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ニートの俺が勇者に間違われて異世界に  作者: 五月雨拳人
第三章
71/127

勇者の遺産

          ◆     ◆


 コンクラータの岬から、漁船が来ない程度に離れた沖に、スブメルススは浮かんでいた。

 死んで浮かんでいるわけではない。むしろ元気で絶賛食事中である。

 スブメルススは失った触手を元に戻すために、近くを泳ぐ魚を手当たり次第に捕まえては貪り食らっていた。


 最初は長くて便利な触手が無いせいで手の届く範囲しか魚が穫れず、小魚ばかり食べていた。

 やがてその食べカスや血の匂いを嗅ぎつけ、大型の魚や海洋類が集まってきた。そしてそれらも食らうと、さらに大型の獲物が集まる。そうしてわらしべ長者よろしく、じょじょに大きな獲物を食らっていき、今やスブメルススの周囲は、海の墓場かと思われるほどの魚や海洋類の亡き骸が浮かんでいる。


「ん……、もういいかしら」

 さすがに何時間も食事をして満腹になり、スブメルススは口元に手を当てて小さくゲップをする。

 海面から、斬られたはずの触手が顔を出す。まだ完全には再生していない。断面は肉が盛り上がったままだし、長さも今は半分以下である。けれどこの調子で食事を繰り返したら、あと二三日で元に戻るだろう。

 そうしたら――

 スブメルススの脳裏に、憎き赤毛の人間の姿がよぎるが、すぐにふるふると頭を振ってその考えを消し去る。


 ただ触手が元に戻ったところで、また同じ事の繰り返しだろう。むしろ一度手の内を明かしている分、相手の方が有利かもしれない。

「やっぱり、このままじゃダメよね」

 スブメルススは短くなった触手を揺らす。海面をちゃぷちゃぷ打ちながら考えると、

「は~……」

 もの凄くうんざりとため息をついた。


「仕方ない、アレしかないか」

 スブメルススはぶつぶつ文句を言いながら、新たに捕らえた獲物を口に運ぶ。つい今しがた自分でもういいと言ったはずなのだが、食べる速度は前よりも速い。

 みるみる腹が膨れていくが、それでも食べるのをやめない。スブメルススはシャイナへの怒りをぶつけるように、肉や魚を次々と口に入れては飲み込んでいった。

          ☽

 一方、平太たちもコンクラータを離れ、次の勇者巡礼の地へと向かっていた。

 スブメルススが再び襲ってくる事を警戒し、海岸線から離れた街道を進む。今は昼食をとるために、街道から少し離れた場所に馬車を停めていた。


「しかし、そうすぐに襲ってくるとも思えないけどなあ」

 言いながら、平太は焚き火にかけたポットを取り、自分のカップに茶を注ぐ。

「いーや、わかんねーぞ。何しろ相手は魔族だからな。触手なんて、メシ食ったらにょきっと生えるかもしんねーぞ」

 シャイナはほど良く焼けた鳥のもも肉にかぶりつく。肉汁で口の周りが汚れるのも構わずがつがつと食い、あっという間に骨だけにするとその骨を焚き火に放り込んですぐさま次の肉を掴み取る。


「トカゲの尻尾みたいですね」

 スィーネは平太からポットを受け取り、自分のカップに注いでからドーラのカップにも注いでやる。注ぎ終わると、器用に片手でガイドブックを開いて読み始めた。次の目的地を調べるようだ。

「魔物の生命力を甘く見るなよ。特に四天王ともなれば、下級魔族など比べ物にならんほど回復が早いものもいる。極端な話、斬ったそばから傷が治る奴もいたくらいだ」

 グラディーラはそう言って焚き火にかけてある肉を掴むと、すぐには食べずにさらに火で炙る。どうやらじっくり焼いて焼き目をつけるのが好みのようだ。わざわざ手で持ちながら焼いているのは、誰かに取られるのを防ぐためなのかもしれない。


 しかしながら、昼食といえど食事をしているのはシャイナとグラディーラだけだった。他の連中は死体に当てられたか、スブメルススの事で気をもんで食欲が無く、茶ばかり飲んでいる。あのケインでさえも、空気を読んだのかひと言も喋らず、何か考え込むようなふうで茶をすすっている。


 だが、いつもうるさいのが黙っているからといって、静かとは限らなかった。

「ねーねー、ねーってばー。ねー」

 スクートは、地面にあぐらをかいて座っているシャイナに肩車のように乗り、足をぶらぶらさせている。何が気に入ったのか、あれからずっとシャイナにまとわりつき、抱きついたりしがみついたり登ったりしていた。

 シャイナも初めはされるがままにしていたのだが、さすがにずっとひっつかれると邪魔になるし何よりうるさい。さっきからしきりに「ねーねー」を繰り返し、このまま無視をし続けても相手にするまで無限に続けるかと思われた。


「あーもーうっせーな。メシ食ってる時くらい静かにしろってんだ」

「そうだぞ、スクート。食事中は静かにしないか」

「ねーねー、どーしてー? ねーどーしてー?」

 子供特有の主語やら述語やら大事なものが色々と抜けた、ただ疑問詞だけをぶつけてくる質問の連続に、とうとうシャイナが業を煮やす。

「だから、何がだよ?」

「あのねー、どーしておねーちゃんは勇者のお兄ちゃんに似てるの?」

「ぶはっ!」

 あまりに突飛な質問に、シャイナとグラディーラが同時に鳥肉を吹き出す。平太の顔面に。


「うわっ汚ね! 鳥肉が目に……!」

 顔中鳥肉の破片と唾液にまみれ、慌てた平太は手に持っていた茶を自分の太ももにこぼす。運悪く、そこは鎧に覆われていない箇所だった。

「ぅおあちゃーっ!!」

 茶の熱さと目の痛さの同時攻撃に、平太はたまらず地面を転がる。まさに踏んだり蹴ったりである。

          ☽

「……で、何だって?」

 布で顔を拭きながら、改めて平太がスクートに問い直す。その隣では、スィーネが右足に治癒魔法をかけてくれている。

「なにが?」小首をかしげるスクート。

「もう忘れたのかよ……。だから、シャイナ――あのおっきいお姉ちゃんが、勇者と似てるって話だよ」

「え? ぜんぜん似てないよ」

「さっきと言ってる事が違う……」

 平太はがっくりと地面に這いつくばる。たった数回会話しただけで、もの凄く疲れた。肉体的ではなく、精神的に。


「仕方ない……わたしに任せろ」

 ただでさえコミュニケーション能力に欠ける平太が、子供と会話するという難易度の高い行為をするのはあまりにも無謀だった。やはりここは身内のグラディーラに託すのが一番良いだろう。

「スクート、よく思い出せ。お前がさっき言った事なんだぞ。あそこの身体と胸はやたらデカイが脳ミソは小さそうな赤毛の女が、勇者に似てるって」

「おい、ケンカ売ってるのなら買うぞ……」

 いつもなら口よりも先に手が出ているシャイナだったが、珍しくそうはならなかった。


「あ~、なんだ、そっちかあ。んっとね、シャイナおねーちゃんがお魚のおばさんと戦ってた時ね、スクート思ったの。おねーちゃんの動きって、何となく勇者のお兄ちゃんの動きに似てるなあって」

「そうか……? わたしは別に似てるとは思わなかったが、」

「えー、似てたもーん。グラディーラおねえちゃんは鈍いから気がつかなかっただけだって」

「何を言う。わたしは決して鈍くなどないぞ」

「え~。だっていっつもご飯のことばっかり考えてるじゃない。そんなだから身体が重いんだよ」

「ひ、人を常に腹を減らしたデブみたいに言うな! それに、わたしは剣だから重さがそのまま威力になるんだ。そして常に切れ味を維持するために、相応の食料が必要だと何度も言ってるだろう」

「そうだっけ? ただ単に食いしん坊なだけかと思ってた」

 スクートの言葉は、平太を始め、一同一語一句違わず同感であった。


「というか、わたしの事はどうでもいい。それより、シャイナの動きが勇者に似ているという話だ」

 これ以上話の矛先が自分に向けられないように、グラディーラは懸命に軌道修正を図る。

「じゃあもしかすると、シャイナの剣術って遡ってみたら勇者に繋がったりするのか?」

「ああ?」

 平太の問いに、シャイナは「なに馬鹿な事言ってんだコイツは」みたいな顔をしながら頭を掻く。

「いやいや、そりゃねーだろ。だってあたしの師匠ってアレだぞ。あんな変態、どう間違っても勇者みたいな由緒正しい系統に繋がらねーって」

「ああ……、そうだなあ……」

 アレというのは、当然ハートリーの事である。変態という点では平太もまったく異存はないが、あれでも剣術に関しては超一級なので、もしかしたらと思ったのだが。


「まあ、勇者の剣技が後世に伝わっている可能性はあるかもしれんな」

「勇者ってそんなに凄かったのか?」

 グラディーラは少し眉をしかめ、平太を軽く睨みつける。

「凄いなんてもんじゃない。あれこそ剣技の最高峰。ヒトが到達し得る至高の技術と言っても過言ではないだろう。剣なら誰しも、あのような使い手に主になって欲しいと願うほどだ」

 熱を帯びたように語るグラディーラの姿に、平太はやはりという感じで表情に少し影を落とす。


「言っとくが、あたしはお前を使うつもりはさらさらねーからな。第一、お前は重すぎてあたしにゃ持ち上がりもしねーし」

「フン、わたしを持ち上げもできない者など、こちらから願い下げだ。だいたい、わたしはすでにヘイタと契約を交わしている。それに、わたしたちが仕えるのは勇者ときま――」

「だったら、おねーちゃんはスクートを使えばいーよ。スクートも、おねーちゃんだったらけーやくしてあげてもいいかなって思うし」

 グラディーラの言葉を遮り、スクートがシャイナに抱きつく。


「待て待て、スクート! お前、自分が何を言っているのかわかっているのか!?」

 さっきまでの熱っぽい顔が一瞬で青ざめるグラディーラ。それはそうだろう。勇者に仕えるはずの伝説の武具が、ただの人間、しかも女と契約を結ぼうと言うのだから慌てるなと言う方が無理だ。

「えー? スクート、何かおかしな事言った?」

「おかしいだろ! お前は仮にも伝説の武具なんだぞ」

「だから?」

「お前という奴は……」

 スクートは、言ってる意味がまるで理解できないというふうに小首をかしげる。その仕種に、グラディーラはめまいをしたようにわずかに身体がぐらつく。


 その身体を支えるように、平太がグラディーラの肩にぽんと手を置く。

「まあまあ、そうカッカするなよ。相手は子供? じゃないか」

「しかしな、」

 グラディーラは、肩に置かれた平太の手を払いのけて反論しようとしたが、彼の目を見て愕然とした。普段から死んだ魚のような濁った目をしていたが、今はいつも以上に生気が無い。まさに死人のようにまったく熱を持たず、冷たい目をしていた。


「お前が剣として勇者のような剣の達人に使われたがるのと同じように、スクートだって盾として、シャイナのような奴に使われた方が幸せなんじゃないのか?」

 平太の感情のこもらない声と表情、そして若干トゲのある言葉に、グラディーラは一瞬、スクートの事など頭から飛んでいってしまった。

「それは……」

「おいおいちょっと待てよ。勝手に人にガキを押しつけてんじゃねーよ。伝説の武具だったら、お前の担当だろうが」

「ちょうどいいじゃないか。お前の盾もぶっ壊れたところだし、これを機に伝説の武具って奴を使ってみろよ」


 平太が抑揚の無い声で言うと、シャイナは少し言いにくそうに、

「どーせそいつもクソ重いんだろ? だったら、剛身術の使えないあたしには――」

「スクート重くないよ」

「え?」

 スクートの言葉に、シャイナは目をぱちくりする。グラディーラが信じられないくらい重かったせいか、伝説の武具すべてがアホみたいに重いと勝手に思い込んでいたようだ。かく言う平太もそうだったが、

「スクートが超重かったら、とっくにお前潰されてるぞ」

 平太に指摘され、シャイナはようやく自分が今までさんざんスクートに抱きつかれたりよじ登られたりしていた事に気がついた。確かに、スクートが超重量だったら最初に抱きつかれた時点でぺしゃんこになっていたはずである。


「いや、だって、それってグラディーラと同じように魔法でどうにかしてたんじゃ――」

「あいにく、わたしたちが使える魔法は、一人につき一種類なんだ。わたしは空間魔法、」

「スクートは増幅魔法だよー」

「つまり、スクートは見た目は子供でも、普通の盾と大差ない体重なんだよ」

 平太はそれを確認するように、スクートの両脇をつかみ、ひょいと持ち上げて高い高いをする。

「わたしが重いのは、何度も言うが剣は重さが威力に繋がるからだ。逆に尋ねるが、盾や鎧が必要以上に重くて何か利点があるか?」

 自分の体重の話をするのが恥ずかしいのか、少し赤面するグラディーラに言われ、シャイナは言われてみれば確かにそうだと納得する。盾や鎧は材質や厚み――つまり結果として重量が決まるのであって、前提としては可能な限り軽量化を図るのが普通である。もちろん、重装兵のように盾や鎧の重量をあえて増やし、自身を壁のようにして不動の守りを役目とする者もいるが、それは時と場合によりけりだ。


「おまけに――」

 一人うなずいているシャイナに、平太はそっと耳打ちをする。

「スクートの使う魔法は増幅魔法だ。つまりお前の身体能力が数倍になって、剛身術の代わりになるかもしれないぞ」

 シャイナの背骨に冷たい電気が走り、ぞくりと身を震わす。


 それは、悪魔の囁きだった。

 剛身術の会得を諦め、その悔しさをバネにして己の心と技を磨いてきた。そうして至った境地に、自分は満足していた、

 はずだった。


 なのに今、平太に囁かれたひと言で、呆気ないくらい簡単に心が揺らいだ。

 もっと強い身体が欲しい。

 今の身体も決して弱いわけではない。いや、むしろ他人よりはるかに恵まれているだろう。だがそれでも、その恵まれた身体を極限まで鍛えてもなお、

 魔物を倒しきれなかった。


 ヒトとして最強の部類であるシャイナだからわかる。人間が魔物と戦うのは、相当難しい事なのだと。グランパグルやルワーティクスなど、下位の魔物ならまだしも、四天王クラス、果ては魔王ともなれば、たかが人間ごときが何をしても勝てないのではなかろうか、と不安になる時もある。

 仮に、スブメルススと戦う前のシャイナなら、それでもまだ剣士としての矜持プライドが勝つだろう。


 そして今、シャイナにその矜持が無いかと言えば、決してそんな事はない。今はまだ無理でも、いつか必ず人間は、自分は魔物など超えられると信じている。

 しかし、現在は有事である。魔物や魔王はシャイナや平太が経験と研鑽を積むのを待ってはくれない。それでなくとも、人生は準備不足の連続なのだ。

 だからシャイナは、あえてその矜持を捨て、

「――いいぜ、その話乗った」

 スクートと契約する事を選んだ。

 ただ、これで剛身術と同じ力を得られる。平太に開けられた差を埋める事ができる。という考えが無かったかと言えば、それは嘘になるだろうが。


「なにっ!?」

「やったー! けーやくけーやくー!」

 驚くグラディーラの声が、スクートの嬉しそうな声に重なる。

「ちょっと待てよ。今指を切って血を――」

 平太の時と同じように、シャイナは短剣で自分の指を切ろうとする。だが彼女が短剣を抜くよりも早く、

「じゃーさっそくけーやくかいしー」

 スクートはシャイナに正面から抱きつくと、

「んー」

 思いっきりキスをした。

「ん!?」

 突然の事に、周囲の空気が一瞬にして固まる。誰もが声を上げる事もできず、そのままの状態で動きを止めた。特に当事者のシャイナは、あまりのショックに全身が硬直し、スクートにされるがままだった。よく見れば、頬が内側から何かに押されて蠢いている。きっと舌を入れられている。


 たっぷり一分はそうしていただろうか。やがてスクートが「ぷはぁっ!」と素潜りでもしていたかのように息を吐きながら唇を離すと、吸盤が離れるようなきゅぽんという音がした。

 スクートはまだ硬直しているシャイナから飛び降りると、「ふ~」と何か一仕事やり終えたような満足気な顔をして、右手の袖で口を拭う。

「けーやくかんりょー。これでシャイナおねーちゃんはスクートと一心同体だよ」


 その言葉にようやく正気を取り戻したのか、シャイナは唾液に濡れた唇を何度も手でこする。そして両手を握りしめて、全身を震わせながら力を溜めるように身体を丸めると、

「うわあああああああああああああああっ!!」

 弾かれたように天を仰いで立ち上がり、喉が張り裂けんばかりに叫んだかと思うと、急にぱったりと倒れ込んだ。


「シャイナっ!?」

 突然倒れたシャイナに、ドーラが慌てて駆け寄る。動転しつつも、てきぱきと脈を見たりまぶたを開いて瞳孔を確認し、ひと通り終わると一同の方を振り返り、小さく首を横に振る。

「……気絶してる」

 そのひと言に、平太たちは慌ててシャイナに駆け寄る。そんな中ただ一人、白目をむいて倒れているシャイナをちらりと一瞥しただけで、スィーネはガイドブックに視線を戻した。

 ため息とともに、ぱたりと本を閉じる。

「まだまだ修行が足りませんね」

 口では面倒臭そうに言いながらも、介抱しに立ち上がる。

 次の目的地は、まだ遠い。

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