ワンチャンス
◆ ◆
透視はあと一回が限度だろう。
それ以上やったら、どうなるかわからない。
いや、たぶん死ぬかそれと同じくらい酷い事になるんだろうというのはわかるが、具体的にどうなるかはわからない。
わからないというのは不安だが、結果的に死ぬという結末がわかったのは不幸中の幸いか。
となると、あと一回のチャンスでコンティネンスの核を破壊しなければならないのだが、負荷をかけすぎて沸騰寸前の平太の脳ミソでは、どうすればいいか何も考えられなかった。
☽
コンティネンスがまだ生きている事から、平太が失敗したのはすぐにわかった。そして、彼の渾身の突きがどうして外れたのか、その理屈もシャイナはすぐに理解した。
刃筋というのは、とても繊細なものである。ほんのわずかな手首のブレや障害物の有無で、呆気ないくらい簡単に刃の進む方向が変わってしまう。こればかりは経験を積むしかない。つい最近剣を握ったばかりの平太では、たとえ世界最高の剣を持たせても経験の溝は埋められなかったようだ。
とはいえ、コンティネンスの核がどのくらい体内の奥にあるのかはわからないが、その距離によってはシャイナでも失敗する可能性は十分にあるのだ。
だから、彼女には平太を責める気は微塵も無い。そもそも、彼女には核の位置すらつかめないのだ。見えないものは、斬りようがない。
しかしながら、平太はどう見ても限界だった。たぶん、あと一回やれるかどうかだろう。
だが同じ方法でもう一度やったところで、結果は目に見えている。
自分にも核の居所がわかれば――そう思ったところで、剛身術の使えないシャイナにはどうしようもない。それに、今手にしている釘バットでは、核が視えたとしても打撃では届かない。
やはり剣がないと。
あまり強く思うと、またスクートが無理をしてしまいそうなので、シャイナはすぐに頭の中から剣の事を消した。
視線を平太に向ける。
目と鼻から血を流した時は驚いたが、今は少し落ち着いたようだ。それでも危険な事に変わりはないのだが、コンティネンスを倒すにはどうしても彼の力が必要だ。
勝敗を決める大部分を平太に委ねている事に、シャイナは自分が情けなくなる。本職の剣士でありながら持っているのは釘バットだし、平太の姉弟子でありながら剛身術は使えない。何だかいいとこなしである。
だったらせめて最後のトドメくらい刺したいものだが、そうなるとやっぱり目か剣のどれかが足りない。
足りないづくしのシャイナであったが、希望は捨てていなかった。
ただ、その小さな希望はデギースが担っていたので、やっぱりシャイナはいいとこなしだった。
☽
デギースは武具屋の店主であり発明家ではあったが、残念ながら戦士や冒険者ではなかったので戦闘経験はなかった。だから平太が攻撃役、シャイナが防御役という分担を見ても、まあそういう事もあるか、くらいの感想しか持たなかった。
しかしながら彼は、シャイナが防御に徹しているのは、彼女の武器が剣ではなく釘バットだからではなかろうかと推察する知能は有していた。
実際そうでなければ、技能経験あらゆる方面で平太より秀でているシャイナが、壁役に回る道理が見当たらない。
となると、今のまま戦闘が進んだところで、彼らは負けるだろう。少なくとも勝てはしない。それは、攻撃役である平太が何度も斬りつけているが、魔物にまったくダメージを与えているようには見えないことから予想される。
ここで、事情を知らない者は、だったら平太の剣をシャイナに渡し、攻守交代すればいいのに、などと考える。しかし、じゃあしないのは何かできない理由があるからなのだろう、ともう一歩踏み込んで考えるのがデギースである。
そうして色々考察しているうちに、結論に至った。
この剣が、勝敗を左右するかもしれない、と。
デギースは、両手に持つ剣を見る。透明感のある青鱗を纏った刀身は、常に濡れているかの如く滑らかに光を反射し、宝石のように輝いている。
切れ味も申し分ない。刃先に髪の毛を落としただけで、何の抵抗もなく髪の毛が切れるほどだ。
間違いなく、この剣は今までデギースが作った中で最高の剣である。
この最高の剣と、恐らくこの国最高の剣士シャイナがそろえば、
あんな魔物など――
視線を魔物に向ける。工房の屋根よりも高い位置にある頭、これまで見たどんな戦士よりも太い手足、岩で覆われた筋骨隆々の身体。
恐い。
単純に恐い。
デギースの脳裏に、ついさっき魔物に殺されそうになった恐怖が蘇る。
デギースは武具屋の店主であり発明家ではあったが、残念ながら戦士や冒険者ではなかったので戦闘経験はなかった。つまりただの一般人にとって、魔物とは恐怖そのものである。
だからこそ、恐怖をものともせず魔物と戦う戦士や剣士を尊敬するし、少しでも彼らの役に立つべく武具や発明品を作っているのだ。
なので、何としてもこの剣をシャイナに届けなくては。
瓦礫の陰から少しだけ顔を出し、シャイナの方を見る。魔物が振るう豪腕を、ほんのわずかも臆することなく盾で防いでいる。相変わらずのクソ度胸だ。尊敬を通り越して、コイツ本当は男なんじゃないかと思う。
シャイナとの距離は、デギースの歩幅で百歩以上。全力疾走したところで、絶対届ける前に見つかって叩き潰される。よって剣を持って走るという案は却下。
次にどうにかしてシャイナにこちらに来てもらうという案だが、今シャイナが魔物から離れると、平太が魔物と一対一になってしまう。そうなると、防御に不安のある彼はたぶん無事では済むまい。よって却下。
そして最後に、全力でこの剣をシャイナに投げるという案。
自慢ではないが、デギースは成人男性の平均よりもかなり小柄だし、体格に応じた筋力しかない。シャイナのような馬鹿力があるならともかく、彼にはこれだけ距離が離れたシャイナに向けて剣を投げて、届かせる自信はまったく無い。よって却下。
あ、詰んだ。
常日頃から、いざという時に必要になるのは冷静な判断と知識だと思っていたが、実は体力や筋力だったという事にデギースは絶望する。こんな事なら、普段から身体を鍛えておけば良かった。
などと今さら後悔しても始まらない。無い物ねだりをしている暇があったら、今あるものでどうにかするために考えるのが先だ。どうせ自分には、考える事しかできないのだから。
直接投げて届かないのなら、何か道具を使えば投擲距離を伸ばせる。そう思ってデギースは周囲を見回した。だが、何でもそろっていたはずの工房は、すでにあの魔物によって瓦礫と化していた。かつて作った武具や道具は、今やただの金属の塊に過ぎない。辛うじて無事な工具もあったが、こんな小刀一つで何ができるというのか。
再び己の無力感に押し潰されそうになるのを、どうにか堪える。手が傷つくのも構わず瓦礫を掘り返していると、作った本人ですらその存在を忘れかけていたものが出てきた。
「これは……」
確か、「思い切り殴っても手が痛くない棒」だったか。平太の世界ではフレイルと呼ばれた、かつてデギースが発明した武器だ。
持ち手側の長い棒と、打ち手側の短い棒の間を鎖で繋いだフレイルの形状を見た瞬間、デギースの頭脳がフル回転した。
この構造を利用すれば、釣り竿のようにしなりを使って自分でも剣を遠くに投げる事ができるかもしれない。
デギースの優れた頭脳は、そこから瞬時にフレイルの改造図面を構築した。そして図面ができれば後はもう作業するだけだ。隠れている事も忘れてその場にどっかりと腰を下ろし、今しがた拾ったばかりの小刀でフレイルの打ち手側の棒を削り始める。
剣の柄を引っかけるためのフックを、慎重に削る。これが浅ければ投げる前に剣が落ち、深すぎれば剣が離れずに遠くに飛ばない。
もし失敗したら、という不安で手が震える。さらにチャンスは一度しかないというプレッシャーで、手だけでなく身体全体が震えてくる。
落ち着け、何度もそう自分に言い聞かせる。一般人ではある彼だったが、亜人であり裏通りの住人という事で、物騒な目に遭った経験なら事欠かない。店を構えた当初は、毎日のように強盗がやって来たものだ。
それらをすべて撃退し、今日まで無事やってこれたのは、ひとえに卓越した頭脳と、それによって生み出された発明品の数々のおかげである。
そうしていつしか常連も増え、その中にはシャイナや、平太がいる。そして今彼らを助けられるのは、自分しかいないのだ。
大丈夫、自信を持て。いつしか手の震えも収まって、計算した通りの角度に木も削れた。あとはこの投擲具に剣を添え、イメージ通りの角度で投擲するだけだ。
タイミングを見計らって、瓦礫の陰から飛び出す。今だ。
飛び出すと同時に叫ぶ。
「シャイナあああっ!!」
シャイナがこちらを向いたのを確認しつつ振りかぶる。
「受け取れえっ!!」
思いっきり、全力を込めて投擲具を振り抜いた。
ワンチャンス。届け、シャイナに。
デギースの思いと気合を込めて放たれた剣は、彼の計算をはるかに超えた勢いでシャイナに向かって一直線に飛んでいった。
「あ、やばい」
予想外の速度で飛んでいく剣に、デギースは厭な予感がする。まさか、この剣がシャイナにトドメを刺したりしないだろうか。
だがそんな心配はまったく無用だった。
投げナイフの如き勢いで飛んでくる剣を、シャイナは身体を左に回転させてかわしながら、通り過ぎようとする剣の柄をつかんで受け止めた。
彼女の手から離れた釘バットが、お役御免と地面を転がる。そしてその手には、新たな武器が握られていた。
スブメルススの鱗を使った、彼女の新しい剣が。
☽
柄を握った瞬間、確信に似たものが電流となって身体を駆け抜けた。
こいつはいい剣だ。
シャイナは一回転して身体をコンティネンスに向けるとともに、新しい剣を縦横無尽に振り回して具合を確かめる。
「ふむ、」
長さは少し長くなったが、重さは前の剣とまったく同じだ。長さよりも重量を合わせる方を優先したのか。さすがデギース。そっちのがありがたいぜ。
ただ振っているだけなのに、剣の事が伝わってくるようだ。握り、重心、刃渡り、どれもこれもシャイナの好みにバッチリ合っている。伊達に長い付き合いではないという事か。
「こいつはいい」
思わず声が出る。まったく、いい仕事しやがる。
さて、だいたいの事はわかったが、こればっかりは実際に斬ってみないとわからない。
――切れ味だ。
シャイナは柄を握った手に唾を吐きかけ、気合を入れる。これまでは防戦一方だったが、それは単に、武器が悪かっただけだ。
さあ、試し斬りだ。
不敵に笑うシャイナに向けて、コンティネンスが豪腕を振りかざす。速度は無いが、超重量級の巨躯から繰り出される岩の拳に当たろうものなら、家だろうが壁だろうがひとたまりもない。
だが、シャイナはそこを狙う。迫り来る巨岩を盾で綺麗にいなすと、振り抜こうとする手首に向かって斬りつけた。
抵抗は、まったく無かった。
平太がグラディーラを使って斬りつけても、コンティネンスの岩の皮膚を斬り裂く程度であった。
が、シャイナが斬りつけたコンティネンスの手首は、辛うじて皮一枚で繋がっているだけになった。
「む……」
手首を切断一歩手前にされ、これまで無表情だったコンティネンスの顔にわずかな変化が現れる。しかし回復能力は相変わらずのようで、ぶらぶらしていた手首があっという間に元通りになる。
「チ、そこが弱点じゃなかったか」
刀身に付着した血を振り払うように剣をひと振りすると、地面に勢いよく砂が落ちた。落ちた砂は砂鉄が磁石に引き寄せられるように、再びコンティネンスへと還る。
「その匂い、その剣……」
コンティネンスの、かすかに驚いたような表情が、今度は見てわかるほどの怒りに変貌する。
「それが、スブメルススか?」
「ああ、そーだよ。だからどーした?」
大地が震えた。
そう思えるほどの、叫びであった。
コンティネンスが、這いつくばるようにして叫んでいた。
それまで見かけのわりには知性があると思えたコンティネンスであったが、今こうして両手足を地面につき、空に向かって吼えている姿は、まるで魔獣であった。そして、この姿こそが、彼に相応しいと思えた。
怒りによってコンティネンスの攻撃は、さらに激しさを増した。あれだけの巨体が嘘のような俊敏さで、ケモノのようにシャイナに襲いかかる。
次々と襲い来る拳と爪と蹴りに、さすがのシャイナも剣を使う隙が無い。スクートの増幅魔法で身体能力が上がっていても、体重差はどうにもできない。盾で防御しても、吹っ飛ばされて壁に激突したら、それだけで致命傷になりかねない。
ただ利点があるとすれば、再び攻撃がシャイナに集められ、平太が回復する時間を持てたという事だろうか。剛身術によるダメージがまだ残っている状態では、今のコンティネンスの攻撃には対応しきれないかもしれない。
だから少しでも回復に専念できるよう、シャイナはできるだけコンティネンスを平太から遠ざけるように身をかわしていく。
彼にはどうしても回復してもらわなければならない。
せめてあと一回、核の在処を示してもらわねば。
この勝負、負ける。
☽
少し時間が経ったおかげで、いくらか頭痛が治まってきた。
目と鼻の血も止まっている。意識はまだはっきりしているとは言い難いが、今はこれ以上ゆっくり休んでいる暇はない。シャイナが敵を引きつけるのにも、限度というものがあるだろう。
平太は鈍い頭をどうにか動かし、現状を打破すべく策を練る。
コンティネンスの核の位置は、どうにか視える。しかし問題は多い。まず、あと一回しかチャンスが無いという事だ。
そして、その一回のチャンスで、核を二回攻撃しないといけないのが最大の問題だった。
核をそのまま攻撃しようとすると、どうしても厚くて硬い皮膚によって刃先がぶれて致命傷を与えられない。だったら、一撃目は皮膚を斬って核を露出させ、二撃目を本命にすれば良いという考えに至った。
名案だ、と思った次の瞬間にはまた問題が浮かび上がった。
コンティネンスの尋常じゃない回復力は、平太が斬った程度の傷など一瞬で治癒させる。つまり、核が露出しているのは、わずか一秒にも満たない。いや、核自身も体内をゆっくりではあるが移動しているので、チャンスはわずかコンマ数秒といったところだろう。
そして次なる問題。そのわずかコンマ数秒の間に二回斬りつけるのは、平太には無理だという事だ。
まず最初に思いついたのは、一度に二回斬らなきゃならないなら剣を二本持てばいいじゃない、というマリーアントワネット理論だ。
「グラディーラ」
『無理だ』
以心伝心も考えもので、尋ねる前に否定された。だが、いくら神の創りしたもう聖剣でも、身体は一つしかないので双剣は無理、という理由も話すまでもなく伝わるのは痛し痒しか。
ともあれ、双剣計画は早くも崩れ去った。
どうする。剛身術を使えば、筋力を強化して剣を振る速度を今よりも上げる事はできる。けれど、ただでさえ負荷のかかる視力強化をしているのだ。これ以上身体に負担をかけると、寿命が縮むどころの話では済まなくなるだろう。
もちろん、リスクを恐れているわけではない。この方法で確実にコンティネンスを倒せるのなら、平太は迷わず実行する。だが、例え剣の速度を今の倍にしたところで、肝心の核に当たらなければ意味がないのだ。
つまり、精度や練度の問題である。
平太には、決定的に欠けているものだ。
八方ふさがりの平太の脳裏に、突如としてスィーネの言葉が蘇った。
――一人で何でもやろうとするのは結構なことですが、適材適所という言葉があるように、人には向き不向きというものがあります。できない人が無理してするより、できる人に任せてしまった方が効率が良いでしょう。
その瞬間、平太の頭の中にある、凝り固まった枠のようなものが外れた気がした。そうだ。何もすべてを一人でやる必要は無いのだ。モチはモチ屋というように、剣の事は剣士に任せてしまえばいいのだ。
一瞬でスブメルススの触手をなます斬りにしたシャイナだったら、コンマ数秒あれば二回どころか五回は斬りつけられるだろう。
それに、新たな剣を手に入れた今の彼女なら、難なくコンティネンスの核を貫けるに違いない。
そこで平太は一計を案じる。単純な役割分担だ。できる者ができる事をやる。何も一人がすべてを担う必要はない。互いに足りないものを補い合ってこそ仲間というものだ。
理屈はさておき、方針は決まった。
まだ身体が動くことを確認するように、地面を踏みしめて歩き出す。
シャイナはまだ、戦っている。
ドーラとスィーネ、きっとシズも戦っている。
みんな戦っている。
みんなで戦っている。
そう思うと、何でもやれそうな気がした。




