第一話 「朝の一時」
ブラジャータウンと話の名前が違いますが、きにしないで頂けるとありがたいです。
「ふむ」
(しまったな……まだ日が昇らぬ時間に起きてしまった)
「しまった」というのはやることがないからだ。
「深緑の森」で暮らしていたころはこの時間から動き始めなければ明かりがなくなる夕暮れまでに仕事が終わらない。ろうそくやカンテラ、その気になれば魔力を使うことで光源を確保できるが、火事になったら面倒事どころの問題で済まない。
新緑の森に住む前は、その年々で起床時間が違った。時差もあったからもあるが。
「そういえば、三年前もそうだったな……こんな風に暇を持て余すのは」
三度寝という選択もあったが、
(いや、食べさせる相手もいるわけだし……)
久しぶりに朝食を作ることにする。
とりあえず、上着とズボンを着て何を作ろうかと、頭の中でいくつかレシピを浮かべる。
(ふ~む。朝食だからなぁ……)
これがもし昼や夜だったならばいろいろ考えられるが、いかんせん朝食というのは作り甲斐があまりない。こんなことなら朝食をまじめに作っていれば良かった。そうすればもう少し候補が出てきただろうから。
「まぁ、とりあえず、どの程度の食材があるのかをみてくるか」
そしたら何か思いつくかもしれない、と急な階段を下りると、手すりに何か紙が置いてある。きれいに四つ折りにされているのを広げる。
屋根裏と二階をつなぐ階段の手すりには時々紙が置かれることがあった。この紙は別に愛の籠ったラブリー?でロマンチックなものでは決してなく、単にルトアさんが俺に伝え忘れていたことを紙に書いてここに置いてあるだけだ。
ただそれだけの物。少なくとも俺の中では。
して、内容はというと……。
朝早くに起きたからと言って家事をしないでくださいね。私の仕事ですから。
「バレバレだったか……しかもご丁寧に家事と書かれているし……」
苦笑と悔しさで、微妙な顔になる。
さて、本当にやることがなくなってしまった。今から二度寝をする気にならないし、どうしたものか。
「はぁ……どうしたらいいと思う? コルト、ディング?」
「「!?」」
物音を立てないように歩いていた二人に声をかける。ゆっくりと俺を振り向くと二人して石像のように固くなっている。
「ゆりは昔から変わってないなら、この時間帯は多少の雑音で起きないし、ルトアさんも寝るときはぐっすり寝るから、そんな夜逃げみたいにしなくても大丈夫だと思うぞ?」
石像ズなかなかに不審な格好である。
「……で、お前らはこれからどこに行く気なんだ?」
「ディングと一緒に剣術の修行だよ」
先に石像から戻ったのはコルトで、
「びっくりさせるな、まったく」
次にディングが脱力しながら悪態をつく。
「ふ~ん、そうか。まぁ、頑張れよ」
こんな時間からとは熱心なことだという風に言いながら踵を返す。
「あはは、他人事みたいに言っても逃がさないよ?」
がっちり肩を掴まれる。……こいつ、魔力で肉体強化をしてやがるな、この若干突き刺すような感じ。
「悪い。今日はふんどしじゃないからやれそうにないんだ」
家事は大好きな俺だが、こんな時間から修行するほど強さに困っていない俺は適当なことを言って逃げることにする。
「大真面目な顔で嘘を吐くな。というか、もし本当だとしてもどんな格好で修行する気だ」
「ふんどし一丁?」
「いや、君が言い出したんだから僕に聞かないでよ」
まさかディングがふんどしを知っているとは思わなかった。
ディングやコルトは修業が大好きなのだろう。道場に通っているにも拘らず、朝も夜もだ。
俺は基本修行しない。まず、俺が我流でその内容をあまり人に見られたくないのが理由の一つだ。次に、能力を使用することを前提としている型が少なくない。そうなると、能力のせいで魔力の自然回復速度にある問題を抱えているのもある。
「……見学で許してくれ」
「それで構わないよ。ディングとの組み手を見てほしいだけだから」
「はぁ……」
見学だけで終わりそうにない予感がして、朝一番の溜息ついた。
○ ○ ○
「はぁ!」
ディングの木刀は正面上段からの振り下ろし、剣道で言う「面」を振る。
コルトがそれを後ろに下がることで避けると、ディングは振り下ろしている途中だった面を、体ごと突っ込むような突きに変える。
「ふっ!」
「くっ……!」
だが、突きを誘っていたコルトは木刀を掠めながらディングの腰にクロスカウンターをきめる。
もろに食らったディングだったが、腹筋に力を入れて耐え、小さくうめき声を漏らすだけにとどまる。すぐ右横のコルトの肩に鋭く肘を突き、避けられたものの距離を離すことに成功する。
「よく耐えたね」
「そう簡単に倒れるものか」
笑おうとするが、痛みに歪んでうまく笑えていない。
「真剣だったら即死だったがな」
「外野は黙ってろ!」
俺のヤジに叫び返しながらコルトに、これまた突っ込むような中段突きをするディング。
今度は、身を低くして下からディングの木刀を弾きあげる。
カァン!ヒュルン、ヒュ、パシィ!
飛んできた木刀を片手で受け止める。こっちに木刀を飛ばしたことに文句の一つをいう。
「コルト、はじく方向を考えろ」
「大丈夫、狙い通りだったから」
ウザイくらい爽やかな顔で親指を立てるコルト。とってもウザやか。
ウザやかなコルトは無視して、ディングに先ほどの組手の問題点を指摘する。
「というか、ディング。お前は突っ込むしか能のないイノシシか」
最初は、コルトが突きを出すように誘導した回避だったが、なぜかその後もつきだった。
「気迫に押されて、どう剣を振るえばいいのかわからなかったんだ」
「あぁ、そういうことか」
コルトの剣士としてのレベルは高い。素人レベルに近いディングは相対しただけで頭の中が真っ白になっている可能性が高い。
「ふむ。……コルト、俺と代われ」
「なんでディングと組手するのは良くて僕は駄目なのさ?」
ディングに木刀を投げ渡して、コルトに手を差し出すと、不満の声が返ってくる。
女性顔というわけではないが、腰に手を当てて頬膨らませると拗ねた女の子のようだ。実際は食えないウザやかイケメンだが。
「お前としたら確実に疲れるからだ。そもそも、お前に教えることはすでにない」
「僕の記憶が正しければ、奥義を二つぐらいしか教わってないはずです、師匠」
「師匠?」
俺が、こいつめ、いつもはもっと爽やかイケメンなくせにこういうときだけねちっこい奴め……、閉じと目でコルトを見ていると、ディングが不思議そうに俺とコルトを見比べる。
「あれ、ディングに言ってなかったっけ? カキスは僕の剣のお師匠様なんだよ」
「一年間剣の稽古に付き合っただけで師匠扱いされてもな」
誇らしげに自慢するコルトに、やれやれ、と俺は肩をすくめる。
三年前からコルトは強かった。それこそ同年代では相手にならないほどに。上級生は年下に負ける可能性が怖くて、相手をしてくれない。当時は随分とつまらない時間を過ごしていただろう。
そんな時、この街に俺がやってきた。
「コルトと初めて戦ったときは色々あった後でむしゃくしゃしてたから、適当にボコボコにしてやったんだ」
「いやいやいや、何を当然のようにボコボコにしているんだ!?」
わざわざ三回も「いや」といって引いているディング。
「そうか?」
「いいや、ディングの言うとおりだと僕は思うよ。とっても繊細な年頃だったんだからね?」
腕を組んでうんうん頷くコルト。
「こんな奴なのに? しかも当時から」
「じゃあ問題なかったな」
ディングは俺の行いに納得した様子で頷く。
「君らってこういう時だけ仲が良いよね」
コルトは微妙な仲の俺らに苦笑を向ける。
昔からそうだが、意外とコルトはお茶目だ。人をからかってボケたり、からかって突っ込んだりと、割と付き合いやすい人柄だ。俺からしてみればかなり楽しそうに人生を送っている。
「それ以来、気がついたら俺が厄介事を解決するときにはいつもついてくるようになったな」
「そうだね。君と一緒にいれば僕はもっと強くなれると思ったから」
「……………まぁ、俺としては、面倒を持ち込んでくる奴が一人増えたぐらいのことだったけどな」
当時からコルトの力を求める理由ははっきりとしていない。出会ったばかりの時は、まるで、力というエサに飢えた獣のようだった。
「さて、話がそれたな。気を取り直して……さぁ、来い。両手を広げた状態から始めてやるからよ」
そういうと、俺は大の字を表現するように両手両足を広げる。コルト以上の気迫、ともすれば、殺気の様なプレッシャーをディングに向ける。
「……くっ!?」
「どうした?コルトと違って俺は隙だらけの構えだろ?」
ディングはさっきのように突っ込んでこない。正確には、突っ込んでこれない状態なのだろう。きっと今、あいつの頭の中は警鐘が鳴り響いていることだろう。
ディングの手は微かに震えているが、背中を見せて逃げることも、尻餅をつくこともない。
「……ま、今はこんなもんか」
「そうみたいだね。これまで実戦経験がなかった割には頑張った方じゃない?」
「なるほど、実戦経験がないならなおさら納得だな。よし、ディング!力を抜け!」
叫ばなければ聞こえないほどディングから離れているわけではないが、集中状態のディングにはこうでもしないと俺の声が届かないだろう。
「……くはぁっ! はぁ、はぁ……な、何だったんだ今のは?」
気迫を緩めると、ディングは肩で息をするような激しい呼吸をする。
「単なる殺気だ。緊張した時、頭が真っ白になった経験がないか? それの悪化したものだ。ああいったのは、経験を積んでいくしか対処法がない」
「な、なるほど……」
ディングは荒い息をつきながらも、きちんと俺の言っていることかみしめる。
「もしああなった場合は無理に体を動かそうとしなくて良い。むしろ、変に突っ込んで余計なけがをするよりずっといい」
「うぐっ……わ、悪かったな」
心当たりのあるディングは言葉に詰まり、口をとがらせて自分の非を認める。
「ディング、これからさ。最初は人間だったら誰でもそういった失敗をするものさ。僕の隣の人外みたいじゃない限り!」
「おいこら、誰が人外だ」
コルトのフォローに含まれている人外に納得できず、ツッコミを入れる。
「そうだな。”我々は”人間だからな」
「お前も納得してんじゃねぇよ。我々は、を強調してんじゃねぇよ」
まったく、コルトのせいで話がそれた。だいたい、俺は単に、失敗したら死ぬような状況ばっかりだっただけだ。俺にだって、塩と砂糖を間違えることだってある。
「でだ。できればプレッシャーに負けなければ一番良いんだが、そう簡単になれられるもんじゃない」
素人同然のディングには経験が足りなさすぎる。
「だからと言って、さっきも言った通りに、無理に体を動かそうと冷静になろうとしても、まず冷静にはなれない。今度は焦りが出てくるだろうからな」
冷静状態を保たなければいけないことに焦りを感じるはずだ。
「ど、いうわけで、いっそのこと自分から頭の中を空っぽにしろ。そこから、冷静な思考を一つずつ構成し直せ」
「……言いたいことというか対処法というかは理解したが、話が飛ばなかったか?」
「意味が伝わったなら問題なから気にすんな」
自分でもちょっと話が飛んだとは思ったが、細かいことはこの際無視する。
「そんな余裕があるのか? 時間的のも精神的にも」
ディングは持っていた木刀を地面に刺してその場に座る。話が長くなると判断したのだろう。
……一応言っておくと、俺の話が長いのではなく、ディングのために話を細かく噛み砕いているから長くなるのだ。これがコルト相手だったら、「慣れ、思考をリセットしろ、後は経験が何とかしてくれる」という、三語で終わる。決して、コルトだけ投げやりというわけではない。
「どっちにしたって体がうまく動かないから、結果的に時間的余裕ができるだろう。精神的面は……まぁ、頑張れとしか言えないな」
「その辺も含めて経験かなぁ……」
さすがにコルトも、この件に関してはフォローすることができないようだ。
対策の一つとして考えていても、実戦で殺気に負けて全く動けなくなるということが、俺は経験したことがない。
コルトの方は、俺が教えるようになった時点で経験を積んだ状態だった。
そんな俺たち二人はディングに共感してやれず、的確なアドバイスをしてやることができない。
「まぁ、どっちにしろ、お前はそのレベルの相手と相対した時点で終わりだろうがな」
まだまだレベルの低いディングは無駄な抵抗をしないのが得策だろう。
「組手でならば諦めても命の危険はないかもしれないが、真剣同士の戦いではそうもいかないのでは?」
「そもそも、真剣餅の殺気に負けた瞬間、殺されたも同然だ。そこまでの人生だった、ってことだ」
「……お前はそうやって生きてきたのか?」
「あぁ。寂しいとか言うなよ。もう聞き飽きたからな」
俺は今まで、そうやって数多の死を見てきた。おそらくはこれからも。
ディングは俺が肯定すると、一瞬だけ悲しいものを見るような目で見てきたが、一言だけ、
「そうか」
と答えて立ち上がる。
「まぁ、どっちにしろ、死にたくなかったら経験を積むんだな」
「結局、それに至るんだね」
コルトは苦笑しているが、否定はしない。
「初心者に魔法を教えても危ないからな。……さて、休憩はここまでにするか」
思ったより長く話していたせいで、ディングの汗も、完全に引いている。
「そういえば、ディングには流連流を教えてあげるのかい?」
「あぁ……」
ピクッ、とディングが反応する。背を向けているが絶対にこちらに意識を向けているに違いない。どうやら、流連流に興味があるらしい。が、
「今のところは全くその気がないな。ディングには無理だろうし、何より俺が面倒」
「さぁて、続きを始めるか!」
「あらら……」
再開した組手の最中に、ディングの目から汗とは違う液体が流れていたことをここに記す。
○ ○ ○
ピースに戻ってから軽く汗を流した後、ゆりを起こしに部屋の前に立つと、中から、
「う~ん……」
と、何か思案している声が聞こえてきた。
「ゆり、どうした?」
「あ、カキス君。入って良いよ?」
ノックをして聞いてみると、ゆりが入室許可を出したので、扉を開ける。
「カキス君、今のちが……!」
ガチャッ。
扉を開けてまず最初に目に飛び込んできた光景は俺が思っていたものと全く違い、シーツで胸元を隠している下着姿のゆりだった。
訳が分からなかった。だって俺はゆりが部屋に入って良いといったから入ったのに、ゆりは薄桃色のパンツ一丁、いや、もしかしたらブラも着けているかもしてないがシーツが邪魔……じゃない。うまい具合に隠れていて見ることはできない。
ともかく、下着姿なのに俺が入るのを許可したのは……そうか!
わずか一秒足らずで状況整理から答えを導き出せた俺は、今結構冷静なのかもしれない。
「ゆりはドMなだけじゃなくて露出狂の気もあったのか……」
「露出狂じゃないよぅ!?変な誤解をしたまま立ち去ろうとしないでよぅ!」
「いや、どっちにしろ、そんな恰好のままじゃまずいだろ」
というか、ドMなのは否定しないのな。
「あぅ、そ、そうだった……」
顔を赤くしながらベッドにへたり込むゆりをしり目に、さっさと部屋から出る。
と、そこで気づく。
「返事をしたのはゆりじゃなくて黒ゆりか?」
だとしたらまんまと騙された。真っ先にその可能性に至らなかったの俺はやっぱり冷静ではなかったようだ。
「……………」
いい感じに細かったな、ゆりの脚。こう、足首から太ももまでの滑らかな……。
「……何考えてるんだ、俺は。ただ待ってると変なことを考えてしまう」
ゆりの身体は幼児体型ではあるが、女性としての魅力ももちろんあり、カキスの趣味がどうとかいう問題は関係なく、多くの男があれを見たら鼻の下を伸ばしてもおかしくない。むしろ、すぐに軽口をいえるぐらいまでの冷静さを取り戻したカキスの方が年頃の男子としてはおかしいのだが、わかっていない。
俺はできる限り無心でゆりの着替えを待つことにする。
キィ……。
「わわっ!?」
「おう? と、悪い悪い。……うん、ゆりだな」
「……で、できればもう少し別のところで判断して欲しいかな?」
扉に寄りかかっていたので、危うく倒れそうになる。そして、胸の大きさでゆりだと判断する。
ゆりはそんな俺の視線に、恥ずかしそうに腕で胸を隠す。強く非難しないのは、自分でも仕方ないと思っているからだろうか?
「いや、こうして目の前に立って見下ろすと、どうしてもそこでしか判断できないんだ、悪い」
「ううん、カキス君の視線はほかの男の人と全然違うから」
本当にそうなのだろうか? 三年前にも、女好きの奴の視線にはすごく不快そうな顔だったのだが、おれの視線にはそういった厭らしさを感じないといった女がいた。
「……一応、瞳の色でも判断できるけど……」
「本当に?」
ゆりは、おれの身体にもたれかかるように手をついて、俺を見上げる。
「ただ、今それをやると、ゆりが俺にキスをねだっているように見られる」
「~!? あぅぅ……」
すぐに顔を伏せるが、体は離さない。むしろ、より深く体重を任せてくる。
前面に感じるゆりの柔らかさと温かさに、鼓動が激しくなり、顔が熱くなっている気がする。
「……さっき返事したのは黒ゆりだったのか?」
できるだけその感覚を意識しないようにするために、さっきのことを確認する。
「うん。だからね、私は露出狂じゃないよ。黒ゆりちゃんの悪戯だからね?」
ワタワタと言い訳をするゆりの頭を苦笑しながら撫でる。六年前と変わらず、撫でているこちらが落ち着く撫で心地だ。
「む~!」
いつもはこれで落ち着くはずのゆりだが、なんだか今日は不服そうに頬を膨らませる。
「頭を撫でるのが子ども扱いされてるみたいで嫌か?」
「違うもん! カキス君は頭を撫でるプロだから嫌じゃないもん!」
手をどかそうとしたら両手を使って止めて、怒りながらもほめてくれる。
「なら、どうしてそんなに怒ってるんだ?」
「またカキス君の反応が冷たいと思ったの!」
(そういうことか……)
また、というのは、新緑の森でのことだ。確か、小屋でもゆりの着替えを覗いてしまったはずだ。
その時は、大した反応をしなかったせいで機嫌を損ねてしまった。妹のように接してきたことや、成長したゆりに若干の戸惑いがあったのだ。特に何も思わなかったわけではないが、どうしても混乱のほうが先に立ってしまった。
(はぁ……)
今からやろうとするつもりのことを思うとため息が出る。だが、いつまでもゆりが不機嫌なままでは面倒なので実行に移す。
といっても、やることは簡単で、
「ぁ……」
ゆりの頭を抱き寄せ、おれの心臓の音を聞かせるだけ。
「これでも、また、って言うのか?」
「……少しだけ、速い? あ、段々早く……」
ゆりの下着姿を見てしまった時から数分が経過して、静まりかけていた鼓動が、また再開しだす。
相手が気付いていなかったのに、自分から暴露する恥ずかしさに、今度こそ確実に顔が赤くなる。
(やっぱやらなきゃ良かった……)
普段から冗談を言ってばかりなので、ゆりがどこまで本気で受け止めるかわからなかった。だから、ドキドキと激しいリズムを刻む心音を聞かせることにした。
「どう、だ?」
さっきから、柔らかさや温かさでも十分だったのに、更にいい匂いまでしてきた。いくらなんでも、これで気づかないはずがないだろう。
「……私まで、ドキドキしてきちゃった。急にカキス君に抱きしめられて、こんな、こんな幸せな音まで聞かせてもらえて……。今度は私の音、確かめて?」
ゆりは、背中に回していた俺の手を取って、自分の胸元に引き寄せていって……。
「カキス~! まだか~!」
「「!?」」
ババッ!
「い、今降りる!」
階下からディングの声が聞こえて、あわててゆりから離れる。
「早くしろよ~!」
「お、おう!」
手すりから身を乗り出してディングに返事をすると、手すりに肘をつきながら頭を抱える。
ゆりもゆりで、部屋の中に隠れてしまった。
(ディングのタイミングの良さはさすがだな。……まったく)
ぶんぶんと頭を振って、顔の熱を放出しながらさっきのゆりの行動を頭の隅に追いやる。
階段を降りる前に扉に目を向けるが、さっきのことを思い出す前に視線を外す。
ゆりの、「あうあう~! なんでカキス君は私をあんなにドキドキさせることばっかりするんだよぅ~!!」という、聞こえてしまったこちらが恥ずかしくなる声も、聞こえなかったことにする。
また赤くなりそうだった顔の赤みを抜こうと、他のことを考える……前にあることを思い出す。今回の犯人のことだ。
「……そういえば、黒ゆりに何一つ文句を言えなかった」
今頃、犯人は羞恥で悶える被害者Yに更なる追い打ちをしながらニヤニヤしているに違いない。
してやられた悔しさに顔を渋くさせながら階段を下りる。
「どうされたんですか? 朝から渋い顔をされて」
ルトアさんが朝食が盛られた食器をテーブルに並べてながら、俺の表情の訳を聞いてくる。
「朝からゆりに俺の純情を弄ばれたんですよ」
「すごい自然に事実を歪曲しないでよぅ!?」
意外とすぐに立ち直ったらしいゆりがツッコむ。
ルトアさんはクスクス笑いながらゆりに「おはようございます」と言うが、ゆりの方は拗ねたように返して席に着く。
「私がカキス君を弄べたことなんて一度もなかったよね?」
ジト目でゆりが対面の席から不満を漏らす。
「俺はいつもお前にドS心を弄ばれているのにか?」
「全く覚えがないんだけど……。しかも、それだと最終的には私に被害が来るよね?」
「お前の業界だと被害じゃないだろ」
「う……ち、違うよ?」
今、明らかに頷きかけたな、こいつ。
改めてゆりがMだと再認識したところでルトアさんが最後の食器を並べ終え、席に着く。なお、ディングはすでに席についていた。
「「「「いただきます」」」」
今日の朝食はパン、サラダ、カボチャスープと洋風だ。
「本当に洋食でよろしかったんですか?」
「はい、大丈夫です。和食と同じくらい洋食も食べてますから」
大和の食文化は他国と大きく違う。他国で和食を見ることはほとんどなく、和食を理由にホームシックになる大和人も少なくないらしい。
ルトアさんは大和で過ごしていた時期もあり、和食も問題なく作れる。なので、食事は和食にしましょうか?と、提案されたが、ゆりは断った。
何か、ゆりなりに思うところがあるのかもしれない。
「まぁ、どうしても和食が食べたいときは俺が作ってもいいけどな」
「そ、それはちょっと待って!」
「何でだ?」
「え、えっと、……女の子のプライド的に泣きたくなるからやめて欲しいかな? ほら、カキス君に女子力で負けたような気がするから」
「……頑張れ、女の子」
別に、男でも料理や掃除、裁縫などができてもおかしくないともうのだが?
「そういえば、ディングはどこ出身なんだ?」
大和のことを思い出していたら、一人だけ出身地を知らないやつがいたのを、今さら思い出す。
「モルスという小さな村だ。師匠は私の祖父で、水谷家には十五の時から仕えさせてもらっている」
「モルス……聞いたことないな」
この六年間、正確には四年間でそこそこ世界を回りはしたものの、すべてを回りきることはできなかった。
「本当に小さな村だったからな。お前やお嬢様の出身地である大和はどういう所なんだ?」
「そうだな……説明が難しい」
「他の国との違いを挙げていったらキリがないんですよ」
俺とゆりは、いい説明が思いつかず腕を組んで唸る。
「そうだな……ほかの国に比べて男も女も比較的小柄なのが特徴といえば特徴だ」
ゆりに視線を向けてからルトアさんに移す。ゆりは俺の胸あたりの伸長(大和でも小柄の部類)で、ルトアさんは俺の肩ぐらいの身長だ。
一つの例として扱われたゆりだが、自分が低身長扱いされても、自分でも認めているので苦笑程度の反応しかしなかった。ただ、少しだけ羨ましそうにルトアさんの方を見たが。
「理由の一つとして、他国と違ってあまり肉を食べないんだ。ヘルシーで薄味の食事が多いから、細かったり小さかったりする」
「こっちでは普通にある甘いジュースなんかほとんどなくて、お茶とか青汁とかしかないんです」
「青汁?」
ゆりの補足説明の中で、青汁という単語に興味を示す。
「それは青色の飲み物なんですか?」
「いえ、いろんな野菜の汁が入っている飲み物です。ベジタブルジュースといった所かな? ……緑色なのに青汁っていうのかは知らないですけど」
あはは、と苦笑するゆり。
「それならたぶんだけど、昔は緑色っていう言葉がなっかからじゃないか? それで、青色にまとめられていたとか」
実際にはもっと違う理由があるかもしれないが、完全に間違いというわけでもないはずだ。
「おっと、そろそろ学園に向かうか」
「まだ早くないか?」
チラッと時計を見ると、俺が予定していた時間を少し過ぎている。
「四十分近く学園で待つの?」
さすがにゆりも早いと思うらしく、首をかしげている。
「ああそうだ。何故なら、一緒に行きたがるであろう……」
「僕ならここにいるよ」
ちっ、遅かったか。
「おはようございます」
「おはよう」
「おはよう、お二人さん」
柔らかな朝日を背に、爽やかなイケメンスマイルを向けてきたのはコルトである。
まるで、お姫様を迎えにきた白馬の王子様のようだが、実際には、男を迎えに来ている。
「残念だったね、カキス。一年近く君と行動してた僕が分からないとでも?」
「受け取り方を変えると、ただのストーカーの言葉にしか聞こえないからな、それ」
はっはっは、と若干芝居がかった笑いで誤魔化すコルト。手元に木刀がないのが残念でならない。
朝から元気……なのは数時間前に確認済みだったが、それでもため息を出さずにいられないテンションだ。
「えっと……それでどうするの?もう少しゆっくりしてから行く?」
ゆりは俺の本気の溜息に苦笑しながらも問いかけてくる。
「いや、人で混む前に行ってしまおう。かなり余裕を持たせないとあっという間に人に飲まれるからな」
「今年の第二学生は何人だっけ?」
コルトは顎に手をやって思案する。
「詳しい数はわからないが、新入生だけども300人近いだろうな」
デルベル魔学院の在校生は異常なまでに多い。広大な敷地面積を最大限使用することで、普通科の全学生人数は7000人を超える。その学生たちをすべて同じ門から通わせると、軍の行進のようになってしまう。
なので、属性ごとに校舎が建てられている。火、水、風、雷の四大属性は順に、第一、第二、第三、第四となっている。覇属性は第五学生となるが、無属性は存在しない。
校舎の分け方は、学生自身の属性ではなく、学ぶ属性によって変わる。よって、教えることのない無属性の校舎は建てる意味がない。
そして、校門も五つ用意されているのだが、
「たとえ一つの校舎でも少なくとも千人がほとんど一斉に登校する可能性がある。俺もゆりも人ごみが苦手だからな」
俺は前にゆりと一緒に祭(覇閃家主催)に行ったが、俺もゆりも人並みにもみくちゃにされたり、次々と人が自分たちの横を通り過ぎるのも嫌だった。ゆりは人見知りで、俺は常に警戒をしてしまい。
その時のことを思い出して、少し眉を寄せる。が、それも一瞬のことで、すぐにいつもの表情に戻す。
「「「ごちそうさま」」」」
「はい、お粗末様です」
食器の片づけはルトアさんに任せ、支度を済ませて学園に向かう。