決算、そして
◆ ◆
「え? ケインさんもう帰っちゃったの?」
「うん。みんなによろしくってさ」
平太が言うと、ドーラは料理に手を伸ばし、「そっか~」と興味があるのか無いのか微妙な返事をする。
風呂から上がった平太たちは、宿の一室でそろって夕飯を食べていた。ウィアテルグムには温泉宿が多いが、宿泊せずとも入浴だけ可能な宿も多い。この宿もそうなのだが、シャイナが疲労のピークだという事を含め、一度ここらで本格的に骨を休める必要があると判断した一行は、二三日逗留する事にした。
「それはまた、ずいぶんと急に発たれたものですね」
スィーネはナイフとフォークを使って器用に焼き魚の小骨を取り分け、もりもりと口に運ぶ。
「どーせアレだろ? 実際に魔物を見てビビっちまったんだろ。ったく情けねー奴だ。ちゃんとタマついてんのかよ」
酒が入っているせいか、シャイナの口はいつもより悪い。
しかし、ついさっきケインの鍛え抜かれた身体を見た平太には、彼が魔物に恐れをなして退散したとは思えなかった。むしろ都合の良い言い訳として、魔物を使ったのではなかろうか。ケインの口から本心が語られたわけではないので、あくまで想像でしかないが。
「俺は別にそんなふうには思えないけどなあ」
「はん、どーだか」
「寂しいですけど、これで良かったのかもしれませんね」
シズの言葉は、平太の心情を代弁するかのようだった。
「確かに。わたしたちの旅はこれからさらに危険が増す。そんな中、部外者が混じっていては戦いに集中できんからな」
グラディーラもシズに賛同する。彼女自身、ケインの存在によって不便を強いられていたものだが、その事への不満や怒りは無いようで、純粋に彼の身を案じているようだった。ただ、口いっぱいに料理を含んでいなければ、そのセリフにもっと説得力があっただろう。
「そう言えば、あのスブメルススとかいう魔物の事も気になりますね」
スィーネも負けじと料理をほおばる。食べ方はグラディーラよりはるかに上品ではあるが、そのひと口の量は負けず劣らずである。
「シャイナに触手を全部切り落とされて逃げてったけど、いつまた襲ってくるかわからないしなあ」
フォークで魚の切り身をつっつきながら平太がぼやくと、シャイナは「かっ」と息を吐きながら勢い良く盃をテーブルに置く。
「あんな雑魚、何回襲って来ようが関係ねーよ。っつか今度こそ仕留めてやらあ」
「そいつは随分と頼もしいが、今襲われたら仕留められるのは貴様の方だろうな」
「あぁ?」
「まあまあグラディーラ。さすがに魔物でも宿の中までは追って来ないと思うよ。それにシャイナも、せっかく休息のために温泉に来てるんだから、あまり飲み過ぎないように。たまには肝も休ませてあげないとね」
隙あらばケンカを始めようとするシャイナとグラディーラの間に、ドーラが絶妙なタイミングで仲裁に入る。
「ん? まあ、そうか」
「あ、ああ、そうだな」
二人はきっかけを潰されてケンカどころではなくなり、仕方なく食事に戻る。
そんな二人の様子を、平太は複雑な気持ちで見ていた。
自分でけしかけた事とはいえ、本当にシャイナがスクートと契約してしまった。これにより、剛身術が使えずネックだった体力面がスクートの増幅魔法によって改善され、ますますシャイナに敵わなくなるのではないかと心配になる。
ではシャイナにスクートと契約させた事を後悔しているのかと言うと、さらに複雑な気持ちになる。
盾が使えない自分が持つよりは、シャイナのような達人に使われる方が、スクートも盾として望むところだろうし、彼女もシャイナを気に入っているから感情の面でも嬉しいだろう。
それにシャイナの戦闘力アップは、これからの事を考えると非常に大きなプラスとなる。そもそも、シャイナは現時点ですでに戦闘力は頭打ちしてるように見えた。それがここに来て伝説の盾持ちである。最近新調した鎧も相まって、マイナーチェンジどころかほぼフルモデルチェンジである。あとは剣さえあれば、もう彼女が勇者でいいんじゃないかとさえ思えてしまうほどだ。
そう。
彼女が勇者だったら。
それですべてが丸く収まってしまう。
ここに来てさらにシャイナに溝を開けられて、平太は自分の存在意義を失いかけていた。
一時は剛身術を身につけ、さらに伝説の剣グラディーラを得て、その溝は埋まったかに思えた。
だが実際は、苦労なく得た裏ワザみたいな能力の上にあぐらをかいていただけだ。その結果得た教訓は、肝心の中身が相変わらずでは、いくらメッキをしても意味が無いという事だった。
そこで話は、だったら後悔してるのかという点に戻り、平太はもう何回ループしたか知れない。
そしてお次はグラディーラだ。彼女には、ほとんど八つ当たりみたいな感じで当たってしまった事を、今になって後悔している。しかし今さら謝ろうにも、グラディーラは妹のスクートがシャイナと契約してしまった事に未だご立腹のようで、とてもそんな雰囲気ではない。完全にタイミングを逸してしまっている。
今はまだ二人とも温泉の余韻でその事が頭から抜け落ちているが、いずれこの問題と直面しなければならないと思うと、せっかくの料理もまったく味がわからない。
「ヘイタ様、どうかなさいましたか?」
「え? どうして?」
「いえ、あまりお料理を召し上がってない様子でしたので……」
こちらの身を案じるようなシズの視線に、平太はぎこちない笑顔で応える。
「何でもないよ。長旅で保存食に慣れたせいか、口と胃がびっくりしてるのかもね」
苦しい言い訳かと思ったが、シズは顔をほころばせると、両手をぱんと合わせ、
「あ、わかります。ずっと野宿ばっかりしてたから、たまに宿に泊まると逆に寝付きが悪かったり、食事が豪華過ぎてお腹がびっくりしたりしますよねー」
同意されてしまった。どうやら意外とよくある話だったらしい。
平太は「だよねー」と乾いた笑いを浮かべながら、料理を口に入れた。
やはり、どこか味気なかった。
☽
夕食が終わると、今後の方針を話し合う事となった。
「まあぶっちゃけて言うと、」
ドーラが率直に切り出す。
「もう勇者巡礼ってする意味なくない?」
あまりにも率直で、しかも的確過ぎるひと言に、一同はそろって「うわあ……」としか言えなかった。
「確かに、残る伝説の武具――えっと、」
「アルマ姉か」
グラディーラの補足に、平太は「ああ、そうそう」と頷く。
「そのアルマさんは、すでにこのパクス大陸にいない可能性が高いからな。このままだとそれこそ、普通に勇者の足取りをたどる巡礼になってしまう」
「アルマ姉の足取りがわかるのか?」
「あくまで推測だけど、彼女は魔王の復活を察知して旅立った――んだよね?」
平太がスクートに確認する。
「うん、そーだよ。だからスクート、アルマおねーちゃんは勇者のおにーちゃんを探しに行ったんだと思ったの」
そう言うとスクートは、果汁を凍らせたデザートを食べるのを再開する。あっという間に口の周りが果汁でベタベタになり、隣に座っているシズがそれを拭く。
「なるほど。となると、彼女は前勇者の事は理解しているから、向かう先は――」
「恐らく、魔王の城があるフリーギド大陸」
ドーラのセリフを、平太が繋げる。
ただ、これはあくまで推測である。アルマが前勇者を探さないだろうというのは想像に難くないが、だからと言って直接魔王の元に向かう可能性はあまり高いようには思えない。
しかし他に彼女が向かう先に心当たりが無いので、今のところ最有力候補である。
「けどよ、いざフリーギドに渡って、いませんでしたじゃシャレになんねーぞ」
シャイナの言う事ももっともである。予測が外れてアルマを見つけられないだけならまだしも、そのまま魔王との戦いに入りでもしたら目も当てられない。
室内に、一同の「う~ん」と唸る声が響く。
「ところで、そのアルマさんというのは、どういった方なのでしょう?」
行き詰まった話題を変えるように、スィーネが話を切り出す。
「アルマ姉か……そうだな、ひと言で言うのは難しいな」
「アルマおねーちゃんはね~、のんびり屋さんなの」
「のんびり屋さん……か。あれをそんなふうに可愛く呼び表して良いものかどうか……」
グラディーラは眉を八、口をへの字にして腕組みをしながら首を傾げる。本当にどう言い表したら良いのか、考えあぐねているようだ。
「……凄いの?」とドーラが恐る恐る尋ねると、グラディーラは「ああ……」と組んでいた腕を解き、テーブルに右肘をつくとそのまま右掌で顔を覆う。その絶望みたいな悲壮な仕種に、一同は「一体どんな人なんだろう」と期待よりも先に不安が募る。
「――とにかく、これ以上パクス大陸にいる意味はない。だとしたら、これからどこに向かうかを決めないとな」
平太が軌道修正すると、再び一同が「う~ん」と唸る。
「あ、そうだ」
唐突に、ドーラが何かを思い出したような声を上げる。
「すっかり忘れてたけど、そろそろサキワレスプーンヌの売上が上納される時期じゃないかな?」
平太たちは、そう言えばそんな事もあったなという顔で、同時に「あ~」と言って手を叩いた。
思い起こせば、前回集金したのはスキエマクシの海上警備隊の詰め所だった。あの時も漂流やら火竜騒ぎやら色々ばたばたしてて、気がついたらひと月が経っていたのだが、今回も聖剣やら盾やら伝説の武具を探して勇者巡礼をしている間に時間が過ぎていたようだ。って言うかひと月って、何かやってると意外と早く過ぎる。
「それじゃ、ここでは何なので、部屋に移動しようか」
ドーラの提案により、一同は自分たちの部屋に移動した。
☽
「さて、戸締まりもしたし、始めるよ」
部屋の扉をきっちりと閉めたのを確認すると、ドーラは荷物の中から魔方陣が描かれた皮紙を取り出す。全員が見守る中、部屋の中央で皮紙を広げると、事情を知らないグラディーラが不思議そうな顔で尋ねた。
「おい、何が始まるんだ?」
「まあ見てればわかるよ」
平太に言われるがままに皮紙を睨んでいると、ドーラがちんからほいと呪文を唱える。すると、瞬時に魔方陣の中央に革袋が二つ現れた。
「おお、転移魔法か」
「すごいすご~い」
久々に見る、自分以外の唱える魔法に、グラディーラとスクートは快哉の声を上げる。
が、喜んでいるのは二人だけであった。それ以外の者、特にドーラは「う~ん」と唸り、かなり渋い顔をしている。
「どうした?」
「それが……」
「少ない!」
平太が説明する前に、ドーラが簡潔なまとめを叫ぶ。だが少ないと言われても、グラディーラは以前の物を知らないので比較しようもない。
だが、以前を知る平太たちが見れば、今回デギースから送られてきた先割れスプーンの売上は、明らかに少なくなっている。それは、二つの革袋の大きさがさして変わりない事でも明らかだ。当然、片方は城から毎月支給されるドーラの給金であるから、その少なさは推して知るべしである。
「どーゆー事だ?」とシャイナ。
「って言われてもなあ……。まあ考えられる事と言えば――」
「売上が落ちているんでしょうね」
平太が頭を掻きながら、どう差し障りなく言おうかと言葉を選んでいるうちに、スィーネが直球を放ってしまった。
「どうしてだよ!? サキワレスプーンヌは革新的大発明だよ!? まだまだあれっぽっちじゃ全世界に行き渡ってないはずなのに、なのにどうしてもう売上が落ちてるんだよ!?」
びっくりするくらい取り乱すドーラに、平太は責任取れよという視線をスィーネに向ける。だがさすがに今度はスィーネも直球を投げつけるのをためらうほどだったのか、逆にお前が何とかしろという感じの視線を向けられてしまった。
ドーラを見る。よほどショックだったのか、地面にがっくりと膝と両手をつき、わなわなと震えている。ぶつぶつと小声で、「そんなバカなこれはきっと何かの間違いだ。そうだきっとデギースが着服しているに違いない」などとつぶやいているのが聞こえ、平太は軽く恐怖を憶える。
このまま放っておくと、ドーラの精神も心配だが何よりデギースがあらぬ疑いをかけられたままになるので、平太は仕方なく誤解を解く事にする。
「あ~……、あのな、ドーラ」
へんじがない。ただのぬけがらのようだ。
「デギースはきっと、何も悪くないと思うぞ」
「……だったら、どうして売上がこんなに落ちてるのさ?」
恨みがましい声で尋ねるドーラに、平太はできるだけ柔らかい声と内容で言う。
「たぶんだけどさ、ナイフとフォークがあるからじゃないのか」
その瞬間、ドーラは驚愕の表情で平太を見、そして両手で頭を抱えながら床を転がり回った。
「しまったあぁ~……」
ナイフとフォークを初めて使った時、先割れスプーンの上位互換だという感じがしたのは間違いではなかった。しかしながらこんなにも早く、離れた場所で生産する二つの商品が相殺し合うとは予想外だった。これはパヤンの営業能力を少し見くびっていたかもしれない。
ドーラはしばらく部屋の床を転がって端から端へと何往復もしていたが、やがてぴたりと止まると、
「……こうなったら、デギースにもナイフとフォークを作らせるしか……」
「あ、それダメ」
「何でだよっ!?」
「先割れスプーンの時、何のために独占契約させたのかよく思い出せよ」
平太の言葉に、ドーラの熱くなっていた頭が冷えていく。冷静に考えれば、元々一箇所での生産を提案したのは自分である。それは、情報漏洩のリスクを避け、海賊版の製造を防ぐというのもあるが、乱造して商品としての希少価値が下がるのを防ぐためでもある。一度に大量に放出して一過性のブームで終わらせるより、定番商品として細く長く売り続けられる道を目指したのだ。
だから、先割れスプーンの売上が落ちたからといって、代わりに今現在売上好調のナイフとフォークを生産させるというのは、初志を覆す事になるし、何よりも商品の寿命を自分で短くしてしまう悪手にしかならない。
「だったら、どうすればいいと思う?」
「そうだな……また新商品でも開発するしかないんだが、」
しかしそれよりも、まず心配しなければならないのは、
「一番困惑してるのは、デギースだろうなあ」
「でしょうね。特に出足が良かっただけに、舞い上がって工場の拡張とかしていなければ良いのですが」
スィーネの懸念はさもありなんではあるが、デギースはドーラとは違う。特に商売に関しては、店を持っているだけあって抜け目がない。先走る心配は無いだろう。
「とりあえず、手紙でも送ってやったらどうだ?」
「ついでに新商品開発の打ち合わせでもしたらどうでしょう?」
平太とスィーネの提案に、ドーラは難色を示す。
「魔方陣を使って書面でやり取りするの? 手間がかかりすぎるよ。一体何往復させればいいんだい」
「それもそうか」と平太。
とそこに、シズが「あの~……」とおずおずと手を上げる。
「どちらにしろ、ここから乗る船はディエースリベル大陸を経由するんですから、それならいっそ一度王都に戻るというのはどうでしょう?」
一同の視線がシズに集まると、シズは「あ、あの……すいません。差し出がましい事を言って……」と、顔を真赤にしてうつむいてしまった。
だが次の瞬間、皆が一斉に「それだーっ!!」とシズを指さすと、シズは驚いて顔を上げる。
「え? ええ?」
「そうだよ、それがいい。どうせ通るんだから、ついでに寄ればいいんだ。それでじっくり今後の事を話し合えばいい」
何という名案、という感じでドーラは歓喜しながら、シズの両手を取ってぶんぶん振る。
「王都に戻るのでしたら、わたしたちの家が今どうなっているのか、一度見ておきたいですね」
「お、それいーね。けどもー誰かに買われてたらショックだなー」
「その時は、もっと大きなお屋敷を探すか、いっそのこと新築しちゃえばいいんですよ。わたしはちょっと気が早いですけど、王都に戻ったら下見とかしてみたいです」
「俺は一応デギースに、カニ剣の事を謝っとくか……」
せっかく作ってくれたのに、無茶な使い方をして折ってしまったのだ。せめてひと言くらい詫びておかねばなるまい。
こうしてドーラたちは、それぞれ一応ながらも王都オリウルプスに用ができたわけだが。
「――って事なんだけど、いいかな?」
平太はグラディーラたちに尋ねる。
「わたしはお前の剣だ。お前が行く所なら、どこにだって行こう」
「スクートも、シャイナおねーちゃんと一緒に行くー!」
「いや、そういう事じゃなくて、アルマがもしすでにフリーギド大陸に渡ってたとしたら、大きな時間の無駄になるわけだが、」
いいのか、と問う前に、グラディーラは右掌を前に出して平太の言葉を遮る。
「それには及ばん。いくらアレでも、単身で魔王の城に乗り込むなどという無謀な真似はせんだろう。それに、こういうのはいくら探し回っても、縁が無ければどうにもならん」
「縁か……」
確かに。自分たちは伝説の武具を探してはいたが、結局見つける決め手となったのは縁だった。ただ「運」とは言わず「縁」と言うところが、グラディーラらしかった。
「そうだな。縁があれば会えるか」
「うむ」
グラディーラが微笑みながら頷く。
これで決まった。
「よし、一度オリウルプスに戻るか」
次の目的地は、かつて旅立った地――ディエースリベル大陸、王都オリウルプスである。
次回から第四章に入ります。




