捨てられし者たち
◆ ◆
合流地点にシャイナが戻ると、ドーラとスィーネたちがすでに戻って来ていた。
そして、お互いに驚いた。
ドーラとスィーネは、家族を連れて来たシャイナに。
シャイナは、ドーラとスィーネたちが連れて来た老人たちに。
「この爺さん婆さんたちはどうしたんだよ?」
「それが……」
スィーネが言うには、この老人たちは同じ家屋に集まっていた。それをスィーネが発見し、保護しようとしたのだが、みな頑なに拒否したのを何とかここまで連れて来たのだ。
まるで、そこで死ぬのを待っていたようだったという。
「姥捨て山かよ……」
シャイナが地面に唾を吐く。
「村の者を責めんでやってくれ。仕方なかったんだ」
老人の一人がシャイナに言う。シャイナも、この村の貧しさは骨身に染みて知っている。災害という機会が訪れたなら、これ幸いと口減らしをするのは仕方ないのも理解できる。
だが家族を、親を見捨てることがどうしてもできなかった彼女からすれば、こうして老人たちを見捨てて行くのを「仕方ない」で済ますことには抵抗があった。
「しかしどうしよう、この人たち……」
「仕方ありません。こうなったらみんなで避難するしかありませんね」
「けど……」
ちらりとドーラが老人たちを見る。どう見ても走ったりできなさそうだし、これから山道を越えてスキエマクシまで行けそうにもない。だから村に置いていかれたのだと言えばそれまでなのだが、彼らを連れての避難はかなり困難に見えた。
「わしらのことはいいから、構わずお逃げなさい。年寄りに付き合って、若い命を無駄にすることはない」
老人たちも空気を読んで諦めムードだ。ただでさえ体力がないのに、積極的に避難する気がない者を動かすのは至難の業だろう。
スィーネたちが老人たちの取り扱いに困っていると、再び地面が揺れた。
回を増すごとに長く激しくなっていく地震に、老人たちのテンションがさらに諦めモードに入っていく。中には地面に額をこすりつけながら両手をすり合わせ、
「もうすぐそっちに行きますよ、お爺さん……」などと祈る老婆もいた。
「縁起でもねえ……」
死ぬ気満々な老人たちにうんざりしつつも、だんだんと彼らの醸し出す空気が感染し、ドーラたちも「もしかしたらこのままここで村と運命を共にすることが彼らにとって良いことなのではないだろうか」などと思えてきた。危険な兆候である。
地震が収まると、今度は風が出てきた。火山噴火の兆候とは思えなかったが、たたみかけるように天変地異に襲われ、募る危機感が半端ない。
「とにかく、この村からすぐに離れるんだ!」
「いーや、わしらは生まれ育ったこの村で死ぬんだ! 放っておいてくれ!」
「馬鹿なことを言うな! そう言われてはいそうですかと置いていけるか!」
「大きなお世話だ! どうせ生きていたところでわしらは何の役にも立たん。無駄飯食いのお荷物は、もうここで死ぬしか道は無いんだ!」
ふざけるな、と平太が叫ぶ。無駄飯食いのお荷物なら、平太の専売特許だ。働けない老人とは違い、動ける五体満足な身体を持ちながら、働きもせず親に養われていた。ウンコ製造機の自分が、どうして彼らを見捨てられよう。勇者とかそういうのは関係ない。平太は今、親近感や仲間意識のみで彼らを助けようとしている。
今や風は暴風と化し、怒鳴りあうよにしなければ会話もままならないほどだった。
風はさらに強さを増し、シャイナの弟妹たちはひと塊になっていなければ飛ばされるほどになった。
おかしい。明らかにおかしい。いくら火山が噴火しそうだからといって、地震ならまだしも暴風というのは無関係ではなかろうか。
平太が吹きすさぶ風に疑問を感じて頭上を見上げたとき、
村の中央に竜が落ちてきた。
「なにっ!?」
とんでもない重量の物体がもの凄い高度から落下した衝撃で、竜の着地地点を中心に地面が波打ちめくれていく。
波紋が広がるように土砂をまき散らし、その途中にあった家屋が呆気ないくらい簡単に吹き飛んでいく。
まるで怪獣映画だ。平太が緊張感のない感想を思い浮かべていると、竜が背中に生やした巨大な翼で羽ばたく。そのひと振りだけで、すぐ近くの家が発泡スチロールの箱のように軽々と転がっていった。
この風は、竜の羽ばたきが起こした風だったのか。どうりで急に台風が出現したみたいに強風が吹き荒れたと思った。
疑問が晴れたところで、状況は何も変わらなかった。
当たり前の話だが、目の前に現れた竜は、今まで見たどんなフィクションやVRよりもリアルだ。トカゲのような顔、コウモリみたいな皮膜の羽にずんぐりした巨体。これが竜じゃなかったら、いったい何なのだろう。
しかも全身が赤い鱗に覆われ、鼻の穴から時折炎がちらちらと吹き出ている。これで正体がわからなかったらどうかしてる。こいつが件の火竜だ。
身長は30メートル以上、体重は10トンやそこらではきかないだろう。平太の見立てでは、単独で狩れるような雑魚ではなく、最低五人以上のパーティを組んで挑むような中ボスクラスの相手だ。
「ゲームの中ではな!」
自分に言い聞かせるように大声で言うと、平太は老人たちの元へ駆ける。戦う気など初めからなかった。
「早く逃げろ!」
慌てて逃げ惑う老人たちを、平太は必死で安全な場所まで誘導する。平太の動きを察して、ドーラやスィーネたちも加わった。
「どうして竜がこんな所に……!?」
「狩場じゃ! 竜がこの村を狩場に決めたんじゃ!」
「厭じゃ! 死にとうない!」
さっきまで死ぬ覚悟を決めていたとは思えない狼狽っぷりに、ドーラが苦笑いする。だが笑えない状況に意識を戻すと、自然とその笑みは苦いだけのものに変わった。
問題は、竜が降りてきた場所である。
村の中心に陣取ってしまっているので、どこを通っても竜との距離は大差ない。おまけにこの強風だ。足腰の弱い老人たちは立って歩くのがやっとという感じだ。これでは急いで逃げられない。
「おい、あたしが囮になるから、お前らはこいつら連れてさっさと逃げろ」
シャイナも同じことを考えたようだ。前にもこういう場面があったような気がする。
が、その意見は却下だ。
「お前が囮になったら、弟たちはどうすんだよ。それに肩にそんなの担いだまま何かする気か?」
「ぐ……」
痛いところを突かれた、という顔でシャイナは呻く。
「囮は俺がやるから、お前はみんなを連れて村から脱出しろ」
シャイナはわずかながら逡巡するが、平太に任せても大丈夫だと判断したのか、
「任せた」
ひと言告げると、すぐに自分の役目を果たしに走り出した。
「オラァッ! てめえら死にたくなかったら死ぬ気で走れ!」
「どっちだよ!」
「老人をもっと労れ!」
「うるせー! どうせお前ら捨てられたゴミみてーなもんだろうが! ここで死んで、捨てた奴の思い通りになっていいのかよ!? 這いつくばってでも生き延びて、そいつらのガッカリする顔を拝んでやろうとは思わねーのか!?」
シャイナの励ましとは思えない激励に、老人たちの目に光が戻る。さっきまで生きることを諦め、竜を目の前にして死ぬことを拒んだ人間の目とは思えない。妙な生きる目的を持ってしまったせいか、心なしか皆腰がしゃっきり伸びている。
「そうじゃ! こうなったら何が何でも生き延びて、もう一度鬼嫁をいびり倒してやる!」
「わしだって、小遣いばかりせびるくせにわしを汚い虫のような目で見る生意気な孫をもう一度叱りつけるまでは、死んでも死にきれん!」
うおーと次々に老人たちが雄叫びを上げた。どす黒い色が見えてきそうな情念だが、とにかく生きる気力が湧いてきたようだ。人間、こうなったらちょっとやそっとじゃ死なないだろうと、シャイナは満足気な顔をして叫ぶ。
「走れ! その怒りを両足に込めて、お前たちを捨てた奴らの元に駆け込め!」
老人たちが怒声を上げながら駆け出すのを見て、平太がにやりと笑う。あの調子なら村の外に出るくらいまでなら彼らの体力がもちそうだ。
となれば、そのくらいの時間だけ、あいつを引きつけていればいい。
10分だ。
それ以上は必要ないし、それ以上は無理だ。
平太は背負った大剣を抜き、一度その場で小さくジャンプしてから竜に向かってダッシュする。
身体が軽い。一度大型の魔物と戦った経験があるおかげか、相手が火竜であろうと臆した様子はどこにもない。むしろあのときより装備が軽くて丈夫な分、余裕すら感じられる。
「まずはタゲらせないとな」
確認するように呟く。まずは相手の注意をこちらに引きつけないと、囮もクソもない。なので平太はできるだけ竜の目につくように大げさに動きながら近づいた。
「ほらほら、こっちだこっち! どこ見てんだよ!」
平太はまず、竜の視界に入るように動いてみた。相手はあの巨体だ。迂闊に近づこうものなら踏み潰されて一発でぺしゃんこだ。そして何より警戒しなければならないのは、竜の炎息だ。炎の息は熱や威力も凄まじいが、本当に恐いのはその攻撃範囲で、一息で大通りを端から端まで丸ごと焼き尽くすほどの火力が出るのがだいたいのパターンである。
この竜がそのボスキャラ級に相当するかは知らないが、とにかく舐めてかかっていい相手ではないことは確実だ。平太は囮に徹するように心がける。
しかし竜は平太に関心がないのか、それとも小さすぎて目にはいらないのか、尻尾で家を叩き潰したり鼻っ面で家をひっくり返したりするのに夢中だ。
「コイツ、もしかしてまだ腹が減ってないのか?」
ねぐらを仕込んでいる間に餌場の下見にでも来たのだろうか。竜は積極的に獲物を獲ろうとはしていないように見えた。
「それならそれで、やりようはあるさ」
空腹で獰猛になっているよりはよっぽど安全だろう。平太は自分を餌に見立てるやり方をやめ、別のアプローチで囮になる方向に切り替えた。
だがそれは、やり方を間違えると囮では済まなくなる危険な方法であったが、それだけに確実に相手の注意を自分に引きつけられる方法でもあった。
怒らせるのだ。
激怒させる必要はないが、適当にちょっかいをかけてイラつかせ、自分に攻撃を集中させるのは、パーティ戦における壁役の主な仕事である。
ただしそれは、相応に戦闘力や耐久力など、壁としての仕事を果たせる能力を持っていることが前提である。
さて、平太はというと――
「せいやぁっ!!」
裂帛の気合とともに、平太は大剣を竜の尾に振り下ろした。
だが竜の厚く固い鱗に阻まれ、大剣は思ったよりも軽い音を立てて弾かれた。鱗にはうっすら傷が入った程度だった。
「やっぱ固ぇなあ……」
注意がこちらに向いてないのをいいことに、背後に回り込むのは簡単だった。しかし想像していた以上に竜の防御力は高く、平太の渾身の一撃があっさりと跳ね返された。
『重さは威力だよ』
今さらながら、デギースやハートリーに言われたことを思い知らされる。このレクスグランパグルの甲羅を加工した大剣も、硬度や切れ味では決して竜の鱗に劣っているわけではない。
ただ、軽すぎるのだ。
この軽い剣ではいくら力の限り斬りつけても、鱗の耐久度を超えることができない。威力は掛け算である。重量×速度=威力の方程式がこの世界でも当てはまるのなら、平太の一撃が竜の鱗の防御力を超えるには、速度を今の倍ぐらいにしなければならない。
いくら剛身術でも、それは無理な注文である。
となるとやはりもっと重い武器を使うしかないのだが、あいにく手持ちの武器は大剣の他にはクロスボウしかない。あれでは目を狙ったところで、竜の身体に傷をつけられるかどうか。
やはりここは、この大剣でどうにかするしかない。けれど重量を速度で補填することはできない。
ならどうするか。
『斬るも斬らぬも思いのままぞ』
ハートリーの言葉を思い出す。剛身術には、剣の切れ味を強化したり、無力化する使い方もあるのだ。
「重量×速度×切れ味=威力!」
方程式に、さらに一つ掛ける。
イメージするのは、この世に斬れぬ物は無いと謳う名剣。世界各地に伝わるありとあらゆる伝承の名剣宝剣妖剣霊剣、果てはレーザーブレードやビームサーベルなどジャンルを越えた剣のイメージを節操無く混ぜこぜにし、自分の中で最強の剣を作り出す。
そのイメージは平太の手を伝わり、振るう大剣の刃に切れ味となって具現化する。
「おおおおおおおおっ!」
雄叫びを上げながら平太は大剣を振りかぶる。
一撃。
剣は見事竜の鱗を斬り裂き、わずかではあるが傷を与えた。
だがそれでも痛みを与えるには至らなかったのか、竜は相変わらず平太には見向きもせずに村の家々を壊すことに夢中だ。
「クソ、とことん無視かよ。こうなったら意地でもこっちを意識させてやる」
平太は両の掌に唾を吐きかけると、大剣の握りをさらに強くする。巨大な竜の尻尾を前に、己に身長ほどもある大剣を肩に担ぎ上げて振りかぶると、そこで一拍力を溜める。
狙うは、部位破壊。
平太は竜の尻尾を斬り落とすイメージをしながら、さらにもう一拍充填。
吸い込む息が肺から全身に巡ると同時に、力がみなぎってくるように感じる。柄を握る手をぎりぎり鳴らしつつ、最後のもう一拍。
爆発寸前まで力を溜め込んだ平太は、野球のピッチャーのように左足を大きく振りかぶると、
「せいやあああああああああっ!!」
今まで溜め込んだ力を一気に放出するように剣を竜の尾に叩きつけた。
金属同士がぶつかるような硬質な音が響き、一瞬火花が散る。
ず、と剣の刃が竜の鱗を裂き、肉に食い込む。竜対蟹の戦いは、まさかの大番狂わせ、蟹の勝利かと思われたそのとき、
ばきん。
「へ?」
ほんのわずかに肉を斬ったところで、大剣がぽっきり折れてしまった。やはり強化したところで蟹は蟹。トップクラスの魔物である竜の鱗には敵わなかったようだ。
「マジか!?」
半分くらいの長さになった大剣の姿に、平太は目を丸くする。そのころ少し離れたところに、空中を回転しながら舞っていた剣の半分が落ちてきて地面にさっくりと突き立った。
だが大剣もタダで折れたわけではない。ほんの微かではあるが、竜に傷を負わせ痛みを味あわせた。
尻尾に異変を感じ振り向いた竜は、そこにいた平太を痛みの元凶だと判断したのか、家を壊して遊んでいたのを中断して身体ごとこっちに振り返る。そのとき地面をもの凄い勢いで振られていく尻尾に巻き込まれて、また何棟かの家が壊れた。
「ようやくこっちを向いてくれたのはいいが……」
平太は右手の中の大剣を見る。これではもう剣としての用をなさない。いざという時は盾としても使えたのだが、それもこの有り様ではあまり期待できなさそうだ。
「まいったね、どうにも……」
始まったと思ったらいきなりピンチだった。しかも時間はあれから一分も経っていない。つまりあと最低九分はこのとんでもない化け物を引きつけなければならない。
「火竜相手に武器なしかよ。とんだクソゲーだな……」
平太はがっくりと下を向き、大きくため息を吐く。
そのまま息を大きく吸い、ぴたりと止めると今度は勢い良く顔を上げる。
「――だが、嫌いじゃない」
にやりと笑ったつもりだった。
顔がひきつっただけだった。
そのとき、竜が吼えた。
全身を叩きつけるような音の波が襲う。心臓を直接握られたような恐怖に、本能が一瞬で降伏して全力で逃げろと命令する。
漏らさなかったのは奇跡だと思う。
あと8分30秒。




