不審感
◆ ◆
少女の住んでいた村の方角がわかったところで、勇者巡礼は一時中断となった。
平太たちは今、当初の目的地コンクラータに向かう街道から大きく外れ、林の中を進んでいる。
まばらに生い茂る木々の間を、ゆっくりと馬車は進む。
「ま、別に途中で中断しちゃいけないって決まりもないしな」
平太は慎重に手綱を取りながら、背中越しに馬車の中に向かって話しかける。
遍路だって、区切り打ちと言って途中で中断し、後日またそこから巡り直すやり方もあるのだ。それぐらい融通が利かないと、金銭と日数的に巡礼できる者が限られるのもあるが、ともあれ巡る事に意義があると平太は思う。
ただこの勇者巡礼の場合、平太たちはただ勇者の足跡を辿っているわけではない。グラディーラ以外の、残りの武具を探さなければならないのだ。
「しかし、わざわざ送ってやる事もないだろう。この付近に住んでいるのなら、適当に水と食料を与えれば自力で帰れるだろうに」
グラディーラは不満そうに言うが、それは巡礼が中断されるからではない。ここ数日ずっとケインが平太たちにくっついているので、彼女は自分の居住空間に帰れないでいる。急にいなくなったり現れたりしたら彼が不審に思うからだ。そのためストレスが溜まって少し苛々しているのだ。
解決策としては、ケインにグラディーラが伝説の聖剣だと打ち明ければ話は早いのだが、これ以上情報を与えるのは尚早だという判断により、まだ秘密であった。
「まあまあ。いくら昼だからって、こんな林の中に小さい子をほっぽり出すわけにはいかないだろう」
「それに昨夜の野盗がまだこの辺りをうろついてるかもしれないからね」
平太の言葉に、ドーラが乗っかる。グラディーラは「だがなあ……」とは言うものの、本気で少女を放り出したいわけではないのか、それ以上反論しなかった。
少女は馬車の中で、ドーラの隣りに座って大人しくしている。時々ドーラが「大丈夫? 気分悪くない?」など様子を尋ねると、小さく頷いているがやはり返事は無い。
二人の対面では、スィーネがうんうん唸りながらガイドブックとにらめっこをしている。
「どうした?」
スィーネの唸り声があまりにも耳につくのか、堪らずシャイナが声をかける。
「いえ、それが、いくら探してもこの方向に村が見当たらなくて……」
「ンだよ、まだ探してたのかよ。あいつもいってたろ。何の変哲もない村だから、ガイドブックにゃ載ってねーんだろって」
「ですが、」
「それより、さっきからうんうんうっせーんだよ。それに、馬車の中で本なんか読んでると、酔ってゲロ吐いちまうぞ」
ゲロ、という単語にスィーネは少し眉をひそめるが、確かに揺れる馬車の中で長時間文字や絵を見つめ続けたせいか、胃の辺りが何となくむかむかしてきた。これが乗り物酔いというやつなのだろうか。
「……それもそうですね」
完全に納得したわけではないが、気分が悪くなって旅に支障をきたすのも悪いと、スィーネはガイドブックをぱたりと閉じた。
「しっかし馬に乗ってるときゃ平気なのに、どーして馬車ん中だと酔うんだろうなあ」
「不思議ですねえ。馬車だと外の景色が見えないからでしょうか?」
「いや、船んときゃ甲板に出てもあんまり楽にならなかったから、関係ないかもしれねーぞ」
「では一体何が原因なのでしょうね」
「さあなー」
それからしばらく二人は、乗り物酔いあるある話で盛り上がった。
☽
日が沈み、これ以上進むのは危険と判断した一行は、野営の準備を始める。
平太とシズが夕食を作り、他の連中がそのための薪を拾ったり木箱を並べて即席のテーブルを作ったりするのはもうすっかり定番になっていた。
夕食が終わり、ケインが用足しに席を外したのを見計らって、平太は皆に疑問を投げかけてみた。
「なあ、思うんだが、ちょっと遠くないか?」
少女が指し示す方に向かって一日馬車で向かってみたが、行けども行けども木々ばかりで人の集落が見える気配がまるでない。
皆も平太と同様の疑問を持っていたようで、「お前もそう思うか」みたいな顔でこちらを見た。
「さすがにちょっとおかしいかな、って思わなくもないけど……」
現在の状況に疑問を持ちつつも、少女は疑いたくない。そんな複雑な心境が表情に現れているのか、困り笑いのような顔でドーラは隣に座る少女の頭を撫でる。
少女は、自分が話の俎上に載せられているのを理解していないのか、「?」という疑問視が視認できそうな顔で小首を傾げる。
「そこでだ。明日夜が明けたら、シズにひとっ飛びしてもらってこの辺りの偵察をしてもらいたいんだけど」
障害物の多い林の中では、馬車や馬の機動力はたかが知れている。そこで鳥に変身できるシズに、上空から広範囲かつ遠距離の偵察をしてもらおうという寸法だ。
「でしたら、明日の朝と言わず今からでもいいですよ」
鳥に変身するからといって、鳥目になるわけではない。シズが喜び勇んで立ち上がろうとするのを、平太が慌てて止める。
「いやいや、別に慌てる必要はないよ。それに、」
「それに?」
「今シズの姿が見えなくなると、ケインに不審に思われるかもしれないし、言い訳を考えるのも面倒くさい」
「あ~、確かにねえ。悪い人間ってわけじゃなさそうだけど、まだ手放しで信用できるほどじゃないからねえ」
完全に信用が置けない相手には情報を制限するべきであるという平太の意見に、ドーラが同調する。それに、相手だってこちらに情報を全部開示しているわけではない。お互い様だし、用心に越したことはない。
「わかりました。明日、夜明けとともに行ってきます」
「ありがとう。よろしく頼むよ」
「はい!」と元気よく返事をするシズを、少女はじっと見つめていた。その視線に気づき、二人の視線がぶつかる。
「そういえば、この子まだ喋りませんね」
「うん。相当ショックを受けたんだろうねえ」
「まだ小さいのに……」
「けど、家に帰って時間が経てば、心の傷もいつかきっと癒える。また必ず喋れるようになるさ」
少女がドーラの顔を見上げる。ドーラが頭を優しく撫でてやると、気持ちよさそうに目を細めた。
「そうですね、早くご両親の元に帰してあげたいですね。わたし、明日は頑張ります!」
両の拳を握り、ふんすと鼻から息を吐くシズ。
その夜は、こうして更けていった。
☽
翌朝。
昨夜と同じくケインの馬車の中で眠っていた平太は、何か重い物が室内を転がる騒音で目を覚ました。
「がは……っ!?」
見れば、馬車の中には鬼のような形相をしたシャイナがいた。馬車の端でケインがうずくまっている。どうやらシャイナが寝ている彼を蹴り飛ばしたようだ。
シャイナはまだ苦しそうに床に転がっているケインに足音を踏み鳴らしながら近づき、片手で胸ぐらを掴んで無理やり立たせると、空いた方の腕で彼の腹を二三度殴りつけてから馬車の外へと投げ飛ばした。
馬車の外から、ケインが地面に落ちた音と「ぐふっ」というくぐもった声がする。シャイナはゆっくりと彼を追って馬車から飛び降りた。
まったく状況が飲み込めなかった。
それでもただ事ではない事だけは理解できたので、平太は慌てて這うようにして馬車から外に顔を出す。
馬車の外では、一方的な暴力が続いていた。
シャイナはケインに馬乗りになり、彼の顔面に容赦の無い拳を振るい続けている。平太はかつてシャイナにタコ殴りにされた記憶が蘇り、口や身体を動かす事を忘れる。
ケインの両腕はシャイナの両足に封じられているので、防御しようにも何もできない。それ以前に、どうして自分がこんな目に遭っているのかまるで理解できないといった感じだ。
そこでようやく平太は我に返り、馬車から転げ落ちるようにして外に出て、シャイナを羽交い締めにしてこの凄惨な暴行を止めにかかる。
「おいおい! 待て待て! 何やってんだよお前!?」
「うるっせえ止めんじゃねえっ!!」
「いやいやいやいやそうもいかんだろ。お前殺す気か!?」
「そーだよ殺すんだよ! 殺してやんだよぉっ!!」
寝起きの身体に力が入らないのを差し引いても、シャイナを取り押さえるのに相当苦労した。今思えば剛身術を使えば良かったのだろうが、焦った上に寝ぼけた頭だったので思いつかなかった。
どうにかしてシャイナをケインから引き離すと、ドーラがぽてぽて走って来た。本人は全力疾走のようだが、どう見ても遅い。
それはさておき、ドーラは組み技みたいになっている平太とシャイナの姿を見て、「ああ、やっぱりこうなった……」とため息を漏らす。
「やっぱりってどういう事だよ? って言うか何がどうなってるんだ?」
「それがね……シズが矢で射たれたんだ」
「えっ!?」
ドーラの言葉に平太の中でシズが重症を負った時の記憶がフラッシュバックする。トラウマ発動で平太の全身の力が抜けた一瞬の隙を突いて、シャイナが羽交い締めの拘束から抜け出した。
「コイツだよ! コイツがやったんだよ!」
顔面が血だらけになって倒れているケインを、シャイナは忌々しげに指さす。さすがにこれ以上暴行を加える気はなさそうだが、それにしても腑に落ちない。
「ケインが……シズを射った?」
どうして、という疑問が最初に浮かんだ。これまでならそのまま思考の迷宮に足を踏み入れる平太だったが、今回はシズを心配する方が勝った。
「シ、シズは無事なのか?」
「幸い当たりどころが良かったから命に別状はないけど、それでも軽いケガじゃないね。今はスィーネが治療してるよ」
命に別状はないと聞いて、平太はほっと一安心する。
「良かった……」
そこで平太はちらりとケインを見る。胡散臭い男だとは思うが、果たしてそこまでするだろうか。何より、こんな事をしでかしたら、とっくに姿をくらましているはずだ。呑気に寝ているところを、怒り狂ったシャイナに蹴飛ばされるような事はまず無いだろう。
違和感しかない。だが、今はそんな事を考えている場合ではない。平太は強引に頭を切り替える。
「とにかく、シズの様子を見に行こう。ケインは、」
シャイナに執拗に殴られ、虫の息といったところか。息はしているが意識はなさそうだ。
「このままにしておくのもなんだし、連れて行こう」
そう言うと平太はぐったりしているケインを肩に担いで歩き出した。
☽
馬車の中では、スィーネがシズの治療をしていた。
スィーネは、上着を脱ぎ上半身を露わにしたシズの右肩に両手をかざし、神の奇跡を行使している。
スィーネの掌から放たれる淡い光は、シズの右肩をえぐった矢傷をゆっくりとではあるが確実に治癒していく。傷がふさがっていくにつれて、シズの苦悶の表情がほぐれる。
「シズ、大丈夫か!?」
そこに平太が、何の前触れもなく足を踏み入れた。
「へ!?」
両者の視線が交錯する。やがて平太の視線が下に向かうのにつられて、シズも下を向く。そして今自分が上半身を露わにしているのに気づくと、
「きゃあああああああああああああっ!!」
悪かったのは、平太のタイミングだけではなかった。運も悪かった。たまたまシズの近くにナイフとフォークの在庫が入った木箱があり、パニックになったシズはそこに手を入れると、掴めるだけのナイフとフォークを握り締めて全力で平太に向かって投げつけた。
「うおっ!?」
高速で迫り来るナイフとフォークの雨あられに、平太は驚いて後ろに倒れ込むようにして馬車から転げ落ちる。受け身もろくに取れずに後頭部を強打して、目から火花が出た。
「あててて……ごめん、シズ」
痛む頭をさすりながら謝ると、馬車の中から「はわわわわ……す、すいませんヘイタ様! だ、大丈夫ですか!?」
という慌てたシズの声の後に、
「気にする必要はありません。いきなり女性のいる馬車の中に入ってくる方が悪いのです。それよりも、ケガをした方の肩で物を投げないでください。ふさがりかけた傷が開いてしまうではないですか」
「あ、す、すいません……」
スィーネにまったく心配をされなくて少し寂しくなるが、彼女の言う通り悪いのは自分である。平太は起き上がりもせず、そのまま地面に横たわって空を見ながら待った。
☽
「あの……もういいですよ」
シズのお許しが出たので、平太は起き上がって改めて馬車の中に顔を入れる。
中には着衣を整えたシズと、手当に使ったであろう血で汚れた布を片付けているスィーネがいた。
そして、一本の矢。
「これがそうか……」
見れば、何の変哲もないただの矢である。平太の持っているクロスボウの矢はもっと短いので、これは普通の弓で射るためのものだろう。
つまり、こんなものを使う奴は平太たちの中にはいない。
そうなると、残るは――
いや、決めつけるのはまだ早い。とにかく情報を集めようと、平太はシズから話を聞いた。
「それが――」
シズが語るには、まず彼女は昨晩平太に頼まれた通り、空から少女の村を見つけるために夜明けとともに起き出した。そしてまだ寝ているドーラたちを起こさぬように静かに馬車から抜け出すと、着ている物をすべて脱いで鳥に変身した。
鷲の如く大きな羽を持つ鳥に姿を変え、飛び立ったところを、
「その矢で撃たれたんです」
シズはこれがそうだと視線で指し示すが、撃たれた時の痛みを思い出したのか、一瞬見ただけですぐに目をそらした。
「撃たれた状況はわかったけど、それじゃあケインが犯人だっていう証拠は無いんじゃないか? この矢だってどこにでもありそうな矢だし、」
「見たんです」
「え?」
平太の話を遮って、シズが告白する。
「わたし、見たんです。矢を撃たれて空から落ちてる間に。あれは、たしかに、あの人でした。わたしに向けて弓を構えてたので、間違いありません」
「う~ん……」
目撃証言が出てしまった。こうなると、これ以上ケインを庇う事はできなくなってしまう。
だがシズの証言で、平太はさらに違和感を強くした。
一番の疑問は、何故の部分だ。
ケインがシズを攻撃する理由が見当たらない。
いや、当時のシズは鳥に変身していたのだから、ケインは鳥を撃っただけで、これは不幸な事故なのかもしれない。
しかし、それならば新たに疑問が湧く。
狩りのつもりでケインが矢を射ったのなら、結果としてその目的を果たしていることになる。矢はシズに命中し、空から落ちている。
となれば、どうして獲物を回収しなかった。せっかく射止めたのだ。しかも落ちるところを見ているのだから回収は容易なはず。
そこで、回収を必要としないと仮定する。つまり、獲物を狩るためではなく、ただ娯楽として射っただけだという可能性だ。
この線でまとめると、ケインは早朝、自身の娯楽のためだけに鳥に変身したシズを弓矢で射った。そして矢が命中して獲物が空から落ちるところを見て満足し、再び自分の馬車へと戻って寝直した。当然、ケインは自分が射ち落とした鳥がシズだなんて夢にも思わない。完全に油断して二度寝していたところを、激怒したシャイナに蹴り飛ばされた。
一応これでスジは通っている。ミステリの推理要素である5W1Hのうちの、いつどこで誰が誰を何でどのようにどうしたと4W1Hは埋まった。
が、やはり残り1Wの何故《why》の部分が埋まらない。
しかしこれは推理小説と違って現実だ。そこに明確な理由など存在しないという事もあり得る。
平太が思考に没頭していると、
「あの、申し訳ありませんでした」
唐突に、シズが謝罪をしてきた。意味がわからず、どうしてと問う。
「ヘイタ様に偵察を頼まれていたのに……」
「なんだ、そんな事か」
改まって謝るから何事かと思えば。平太は安心と軽い呆れの混じったため息をつく。
「ケガをしたのはシズのせいじゃないだろ。それよりも、シズが無事で良かったよ」
平太が労いと慰めの言葉をかけると、シズは胸のつかえが取れたように笑顔になる。
その時、シズの胸のつかえがこちらに伝染したかのように、平太の頭の中に引っかかる物が現れた。
何故《why》、の部分が埋まったような気がした。
自分は大きな考え違いをしていたのかもしれない。
仮定そのものを変えてみると、これまで感じていた違和感がみるみる溶解していく。それはまるでパズルのピースのように、ぴったりとリズミカルにはまっていく。
「まさか……」
パズルが完成し、できあがった絵に平太は自分でも驚く。確かにそれは、あまりにも荒唐無稽な筋書きだった。だが、同じピースを使って他に絵はできない。となると、答えはおのずと定まってくる。
「どうかされましたか?」
平太の様子がおかしい事に気づいたスィーネが声をかけるが、思考が最高潮に達している彼の耳には届かない。
「全ての不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、それが真実となる、か」
「はあ……どういう意味でしょうか?」
思わず口をついて出た昔読んだ推理小説のセリフを、スィーネは意味がわからないといった感じで聞き返す。
「シズ、スィーネ」
平太は自分の推理を二人に話そうか、一瞬だけ迷った。だが、シズのまだ癒えきらない肩の傷が視界に入った時、わずかな迷いは完全に吹っ切れた。
ここで躊躇うと、次の犠牲者はきっと――
「二人に頼みがある」
平太は、二人にすべてを話した。




