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ニートの俺が勇者に間違われて異世界に  作者: 五月雨拳人
第三章
63/127

          ◆     ◆


 平太が林の奥から戻って来ると、すでに日は高く昇っていた。


 平太は馬車の中にシャベルを放り込むと、近くで焚き火の跡を囲むようにして座っていたドーラたちの所へ向かう。

 仲間たちと少女が見守る中、ゆっくりと地面に腰を下ろし、心底疲れたという声で言う。

「埋めてきたよ」

 そのひと言で、ドーラたちの空気がずしりと重くなる。

「お疲れ様でした」

 沈黙を破り、最初にそう労いの言葉を言ったのはスィーネだった。


「わたしの回復魔法が至らぬばかりに、ケインさんが……」

「スィーネが気に病む事はないよ。いや、そもそも誰のせいでもない」

 そこで平太はシャイナを見る。さすがにシャイナもケインを半殺しにした負い目があるのか、バツが悪そうな顔をしてそっぽを向いてしまった。


「こっちも危うくシズが命を落とすところだったんだ。因果応報ってやつだよ」

 口ではそう言いながらも、平太自身これで皆の罪悪感が薄れるとは思っていなかった。だがそれでも、誰かが悪くないと言ってくれるだけでわずかでも心が救われる事もある。だから平太は、少しでも仲間が胸を痛めないように言った。

「誰も悪くない。誰のせいでもない」

 悪いのは――


「ところで、今後の予定だけど」

 重くなった空気を少しでも変えようと、平太は努めていつも通りの口ぶりで皆に話す。

「今日はこんな事があったし、シズもすぐに動かすと傷に障るかもしれないから、この子の村を捜すのは明日にしようと思う」

 平太の提案に、ドーラたちは無言のまま頷く。感情では、すぐにでもこの場を離れたいのかもしれないが、精神的な疲労が身体を動かすのを拒否させているようだった。


「そう……ですね。ではお言葉に甘えて、今日はゆっくり休ませてもらいます」

「うん。食事は俺が作るから、シズは安静にしてなよ」

「ではヘイタ様、後の事はよろしくお願いしますね」

 そう言ってぺこりと頭を下げると、シズはスィーネに付き添われて馬車の中へと引っ込んだ。傷は癒えても、血を流した分だけ身体は疲弊しているのだろう。


「さてと、」と平太は立ち上がる。

「すっかり遅くなったけど、俺も朝飯を食おうかな」

 そう言ってはみたものの、すっかり真上に来た太陽を見て訂正する。

「……いや、もう昼飯か」

               ☽

 こうして平太たちは馬の世話をしたり、薪を拾ったりして日中を過ごした。

 夜。夕食の席で、再び平太が皆に提案する。

「一度ソヌスポルタに戻ろうと思う」

「ええっ!?」

 予想通り、この提案に真っ先に反対を示したのはドーラだった。相変わらず隣には少女が引っ付いている。


「ちょっと待ってよ。今さらソヌスポルタに戻るってどういう事?」

「このままこの子の言う通り進んでも、村が見つかるかどうか疑問に思うんだ。だから一度ソヌスポルタに戻って、情報を収集してから出直した方が確実だと俺は判断したんだが、」

 どうかな、と平太は同意を求めるように皆を見回す。沈黙はあれど反対の気配がない様子に、ドーラは慌てて立ち上がる。

「いやいやいや、いくら何でもそれは二度手間でしょ。ねえ?」

 そう言ってドーラは隣に座るスィーネを見る。論理的な彼女なら、平太の言っている事が非効率的だと指摘してくれるはずだ、という期待に満ちた顔だ。


 だが、


「そもそもこの勇者巡礼の間、決定権はヘイタさんにありますし、わたしはいいと思います」

 あろうことか、スィーネが平太に賛成した。

 ドーラが一体何が起こったのか理解できないという顔をしていると、

「ちょうどいいじゃねえか。街に戻るんなら、ついでに食料も買い足しとこうぜ。また野菜炒めが続くなんてまっぴらだしよう」

 シャイナまで彼の側についてしまった。まあ彼女の場合、特に考えての事ではないだろうが。


 それでもどうにか反論しようとドーラが言葉を探していると、不意にスィーネがこちらを睨みつけるように見つめた。

「子供だから、というわけではありませんが、やはりまだ混乱している可能性も捨て切れません。ですから、その子の事を思うのなら、より確実な情報を得てから探した方が賢明だとは思いませんか?」

「『空を飛ぶ方法を探すより、自分の足で歩いた方が早い』って言いますしね」

 スィーネのみならずシズにまで諭されてしまい、ドーラはこれ以上反対するのが無理だと悟る。


「わかったよ……」

 ドーラは仕方なく承諾するが、いかにも不承不承といった感じだ。ネコ耳をぺたりと伏せ、肩を落とす彼女の姿に、平太は少し心が痛んだ。

 だがこれで打てるだけの布石は打った。後は相手がどう動いてくれるかだが、果たして思った通りに事が運ぶのか、それはまだ誰にもわからなかった。

               ☽

 その夜。

 平太はケインの馬車の中で一人寝ていた。


 夕食の後、ケインの馬車をどうするかという話になり、とりあえず平太専用の寝床として使い、次の町で売り払おうという事になったのだ。


 独りで寝る馬車の中は、酷く寂しいものだった。

 そのせいではないが、平太は横にはなったもののまったく眠れずにいた。

 いや、寝てはいけないのだが頭の中が考え事でごった返していてどうしても目が冴えてしまう。


 今でも、気のせいだと思いたかった。

 自分の勘違いであって欲しかった。

 だが平太のささやかな祈りを裏切るように、

 一瞬だけ虫の声が止んだ。

 こっちに来たか、と平太は思った。


 影が音もなく、馬車の中にぬるりと入って来る。注意していなければ、気配をつかむどころか入ってきたのにも気づかなかったであろう。

 影は、無防備に寝ている平太を見てにやりと笑う。その手には、闇に溶け込むように、煤を塗って真っ黒になった短剣が握られている。

 影が短剣を逆手に持ち替え、平太に向けて振り上げたそのとき、


「そこまでにしやしょうや」

 馬車の入り口に、新たな影が現れた。

 突然現れた邪魔者に、影は短剣を振り上げたまま顔をそちらに向ける。

 影が驚愕した。


 そこには、死んだはずのケインが立っていた。それどころか、シャイナに半殺しにされた時の傷もきれいに治っている。

 そしてその背後には、ドーラたちがいた。

 皆それぞれ信じられないという表情をしていたが、とりわけドーラの愕然とした顔は闇の中でも痛烈にシャイナたちの心を痛めた。


「そんな……お前は死んだはずじゃ」

「わたしが治しました」とスィーネ。

「じゃああの時の言葉は嘘か」

「嘘は申しておりません。わたしはただ、『ケインさんが……』と言っただけです。勝手に勘違いしたのはそちらでしょう」

「く……」

「どうやら役者が揃ったようだな」

 平太がむくりと起き上がる。毛布の下から出た身体には、いつものカニ鎧をまとっていた。

 その完全防御態勢に、影は自分の行動が予め読まれていた事を知り舌打ちをする。


「……いつから気づいていた?」

「気づいたのは、シズがケインに射たれた時――つまり今朝だ。正確には昨日の朝かな? まあ細かい事はどうでもいいや」

 とにかく、と平太はそれかけた話を元に戻す。

「ケインがシズを射ったってのが、まず引っかかった」

 そもそもケインがシズを射つ理由がない。しかも、その時シズは鳥に変身して空を飛んでいた。こうなると、単にケインが射った鳥がたまたまシズだったという事故で話が終わってしまう。


「そこで話が終わりやせんか?」

「終わらないよ。狩るために射ったのなら、そのまま放置しないだろ? ましてや落ちるところを見てるんだから、回収しないのはおかしい。でもそれをしてない。となると、ただ射っただけになる」

「それだけじゃ、いけやせんかね」

 う~ん、と平太は呻く。

「早朝に、同じ馬車で寝てる俺に気付かれずに外に出て、わざわざ鳥を弓矢で射っただけで満足してまた気付かれないように戻って寝直すの? 何だか支離滅裂じゃないか?」

「言われてみれば……。しかし、人の行動にいちいち理由なんかありやしやせんぜ」

 コイツどっちの味方なんだよと思わなくもないが、ケインの意見には一理ある。行動の理由に“なんとなく”があるのが、人間の持ち味とも言える。


「けどな、ただ何となく射ったのではなく、『鳥になったシズを射つ』のが目的だったと仮定した場合、面白いぐらい話が広がるんだよ」

 前提が仮定というのが曖昧だが、目的の部分を仮定してやるだけで、この話は転がるように繋がっていくのだ。


「シズを射つのが目的だと仮定すると、何故なのかという話になる。そこで思い出されるのが、彼女がどうしてあの日鳥になっていたかという点だ。そう、彼女はあの日、鳥になってこの林の先に村があるか偵察に出る予定だったんだ」

「そうだったんですか」

「あんたがその話を知らないのは当然だ。あんたがいない時を見計らって、俺がシズに頼んだんだからな」

「はあ……そうでしたかい」

 留守を狙って話をされていた事に、ケインはわずかに傷ついたような顔をする。


「ここで重要なのは、ケインが知らなかった点が二つも出てきた事だ。まず一つ。ケインはシズが偵察に出る事を知らなかった」

 平太が人差し指を立てる。

「まあ、あっしはそん時いませんでしたからねえ……」

「そしてここが最も大事なとこだ。ケインは、シズが鳥に変身できる事を知らなかった」

 平太が指を二本立ててしたり顔で言うと、影とケインが同時に「あ……」と驚きの声を上げる。その反応に、平太の顔がますますニヤつく。


「おかしいな。ケインはシズを射つのが目的だったのに、シズが早朝から偵察に出る事も、鳥になれる事も知らない。明らかな矛盾だ」

 仮定をした結果矛盾が出るのならば、その仮定は誤りである。

 ただし、条件に誤りがある場合は除く。


「そこで俺はこう考えた。“もしかして、シズを射ったのはケインではないかもしれない”と」

 平太の言葉に、影が声を上げて笑う。

「おかしな事を言う。あの女も言っていただろう。自分はこの男に射たれたと」

「わ、わたしも確かに見ました。あれは間違いなく、ケインさんです」

「確かに。射たれたシズ自らの証言によって、射ったのがケインだと断定された。だからシャイナもブチ切れてあんな真似をしたんだろう。さすがにシャイナも確定情報もなしに、あそこまではしないだろうしな」

「あ……悪かったな。あん時はついカッとなってやり過ぎちまった」

 シャイナが頭を掻きながら謝ると、ケインは「あ、まあ、済んだことですし、今その話はよしやしょう」と少し困ったふうに身を引いた。まだあの時のトラウマが残っているのかもしれない。


「それじゃあ、シズを射ったのがケインじゃないとしたら、一体誰だって言うんだい?」

 そう尋ねるドーラも、犯人はもうわかっているはずだ。何しろ影が目の前にいるのだから。それでも、疑問の余地があるうちは認めたくないのだろう。


「俺は――俺たちは、これまで大きな思い違いをしていたんだ。だってそうだろ?」

 と、平太はシズに身体ごと向き直る。

「この世界には、動物や魔物に変身できる亜人が存在するんだ。だったら、“他人に変身できる亜人”がどうしていないと断言できるんだ」

 全員が同時に「あ……」と声を上げた時、風が馬車の中を吹き抜けた。


 そして風で翻った幌が月の光を馬車の中に通し、

 黒色の短剣を握った少女の姿を照らした。

               ☽

「偵察と変身。この二つの情報は、俺がシズに偵察を頼んだあの場にいなければ、手に入らないんだよ」

 そしてあの場に平太たち以外にいたのは、

 少女しかいない。


「そこからさらに進めるぜ。次の疑問は、何でシズを射ったのか。それは、そうされちゃ困るからだ」

「この先に村なんて無いからですか?」

 スィーネの問いに、平太は「さあ?」と答える。

「どうせ野盗に追われてた辺りからでっちあげなんだ。村の有無は関係ないだろう。あったところで親なんていないし、無かったら俺たちの疑念を誘うからマイナスだ。だから、シズに偵察に行かれちゃ都合が悪かったのさ」


「しかしよう、そもそもどうしてあたしらをこんな所まで連れて来たんだ?」

「恐らくは、人目につかない所で俺たちを始末するつもりだったんだろう。街道沿いだと人通りも多いし、もし何かあった場合事件性が強い」

「その点、こんな街道からだいぶ外れた林の中だったら、何が起こってもおかしくないって事か」

「そういう事。元々そのために俺たちに接近してきたんだ。誰の差し金かは知らんが、これだけは確実に言える。こいつは見た目通りのか弱い少女じゃない。魔物よりも危険な、暗殺者アサシンだ」


 馬車の中に戦慄が走る。その中で、最も驚愕していたのはドーラだった。

「じゃ、じゃあ……一番ボクにくっついていたのは、そういう……」

 やはり気づいてしまったか。平太は少し後悔する。もうこれ以上、彼女を傷つけたくなかったので、できれば彼女には何も知らせずに事を終わらせたかった。

 しかし、真実を知らせずにこの場をやり過ごしても、翌朝になれば姿を見せない少女に疑問を持つだろう。そしてそれはいつまでも隠し通せるものではない。

 だったら、こうしてこの場に立ち会わせ、真実を直に見せた方が良いのではなかろうか。

 だからこうしてすべてを目の当たりにさせたのだが、果たしてそれが本当に正しい選択だったのか、それはまだ平太にもわからない。きっと、誰にもわからないだろう。

 ただ乗り越えてほしい。そう祈る事しかできなかった。


「ああ、そうか、わかっちゃった……」

 聡明なドーラは、ここにきてすべてのからくりを理解した。

 理解してしまった。

 どうして少女が暗殺者として現れたのか。

 狙われたのが、どうして自分なのか。

 誰が黒幕か。


 けれどそれを口にする事はなかった。

 言ったところで、少女は――暗殺者は依頼主の名を明かしはしないだろう。それに、仲間たちに無用な不安を与えるだけだ。

 意味が無いのなら、する必要はない。自分が呑み込んで腹に留めておけば済む話なら、そうするだけだ。


 ドーラはこの場の誰もが聞きたがる問いをすべて捨てて、ただ己のためだけの問いを発した。

「キミは、ボクやシズと同じ亜人だったんだね」

「だからどうした? 同じ亜人だから殺しちゃいけないのか?」

「そうじゃないよ」とドーラは頭を振る。

「ボクが知りたいのは、それだけの能力を持ちながら、どうして暗殺者なんかになったのかって事さ」


 沈黙の中で、暗殺者が息を呑む音が聞こえた。

「その能力があれば権力者に、極端に言えば一国の王にだってすり替わる事ができたはずだ。そうじゃなくても、暗殺なんて血生臭い仕事に手を染めずに生きるやり方が他にいくらでもあったろうに。なのに、」


 どうして――

 光の当たる道を生きなかったのだろう。


 同じ亜人でありながら、どうしてこう光と影に分かたれてしまうのか。ドーラはそこで、暗殺者と同じ変身能力を持つシズの事を思う。

 彼女もまた、己が持つ亜人の能力によって一度は詐欺の仲間という闇に堕ちた身である。結果的に平太によって救われたが、もしそうなっていなければ、今ごろどうなっていたか。


 ドーラとて、この世界で亜人がまっとうに生きる事がどれだけ難しいか、知らないわけではない。彼女自身、数えるのがうんざりするくらい差別や迫害に遭ってきた。

 それでも、こうしてまっとうに日の当たる道を歩き続けられたのは、スィーネやシャイナ、今はシズや平太たちがいたおかげである。

 そう、自分はただ幸運なだけだ。世の多くの亜人が晒される悪意に自分が負けなかったのは、他の亜人よりも幸運で、自分を日の当たる道に留めてくれる友人たちがいたからである。


 そうでなければ、今ごろドーラとてこの暗殺者やかつてのシズと同じ、闇へと堕ちていたことだろう。

「ねえ――」

 ドーラは思う。

 この世界は、残酷であると。


「もし良かったら、ボクたちと一緒に来ないかい?」

「はあ!?」

 暗殺者とシャイナが、信じられないという声を同時に上げる。スィーネとシズ、そして平太とケインも、ドーラの突然の申し出に唖然としていた。

「おいおいマジかよ!? お前正気か? コイツはあたしらを騙して殺そうと近寄ってきた暗殺者なんだぜ!?」

 シャイナが猛然と意を唱える傍らで、暗殺者はしばし言葉を失っていたが、やがてくつくつと笑い始めた。

「お前はバカか? 自分が何を言っているのかわかっているのか?」

「依頼は失敗したし、ボクに何もかも見抜かれているんだ。雇い主の所に帰るどころか、今じゃもうキミだって排除の対象じゃないか。だったら、邪魔者同士仲良くしようって話なんだけど、そんなにおかしな話かな?」


 ドーラの言う通り、依頼に失敗した今、立場は完全に逆転している。彼女に残された選択肢は、この場にいる者を全員始末して完全に証拠を隠滅するか、依頼未遂の汚名を背負って、情報漏洩を恐れて命を狙ってくる依頼主から逃げ続けるかである。当然、この仕事はもうできない。


 しかし、暗殺者は暗殺にこそ長けていても、戦闘力はそれほど高くはない。それにこうして多人数に囲まれた状況で、しかもその中には本職の剣士がいては、勝てる見込みは万に一つあるかないか。

 そのあるかどうかもわからない一つに賭けるほど、暗殺者は楽観的ではない。そうなると、答えは必然後者となる。


 再び暗殺者は笑う。今度は嘲笑ではなく、自虐的な笑みだった。

「それで情けをかけたつもりか? お前がかけた情けはな、」

 勢いよく立ち上がる。咄嗟にシャイナが剣を抜く。

「ただの侮辱だ!」

 だがそれよりも早く、暗殺者はその身を黒猫に変えた。


 闇に紛れる黒い猫は、シャイナの目をもってしても捉えきれなかった。黒猫はシャイナの剣をかわして彼女たちの足元をすり抜けると、馬車から飛び出して一目散に林に向かって駆けて行った。

               ☽

 シャイナは慌てて馬車から飛び出すが、すでに黒猫の姿はどこにもなかった。月明かりがあるとはいえ、この闇の中で黒猫を探すのは狩人でもある彼女でも至難の業だ。


「クソ、化けられるのはヒトだけじゃなかったのかよ」

 大きく息を吐きながら、シャイナは剣を鞘に収める。

「スマン、読み違えた。まさか動物にも化けられるとは……」

 暗殺者が黒猫に化けるのは予想外だった。てっきりドーラを林の奥に誘い出して、野盗の仕業に偽装して殺すのかと思っていたが、どうやら獣の仕業にする予定だったのかもしれない。むしろその方が自然なので、可能性は高い。


 だが、恐らく暗殺者はもう二度と姿を現さないだろう。この瞬間から彼女も、自分たちと同じ狙われる側なのだから。


 一方、馬車の中ではドーラが暗殺者の脱ぎ捨てた服を手に、呆然としていた。

 ――お前がかけた情けは、ただの侮辱だ。

 最後に彼女が言った言葉が、ドーラの頭の中で何度も繰り返される。

 情けをかけたつもりはなかった。

 ただ、合理的な提案をしたつもりだった。

 なのに、


 そこでふと、ドーラは今さらな事を思い出す。

「ああ、そういえば、あの子の名前も知らなかったなあ」

 だが、その機会は永遠に訪れないだろう。

 それは、彼女も理解していた。

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