融合
◆ ◆
『力が欲しいか?』
グラディーラの言葉は、平太の心臓をわしづかみにした。
自分の欲望――さらにその奥にある羨望や嫉妬などを見透かされたようで、全身からねっとりとした汗が噴き出る。
それと同時に、この状況があまりにもストライク過ぎて、別の意味で心臓をわしづかみにされていた。
「ど、どういう意味だ?」
わかっているくせに、白々しい。それでも平太はグラディーラに悟られないように、出来る限りの平静を装う。
『口では到底説明しきれん。まずは慣らしがてらに、わたしの思考記録をお前に送信してやろう』
言い終わるが早いか、平太の脳内に大量の情報が流れ込んできた。それにはグラディーラがこれまで懊悩してきた事や、その理由――これからする事の危険や懸念が余すところなく詰まっていた。
「これは……」
一秒にも満たない時間に、圧縮された膨大な情報を流し込まれ、平太の脳が一時的に過負荷に陥る。剛身術で抑え込まなければ、頭の血管が何箇所か破裂していたかもしれない。
『どうだ? ここまで知ってなお、お前は力を――勇者の記憶を求めるか?』
今感じる目眩は、脳の過剰稼働によるものだろうか。それとも、グラディーラの提案に対する恐怖なのだろうか。
脳の慣らしが終わった余剰効果で、平太の思考は常人の数倍の速度を得ている。その中で考えるのは、危険に対する危惧ではなく、
また反則のような方法で力を得る事への後ろめたさであった。
平太は加速する思考の中で、何百何千回と自問自答していた。
それでいいのか。
努力を伴わぬ強化で、何が得られるというのか。
これではまるで、経験値の前借りではないか。
だが、危機は己の成長を待ってはくれないという現実。
綺麗事と欲望の板挟み。無限回廊のような思考の迷路をさまよっていた平太に、二条の光が当たった。光はまるで暗闇の中を迷う彼を導くかの如く照らす。
光の中で、平太は思い出す。
――ケンカに卑怯もクソもねえ。使えるモンがあるなら、使わない方がマヌケなんだよ。それが例えカミサマが作ったモンであろうと、お前ら魔族に勝てるのならあたしは、いや、人間は迷う事なくそいつを使うね。って言うか、その強かさが人間の強さだとあたしは思うね――というシャイナの言葉を。
そして、
――今度はわたしを――いいえ、みんなを守ってください――というシズとの約束を。
平太を照らす二条の光が、強く大きくなる。光はやがて彼の中の闇をすべて打ち消し、世界を真っ白に変えた。
純白の世界の中で、平太は立つ。その表情は、思い悩んでいた時とは比べ物にならないほど清々しい。
「いいんだ」
ついに至った。
この境地。
他力本願上等。経験値の前借り? いいじゃないか。どうせいずれ勇者になるのだ。だったら順番など瑣末な話である。
何より、仲間を守るためなら、守れるのなら、自分は手段を選ばない。例えそれが正規の手続きを踏まないものであっても、胸を張って「それがどうした」と言える。
だってシズと約束したのだ。
みんなを守ると。
だから、今すぐにでもみんなを守れる男になる。
そのためなら、危険や体裁など知ったことか。
「グラディーラ」
『決めたか』
思考を共有しているので口にするまでもないのだが、平太は己の決意を表明するために声に出して言う。
「力を――お前の記憶をくれ」
『わかった』
グラディーラが意識を集中させるのを感じる。きっとさっきとは比較にならないほどの情報量を送るために、圧縮に圧縮を重ねているのだろう。
『行くぞ』
「おう」
記憶の入力に備え、自然と身体に力が入る。全身を硬直させたところで、頭の中に直接情報がぶち込まれるのだから意味は無いのだが、つい身体が強張ってしまう。
そして予想通り、緊張は無意味だった。
頭に無数の電極を刺されたような激痛とともに、グラディーラの記憶が怒涛のように流れ込んできた。
「が…………」
呻き声しか出なかった。明らかに容量オーバーの情報が、下り最速の速度で脳に書き込まれていく。脳神経の限界を超える速度と量の電気信号が、平太の脳を容赦なく蹂躙し、焼けついた神経組織を補修する間もなく、新たな記憶が脳を駆け巡る。
足が笑えるくらい震えて、立っていられなくなる。無意識に大剣を地面に突き立てて杖の代わりにするが、もうこの時点で自分が立ってるのかどうか、身体が上下左右どっちに向いているのかあやふやになる。
このままでは脳がもたない。そう本能で判断した平太の身体は、脳の未使用領域に新たな記憶媒体を増設。無慈悲に流し込まれてくる情報を一旦そこに仮置きし、その間に破損した組織を修復しながらさらに効率の良い回路を構築する。
それでもグラディーラから送られてくる記憶は、平太の許容量を軽く超えていた。
何しろ勇者の戦闘の記録だ。百や二百できくまい。しかもグラディーラの人間視点だけでなく、彼女が剣となって振られている時の記憶もあり、そっちの方は人間の日比野平太には受容媒体が存在しない。当たり前ながら、平太には剣に変身して誰かに振られた経験が無いからだ。
つまり、視点どころか観点が違う。
それ以前に、形式が違うのだ。
WindowsマシンでMacのプログラムを走らせるような、神をも恐れぬ所業。例え神が許したとしても、やられた方はただでは済まない。
そのただでは済まないギリギリのところで、平太の生存本能はとんでもない回避方法を実行した。
平太、ここで一度心停止。
まるで車が給油する際エンジンを切るように、平太の身体は一時的に生体活動を停止した。
これによって痛覚が遮断されると同時に、生命維持に使われていたエネルギーを情報の入力と整理に回す。
こうして新たな工事計画が打ち出されると、限定的に生命活動を再開。脳死にならない程度の生命活動ができるエネルギーを残し、他のすべてを脳のバージョンアップに使う。今の平太の身体は、九割八分のエネルギーが首から上に使われていた。
麻酔状態で痛みを感じないのをいい事に、強引に情報が書き込まれていく。当然耐え切れず脳神経や血管が何本も逝くが、他から巻き上げたエネルギーを湯水の如く使って再生させると同時に、より効率のよい回路へと再構築されていく。
早回しのように平太の脳が改築されていき、どうにかすべての情報が脳に送信された。
そこで平太、本日二度目の心停止。
コンピュータが、プログラムを更新した後に一度再起動をかけるように、平太ももう一度停止した。
その僅かな空白時間を使って、脳が情報の最適化をするためにフル稼働する。残ったエネルギーを全部使う勢いで、グラディーラの記憶を平太のものへと変換していった。
ここまでで、普通の人間なら三回は死んでいた。
こうして無事すべての工程が終了すると、それを待っていたかのように心臓が動き出した。自律呼吸を再開し、酸素を取り込んだ血液を全身に巡らせる。と同時にそれまで簒奪していたエネルギーを返還し、筋肉や内臓に活力を取り戻させる。
「……かはっ!」
蘇生完了。平太は一日に二度の心停止から無事生還した。日比野平太ver2・0ここに誕生である。
平太は水の底から水面に浮かび上がってきたような感覚の後、懸命に酸素を求めた。まるで何キロも全力疾走したように息が切れ、身体が疲弊している。おまけに頭がガンガン痛むし、目眩に吐き気のオンパレードだ。
その上さっきからしきりにグラディーラが頭の中で叫んでいて、頭痛に追い打ちをかけている。
『おい、返事をしろ! おい!』
「何だようるさいな……聞こえてるよ」
平太が返事をすると、頭の中がグラディーラの安堵のため息で満たされる。
『まったく、心配させるな……』
「どういう事だ?」
『途中でいきなりお前との繋がりが途絶えたんだ。記憶は送信できるのに、お前の反応がまったくなくなったから、もしかしたら死んだのかとヒヤヒヤしたぞ』
もしかしなくても二回死んだのだが、当然平太はそれを知る由もない。
そこでようやく、平太は自分が地面に横たわっているのに気がついた。
「あれ? 俺いつの間に倒れてたんだ?」
『知らん。それより何か身体に変化はないか?』
言われて平太は自分の身体を調べてみるが、特にこれといった外傷は見当たらない。ただ相変わらず頭の中が鐘楼になったみたいにガンガンするのと、時々別のフィルムが数コマ混じったように他人の記憶がフラッシュバックするのは少々キツい。
「身体は何ともないが、頭の中が酷い。吐きそうだ」
『それは、今しがたわたしの記憶を流し込んだばかりだから当然だ。お前の記憶とすり合わせが終わって馴染むまで、しばらく頭痛や吐き気、軽い記憶障害が続くだろうが我慢しろ』
「しばらくって、具体的にどれくらいだよ?」
『しばらくはしばらくだ。それよりも、ちゃんと記憶が送信されたか確認しておこう。何か思い出せるか?』
よし、と平太は記憶の糸をたぐる。すると、出るわ出るわ。前勇者はどれだけ血生臭い日々を送っていたのかと心配になるくらい、戦いの記憶が湧いて出た。
「うわあ何だこりゃ……文字通り屍山血河だな」
ただでさえ頭が痛くて気分が悪いところに、無修正グロ動画の詰め合わせを見せられて、さらに気分が悪くなる。
これ以上は具合が悪くなりそうだ、と平太が思い出すのをやめようとした時、妙な違和感を憶えた。
「あれ?」
『どうした? どこかおかしなところでもあるか?』
「いや、それは問題ないんだが……」
痛む頭に鞭打って、平太はもう一度記憶をおさらいする。すると、やはり何度たどっても、ある一定以上のところまでしか記憶を遡れなかった。
「なあ、この記憶の中の勇者って、出て来た当初から結構強いんだけど。初心者の頃の記憶って無いのか?」
『そんなものは無いぞ』
「ん? ちょっと待て。無いってどういう事だ?」
『わたしと出会った頃には、すでに名の通った剣士だったからな。当然それ以前の記憶は無い』
「マジか……」
忘れていた。グラディーラは聖剣なのだ。当然、RPGなんかで言うとキーアイテムで、冒険の中盤かそれ以降に登場するのが常である。だから前勇者がグラディーラを手に入れるとしたら、レベルで言うなら30くらいいった、所謂“中堅冒険者”の頃なのだ。よってグラディーラの記憶も、そこからしか存在しない。出会ってもいない頃の記憶は、存在するはずがないのだから。
頭痛がさらに酷くなってきた。こちとら自慢じゃないが初心者である。そんな奴に超上級者用の攻略動画を見せたところで、完全にピンと来ないどころか何をやっているのかすらよくわからない。
記憶の中の前勇者と、現在の自分の身体の動きに齟齬がありすぎて、まったく参考にならない。
これは困った。が、問題はさらにもう一つあった。
「片手剣の記憶しかないんですけど……」
『当然だ。わたしとスクートと、そしてアルマ姉とともに戦って魔王を倒したのだ。それに片手剣と盾の組み合わせは、この世界では通常仕様だぞ』
確かにそんな話を聞いた事があるが、少しくらい他の武器を使ったりはしなかったのだろうか。いや、グラディーラと出会う以前ならまだしも、一度聖剣を手にしてしまったら、もう他の武器に浮気はできないのかもしれない。特にグラディーラが許さなそうだし。
「マジか……」
本日二度目のマジかである。何だか色々と不具合が多すぎて、危険を犯してまで記憶を流し込んだ利点があまり見つからない。むしろやらなかった方が良かったんじゃないかとすら思えてきた。
『おい、何だそのガッカリ感は。勇者の記録だぞ。この世のすべての剣士が欲して止まないほどの、至高の剣技が目白押しだというのに。お前はなんて贅沢な奴だ』
怒りたいのはこちらの方である。使い勝手の悪い記憶を導入されても、不具合が出たり動きが悪くなったりと、却って前より悪くなるばかりである。
おまけに仕様の違うプログラムを無理に使おうとすると、そのために余計なエネルギーや装置が必要になる。それで得られる効果が苦労を上回れば良いのだが、結果はこの有り様である。だったら、やらなかった方がいくらかマシというものだ。
――なんて事を言おうものなら、グラディーラがキレて契約を解消してしまうかもしれない。まあ口で言わなくても思考を共有しているので、考えるだけでもアウトなのだが。
とはいうものの、完全にマイナスというわけでもない。
片手剣に関する記憶は、今現在は使えないというだけで、これから先記憶が脳に馴染んですり合わせが進めば、平太の大剣や大太刀にも応用が利くかもしれない。こればかりは時間が経ってみないとわからない事だ。
それに、記憶の中には武器の使い方だけでなく、体術などの身体の使い方もふんだんに入っている。
これは非常に有用な情報である。ただこれも今はまだ記憶と身体のすり合わせが終わっていないので、実際にやってみるとちぐはぐな感じがするのだが、時間が経過して記憶と身体のズレがなくなったら、記憶の中の勇者と同じ動きができるのではないかと期待が高まる。
そう考えると、これまでデメリットばかり目立っていたのが相殺されていく。結果的にメリットの方が多くなった気がしないでもない。
「悪かったよ。せっかくの勇者の記録だ。ありがたく使わせてもらうよ」
『素直にそう言えばいいのだ。まったく……』
まだ何か言いたそうなグラディーラを、平太は思考を戦闘に切り替える事で黙らせた。見れば、シャイナとコンティネンスの戦闘はまだ続いている。
「俺、いったいどれくらいの間倒れてた?」
『倒れたといっても、十秒かそこらだと思うが』
何だそれだけか、と拍子抜けするが、その十秒そこらの間にどれだけの事が起こったのか平太は知らない。
ただぼんやりとわかるのは、たったそれだけの時間で、自分の身体がとんでもない事になったという感覚だけだった。
だがそれも、望んだ結果である。
後悔は無い。
「さてと、それじゃあ軽く試運転といきますか」
『張り切るのはいいが、あまり無理をするなよ。ついさっき記憶を移したばかりだというのを忘れるな』
「わかってるよ。けどシャイナ一人じゃ、こいつを魔力切れにさせるのは大変だろうしな」
そう言って平太は駆け出した。その一歩目から、出足がいつもと違う事に気づく。勇者の動きの中から、ただ走るという動作を真似しただけだが、身体の使い方ひとつ変わるだけでこうも効率が変わるのか、と感心してしまう。
きっとこれが、長い時間の訓練を経て身につけられる“コツ”というものなのだろう。まだ身体が記憶に慣れていないのにこの効果だ。これが完全に馴染んだらどれだけのものになるか、今から楽しみである。
達人が何気なく動いているように見えるのに、常人とまったく成果が違うのは、彼らがとんでもなく合理的な動作をしているからだ。
それらを紐解いていくと、だいたい人体力学など科学にたどり着く。意外に思うかもしれないが、実は武術を突き詰めていくと、必ずと言っていいほど科学にぶち当たる。むしろ、武術が科学で解明できると言っても良いくらいだ。
余談はさておき、平太は剛身術に頼らない、効率の良い身体の使い方――所謂コツを身につけた。それはもちろん、グラディーラの記憶のおかげだ。これによって平太は、勇者が長い時間をかけて身につけた技術を手に入れた。
しかも、手に入れたのは技術だけではない。
記憶を入手したという事は、経験を入手したという事だ。つまり、今の平太には、前勇者が倒してきた魔物の情報がたらふくある状態だ。
これは大きい。何しろ平太たちがこれまで戦ってきた魔物など、わずか数種類である。この世界にどれだけの種類の魔物がいるか知らないが、そのほとんどの情報が手に入ったのは、ゲームで言うと完全攻略本を手に入れたとか、攻略動画を見たに等しい優位だ。
風のように、平太が駆ける。これまでのような、強化した筋力にモノを言わせた走りではない。シャイナのように、滑らかな足取りで音もなく走る。
乱雑に転がる瓦礫をものともせず、平太はシャイナたちに向かって大きく回り込むようにして接近する。
平太は無意識にそう動いていたが、これは勇者の記録によって戦闘経験が底上げされていたせいである。要は場数を踏んで戦い慣れしたのと同じというわけだ。
こうして常に敵の死角になるように接近しつつ、シャイナには自分の位置取りを見せる。すると、さすがシャイナはよく心得たもので、顔にはまったく出さずにこちらの意図を汲み取ってくれた。
二人はひと言も交わす事なく、まるで長年コンビを組んでいたかの如き以心伝心ぶりで戦闘を組み立てていく。
そうしてシャイナが注意を引き付けていると、コンティネンスが平太に向けて背中を向けるという絶好のチャンスが訪れた。目標との距離も、平太なら一瞬で詰められる。
「今だ!」
死角となった瓦礫から飛び出すと同時に、平太はグラディーラを大剣から大太刀の姿へと変化させる。閃光が走り、コンティネンスが背後で何か光るのを感じて振り向こうとする時には、すでに平太は渾身の力を込めて大太刀を振り下ろすところであった。
「喰らえっ!!」
一閃。
剛身術によって強化された筋力と、増加された切れ味によって、岩の如きコンティネンスの皮膚に刃が滑るように潜り込む。
大太刀はそのままの勢いをもって、コンティネンスの右肩から左の脇腹の辺りを通り抜けた。
一刀両断である。




