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ニートの俺が勇者に間違われて異世界に  作者: 五月雨拳人
第二章
37/127

重いコンダラ

     ◆     ◆


 翌日。


 平太は昨日と同じく午前中は警備隊の雑用をこなし、午後の空いた時間でシズの見舞いをしてからハートリーとの約束の場所へと向かった。


 時計が無いので細かい時間は定かではないが、恐らく昨日とだいたい同じくらいの時間だと思った。


 むしろちょっと早いかな、くらいの気持ちで平太が詰め所の裏手に行くと、


 すでにハートリーがウンコ座りして待っていた。


 おかしい。このオッサン、確か隊長とか言ってなかったっけ。自分で雇われ隊長とか言っていたが、それにしても平太よりも早く来て待っているなんて、よほどヒマなんだろうか。責任者ってもっと多忙なイメージがあったが、彼を見る限りとてもそうは思えない。


 平太が訝しげに見ていると、その視線に気づいたのかハートリーがこちらを見つけた。


「おう、早かったのう」


 思わず「そちらこそ」と皮肉が出そうになるのを堪え、平太は「どうも」と会釈する。


 ハートリーは「どっこいしょ」とかけ声をかけ、地面に置いていた二振りの剣を掴んで立ち上がった。


「それは?」


 まさかそれを使って稽古するのだろうか、と平太の中で眠っていた刃物に対する恐怖心がむくりと顔を上げる。


「ああ、これは稽古用の模造刀ぞ」


 言いながらハートリーは二振りの剣の片方を鞘から抜き、柄を平太に向けて渡す。


「見ての通り、刃は潰してあるから安心せい」


 渡された剣を見る。ぱっと見はどこにでもありそうな何の変哲もない両刃の直刀だが、よく見ると確かに刃は潰されてなくなっている。試しに刃を指の腹でそっと撫でてみると、かなり念入りに潰してあった。


「どうだ? これでも恐いか?」


 内心を見透かすような言葉に、平太はどきりとする。


「人間、誰しも刃物は恐い。それは当たり前だが、剣を怖がっておっては剣士は務まらん。本来なら実戦経験を積むのが一番手っ取り早いんだが、いきなり実戦に放り込んで死なれても困る。なのでまずはこういうのでじわじわ慣らして行こうって寸法ぞ」


 平太は軽く剣を振ってみる。シャイナとの稽古で使っていた木剣とは、感触がまるで違う。木剣は丸ごと一本が木でできていたから重心が均一で重量も軽かったが、模造刀は刃がついていないだけでそれ以外は本物の剣とほとんど変わらなかった。これなら木剣を使うよりさらに実戦的な訓練ができるだろう。


 平太は上中下段の斬りとなぎ払いをひと通りして剣の具合を確かめる。ずしりとした手応えはまさに真剣のそれと同じで、自然と気が引き締まる。


「まずは打ち込みから始めるか」


「はいっ!」


 ハートリーの指導のもと、剣の稽古が始まった。


 ハートリーの持ってきた剣は、柄の部分が片手剣より倍近く長く、両手でも持てる半片手剣だった。


 なので盾を持たず、両手持ちのまま攻防自在に操る技術を徹底的に叩き込まれた。恐らくこれは、平太の武器が大剣であったからだろう。この世界の標準的な盾と片手剣の戦法はこの際捨て、得意な両手持ちの戦い方を集中的に鍛えた方が良いという判断だ。


 その日の締めに、対戦形式の稽古が行われた。


 ハートリーも平太と同じ剣を持ち、隙あらば容赦なく打ち込んできた。


 とは言え、刃が潰してあっても鉄の棒で殴られるのと同じなのだから、本気で打たれれば痛いでは済まない。


 その点ハートリーは当てる際に絶妙に力を抜いて、撫ぜるように平太を何度も斬りつけた。


 対する平太はそんな加減などできるはずもない。むしろ本気で打ち込んでもかすりもしない。


 たまに剣を受け止められて鍔迫り合いに持ち込もうとするが、いとも簡単にいなされてたたらを踏んでしまう。


 圧倒的実力差での稽古はむしろチャンバラのようで、平太はいつの間にか自分が手に持っているのが下手をすれば人を殴り殺せる鈍器であることを忘れて楽しんでいた。


 少なくとも、これが剣で、刃がついていたら人を切り殺せるものだということは失念していた。


「よし、今日はここまで」


 気がつけば、日が暮れていた。


 平太が上気した顔を上げると、ハートリーは汗をかくどころか息一つ乱さず、手にした剣を鞘に収めていた。


 平太も自分の剣を鞘に収め、ハートリーに返す。


「また明日な」


 にっこりと笑う。


「ありがとうございましたっ!」


 充実した稽古と、それがまた明日もやれるのだという喜びに、自然と大きな声が出た。


 弾む息を整えながら、ゆっくりと去っていくハートリーの背中を見送る。


 明日が楽しみだった。



 次の日になると、平太は稽古のことで頭の中がいっぱいになっていた。


 雑用をしながらも、頭の中では昨日の稽古の内容を反芻し、シミュレーションを何度も重ねていた。


 ただ何度試行錯誤しても、自分がハートリーから一本取る場面は思い浮かばなかった。


 それでも稽古が楽しみなのは、難易度の高いゲームをプレイしているとか、強い敵を攻略しているようなやりがいを感じたからだ。


 今だから言えることだが、これがもし、「剣で人を殺すことの訓練」だという認識だったら、平太はここまで真剣に、かつ無自覚に楽しんでいなかっただろう。


 それを見越しての模造刀だったのかもしれないし、そうじゃなかったのかもしれない。ただ確実に言えるのは、平太にはとても合った方法だったということだ。


 平太は雑用を終えてシズのお見舞いに行っても、話すことは稽古のことばかりだった。平太が楽しそうに話すのを、シズは終始にこやかに聞いていたが、その瞳の奥にわずかばかり不安の陰がのぞいていたのを平太が気づくことはなかった。



 こうしてハートリーとの稽古の日は、一日また一日と過ぎていった。


 初日では勝てるどころか当てる自信すらなかった平太であったが、今では自分のイメージの中でなら辛うじて当てるくらいはできるようになっていた。後は身体が想像に追いつけば、の話だが。


 しかし裏を返せば、身体さえついてこれればハートリーから一本取れるかもしれないのだ。


 そして、今の平太には想像を現実に変える力――剛身術がある。今はまだ自由に使いこなせるどころか使えたり使えなかったりと信頼度が低いものだが、いずれは自在に使いこなしてハートリーから一本奪いたい。


 だがハートリー曰く、


「剛身術ばかり頼っていてはいかん。あれは言ってみれば裏技のようなものだ。一発逆転の大技ばかりあてにしていると、いずれ足元をすくわれるぞ」


 そうならないためにも、基本はしっかりとやっておかなければならない。それには日々の肉体の鍛錬と、剣技の向上だ。地道な努力を積み重ねた者こそ、最後に笑うのだ。


 とは言うものの、やはり努力は面倒臭いものである。


「ネトゲならチートやRMTとか課金でいくらでも強くなれるのになあ……」


 身も蓋もないことをつぶやきながら、平太は今日も詰め所の裏手に向かう。



 ハートリー=カインズは雇われ隊長である。


 だがそれは本人が自虐を込めた自称であり、実際はこのスキエマクシ海上警備隊が彼の腕を見込んで招聘したのだ。


 彼が隊長になるまでの警備隊は、海賊や密漁船たちとの度重なる戦闘に疲弊しており、その際に指揮官クラスが何人も二階級特進していた。


 深刻な人材不足に悩まされた警備隊は、スキエマクシから少し離れた山奥に、かつて剣聖とまで呼ばれた達人がいることを知り、これ幸いと大喜びして彼をぜひ隊長にとスカウトしに行った。


 こうして現在隊長の椅子に座っているのがハートリーであるが、彼の凄絶な活躍と戦果を知らぬ者たちには、珍妙な覆面をした気のいい名物オッサンと思われている。


 そんな近所のおもしろ人物扱いのハートリーだが、港町を警邏していると店の者たちに声をかけられたり、売り物であるはずの果物や料理を差し入れされるくらいには信用されている。


 彼らとて、ハートリーが来てからこの海の治安が目に見えて良くなっていることくらい気づいているのだ。


 そして今日もハートリーが厚意でもらった串焼きを頬張りながら港町を警邏していると、


「おい」


 唐突に声をかけられた。


 声のした方に目をやると、シャイナが通りの壁に背を預けて立っていた。


 彼女は無言で裏通りを顎で指すと、ハートリーが着いて来るのを確認もせずに通りの陰へと消えた。


「ふむ……」


 ハートリーは残った串焼きをひと口で片付ける。残った串を通りの反対側にあった屑入れに手首のスナップだけで放り込むと、シャイナの後を追って裏通りへと足を運んだ。


「来たな」


「真っ昼間からカツアゲか。言っとくが金ならないぞ。こう見えて安月給でな」


「今日はそういうおふざけに付き合う気分じゃねーんだ。これ以上ふざけるようだったら、そっから先は力づくだぜ」


 シャイナの目は真剣だった。それは、怒っているのではなく、これから真面目な話をするんだという意志が現れていた。そうなると、ハートリーはそれ以上軽口を叩かなかった。


「わかった。それで、用件は何だ?」


「あいつをこれ以上剣の道に引き込むな」


 あいつ――というのは、恐らくあの男のことであろう。そういえば、名を何といっただろうか。


「あいつに剣は似合わない。いや、元から剣なんて物騒なもんに縁がなかったんだ。だから、」


「それを決めるのはおんしではなかろう」


 シャイナの言葉が止まる。そんなことは、言われるまでもなくわかっているのだろう。それでも、こうしてわざわざ話をするのだ。よほどの訳があると見た。


「あいつは……あいつは、この世界の人間じゃねえんだ」


 振り絞るように言葉を吐き出すが、シャイナの言葉はハートリーの考えを変えるには至らなかった。何しろすでに知っている情報だ。


「知っとるよ」


 まさかハートリーが知っているとは思わなかったのか、驚いたようにシャイナは息を呑む。


「あいつを見とったら、よっぽど平和な世界から来たんはすぐにわかる。最初に見たときは、どこのお坊ちゃんかと思ったもんぞ。きっと剣で人を斬るどころか、ケンカで人を殴ったこともなかろう」


「だったら、なぜ――」


「どこから来たかは関係なか。問題なのは、この世界で生きていかにゃならんっちゅうことぞ」


「それは……」


「それともお前は、一生あいつの面倒を見る覚悟があるんか? 元の世界に綺麗な身体で返すために、ずっとあいつの代わりに戦うつもりか?」


 そんなことは不可能だ。この弱肉強食の世界で綺麗な身体でい続けられるのは、王族か貴族くらいだ。他はみな、奪われて汚されるか、奪って手を血で染めるかのどちらかだ。


 それに元の世界に帰るには、あの魔王を倒さなければならないのだ。しかも魔王とだけ戦えば済む話でもなく、魔王のもとにたどり着く前に、様々な魔物との戦闘が待ち構えているだろう。それらすべてから平太を守れる自信は、さすがのシャイナにも無い。


 結局、この世界に留まるにしても、元の世界に帰るにしても、最低限自分の身は自分で守れる程度の力は必要なのだ。


 それらをすべて踏まえて、ハートリーは平太に稽古をつけているのだ。


 シャイナたちは、平太を守ろうとした。


 ハートリーは、平太に自分の身を守らせようとした。


 どちらも平太のためを思ってのことだが、どちらが平太のためになるのかは一目瞭然だ。


「優しさと過保護は違う、か……」


 シャイナは自嘲するようにつぶやく。わかってくれただろうか。いや、そのつぶやきが出るということは、訊くまでもないはずだ。


「――信じていいんだろうな?」


 再会して初めて、シャイナが真っ直ぐハートリーの目を見て言う。


「任せろ」


 それを受けて、ハートリーは自信たっぷりに言う。


「それにあいつは門を開いたぞ。もしかすると、案外ものになるかもしれん」


「マジかよ!?」


 驚くと同時に舌打ちをする。自分はついぞ開けなかった門を、昨日今日稽古を始めたばかりの奴に開かれ、内心穏やかではないだろう。


 しかしハートリーは剛身術が使えるかどうかが、剣士や戦士としての絶対的条件ではないと信じているし、彼女にも言って聞かせてきた。


 事実、シャイナは門こそ開けなかったものの、天賦の才を血の滲むような努力でさらに高め、名だたる剣豪の仲間入りを果たしている。正直な話、純粋に剣の腕前だけならとうの昔に師を超えているのだが、本人はなかなか納得しようとしない。


 シャイナはしばらく考え込むように目を閉じていたが、やがて大きく息を吐くと、


「わかったよ。せいぜい死なない程度に鍛えてやってくれ」


 と言った。そしてこれでもうすべての用事は済んだとばかりに踵を返して立ち去ろうとするので、今度はハートリーが呼び止めた。


「おい、待たれい」


「あん?」


「本当に家に帰らんのか?」


 シャイナはくっきりとした眉をわずかにしかめ、バツが悪そうな顔をする。


「ああ、帰らない」


「何故にじゃ? ここからならすぐだぞ」


 すぐと言っても片道三日ほどだが、何年ぶりかに生家に帰るのだ。それくらいの寄り道を許さない仲間でもあるまい。


 だがシャイナは「ん~……」と言いにくそうにした後、


「他の奴らはさ、帰る家なんてなかったり帰るに帰れなかったりするんだぜ。そんな中、あたし一人だけ実家に帰ったら悪いじゃん」


 仲間に気を遣うのか、とハートリーが言いかけたのを、「それにな」とシャイナの言葉が制する。


「今帰ったら、もう二度とそこから動けなくなるような気がして、恐いんだよ」


 思わず耳を疑った。あのシャイナが弱音を吐くなど初めてだ。剣の修行中であろうと、夜の森での野営であろうと、決して泣き言一つ漏らさなかったのに。


 違う。あの頃のシャイナは、泣き言を漏らさなかったのではなく、漏らせなかったのだ。


 一家の生活と、腹を空かせた兄弟たち。まだ年端もいかぬ娘が背負うには、あまりにも重すぎる。それでも歯を食いしばり続けていたから、泣き言など漏れる隙間もなかった。


 まるでひと言でも泣き言を漏らせば、堰を切ったようにそこからすべてが崩れ去って、もう二度と立ち上がれないと思っているかのように。


 そんな彼女の姿に、ハートリーは頑なすぎると危惧した。固すぎるものは傷つきにくいが、際限なく曲がらず折れずというわけにはいかない。いつか限界以上の力がかかって、呆気ないくらいぽっきりと折れはしないかと心配したものだ。


 それが今や、このハートリーに向かって泣き言を垂れる。どういう心境の変化であろう。あれほど固かった奴が、ずいぶんと柔らかくなったものだ。


 これも仲間の影響であろうか。


 だとしたら、ずいぶんと良い仲間を持ったものだ。


 今度はハートリーが目を閉じ、大きく息を吐いた。


「わかった。だが、今の旅が終わったら、またこっちに顔を出せよ」


 シャイナは答えず、背中を向けて右手をひらひらと振りながら去って行った。


 師匠を師匠とも思わないような態度であったが、少しも腹は立たなかった。


 それよりも今は、弟子の変化が嬉しかった。



「いよいよ明日退院なんですよ」


 待ちに待ったというような笑顔でシズがそう告げたとき、平太は複雑な気分だった。


 シズの退院は嬉しい。だがそれだともうハートリーに稽古をつけてもらうことができなくなる。せっかくあと一息で彼から一本取れるかもしれなくもないところまで来ているのに。


「じゃあ明日の朝、迎えに来るよ」


「そんな、お仕事があるのにいいですよ」


「大丈夫だよ。少し遅れるって、後で許可をもらっておくし」


「でも……」


「それに、シズはスキエマクシに来てすぐここに運ばれて、それからずっと外に出てないんだろ? ほとんど知らない街を一人で歩くのは、やっぱり良くないよ」


 平太がそう説得すると、ようやくシズは折れた。あまりに申し訳なさそうだったので、この世界では退院時の付き添いやお祝いとかしないのかと思ったが、これまでずっと個室に一人でいたのだから、やはりお祝いくらいはしたいと思った。


 それからいつものようにとりとめのない会話をして、平太はシズの病室を後にした。


 病室を一歩出た瞬間から、頭の中はこの後の稽古のことでいっぱいになった。


 きっと今日が最後の稽古になる。


 ならばこれが、彼から一本取る最後のチャンスだろう。


 平太は気合も新たに、海上警備隊の詰め所へと向かった。

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