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ニートの俺が勇者に間違われて異世界に  作者: 五月雨拳人
第二章
32/127

約束

     ◆     ◆


 それから一週間、船は流され続けた。


 ドーラが操舵室に置いてあった海図や羅針盤などを使って色々調べた結果、船の現在位置だけはわかった。


 海賊船アナスケーパ号は、風と海流によって南西に向かって流されている。


 ドーラの見立てでは、この調子で行くとあと数日でカリドス大陸のどこかに流れ着くはずであった。


 何事もなければ、の話だが。


 この話を聞いてシャイナは拒絶反応を示した。幸い海図を見る限り、この先危険な海域はないようだし、天候も素人目には順調に見える。ただ問題なのは、誰一人船を扱えないという唯一にして致命的なことだけだった。


 それさえ抜きにすれば、特に問題のない航海だった。水も食料も十分にあったし、その気になれば甲板から糸を垂れて釣りをし、新鮮な魚を調達することもできた。


 シズは三日間眠り続けたが、目を覚ましてからは順調に回復していった。傷の深さは相当なものであったが、スィーネの回復魔法によって後遺症もないということに、本人だけでなく平太も安堵した。


 平太が進んでシズの看病をしようとしたが、それは本人に却下された。やはり身の回りの世話は同性の方が良いらしい。それには平太も納得し、これまで通りスィーネに任せた。


 その代わりと言ってはなんだが、平太はシズの代わりに家事全般を買って出た。最初は平太の家事技能に疑問を抱いていた一同であったが、フタを開けてみればこの面子の中ではシズの次に技能の高いことが判明してしまった。


 恐らくこれは、義務教育のうちにやらされてきた清掃や家庭科のおかげではないかと思われる。特に清掃など、学校では掃除機などの家電を使うことなく、昔ながらの箒とちり取りでやっていたのでこの世界と特に変わりはない。


 また料理も素材をイチから仕込むのなら話は別だが、長い航海用に加工された肉や魚などは調理もそう難しくなく、窯などの調理器具の使い方さえ憶えれば、焼くだけでもそれなりに食えるし、切って煮込めば平太でもスープくらいは作れた。


 シズが食事できるまでに回復すると、平太はスープにパンを浸しておかゆのような物を作って渡してみた。


 最初はほぼ液体のみのスープしか食べられなかったシズも、スィーネの看病と平太の献身の甲斐あってか徐々に血の気を取り戻していき、少しならば固形のパンをかじれるようになるまで回復した。


 人間、生きてる限りはメシを食わねばならない。逆に言うとメシを食えなくなった奴から死んでいき、メシが食えるということは生きているということである。


 シズはそれを体現するかのように、食欲が増すのに比例して回復していった。やがて身体を起こして自分で食事が摂れるようになると、ゆっくりではあるがリハビリを始めた。



 こうしてさらに数日が経つと、シズの顔色は目に見えて良くなっていった。最初は背中の傷が突っ張って寝返りを打つにも苦労していたが、自力で起き上がれるようになると回復はさらに加速した。


 すると一日中寝ているのは勿体無いと、すぐに歩き回ろうとした。


 しかし身体というのは難儀なもので、二週間近く寝て過ごした程度で驚くほど筋力を失う。歩くのはおろか立つことすら困難になったシズは、まず立ち上がるところからリハビリを始めた。


 そこでもスィーネに介助を頼むと思いきや、今度の白羽の矢は平太に刺さった。


「……俺でいいのか?」


「はい。よろしくお願いします」


 本人たっての希望とあらば、と平太はその申し出を快諾する。


 シズはすっかり筋肉が衰え細くなった足を寝台の縁から出し、


「では、行きます」


 と真剣な面持ちで宣言する。


「よし来い」


 それを受け、平太も真面目な顔といつでも動ける体勢で待ち構える。


「えいっ」


 そして反動をつけて寝台から立ち上がるシズであったが、


「っと……ととと、」


 すぐにバランスを崩して倒れそうになる。そこを待ち構えていた平太が抱きとめると、シズは崩折れないように平太にしがみついた。


「大丈夫か?」


「……すいません、大丈夫です」


 平太が心配してシズを見ると、何故か彼女はだらしなくにやけていた。


「でも何だか得しちゃったな。ヘイタ様に抱きとめてもらえるなんて、ケガしてみるもんですね。えへへへ……」


 そう言って恥ずかしそうに笑うシズを見て、平太はいたたまれなくなった。


 何故なら、シズの行動原理は自分への恩返しだからだ。


 つまり、彼女がああするように仕向けたのは、自分なのだ。


 そう思うと今さらながらとんでもなく申し訳ない気持ちになった。


 シズは平太の表情を見て察したのか、ゆっくりと平太の身体から離れて自分の力で立つと、


「あの……お願いがあるんですけど、」


 にっこりと笑った。



 シズのお願いとは、甲板に上がりたいとのことだった。


 ずっと室内に篭っていたのだ。外の新鮮な空気を吸いたくなるもの無理はないと、平太も思った。


 スィーネに尋ねると、彼女も了承してくれたが、リハビリを始めたばかりなので、あまり無理はさせないようにと注意された。


「では、お願いします」


 シズは平太の腕を掴むと、ゆっくりと、ゆっくりと歩き出した。平太は彼女に合わせて、同じくゆっくり歩いた。


 途中何度も休憩を挟みつつ、二人はどうにか甲板へと続く階段にたどり着いた。


「さすがにまだ階段は無理か」


 初日に無理をしすぎると、反って治りが悪くなると聞くし、現にシズは10メートルほど歩くだけでもかなり大変そうだった。


 かと言ってここで引き返すとシズの「外の空気が吸いたい」という願いを反故にすることになるので、平太はどうにかできないものかと頭を悩ませる。


 平太は階段の段数や広さを確認し、一度頭の中でシミュレートする。うん、まあ大丈夫、たぶん。


 平太はシズに「シズ、ちょっとゴメンね」とひと言詫びを入れると、彼女の身体を抱き上げた。


「……ひゃっ!?」


 シズは急な出来事に驚きの声を上げる。


 一方、平太もシズの軽さに驚いていた。


 シズ本来の重さを知っているわけではないが、今自分の腕の中にいる少女の軽さといったらどうだろう。まるで羽毛のような――とは言い過ぎだが、これはあまりにも軽すぎると感じた。


 いくら食欲が戻って血色が良くなったとはいえ、すぐに体重は元に戻らないだろう。何しろ減ったのは血だけでなく、ずっと寝ていたために脂肪や筋肉なども減少しているのだから。


 そういった心配が表情に出てしまっていたのだろう。シズは平太に抱えられて階段を上る間、嬉しさと寂しさの入り混じったような顔で平太を見上げていた。


 甲板に上がった平太は、シズを縁の近くでそっと下ろした。


 シズは縁に掴まり、胸を乗せるような感じで海に向かって身を乗り出す。


「うわ~、潮風が気持ちいい」


 空には雲ひとつ無く、真上を向けば太陽が燦々と輝いている。日差しは強く肌を焼くが、適度に風が吹いているのでそう熱くはなかった。これなら病み上がりのシズでもそう身体に負担はかからないだろう。


 シズは縁にかぶりつくように海を眺める。長い間外に出られなかった分、今一気にこれまでの分を眺めてやろうといった感じだ。


 風がシズの栗毛をなびかせ、どこからか海鳥の鳴く声が聞こえる。グラディアースの海鳥は、地球のとは違う鳴き声だった。


 平太はしばらく無言でシズを見守っていた。やがてシズははしゃぐのに疲れたのか、静かに海を眺めるようになった。


 二人は十分ほど無言で海を眺めていたが、やがてシズが振り返って縁にもたれ、


「何だか疲れちゃいました」


 と満足そうな顔で言った。


「じゃあ、そろそろ戻ろうか」


 平太はシズに腕を貸そうと思ったが、もう立つことにも疲れたシズを船室まで歩かせるのは良くないのでは思いとどまる。


 ――シズは、たった十分ほど立っていただけで疲れたのだ。彼女をそんな身体にした原因を作ったのが自分だということを、平太は改めて思い知る。


「シズ……」


 今さら謝ったところで、シズの背中の傷が消えるわけではない。だが、たとえ自己満足や良心の呵責だと思われようと、何も言わずにはおれなかった。


 だが、


「謝らないでくださいね」


 シズは、少し悲しそうな笑顔で平太の機先を制す。


 平太の言葉が止まる。


「わたしが自分の意志でやったことです。だから、気に病まないでください」


「でも……」


 いくら本人がそう言っても、はいそうですかとすぐに平太の罪悪感が消えるわけではない。するとシズは急に真面目な顔をして、


「だったら、責任取ってください」


「え……?」


 責任という言葉に、平太は一瞬どきりとする。そして脳内が責任をテーマにした妄想で埋め尽くされる。だがすぐにシズはにっこりと笑うと、


「なあんて、うそですよ」


 彼女の切り返しの速さに平太はついていけず、数秒思考が停止したように呆然とする。


「わたし、そんなずるい女じゃないです」


 シズがいたずらっぽく笑ってようやく、平太の脳が再起動した。


「あ……いや、その、」


「それでもヘイタ様の気が済まないのなら、一つだけわたしと約束してください」


「約束?」


「はい」


 再びシズが真剣な顔をする。一体何を約束させられるのだろうと、平太は緊張してごくりと唾を飲み込んだ。


「今度はわたしを――いいえ、みんなを守ってください」


 鳥肌が立った。シャイナに言われた言葉を、まさかシズにも言われるとは思ってもみなかった。


 しかしそれは、まさに皆が平太に望むことだったのだろう。


 強くなれ、ではなく、


 みんなを守れるようになれ、と。


 平太はこの言葉を噛み締めつつ、胸に刻む。


 守るために、強くなろうと。


「わかった。今度は俺がシズを、いや、みんなを守る」


 平太が胸を張ってはっきり答えると、シズは本当に嬉しそうに笑った。


「はい、お願いします」


 平太はその笑顔に、胸の奥に残ったしこりのような物が溶かされるのを感じた。と同時に腹の底から熱い気の昂ぶりがせり上がってくるのを感じ、全身にやる気がみなぎってきた。


 もう、負い目を感じるのはやめよう。そして今度こそシズを――仲間を守ろうと。


 それはシズとの約束があっただけではない。平太が本気でそう決意したのだ。


 今、平太の心中ではその決意と、海賊の腕を斬り落とした時に刻まれた傷が戦っている。戦況はシャイナとシズの励ましがあってなお五分五分だが、平太にはいずれこの決意が傷を駆逐していくだろうという手応えがあった。


 平太が自身の内面の変化を実感していると、


「ヘイタ様、あれって……」


 シズが平太の背後を指差した。その指の先を追って平太が振り返ると、水平線の遥か彼方にぼんやりと陸のようなものが見えた。


「陸……なのかな? よく見えないや」


 平太は目を細めて凝視する。だが距離が遠すぎるし、陽気のせいか水面から陽炎のようなものがゆらゆらと出て景色をぼやかしていてはっきりと見えなかった。


「見張り台に上がればもっと良く見えるかな?」


 言いながら平太は、ちらりと太い柱のてっぺんにある見張りのための囲いを見上げる。


 高い。10メートル以上の高さにある上に、そこに至るまでの梯子はおろか、ロープすら見当たらない。恐らくそれ専用のものなどなく、帆を張るためのロープなどを使って行けということなのだろう。


 無理。熟練の船乗りならまだしも、何の訓練も受けていない平太では、見張り台どころか柱を登ることすら不可能だ。


 次に平太はシズを見る。彼女なら身軽な動物になって柱ぐらいひょいひょいと登って行けるだろう。それかいっそ鳥になってひとっ飛びしてもらい、偵察に出てもらうという手もある。


 が、その案はすぐに却下。今のシズはケガ人なのだ。立ってるだけでも大変なのに、そんな無茶はさせられない。


「ま、慌てなくても待っていればそのうち陸に近づくだろう」


 平太はそう結論づけた。どうせ船の舵はどうにもならず、流されるしかないのだ。今さら焦ったところで陸が近づくわけでもなし、慌てるだけ損だ。


 それよりもそろそろシズを船室に連れて帰らなければと思っていると、


「あ、あああああ……」


 何やらシズが口をあんぐり開けている。平太は再びシズの視線を追って振り向いてみるが、特に変わったものは見えない。どうやらシズは平太より視力がいいのか、彼には見えないものが見えているようだ。


「ん~~~~?」


 それでも平太が目を細めて懸命に海を見ていると、ぼんやりとした陽炎の向こうから、船のような物が多数見えた。


「!?」


 ここで初めて平太は自分の間違いに気づく。


 陸の輪郭に紛れて、何隻もの船が横に並んでこちらに向かっているのだ。


 また海賊か、と平太は警戒したが、そうすると数からしてかなりの大規模集団だ。こちらもそれなりに大きな船だから、それ相応の頭数を揃えて狩りに来たのかもしれないが、それにしては数が多すぎる。


 次に想定されるのが、軍である。


 仮に今見えているのがどこかの大陸だとすれば、この船の現在位置は互いに目視できる距離にあると推定できる。


 となれば、明らかに領海侵犯と受け取られても仕方ない状況ではないか。


 おまけにこの船は現在舵を失っており、潮の流れに任せた漂流状態である。正規の航海ルートから外れた単独の大型船は、怪しさ爆発の不審船だ。


「ヘイタ様、どうしましょう……?」


 シズの不安な声に、平太は我に返る。どうする、と言われても、今この船にできることはたぶん何もない。そして平太も何ができるわけでもない。


「そうだ、とりあえずみんなに知らせよう」


 自分には何もできなくても、ドーラたちなら何か名案が浮かんだり対処法を知ってるかもしれない。ようやくそこに考えが至り、平太はシャイナたちを探しに駆け出そうとする。


 が、すぐにその足が止まった。自分が皆を探しにここを離れれば、シズを独りで残してしまうことになる。船はまだかなり距離があるように見えるが、ろくに動けないのに置いて行かれたら相当不安になるのではなかろうか。


 だがそんな平太の心配する顔を見て察したのか、シズはきっと表情を引き締めると、


「わたしは大丈夫ですから、ヘイタ様は早く皆さんにこのことを伝えてください」


 決然と言い放つシズの言葉に、平太は弾かれたように駆け出した。


「すぐ戻るから、心配しないで待ってて!」


 そう言いながら、今度は全力で走った。まずは所在の明確なドーラだ。平太は操舵室へと走った。


 走り去る平太の背中を見送りつつ、シズは小さくつぶやいた。


「待ってます……ずっと」


 その声は独り言のように小さく、やはり平太には聞こえなかった。



 操舵室でドーラを、客室でスィーネを捕まえ、さんざん船内を走り回って船倉で馬の面倒を見ていたシャイナを引っ張って平太が甲板へと戻ってくると、船はもう肉眼ではっきりと見える距離にまで近づいていた。


「ありゃあ、ずいぶんいるねえ」


「どちらの船でしょう? 国旗も軍旗も掲げていないようですが、少なくとも正規軍ではないのでしょうか?」


 ドーラは右手の平を額に当てながらのん気に、スィーネは目を細めて眉間に皺を刻んで言う。ただし二人とも手には杖や鈍器を持っていて、一応の臨戦態勢は持っていた。


 一方シャイナは鎧を着る暇もなく、剣と盾だけ引っつかんで甲板へと駆け上がってきた状態であった。


 しかしまだ相手が敵だと判明したわけでもなく、仮に軍隊や海上警備の船だとしたら、無闇に敵意を見せるのは得策ではない。


 どちらにせよ今から逃げられるわけでもなく、主導権はあちらにあるわけで、平太たちはただ相手が敵でないことを祈りつつ待つしかできなかった。


 平太は念の為にシズを客室まで運ぼうかと提案したが、みんなと離れたくないと希望したので仕方なく本人の意志を尊重することにした。


 何かあった場合、今度こそ平太は死ぬ気でシズを守ろうと決意した。


 そうこうしているうちに船隊はさらに近づき、船に掲げられている旗がよく見えるようになった。


 船には、赤地の布に黒竜が剣と盾を構えている模様が描かれていた。当然、平太にはどこの国のものなのか以前に、国旗なのか軍旗なのか、はたまたただの飾りなのかすら判らなかった。


 それはドーラやスィーネも同じようで、船隊がどこの所属なのか判別できずに戸惑っているようだった。


 ただ一人、シャイナだけが、


「あれはスキエマクシの旗――まさか……」


 と難しい顔をして船の旗を凝視していた。


 それからアナスケーパ号が五隻の大型船に取り囲まれるのに、そう長い時間はかからなかった。

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