勇者、道を造る(物理)
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夕食にシャイナがひょっこり帰ってきていても、ドーラたちは何事もなかったかのように受け入れた。
平太は薬草のスープをひと口すすると、のたうち回って苦しんだ。「人間の飲む物じゃない」と破棄しようとしたら、シャイナに強引に口を開かれて流し込まれた。
そうして賑やかな食事が終わってしばらくした頃、ドーラが平太に尋ねた。
「ところで、フェリコルリスに向かうのはいいんだけど、何か具体的な計画とかあるの?」
「あ~……、輸送コスト削減のために、トンネルを掘ろうと思ったんだけど、今考えると色々と問題があって困ってたんだ……」
「トンネル? ああ、山を貫通して道を造るっていうアレか。そりゃ問題だらけだろうね」
「ちょっと待てよ。そのトンヌラって何だ?」
山を貫通するという途方もない話に、シャイナが口を挟むのも仕方あるまい。そういえば、トンネルの話をしたのはドーラだけであったか。平太は改めて、フェリコルリス村とスキエマクシの港を繋ぐ新たな道を造ろうと計画している事をみんなに説明した。
「新しい道って、お前それマジで言ってんのか?」
「フェリコルリス村からスキエマクシの港までの山を貫通するとなると、一大工事なんてものじゃありませんよ。いったいどれだけの予算と人員と年月がかかるのか、想像もつきません」
「だいたい、それだけやって採算が取れなかったらどうするつもりなんだい? サキワレスプーンヌだって需要が減ったって言うし、ナイフとフォークだっていつまでも売れ筋商品じゃないかもしれないよ」
ドーラたちは、疑問や指摘を次々と平太に投げかける。こうなる事は予想していたが、やはり話が壮大すぎたか。現代ならまだしも、グラディアースの科学水準ではトンネル工事は未知の領域なので致し方あるまい。
しかしただ一人、グラディーラだけが、何か思い当たる事があるかのように平太をじっと見つめていた。
その咎めるような視線に気づき、平太はグラディーラの方を見る。ほぼ当事者なのに事後承諾されては機嫌が悪くなるのも当然であろう。本来なら、計画を考えた時点で相談すべきだった。だが断られたらどうしようという思いが、今まで話すのを先延ばしにさせていたのだ。
「ごめん、グラディーラ」
平太が謝ると、グラディーラは逆立てていた眉を一気に下げ、大きくため息をついた。
「お前という男は、勇者の技を何だと思っている……。土木工事をさせるために、わたしはお前に記憶を移したのではないのだぞ」
「だから、ごめんって……」
それからもグラディーラはくどくどと小言を言うが、平太は平身低頭するしかない。だが平太の、
「けど、ぶっつけ本番でやるわけにもいかないし、いつかは試し撃ちしなきゃいけないだろ? だから、今回の事はちょうどいいかなって、」
という苦しまぎれの言い訳に、グラディーラも渋々承諾せざるを得なかった。
「まったく、お前はそういう知恵だけは回るから始末におえない」
「ははは……」
「で、他に言う事はないのか?」
再びじろりと睨まれ、平太は乾いた笑いを止める。
「うん、山に穴を開けただけの状態だと、すぐに崩れると思うから、そこを魔法で何とかできないだろうか?」
グラディーラは少し考え、
「――つまり、開けた穴をわたしの空間魔法で固定しろと」
「でき――」
「ないな」
「だよねー……」
「魔法だからって万能だと思うな。いくらわたしの魔法でも、山をいくつも貫く隧道を支えるのは無理だ。しかもそれを維持するなど、魔力がいくらあっても足りぬわ」
質量も問題ではあるが、一番の問題は維持である。輸送ルートとして使うには、一日やそこら通れたところで焼け石に水である。やはり年単位、できれば向こう十年くらいは使用可能の保証が欲しい。
そもそも、平太の世界の技術をもってしても、作りっぱなしで半永久的な使用に耐えるトンネルは無い。穴だろうが道だろうが、定期的な点検と補修がされているからこそ、安心して使えるのだ。
そう考えると、維持を続ける組織構造が存在しないのに、トンネルを掘るのは無謀ではなかろうか。自分だっていつまでもこの世界にいるとは限らないし、この事ばかりにかまけている時間も無いのだから。
色々と考えているうちに、面倒が多すぎてもういっそ穴を開けるとかしみったれた事言ってないで、山ごと吹き飛ばした方が早いし手間がないし確実じゃないかと思い始めてきた。
いやいや、と平太は頭を振って投げやりな思考を振り飛ばす。山に穴を開けるだけでも生態系や環境にどういう影響を与えるかわからないのに、山本体を消し去ったら文字通り環境破壊だ。そもそも、現代技術を使っても一大工事なのを、すべてファンタジーでどうにかしようというのが間違いだったのだ。
「となると、穴の補強や補修は人力でやるしかないな」
「やるしかないって、どれだけ人手やお金がかかると思ってるんだよ。さすがにそれだけの資金は出せないっていうか、現実に出ないよ」
ドーラが難色を示すのも無理はない。フェリコルリス村の鋳造とトンネルでは、さすがに規模が違う。おまけに回収見込みがないとくればなおさらだ。通行料を取るのならば話は別だが、それだと輸送コストを下げるという目的が果たされない。
だが通行料、という言葉に、ドーラが何か思いついたような顔をする。
「いや、通行料を取らなくても、みんながそのトンネルを使うのなら、資金や人手を集められないかな?」
「そういやー、あの辺りには他にも小さい村が結構あったな」
「ではトンネルができれば、フェリコルリス村の人たちだけでなく、他の村の人たちもスキエマクシに行きやすくなるし、その逆もあるという事ですね」とスィーネ。
「じゃあ、彼らもそのトンネルを通行できる代わりに、工事や資金を負担してもらうというのはどうだい?」
ドーラの言った事は、まさに公共事業だった。先割れスプーンの時の特許使用料まがいの発案といい、こいつはどこまで未来に生きてるんだろう、と平太は空恐ろしくなる。
が、その発想がなかった平太には、眼から鱗である。人手や金が足りなければ、集めればいいのだ。
またもや何でも自分でやろうとして、視野が狭くなっていたようである。平太は改めて反省しつつ、ではどうやって人手と金を集めるか、という思考に切り替える。
「まずはトンネルを掘るという話を、あの辺り一帯の村すべてに告知して、それから代表者を集めて工事計画を説明して融資を募って人員を確保……。駄目だ、途方もなさすぎる……」
最初の公布を想像するだけで、平太は心が折れそうになる。プレゼンテーションなど一度もした事がないのに、それを各村々を回って何度も大勢の前でやるなんて、考えただけで失禁しそうになる。
いや、そうじゃない。平太は今しがたした反省を思い出す。何もコミュ症で社会経験ゼロの自分がやらなくても、誰か他に、もっと向いている奴に任せれば良いのだ。
「あの辺りの人たちに顔が広くて、それなりに信頼があって、俺たちの話に乗ってくれそうな人物か……」
平太たちはそろって「う~ん……」と唸る。そんな都合のいい人物がいるわけ――
「いたーーーーーーーーっ!!」
と思ったら意外にもすぐにその人物の顔が思い浮かび、全員で声を合わせて叫ぶ。
ハートリー=カインズ。その人の名を。
こうして次なる目的地は、スキエマクシの港へと決まった。
☽
それから平太たちは港町オブリートゥスへと行き、そこから船に乗ってカリドス大陸のスキエマクシへと向かった。
そしてざっと三週間ほどかけて、一行はようやくスキエマクシの港へと到着した――
のだが、タラップを降りた途端に平太たちの足が急激に重くなる。
それもそのはず、ついこの間ハートリーに船賃まで払ってもらって送り出されたばかりだというのに、もう戻って来てしまっている。懐かしいと思うよりも後ろめたさが先に来て、港の風景を眺める気さえ起きない。
しかも、用件が魔王討伐とはまったく関係ないトンネル工事の相談である。これではハートリーも呆れるに違いない。そう思うと、彼らの足は重くなる一方であった。
しかし、だからと言っていつまでもこうしていられない。平太は「よし!」と気合を入れると、ハートリーの所属する海岸警備隊の詰め所へと向かった。
☽
かつて一時的とはいえ、雑用係として働いていただけあって、詰め所には迷うことなく着いた。
詰め所の入り口では、一人の隊員が退屈そうに立哨していた。平太と目が合うと、「あの目つきはどう見ても不審者なんだが、ツラはどっかで見たことあるな」という顔をされた。運良くこちらの顔を知っている隊員だったので挨拶をすると、思い出してくれたようですぐに警戒を解いてくれた。
ハートリーの所在を尋ねてみると、ちょうど警邏から戻って詰め所の中にいるらしい。用件がある事を告げると、隊員はすんなりと中に通してくれた。
詰め所の中も、勝手知ったるものであった。新しく入ったのか、臨時雇いの時に会ってなかったのか、何割かの隊員に不審な目で見られたものの、顔を憶えてくれている隊員もけっこういたので、平太たちは適当に挨拶をしながらハートリーの執務室へと向かった。
執務室が近づくと、再び平太たちの足取りが重くなる。だがいくらゆっくりと進もうが、さして広くない詰め所なので、すぐに執務室に着いてしまった。
扉を前に、平太は何度も右腕を上げたり下げたりする。ノックしようとするが、どうしても拳を扉に打ちつける事ができない。
そうこうして、平太が何度目かの腕の上下運動を繰り返したとき、
「なにをいつまでもグダグダやっとるんぞ。入るなら早う入れ」
扉の中から、ハートリーの声がした。
平太たちは驚いたが、そう言われてしまってはもうどこにも逃げられないので、ようやく覚悟を決めて執務室の中へと入った。
室内は、相変わらず極端な状態だった。装飾の類がまったく無く、質素な来客用の机と椅子、そして資料などを入れる棚があり、それらは綺麗に掃除が行き届いている
だが部屋の奥にある執務机の上だけが、その向こうに座っているであろうこの部屋の主人の姿が見えないくらいの書類や本やよくわからない物で溢れかえっていた。
しかしながら、そんな執務机に座っていたら室内さえも見えないはずなのに、どうしてハートリーは平太たちの存在に気がついたのだろう。しかも扉の向こうから。
「妙な気配を感じると思ったら、やっぱりおんしらか」
再びこちらを見ずに言うハートリーに、平太はおお、と感嘆の声を上げる。やはり剣の達人ともなると、姿が見えなくとも気配だけでわかるものなのか。
などと平太が感心していると、
「嘘つくんじゃねーよ。おおかたそこの窓からあたしらが入って来るのを見てたんだろ?」
「バレたか」
いとも簡単にシャイナがバラし、そしてハートリーもあっさりとそれを認めてがははと笑った。
☽
「それにしても、えらい早う戻って来たもんだな。何ぞあったのか?」
ひとしきり笑った後に、ハートリーはしれっと真顔に戻って尋ねる。
「いやあ、何から話をしたらよいものやら……」
平太が話の取っかかりを探していると、ハートリーがにやりと笑う。
「そういやおんし、伝説の武具を手に入れたらしいのう」
「えっ!?」
思いがけないひと言に、平太たちは驚きの声を上げる。まさか大陸を隔てたハートリーに知られているとは、夢にも思っていなかった。
「はっはっはー。どうだ、俺の耳の早さに驚いたか?」
「ど、どうして知ってるんですか?」
「そいは秘密ぞ。ただ、俺にも色々とツテがあるとだけ言っておこう」
平太たちはシャイナに視線を集めるが、彼女もハートリーがどうやってグラディーラたちの情報を入手したのかわからないようだった。
「聞けば、剣がえらいべっぴんな女子に化けるそうだのう。ちょっと俺にも紹介してくれんか?」
いかにもスケベそうな目つきで平太たちを見るハートリーに、シャイナが露骨に舌打ちをする。
「あ~、いやその実は、聖剣はちょっと人見知りって言うか人嫌いなところがあるんで、今はちょっと無理っぽいですね……。食事どきになると出てきますけど、できればまたの機会って事で、」
「なんじゃ、そうなのか?」
「けどまあ、グラディーラたちの事を知ってるのなら、話は早いか……」
それならば、と平太はグラディーラたちと出会った経緯は省略し、王都オリウルプスでコンティネンスを撃退したところまでをかいつまんで説明した。
「ほう。四天王のうち三人とも渡り合ったか。おんしらもずいぶんと勇者らしくなったもんだのう」
平太の話は、淡々と経過を報告するだけの、語り話としてはつまらないものであった。しかしハートリーは、それでも話の要所で「おお」と驚いたり「なるほど」と頷いたりしてくれた。
ただ、ハートリー以外の者は面白くも何ともない報告である。すると案の定シャイナが、
「で、コイツ、王様に中指突き立ててタンカ切りやがってよー、」
何度も話してるくせに、ゲラゲラ笑いながら茶々を入れてくる。
「一国の王のケツを狙うとは、そいはまた思い切った事をしおったのう」
ハートリーは快活に笑っていたが、突然神妙な顔になると、
「まさか、おんしそっちのケがあるんじゃなかろうな……?」
ずずず、と椅子を鳴らしながら平太と距離を取るように後ろにずり下がった。
「あるわけないでしょ!」
「しかしのう、女所帯の中に男が一人だけおってなんもないって、やっぱりおかしくないか?」
「あ~もう、その話はいいから……」
それた話題を強引に戻す。どうせ平太がスィーネによって精神的去勢されている事など、説明するだけ無駄である。
「つまり、伝説の武具を手に入れたはいいが、そのおかげで余計な面倒に巻き込まれかけたっちゅうわけか」
「呆れましたよ。魔王を倒すための武具を戦争に使おうだなんて。だいたいそんな事してる場合じゃないでしょうに」
「そこが人間の浅ましいところだのう。魔王がいようがいまいが、隣の国よりも豊かになりたい。あわよくば征服したい。そのためには強い武器が欲しい。そう思うのはその王が一際阿呆なわけではなく、恐らくどこの国の王も同じ事を考えたであろうて」
その辺りの理屈は、平太も理解はしていた。人間とは、どこまで行っても欲を捨てられない生き物である。そしてその欲の大きさは、持っている権力に比例する傾向がある。
「そいで、王に見切りをつけて逃避行か。だが、ただほとぼりを冷ますためだけに、わざわざスキエマクシくんだりまで来たわけではあるまい?」
相変わらず話が早くて助かるのだが、こうも何もかもお見通しだと、まるで四六時中監視でもされていたかのようで少し薄気味悪い。味方だと頼もしいが、絶対敵には回したくない男である。
「実は、」
平太はまず、フェリコルリス村で鋳造を再開したはいいが、輸送コストが問題になっている事を説明した。
「フェリコルリス村だけでなく、あの辺りの村はどこも山をいくつも越えてこのスキエマクシまで来とるからのう。その逆もまたしかりだ。商人が行くにも難儀するから、必然品が高くなりおる」
「ですから、このスキエマクシとそれらを繋ぐ道を造ろうと思って」
「はあ!?」
これにはさすがのハートリーも仰天したようだ。だがこれだけで驚かれては困る。
「けど、山に穴を開けた後の工事や維持までは手が回らなくって、それで周囲の村の人々の協力を得ようと思ったんですが――」
そこまで聞いて、ハートリーの表情が驚きから困惑に変わる。
「その取りまとめを俺にやらせようって魂胆か」
「やらせようって言うか、やってくれると凄く助かるんですけど……どうでしょう?」
揉み手をしつつ、平太が引きつるような愛想笑いを浮かべる。
沈黙。誰もが黙ってハートリーの次のひと言を待つ。
平太の顔の筋肉が、慣れない動きに耐えかねて痙攣を始めた頃、盛大なため息が室内に響いた。
「どうでしょう、もクソもあるか。どうせ俺がやる事を前提にしとるんだろ。まったく、遠回しな事をしおって面倒臭い」
覆面で表情はわからないが、語調はかなり怒っているような、迷惑そうな感じがした。これは断られるな、と平太の奇妙な笑みが崩れていく。
「で、具体的にどういう方法で穴を開けるんぞ? とりあえず詳しい話をせい」
「え? じゃあ――」
「慌てるな。やるやらんは話を聞いてからぞ。あまりに荒唐無稽な話だったら、俺は協力せんからな」
「は、はい」
それから平太は、自分がグラディーラの記憶を得た事と、それによって前勇者の技術を学習した事を説明した。
今度は、覆面越しでもはっきりとわかるくらい、ハートリーは驚愕していた。目と顎を、あんぐりという音がしそうなくらい限界まで開いている。
「お、おんし、そいは本当か?」
「ええ、まあ……」
「はあ~……、なんかデタラメだのう」
「剛身術なんてデタラメな技使ってる奴がなに言ってんだよ」
シャイナの言う事ももっともだ。世界の理の隙間を好き勝手に埋めているくせに、記憶の移植に驚くとは片腹痛い。それに、グラディーラは神の創造物たる聖剣なのだから、それくらいできても何ら不思議ではない。むしろただの人間である平太やハートリーが使っている剛身術の方が、神をも畏れぬ所業なのではないだろうか。
「それで、勇者の技の中には山を軽く吹っ飛ばせるものとかあるんで、それを使って山に穴を開けようかと思ってるんだけど――」
「さらっととんでもない事を言いおるのう……。まあええ、これでだいたい話は繋がった。要は、山に穴を開けるまではおんしらがやるが、その後の補強や維持までは手が回らんから、俺に金と人出を集めて回れっちゅうこったな」
「大ざっぱに言うとその通りです」
そこで再び平太が是非を問うと、ハートリーはふむ、と一考するように両肘を執務机に乗せ、顔の前で手の指を組み合わせる。
一同、固唾を呑んで返答を待つ。
そうして長い沈黙の末、ようやくハートリーが口を開く。
「おんしら――」
ごくり、と誰かが唾を飲み込んだ。
「これ魔王関係ないだろ?」
当然の反応だった。




