コンティネンス来店
◆ ◆
スブメルススの匂いが強くなる。
コンティネンスは確信した。この先に、スブメルススを倒した奴がいる。
愚鈍そうな巨体からは想像できない滑らかな足取りで、コンティネンスは大通りから裏通りへと移動する。
彼の背後には、破壊と殺戮しかなかった。家も人も街路樹も、皆等しく原型を留めていない。平等に壊され、砕かれ、打ち捨てられている。彼の前では、何者もその姿を留めておく事はできないのだ。
コンティネンスの分厚く大きな掌が触れただけで、壁が音もなく砂となって崩れた。
大通りと違い、裏通りの壁は石を積み上げて隙間に土を塗っただけの粗雑なものである。だが、それでもコンティネンスが手で触れただけで崩れ落ちるものではない。
しかし、大通りの壁も、同じように砂と化していた。
つまり石であろうと壁であろうと、彼の前ではどれも皆平等に砂と帰す。
それが魔王直属の四天王の一人、コンティネンスの力である。
☽
凝りもせず、人間が攻撃をしてくる。だが、いくら弓で矢を射ようが、剣で斬りかかろうがコンティネンスには通用しない。どれも硬い皮膚に弾かれるか、一旦は突き刺さるがすぐに傷がふさがってしまう。
そして愚かな攻撃の代償は、己が生命で払わせる。コンティネンスが巨木のような腕を無造作に振るだけで、その軌道上にあったものは人も建物も関係なく砕けた。
土煙と血煙が巻き上がる。
弱い。人間とは、何と脆く弱い生き物であろうか。ただ数が多いのと、どこでも増える事が可能なだけで、魔族と比べ何ら秀でたところの無いこの下等な生き物が――
どうやってあのスブメルススを屠ったというのだろうか。
解せぬ。
500年前にも一度、人間に敗北を喫したが、あれは何かの間違いだと今でも思っている。魔族が人間に負けるなど、万に一つもありはしない。
それにスブメルススは、コンティネンスも認める猛者である。
本来の体躯。凶暴性。旺盛な食欲。どれを取っても素晴らしい。特に背中に生えた八本の触手など、造形美さえ感じる。
そんなスブメルススを倒す人間など、存在するはずがないのに。
なのに、何故。
考えても、答えは出ない。ただ漠然とわかるのは、魔族にも強い者と弱い者がいるように、人間にも大多数の弱い者と、ごく少数の強い者がいるという事だ。
その少数の強者が、あの勇者と呼ばれた者であろう。そして、スブメルススを倒した強者はこの先にいる。
答えは、自らの目と身体で確かめる事にしよう。コンティネンスは歩を進める。彼の歩みを阻害するものは、もう何も無かった。
さらに匂いが強くなる。探しているものは、もうすぐそこにいる。
匂いをたどるコンティネンスは、一件の店舗にたどり着く。
看板を見るが、人間の文字は彼には読めない。仮に読めたとしても、彼には何ら意味を成さない。
そして閉じられた入り口もまた、彼の前では何の意味もなかった。
☽
デギース=イサイエは、こう見えて職人気質の男である。
背丈の小ささや童顔のせいで子供のように見えるが、中身は立派な成人であり、亜人でありながら一つの店を切り盛りする個人経営者である。
だが彼にはもう一つ、別の顔がある。
それは、発明家の顔だ。
彼は亜人ゆえの卓越した知能によって、この世界の水準をはるかに超える武器防具、または道具を数々発明してきた。
自分でもこれは良くできたと思ったのは、平太に作ったレクスグランパグルの甲羅を使った大剣だった。
しかし最近、それをはるかに超える逸品ができた。
デギースは、我ながら良くできたものだと、つい今しがた仕上げが終わったそれを眺める。
それは、見事な長剣であった。
形は単純な諸刃の剣だが、何より目を惹かれるのは刀身の美しさである。まるで清流の水をそのまま剣の形にしたような瑞々しい碧が、光を反射させて虹色の輝きを放っている。
次に目に留まるのが、刀身に走る無数の線。通常、諸刃の剣は中央に鎬が走り、それ以外の装飾はあまり入れない。まれに血のキレを良くするための溝や、意匠を凝らすものもあるが、この剣はまるで、何枚もの葉か鱗を重ねて形作ったような線が走っている。
最後に――これは、見た目では計れないものだが、軽さである。いや、重量としては十分重いのだが、この剣は長さのわりには軽いのだ。
多くの片手剣は、刀身が長くても成人男性の肩から指先程度の長さである。柄を入れても、せいぜい地面から腰までである。
だがこの剣は、それより三割は長い。それは、シャイナが以前持っていた剣に長さを合わせると、この剣はそれよりも軽くなったのだ。しかし剣は長さよりも重さが違う方が命取りなので、重さの方を合わせたのだが、おかげで少し長くなったのだ。
しかしながら、刀身が長くなると、当然それだけ重量は増す。なのにこの剣は軽い。長さだけなら片手半剣なのに、重量は片手剣並だ。何故。
何故も何も、すべての答えは材料にあるのだが、そこがデギースの悩みの種であった。
魔族の四天王の骨や鱗など、もう二度と手に入らないであろう。
レクスグランパグルの甲羅程度なら、今後いくらでも手に入るであろうが、上級魔族――しかも四天王ともなれば一品物である。また欲しいと思ったところで、この世に二つと無い物は手に入らない。
いや、ここは一度でも手に入っただけ良しとしておくべきだろう。確率だけ見れば、手に入る事などほとんど無に近いのだから。
「はあ……」
また刀身に見とれている自分に気づき、デギースは我に返る。もう何度目かわからないくらい、この剣は自分の目を惹きつける。いや、きっと誰もが目を奪われ、心惹かれるに決まっている。これは、今の自分の最高傑作なのだから。
さて、と剣を剣置きに乗せ、デギースは一歩離れたところから剣を眺める。
次は、この剣に合う鞘をどうするかだ。
シャイナたちに告げた期限までは、まだ一日以上残っている。が、だからといって剣を剥き出しのまま渡すのは、武具屋のプライドがどうにも許さない。
それに、これだけの剣だ。どうせなら鞘もそれに見合うものを作りたい。良い剣は、良い鞘と一組であるべきだとデギースは思う。
しばらく鞘のデザインや素材についてあれこれ悩んでいると、店の方で物音がした。それから重く硬い足音が聞こえた。デギースはお客が来たのかと、鞘の構想を一時中断して店の方へと向かった。
「はいはい、いらっしゃいませ~」
そういえば、今日は朝からずっと作業に没頭していて、危うく店を開けているのを忘れるところだった。などとデギースが考えながら、工房から店に繋がる扉を開けると、
店の中に、巨大な魔物が立っていた。
「わあ……」
一瞬で扉を締め、戸に背を預ける。自分を落ち着けるように大きく息を吐き、固く閉じた目と目の間を指でもむ。
真っ昼間からあんな幻覚を見るなんて、どうやら根を詰めすぎたようだ。ここは王都だぞ。他の街に比べ防壁は高く厚いし、王宮があるから衛兵もたくさんいる。そんな金城湯池な王都に、魔物が現れるなんてあり得ない。
デギースは暴れる心臓と呼吸をどうにか落ち着けようと、両手を胸に当てて押さえる。ゆっくりと深呼吸を数回繰り返すと鼓動が落ちついてきて、がくがくと震えていた足にもようやく力が戻る。
よし、もう大丈夫落ち着いた。今度はもう幻覚など見ないだろうと、デギースは静かに扉を開き、隙間から店の中を覗く。
やっぱりいた。
厭な汗が全身から噴き出す。なにあの岩でできた巨人。っていうかあんなデカいの、どうやって店に入って来たのだろう。明らかに入り口よりデカい。
――と思ったら店の入り口がぽっかり消滅して、向かいの通りが丸見えになっている。何の事はない。コイツ入り口を勝手に広げて入ってきやがった。人の店に何てことしやがる。
思わず頭に血が上って扉の向こうに出て行きたくなるが、あんないかにもヤバそうな魔物を相手に、自分のような矮躯の亜人が勝てるはずがない。きっと秒殺だ。
治安の悪い路地裏に店を構えてもう幾年、こう見えてガラの悪い輩や強盗窃盗など犯罪の類には慣れている。
その慣れという経験則が、万に一つも勝ち目なし、逃げる一択と判断させた。
そうなると、問題は何を持って逃げ出すかだ。幸か不幸か物騒な立地なので、店に大金は置いていない。なので金は置いて逃げても問題ない。命あっての物種である。
店にある商品はこの際諦めよう。どうせ吊るしの量産品がほとんどだし、作ろうと思えばいつでもいくらでも作れる。
ならば、結論は一つ。もう二度と手に入らないもの、作れないもの。そして命の次の次くらいに大事なもの。とくれば今現在一つしかない。
デギースが心の中で非常持ち出し品をシャイナの剣に決めた時、
扉の向こうのバケモノと目が合った。
「こちらから、匂いがする」
ゆっくりと、バケモノがこちらに向かって歩き出す。デギースは慌てて扉から顔を離した。
見つかった。匂いって何だ? 獲物の匂いを嗅ぎつけたという意味か? という事は、捕まったら食われるのか。きっとそうだ。そういう顔をしている。
デギースは恐怖で思い通りにならない足を懸命に動かして、剣置きの所まで走った。何度もよろけ、転びそうになりながらも、どうにか剣をつかみ取る。
そのまま工房を縦断して裏口から逃げようと、剣を両腕に抱えて全力疾走するデギースの背後で、
「待てぇぃっ!!」
バケモノが、聞くだけで心臓が止まるような怒声を張り上げた。
「ひぃっ……!」
いきなり怒りだして迫力倍増したバケモノに、デギースは腰が抜けそうになる。だがここで足を止めたら、待つのは確実な死という恐怖と、何はなくともこれだけは持ち出さねばという使命感が、デギースを走らせた。
武具や道具を作るための台や工具入れなどが、所狭しと並ぶ工房を駆け抜ける。すぐ背後から、それらが蹴散らされる音が迫って来る。通路が狭い工房を通れば、図体のデカいバケモノは追ってこれないという甘い考えは、あっという間に消滅した。
それでも何とか裏口の扉に飛びつき、自分でも信じられない速度で扉をくぐって鍵をかけた。
「ふう……」
これでどうにかなるとは到底思えなかったが、幾らか時間稼ぎにはなるはずだ。
と、安堵の吐息を漏らすデギースの目の前で、裏口が建枠ごと消滅した。
崩れ落ちる瓦礫の雨をくぐって、バケモノが姿を現す。バケモノはデギースを小虫を見るような目つきで一瞥するが、その視線が彼の手にある剣に触れた瞬間、デギースでも感じるほどの強烈な殺気が爆発した。
「それは、スブメルススの、鱗か」
デギースは、声にならない悲鳴を上げた。バケモノは、今にも怒り狂って自分をバラバラにしそうに見える。
「貴様が、スブメルススを……」
明らかに激昂しているバケモノを前に、デギースは完全に腰を抜かしていた。いくら危険に慣れているとはいえ、所詮は武具屋の店長である。街のチンピラを相手にするのと、魔物を相手にするのとではわけが違う。しかも、今目の前にいるのはただの魔物ではない。彼は知らないが、彼の本能が教えていた。コイツは、相当ヤバイ。
そして本能は、もう一つ告げていた。
数秒後の、確実な死を。
「スブメルススの、仇」
怒り狂ったバケモノが、岩でできた拳を固く握りしめる。デギースは恐怖で身体が動かない。
「死ねい」
拳を振り上げた時、デギースは反射的に目を閉じた。覚悟を決めたわけではなかった。ただ、あんな拳を食らったら、自分と一緒にこの剣も無事では済むまい。世界に二つと無い剣が破壊されるのを、最期に見たくなかった。それだけだった。
☽
平太たちがデギースの店に入ると、店内は大通りと大差のない惨憺たる有り様だった。
入り口は扉ごと消滅し、棚はあちこちが崩れ落ちている。床にはかつて商品であった鎧や剣が散乱しているが、どれもどこか欠けていたり凹んでいたりしてもう売り物にならない。
慎重に中に入る。まだ魔物の姿を見ていない以上、この中にいる可能性を捨てきれないからだ。
「豪快なリフォームだな……」
あまりに壮絶な荒れようだったので、平太が場の空気を和ませようと軽口を叩く。だがその気遣いは、張り詰めた緊張感の中に虚しく消えた。
「デギースはどこだ?」
この中では最も親しいシャイナが、店主の不在を気にかける。だが店内には、それらしい人物も物体も見当たらない。となるとすでに避難したか、それとも店の奥にまだいるか――とシャイナが視線を店の奥に向ける。
店の奥は、カウンターやその奥に続く扉も綺麗さっぱりなくなっていて、入り口から真っ直ぐ工房まで見通せるようになっていた。
そして、すっかり見通しの良くなった視界の先には、岩と砂を固めて作ったような巨人が背中を向けて立っていた。
「何だありゃ……」
驚くシャイナの声に、平太たちが静かに集まる。どうやら魔物は一匹のようだが、背中だけ見てもわかるくらい、危険な匂いがする。絶対コイツその辺の雑魚じゃないという気配のようなものが、平太にさえ感じられた。
「あれがこの辺をめちゃめちゃにした魔物か?」
「ありゃ相当ヤバそうだな。このまま気づかれないうちに背後から――」
一発入れちまおう。そう言おうとしたシャイナの言葉が止まる。魔物の向こうに、デギースの姿が見えたからだ。
「くっ……!」
脳が状況を判断する前に、身体が駆け出した。デギースが魔物に襲われていると頭が考える頃には、シャイナはすでに魔物の背中にむかって跳躍していた。
空中で釘バットを振りかぶる。頭を狙いたかったが、高すぎて無理だったので無難に横っ腹を狙う。別にこの一撃で倒せなくとも良い。まずは魔物の狙いをデギースから外すのが目的だ。
「だあっしゃあ!!」
渾身の一撃。背後からの不意打ちという好条件のおかげで、釘バットは唸りを上げて魔物の脇腹に叩き込まれた。
並みの魔物なら、まずこれで死んでいた。
だが釘バットは魔物の脇腹に当たった瞬間、硬質な音を立てて弾き返された。
「なにっ!?」
硬い。
シャイナは危うく釘バットを手から取り落としそうになるのを、どうにか堪える。もう一撃加えようと釘バットを握り直そうとするが、手が痺れて思うように握れなかった。
「クソッ!」
奇襲失敗。すぐに攻守を切り替えて、シャイナは魔物から距離を取る。魔物は、ここでようやくシャイナの存在に気がついたかのように、ゆっくりと背後を振り返った。
その隙にデギースが、音もなく虫のように地面を這いながら魔物から離れていくのを、シャイナは視界の隅に捉えた。奇襲は失敗したが、目的は果たせたようだ。
魔物はシャイナを一瞥し、それから今しがた釘バットを打ち込まれた脇腹を見る。釘バットに打ちつけられたスブメルススの牙が、ほんのわずかだけ魔物の岩のような肌に引っかき傷をつけていたが、見ているうちに消えてなくなった。
「なにっ!?」
かすり傷だが、それが瞬時に治癒する魔物の回復力にシャイナが驚く。が、魔物の方もわずかに驚いたような顔をしていた。
「貴様、その、武器、」
魔物がゆっくりとこちらに振り向く中、シャイナは後悔していた。
今の一撃が浅かったのは、完全に自分の力不足だ。武器は問題ない。傷がつくという事は、装甲に武器が負けていないという証左だ。問題は、その浅さである。傷が浅いという事は、自分の打ち込みが弱かったという何よりの証しだ。
シャイナは、スクートの補助魔法なしに奇襲してしまった事を、激しく後悔していた。
デギースが危なかったから焦って動いたというのもあるが、まだ心のどこかで、自分独りの力で何とかなるという過信があったのだろう。
悔しいが、いい加減に認めなければならない。
自分はただの人間で、独りで上位の魔物には勝てないという事実を。
「シャイナ! 独りで突っ走るな!」
「おねーちゃん、スクートを忘れちゃダメだよお!!」
シャイナの反省を再度促すように、平太とスクートが駆けつける。そして平太に伴ってグラディーラが駆けつけた時、彼女の表情がさらに緊迫したものに変わった。
「む、貴様はコンティネンス……」
「知ってるのか、グラディーラ?」
何だか以前もこんなやり取りがあったような気がしないでもないが、さておきグラディーラは平太に向けて神妙に頷く。
「コイツはコンティネンス。四天王の一人だ。手強いぞ」
「またぞろ四天王か……。魔族は他に駒がいないのかよ……」
「いや、雑魚などいくら湧こうが問題ないが、四天王が直接王都に出たという事は、魔族側に何か大きな動きがあったのかしれん」
「なるほど。もしかすると、ついに魔王が動き出したのかしれないな」
確かに、そうなるとここ最近やたら四天王が頻出するのにも納得できる。来るべき魔族の大侵攻に向けて、着実な足場固めをしているだろうか。
その一端がこの王都オリウルプスの陥落か。だとしたらその計画、何としてもここで食い止めねばなるまい。
平太は決意を新たにしたという顔で、グラディーラに顔を向ける。彼女もそれを理解し、お互いの意志が一つになった事を示すように、力強く頷いた。
瞬間、グラディーラの身体が光に包まれ、平太の手に大剣となって現れる。
「魔族四天王コンティネンス。悪いがここで仕留めさせてもらう!」
相手にとって不足なし、といった感じで気合十分に大剣を構える平太。だが剣先が梁にガツンとぶつかり、今さらながらここが屋内である事を思い出したのか、少し考えるような沈黙の後、
「ここで戦うと店が壊れる。表に出ろ」
魔物――コンティネンスに向けて顎で外に出ろと促した。
一方その頃デギースは、匍匐前進で店の外に脱出していた。




