勇者伝説
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海上警備隊詰め所を出た平太は、シャイナの姿を求めて避難民キャンプの中を歩き回っていた。
キャンプには、フェリコルリス村だけでなく周辺の様々な集落から人が集まっていて、こうして改めて見るとまるで雑踏のような有り様だ。
ただ雑踏と違うのは、人々の表情だ。みな言い知れぬ不安を抱え、疲れた表情で下を向いている。ぬか喜びをさせないためなのか、竜がケラシスラ山から離れたという事は知らされていないようだった。
まだ三日目とはいえ、倉庫を急遽区切っただけの簡易的に仕切られた居住スペースだと、ストレスが溜まって疲労が抜けないようだ。こういう時に恐いのは、抵抗力の下がった身体にウィルスや病気が入り込む事である。スキエマクシが温暖な地域なのと、今が冬でなくて本当に良かったと思う。
「シャイナの奴、どこほっつき歩いてんだ」
普段なら一キロ先の人混みの中でも目立つ長身の赤毛が、今はちっとも見つからない。
「お?」
その代わりと言ってはなんだが、赤毛の次に目立つ金髪が目に留まった。
「おーい」
平太は人混みをすり抜け、やたら背すじ良く歩く金髪女性のもとに駆け寄った。
「酷い顔ですね」
平太の顔を見るなり、スィーネはどこかで聞いたような事を言った。
「失礼。顔色が悪いという意味で言ったのです。決してヘイタさんの顔面が人と比べて醜いというわけではなく――」
「いや、大丈夫。ちゃんとわかってる……」
「張り切るのも結構ですが、睡眠はきちんととらないと身体に悪いですよ」
「ありがとう、気をつけるよ」
ハートリーと同じ事を言われるとは、自分はよほど酷い顔をしているのだろう。平太は自分の顔を手で撫で、寝不足で荒れた肌と無精ヒゲのざらりとした感触に妙な説得力を感じた。
「ところで、シャイナを見なかったか?」
「シャイナさんですか? さて? ご家族の所ではないでしょうか」
どうやらスィーネも知らないようだ。だが言われてみれば、避難民の中に家族がいるのだ。心配してそちらに顔を出しているのが自然であろう。
「彼女に何か?」
「ちょっと頼みたい事があって」
平太はハートリーとの会話をかいつまんで話した。
「……なるほど。そういう事がありましたか」
「とは言うものの、今までほとんど人と接してこなかったからなあ。どうしたら良いものやら」
スィーネは「そうですね」と細く長い指を形の良い顎に当てる。
「一人で何でもやろうとするのは結構なことですが、適材適所という言葉があるように、人には向き不向きというものがあります。できない人が無理してするより、できる人に任せてしまった方が効率が良いでしょう。わたしたちも教会では、それぞれが得意な分野で奉仕活動をしたり、日々の勤めを果たしたりしています」
料理が得意な者は炊き出しをしたり、手先が器用な者は裁縫や大工仕事をする。それぞれが己にできる事を、できない者の代わりにやって互いに助けあっていく。
「社会の縮図だねえ」
「人間だけでなく、動物の世界でもこれは変わりありません。狩りをする者、子守をする者、見張りをする者。皆それぞれ役割というものがあるのです」
思わず深い話になったが、スィーネの言う事は一理も二理もある。こうして人は人と関わっていき、その集まりが社会になるのだろう。一人で何でもするという事は、誰も必要としないのと同義であり、それでは社会で生きているとは言えない。平太はここが異世界ではあるが、人が生きる社会である事を改めて噛みしめる。
「それで、ヘイタさんはわたしに何をお求めですか?」
これまでの話を聞いて、聡明なスィーネは平太が何を言わんとしているのかを察したようだ。話が早くて何よりである。
「人と接するのが苦手な俺の代わりに、みんなに指示を出したり要望を聞いたりしてほしい」
「つまり、補佐をしろと」
「そうしてくれると助かる」
「わかりました。今回は事情が事情ですし、お手伝いいたしましょう」
ですが、とスィーネはいつもの怜悧な表情を向けて付け加える。
「対人関係は、自分で努力しないと改善しませんよ。少しずつで良いので、自分から他人と接するように心がけないと、いつまで経っても何も変わらない事をお忘れなきよう」
「……肝に銘じます」
「けれどこの間はハッキリと物怖じせず言えたではないですか」
「あれは、あまりにも老人たちを蔑ろにしてるのが頭にきて、つい……」
あの時は、口減らしのために災害の中老人たちを村に置き去りにし、あまつさえ邪魔だからと避難所からも追いやる村人たちの外道ぶりについカッとなり、気がついたら怒鳴りつけていた。
「他人のための怒りが、苦手を克服させたというわけですか。貴方らしい……」
「え? 何か言った?」
「いいえ、別に。それより、シャイナさんを探さなくて良いのですか?」
「ああ、そうだった」
平太は当初の目的を思い出す。
「とりあえず、フェリコルリス村の避難所を当たってみるよ」
「ではわたしもご一緒しましょう」
さっそく補佐の仕事を引き受けてくれるのか、スィーネが同行を申し出た。平太は快く承諾し、二人は揃って歩き出した。
避難所は、どの村のものも似たような有り様だった。
同じ村の者同士で固まり、他と繋がろうという気がまるで見えない。そんな余裕が無いのも、同郷の者たちで集まる安心感は理解できるが、地域ごとに線が引かれているようでどこかもの寂しい。
スィーネの言った通り、フェリコルリス村の避難所に行くとシャイナは呆気なく見つかった。
やはり家族が気になるのか、小まめに顔を出しているようだ。弟妹たちも長年離れていた長姉が会いに来てくれるのと、彼女が持ってくる差し入れが大層嬉しいようである。
「何だよ、二人揃って」
シャイナは港の屋台で買った串焼きを弟妹たちと頬張っている。
「ちょっと相談があるんだが、いいか?」
「相談?」
平太は馬車の話をシャイナにした。
「なるほどねえ……。で、あたしに何しろって言うんだ? 言っとくが、馬車の修理なんてやったことねえぞ」
「いや、シャイナはフェリコルリス村の出身だろ? だから村で大工か馬車が修理できそうな人に心当たりがないかと思ったんだ」
「そういうことならちょっと待ってろ」
シャイナはそう言うと避難所の中に消えていく。
待つこと数分。シャイナは中年の男と若い男をそれぞれ片手に掴んで戻ってきた。
「このおっちゃんが大工で、こいつがその息子。まあおっちゃんに比べたらまだまだだが、ガキの頃から手先は器用だったんでそこそこ使えるだろう」
「うるせえ! 何なんだ一体。いきなり馬鹿力で引っ張ってきやがって!」
「うるせえのはお前だ。それに馬鹿力ってお前誰に向かってそんな口きいてんだよ」
「あいででででででっ! す、すんませんっした!」
若い男の方が文句を言うが、シャイナに顔面をわし掴みにされ、呆気なく降参する。どうやら幼馴染で、昔からシャイナに頭が上がらないと言うか、子分みたいな立場のようだ。
「シャイナちゃんに言われて来てみたが、俺っちらに用があるってのはあんちゃんかい?」
「ああ、そこの死んだ魚みたいな目をした奴が、おっちゃんらに頼みがあるんだってさ。あたしの顔を立てて、話しくらいは聞いてやってくんないかな。あとちゃんはやめろよ、もうガキじゃねえんだからさ」
中年の男にちゃん付けされ、シャイナは少し恥ずかしそうにする。
「んで、何だい。話って?」
「あ、あのですね、実は――」
平太は二人に事情を説明する。
「馬車かい。まあ一から作れって言われるよりは、直す方が早いかもしれんな」
中年男――ギデレッツは皮の分厚くなった掌で顎を撫でる。そのごつごつした手と節くれだった指は、相当の年季を感じさせた。
「それで、俺っちらに直して欲しい馬車ってのはどこにあるんだ?」
若い男――コスケロが外に出てきょろきょろと周囲を見回す。
「いや、それはまだないんだけど、」
「なんだと? モノもねえのに俺たち呼び出したってのかよ? ふざけんのもたいがいにしろよ」
「す、すいません……」
謝る平太にさらに詰め寄ろうとしたコスケロの頭を、シャイナが何の遠慮もなしに拳で殴りつける。
「いてっ!」
「馬鹿野郎。まず話をつけにきただけじゃねえか。だいたい何でお前が偉そうなんだよ」
「まあ、モノを見てみんことにゃあ何とも言えんが、話は一応わかったよ」
「では、その時にまた改めてお願いします」
「あいよ。こっちも慣れねえ鋳造させられるより、慣れた大工仕事の方が助かるんでね。一台と言わず二台でも三台でも持ってきな」
「いや、さすがにそこまでは……」
平太が苦笑いすると、ギデレッツも冗談めかして笑った。
最後に平太が「じゃ、その時にまた」と言うと、ギデレッツはもう一度「あいよ」と頷いた。
これで話は通した。後はハートリーが無事に中古の馬車を入手してくれるのを待つだけだが、こればかりは本人からあまり当てにしないでくれと念を押されているので、最悪の場合ゼロから作ってもらうしかない。
「まあそんときゃそん時だ」
さて、馬車ときたら、次は道だ。
工房に戻ると、中で工房長とドーラが話し合っていた。
どうやら生産速度が思ったより上がっていないので、何とかならないかという話のようだ。
「何とかしろって言われてもなあ。こちとらすでに限界までやってるんだ。これ以上やれって言われても、できないものはできんとしか言いようがない」
それでもドーラが引き下がらないのは、デギースが月六千本という生産数を叩き出しているせいだ。向こうにできて、なぜこちらができないのか。
「そんなもん知るか。向こうのが設備がいいか、人が多いか、職人がいいかのどれかか全部だろう」
投げやりな答えに、ドーラは「え~……」と唸る。
それでもドーラが食い下がろうとするので、工房長に最終奥義「よそはよそ、うちはうち。そんなによそが良かったらよその子になりなさい」的なセリフを叩きつけられた。
さすがにそこまで言われてしまっては、これ以上食い下がるのは無理だと思い知ったようで、ドーラはしょんぼりとネコ耳を寝かせてすごすご退散した。
そこをすかさず捕まえる。
「ん? 何か用かい?」
声をこちらを見る目に力が無い。工房長の一言が相当堪えたようだ。
「ちょっと質問があるんだが」
「なに?」
「魔法でトンネルって掘れないか?」
「は?」
今のはさすがに説明が足りなかったか。平太は改めて説明する。
「はあ、つまり輸送経費と時間を削減するために、ここからフェリコルリス村までの道を短縮したいと」
「そうそう。フェリコルリス村までは山をいくつか越えなきゃならないだろ? けど山をぶち抜いて道を作れたら、最短ルートができるじゃないか」
ドーラは「なるほどねえ」と感心したように頷く。これは色好い返事が聞けるのでは、と平太が一瞬期待するも、
「無理だよ」
一蹴されてしまった。
「いくら魔法でも、山を貫通するほどの穴を開けるのは不可能だよ」
「ドーラほどの魔法使いでも?」
ドーラは少しためらった後、
「ボクほどの魔法使いでも、無理なものは無理なの」
と、はっきり否定した。ということは本当に無理なのだろうし、誰にもできないのだろう。
魔法が無理だとしたら、残る方法は限られてくる。人力か――
「この世界って、モグラみたいな亜人か魔物っていない?」
「またおかしな事を思いついたようだね……」
「前に王都の外壁に大穴を開けたのが、もの凄くでっかい魔物だって聞いたんだ。人力だと無理でも、亜人の特殊能力や魔物の力を使えばなんとかなるかなと思ったんだが」
例えば、山のように大きな魔物なら、山に穴を開けるくらい朝飯前かもしれない。同様に、モグラのように穴を掘る能力に長けた亜人がいれば、トンネルくらい掘れるかもしれない。平太はそこに目をつけたのだが、
「発想はいいかもしれないけど、問題がいくつかあるね」
「例えば?」
「そういう亜人や魔物が実在したとして、どうやって労働力にするか。特に魔物の場合、どうやって言う事をきかせるかが問題だね。山に穴を開けるのが習性ならまだしも、似たような事ができるからやらせてみよう、ってわけにはいかないだろう。調教するにしたって、相当な時間と手間がかかるだろうしさ」
王都の壁に大穴を開けた魔物だって、壁に穴を開ける習性があったわけじゃない。ゼーネの話では、身体がかゆかったので壁で掻いたら壁が壊れただけだ。この場合、壁を壊すのは目的ではなく結果である。目的と結果を間違えてはいけない。
「やはり無理か」
「山をくり抜いて道を作ろうって発想は良かったんだけどね。むしろそっちの方がよく思いついたねってくらいなんだけど。もしかして、キミの元いた世界だとそういうのがあるのかい?」
「普通にあるぞ。今じゃ山どころか海の底にだって道を作ってるしな」
平太の言葉に、ドーラは目を真ん丸にする。
「魔法も魔物もないキミの世界の方が、よっぽど非現実的じゃないか……。逆にキミの世界の技術をこっちに取り入れる事を考えた方が早いんじゃないの?」
「そう言われてもなあ……」
グラディアース《こちら》と平太の世界では科学技術の差に開きがありすぎる。それに現代の技術を用いても、トンネルを掘るとなると一大工事なのだ。それを人力でやるとなると、それこそ青の洞門である。
平太に思いつくものと言えば、せいぜい古代ピラミッド建設のような、人海戦術くらいである。それだとこの世界の水準とほとんど変わらない。
「道に関しては保留だな」
結局、輸送コストに関しては先送りという事になった。それにまだ馬車も手に入ってないのだ。あまり先走りすぎても空回りするかもしれない。
考えが一段落して、平太は大きなあくびをする。
「ずいぶんと眠そうだね」
「ああ、今日はもう寝るよ」
「そうした方がいいよ。本音を言うとまだまだ型が足りないんだが、ここで無理をして倒れられても困るしね。今日はゆっくり休んで、明日からまたバリバリ働いて欲しい」
「……すっかり経営者だな。ブラック寄りの」
平太は呆れつつ、ふとドーラに聞いておきたかった事を思い出した。
「ところで、前の勇者ってどんな奴だ?」
「どんな奴って言われても、五百年も前の話だからねえ。ほとんどお伽話だよ」
「何でもいいから、知ってるなら教えてくれよ」
「そうだねえ……。ボクが知ってる話だと、勇者は三人の仲間と共に魔王を倒す旅に出たと言われてるんだけど、」
「だけど?」
「勇者以外はみんな可愛い女の子でね。ちょっとしたハーレム状態だったそうだよ」
「どこのエロゲーだよ……」
「お伽話だからねえ。男性向けの妄想というか、欲望みたいなのが盛り込まれてるんじゃないの?」
そういうものなのだろうか。普通お伽話というのは、教訓めいたものが織り込まれているものなのだが、この世界では違うようである。
「で、それぞれの娘たちとのロマンスがあったり、勇者を取り合って娘たちの骨肉の争いがあったり、何やかやあって魔王を倒してハッピーエンドさ」
「痴話喧嘩しかしてないような……」
よくある話と言えばそう思えないこともないが、それでよく魔王を倒して世界を救えたものだ。案外魔王もチョロいのかもしれない。
と思ったら、五百年前にケラシスラ山から火竜を追い払ったのも前の勇者だったか。あれとまともに戦うどころか、竜を山から追い払う事ができるとなると、やはり勇者の実力は相当なものだったのだろう。
「それで、勇者の装備に関する言い伝えとかないのか?」
「またその話?」
あからさまに面倒臭そうな顔をするドーラに、平太はハートリーから聞いた話をする。
「へえ、そんな話があったんだ。ボクは聞いたことないなあ」
「大陸が違うから、伝承も多少違うんだろ」
ドーラたちが住んでいたディエースリベル大陸と、ハートリーたちの住むここカリドス大陸とは海を隔ててかなり離れている。場所が変われば中身も変わるのが伝承というものだ。
「ふうん……で、そんな話をまた持ち出してどうしたのさ?」
「いや、この間ので剣が折れちゃったじゃん。その替わりをどうしようかなって話になってさ」
「それで勇者の装備を? 懲りないねえ」
「何とでも言え。所詮男と女の感性は永遠に相容れないものだ」
「どうでもいいけど、武器だってタダじゃないんだから次からは大事に扱ってよね」
「はい、すいませんっした……」
金の話をされると辛い。しかし、この平太発案の一大事業が成功すれば、もう金の事で思い悩んだりドーラたちに遠慮することはないのだ。
そのためにも資材や輸送のコストをどうにかしないといけないのだが、今は積もり積もった疲労と眠気に勝てそうにない。
平太はドーラと別れると、その日は早めに就寝した。




