ずるい
◆ ◆
朝日が倉庫の窓から差し込む。
窓枠が切り取った光の四角が時間とともに広がって、倉庫の闇を駆逐していくが、光は平太たちの心中までは明るくしてくれなかった。
「さて、これからどうする?」
どんよりとした空気を払うようにデギースが一同に向けて問うが、皆どうしていいかわからず無言だった。
「そういえば、王様にケンカ売ったままだったな……」
ため息とともに平太がつぶやくと、デギースがそれは初耳、とあからさまに好奇心を丸出しにする。
「なになに? 何やらかしたの?」
「なんでお前はそう嬉しそうなんだよ……」
シャイナに咎められても、デギースは一歩も引かない。仕方なく平太が王宮での出来事を語って聞かせると、案の定大笑いした。
「王様に中指を……そいつはいい! キミの奇行の中で一番笑える話だよ!」
「そんなに笑うなよ。知らなかったんだから……」
デギースは涙を流しながらたっぷり一分は笑い転げる。ようやく収まった思ったら肩で息をしていた。
「いやあ……しかしまあ、うひひ、よく打ち首にならなかったもんだ……」
「魔物が出たどさくさで、王宮から出てきたからな。戻ったら何言われるかと思うと、また頭が痛くなってきたよ……」
「いっその事、戻らずにこのまま出発しようか」
ぐしゃぐしゃになった髪を両手で押さえ込もうとしながら、ドーラが提案する。一同それは名案と賛同するも、すぐに思い直す。
「けれど、そんな事をしたらあの王様の事です。わたしたちを指名手配するのではないでしょうか?」
スィーネの心配も、あながち大げさとは言えない。あの精神年齢と知能の低さだ。自分の欲しい物を手に入れるためなら、手段など選ばないだろう。
「ああ、それいいね。そうしなよ」
しかし、意外にもデギースがその案を推した。
「いやいや、無理だろ。あの王様だぞ。あいつバカだからあたしらがこのまま姿を消したら、絶対顔真っ赤にして追手を差し向けてくるに決まってる」
「まーあの王様だったら、キミらを逃さないように手配書くらい配布してもおかしくないよね」
「だったら――」
「でも、いくら王様がバカでも、その周囲には少しはまともな人がいるでしょ。少し考えれば、キミらを下手に追い詰めたら反旗を翻すかもしれないとか、別の国に亡命していつか敵になるんじゃないかって予想するはずだよ」
確かに。いくら王様が無能でも、その周囲には文官など家臣がいるのだ。まさかそれらすべてがあれより劣るという事はないだろう。
だとすれば、あれだけの武力を持つ平太たちをいたずらに追い詰めても益はないとわかるはず。
それに、もし仮にそうでなかったとしても、それはそれでこの国を見限る良い判断材料である。
「ま、大っぴらにならないだけで、影でこっそりと追われるだけかもね」
「暗殺者はもう間に合ってるんだがなあ……」
暗殺者という平太の言葉にまたデギースが反応するが、話が長く複雑になるので平太は黙殺した。
「とにかく、お尋ね者になる心配がないのなら、わざわざ針のむしろに座りに行く必要はないな」
よし、と平太は頷く。
「王宮が混乱しているどさくさに紛れて、王都から脱出しよう」
平太は周囲を見回して、誰一人異論がないのを確認する。
満場一致でとんずらが可決された。
「じゃあ、衛兵が動き出す前にこちらも動かないと、」
言いながら、平太は簡易寝台から降りて立ち上がると、
「おっと……」
頭痛と目眩に襲われた。思ったよりも踏ん張りがきかず、倒れこそはしなかったが寝台に尻もちをつくみたいに座った。
「おいおい、大丈夫か?」
「わり、まだちょっと本調子じゃなさそうだ」
「無理すんじゃねーよ。ったくしょーがねーなー……」
シャイナは口では厭そうにしながらも、さも当然のように平太の右腕をつかむと、自分の肩に回した。
「ほら、歩けるか?」
「あ、ああ……」
平太に合わせ、ゆっくりと歩くシャイナを、ドーラとデギースはにやにやと見ていた。そして出遅れたのか、中途半端に立ち上がった姿勢で平太たちの背中を見送っていたシズが、泣きそうな声でつぶやく。
「シャイナさんずるい……」
☽
運が良かったのか、早朝だったのでまだ衛兵が出動していなかったのか、とにかく平太たちは無事自分たちの馬車を取り戻し、王都を脱出することができた。
馬車はドーラとスィーネを御者台に乗せ、とりあえず街道を南西に向かって進んでいる。どうして南西かというと、デギースがこんな話を口にしたからだ。
「そういえば、こないだウチに来たパヤンさんが言ってたんだけどね――」
パヤンか。懐かしい名前が出たな、と思いながら平太たちが話を聞いていると、
「彼ね、今ウチの他にカリドス大陸のフェリコルリスっていう小さな村とも取り引きしてるんだけど、そこがまた辺鄙な所にあってさあ。知ってる? フェリコルリス? ま~知らないだろうな~。だって別の大陸だし、僕だって話を聞くまで知らなかったし」
どうしよう。何だか厭な予感がしてきた。平太は何か言おうかと思ったが、視線の端に映るシャイナの表情の無い顔がやけに薄気味悪くて、とても口を挟めるような気にはなれなかった。
そういえば、デギースにナイフとフォークを別の場所で生産開始した事と、それがシャイナの故郷を復興させるためだという事情は話していたが、その村の名前がフェリコルリスだというのは話していなかったような気がする。
「へ~、そんなに辺鄙なとこにあるんだ、そのフェリなんとかって村?」
抑揚のない声と感情のない顔で、シャイナが尋ねる。平太は、あ、コイツとぼけやがったと思うと同時に、自分でもわかっていたが他人に故郷を辺鄙呼ばわりされると何かムカつくんだろうなと察した。
「なんかね、港から遠いらしいよ。馬で三日か四日かかるって。酷いよね。工房を作るなら、せめて主要な輸送拠点から片道一日以内の所にするべきだよ。輸送費だって馬鹿にならないしね」
街道を馬で三日ならまだしも、フェリコルリスの場合、山道を三日だからさらに始末が悪い。
「そう……だね。で、パヤンが何だって?」
「え? ああ、さっき言った通りさ。輸送に経費と時間がかかり過ぎだって。あれじゃあ利益のほとんどが経費で消えちゃってもったいないって、他人事ながらぼやいてたよ」
「まあ商売人にしたら、他人の金でも無駄金は気になるんだろうね。それに、時は金なりとも言うし、輸送は早いに越した事はないだろう」
平太の言葉に、デギースは「だね」と同意する。彼もまた、商売人である。
「じゃあさ、デギースならこの問題をどう解決する?」
「簡単だよ。工房を港の近くに建てて、そこに人を配置すればいい」
「……それができないとしたら?」
「どうして? 輸送コストと時間を一気に解決できるんだよ? やらない方がどうかしてる」
至極もっともな意見である。ただ、フェリコルリス村の場合、鋳造を村の主要産業に据える事が目的であるから、場所が変わっては意味がないのだ。
「その……例えば、工房を村から動かせない事情があるかもしれないじゃん」
苦しまぎれに平太が仮定を追加すると、デギースは「だったら……」と別の案を考える。
「やっぱり、新しい輸送ルートの開拓かなあ。でも、山の中の村だからなあ……。そう簡単に新しい道なんて見つからないだろうし、造るとなるとどれだけ費用と年月がかかるかわからないから、あんまり現実的じゃないなあ」
「採算が合わないと意味ないしね」
平太がため息をついていると、デギースは「それにしても、」と神妙な顔で腕を組む。
「あのパヤンさんが、そんな辺鄙な村と取り引きとはねえ。いったいどんな商品なんだろう?」
「さあ、何だろうねえ……」
「訊いても教えてくれないんだよねえ。気になるなあ……」
パヤンも商売人の前に人の子だ。先割れスプーンを作っているデギースに、フェリコルリス村がその上位互換であるナイフとフォークを作っているとは教えられないだろう。しかもナイフとフォークのせいで、先割れスプーンの売り上げが落ちているともなればなおさらである。
ともあれ、フェリコルリス村の鋳造が順調なのは喜ばしい事だが、やはり輸送コストが問題だったか。
いや、そこがネックになるのは前もってわかっていたのだが、あの時の平太には解決策がなく先送りしたのだ。
さて、と平太は考える。やはり輸送コストの問題は、いつまでも放置しておけまい。かといって、あれから何か具体的な解決策を思いついたのかというと、
「う~ん」と平太は唸る。
あるにはあるが、不確定だしまだまだ煮詰める必要もある。この案ひとつを頼りにしてフェリコルリス村に戻るには、あまりにも心許ない。そんな程度の案なのだ。
「う~ん……」
「おい、また何かややこしい事考えてやがるな?」
シャイナがまたかという顔をする。好きで悩んでいるのではないのだが、何事も即断即決のシャイナからすれば、人が悩む姿は見るだけでも厭なのかもしれない。
「悩むって事は、何か案があるんだろ?」
たまにシャイナは鋭いところがあるから侮れない。平太が「でもなあ……」と煮え切らない発言をすると、その言葉が答えであったかのように、
「あるんなら、とにかくやってみようぜ。失敗したっていいじゃねーか。そん時ゃまた別の案を考えりゃいーんだよ」
「でもなあ、さすがに魔王討伐よりも私用を優先するってのはどうにも気が引けるんだよなあ」
「今回ばかりは、わたしもシャイナさんに賛成いたします」
シャイナに同意する声は、思いがけない人物から出た。スィーネは意外そうな顔で見つめる平太たちに向けて咳払いをひとつすると、
「何もわたしは寄り道を推奨しているわけではありません」
心外だ、と表しているのか、眉をわずかに寄せる。
「じゃあ、スィーネはどういうつもりでフェリコルリス行きに賛成したんだ?」
「先ほど懸念した通り、王様がわたしたちの行く先に監視などの刺客を放つ可能性はまったく無いというわけではありません。ですから、ここはあえてまったく別の方向に向かい、しばらく時間を置くのです。それから予定とは違うルートで北を目指せば、いくら刺客といえど追跡するのは困難でしょう。そうして時間が経てば、王様の怒りも収まるかもしれません」
「なるほど。ほとぼりを冷ます意味もあるのか」
平太の言葉に、スィーネは頷く。
「それに、実際に始めてからでないとわからない問題や不具合があるからね。だから、村の様子を見るのに良い頃合いだと思うよ」
輸送コストのように事前にわかる問題もあれば、実際にやってみなければわからない問題もある。そろそろそういったものが浮き彫りになってくる頃だ、とドーラは言う。
「ほらみろ。立派な理由が二つもあるじゃねーか」
二つとも自分が提示したかのような顔で、シャイナが威張る。その誇らしげな顔に平太は軽くイラっとするが、最初に自分の背中を押してくれたのが彼女だったのを思い出した。
考えてみれば、シャイナにはよく背中を押されている気がする。自分が彼女の背中を押してやったのは一度なのに、コイツはいったい何度押し返してくれれば気が済むのだろう。
まったく、お節介な奴だ、と平太は静かに鼻から息を吐く。しょうがない、と平太は決断する。だって立派な理由が二つもあるのだから。
「よし。じゃあもう一度フェリコルリス村に行って、様子を見てくるか」
「そうこなくっちゃ」
シャイナがぱちんと指を弾いて鳴らす。
そうして行き先は南西、港町オブリートゥスに決まった。
☽
馬車の中で仰向けに寝転びながら、平太はぼんやりと天井の幌を見ていた。体調が優れないため御者役を免除されて寝かされているが、頭痛がする以外は至って健康なので暇を持て余していた。
いっそ寝てしまえばすぐに時間が過ぎるのだが、寝るとまた脳が記憶を整理しようと奇妙な夢を見せるので、あまり気乗りしなかった。それにまだ正午前だし。
どうせ起きているのならと、平太はこの先の事を考える。だが、考えたところでどうしようもない事がほとんどだった。結局は、行ってみないとわからない。
それにしても、再びフェリコルリス村を訪れるべく港町オブリートゥスに向かうと決めたはいいが、ついこの間そこから王都に来たばかりだ。まさかのとんぼ返りになろうとは、いったい誰が予想したであろうか。
「全部あのデブが悪い」
自国の王をデブ呼ばわりするシャイナであったが、誰一人それを注意しない。あのスィーネでさえ、ちらりとシャイナを一瞥しただけだった。シズは馬車の隅っこで座りながら、日光に暖められた幌の中の空気に負けて船を漕いでいる。
シャイナは先割れスプーンなどの在庫の詰まった木箱にもたれ、篭手の手入れをしていた。鎧は完全オーダーメイドで彼女の身体にぴったりなのだが、なにぶん人間なのですべてがずっと同じサイズというわけにもいかない。手入れはもちろん、日々の微調整は欠かせないのだ。
あぐらをかく彼女の腰の右側では、新しい剣が布でぐるぐる巻になって横たわっていた。これはスブメルススの鱗を使い、デギースが鍛えた剣だ。これがなければ、コンティネンスには勝てなかったと言えるだろう。
そんな大事な剣が何故抜き身なのかというと、鞘ができる前に王都を離れなければならなくなったからだ。そして抜き身のままでは危ないという事で、鞘ができるまではこうして布で包んでいるのだ。
よほど新しい剣が気に入ったのか、シャイナは篭手の手入れをしながら、時おり視線を剣に向けてはニヤニヤしている。そして何度目かの視線を剣に向けた時、
その先で寝ている平太と目が合った。
ニヤニヤモードに入りかけていたシャイナは、頬が弛むのをすぐには止められず、非常に間抜けな顔だった。
「……なに見てんだよ?」
「いや、嬉しそうだなあ、と」
「まあな」
そう言うとシャイナは剣を取り、包んでいた布を解く。すると布の下から青く透き通る刀身が現れた。スブメルススの鱗は、魔物であった時は異形の肌という感じがして恐ろしかったが、加工されて剣となった今は、見るだけで涼しげに感じられるから不思議だ。
シャイナは剣を顔の高さで水平に持ち、刃を検めるように厳しい目で睨む。
新しい剣は、刃渡りは以前の剣よりもわずかに長くなり、切れ味は鋼の剣などとは比べ物にならないほど鋭くなった。そして、片刃から諸刃へとなったため、シャイナは手首を返してもう片方の刃も検める。
刃こぼれ一つ見当たらぬ刀身に満足そうに頷くと、再び布で包む。そうして仕舞うと思いきや、また尻のすぐそばに置く。今日だけで何度これを繰り返した事やら。
「そいつの鞘って、いつ頃できるんだ?」
「さあな。まあデギースの事だ。二三日ありゃ十分だろ」
「工房があの有り様だからなあ。もう少しかかるだろ」
「まあそのへんも汲んで、別に急がねえって言ってあるよ。まずは店を何とかしねーと始まらねーしな」
裏通りは大通りに比べて被害が少ないとはいえ、デギースの店は半壊している。復興は大通りが優先になるだろうし、彼の店が日常を取り戻すのは当分先であろう。
「それよりも、」とシャイナは篭手を手入れする手を止めて、平太に身体ごと向き直る。
「調子はどうだ?」
「まだちょっと頭が痛むが、昨日よりはだいぶマシになった気がする」
「そうか、」
シャイナは再び篭手の手入れに戻るべく、身体の向きを変えようと床に両手をついて、
やっぱりやめて両手を床から離す。
「ところで、記憶を移される時ってどんな感じがした?」
いきなりな質問に、平太は言葉に詰まる。どうと言われても、すべては気を失っている間にだいたい終わってしまっていたので、答えようがない。
「どんなって言われてもなあ……。死ぬほど痛くてすぐに気を失ったから、あんまりよく憶えてないよ」
実際に平太は二度ほど死んでいるのだが、当然本人は知らない。同じくそんな事露ほども知らないシャイナは、「ンだよ白けるなあ」と期待が外れたという顔をする。
「んじゃアレだ。グラディーラの記憶ってどんなだ?」
「まだどんなかよ。質問がざっくりしすぎだろ」
「何でもいいんだよ。勇者がどんなツラしてたとか、どんな剣持ってたとか、あいつの記憶から何かわかった事が一つくらいあんだろ?」
「そうだな……、顔はぼんやりとしててわからなかったが、」
うんうん、とシャイナは相槌を打つ。
「勇者の使ってた技とかは色々憶えたような気がする」
うんうん、とシャイナは相槌を打った次の瞬間、ん? と何か聞き捨てならないセリフを聞いたような顔をしたかと思うと、
「ずるいぞお前ぇーっ!!」
馬車がひっくり返るんじゃないかと思うような大声で叫んだ。




