蚊帳の外
◆ ◆
汗と砂にまみれた身体を起こし、デギースは瓦礫の端から工房の様子をうかがう。
手には、命がけで店から持ち出した剣が一振り。
かつて裏口だった場所では、バケモノとシャイナたちが対峙している。、デギースは、平太がバケモノに向けている剣が、以前と変わっているのに気づいた。
自分が作ってやったカニ剣はどうしたのだろう。まさか捨てたのか。けど悔しいが、あのカニ剣よりも今の大剣の方がずっとモノが良いように見える。あれなら持ち替えても仕方あるまい。
それにシャイナのあの盾。いつのまに新調したのだろう。確かに元の盾はずいぶん長いこと使い込んで、あちこち傷がついたりガタがきてそろそろ買い替えかなと思っていたけど、それならせめてうちの店で買い替えてくれれば良かったのに。けどシャイナの持つ盾の何と見事なことか。あれに匹敵する品が店にあるかと問われたら、悔しいかなちょっと思い当たらない――とつい武具屋視点で見ている自分に気づき、デギースは頭を振る。
剣と言えば、とデギースは両手に抱えた剣に視線を落とす。バケモノに殺されそうだったので思わず逃げてしまったが、これを一刻も早くシャイナに届けなければ。
デギースはタイミングを見計らって瓦礫の陰から飛び出そうとするが、すぐにでも戦闘が始まりそうな雰囲気に、足が前に出ない。
しかも、相手はいかにも強そうな岩巨人の魔物である。これは下手に手を出すと、巻き込まれて死ぬ予感がもの凄いする。
と同時に、デギースにはこの剣が、これから起こるであろう戦いを左右するのではないかという不安があった。なので、やはり今すぐにでもシャイナにこの剣を渡さねばならない。
恐いと、早く剣を渡さねばという思いがせめぎ合い、デギースは物陰から顔を出したり引っ込めたりする。そして最終的に彼は、まあいいタイミングになったらやるか、という結論に至った。まずは身の安全である。
☽
「匂いが、増えたな」
岩をこすり合わせたような声で、魔物――コンティネンスがつぶやく。だが平太たちは意味がわからず、何か心理戦の前触れなのかと警戒を露わにする。
「まあいい。まずは、お前らから、片づける」
コンティネンスが平太たちに向けて身構えた。戦闘態勢に入ると、ただでさえ大きな身体が倍以上に膨れ上がったような錯覚を受ける。
『何という魔力だ……。油断するなよ』
殺気に混じって押し寄せる膨大な魔力の圧を感じ、グラディーラが平太に警告する。だが言われるまでもなく、平太にもコンティネンスが放つ得も言えぬ気迫に、息苦しさと不安を感じていた。
相手が大きかったから、ついグラディーラを大剣にしてしまったが、本当にこれで良かったのだろうかと少し後悔する。見れば、敵の肌は岩のようで、かつての岩イノシシ《ルワーティクス》での失敗を思い出させる。
しかしながら、今さら大太刀に変えようにも、コンティネンスからそんな隙は与えないという空気が流れてくる。これはまずったな、と平太は内心舌打ちする。
だがコンティネンスは、剣を向けている平太にではなく、シャイナに向かって拳を振るった。
「なに!?」
いきなり豪腕を振るわれ、シャイナは咄嗟に盾を構える。銅鑼を鳴らしたような大音響とともに、シャイナの身体がもの凄い勢いで後ろに吹っ飛んだ。
「うおっ!」
シャイナは身体がくの字のまま、一直線に宙を飛ぶように後ろに下がる。一瞬自分が飛んでる事に気づかず、慌てて両足を地面に突き立てるみたいに踏ん張って制動をかけた。
「くのぉおおっ!!」
瓦礫を蹴散らしながら、シャイナは地面に二本線を引く。軽く五十歩分の長さの線を引いたところで、ようやく止まった。
「あ~びっくりした……。何て馬鹿力してやがんだコイツ」
ほぼ不意打ちに近い攻撃を受けながら、この余裕である。並の戦士なら、今の一撃を盾で止める事もできなかったであろう。いや、例え止められたとしても、盾ごと挽き肉にされていた。スクートとシャイナだったからこその、今の結果である。
そしてコンティネンスも、平然と立っているシャイナを見て、少しの間視線が止まる。
次に今振るった拳を見ると、浅いながらも引っかいたような傷がいくつも走っている。傷はすぐに消えてなくなったが、その事実はコンティネンスの心にわずかな波紋を生じさせた。
あの一瞬で、打ち込んだ拳に攻撃を合わせたというのか。
盾で防ぐのが精一杯という感じにしか見えなかったが、まさか反撃していたとは。コンティネンスは認識を改めると同時に、確信にも似たものを感じる。
――コイツがスブメルススを。
そう決断した瞬間、それまで全方位に放出されていた魔力が、指向性をもって一点に向かう。
シャイナは、殺気が一点になって自分に向かってくるのに気づいた。どうやら狙いは自分のようだ。そう思ったら、自然と口元が弛む。だが右手に握る釘バットを見て、一抹の不安を抑えきれなかった。
平太も、敵の関心が自分ではなくシャイナに向いていくのを感じた。どうやら自分は敵と認識されていないようだ。そう思ったら、無性に腹が立った。
『落ち着け。怒りに任せて突っ込んだら、相手の思うつぼだぞ』
平太の苛立ちを察知し、グラディーラが注意喚起する。だが、平太が腹を立てているのは、相手にではない。相手に無視される程度の力しかない自分に腹を立てているのだ。
敵に敵とすら見られていないクソみたいな自分が最強の剣を持っていて、敵に敵と認められる最強の剣士が釘バットみたいな武器を持っている。
何てクソみたいな話だ。こんな装備編成、自分がゲームプレイヤーだったら絶対にしない。それ以前に、自分のようなキャラはパーティーに入れない。
だがこれはゲームではなく紛れもない現実で、シャイナが今釘バットしか装備できないのも、自分がクソの役にも立たないのも、どうしようもない現実である。
現実は、いつだってクソみたいに残酷だ。
けれど、いつだってクソなのは、自分自身だった。
☽
スクートにシャイナの無念が伝わるように、グラディーラにも平太の無念が伝わっている。
しかし、グラディーラはスクートと違い心身ともに成熟しているので、彼女のように激情に任せて禁忌を犯したりはしないし、そもそも平太の悩みは彼自身が強くなる事でしか解決しないのを理解している。
理解しているがゆえに、何もできない事が歯がゆく思う。いっそ妹のように激情に身を任せる事ができれば、少しはこの思いも発散できるかもしれないのだが、それもできない。
しかもグラディーラは、自分の感情が平太に逆流しないように自身の中でそれを押し留めなければならない。
結果、グラディーラは単身もの凄いストレスを抱え込む事になるのだが、そもそも平太がこうなった原因は自分の不用意な発言にあるため、これは自分に対する罰なのだと受け止める事にする。
さりとて、グラディーラも平太をこのままにしておくつもりは毛頭ない。何しろ契約を交わした、聖剣の主である。早く自分を持つに相応しい者になってもらわねばならぬ。
だが彼女は剣であって剣士ではない。シャイナのように直接彼を鍛える事はできない。
では、彼女に何ができるというのか。
それは、彼女がかつて主と認め共に戦った、勇者と呼ばれた男の戦い方を、彼に伝えるのだ。
いや、伝える――というのは適当ではない。言葉や文字では、彼女の記憶をすべて正確に伝達する事は不可能である。それではせっかくの勇者の技術が不完全に伝承されてしまう。
ならばどうするのか。グラディーラたち聖なる武具たちは、自らが認めた主と契約する事によって魂で繋がる。これによって、武具と主は思考や視覚情報などの感覚が共有可能となる。しかもそれらは一方通行ではなく、双方向へと作用しているので、武具と主はほぼ時間差と距離を問題にしない意思疎通が可能なのだ。
そして、共有できるのは、思考や感覚だけではない。それらができるという事は、
記憶も共有できるのである。
グラディーラは、彼女が持つ前勇者の戦闘に関する記憶を、平太と共有しようと決意したのだ。
それまでは、前勇者の記憶は彼女の思い出であり、彼女だけのものであった。
とても大事な、ものだった。
ただ、グラディーラが躊躇う理由は、それだけではない。そんな乙女チックなものだけで判断を鈍らせるほど、聖剣グラディーラはなまくらではない。
むしろ躊躇う理由は、こちらの方が深刻だ。何しろ、平太に別の人間の記憶を移植するのだ。一人の人間に二人の記憶が存在することになる。そうなった時、平太にどんな副作用が現れるか、グラディーラにはまったく予想がつかない。
前例がないのだ。発狂するかもしれないし、平太の記憶がグラディーラの記憶に上書きされ、もう以前の平太ではなくなってしまうかもしれない。もちろん何も起こらず万事上手くいく可能性もあるが、そんな楽観的発想を信じて挑戦はできない。
あまりにも危険な賭けである。
もし仮に、平太の精神が耐え切れずに壊れてしまったら――前勇者みたいになってしまったら。そう考えるだけで、グラディーラは恐くて仕方がない。
それでもなお、グラディーラが決意したのは、平太の身を焼き尽くすような強さへの渇望が伝わってくるからだ。
もちろん、ただ己の欲を満たすためだけに力を欲しているのなら、グラディーラはあっさりと平太に見切りをつけていただろう。かつてグラディーラを便利な魔剣としか見ていないような人間は、いくらでもいた。
けど平太はそうではなかった。
彼が力を求める理由は、ただ一点。
仲間を守りたい。
それは、かつてグラディーラが主と認めた男と、同じものだった。
彼もまた、己の無力を嘆き、力を追い求めた果てに、この世界を丸ごと守るほどの力を手に入れた。
大きな代償と引き換えに。
また同じ事を繰り返すかもしれないという恐怖はあったが、それをも上回る平太の願望に、とうとうグラディーラは決断した。
☽
戦いは、すでに始まっている。
コンティネンスとシャイナの戦いだ。
平太の居場所は、そこには無い。
戦闘の中心は、常にシャイナとコンティネンスで、自分はその外周をちょろちょろしているオマケに過ぎない。
それでも好機があれば、コンティネンスに対して攻撃をしかけた。だが、コンティネンスの岩でできた皮膚はルワーティクスよりも遥かに硬く、大剣形態のグラディーラではまったく歯が立たなかった。
ただ闇雲に剣を振るっていたわけではない。平太とて、装甲の隙間を狙う知恵くらいはある。コンティネンスは平屋の家ほどもある巨人。体躯の大きさから、隙間は探すまでもない。
そうして何度か斬りつけて分かった事は、コンティネンスという魔物は、ただ装甲が厚く頑丈なだけではなく、
異常なほど傷の回復が早かった。
どうりでシャイナが苦戦しているわけだ。いくら釘バットで殴りつけても、片っ端から傷が再生していく。平太も実際に見て驚いたが、冗談抜きで見ている間に傷がふさがっていくのだ。
「何て回復力だ。トカゲ以上だな」
そこで平太は、以前グラディーラが言っていた言葉を思い出す。
――魔物の生命力を甘く見るなよ。特に四天王ともなれば、下級魔族など比べ物にならんほど回復が早いものもいる。極端な話、斬ったそばから傷が治る奴もいたくらいだ。
コイツがそうか、と平太は頭の中でグラディーラに語りかけるが、しばらく待っても何の返事もなかった。
「おい、寝てるのかグラディーラ?」
『――ん? ああ、何だ?』
「何だ? じゃないだろ。珍しいな。お前が戦闘中にボーっとするなんて」
『すまない、少し考え事をしていた。それで、何の用だ?』
何の用だ、とはずいぶんな挨拶だとは思ったが、頭の中で言い争いになってはやかましくて仕方がないので我慢する。
「コイツが前に言っていた、傷がすぐに再生する奴か?」
『そうだ。コイツは皮膚が岩と砂でできているため、いくら斬っても突いてもすぐに再生してしまう厄介な奴だ』
「けど別に無限に再生するってわけじゃないだろ? 再生するにも何かしら材料が必要なんだろうから」
『たしかに再生には魔力などが必要だが、見ての通りの図体だ。あの身体にどれだけの魔力が蓄えられているか、わたしには見当もつかん』
「つまり、魔力切れを狙うのは効率が悪いか」
そうなるな、とグラディーラのため息が頭の中に広がる。
『コイツと以前戦った時、何か他にも色々とあったような気がするのだが、如何せん500年も昔の事なのでな。どうにも記憶があやふやなのだ』
「おいおい、頼むぜ……。前回どうやって倒したか知りたかったのに。それだけでも思い出してくれよ」
『そう言われてもな……。ただ、再生能力以外にも困った事があった、というのは憶えているんだが』
「どうせなら、どうやってその困った事を解決したかってのを憶えてて欲しかったぜ」
言っても詮無き事だが、言わずにはおれない。これは生命がかかった問題だ。知っているかそうでないかで、生存確率が跳ね上がったりゼロになったりするのだ。
「何とかこの戦いの間に思い出してくれよ」
『確約はできぬが、できる限りの努力はしよう。それより――』
グラディーラは遠慮がちに尋ねる。
『お前は何をしているのだ?』
「む……」
その問いに、平太は即答できなかった。戦っている――にしては積極的ではないし、敵に相手にされているわけでもない。シャイナの援護をしている――とも言い難い。かと言って遊んでいるわけでもないし、敵から逃げ回っているわけでもない。ただ、明らかに戦力外なのに、強引に戦闘に参加しようとしていた。シャイナが邪魔だと言わないだけで、実際は酷く足手まといなのかもしれない。
何とも微妙な立ち位置だった。
「俺は……」
『わかった。皆まで言うな』
平太の漏れ出る思考を読み取り、グラディーラは大まかな状況を把握する。それと同時に、平太の力への欲求がまたぞろ強さを増しているのを感じた。
もはや躊躇っている場合ではないのかもしれない。
グラディーラは、新たに決意を固め直す。そうでもしないと、すぐにまた恐い想像に負けて踏ん切りがつかなくなってしまいそうだったから。
☽
そうこうしている間も、シャイナとコンティネンスは戦っている。
剛力無双の岩巨人を相手に、シャイナは釘バットでよくもまああそこまで戦えるものだと感心する。魔物の一撃は強力で、一発のパンチで家が冗談みたいに吹っ飛んでいる。なのにシャイナはそんなパンチをまったく恐れず、盾と警戒なフットワークを駆使して相手の懐に入り、釘バットで強烈な一撃を叩き込んでは素早く離脱する。そんなヒットアンドアウェイな戦法を繰り返している。
やはり自力というか、経験が違うのだろう。自分だったら、あんな豪腕の前に自ら突っ込むような真似はできない。
さすがシャイナは本物の戦士だ。自分のような、ゲームの中でしか戦った事のないニセモノとは違う。度胸も自信も経験も練度も何もかもが違う。
結局、この決定的な差は、剛身術でも埋まらなかった。
こんな反則みたいな力など、日々積み重ねた努力の前には、まったく歯が立たなかった。
だったら、もし仮に、たとえばの話だが――
自分にシャイナと同じだけの経験があったとしたなら。
そんな益体もない仮定を考えていた平太の頭の中に、
まるでその時を待っていたかのような、悪魔の囁きが響いた。
『力が欲しいか?』




