い金髪。よく高圧的なエリート意識の高い女性と勘違いされるが、そうでもない。
物腰が低く、丁寧な口調で少し話をすれば、穏やかでしっかり者の女性という印象を抱くだろう。まぁ、一番に皆が衝撃を受けるのは、少女の様に柔らかく高い声だが。
「あのロリコンめぇ~……!」
「テリス様、一国の王女がそのような言葉を使うのはお辞め下さい」
「私とあなたしかいなんだから良いじゃない」
少女はぶつくさと文句を言いながら、手早く机の上にある書類を片付けていく。
「ふつう、真っ先に私の所に来るべきじゃないかしら?」
「彼の行動を縛らないという条件の一つを飲んだのはテリス様です。私としては、彼のような人には、姫様と関わってほしくないのですが……」
「それは無理ね。彼は確実にこの国に必要な存在よ。それはあなたもよく理解しているでしょう?」
少女は執務室の扉に手をかけながら、得意げな表情でアリーを振り返る。アリーは少しばかり困ったように眉を顰めながら同意する。
「はい。幸い、彼の力の矛先が私たちと同じ方向を向いています。そして、テリス様はその暴れ牛の手綱を握られていらっしゃいます」
二人はコツコツとヒールを鳴らしながら広い廊下を歩く。
「彼には手綱なんて存在しないわ。あるのは、龍の逆鱗だけ。もしあったら私は今頃悠々と玉座に座っていることでしょうね」
テリスは何がそんなに嬉しいのか笑顔を浮かべ、側近兼秘書のアリーは疲れた表情をする。
二人は脳内でよぎった思いが一致する。
(弱味でもあればなぁ……)
二人は同時に溜息を吐くと、お互いに顔を見合わせて小さく笑い、すぐに顔を引き締める。
目前には巨大な扉、謁見の間にたどり着く。
左右の門番は敬礼し、扉を開く。その動作に迷いはなく、しっかり躾けられているのがわかる。
開かれた謁見のまではすでに四人の男女が立ち並んでいる。玉座を見やると、まだ王は来ていないようだ。
「遅いぞ、テリス。お前以外は全員集まっているのだぞ」
二十代後半の男はテリスが入ってすぐに鋭い視線を向ける。
「すみません兄様。ところで、兄様達は今回の招集のことについえどこまでご存知ですか?」
テリスはその視線をきにもせず切り返す。一応、達をつけたのは、兄お一対一で会話をすると面倒だからだ。
「その口振りだと、知っているようだな」
「なんていやらしい子。兄妹である私達に隠し事だなんて!」
「何も知らないし、どうせすぐにわかるんでしょう?」
「兄妹であっても隠し事なんていくらでもあるでしょう? 例えば男性関係とか。ねぇリリエル姉さん?」
一瞬でギスギスした腹の探り合いに舵を取る兄妹達に心底うんざりする。
「すまぬ、遅れた……と。またお前らは……」
遅れてやってきた王は、身内だけということもあり、玉座に着く前に嘆息する。
「そうやって仲違いをするから余は未だに玉座を退かぬのだ。現状でお前らの誰かにこの座を明け渡したとして、どうなるか……」
「ギヌアル王、今はそんな話をするために集まったわけではなはずでは? 早く本題へ」
長兄のジーディルは実父の言葉を遮ると、一歩前へ歩み出る。
まるで、自分が兄弟たちの代表だというような態度にテリスとアリー以外の兄弟が眉をひそめる。少なくともジーディル本人はそう思っていることだろう。
「国の行く末に関する話を『そんな話』と申すか……。まぁ、良い。それで本題であったな」
王はジーディルの催促に鋭い視線――ジーディルが最初テリスに向けた視線の似ているのは親子ゆえだろう――を向けるが、向けられた当人は何食わぬ顔で続きを待っている。
ギヌアル王は思わず親の顔が見たくなったが、鏡を見ればすぐだ。
「此度、お主等を集めたのはテリスの私兵を紹介するためだ」
王の威厳に満ち溢れる言葉にピンッと空気が張りつめる。
「知ってのとおり、テリスは私兵を有している。その中で、とある研究結果を余に譲ると申し、余はそれを受け入れることにした」
ギヌアル王の言葉に真っ先に反応したのは、やはりと言うべきか、ジーディルだった。
「譲る? 献上ではなく?」
「そうだ。譲るだ」
ジーディルが言っているのは、王に従っての行為ではなく身勝手な提案という意味なのか? という問いかけだ。
実際に身勝手どうかは別として、王は確かにそう提案された。
次に動いたのは二つ年下の長女、リリエルだった。
「なんて無礼な! 今すぐにでもその者を打ち首にしましょう!」
ヒステリーでも起こしているかのようだが、それは表向きだ。本当の目的はそれによってテリスの力低下させる目的がある。
わざわざ自分たちを集める必要があるほどの研究をした者だ。その者がいなくなればかなりの痛手になるはず。
その動きに乗ったのは双子のピエトとピエリだった。二人は間接的な手段ではなく、直接的な手段を提案した。
「普通、部下の不始末は上司の責任でしょう?」
「ですから、テリスが何かしらの罰を受けて、その人は没収。私達の所で受け取りましょう」
しかも、その力を自分たちの物にしようとする。
リリエルはそうはさせないとまた声をだそうとしたが兄に腕を掴まれ止められる。
「テリスよ。そなたは何か言うことはないか?」
「でしたら少しだけ」
全員の視線を一点に集め、さすがにプレッシャーを感じる。だが、瞳をそらすほどではない。
「まず、二姉様に。彼は正確には私の部下ではありません。協力者といったところでしょう。なので、彼の不始末は彼の責任ですので、私を罰することは無理だと思います」
二姉様というのは、ピエトとピエリのことを指している。
「次にリリエル姉様へ。彼を打ち首にしたいのでしたら、どうぞご自由に。まず彼を捕えられることすらできないでしょうが」
「何ですって?」
「アリー、説明を」
「はい。三年前、大きな戦があったのを覚えておいででしょうか?」
アリーは呼ばれるとすぐに前に躍り出て、臆することなく語り始める。
「ええ。覚えているわ。確か、敵国の進行を食い止めたのはあなた達パーヂコードだったと聞いています。それも、五千の軍勢をたった八人で三日も」
「実は、その話には一部虚偽が紛れています。というのも、五千の軍勢ではなく千の軍勢を、私達は相手取りました」
「千? そんな規模のではなかったはずでは?」
「私達パーヂコードはとある特務により他の大陸に渡っていました。私たちが戻ってきたのは最後の一日だけでした。ただ、一人を除いて」
「その一人が、五千の軍勢を二日間も同じ場所で食い止めながら四千も数を減らしたんです。先の大戦で私達が勝てたのは、彼がいたからでしょう」
テリスは自慢げになりそうな自分を必死に抑えつつ、事実を語る。
「そんな彼を、実力的にも、名声的にも、力がある彼を捕えられることができるでしょうか?」
少なくとも、王城には彼に敵うものはいない。もしかしたら、世界最強なのではないかともテリスは思っている。
「そして、彼の行った研究は……」
「無属性魔法の実用化だ」
バッ!?
テリスとアリー以外の全員が割り込んできた声の方を向く。
「いままで無属性真帆は存在しなかった。いや、その存在を証明できなかった」
向いたのは玉座、の後ろの壁。そこにもたれかかりながら少年が喋っていた。全身黒づくめで、顔には仮面をしており、少年なのか男なのか判別がつき難い。
「……確かに、さっきの話が本当でその研究が成功しているというなら大したものだ。だが、それで王に対する無礼が許されるとでも?」
「別に許してもらうつもりはない。どうせ、俺をひざまつかせることもできない奴らにな」
少年の挑発にジーディルは乗った。
ジーディルには従軍の経験がある。ジーディルは自分が王になることは当然であり、そのために多岐に渡る経験と努力が必要だと思っている。そういう経緯もあり、軍に関わっていた。
そして、先程の話が妹の口先だけの嘘だと解る。有り得ないのだ、一人で五千もの敵兵を相手するなど。数に飲まれ溺れるに決まっているはず。
(だが、どこまで本当かもわからん)
向こうが見え透いた挑発をしたのだ。痛い目を見る覚悟ぐらいはあるだろうと、ジーディルは少年の腹にもぐりこみ、後ろ回し蹴りを放つ。
「……」
少年は避ける素振りも見せず、仮面から除く瞳には何の感情も籠っていない。ただ、静かに状況を映している。
ジーディルはその瞳に不気味さを感じながらも、体重を乗せた渾身の回し蹴りを当てる。やはり、少年は避けることなく後ろ回し蹴りを胴体で受けた。
だが、手ごたえはなかった。それどころか、地についているはずの軸足の感覚がなくなった。
ダンッ!
「ぐっ……!?」
とっさに受け身をとったが、床が固いので肺から空気が押し出される。
「…………ふん」
少年は無様に転がるジーディルを一瞥し、鼻で嗤うと、わざとらしく靴音をコツコツと鳴らしながら玉座の正面に回る。
「……まさか、お主が直接顔を出すとは思わなかったぞ」
王は少年の機嫌を探るような声音で少年に話しかける。
「姫さんが顔を見せろと五月蠅いんでな。それに、今回は俺のお披露目会でもある。主役が登場しないわけにもいかないだろう?」
肩をすくめる少年に、テリスは半眼で少年を見る。
「悪かったわね、五月蠅くて」
「アルテミス、あなたには忠誠心は欠片もないんですか?」
「アリー、残念ながらそんなものは俺に必要がない」
「アルテミス……?」
先程、何が起こったのか見ていたピエリは少年の纏う魔力に呑まれていたが、一つの単語に反応する。双子の姉であるピエトは妹の言葉を続ける。
「アルテミスというのは女神のはずでは? 声から察してとても女性とは思えませんが」
それに答えたのは呼ばれている本人ではなく、名付けた本人だった。
「『パーヂコード』にはそれぞれ私が名付けたコードネームがあります。あぁ、一応、ちゃんと弓の名手でもありますよ」
テリスは自分のおもちゃを友達に見せびらかして自慢する子どもの様に語る。
少年は双子に背中を向けたまま振り返らない。自分のことに一切の興味を払わない様子に苛立ちを感じたが、唇を噛んでその屈辱に耐えた。
(あのタイプの人間は男女とか関係なく、自分を邪魔するものは例外なく排除するタイプ、……なんて面倒な男なのでしょう!)
双子は手を取り合い、震えそうになる足に力を入れて気丈に顔を上げた。
「……それで、例の件は大丈夫なんだろうな?」
どこまでも深い闇を湛えた少年の瞳が、仮面の隙間から王を射抜く。誤魔化しは許されない雰囲気を意図的に作り出せる少年に、この場が支配される。
「正直に言うと、あまり芳しくない。他国の王にも呼びかけているが、反応が悪いところを見ると、すでに染まっているか、それらしきモノがいないか」
少年と王のぼやかした会話に疑問を感じたのはテリスも例外ではなかった。
問いただそうと口を開きかけたが、止めた。余計な詮索はしないことになっている。
それを横目にちらりと視線をやったが、少年はすぐに王に視線を戻す。
「……もしかしたら、そもそもとしてこの大陸にはいないのかもしれん」
「だとしたら、どの大陸にいると申すのだ?」
「深入りしない方が良い。あんたはただ、連中を警戒しておけば良い。下手に関わって国民全員に影響が出て困るのはそちらの方だろう? これ以上の捜索は無理だろうから、切り上げてもらってもいいだろう」
二人は頷き合うと、少年は王との会話を終えてテリスの近くに戻る。
「さて、俺は用も済んだんで帰らせてもらうぞ」
王と話していた内容が気になりはしたが、テリスにはなんとなくわかった。なので、それに頷こうとしたのだが、姉のリリエルが邪魔をする。
「少しお待ちになって」
艶やかな声を出しながら少年の腕にしなだれかかる。
「この後少し、一緒に過ごしませんか? できれば明日の朝まで」
いつの間にか緩めていた胸元を見せつけるように、潤んだ瞳で少年を見上げる。
豊満な女の肉体という武器を存分に使うリリエル。普通であれば多少なりと靡いてもおかしくない妖艶さを持ち合わせているが、少年の瞳の冷たさに変化はない。
「リリエル姉様、止めた方が良いですよ。頭がおかしくなりますから」
テリスは少しも動揺した様子はなく、それどころか本気で姉を心配している。
「随分な良い様だな。俺は別にお前と一夜を過ごした覚えはないが?」
少年は腕からリリエルを引きはがしながら、不満にも思っていない不満をテリスにぶつける。
「拷問の様子は知っているから。それも、私を思って多少表現を軟らかめにしてくれた報告だったけど」
テリスはくるりとリリエルを見ると、自分が聞いた拷問の内容を教え聞かせてやった。
「三年前に、彼に女性の拷問を頼んだらすごい報告を聞かされたんですよ、姉様。彼特製の媚薬を飲まされて快感が十倍ぐらいなるのに、頭は妙にすっきりする効能らしいんですけど、それを飲ませて十時間ぐらいず~~~っと”弄っていた”らしいですよ? それはもうすごい内容でした。終わった後にその女性の様子を見に行ってみたら、穴という穴から汁を出しながら触れてもいないのにピクピクと震える女性の姿が……」
テリスは語りながらその状況を想像してみたのか、顔を赤らめるどころか青ざめて自分の腕を強く握る。
「そのうえ、彼曰く『俺は性欲を抑えることができるから、どれだけ誘われようと堕ちることはない』らしいですから……。たぶん、めちゃくちゃ気持ちよくしておきながら、お預け状態にされると思いますよ?」
「な……」
リリエルは今まで、男を誘惑し権力を手にしてきた。その絶技によって男を魅了し、うまく舵を取って自分が常に主導権を握ってきたが、この少年は快楽に溺れる側でなく、溺れさせる側。さすがに、”経験豊富な”リリエルでも拷問と同じことをされて正気を保っていられるかはわからない。
「散々に言ってくれるが、そういう風にしろと指示をしたのはお前のはずだろ?」
「私は多少もてなしてから教えてもらいなさいとはいったけど、廃人同様にしろとは言ってないわよ!?」
少年は悪びれた表情もせず、肩をすくめる。
少年がリリエルに視線を向けると、それだけでビクリッ! と過剰な反応をする。完全に恐怖してしまっているようだ。更に言えば、双子も手を取り合うどころか抱きしめあっている。この中で唯一、その現場を見てしまっていたアリーは何でもないような顔をしているが、足元は震えている。
「俺的には、その話を聞いた後に誘ってきたお前の方がびっくりだがな」
性欲を制御できるとはいえ、面倒なことには変わりないので、できるだけそういう誘いが来ないようにやりすぎなレベルで拷問した。だが、フィルターを平気で通過してきたテリスに呆れた目をする。
「だって、あなたが強いことには変わりないじゃない。一国レベルのあなたの遺伝子を望むのはおかしい話じゃないわ」
「だからと言って、親に強制されたわけでもないのに実行に移すお前の度胸に、恐怖すら感じるよ」
アルテミスはそう言うと、さっさと謁見の間を出て行ってしまう。それも、”扉を透けて”。
(まただ!?)
双子は先程も起こった光景を思い出す。ジーディルの蹴りは少年の身体に当たったが、実体がない影のように上半身と下半身が途切れてまた繋がったのだ。体を通って左手のすぐ横まで行くと手を跳ね上げて足をすくい上げた。
あの時、ジーディルが転倒したのはそのせいだったのだ。
「……彼は、本当に何者なんでしょう?」
双姉妹は部下と一緒に一礼をして去って行った妹を見送りながら小さく呟いた。
● ● ●
「それじゃあ、ようやく君は大手を振って魔法が使えるということだね。アルテミス」
「あぁ。予想通りの問題しかなかった」
学園の地下、とある部屋で一人の少年の一人の男が同じ光景を見ながら会話している。
「それにしたって、別に顔を出す必要なんてなかったんじゃないかい? それとも、お嫁さん探しか?」
薄ら笑いを浮かべながら男は少年の真意を問う。
「あの一族と繋がりがあるやつがいないかを見極めたのさ。これは幸いなことに誰もなかったが。その代わり、周辺国はいくつかあちら側に染まっていることが分かった」
「……君としては、数年は後に無属性魔法を発表するつもりだったんじゃないかい?」
「いや、どうなっても今年に衝突するのは確実だ。それはもう、十年も前から決まっている」
「その時になったら、私は用済みになっていることかな?」
「まさか、死ぬまで利用させてもらうさ。お前には借りが多すぎる。それを返済せずに逃げ切ろうなんざ、甘すぎるね」
少年は冷たく突き放しながら男に背を向けて歩き出す。
「……もう行くのかい?」
「ああ。いつまでもこんなところで、そんなものを見ているほど暇人じゃないからな」
少年が顎で指示したのは先程まで一緒になって眺めていた巨大な装置。そして、そこに収められている、片腕。
男は闇に溶けるように消えて行った少年を見送ると、また前を向く。
そして、小さく呟く
「私も、暇人というわけでもないんだがね……」
ニヤリと口元を歪めて一人、哂う。
● ○ ○