プチ家出
◆ ◆
「ずるいぞいっつもいっつもお前ばっかりー!!」
突然のシャイナの大声に、御者をしていたドーラとスィーネは驚いて、馬車を急停止させた。
がくりと馬車が大きく揺れ、慣性の法則で中の荷物や人間が前へと引っ張られる。幸い速度はそれほど出ていなかったので、シャイナは少しバランスを崩す程度で済んだ。完全に寝こけていたシズだけが無抵抗に倒れて、「ふぇ?」と間の抜けた声を上げた。
「危ねえだろ! ちゃんと運転しろ!」
「それはこっちのセリフだよ。いきなり大声を張り上げるから、びっくりして手綱を引いちゃったじゃないか」
「う……」
御者当番のドーラとスィーネに向けて文句を放つが、手綱を握っていたドーラに反論されシャイナは言葉に詰まる。大声を張り上げた自覚はあるのだろう。
「だってこいつがよ~、ずるいんだぜ~」
ちょっと聞いてくれよ、といつになくからんでくるシャイナに、ドーラたちはこりゃ長くなりそうだと馬車を一度道の端に寄せ、駐車をする。
そうして一同は馬車の中で、寝ている平太を囲むようにして座った。
「それで、ヘイタさんがどうしたのですか?」
この場を取り仕切るように、シャイナの真正面に座ったスィーネが話を切り出す。
シャイナは平太がグラディーラの記憶と一緒に、前勇者の技なども得ていた事を皆に伝えた。
「どー思う!? なんか納得いかねーだろ!?」
必死に訴えるシャイナであったが、他の連中の反応は彼女の期待とは裏腹に冷静なものだった。
「え? そう? ボクは別に何とも思わないけど?」
「わたしも同じく」
「それって、ヘイタ様が前より強くなったという事ですよね? それって良い事じゃないんですか?」
一緒になって平太を糾弾してくれるものと思っていた仲間たちの反応が芳しくなく、シャイナは愕然とする。ついには駄々っ子のように片手で平太を指差し、もう片方の手をぶんぶん振って、
「あたしは絶対納得いかねー! なんで血の滲むような思いで修行したあたしより、コイツの方が強くなるんだよ!?」
とうとう本音をぶちまけた。
「だいたい、コイツが剛身術を使えるのだっておかしいのに、挙句の果てに勇者の技が使えるようになっただと!? ふざけんなよ!! 剣を振り始めて一年も経たねえくせに!!」
シャイナの言う事は八つ当たりに近いものであったが、納得できる部分も多々あった。誰でも、自分が必死に努力してきた分野で、後から始めた者に追い抜かれるのは納得がいかない。
しかも、その者が自分よりも努力をしたわけでも、明らかに才能の差があるなどではなく、それ以外の、それこそ反則みたいな方法で力をつけたのだとしたら。
そりゃあキレる。
誰だってキレる。
だから、シャイナが子供みたいに不平不満をぶちまけても、誰も軽蔑しなかった。
とはいえ、だからといって平太の事を糾弾しようとも思えない。何故なら、
「でも、そのヘイタにボクたちは何度も助けられてるじゃないか」
「そ、それはそうだが……」
「それに、その話が本当なら、今のヘイタさんは前勇者と同等かそれに近い戦闘能力を持っているという事になりますね?」
「まあ、そうなるね」とドーラ。
「だとすると、魔王と戦って勝てる確率が格段に上がったとは考えられませんか?」
スィーネの言葉に、シャイナはぐうの音も出ない。そもそも、平太が強くなる事で、皆が得をする事はあれど損をする奴はいないのだ。
仲間が強くなれば、それだけ他の奴らが生き残る確率も上がるし、戦闘も楽になる。
何より、一度魔王を倒した実績のある勇者の力だ。これほど頼もしい力は他に無いだろう。
ドーラもスィーネもシズもそれを理解しているから、平太の反則的な成長を歓迎こそすれ、疎みはしないのだ。
当然、シャイナも頭では皆と同じ考えではある。合理的に考えたら、平太が強くなるのは喜ばしい事だ。力があれば、魔王を倒せる。そうすれば皆の夢が叶うかもしれない。何を疎む必要があろう。
ただ、感情がまったく追いつかない。
貧乏な家に生まれたシャイナは、物心ついた頃から家族を支えるために剣を振ってきた。挙句剣闘士や傭兵を経て今に至るわけだが、そんな彼女の人生をこれまでずっと支えてきたのは、剣の腕前ただひとつである。
男よりも、いや、誰よりも剣が強い。それが彼女の誇りであり、彼女を形成する根幹である。それが、ぽっと出の、昨日今日剣を握ったばかりのような胡散臭い異世界の男にあっさりと追い抜かれたのでは、やってられないにもほどがある。
だから、シャイナはあっさりと感情に負け、
「やっぱり納得いかねー!!」
半分ベソをかきながら馬車から飛び出した。
鎧を着込んでいるくせに、シャイナはもの凄い速度で走って行く。
「どうしよう……」
もう点にしか見えなくなったシャイナの姿に、ドーラは平太たちに振り向いて困り果てた顔でつぶやく。
「心配しなくても大丈夫ですよ」
スィーネは優しくドーラの頭を撫でる。だが口から出てきた言葉は、行動ほど優しくはなかった。
「お腹がすいたら戻ってくるでしょう」
そろそろ昼食の時間だった。
☽
だが、スィーネの予想に反して、昼食が終わってもシャイナは戻って来なかった。
食事の後片付けをしながら、シズが不安そうにつぶやく。
「シャイナさん、戻ってきませんでしたね……」
木箱を集めて作った食卓の上には、シャイナのための大皿がぽつんと残っている。皿の上には、大盛りの食事が乗っている。謝罪の意味が込められた大盛りだ。だが今はすっかり冷めて野菜はしおれ、脂は白く固まっている。
シズは少しためらった後、調理の際出る生ごみを埋めるための穴に、残飯を捨てた。そして土をかけて穴を埋め、皿を洗って片付けた。
すべての片付けが終わったシズは、最後に一度だけシャイナの昼食を埋めた穴を見て、小さくため息をついた。
☽
そしてその様子を、シャイナはずっと遠くの木の陰から見ていた。
「ああ、あたしの昼飯が……」
猛禽類なみの視力を持つシャイナは、ドーラたちから遥か遠くに離れた後、ずっと彼らの様子を隠れて見ていたのだ。
最初は、心配して追って来たら素直に戻ろうと思っていたが、平太たちはそんな素振りすら見せなかった。それでも探しに来るくらいはするだろうと淡い期待を寄せていたのだが、それも見事に裏切られた。そのせいで戻るのがずるずると遅れ、結局昼飯に間に合わなかった。
おのれ、と恨みがましく木の幹に爪を立てると、盛大に腹が鳴った。
「腹減ったなあ……」
せめて昼飯を食ってからにすれば良かったかと一瞬だけ後悔したが、すぐに思い直した。まだ意地が空腹に負ける段階ではない。
シャイナは考える。こちらから謝ってまでメシにありつくほど、腹は減っていない。だが、夜まではもちそうにない。ならば、相手の食料を奪えばいい。これなら自分の面子も傷つかず腹も膨れる。まさに一石二鳥。
というわけで、シャイナはこっそりと盗み食いをするべく、狩りをする肉食獣なみの隠密行動を開始した。
狩人でもあるシャイナにとって、忍び足など普通に歩くのと何ら変わりはない。その気になれば地面に足跡ひとつ残す事なく歩ける彼女にとって、馬車の中にいるドーラたちに気付かれずに近づくなど朝飯前に粥を一杯すするよりも造作のない事だった。
そうしてシャイナは獲物を狙う猫のように、音も無く馬車へと接近する。幸い、馬車は街道から逸れた空き地に停められていて、木や茂みなどの遮蔽物は十分にある。これだけの好条件があれば、シャイナなら野生の草食動物であろうと素手で捕らえる自信があった。
草を踏んで折ることも、茂みを揺らすこともなくシャイナは馬車へと接近する。鳴いている虫でさえ、シャイナがすぐ近くを通り過ぎても鳴き声を止めることはなかった。ただ、どんなに技術を凝らそうと、やっている事はただのつまみ食いだが。
ともあれ、持てる技術のすべてを駆使してシャイナは馬車へと肉薄した。幌一枚を隔てた向こうでは、満腹になったドーラがだらしなく横になっているのが気配でわかる。
外に出ているのは、見た限り誰もいなかった。となると、残りは馬車の中か。シャイナは馬車から死角になるように動きつつ、外に出したままになっている木箱の蓋を開けた。
案の定、木箱の中身は食料だった。夜の分も入っていたのか、昼食後のわりに中身は結構な量が入っていた。何にせよ、馬車に戻す前に間に合って良かった。
食料、と言っても野菜がほとんどだった。平太の野郎、まだ野菜炒めに凝ってやがるのかとシャイナは内心文句を言うが、生肉が入っていたところでそのまま食うわけにもいかないので、むしろ野菜の方がまだマシかもしれない。
長居は無用なので、シャイナは急いで生でも食えそうな野菜と果物を小脇に抱える。そのまま静かに離脱しようとしたその時、
『シャイナさん、今ごろお腹すかしてないかな……』
馬車の中からシズの声が聞こえた。思わずシャイナは耳を幌にくっつけ、聞き耳を立てる。
『やっぱり、探しに行った方がいいんじゃないか?』
心配そうな平太の声の直後、スィーネがいつもと変わらぬ平坦な声で言う。
『それには及びませんよ。どうせ、向こうもそれを待ってるでしょうし』
あの冷血女め余計な事を、とシャイナは思わず舌打ちをしそうになり、慌てて手で口をふさぐ。
『それよりも、貴方はまず自分の身体を治す事を考えなさい』
『いや、別に病気やケガをしたってわけじゃないんだが……』
『他の方の目はごまかせても、わたしはそうはいきませんよ』
いつにも増して厳しい口調に、平太が小さく呻く。
『貴方の生体波動は、重篤な病人よりも酷い状態です。わたしに言わせれば、今の貴方はこうして普通に活動できているのが不思議なくらいの状態です』
『え? なにそれ? ほんと?』
今初めて聞いたという声でドーラが驚く。
『そしてこれは、言おうか言うまいか迷ったのですが……』
スィーネは一度口をつぐむが、すぐに意を決して口を開く。
『貴方のオーラは、波形や色が通常のヒトとは違う状態になっています』
ドーラとシズが驚きの声を上げる。シャイナも息を呑んだ。
『その原因が記憶の転移のせいなのかは、わたしにはわかりませんが』
平太は答えない。だが、限りなく肯定に近い沈黙なのは明らかであった。
『参ったな……そんな事までわかっちゃうのか……』
『幸い、昨日よりも若干オーラが安定しているようなので安心しましたが、それにしてもここまで酷い状態になるのを、グラディーラさんは予め説明したのでしょうか?』
『いや、グラディーラもたぶん予想してなかったんじゃないかな。記憶を移すなんて初めてだって言ってたし、』
『そんな不確かな事をどうして――』
『俺が頼んだんだ。だから、この件に関しては彼女を責めないでやってくれ』
ですが、と食い下がろうとするスィーネに、平太はもう一度「いいんだ」と念を押す。
『俺にはドーラのような魔法は使えないし、シャイナのように剣が強いわけでもない。スィーネみたいに神の奇跡も起こせないし、シズみたいに変身できない。ただのそこらへんにいる普通の――いや、普通以下の男が勇者なんて大層なもんになろうとしたら、これくらい無茶やんなきゃいけないんだよ』
『そんなことないよ。ヘイタには剛身術があるじゃないか』
『そうですよ。それに、ヘイタ様だから乗り越えられた窮地だって、たくさんあったはずです!』
『それなんだけどね、剛身術は、特に大変な苦労をしたとか、厳しい修行をしたわけじゃないしなあ。それに、窮地を越えられたのは、俺が異世界の人間で、ここより遥かに進んだ科学やらの知識があったからだよ。俺が人よりも才能があったとか、努力したとか、そういうんじゃないんだ』
自嘲するような平太の言葉に、馬車の中が沈黙で満たされる。そして平太によって生まれた沈黙は、平太によって壊された。
『俺には、今まで積み重ねたものがないからさ、こんな方法しかなかったんだよ。だってそうだろ。今から俺が剣を修行して、ものになるまで魔王が待ってくれると思うか? 俺が強くなってみんなを守れるようになるまで、魔物が大人しくしてくれるか? そうじゃないだろ? 後悔ってのは、いつだって自分が弱いから、自分が未熟だからするんだ。だから、普通はそうならないために日々努力するんだけど、結局はいつだって間に合わなくて後悔して、まあ人生はだいたいそういうふうにできているんだろうけど、でももし、そうならないで済む方法があるんなら、そんな都合のいい話があるんだったら、俺は迷わず飛びつくよ。それで強くなれるのなら、俺は――』
そこで平太は言葉を止める。そしてふ、と鼻から息を吐き出し、『ずるいな、俺は』と小さく笑う。
『そうですね』
馬車内が再び静まり返ろうとしたのを、スィーネの肯定が打ち砕く。ドーラとシズが息を呑む音が聞こえそうなほど、ばっさりと切り捨てるひと言だった。
『人は、神より与えられる試練の前ではいつだって準備不足です。ですが、神が与えるのはいつだって、人が乗り越えられるはずの試練です。本来なら、持てる力をすべて出し尽くして乗り越えるべき試練を、貴方は神の意志を無視して、誰かから与えられた別の力で乗り越えようとしている。そういう意味では、貴方は本当にずるい人です』
ですが、とスィーネは一度言葉を区切る。
『今の貴方の状態が、そのずるさへの罰なのだとしたら、もう十分なのではないでしょうか』
シャイナも同感だった。平太も前勇者と同じ道を歩んでいるのだから、順当にいけばいずれは得られる力なのだろう。経験の前借りがどれほどの罪になるのかは知らないが、倒れるほどの痛みを受け、身体がおかしくなるくらいの後遺症が罰だとしたら、平太はもう十分すぎるほど罰を受けているのではないだろうか。
『それよりも問題なのは、同じ事がシャイナさんに起きないか、という事ですが、』
スィーネの口から自分の名前が飛び出し、シャイナはどきりとする。
そういえば、伝説の武具と契約しているのは平太だけではないのだ。自分もスクートという伝説の盾と契約をしている。という事は、スクートもグラディーラと同じ事ができるのではないだろう。そして、できるのなら、自分も平太と同じようになってしまうのではないだろうか。
『いや、その可能性は低いんじゃないかな』
色々考えすぎて恐くなっていたシャイナの想像は、平太のひと言であっさりと否定された。
『スクートはあの通り、見た目も中身も小さい子供だからね。憶えている事って、そんなに多くないと思う』
『確かに、前回の旅の事もほとんど憶えてないって言ってましたね』
『小さい頃の思い出って、印象的なもの以外はほとんど忘れちゃいますしね』
『うん。だから、仮にスクートにグラディーラと同じ事ができたとしても、送れる情報がほとんど無いから、影響はあんまり無いんじゃないかと思うんだ。まあ、あくまで予想だけどね』
なるほど、と女性陣が頷く。馬車の外では、シャイナがほっと胸をなで下ろしていた。
『でも可能性が低いってだけで確実じゃないから、この事はシャイナには黙っていた方がいいと思うんだ』
『そう……ですね。余計な心配を与えるだけですし、知らないならその方が良いでしょう』
『それにシャイナの事だから、危険が少ないと知ったらものは試しとばかりにホイホイやっちゃいそうだからなあ……』
困ったような平太の言葉に、一同が「あ~……」と声をそろえて唸る。失礼な、とシャイナは思ったが、自分ならそうしてるだろうなと容易に想像がつき、苦笑いする。
『いくら危険が少ないといっても、やっぱり記憶の転移は身体の負担が大きいからな。死ぬほど痛いし、頭痛は酷いし、寝てもおかしな夢にうなされるし……。そんな目に遭うのは、俺だけでいいよ』
「あいつ……」
幌につけていた耳を離し、シャイナは馬車から静かに離れた。これ以上盗み聞きをするのは、何となく憚られるような気がしたからだ。
馬車から遠く離れた茂みで、シャイナは盗んできた食料を食べる。ようやくありつけた昼飯だというのにいまいち食が進まないのは、単に生野菜だからというわけではなかった。
平太に言い放った「ずるい」という言葉が、いつまでも頭の中にこびりついていて、食事に集中できなかったからだ。実際ずるいと思うが、少し言い過ぎたかなという気持ちと、あんな事を言ったのにこっちの事を気遣う平太に後ろめたさを感じ、どうにももやもやが収まらない。
「あ~……クソっ!」
シャイナは芯だけになった野菜を投げ捨てると、赤毛を掻きむしって立ち上がった。そうして苛々しながらも、足早に茂みの奥へと進んでいき、やがてその長身が草木に埋もれて見えなくなった。
☽
夕方になり、シズが晩飯の支度をしようと馬車から降りると、夕陽の中でゆらめく影がこちらに近づいて来るのが見えた。
逆光の眩しさにシズが手を額にかざして眺めていると、影の正体がシャイナだという事に気がついた。
「シャイナさん、戻って来てくれたんですね!」
シャイナは、草むらで遊んできた子供のように全身が薄汚れていた。そして不機嫌さを隠そうともしない表情でのしのしと近づいて来ると、
「ん、」
と手に持っていた草の束をシズに渡した。
「何ですか? これ?」
「頭痛に効く薬草だ。たまたま見つけたんで摘んできた。刻んでスープに入れるといいが、いらないのなら捨てていいぞ」
それだけ言うとシャイナは木箱を並べた食卓の、自分の席にでんと座ってしまった。
シズは手に持った薬草の束と、腕を組んであぐらをかいている土と草の汁まみれのシャイナを交互に見てくすりと笑う。
「じゃあせっかくなので、使わせてもらいますね」
「おー、勝手にしろー」
凄くどうでも良さそうに片手をひらひら振って、シャイナは再び腕を組む。
唐突に、その表情がゆるむ。
あの薬草は頭痛にてきめんに効く代わりに、めちゃくちゃ苦いのだ。




