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ニートの俺が勇者に間違われて異世界に  作者: 五月雨拳人
第一章
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君よ異世界で変われ

     ◆     ◆


 広間に、ドーラが噛み締めた歯の間から漏らす嗚咽が響く。


 本当なら人目など憚らずに大声を張り上げ、感情のまま物に当たったり暴れたりしたいであろうに。彼女はそれすら善しとせず、あふれ出る涙と嗚咽を止めようと必死で歯を食いしばっていた。


 平太を始め、シャイナもスィーネも彼女に何か言葉をかける事ができず、ただ延々と鼻をすする音と喉をひくつかせるしゃっくりのような声を聞いていた。


「……お茶を淹れてきます」


 とうとうその場の空気に耐えられなくなったのか、スィーネがひと言そう言い残して席を立った。


 広間に残された形となった平太とシャイナは、一瞬だけ目が合うが、やはりシャイナの方から真っ先に視線をそらした。


 仕方がないので平太は視線をテーブルの上に移し、ただひたすらにドーラが泣き止むのを待った。


 身が切れるような時間が流れた。


 平太は、この世に盆や正月の親戚の集まりに放り込まれた時以上に居心地の悪い空間がある事を知った。


 あの小さい身体のどこにそれだけの水分があったのかと思うほど大量の涙を流して、ようやくドーラは泣くのをやめた。


 ドーラは何度も鼻をすすり、口で大きく息を吐くのを繰り返す。大きな目は泣き腫らして真っ赤に充血している。


 彼女が泣き止むタイミングを見計らっていたかのように、スィーネがお茶と手巾を持って来た。


 人数分のお茶を淹れて回るスィーネから手巾を受け取ると、ドーラは顔をごしごしと拭いた。


 スィーネはお茶と一緒に軽い食事も持って来ていた。


「お腹が空いていると、人はろくな事を考えませんから」


 という彼女の意見にはみんな賛成で、一同は配られた軽食にひとまず手をつけ始めた。


 温かいお茶と食事が胃袋に入ったおかげか、ドーラはかなり落ち着きを取り戻していた。こうなる事を見越してスィーネは席を立ったのだろうか。今は小動物みたいにパンのような物を両手に持って一心不乱にかじるドーラを、母親の如き慈愛に満ちた目で見つめている。


 再びスィーネが席を立ち、食後のお茶を淹れ直す。一同がカップのお茶を飲み干して大きな吐息をつく頃には、広間の空気はすっかり朝の朝食風景と同じになっていた。


「すまない、すっかり取り乱してしまったようだ」


 ドーラは空のカップを手元に置き、皆に頭を下げる。


「だがもう大丈夫。いつまでも済んだ事をくよくよ考えるより、この先どうするかを考えよう」


 健気すぎて泣けてきそうなセリフに、平太はいたたまれなくなる。かつてこんなにも健気な生き物がいたであろうか。済んだ事をいつまでもくよくよと引きずり、この先の事から全力で目を背けてきたニートの彼には眩しすぎる。


「この先って言われてもなあ……」


 シャイナは椅子に片足を乗せて片膝をつくと、その膝にカップを持っていた腕を乗せる。その姿にスィーネが咳払いをすると、シャイナは黙って椅子から足を下ろした。


「考えるのは我々の事ばかりではないよ。もっと大事な事をまず考えないと」


「大事な事? あたしらの身の振り方以上に大事な事なんてあんのかよ?」


「あるよ、それは――」


 そう言ってドーラは眼鏡の先の視線をこちらに向ける。


「彼の今後の話さ」


 そのひと言で、シャイナとスィーネの視線が一斉にこちらに集まる。いきなり話と顔を振られて、平太は「へ?」と情けない声を上げた。


「はあ? コイツの事なんてどーでもいーだろ! 朝メシが済んだら叩き出してどっかその辺で野垂れ死ねばいいんだよ!」


「そうはいかないよ。間違いとはいえ、こちらの勝手な都合で連れて来てしまったんだ。連れて来た以上、最後まで責任を取るのが筋ってものだよ」


「そんな、野良犬を拾ってきたみたいに……」


「そうだ、野良犬なんて上等なもんじゃねーよ。何なら今すぐあたしが始末して庭木の肥やしにしてやるよ」


「死体をそのまま埋めると立ち枯れするって聞きますけど」


「土の成分が変わるって聞くからね――じゃなくて、彼を連れて来たのはボクだ。だから責任取ってボクが何とかするよ。二人の手は煩わせないから」


「しかし……」


「ですが……」


 自分の話でありながら、当人そっちのけで話が進む。平太は会話に入るタイミングを完全に失って、すでに空になったカップを口に運ぶ。


「幸い、住む部屋はウチにあるし、食事は一人分増えたところで何とかなるくらいは稼いでいるつもりだ。住むところと食べ物さえあれば、人はだいたい生きていけるさ。後はおいおいこの世界の生活に慣れていけば、いずれボクの助手になるか、本人の希望の職に就いて独立するも良し」


「おいおいちょっと待て。何の話だ」


 職に就く、という聞き捨てならない単語の登場に、平太は慌てて会話に割り込んだ。


「ああ、ごめんごめん。キミの話なのに勝手に進めてしまって申し訳ない。キミにも希望があるよね」


「いや、そうじゃなくて……、普通に俺を元の世界に帰してくれよ」


 平太にしては至極まっとうな事を言ったつもりだが、予想に反してドーラは痛いところを突かれたような顔をした。


 沈黙が怖い。


「ゴメン……それは無理なんだ」


「え? どうしてだよ? 魔法を使える奴は他にもいっぱいいるんだろ? だったら頼めば誰か一人くらいは使ってもいいって奴がいるだろう」


「いねえよバーカ」


 間髪淹れずシャイナが罵倒してくる。


「お前バカか? ちったあ頭使えよ。異世界に行って帰ってくるなんて、とんでもねえ大魔法だ。使える奴なんてそうそういない。いるとしたら、ドーラみたいな宮廷魔術師クラスだ。だがな、宮廷じゃ派閥や権力争いなんかの目に見えない小競り合いや足の引っ張り合いが、昼夜を問わず繰り広げられてるんだ。そんな連中に頼み事ができるか? 足元見られて体よく利用されるのがオチだ。おまけにその大魔法は凄すぎて一生に一回しか使えないときてる。自分の身になって考えてみろ。お前なら赤の他人のためにそいつを使えるか? 使えないだろ。つまりはそういう事だ」


 矢継ぎ早に正論を投げつけられ、平太の思考が追いつけない。脳まで筋肉でできていそうな女が長口舌を打った驚きも、平太の思考停止の原因のひとつだった。


「え……? つまり……、え……?」


 狼狽して焦点の合わない目をドーラに向ける。否定して欲しいという平太の視線が物理的に痛みでも与えたかのように、ドーラは身を固くして顔を伏せてしまった。それはもう、完全にシャイナの言葉を肯定してしまっている。


「帰れない……のか? 俺は、」


 身体から力が抜ける。普段あれほど現実はクソだ何だと嘯いていたくせに、いざもう帰れないと知った途端、血も凍るような絶望が襲ってきた。


 それが家族に対してなのか、日本という高度文明社会における文化的生活への執着なのかは平太にもまだわからない。


 わかる事は、もう二度と帰れないという事だけだった。


「本当に済まないと思っている」


 顔を伏せたままドーラが謝罪するが、そんな言葉が何になるというのだろう。魔法の呪文ならまだしも、ただの謝罪の言葉に何の力があるのか。効果があるとすれば、それは言葉をかけられた者にではなく、謝罪をした方の気持ちが少し晴れるというだけだ。ただの自己満足だ。


「たしかに、他の魔術師を頼るのは無理かもしれない。けど――」


「もういい……」


 今はもう何も聞きたくなかった。


 平太は席を立ち、ふらふらとあてがわれていた自室へ向かった。


 ドーラはその背中に何か言いかけたが、スィーネが今はそっとしておくべきと言わんばかりに目を伏せて首を静かに横に振るのを見てやめた。



 広間から出て、どこをどう歩いたのか自分でも記憶がなかった。


 無駄に広い屋敷の行き止まりにぶち当たった時、平太は自分がこの屋敷について何も知らない事に今さら気づいた。


 よくよく考えてみれば、あの部屋に担ぎ込まれる時はいつも平太の意識がない時だ。


 それに意識があっても、広間に行く時はいつもドーラが先導してくれているので、道を覚えるとかそういうところにまで気が回っていなかった。


 元の世界どころか、自分の部屋にすら戻れないのか。そう思うと情けなくて逆に笑えてきた。


 平太は壁に背中を預け、その場に座り込ん自らを笑った。


 カッコ悪いな、俺。


 いや、カッコ良かった時なんて今まで一瞬でもあっただろうか。これまでの人生、逃げに逃げて逃げまくって、あらゆる問題を先送りにしてきたじゃないか。


 掌で顔に触れる。腫れはすっかり引き、折れた鼻の骨も元通りの、触り慣れた顔だった。


 思えば、あれが生まれて初めての本気のケンカだった。相手が女だという事が少し情けないが、本職の戦士を相手にバックドロップを決めたと考えれば、自分にしてはかなり頑張った方だと思う。


 あの時の感触がまだ手に残っているようで、平太は両の掌を力いっぱい握ってみた。


 今になって、どうしてあんな真似ができたのだろうと考える。


 色々考えてみても、ここが異世界だから、という漠然とした答えにしかたどり着かない。


 ではなぜ異世界だからあんな真似ができたのか、という問いにはこれと言った答えが出ない。


 強いて言葉を当てはめるとするのなら、「現実味がない」のだ。ここが現実世界であるという認識を、脳がどうしてもしてくれない。


 だから誤作動が起こり、普段なら絶対しないような事をしてしまったりする。


「旅の恥はかき捨て」を常態でやってしまっているようなものだ。


 しかしこれは言い換えてみれば、異世界だから何でもできるという事ではなかろうか。ケンカだけではなく、これまで他人の評価や現実と向き合う事が恐ろしくてできなかった事が、異世界ならできるのではなかろうか。


 どうせ知らない他人ばかりなら、恥をかこうが笑われようが知ったことではない。


「異世界の恥はかき捨て、か……」


 我ながらうまい事言ったような言ってないような、微妙な気分に苦笑する。


 平太の心の中で、ちっぽけなプライドを守っていた薄っぺらいメッキのようなものが少し剥がれた気がした。


 自分は今まで何を恐れていたのだろう。笑われる事、負ける事、恥をかく事、落胆される事。それらは確かに恐い。だけど、それらを経験せずして成長した人はいない。


 失敗を恐れて何もしないのが一番駄目な事だ――今まで親や教師、漫画の主人公にまで何度も言われていた事が、ようやく理解できた。


 変わらなきゃ。


 否、


 変われ。


 どの道最底辺のニートなのだ。もうこれ以上カッコ悪くなる心配はない。今がもうすでにどん底だ。


 だったら、後は登るだけではないか。


 ゼロより下はない。あるのはプラスのみ。


 なんだ、思ったより悪くないじゃないか。


 異世界でゼロから始めればいい。RPGだって人生だって、誰でも最初はゼロからなのだ。


 今、ここから始めよう。


 平太は立ち上がって歩き出す。


 向かう先は決まっている。



 平太が立ち去ってからは、広間はずっとお通夜のような雰囲気だった。


 唯一音を立てていた食器も、朝食が済んだ今となっては動かざること山の如しである。


 ドーラの落ち込みようは酷いものだった。平太に愛想を尽かされたのがよほど堪えたのか、見ているシャイナやスィーネが気の毒に思うくらいの落胆ぶりである。


「なあ、もう気にするなよ。済んだことをいつまでも気に病んだって仕方ねえぜ?」


 見るに見かねたシャイナが努めて明るい声を出すが、ドーラは無言で両手に持ったカップを見つめている。


「それに、元はと言えばあたしらだけでやるつもりだったんだ。最初の計画に戻ったと思えばいいんだよ。別にガッカリするこたぁねえさ」


「ですが、戦力は一人でも多い方がいいでしょうし、男手があると何かと便利なのですが……」


「あんなひょろっちい奴、いてもいなくても同じっつーかむしろ足手まといだっつーの」


「足手まといは少し言い過ぎでは」


「いいんだよ、あんなヘタレほっときゃ。あたしらだけでササっと魔王を倒して、そんでついでにあいつを元の世界に帰してやればそんで終わり! ホラ、簡単だろ?」


「たしかに、いくら魔王を倒せば元の世界に帰れるかもしれないと言っても、さすがに試練が過ぎますねえ……」


「その話、本当か?」


 声のした方を一斉に振り返ると、自室に戻ったとばかり思っていた平太が、何やら壮絶な決意を固めたような真剣な面持ちで立っていた。


「聞こえなかったのか? 魔王を倒せば元の世界に帰れるってのは本当かって訊いたんだよ」


 静かだが、ごまかしや言い訳を許さない厳しさを含んだ平太の声に、ドーラは手元に据えていた視線をはっきりと平太の方に向け、ごまかしや言い訳を一切入れずに言い切った。


「断言はできないけど、可能性はあるよ」


 そのひと言を聞いただけで、平太は「十分だ」と不敵に笑い、


「詳しい話を聞こうか」


 ゆっくりと室内に歩み入り、自分がさっき立った席へと向かった。



 ドーラの話をまとめるとこうだ。


 件の魔王が復活したのが、今を去ること三ヶ月前。三ヶ月と言っても、この世界――グラディアースの周期でだが、それはこの際関係ない。


 問題なのは、三ヶ月経ってもまだ世界が滅びていない事だ。滅びるどころか、目立った動きも魔物を見たという話もろくに聞かない。


 だが確かに魔王は復活したのだ。誰もがあの日の事だけは鮮明に覚えているであろう。空に暗雲立ち込め、昼日中でありながら夜の如き暗いあの日。風吹きすさぶ中、魔王の城があると言われる方角をひと筋の稲光が天を貫き、古来より言い伝えられし五百年の封印が解かれたあの光景を。


 魔王復活の一報に混乱の極みだった王侯貴族たちであったが、一日また一日と過ぎても魔物が攻めて来る兆しどころか何の変化も現れず、ひと月経ったあたりで「まだ慌てる必要ないんじゃね?」と気づいた。


 一度切れた緊張感は、容易には元に戻らなかった。今や魔王が復活した事など遠い過去のものとなり、人々はこれまでと同じ平穏な生活をしている。下手をすれば、今魔王の話題を出せば田舎者扱いされるほどだ。


 確かに魔王は復活した。だが今になってもまだ何一つ行動を起こした形跡が無い。王族たちはこれを魔族側に何かのっぴきならない問題が起こったものと判断した。世界を侵略してる場合ではないほどの。


 傍から見れば脳ミソ詰まってるのか疑問に思うほどの楽観的な発想だが、人間は信じたい情報しか信じない生き物である。この期待に満ちた想像は事実と同じ信憑性を持って、瞬く間に巷間に流布した。


 それから世界は加速度的に日常を取り戻していった。さすがに監視はしているものの、兵士の間では魔族監視任務は閑職の代名詞と化し、それならまだ色街や貧民街の巡回の方がマシとさえ言われた。


 そんな中、魔王討伐を提案する者などおらず、よしんばいたとしても予算と人員の無駄だと即刻却下される始末であった。


 そこでようやく話がドーラやシャイナ、スィーネに絡んでくる。


 ドーラの肩書は一応宮廷魔術師となっているが、末席もいいところなのでせいぜい王宮に入れる程度の権力しかない。当然発言権も何も無い。


 そんな彼女が他の宮廷魔術師を出し抜こうと目をつけたのが、今のところ特に何もしていない魔王である。


 しかしそこは腐っても魔王である。討伐すれば確実に出世の道が開ける。そう思い立ったドーラは、すぐさま魔王討伐隊を編成した。と言っても自分を入れてシャイナとスィーネの三人だけの心許ないメンツだった。


 さすがにこれでは戦力不足だ。知恵を絞った彼女は、自身の持てる力のすべてを集結させ、魔王を倒せる最強の勇者を異世界から召喚する事にした。


 これは彼女の一世一代の賭けだった。何しろ異世界とこの世界を往復する大魔法は一生に一度しか使えない。しかし、やる価値は十分にあった。成功すれば魔王から世界を救った英雄なのだから、褒美も名誉も望みのままだろう。


 が、ちょっとした手違いで勇者どころか社会の最底辺であるニートの平太を誤って連れて来てしまったため、ドーラの計画は見事に水の泡と化した。


「ちょっと待て。俺はあらすじを聞いてるんじゃない。元の世界に帰る方法を聞いてるんだ」


 すっかり調子を取り戻したドーラが饒舌に語るのを黙って聞いていたのだが、いつまで経っても本題に入らないのでしびれを切らした平太がツッコミを入れる。


「まあまあ、そう慌ててはいけないよ。物事には順序というものがある。それに詳しい話を聞こうと言ったのはキミだ。お望み通り詳しく話してあげるから、とにかく黙って聞きたまえ」


「ぬう……」


 確かに、詳しく話せと言ったのは自分だが、聞きたかった主題はそこではない。グラディアースの歴史から始まらなかっただけマシと思い、仕方なく平太は黙って聞くことにした。


 異世界から勇者を召喚するにあたって、問題となるのはどうやって勇者を元の世界に返すか、だった。


 こちらの都合で連れて来ておいて、用が済んだら後の事など知らぬ存ぜぬではあまり不義理というものだ。やはり来たのなら帰ってもらわねばなるまい。


 しかし何度も言うが、異世界とこちらの世界を往復する魔法は、一人一回しか使えない。つまり連れて来た勇者を元の世界に帰すためには、あと一人魔術師が必要なのだ。


 ではあと一人魔術師を用意すれば良いだけの話ではないのかと思いきや、そうは問屋が卸さない。事はそう単純ではないのだ。


「え? そうなの?」と平太。


「そうなの」とドーラ。


「オメーさっきあたしが言った事なんっも理解してねえのかよ? お前バカだろ? どうしようもねえくらいバカだろ?」


 前置きもなしにケンカを売ってくるシャイナに、スィーネが「次ケンカでケガしても治しませんからね」と突き放すように言うとシャイナは舌打ちをして足を組み直した。


「先も申しましたが、魔術師にとってこの魔法は一度きりのもの。いくら世界を救った英雄を帰還させると言えども、やはり自分のために使いたいと思うのが人情というものです。それにこれだけの大魔術を使えるとなれば、使い手はやはりドーラと同じく宮廷魔術師の誰か、という事になるはずです。自分を追い越して栄達した相手の尻拭いに、一生に一度しか使えぬ魔法を使う人など、それこそどこを探せばいるのか、という事をシャイナは言いたかったのです」


 とてもそうは思えない態度だったが、スィーネの必要以上に丁寧な物言いに、平太は「はあ……」と一旦は言い含められそうになったが、「――って、それじゃ魔王を倒しても帰れないじゃないか!」と慌ててツッコミを入れた。


 ドーラたちは一瞬「あ、コイツ思ったよりバカじゃないぞ」みたいな顔をしたと思ったら、すぐに気持ち悪いくらい愛想のいい笑みを浮かべて、「いやいやいやいや、これから。話はこれからだよ」とか「何言ってんだよ、バッカ違うよ、バッカ。話は最後まで聞けよ」とか「慌てる乞食は貰いが少ないですよ」など口々に言い出した。


「とまあ、ヒトの力で勇者を元の世界に帰すのはかなり難しいってのは理解できたよね?」


「まあな。人間って醜いなって話なら、お前らを見ててよっくわかった気がするぜ」


 精一杯の皮肉を込めるが、ドーラたちは「ホホホ、ご冗談を」と口元を手で隠して笑う。なんて面の皮の厚い連中だ。


「ボクだって何のあてもなしに勇者を召喚するほど無責任じゃないつもりだ。ちゃんとそれなりに勝算があるからこそ、危ない橋を渡る決心をしたのさ」


「そのわりにはツメが思いっ切り甘かったけどな」


「……まあ、それは今は置いといて」


 置いとくのかよ、と平太は思ったが、これ以上ツッコミで余計な時間を取るのもアレなので、置いておくことにする。


「さっき帰る方法について『断言できない』と念を押したのは、元の世界に帰れる鍵を握っているのが魔王だからなんだよ」


「魔王が?」


 平太の声に、ドーラは肯く。


「魔王がこの世界を支配するなり滅ぼすなりした後は、別の世界へと侵攻するって言い伝えられているんだ。つまり、魔王は異世界に行ける魔法なりアイテムなりを持っている可能性が高い、とボクは思うんだよねえ」


「情報が言い伝えレベルかよ……」


 平太は頭を抱えたくなる。そんな不確定な情報を頼りに自分は異世界へと連れて来られたのか。それならまだ宮廷魔術師を一人ずつ説得していった方が、帰れる可能性が高いような気がする。中には奇特な魔術師がいるかもしれない。


「だから『可能性はある』、とも言ったじゃないか……」


「そりゃ確かに可能性はゼロじゃないが、確率以前の問題だろ。お前よくその程度の勝算で人を異世界から連れて来ようと思ったな」


 ボロクソに言われてしょげるドーラに、平太はトドメとばかりに大きなため息をつく。


 今さらながら自分の計画が穴だらけだった事を気づかされ、ドーラはネコ耳をぺたりと寝かせて小さな身体をさらに小さくしている。


「……ま、仕方ないか。他にどうしようもないしな」


 平太が渋々言うと、ドーラたちは揃って「へ?」と間の抜けた声を上げた。


「へ? じゃねえよ。元の世界に帰るには魔王を倒すしかないんだろ?」


「う、うん……」


 自分でそう言ったくせに、妙に自信のない返事をするドーラ。


「だったらやるしかないだろ。俺が勇者になってやるよ」


 自分で言って照れながら、平太は今ここでしっかりと宣言した。


 俺が勇者になる、と。


 広間に沈黙が流れる。


 静寂が一秒続くごとに、平太の中でやっちまった感が爆発的に膨らみ、恥ずかしさと後悔でこの場から逃げ出したくなる。


 大きなため息が、平太の心臓止めた。


 これみよがしに嘆息して見せたのは、シャイナだった。彼女はいかにもやってられないように両足をテーブルの上に投げ出すと、


「ったくしゃーねえな。やるしかねえなら、やるしかねえか」


 わけのわからない言葉を吐きながら、椅子の背もたれにもたれて思い切り伸びをした。


 スィーネはそんなシャイナの姿を見て、


「物を食べる場所に足を乗せないでください、お行儀の悪い」


 と眉間に小さく皺を寄せたかと思うと、


「ですが、確かにその通りです。やるしかないようですね」


 すぐに元の表情に戻った。よく見ればうっすらと微笑んでいるのかもしれないが、今の流れが呑み込めず困惑している平太にはその微妙な機微は判別できない。


 彼女たちの態度の変化について行けず、右往左往する平太にドーラがにこりと笑って言った。


「何をびっくりしてるんだい。みんながやる気になってるんじゃないか。言い出しっぺがそんな不安な顔をするものじゃないよ」


「へ……」


 自分が彼女たちに受け入れられた事がはっきりと実感できず、まだ半信半疑な平太にドーラは「仕方ないなあ」と席を立つ。


 ゆっくりと平太の元へ歩み寄ると、困惑している平太の両手を取り、


「一緒に魔王を倒そう。今からボクたちは仲間だ」


 こんな事を言われたのは生まれて初めてだった。それ以前に、現実世界で誰かと仲間にどころか、友達すらいなかった。胸に込み上げるものが溢れ、平太は思わず泣きそうになる。


 目頭が熱くなり、危うく涙が出そうになっていると、ドーラがだらしなくにへらと笑いながら、申し訳なさそうに尋ねた。


「ところでキミ、名前なんだっけ?」


 涙は一瞬で引っ込んだ。

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