ラストチャンス
◆ ◆
一人でできない事なら、二人でやればいい。どうしてもっと早く気づかなかったのかと呆れるくらい、簡単な答えだった。
気づかなかったのは、仲間に頼るという考えが、頭からすっぽりと抜け落ちていたからだ。
平太は、ずっと一人で戦っているつもりになっていた今までの自分を省みる。剛身術を身につけてからというもの、どれだけ自分が傲慢になっていたかようやくわかった。
仲間に頼る事が、恥ずかしい事だと勘違いしていた。
力を見せることで、居場所があると思い込んでいた。
本当は、誰かに弱みを見せるのが恐かっただけではないのか。頼るのと甘えるのを混同していたのではないか。任せるのと丸投げするのを同一視していたのではないか。
他人と接するのが、恐かっただけではないのか。
他人は恐い。それは、程度の差はあれ、誰だってそうだろう。
けれど、本当に恐いのは、誰にも必要とされなくなる事ではないか。
他人が恐くて関わろうとしないくせに、他人に必要とされなくなるのが恐い。
何という矛盾。
いや、何という傲慢。
どうという事はない。自分のコミュ症など、
ただの甘えだった。
いつまで甘えてるんだ。平太は大太刀を地面に突き立て、自分の頬を両手で叩いて喝と罰を与える。
『お、おい、どうした?』
「何でもない。ただの眠気覚ましだ」
平太の頭の中で、グラディーラが盛大なため息をつく。もうかなりの強度で魂がつながっているため、軽口を叩こうが本心が完全に伝わっている。
それでも、グラディーラは何も問わない。ただ、いつものように呆れたふうに言う。
『それで、目は覚めたか?』
気の利いた返しに、平太はにやりと笑う。
「ああ、バッチリだ」
『では、そろそろカタをつけるとしようか』
グラディーラはそこで言葉を止めると、少し笑いを堪えるように言った。
『みんなでな』
「おう!」
そのひと言で、平太は頭の痛みを忘れた。
☽
ドーラの魔法が、再びコンティネンスを捕らえた。いくら怪力を誇る魔物でも、ドーラの魔力で編んだ網に絡み取られれば、自由には動けまい。
ようやく攻撃の手が緩んだ。シャイナがこの隙に乱れた呼吸を整えていると、平太が合流してきた。
「おい、大丈夫か?」
少しは回復したようだが、平太の顔色はまだ良くない。普段から濁っている目が、今や完全に死人のそれだ。
だが、その奥に見える得体の知れない光だけは、いつにも増して輝いていた。
「大丈夫だ。それより、あいつを倒す策を思いついた」
「そうか、じゃあまたあたしが囮になって時間を――」
稼ぐぜ、そう言おうとしたシャイナの言葉を、平太の言葉が遮る。
「いや、今回は俺一人じゃ無理だから、シャイナたちにも手伝って欲しいんだ」
「む、」
思いもかけぬ言葉に、シャイナは驚く。これまで、こういった窮地は何度もあった。だが、最後には平太が何とかしていた。それは、彼の持つ異世界の知識だったり、誰にも真似できぬ奇抜な発想だったりと、どれもシャイナの持っていないもので、少なからず嫉妬をしたものだった。
それに、これまで何度か手を貸す事はあったが、それは、言い方は悪いがまるで平太の手駒のような扱いだった。指示を受け、それを実行するための存在。文字通り、手の本数が足りないから代わりに手を貸すという感じのものだった。
しかし、今彼は何と言っただろうか。
一人じゃ無理だから、手伝ってくれ。
ほほう、とシャイナは内心でにたりと笑って腕を組む。
こいつ、あたしらを頼るようになったか。
使う、ではなく、頼る。
平太に頼られる事が少し嬉しいのもあるが、何よりこいつが他人を頼る事を憶えたというのが嬉しかった。
「それで、あたしは何をすればいい?」
平太の説明を受けて、シャイナは再び驚いた。こいつ、何て無茶な頼み事しやがる。
確かに、シャイナの腕前なら一秒あれば五回は斬りつけられる。スクートの増幅魔法で強化された身体なら、その二倍か三倍はいけるだろう。
だが、それはシャイナ一人でやる場合だ。
今回は、平太がコンティネンスの核を露出させた後のほんのわずかな時間に、シャイナがそれを貫くという作戦だ。
問題は、核がどこに現れるのか、直前までシャイナにはわからない点だ。平太が核の在り処を見抜き、それを露出させて初めて彼女に核が見える。見てから構えたのではまず間に合うまい。
見て、構え、斬る。この三拍子では駄目だ。見て斬るのを同時に行うくらいでないと、核はすぐに移動するか、コンティネンスの桁外れの回復力で切り口が消えて核が隠れてしまう。
そうなると、核が見えた瞬間に斬りつけなければならないので、平太とほぼ同時に斬りつける事になる。
しかも一発勝負で。
平太はどう見ても限界だ。見えないはずのものを見るというのは、そうとう身体に負担がかかるのだろう。やり直しなど、とてもできまい。
自分一人の生命だけならまだしも、この一撃に仲間全員の生命がかかっている。どうしても失敗できないという重圧に、さすがに豪胆なシャイナも手足が震えそうになる。
「へへへ……」
引きつった顔で、変な笑い声を出すシャイナに、「シャイナ」と平太が声をかける。
平太はまだ青い顔を笑みの形にすると、ゆっくりと右手を持ち上げて拳を握り、親指を突き立てた。
「任せたぜ」
それだけで勇気百倍。すべての後ろ向きなものが吹っ飛んだ。
「任せろ」
シャイナは自信に溢れる笑顔とともに自分も右の拳を持ち上げると、親指を突き立てたまま平太の拳に打ち合わせた。
☽
「ぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ……」
コンティネンスに向けて持っている小さな杖が、まるで重石であるかのようにドーラの手や足が震えている。極限まで精神を集中させているため全身が汗にまみれ、立っているだけでもやっとという感じだ。
ドーラの足止めも、もってあと数秒といったところか。さすがに四天王を足止めするとなると、彼女の負担も半端ではない。
「頼む、あと少しだけ……」
そして平太も再び剛身術でコンティネンスの体内を視る。彼もまた限界が近い。止まったはずの血がまた目と鼻から溢れ出た。
それでもまだ、核は見当たらない。
その小さな身体のどこにそれだけの魔力があるのだろうと不思議になるくらい、ドーラは大出力の魔法を連続して発動させていたが、とうとう魔力の枯渇する時が訪れた。
「きゅう……」
最後の一滴まで魔力を絞り尽くして失神したドーラに、すかさずスィーネが駆け寄って介抱する。
それと同時に魔法が解け、コンティネンスが魔力の網の束縛から解き放たれた。
雄叫びを上げながら、コンティネンスが向かったのは、やはりシャイナだった。スブメルススの仇に、脇目もふらず襲いかかる。
シャイナもそれを、待ってましたとばかりに迎え討つ。
互いに叫びながら、二匹のケダモノがもの凄い勢いでぶつかり合う。
超重量のぶちかましを、寸前に地面に固定杭を打ち込んだ盾で真っ向から受け止める。衝撃波が二人を中心に放射状に走り、瓦礫が押し流された。
王都の弩すらものともしなかったスクートが、一瞬だが後ろにしなったような気がした。
『くう~……』
「がんばれ、スクート! あとちょっとだけもちこたえてくれ!」
『はーい。スクートがんばるよー!』
スクートの張り切りが直接流れ込んできて、シャイナも全身に力がみなぎってくる。これをさらにスクートの魔法で増幅したら、自分はもう誰にも負けないという気さえした。
コンティネンスの力は想像を絶するもので、地面深く打ち込んだ固定杭ごとシャイナたちをじりじりと押し込んでいく。
「こいつ、何て力だ……」
シャイナも全力で踏ん張っているが、体重差があり過ぎる。こればかりは、人間の力を倍加したところでどうしようもないだろう。
まだか、とシャイナは平太の方を見やる。
平太は、コイツもうすぐ死ぬんじゃないかと思うような形相で、コンティネンスを凝視していた。
☽
号泣しているかのように、平太は目と鼻から血を流し、それをまったく歯牙にもかけずコンティネンスを睨みつけている。だが思い切り歯を食いしばった口元は、彼が想像もつかぬほどの苦しみ耐えている証だ。
平太の足元には血溜まりができていた。それでもまだ、コンティネンスの核は見当たらない。早くしないと――と焦りが募るが、そのせいで集中を切らすとすべてが水泡と帰してしまう。どうにももどかしい気持ちを噛み締めながら、平太は焼けつく目を皿のようにしてコンティネンスの核を探した。
それにしても、二度目なら一度目よりも慣れて楽になるかと思いきや、二度目の方が辛いとはどういう事か。それとも、単に一度目の負荷がまだ残っていて、上乗せされたせいなのだろうか。
どちらにせよ、脳か視神経のどちらかが、あるいは両方が焼き切れる寸前だ。視界がショートしたように明滅し、あちこちに星が出たり消えたりしだした。
おかしい。さすがにこれだけ探して見当たらないのはあり得ない、と思い始めた。あれだけの巨体の中を移動しているといっても、探せば必ず見つかるはずである。
待てよ、と平太は焦る気持ちを落ち着かせながら考える。
自分は何か見落としていないか。あるいは、何か考え違いをしていないだろうか。
よく考えてみろ。自分なら、一度見つかった大事なものを、同じ場所に隠しておくだろうか。
否《NO》。
相手は魔物だと言っても、知能のある生き物である事を忘れていた。知能があるのなら、少なくとも相当の馬鹿ではないのなら、一度見破られた策を、そのままにしておくはずがない。
平太は、自分に置き換えて考えてみる。自分なら、この状況で核をどこに隠すか。誰にも見つからず、安全な場所はどこか。
そこで、平太は肝心な事に気がつく。
コイツの正体が、核に岩や砂をくっつけて巨人の形をしただけのものだとしたら。
その核が、体内になくてもいいとしたら。
「まさか!」
平太は視線をコンティネンスの身体から外す。もうあと十秒もつかどうかわからない状態で視線を外すのは致命的な間違いではないかという思いもあったが、それ以上に自分の考えに間違いはないという根拠の無い自信があった。
果たして、核はあった。
「あった!!」
コンティネンスとシャイナが押し合っている場所から三歩ほど後方の、地面の下。そこにコンティネンスの核があった。思った通り、コンティネンスは自分の体内から核を避難させて、遠隔操作で身体を動かしていたのだ。
幸運だったのは、操作できる距離には制限があるのか、案外近場にあったためにギリギリ発見できた。これが何十メートルも離れていたら、絶対に見つからなかっただろう。
「そこかぁっ!」
もう残り時間が少ない。平太は全力で走る。
見当違いの方向に走る平太に、シャイナは一瞬意表を突かれた顔をするが、すぐに平太の表情からすべてを察すると、
「こっちじゃねえのかよ!」
と盾から固定杭を引き抜いて左に回転させ、コンティネンスをいなした。
全力で前に押し進もうとする力が突然行き場を失い、コンティネンスは呆気ないくらい簡単にすっ転ぶ。
ずずん、と土煙を上げて転倒する隙だらけのコンティネンスには目もくれず、シャイナは平太の後を追って駆け出した。
「何だよ! あのデカブツじゃねえのかよ!?」
「あれはただの抜け殻だ! 本体はとっくに足の裏から外に出て隠れてたんだ!」
マジか! とシャイナが驚くと同時に、二人は目的地に到着した。これ以上説明している時間も、体力的余裕もない。さっきから眼と頭が爆発しそうだ。
地面を見れば、コンティネンスの核が地中深く逃げようとしているのが視えた。ここを逃せばもう次は無い。
横滑りするようにして目標地点に立つ。シャイナもすぐに平太の右斜め前に回り込んで準備体制に入った。
「やるぞ!」
「おう!」
シャイナの返事と同時に、平太は大太刀を振りかぶった。地面を斬るなんて初めてだが、気合とともに斬りつけると、さすが聖剣というべきか、見事に地面を割ってコンティネンスの紅い核を露出させた。
「今だ!!」
平太が叫ぶまでもない。核が見えたとほぼ同時に、シャイナの剣が地面に突き立っていた。
「ぬおおおおおおおおおっ!!」
背後でコンティネンスが断末魔の叫びを上げた。やったか、と平太が期待を込めて振り返る。
だが、シャイナは苦渋にまみれた顔で呻く。
「悪ぃ……外した」
デギースの作った剣は、重さも握りも手に馴染んだとても良い剣であった。だが、新しい剣はわずかに狙いを狂わせた。
長くなった刀身が、シャイナの腕の動きをほんの少しだけぶれさせたのだ。
しかし、完全に外したわけではない。シャイナの剣は、コンティネンスの核にかすかに傷を入れるほどには当たっていた。
かすり傷といえど、そこは重要な核である。毛ほどの傷も命取りになる。だから、ほんのわずかに端が欠けただけでも、コンティネンスには耐え難きダメージがあったのだろう。
長い咆哮が終わると、家ほどもある巨体が砂の城の如く乾いた音を立てて崩れた。
「終わった、のか……?」
砂の山を見上げ、シャイナがつぶやく。
「とりあえずは、だな」
「核は――」
シャイナの問いに、平太は静かに首を横に振る。コンティネンスの核は、すでに地中深くに逃走していた。
「すまねえ……。偉そうな事言っといて、肝心な時に外しちまった……」
悔しさをぶつけるように、シャイナが力任せに剣を地面に突き立てる。剣は、軽い音をわずかにさせて、滑らかに地面に突き刺さった。
平太は何も言わず、地面に大太刀を突き立てた。シャイナのように、悔しさをぶつけたわけではない。ただ、杖にして身体を支えるためにそうしただけだ。
だが、その前に限界が来て、平太は大太刀を杖にする間もなく、身体を垂直に崩すように膝から折れて地面に倒れ込んだ。
ただ倒れるよりもずっと以前から、平太は気を失っていた。
☽
「ヘイタ!」
グラディーラが慌てて人の姿に変わり、平太を抱き起こす。頭を両手ですくうようにして持ち上げると、ぬるりとした液体に濡れていて、危うく滑って落としそうになる。
案の定、それは血だった。
しかも、両目と鼻のみならず、両耳からも血が流れ出ていて、平太の髪をしっとりと濡らしていた。
「こ、これは……」
「お、おい、これってまずいんじゃねーのか……?」
死体を見慣れたシャイナでさえ、平太の凄惨な有り様に肝を冷やしている。実際、今の平太は呼吸していなければ死体と変わりなかった。
「スィーネ、早く来てくれー!」
戦いが終わった静寂を斬り裂いて、シャイナの叫びが瓦礫と化した裏通りに響き渡る。だがスィーネも魔力を出し尽くして失神したドーラの介抱に追われ、すぐには動けないでいた。
この場にいるのは、殺す専門の女剣士と、殺すための武器になる聖剣のみ。この二人では死体の山を築く事はできても、平太一人を助ける事はできそうになかった。グラディーラはせめて平太の頭を硬い瓦礫の上に置くまいと、自らの膝を提供した。逆に言うと、それしかできなかった。
「クソ……あたしらはなんにもできねーよかよ」
ただ平太を見守る事しかできない自分の不甲斐なさにシャイナが歯ぎしりしていると、平太が苦しそうに咳き込む。同時に、片手ひとすくい分くらいの血を吐いた。
平太はそれから続けて吐血を繰り返し、溢れた血でグラディーラの膝を濡らした。そして自ら吐いた血が喉に詰まり、溺れるようにもがき苦しみだした。
「おい、ヘイタ、しっかりしろ!」
グラディーラが懸命に押さえるが、暴れる平太の力は、意識の無い人間とは思えないほど強い。
「お前も見てないで押さえるの手伝え!」
「そ、そんな事言われてもよう……」
グラディーラが悲鳴のように助けを乞うが、シャイナとてどうしたら良いかわからない。戦場では、ここまで壊れた人間はトドメを刺して楽にしてやるのが常だった。軽傷の手当ならともかく、瀕死の重傷を助けた経験などほとんど無い。
このままでは平太が死んでしまう。スィーネはまだかと慌てふためく二人の背後に、いつの間にかデギースが立っていた。
「それじゃあ駄目だ。死んでしまう」
そう言うとデギースは平太の横にしゃがみ込む。
「まずは吐いた自分の血で窒息しないように、身体を横に向けないと」
デギースがよっこらせと平太の身体を横向きにすると、自然に口から血が流れ出た。それから軽く平太の背中を叩いてやると、気管に詰まった血を咳と共に吐き出す。呼吸が楽になると、平太はようやく大人しくなった。
「さて、とりあえず一安心――はできないけど、ひとまずこれで窒息死はなくなったね」
「すまない。助かった」
「ああ、恩に着るぜ」
珍しくしおらしいシャイナの姿に、デギースは目を丸くする。と同時に、今ごろ気がついたのか、
「あんた誰?」
とグラディーラに向けて質問した。




