ルワーティクスの鎧
◆ ◆
ソヌスポルタの街に戻った平太たちは、すぐさまルワーティクス討伐依頼を出した自警団の事務所へと赴いた。
自警団の事務所は、街の中心からやや外れた場所にあり、中の窓口が受付を兼ねていた。だが実際に報奨金を出しているのは領主で、自警団は広報と事務的な仕事を請け負っているだけのようだ。
ともあれ、平太たちはルワーティクスの死骸を証拠として提出し、無事に報奨金の金貨二十枚を手にすることができた。ドーラは満面の笑みでそれを受け取った。
それから事情を説明してルワーティクスの死骸を貰い受けると、急いで例の武器防具店へと向った。
☽
「……まさか本当に狩って来るとはな」
店の前に置かれたルワーティクスの巨大な死骸を見て、店主は呆れと嬉しさの混じった声でつぶやいた。
「これさえありゃ、二日で鎧の改造ができるんだよな?」
ルワーティクスを仕留めてからソヌスポルタに戻るまで半日かかったが、革が弛緩するまでまだ半日も残っている。肉を切り分けるにしても、充分時間があるだろう。
「改造どころか、こんだけありゃ鎧を丸々一式作ってもお釣りが出るぞ」
「マジで!?」
「ただし、一部だけやり替えるのと違って全身だ。着るあんたに合わせながら作るから、作業の間じゅうずっと居てもらわないといけない。そうなると結構な負担がかかるが、その分この世に二つと無い、あんただけの、あんたにしか着られない一品が出来上がるぜ」
そこで店主はシャイナに向けて、まるで相手を試すかのように笑う。
「当然料金も相当上がるが、どうだい? やるかい?」
「う~ん……」
唸りながら、シャイナはちらりとドーラを見る。予定では鎧の修理だけだったのだが、素材調達に少し経費と日数がかかっている。その上全身オーダーメイドに変更となると、かかる金額が予定の倍どころではないだろう。これはきっと、財布の紐の硬いドーラの事だ。「うちにはそんな余裕はありません」とかお母さんみたいな事を言って反対するに決まっている。
――と思いきや、
「いいんじゃない? いい機会だし、いっそ全部イチから作ってもらいなよ」
報奨金の金貨二十枚の詰まった革袋をホクホクした顔で抱き締めながら、ドーラはいつになく気前のいい事を言う。
「マジか!?」
どうやらナイフとフォークの出費で乏しくなった財布が思いがけず潤ったことで、ドーラの金銭感覚のタガが緩くなっているようだ。ならばこの好機を逃す手はない。シャイナは瞬時にそう判断し、
「オヤジ、やろう。今すぐやろう!」
オーダーメイドの鎧を注文した。
「待て待て慌てるな。やろうって言われても、革の弛緩が始まらねえことにはどうしようもねえ。それよりはまず、革から肉を落とす作業をしねえと」
「肉から革を剥ぐんじゃなく、逆なんだな」
平太の質問に、店主は「革が硬すぎるから、肉の方を削ぎ落とすんだよ」と答える。
「なるほど。で、物は相談なんだが、切り落とした肉をいくらか分けてくれないか」
「元々あんたらが狩ってきた獲物だし、こっちが欲しいのは革だけだからな。肉なんて欲しけりゃいくらでも持っていけばいいさ」
いくらでも、と言われても目の前にある肉の塊は半身であってもゆうに1トンはありそうだ。血と内臓を抜いてこれだけあるのだから、元のルワーティクスの体重は3トンは下らないだろう。だとすると、トラックに撥ねられたようなあの突進に、よくもまあ耐えられたものだと今さらながら感心する。カニ鎧、侮りがたし。
「とりあえず、適当に10キロほどあればいいか。しかし、グロいなこりゃ……」
平太が肉塊にナイフを入れて、適当に切り分けようとすると、
「ダメですよヘイタ様。それだとお肉の美味しい所を潰してしまいますし、焼き肉にするにはあまり向いていない箇所ですよそこは」
シズにダメ出しをされてしまった。
「肉なんてどこ使っても同じじゃないのか?」
するとシズは信じられない阿呆を見るような顔をし、それからコイツはどうしようもない阿呆だから自分がイチから教えてやらねば、というような盛大なため息を吐く。
「これだから男の人は……。お料理によって使う部位が違うのは、料理の基本中の基本じゃないですか」
「そうなのか?」
そう言われても、平太の作る料理など出来合いの惣菜を電子レンジで温めるか、冷蔵庫にある野菜や肉を切って適当に煮たり炒めたりするくらいである。それも、肉や魚は当然スーパーで売ってる切り身である。こうして狩った獲物を捌くなど、生まれて初めてだ。
「そう言えば、スーパーの肉にもハラミとかバラとか種類があったな」
あれはそういう意味だったのか、と平太は今さらながらに気づく。
「とにかく、そんな適当に切り分けたら、せっかくのお肉がかわいそうです。ここはもういいですから、ヘイタ様は肉を焼く場所や鉄板などを確保してきてください」
「お、おう……」
お前は邪魔だ、と言外に言われ、平太はすごすごとその場を離れる。背中越しに、店主がシズの包丁さばきを見て「やるねえお嬢ちゃん。あんたいい嫁さんになるよ」などと感心する声が聞こえた。
☽
焼き肉の準備をしろとシズに追い出されたものの、ほとんど初めて訪れたソヌスポルタの街は、平太にとって異国も同様だった。道具や食材を調達するにも、知らない街なのでどこに行けば店があるのかすらわからない。
いきなり外に放り出されて右往左往する座敷犬のようにうろうろしていると、
「ヘイタさん、」
背後からスィーネに声をかけられた。
「スィーネか。何か用?」
「用も何も、買い出しに出られるようなのでお供しようかと。どうせどこに何が売っているかとかわからないでしょうし」
「マジで?」
地獄に仏とはこの事か。独りで心細かったところに、スィーネの登場は非常にありがたい。そんな心境が顔に出ていたのだろうか、スィーネは「そんな迷子の子供が母親を見つけたような顔をしないでください」と少し後退る。
「ゴメン。でも助かる。マジ助かる」
それに、とスィーネは手の中から手品のように金貨一枚を取り出す。
「ドーラさんから軍資金を預かって来ました。これだけあれば、豪勢な焼き肉パーティが開けるでしょう」
「おおっ!」
さすが報奨金の金貨二十枚を手に入れたばかりだけあってか、今日のドーラは珍しく太っ腹だった。しかしいくら臨時収入とはいえ、シャイナの鎧の代金もあるのにこうも景気良く散財して良いのだろうか。
とはいえ、平太の手持ちは馬を買ってあらかた尽きていたので、この軍資金は非常にありがたい。
「助かる。マジ助かる」
まあ旅の財布を預かるドーラが良いと言うのだから、ここはありがたく受け取っておこう。なくなったら、また稼げばいいのだ――と金を稼ぐ大変さを棚に上げつつ平太はスィーネから金貨を預かった。
「それで、まずは何を買うつもりですか?」
「まずは肉を焼く場所がないと話にならないからな。どこかメシ屋の厨房でも借りられればいいんだが……」
「それでしたらいっそ、鉄板を買って河原でやれば良いのではないでしょうか?」
「バーベキューか。この世界にもそういうのがあるんだな」
よく考えると、ただ外で肉や野菜を焼いて食うだけなのだから、現代も異世界もそう変わらないのかもしれない。未知の言葉に首を傾げるスィーネに、平太がバーベキューの説明をする。
「なるほど。こちらでは野営の標準的な料理ですが、そちらでは娯楽なのですね」
「現代じゃ好き好んで外でメシを食おうってのは、余裕がある証拠みたいなものだからなあ」
「外で食べる事が目的になってるみたいなので、その時点で違うもののようですけどね」
「となると、まずは鉄板か……。けど買うのはいいが、使い終わったら荷物になるぞ。馬に積むわけにもいかないし、かといって売れるかどうかわからないし……」
「それについては問題ありません。この街で馬車を買う予定ですから、多少荷物が増えても大丈夫ですよ」
それは初耳だった。だが平太も最近馬車の必要性を痛感し、いずれ折を見て提案しようとしていたところである。当然異存は無い。
「なのでこれからは移動も少し楽になるでしょうし、安心して野宿ができます」
「どんどん根無し草が板についてくるなあ……」
苦笑交じりに言うと、スィーネも「そうですね」とわずかに口元を緩めて同意してくれた。
そうと決まると、まずは鉄板だ。これが無くては話にならない。
が、
「鉄板ってどこに売ってるんだろう? ってかそもそも店ってどこにあるんだ?」
元引きこもりニートの平太には、異世界の知らない街でのおつかいは荷が重すぎたようだ。いきなり出だしからつまづき、往来でオロオロしている平太に、スィーネは呆れたように鼻から大きな息を吐く。
「ではわたしが先導しますので、ヘイタさんは着いて来てください」
「え? お、おう」
言うなりスィーネは人混みを縫うようにして歩き出した。平太は慌ててその後を追う。
すいすいと滑るように歩くスィーネに比べ、平太は慣れぬ足取りで人にぶつからないようにおっかなびっくり進む。二人の速度の差は歴然で、平太はどんどんスィーネに離されていく。
やがて目立つ金髪が人の頭に隠れ、彼女の姿を見失ってしまった。
「あぁ……」
平太の情けない声が、雑踏にかき消された。
いい歳こいて迷子になり、不安と己の不甲斐なさに泣きたくなる。
このまま闇雲にスィーネを探しに歩き回るか、それとも一度ドーラたちの所に戻って相談するか迷う。だが戻って相談すると、皆からまた馬鹿にされるのではないかと心配になり、平太は動けなくなる。
こうして人混みに佇んでいると、
「何をしているのですか」
突然誰かに手を掴まれた。
「あ……」
スィーネだった。
平太が後を着いて来ていない事に気づき、引き返して探しに来てくれていた。
「まったく、世話の焼ける方ですね」
言いながらスィーネは、平太の手を取りつつ歩き出す。まるで母親に連れられて歩く子供みたいで恥ずかしかったが、彼女の方はごく自然にそうしているのか、まったく気にした風がない。
そう言えば、スィーネは教会で託児所のような事をやっていたっけ。ふと平太はそんな事を思い出す。そうなると、自分はますます子供扱いされているという事になり、恥ずかしさで顔がどんどん赤くなる。
そんな平太の事などお構いなしに、スィーネは平太を引っ張ってぐいぐい進む。その足取りの迷いの無さに、平太は彼女がソヌスポルタの街に一度来た事があるのかと思った。
「いいえ。ソヌスポルタどころか、パクス大陸に来たのは今回が初めてですよ」
「じゃあ何でそんなにすたすた歩けるんだよ?」
「街というものは人が住む以上、極端に不便にならないように法則性があったり、共通点がいくつもあるものです。例えば、市場のように多くの人が集まり行き交う所は、だいたい街の大通りにあるものです。そして大勢の人が流れる大通りというのは、決まって街の入口から中心に向かっているものです。ですからこうして人の流れが集まる方へと歩いて行けば、自然と大通りに出るはずです」
「なるほど」
言われてみれば王都オリウルプスでも、港町オブリートゥスでもそうだったような気がする。街の入口からすぐに大通りに繋がり、その中には必ずと言っていいほど市場があった。スィーネはその法則に則って、大通りを目指して歩いているのだろう。
そうしてスィーネに手を引かれて歩いているうちに、彼女の唱える法則が正しいのを証明するように人通りが多くなり、それに比例して道の幅も広くなってきた。
「どうやら大通りに出たようですね」
彼女の言った通り、本当に大通りに出た。行き交う人々、立ち並ぶ店舗、雑踏の音、商売の声。まさに市場を孕んだ大通りだ。
「ではまず鉄板を売っている店を探しましょうか」
そう言うと、スィーネは再び平太の手を引っ張って歩き出した。
それから二人は大通りの店を見て周り、焼き肉に必要な材料を買っていく。とはいえ、肉はルワーティクスのが大量にあるので、買い足す食材は野菜が中心だ。
「やはりお肉だけでは栄養が偏りますし、何より途中で飽きてしまいます。大量に肉を食べるなら、むしろ合間合間に野菜を摂った方が効率的でしょう」
フードファイターのような薀蓄を言いながら、スィーネは店先に並んだ野菜を吟味している。だが今彼女が手に持っている紫色の毒々しい実を含め、目につく野菜のほぼすべてが平太には名前すらわからない。
だが、見た目は現代の野菜に近いものもいくつかあり、店のオヤジに話を聞くと試食させてくれた。
オヤジが葉っぱの玉のような野菜を一枚剥いて渡してくれたのを、もさもさ食べると、
「あ、これキャベツに似てる」
意外にも味も似ているのがわかった。これなら肉を葉で巻いて食べるといい感じになるかもしれない。
そうなると、他にもっと肉に合う野菜がないか探してみたくなる。平太は店のオヤジに焼き肉に合う野菜が他にないか尋ねる。
「そうだな……。このケパは輪切りにして火を通せば甘みがぐっと増すし、カプヌムは生でも食えるが肉と一緒に焼くと苦味が消えて食べやすくなる」
平太はオヤジの説明を頭に刻み込みながら、先のキャベツっぽい野菜――ブラシカと、ケパとカプヌムを一緒に購入する。ケパは茶色い根菜で、カプヌムは濃い緑色をした中空の実だ。
スィーネやシズも相当食べるが、グラディーラもきっと彼女らに負けないくらい食べるだろう。そう予想した平太は十人前を目処に野菜を購入する。店のオヤジは「あんたメシ屋でもやってるのかい?」と店にあった中で一番大きな木箱に野菜を詰め込んでくれた。
「今日だけ臨時で焼肉屋をやるんだよ」
「そうかい。けどこれだけの量だと一人じゃ運べないだろ。時間はかかるが場所を言ってくれりゃ、後で配達してやろうか?」
「いや、親切はありがたいが、それには及ばない」
そう言って平太は野菜がてんこ盛りになった木箱を肩にひょいと担ぐと、驚きのあまり目を丸くして口をあんぐりと開けたオヤジに礼を言って店を後にした。
☽
次に向かったのは鉄板を売ってる金物屋、ではなく、冒険者用の用品店だった。
「焼肉用の鉄板を買うんだろ?」
「そうですよ」
しれっとそう言うと、スィーネはさっさと店の中に入っていった。平太は後を追おうとしたが、担いだ木箱が入り口を通らず足止めされる。結局、箱を放置することもできず、店の前で待つ事にした。
しばらく経つと、店の扉が開き、スィーネがひょっこりと顔を出した。
「すいません、荷物を持っていただけますか」
スィーネの後ろから店員が、厚さ1センチ、1メートル四方の見るからに重たそうな鉄板を差し出す。平太は軽々受け取ると、担いだ木箱の下に敷いた。
「こういう時、殿方がいると便利ですね」
「いや、普通の買い物で鉄板は買わないだろ」
それより、と平太はスィーネに質問する。
「どうして冒険者用の用品店に鉄板が?」
「それはですね、先ほども言ったように、鉄板は野営での料理に使う事が多いからです。ですから冒険者――特に荷物の重量の心配がない馬車で移動している冒険者たちは、ほぼ間違いなく料理用に鉄板を所持しています。だからこうして冒険者用の用品店でも取り扱いしているのです」
「冒険者用の店ってホームセンターみたいだな……」
平太も旅の準備にとシャイナに連れられて何度か入った事があるが、携帯食料や毛布に雨よけテントなど、野営に必要な物がだいたいそろっている所は現代のホームセンターに近いかもしれない。
「ところで、」
「ん?」
「申し訳ありません。貴方にばかり荷物を持たせてしまって……。さすがにどれも重すぎて、わたしにはお手伝いできそうもありません」
「いいよ。俺は剛身術で重さを無視できるからね。それよりも、こうして道案内してくれるだけでも充分ありがたい」
「そうですか。しかし以前も見ましたが、その剛身術とやらは便利なものですね。少し羨ましい気がしないでもありません」
「スィーネはいつもあんな重そうな鈍器をぶん回してるのに、案外非力なんだな」
平太が意外そうに言うと、スィーネは少し心外だという顔をする。
「あれは腕力で振り回しているのではありません。ちゃんと理に適った型があり、それを長い年月かけて習得したからこそ、わたしのようなか弱い女性でも振れるのです」
「あ、そういうものなの?」
か弱い、という辺りに思わずツッコミを入れそうになるのを、どうにか堪える。
「当たり前です。人をシャイナさんのような、胸以外は筋肉でできてる人と同じにしないでください」
別にそこまで言ったつもりはないが、スィーネは珍しく膨れている。普段感情を表に出さない彼女の怒った顔はもの凄く新鮮で、可愛いと思った。
「ははっ、ごめんごめん。それより、買い物はこれで終わりかな?」
「そうですね。これだけあれば、お肉の合間に食べるには充分だと思います」
「あぁ、あの肉全部食べるつもりなんだ……」
「奪った命はすべていただく。これは当然のことです。とは言うものの、あれだけ量となるとさすがに辛いものがありますね」
そりゃそうだろ、と思ったが、どうやらスィーネの悩みは量の問題ではなかった。
「お肉はいくらでも入るのですが、食べ続けていると途中で味に飽きるし、何より顎が疲れるんですよね」
「つまり味に飽きずに顎が疲れなきゃいくらでも食えるのね……」
「そうですね。しかし、食材となった命に感謝こそすれ、文句を言うなどバチが当たります。これも修行だと思って、頑張って食べましょう。食べ続けていれば、そのうち顎も強くなるでしょうし」
その姿勢は立派だと思うが、“顎が疲れるなら顎の筋肉を鍛えればいいじゃない”みたいな間違った努力をしているような気がしないでもない。
何とかならないか――平太は無い知恵を振り絞る。
「肉を柔らかくし、なおかつ味にバリエーションをか……」
平太が料理漫画などで得た知識を総動員していると、
「では買い物もあらかた終わったようですし、そろそろ戻りますか」
スィーネがドーラたちの元に戻ろうと提案する。が、
「ゴメン。ちょっと試したい事があるんで、あと何件か寄りたいんだけど、いいかな?」
「試したい事?」
「上手くすれば、あの肉を食べやすくできるかも……あくまで“かも”だけどね」
「なるほど。それは断る理由がありませんね。では、具体的に何をお求めなのか教えてください。わたしも一緒に探しますから」
平太はスィーネに思いついた事を告げる。
「わかりました。ですがあまり皆を待たせるわけにもいきませんので、ここからは早足で行きましょう」
「了解」
そう言うと、二人は足早に雑踏の中を進んで行った。




