アルマの挑戦状
◆ ◆
「あ、アルマ姉、勝負とはいったい……」
唐突なアルマの挑戦に、グラディーラは平太と姉の間に割って入る。
「わたしを倒すとか、参ったと言わせるとか、とにかく勝負は勝負よ」
「そんな、意味がわからない……」
「わからなくてもいいわ。どうせ、これはわたしと彼にしか関係のない話だもの」
意味ありげな言葉に、ますます意味がわからなくなる。
「何故だ! だいたい勝負なんて、前の勇者の時にはしなかったではないか!」
「だからよ」
たったひと言で切り捨てるアルマの顔は、痛みに耐えているかのようであった。
だが、その表情はすぐに消える。
「それにしても、ここじゃちょっと狭いわね。グラディーラちゃん、あなたの空間を使わせてもらうわよ」
「えっ!? それは、ちょっと……」
「あら、何か都合が悪い事でもあるの?」
「いえ、そんな事は、別に……」
「だったらい~じゃない。ね?」
「……わかりました」
グラディーラは渋々といった感じで了承すると、室内の風景が一瞬にして変わった。
「ここは?」
平太が周囲を見回すと、すぐ傍にドーラたちがいた。ここまでは、船室とまったく同じだ。
ただ、壁と天井がなかった。
見渡す限り白い地面が続く地平線と、どこまでも続く白い空の、今までに見たこともない景色だった。
「相変わらず殺風景ね~。せめて仕切りを作って家具くらい置いたらどう?」
「それくらいちゃんとやってます。暴れられて壊されるのが厭だから、居住空間とは距離を取って移動しただけです」
「なんか生肉臭くない?」とアルマが鼻をひくつかせるが、グラディーラは「気のせいでしょう」とごまかした。
「ここが、グラディーラがいつも過ごしている、ボクらが住んでるのとは別の空間か」
ドーラがその場に這いつくばって地面を調べるが、材質の想像すらつかない未知の手触りに、「お~」とか「凄い」とか言いながら両手で床をなでくり回す。
「ここならどれだけ暴れても大丈夫ね」
そう言うとアルマは、平太に身体を向けて左手を伸ばす。
そして掌を上に向けて、揃えた指を二度ほど軽く曲げ伸ばしする。
それは、【かかって来い】という合図だった。
「あ、そうそう。先に言っとくけど、グラディーラちゃんたちは手出し無用よ~。これは、あくまでもわたしとこの子の勝負なんだから」
「え? でも、俺、勝負なんて、」
「あら、女とは戦えない? それとも、ヒトの形をしてるとやりにくいかしら?」
未だ人を斬るのに躊躇する事を言い当てられたと思い、平太は「う、」と短く呻く。
「だったら――」
次の瞬間、アルマの身体が光に包まれる。果ての見えない地平線の先まで照らすような光の爆発に、平太たちは咄嗟に手で顔を覆う。
そして、光が収まって平太たちが見たのは、
「これなら大丈夫でしょ?」
銀の全身板金鎧であった。
それは、全身鎧と言うよりは、もはや一人の自立した人型だ。
五体を隙間なく鎧う銀の殻には、一片の曇りすら見当たらず神々しさすら感じる。
頭を守る兜は、面の部分が直線を主とした平面で構成され、人の顔のようでありながらまったくかけ離れた意匠となっている。平太だけが、「なんかロボみたいだな」という感想を持つが、それ以外のグラディアースの住人が見れば、異形とも言うべき面相であった。
全身は、筋肉を主題としたデザインで、奇しくもシャイナが着ているルワーティクスの鎧と同じく、曲線を多用した多重曲面加工となっていて、兜とは対照的に生体的な印象を受ける。
そうして無機物と有機体という相反する属性を融合させたようなアルマの身体は、まさにこの世界の神が創り出した、聖なる鎧に相応しい姿だった。
「こ、これが、聖なる鎧……」
「そ~よ~。あらゆる攻撃を跳ね返す、無敵の鎧とはわたしのこと。なんちゃって」
アルマは準備運動のようにその場で軽くジャンプを数回すると、
「じゃ、始めるわよ」
いきなり平太に向かってダッシュした。
「げっ!?」
突然猛スピードで迫り来る全身鎧に、平太は咄嗟に剛身術を使って肉体の強度を上げて防御を図る。
だが次の瞬間、アルマは急ブレーキをかけて平太の数歩手前で止まった。
「ダメよ。剛身術も使っちゃダメ。この勝負は、あなた自身が持ってる力だけで戦わなくちゃ意味が無いの」
そう言うとアルマは、仕切り直しとばかりに平太に背を向けて歩き出し、元の位置に戻る。
「マジで……?」
グラディーラの助けはおろか、剛身術の使用まで禁止され、平太はいきなり手詰まりになる。
シャイナに戒められてから剣の稽古と筋トレは続けているが、剛身術のでたらめな力に比べたら平太の筋力など無いにも等しい。それにグラディーラの助力を禁じられた今は、平太に使える武器は無い。しかも今はカニ鎧も着けておらず、平服のままである。
「さあ、どうするの~?」
考える間もなく、アルマが再び躍りかかって来た。
飛ぶような体勢のまま突っ込んできて、そのままの勢いで右の手刀を水平に払う。
手加減も容赦もない一撃だった。
咄嗟に頭を低くしていなければ、平太の頭はかち割られていただろう。
当然攻撃はその一度では終わらない。アルマは、当たれば痛いじゃ済まされない攻撃を連続でくり出してきた。平太はそれらをどうにかかわす。
「ほらほら、どうしたの? かわしてるだけじゃ、勝負にならないわよ」
無茶を言う。反撃しようにもこちらは素手で、アルマは全身鎧である。普通に蹴ったり殴ったりしてもまったく効かないどころか、こっちの手足が痛いだけに決まっている。そうと知ってやる馬鹿がどこにいるというのか。
そうしてアルマが攻撃を仕掛け、平太がそれを必死でかわすという一方的な攻防が続いた。
ほとんどアルマから逃げるようにして攻撃をかわす平太の姿に、シズがたまらずグラディーラに駆け寄る。
「こんな事していったい何になるって言うんですか!? グラディーラさん、止めてくださいよ!!」
「そ、そんな事言われても、わたしが勝手に止めるわけにはいかぬのだ」
「そんな……」
シズがグラディーラにすがりついて懇願するが、グラディーラは姉には逆らえないのか、どれだけシズが頼んでも動こうとしない。
「ちょっと~、いつまで逃げ回ってるのよ~。これじゃあらちが明かないじゃな~い」
「だったらもうやめてくれよ。こっちだって好きで逃げ回ってるわけじゃないっつーの」
「ンもう、そっちがその気なら、こっちにだって考えがあるんだからね~」
そう言うとアルマは方向を転じ、事の成り行きを見守っているドーラたちの方へと向かって行った。
「わわっ、こっち来た!」
ドーラが慌てて後退るが、アルマはドーラたちにはまったく目もくれず、シャイナの隣で退屈そうに立っているスクートに駆け寄った。
「スクートちゃん、ちょっと手伝って」
「え~、スクートおにーちゃんと戦うのやー。それにスクートの今のますたーはシャイナおねーちゃんだもん。いくらアルマおねーちゃんのめーれーでも、きけないもんねー」
「後でお菓子あげるから」
「やるー」
あっさりと買収されたスクートを抱き上げると、再びアルマの身体を光が包む。
今度は、手に銀の盾を持った鎧が現れた。
「スクート……」
菓子に負けたシャイナは、泣きそうな声でスクートの名をつぶやく。
「それじゃスクートちゃん、お願いね~」
「はーい」
次の瞬間、アルマはこれまでにない速度で平太に踏み込んできた。
「っ!?」
スクートの増幅魔法によって強化されたアルマのスピードは、これまでのゆうに五倍。しかも速度だけでなく、攻撃の威力も同じだけ上がっていると見ていいだろう。
ただでさえ避けるだけで精いっぱいだった平太には、倍加されたアルマの動きを捉えることはできない。
ついにアルマの攻撃が平太に当たった。
速度にものを言わせたダッシュからの膝蹴りが、無防備な平太の腹に炸裂する。
「ぐはっ!」
身体をくの字に曲げたまま、横一直線に飛ぶ平太。そのまま5メートルの距離を飛ばされ、地面に落ちてさらに2メートルほど転がってようやく止まった。
「ヘイタ!」
「ヘイタ様!」
手加減なく吹っ飛ばされた平太に、ドーラとシズが悲鳴のような声を上げる。
「もうおしまい? そんなんじゃ、わたしを仲間になんてできないわよ~」
アルマは追い打ちをかけずに、まだうずくまっている平太の前に立つ。痛む腹を押さえ、立てずにいる平太を見て、ガッカリしたように両手を腰に当てる。
「だらしないわね~。何のためにグラディーラちゃんの記憶をもらったのよ? 彼の戦闘経験を手に入れたのなら、もうこの世界で恐いものなんて無いも同然じゃない」
「あ、アルマ姉、どうしてそれを!?」
驚くグラディーラに、アルマはフンと鼻を鳴らし、「そんなの、彼の目を視ればわかるじゃない」と、さも簡単そうに言った。
そうしている間も、平太は床に這いつくばっていた。何しろ五倍の速度と威力である。鎧も着ていない、剛身術も使えない状態でモロに食らったのだから、内臓が破裂しなかっただけでも儲けものだ。
平太は腹筋を鍛えておいて良かったと、日々の鍛錬の重要性を噛み締める。
しかしいくら追い打ちをかけてこないとはいえ、いつまでも無様に這いつくばっているわけにはいかない。平太はまだ痛みに引きつる腹筋を無理に収縮させ、上体を起き上がらせる。
その間、アルマの言った事を反芻する。そうだ。今の自分には、世界最強の男の記録がインプットされているのだ。
込み上げてくる胃の中の物を、強引に飲み込んで押し戻す。気が遠くなりそうな不味さが震える足に喝を入れてくれて、どうにか立つ事はできた。
後は、どうすればアルマに勝てるかだ。
ここまでで、気づいた事がいくつかある。
まず第一に、アルマの力はそれほど強くはない。
恐らく、平均的な成人女性と同程度の筋力だろう。そうでなければ、数倍になった筋力の一撃を受けて、平太がまだ生きている道理は無い。もし仮にシャイナくらいの筋力があったのなら、あの膝蹴り一発で平太の腹はぐちゃぐちゃになっていたはずだ。
次に、恐らくアルマに戦闘技術は無い。
冷静になって思い返してみれば、アルマの攻撃はやけに素人臭い。パンチは大振りのテレフォンだし、蹴りは蹴り方が安定しない。最後の膝蹴りだって、ただ走り込んで膝を腹に当てたという感じだった。シャイナならきちんと鳩尾に当てて、今ごろ平太はゲロの海に沈んでいる。
つまり、もの凄い力持ちの素人という事だ。
これなら、剛身術を使わない平太でもどうにかできるかもしれない。
そう思うと、自然と余裕が出てくる。落ち着いて考えてみれば、相手が鎧だろうと、動きが早くて強かろうと戦い方はある。
平太は立ち上がりながら、アルマをどう攻めるか考える。
まず打撃は無意味だ。となるとそれ以外――投げ技か関節技しかない。平太は頭の中で、アルマに通用しそうな技のシミュレートを始めた。
「さあ、再開よ!」
平太が立ち上がったのを見て、アルマが再び襲い掛かってくる。その速度は相変わらずとんでもなく速いが、落ち着いて見れば目にも留まらないというわけではない。
平太は軽く腰を落とし、両足を肩幅に広げる。そして左足を前に、右足を後ろにずらして前後左右どの動きにも反応できるように構えた。
悠然と構えを取った平太に、アルマは一瞬警戒したように見えたが、すぐに速度を上げて突っ込んできた。
「せっ!」
アルマが拳を打ち込んでくるが、平太はそれを上体を左右に振ってかわす。そしてアルアが大振りしたのをかわしざま、自分の足を彼女の足に引っかけた。
「きゃっ!?」
短い悲鳴を上げて、アルマが地面に転がる。派手な金属音がするかと思いきや、アルマは床運動のようにきれいに回転し、その勢いを利用して立ち上がった。
「ンもう、危ないじゃない」
どうやら受け身くらいはできるようだ。そうなると、投げ技をかけて地面に叩きつけるという戦法はあまり効果が期待できそうにない。
となると残るは関節技だが、果たして鎧に関節技が効くのだろうか。そもそも腕や足の一本やそこら極めたところで、どうにかなるのだろうか。
しかし、残る手立てがそれしか残っていない以上、やるしかない。
ここで初めて、平太は自分から攻めた。
自分の記憶と遜色なく混じり合った勇者の記憶が、平太の身体をイメージ通りに動かす。
今や平太の動きは、ほとんど勇者のものと変わりなかった。
「な……」
あまりにも似ていたため、グラディーラは平太に前勇者の姿が重なって見えた。
慌てて目をこする。もう一度見ると、やはり平太は平太であった。
同じような動揺を、アルマもしていた。
だが動きが鈍ったのはほんの一瞬で、アルマはすぐに本気の力と速度で平太に攻撃してきた。
平太とアルマの攻撃がぶつかる。
まず速度で勝るアルマが、先に攻撃を仕掛けた。
左手に盾となったスクートを持っているせいか、ただでさえ安定しない上半身が不自然なくらい左下がりになる。
当然、左肩が下がった状態で大きく振りかぶったアルマのパンチは、野球のピッチャーのような大げさな外回り軌道を描いて平太の顔面へと向かっていった。
ここまでわかりやすいモーションだと、いくら速度が数倍になったところで意味が無い。打つのがわかっているパンチなど、初動さえ見逃さなければ素人でも避けられる。
そうして平太はアルマのパンチを難なくかわすと、通り過ぎていくアルマの右腕をつかみながら身体を反転する。
腰をアルマの腹に密着させて両膝を伸ばすと、テコの原理でアルマの身体が地面から浮く。
それと同時につかんだ右腕を思い切り引くと、アルマの身体がきれいに縦に弧を描いた。
平太の一本背負いが決まった。
「あぁん!」
今度こそ派手な金属音を立てて、アルマが背中から地面に叩きつけられる。さすがに柔道の投げ技に対する受け身は知らなかったようだ。
「やるじゃない!」
しかしやはりというか、地面に叩きつけたくらいじゃ何ともないのか、アルマはすぐさま立ち上がった。まあこの程度でどうにかなるようでは、伝説の鎧とは言えまい。
だがこれで、またいくつかわかった事がある。
今投げてわかったが、アルマは思ったより軽い。グラディーラのようにでたらめな重量を魔法で何とかしているわけではなく、たぶん見たままの重量しかない。これは、盾のスクートがそうであった事から、鎧のアルマも冗談みたいな重量ではないだろうと予想はしていたが、これで確定した。
次に、アルマは鎧の姿であっても、関節の可動域や強度はヒトの姿の時と大して変わらないように感じた。
これは恐らく、彼女が鎧であるためだろう。鎧なら、誰かに着られなくてはならないし、そのためには関節が固着していてはいけない。適度に柔軟で、必要ならば外れなくてはならない。
だとすれば、やはり関節技が有効。
平太は狙いをアルマの関節に絞り、戦闘を組み立てる。問題なのは、彼が知っている技の少なさだ。ただでさえ格闘技に明るいわけではない上に、関節技なんていう地味でマイナーなジャンルの知識など限られている。
あれこれ考えているうちに、アルマがまた向かって来た。あれだけ派手に投げられたくせに、まったく怯んでいない。きっと防御力が高すぎると恐怖心や警戒心が弛くなるのだろう。
とはいえ、無防備に向かってきてくれるのは、むしろ好都合である。
平太は何も考えずに突進してくるアルマをかわすと同時にしゃがみ込むと、両足でアルマの足を挟んだ。
「えっ!?」
カニばさみで突然足の自由を封じられたアルマは、訳もわからず前に倒れ込む。平太はその隙にアルマの両足を自分の両脇に抱え込み、彼女の腰に座りつつ上体を反らす。
「だっしゃあーっ!!」
雄叫びとともに平太が力を込めると、アルマの下半身が上に持ち上げられ、見事にボストンクラブ――逆エビ固めが決まった。
「どうだあっ!?」
完璧に決まった手応えに、平太は勝利を確信する。それを裏付けるように、平太の両腕にはアルマの両足が関節技に耐えかねるように軋む感触が伝わっていた。
破壊を連想させる感触に、平太がビビって力を弛めかけたその時、
ばきん、という音がして、アルマの両足が膝から抜けた。
「うおっ!?」
いきなり足が抜け、平太は勢い余って後ろに倒れる。その時、ついアルマの両足を放してしまった。
「あ~びっくりした~。なによ、さっきから知らない技ばっかりかけてきて。驚いて足が抜けちゃったじゃない」
平太が立ち上がる頃には、アルマは自分で外れた両足を元通りにはめ直していた。
「あ、やっぱり元に戻るんだ」
「当たり前じゃな~い、鎧なんだから」
「マジか……」
困った。そうじゃないかなとは思っていたが、やっぱり着脱は自由だった。
そうなると、手や足のどちらか片方だけ外しても、すぐに自分ではめて元に戻ってしまう。
どうしよう。




