交錯する思惑
今回から第四章です。
◆ ◆
カリドス大陸、スキエマクシの港。
ハートリーは、海上警備隊の詰め所にある自分の執務室で、珍しく客人を迎えていた。
「久しいのう。元気でおったか?」
「ご無沙汰しております、師匠」
客は、若い男だった。書類に埋もれた執務机からのぞくハートリに向けて一礼する。よく磨かれた鎧に身を固めながらも、その重さをまるで感じさせない優雅な身のこなし。鎧の質も高いが、肩にかけられたマントは彼の位の高さも示しているかのようだ。おまけに鎧の胸には、正騎士を表す白狼の紋章が刻まれているだけでなく、その狼は隊長格にのみ与えられる大きな牙を持つ。男の顔つきは精悍で気品を醸し出しているが、つい最近まで無精髭を生やしていたのを剃ったのか、顎の周囲に妙な日焼け跡があるのが残念だった。
「すまんのう、急に妙な頼み事をしてしもうて。だが受けてもろうて、まっこと助かったわい。やっぱり持つべきものは、優秀でよく気の利く弟子だのう」
「いえ、お役に立てて光栄です――が、確かに急で突飛な話で、最初は困惑しましたよ」
苦笑する若者に、ハートリは再度「すまんのう」と謝る。
「ほいじゃあ早速で悪いが、聞かせてもらおう」
「では――」
男は、これまでのあらましをハートリに語る。ハートリーは時に笑ったり、興味深そうに頷いたりしていたが、話がある部分に差しかかると、いきなり真顔になった。
「暗殺とは、穏やかではないのう」
「ですが、彼の機転で事なきを得たようですが……」
そこで、男は言い難そうに言葉を濁す。
「どうした?」
「いえ、その時わたしは事件の外におりまして……詳細に関しては伝聞なのが何とも、」
するとハートリーはかっかと笑い出した。
「そりゃ仕方あるまい。どうせおんしも怪しいと思われておったんだろう。人手を割けぬ以上、どちらか片方を外部に追いやるのは当然の選択ぞ」
「仰る通りで」
「ほいで、続きは?」
ハートリーに促され、男は再び語り始める。
「魔族の四天王か」
「はい。名を確か、スブメルススとか」
「そいつは厄介な相手に目をつけられたものだのう」
「聞けば、スブメルスス以外にも、すでにもう一人四天王と因縁があるとか」
「は~……、魔王を倒す旅だと聞いておったから、安穏な旅ではあるまいと思うとったが、まさかよりにもよってもう四天王に目をつけられるとはのう」
これも勇者の業というやつか、とハートリーは覆面の上から額をぴしゃりと叩く。
「ですが、悪い話ばかりではありません。彼らには何と、伝説の勇者の武具が味方についております」
「なに、そいはまことか!?」
伝説の勇者の武具と聞いて、ハートリーの目が子供のように輝く。
「か~、俺も探してみろとは言ったが、まさか本当に実在しとったとはなあ……」
心底羨ましそうに歯を食いしばるハートリーの顔が、「しかし、」といきなり真顔になる。
「そうなると、そっちの方が魔物よりも厄介な事になるやもしれんのう」
「――と、申されますと?」
「いつの世も、魔物よりも人間の方が恐いっちゅう話ぞ」
「はあ……」
抽象的な話をされても、男には理解が及ばない。長い付き合いで、こういう含みのある物言いが多い男なのはわかっているが、やはりもう少しわかりやすく話してくれれば助かるのに、と思わないこともない。
「良からぬ事に巻き込まれねば良いがのう」
「あっしもそう思いやす――おっと、」
突然出た奇妙なセリフに、男は慌てて手で自分の口を押さえ、ハートリーは彼には珍しく面食らったような顔をした。
「……なんね、今のは?」
「いやあ……しばらく冒険者を装っていたせいか、口調が染み付いてしまいまして。困った事に、気を抜くとさっきみたいに出てしまうんですよ」
「おんし、センスが古いのう……。今どき冒険者でも、そんなチンピラみたいな口はきかんぞい」
「……それを言うなら、師匠こそ昔はそんな喋り方してなかったじゃないですか」
「俺はほれ、この方がカッコいいだろ」
「え?」
本気で意味がわからないという男の声に、室内の空気が少しだけ固まった。
☽
ハートリーが男と会う数日前。
平太たちは、海の上にいた。
温泉宿で三日ほど休養を取ったのち、ディエースリベル大陸に渡るべく港町ウィルトースラに戻った。
そこから船に乗って四日。船の旅は順調で、温泉で完全復活したシャイナなどは逆に力を持て余すほどであった。
「しっかし、相変わらず、船の中だと、する事がねえな」
息を切らしながら、シャイナはしゃがんだり立ったり――いわゆるスクワットをしている。こう何日も部屋にこもりきりだと身体がなまるとぼやいていると、平太にこれでもやってろと教わったのだが、かれこれ一時間はぶっ続けてやっていて、床に汗の水溜まりができている。
平太たちがいるのは、二等客室の個室である。パクス大陸からディエースリベル大陸への航海は順調に行けば十日ほどなので、三等の雑魚寝部屋でも良かったのだが、暗殺者の一件もあったので、用心のために平太たちだけで寝泊まりできる個室を取ったのだ。
「ディエースリベル大陸に着くには、あとどれくらいかかるんですか?」
「このまま順調に行けば、あと六日ほどでオブリートゥスに着くはずです。そこから陸路で十日ほど行けば、懐かしの王都オリウルプスです」
シズの質問に、スィーネがすらすらと答える。ドーラとスクートは寝台で昼寝をし、平太はカニ鎧を磨いている。
「あと十六日か……。結構かかるな」
スクワットに飽きたシャイナは、今度は腕立て伏せを始める。これも平太に教わった室内トレーニングのメニューだが、彼女は自分が今恐らくこの世界で恐らく初めて筋トレをしている事に気がついていない。何故恐らくなのかというと、この世界では生きるだけで精一杯なので、わざわざ身体を鍛えるためだけに運動する奴なんていないからだ。もし仮にいるとしたら、そんなのは王侯貴族だけだろう。
さておき、その後腹筋背筋と一通り全身のメニューをこなすと、さすがのシャイナも疲れたのかトレーニングを切り上げる。
汗にまみれた身体を布で拭くと、その布を首に引っかけ、護身用の短剣を平服のベルトに差し込む。そのまま部屋を出て行こうとするところを、シズが呼び止めた。
「あれ? どこか行くんですか?」
「ちょっくら甲板に上がって風に当たってくる。汗が引いたら戻って来るよ」
「もうすぐ昼食ですから、あんまり遅くならないでくださいね」
シャイナは「わーったよ」と背中越しにシズに手を振りながら、部屋を出て行った。
☽
甲板に上がると、同じように風に当たりに来た人がちらほらいた。その中には、勇者巡礼を終えて故郷に帰るのか、白装束の姿が幾人か見える。
「ふう……意外と涼しいな」
昼を目前に太陽は真上に昇っていたが、波をさらうようにして甲板へと吹き込んで来る海風が冷たくて気持ちがいい。この分だとすぐに汗が引きそうだ。
シャイナは船べりの柵に両肘をつき、海を眺める。
漂流した時には飽きるほど眺め、代わり映えのしない景色にうんざりしたものであったが、あれから少し時間が経ったせいか、今こうしてぼんやりと眺めていると、いつまででも眺めていられそうである。
心地よい風に目を閉じると、船底が波を叩く音が聞こえてきた。水が跳ねる音がまた、感じる涼を増してくれる。
すっかり汗も引き、シャイナがそろそろ部屋に戻ろうかと思っていると、
突然船が大きく揺れた。
「おっと、」
シャイナは咄嗟に柵につかまって難を逃れる。柵の近くにいなかった何人かは、よろけて尻もちをついた。
いきなり船が停止してしまい、甲板にいた他の客たちが何事かとざわめき始める。きっと船内でも異変に気づいているだろう。
大型客船となると、滅多なことでここまで大きく揺れるものではない。嵐の中ならまだしも、この晴天の穏やかな海でならなおさらだ。まさか座礁でもしたのか、という声が漏れ聞こえる。
柵から身を乗り出し、シャイナは海面に目を凝らす。見た限り、座礁しそうな岩などは見えない。もしかすると、大型海洋類にでも引っかけたのだろうか。
限界まで身を乗り出して海面をにらんでいると、船員が何人か甲板に上がって来て、「今の船の揺れに関しては現在調査中である。転倒などしてケガをした奴はいないか? いたら申し出るかすぐに医務室に行け。それ以外は大人しくして、余計な憶測をするな言うな広めるな」という感じの旨を事務的な大声で通知して回っている。
再び船が揺れた。
今度はさっきよりもさらに大きく船が傾き、あちこちから悲鳴が上がる。
こうなると、シャイナのような素人でもわかる。これは明らかに、座礁や何かにぶつかった揺れではない。
「お、おい、あれ何だ……?」
その時、シャイナとは反対側の手すりから、彼女と同じように身を乗り出して海を見ていた男性客が怯えたような声を上げた。
「誰か、誰か来てくれ! 船の下に何かいる!」
男は海の中に何かを見つけたようで、慌てて周囲に大声で呼びかける。だがそれに応えたのは、「お客さん、危ないから手すりから身を乗り出さないで!」と注意しに近寄る船員だけであった。
シャイナもその時は他の客と同様、「そりゃ何かいるから船が止まったんだろう」と大して問題に思っていなかったのだが、
ぱんっ、
次の瞬間、先ほど大声を上げていた男の頭が突然爆ぜ、残った身体が力なく柵からずり落ちて、控え目な水音とともに海に消えた。
その時、甲板にいた人々は、何が起こったのかまったくわからなかったであろう。
ただ一人――シャイナを除いて。
男の頭が爆ぜた音は、瞬時に彼女を通じてスクートへと送られた。そこからスクートは、コンクラータで頭を吹き飛ばされたカップルの記憶が蘇り、その映像はシャイナの頭に返還される。
『――おねーちゃん!!』
シャイナの脳内にスクートの声が響く。
皆まで言うな。シャイナは大きく息を吸い込むと、あらん限りの声で叫ぶ。
「魔物がいるぞ! みんなここから離れろ!!」
魔物という言葉に、人々は一瞬で状況を理解した。ただ今回は、死体がすぐに海に消えたせいか、あの時よりはパニックが少なかった。そのおかげでシャイナはさして人混みに手こずる事なく、男がいた側の手すりに近づけた。
だが、
「しまった、ほとんど丸腰じゃねえか……」
護身用に短剣は持ってきていたものの、今のシャイナは鎧も着ておらず、ほとんど丸腰に近い状態だった。
船の中にいたのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、もし仮に今この船の下にいる魔物が、彼女の想像する通りだとしたら、鎧も剣もないこの状況はあまりにも絶望的すぎる。
一瞬シャイナの脳裏に、このまま他の客と一緒に船の中に逃げようかという考えが浮かんだ。よく考えれば、自分はこの船の用心棒でも何でもない。仮に魔物が出たとしても、自分は金を払っている客だ。むしろそれをどうにかするのは船員の仕事だろう。
が、その考えは次の瞬間には却下された。
別に、平太のような独特の正義感が彼女にあるわけではない。
ただ、先にも言った通り、もし仮に今この船の下にいる魔物が、彼女の想像する通りだとしたら――
わざわざ自分を追って来たそいつにトドメを刺すのは、他の誰でもない自分の役目だ。
それに、そいつとまともに戦えるのが、自分以外にそういるはずもない。シャイナはそう確信している。
それを証明するかのように、海に落ちた男の安否を確認しに手すりに近づいた船員の頭が、葡萄酒を入れた革袋のように呆気なく破裂して中身を甲板に飛び散らせた。
「野郎……」
無残に増える犠牲者に、シャイナの怒りに火が点く。このまま仲間が応援に来るのを待つ、という選択肢が彼女の中からあっさり消えた。
「お前の狙いはあたしだろ! 勝負してやるからさっさと上がって来い!!」
怒りを込めた声が甲板に轟く。次の瞬間、その言葉を待ってたとばかりに、海中から何かが飛び出した。
が、
「なに!?」
それは、シャイナの想像していたものではなかった。
ずしん、という音を立て、甲板に降り立ったそれは、どう見てもスブメルススには見えない。
何より、まず大きさが違う。以前戦ったスブメルススは、成人女性の平均よりは背が高いがシャイナよりは少し低いといった、人型の範疇に入る大きさだった。なのに今海から飛び上がってきたそれは、上背だけでシャイナの三倍、横幅は十倍以上デカい。
次に、外見が違う。スブメルススは雌型の、しかもかなり肉感的な体型をしていたが、今目の前で「ドュフフ……コポォ」と奇妙な唸り声を上げている魔物は、醜く太った身体を青い鱗で覆い、顔は潰れた肉団子としか言いようがない。はっきり言って似ても似つかない。
だが、
「マジかよ……」
魔物の背中から生えている八本の触手は、太さや長さは変わっていても、紛れも無くあのスブメルススのものだった。
「お前、スブメルススなのか……?」
「グフォオ、そうよ。見違えたでしょ?」
「ずいぶん……育ったな」
太った、と言わないところが、同じ女としての優しさだろうか。
それにしても、この短期間で触手がすべて再生しているだけでも驚きなのだが、ここまで外見が変わるとは。おまけにあの艶のある声が野太くこもった声に変わっていて、直接本人の口から聞いてもにわかに信じられない。
けれど、あの触手を見ると、やはりこいつはスブメルススなのだと認めざるを得ない。あんな奇妙な取り合わせの触手を八本も背中から生やしている魔物なんて、シャイナは他に知らない。
「それがお前の本当の姿か」
「そうよ。けど、美しくないから、あたしは自分のこの姿が嫌いだった。なのに……」
スブメルススが怒りに燃えた目でシャイナを睨みつける。
「よくもあたしをこんな醜い姿に戻させてくれたわね」
「知るかバカ。そんな事よりここで決着をつけてやる!」
勢い込んでシャイナが剣を抜く。
が、その手に持ったあまりにも頼りない短剣を見て、スブメルススは吹き出した。
「なにそれ? そんなオモチャであたしとやり合う気?」
スブメルススに笑われ、シャイナは悔しくて歯を食いしばるが、こんなオモチャみたいな短剣で何とかなるとは本人も思っていない。
彼女は待っているのだ。今はただ、そのための時間稼ぎである。
「シャイナ!」
「おねーちゃん!」
その時、シャイナの待ち侘びていたものが甲板に現れた。シャイナの剣を手に持った平太と、スクートだ。
シャイナからの情報を受信したスクートが、スブメルススの来襲を全員に告げると、平太は己の鎧を着ける間も惜しみ、いの一番にシャイナの剣を引っつかんで甲板へと走り出した。
その後をグラディーラとスクートが追って来たのだが、いざ甲板へとたどり着き、そこで見たスブメルススの変わり果てた姿を見て、平太は呆然と立ち尽くした。
「な、何だあれ……?」
当然であろう。スブメルススが来た、とスクートが言ったのだから、想像するのは以前の姿だ。なのに今目の前にいるのは、似ても似つかない肉の塊である。一体何回変身したらああなるのだろう。だが、
「む、貴様、スブメルスス。ここまで追って来るとは何という執念」
対してグラディーラは、すんなりとこの事実を受け入れていた。
「お、おい……あれが本当に、あのスブメルススなのか?」
まだ半信半疑な平太に向けて、グラディーラはしっかりと肯定する。
「間違いない。わたしがかつて戦った時のままだ」
どうやらグラディーラには、こっちの姿の方が馴染みがあるらしい。
「それよりもヘイタ、シャイナに剣を」
「お、おう。そうだな」
平太は我に返ると、持っていたシャイナの剣を彼女に向かって投げつける。剣は唸りを上げながら飛び、シャイナの手に吸い込まれた。
「お前にしては気が利くじゃん」
短剣を鞘に納め、シャイナは剣を抜く。これさえあれば勝ったも同然、とばかりに表情に余裕が戻る。
「あら、剣が長くなったくらいで何が変わると言うの? だいたいあんた、鎧どころか盾も持ってないじゃない。そんなんじゃ、あっという間に死んじゃうわよ」
スブメルススの指摘に、シャイナはにやりと笑う。その不敵な笑みに、スブメルススはわずかにたじろいだ。
「いーんだよ、鎧なんか無くったって。それを補って余りあるブツが今はあるからな」
そう言うとシャイナは、左手を平太たちの方に向け、叫んだ。
「それじゃ、伝説の盾がどれくらいのものか、いっちょ試させてもらうぜ。来い、スクート!」
「はーい!」
シャイナの召喚に応じ、スクートの身体が光に包まれる。そして光の塊と化したスクートは、一直線にシャイナへと飛んだ。
それをシャイナがつかむと、さらに光量が増し、甲板が一瞬爆発したように光に包まれる。
「な、何!? これって、まさか……!?」
あまりのまばゆさに、スブメルススの目がくらむ。閃光はすぐに収まったが、すぐには目が慣れずに視界に幕がかかったようにぼんやりとしている。
やがて視力が戻ったスブメルススが見たものは、かつて勇者が持っていた盾を手にしているシャイナであった。




