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ニートの俺が勇者に間違われて異世界に  作者: 五月雨拳人
第二章
30/127

平太、咆える

     ◆     ◆


 先に斬りかかったのはシャイナだった。


 過剰な人数でシャイナたちを取り囲んだせいで、すし詰め状態になっていた海賊たちは思ったように動けず、シャイナの剣の餌食となった。


 結果的に、柱を背にした状態は守るに易く、身動きも取れないほど固まった海賊を斬るのはさらに容易かった。


 おまけに海賊たちは攻撃の連携が取れておらず、誰かが奇声とともに斬りかかろうとすると、それにつられて両隣の海賊が斬りかかろうとしてぶつかってしまう。それだけならまだ良い方で、運の悪い海賊は接触した味方に斬りつけられて負傷してしまう。


 シャイナは味方に腕を斬られて痛みのあまり甲板を転がっている海賊に、容赦なく剣を突き立てる。


 スィーネは狭い戦場にも慣れているのか、普段なら振り回すはずの戦鎚メイスを両手で短く構え、先端の重い箇所では殴り、柄の鋭くなっている箇所は突くと使い分けていた。


 こうして、わずかな間に十人の海賊が倒された。それでもまだ二十人以上がシャイナたちを取り囲んでいる。


「何ぐずぐずしてやがる! 相手が女だからって油断しすぎだ。それよりもまず男の方を狙え!」


 人垣の後方でふんぞり返っていた海賊の頭が、不甲斐ない手下を怒鳴り散らす。しかしその一言で欲望のままに女を狙っていた海賊たちの狙いが、この中で一番戦闘力が低い平太に向いてしまった。


 弱肉強食の戦場では、自分より強い相手に立ち向かう勇敢なアホほど早死する。戦場で生き残るコツは、“勝てる相手とだけ戦う”ことだ。


 雄叫びを上げながら、海賊たちが平太に迫る。シャイナたちが人数を減らしたせいで、過密だった囲いが少しずつまばらになって動きやすくなってきていた。



 一度に複数の海賊に斬りかかられ、平太は戸惑う。手に持つ小刀は武器としては少し頼りない。かと言って大勢がひしめく中で大剣は自由に振り回せない。


 それに仮に振り回せたとしても――


 平太は背負っている大剣をちらりと見る。


 レクスグランパグルの強固な殻をデギースが見事に鍛え上げ、その切れ味は鋼の剣にまったく引けをとらない。


 だが今は、その刃の部分は革の覆いによって封印されている。剣で言うと鞘に入っているようなものだ。


 これでは人は斬れない。


 迷いが平太の攻撃を鈍らせ、刃物に対する恐怖が防御の精度を下げた。平太は身体のあちこちを斬りつけられるが、辛うじて致命傷を受けていないのはレクスグランパグルの鎧のおかげだった。鋼に勝る硬度の殻でなければ、そして海賊の武器が切れ味重視の曲刀でなかったら、平太は今ごろ手足を二三本失っていただろう。


 さらに強いて言えば、海賊の攻撃は稚拙も良いところだった。


 常日頃、一流の戦士であるシャイナに鍛えられて目の肥えた平太から見ると、海賊の剣撃は剣と呼ぶにもおこがましいほどの腕前だった。


 これならまだ自分の方がましではないかと思えるほどだ。事実これが訓練でお互い木剣を使っているのなら、平太の方が強いであろう。では何故いま平太は苦戦しているのか。


 それは、海賊と平太では歴然とした差があるからだ。


 海賊は人を殺したことがあるが、平太はない。


 単純に経験の違いと言ってもいい。訓練ばかりで実戦経験が少ない平太よりも、訓練などしたことないが幾つもの実戦を経験した海賊の方が戦闘力は上なのだ。


 一の実戦は、百の訓練に勝る。


 どのジャンルでも似たようなことが言われているであろうが、これは剣の世界でも共通する。


 平太の戦闘力を10とすれば、海賊の戦闘力は5か6といったところである。だが互いに真剣を持たせると、海賊の戦闘力は一気に20に跳ね上がる。それくらい木剣と真剣は扱う技術も心構えも違うし、何より覚悟と経験の差は大きいのだ。


 殺る気満々で斬りかかってくる海賊に対し、平太は腰が引けた状態で防戦一方になっている。真剣が与える恐怖は、魔物との戦いとはまた違う圧力を平太に与え、彼の動きをぎこちないものにしていた。


 海賊の剣が鎧に当たるが、曲面によって刃が流れて威力が削がれる。デギースの技術による賜物なのか、グランパグルの殻の高い硬度によるものなのか、とにかく辛うじて平太は致命傷を免れている。


 それでもいくつかの攻撃は鎧の隙間を縫うようにして通り、浅くはあるものの着実なダメージを与えていた。


 刃が肉を切り裂く痛みに、平太の中の本能がさらに刃物に対して怯える。頭ではわかっていても、向けられる殺意と凶器にどうしても及び腰になってしまう。


 魔物と戦う恐怖には打ち勝ったはずなのに、どうして人と戦うのにこれほど躊躇するのか。平太は思い通りに動いてくれない自分の身体に怒りを憶える。


 だがどれだけ歯を食いしばって力を込めても、どれだけ血を流して危機を感じても、手に持った小刀は武器としてではなく相手の攻撃を受ける盾としてしか使えず、斬り込むための一歩は足がすくんで踏み出せなかった。


 このままでは殺られる――平太が自分でも驚くほど冷静に状況を判断していると、


「うわ、何だこいつ!?」


 突然海賊たちが作った包囲網の後方から、混乱したような叫び声が上がった。


 見れば、海賊たちはどこからか現れた大型の肉食獣に驚いている。中には爪でやられたのか、背中が見るも無残に引き裂かれた海賊がおびただしい血を流して倒れている。


 シズだ。その少し離れた所にはドーラもいる。


「おっしゃあ、よく見つけたシズ。偉いぞ!」


 安否が気遣われていたドーラの無事が確認でき、シャイナのテンションが上がる。すぐさま進行方向をドーラに向けて転換し、行く手に立ちはだかる海賊どもを次々に斬り倒していく。


 鬼神の如きシャイナの勢いに、海賊たちの包囲にわずかな隙間ができる。それがドーラとシャイナを繋ぐ一本の線になったとき、


「ドーラ!!」


 シャイナがドーラに向けて彼女のワンドを投げつける。杖は回転しながら放物線を描き、見事ドーラの手の中に収まる。ロングパスが通った。


「げ! あのチビ魔術師だぞ!」


「魔法を使われたら厄介だ。呪文を唱えさせるな!」


 さすがにいくつも修羅場をくぐっているだけあって、海賊たちの判断は速く的確だった。杖を持ったドーラを見た瞬間、近くの海賊たちが目標を変更してドーラに襲いかかる。


 だが、


「邪魔はさせねえっつんだよ!」


 呪文を詠唱中の魔術師に敵が群がることは当然であり、それを守るのが戦士など壁役の務めだ。そしてことドーラの護衛に関しては、シャイナの右に出る者はいない。


 シャイナは盾と剣、そして己の大きな身体を使って文字通りドーラの壁となる。シャイナの背後は今、この戦場で最も安全な場所であり、呪文の詠唱が完了した時には最も危険な場所でもあった。


 ドーラとシャイナが海賊の多くを引きつけてくれたおかげで、平太たちの負担はずいぶんと軽くなった。特にスィーネは囲まれさえしなければ海賊など問題にならない。そしてこのままではジリ貧間違いなしだと思われた平太にも、大型肉食獣と化したシズが加勢に現れ、これでひと安心かと思われた。


 だが、最初はシズの姿に驚いていた海賊たちであったが、じょじょに攻撃が大したことないのがバレて圧されるようになってきた。


 仕方あるまい。シズは馬に化ければ馬と同じ能力を得るし、虎に化ければ虎と同じ能力を得る。だが馬のようにただ走るだけならまだしも、虎と同じ戦闘力がつくわけではない。あくまで中身はシズなのだ。あの臆病で、泣き虫の少女に動物の身体能力が付随するだけである。


 つまり、外見は虎だが中身は子猫みたいなものだ。


 それでもシズは苦戦する平太を助けようと懸命に前に出た。中身はシズでも、虎の爪と牙はそれだけで強力な武器だ。がむしゃらに振り回すだけでも、海賊を牽制するには充分である。


 だが、中身がシズだということが裏目に出た。


「ヒャハァッ!」


 見た目猛獣のシズよりも、ひと目で弱いとわかる平太を狙った方がいいと判断した海賊の一人が、雑魚特有のかけ声をかけながら平太に斬りつける。


 平太がその奇声に気づいたときには、すでに海賊の刃が目前に迫っていた。


 危ない。そう思った瞬間、平太の視界を黒い影が覆った。


「ギャゥッ!」


 平太の耳に届いたのは、自身を斬り裂く刃物の音ではなく、シズの悲鳴だった。シズは虎の姿で平太に抱きつくようにして、海賊の刃を自身の背で受けていた。


「グルルルルルルル…………」


 それでもシズは平太が無事であることを見て取ると、安心したように平太の肩に顔をうずめ喉を鳴らす。


 虎と化したシズの巨体を抱きとめつつその背中を見て、平太の顔から血の気が一気に引く。


 深い。虎の厚い毛皮がある程度防御してくれていたとはいえ、思い切り斬りつけられた傷口は皮と脂肪を越えて筋肉にまで届き、すぐに溢れ出る血で見えなくなった。


 ごぽっと音を立てて血が流れ、傷口から下の縞模様が真っ赤に染まる。平太は足に力が入らなくなって、シズを抱きとめたまま地面に膝をついた。


「あ……ああ……そんな……」


 思うように声が出ない。頭が上手く回らない。辛うじて理解できるのは、シズがとんでもないケガをしてしまったことと、


 それが自分のせいであるということだ。


 腕に抱いたシズの身体から、力が抜けていくのを感じる。さっきまで喉を鳴らしていたのが、今は苦しそうな呼吸に変わっている。


 何より、シズの身体がみるみる冷たくなっていく。


 血が止まらない。


 止められない。


 どんどん流れでていってしまう。


 このままでは


 シズの命も


「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!!」


 ブチ切れた。


 海賊にではない。


 こうなった原因の自分の弱さにだ。


 平太はシズを静かに床に横たわらせると、小刀を鞘に収め、背中の大剣を抜いた。


 平太の咆哮にはわずかに驚いただけの海賊たちであったが、大剣のその巨大さと見たこともない形状には、大きな動揺が走る。


 平太は大剣を両手に持って構える。


 狙うは、シズに傷を負わせた海賊。


 殺してやる――頭はそのことで埋め尽くされていた。


 だがそれでもまだ、刃に覆いがされていた。


 平太は泣きながら咆える。


 ここまできても、自分の弱さを越えられないことが死にたくなるほど情けない。


 それでも怒りに任せて大剣を振るった。


 自分に向けるべき怒りを海賊にぶつける。完全に八つ当たりだが、今の平太にはそれしかできなかった。


 渾身の力をもって振るわれる大剣の一撃に、剣で受け止めようとした海賊が剣を叩き折られた上に攻撃をモロに受けて腕の骨を折られた。骨の折れる感触が剣を通じ、平太の掌に伝わる。


「ぎゃあああああああああああああっ!!」


 あらぬ方向に腕が曲がった海賊が、たまらず悲鳴を上げて床を転がる。仲間の無残な姿に海賊たちがおののくが、平太はそれを無視して大剣を振り続ける。こいつはシズを傷つけた奴ではない。


 平太の尋常ならざる咆哮に、シャイナとスィーネが気づいた。見れば、狂ったように大剣を振るう平太の周囲は、海賊たちが一定の距離を取って取り巻いていて、環状の空間ができていた。そこから覗く血まみれの虎の姿に、スィーネが慌てて駆け寄る。シャイナはドーラの援護のために動けない。


 我を忘れた平太のでたらめな攻撃も心配だが、今はシズの怪我の方が深刻だった。スィーネは急いで回復魔法の呪文を唱えるが、傷が深くてなかなか血が止まらない。


 このままではシズが失血死してしまう。迫る仲間の危機に焦りが募るが、ここで集中を乱しては神の奇跡の効果が薄れてしまう。スィーネが自身を落ち着かせようと大きく深呼吸したそのとき、


 目の前を、何かが通り過ぎた。


「え……?」


 慌ててスィーネが目で追う。見ると、何やら革でできた帯のようなものが甲板に転がっていた。


「あれは……」


 どこかで見たような、とスィーネが一瞬記憶の中をたどっていると、


「ぐわっ!」


 海賊の一人が平太の大剣に腕を斬り落とされた。


 そいつは、シズを傷つけた海賊だった。


「へ?」


 平太は我が目を疑ったが、その手に伝わった刃が肉を斬り裂く感触は、紛れも無く本物だった。


 新たに起こった悲鳴と血しぶきに、乱戦状態だった戦場に一瞬の空白が生まれる。


 その空白に、ぼとり、と音を立てて甲板に腕が落ちる音が響いた。


「いでええええっ! 俺の腕がっ! うでがああああああああああっっ!!」


 腕を斬り落とされた海賊が泣き叫ぶ。ぼたぼたと流れ落ちる血と、心臓の鼓動のようにびゅっびゅと飛び散る血で見る見る甲板に血溜まりができる。


 平太はぼんやりと手に持った大剣を見やる。


 いつの間にか、刃に被せてあった覆いがなくなっていた。


 刃にこびりついた血を見た瞬間、海賊の腕を切断したときの感触が脳裏に蘇り、


「うっ……!」


 胃が裏返るようなもの凄い激痛に襲われた後、中身が全部逆流してきた。


「うぼぁぁぁぁぁぁ……」


 平太は激しい嘔吐感に耐え切れず、胃の中の物をすべて吐いてしまう。手で口を押さえて止めようとするが、逆流の勢いは激しく逆に鼻から噴き出してむせ返ってしまう。


 自分の吐いたものにむせ、涙を流しながら咳き込む。胃液の酸味が鼻の粘膜を刺激し、気持ち悪さが倍増するが、むせて咳き込んでいるため呼吸がままならない。胃の痛みとむせ返る苦しさと、初めて感じた人を斬る感触の気持ち悪さと罪悪感に平太は気が遠くなる。


 ついには甲板に膝を着き、這いつくばるようにして吐き続けた。


 身体から届く苦痛の情報が、平太の脳を混乱させる。だがそれよりも、様々な疑問が平太の脳内を埋め尽くし、胃液と溶けて交じり合い、不快な吐瀉物のようにびちゃびちゃに満たした。


 どうしてこうなった。


 いつの間に剣の覆いが外れた。


 何故自分はこんなに動揺している。


 シズを傷つけた海賊だぞ。


 殺すつもりだった。


 なのに


 苦しい。


 息ができない。


 逆流する胃液が喉を焼き、痛みでさらにむせ返る。肺が引きつったように痙攣し、思うように呼吸ができない。地上で溺死しそうな苦痛が混乱を加速させる。


 平太が喘ぐように咳き込む声に、腕を切断された海賊の悲鳴が重なる。腕が、俺の腕が、野郎ぶっ殺してやると呪詛の言葉を吐き散らす。


 うるさい。お前なんか死ねば良かったんだ。


 涙で視界が滲む。


 死んでいれば


 殺したのは自分になる。


 内臓が絞り上げられるように痛んだ。もう何も、胃液すらすべて吐き出したはずなのに、さらに嘔吐せよと身体が命じる。


「てめえら、何ボーっと見てやがる! 仲間がやられたんだ! さっさと仇を討ちやがれ!!」


 海賊の頭がいち早く冷静さを取り戻し、凄惨な光景に我を忘れていた海賊たちに指令を飛ばす。


 しかしそれまで飾りと思って油断していた大剣の凄まじい威力を目の当たりにして、今度は海賊たちが及び腰になっていた。


「なにビビってやがる! 相手は人を斬ったこともねえド素人じゃねえか! ゲーゲー吐いてる今がチャンスだ。そいつをぶっ殺した奴には褒美として、どれでも好きな女と最初にヤらせてやる!」


 そのひと言で、海賊たちの士気がアホみたいに上がった。見事なまでに思考が股間と直結してる海賊たちに、シャイナとスィーネはうんざりとした顔をする。


 だがすぐに表情を引き締めて、本気になった海賊たちを相手にするべく構えを取る。


 目を血走らせて鼻息を荒くした海賊たちが、一斉に平太へと躍りかかる。これはさすがに自分だけではどうにもならないと、スィーネはシャイナに救援要請の視線を送る。


 が、シャイナは苦しそな表情を返す。今この場を離れれば、呪文の詠唱に集中しているドーラが無防備になる。そうなったらいとも簡単に海賊に殺されてしまうだろう。


 シャイナが動けないのをすぐに察し、スィーネは覚悟を決める。こうなったら、自分一人でやるしかない。スィーネが短く持ったメイスを、振り回しやすいように長めに構えたそのとき、ドーラの詠唱が終わった。


 がくん、と突然海が荒れたように大きく船が揺れ、海賊たちの足が止まる。


「な、何だありゃあ!?」


 船の縁にいた海賊が海の方を見て驚愕の声を上げる。


 その声に釣り込まれるように他の海賊たちが一斉に海の方へ視線を向けると、皆一様に呆然と口を開けて間の抜けた顔になった。


 海が荒れていた。


 正しくは、海から無数の水柱が立っていた。


 船の周囲を取り巻くようにして無数の渦が現れたかと思うと、渦が勢い良くせり上がって海水の柱となる。


 水の柱に取り囲まれる形となった船は、無数の渦が発生させる海流に弄ばれるようにぐらぐらと揺れた。


 突然起こった怪奇現象に、海賊たちが我を忘れて立ち尽くす。こんな奇妙な光景、恐らく誰も見たことはないだろう。当然だ。こんなもの、自然現象であるはずがない。


 ドーラだ。


 ドーラの長い呪文詠唱が終わり、魔法の効果が現れたのだ。


 エーンの村で天候を操作し、雷雲を発生させて雷を落としたかと思うと、今度は海流を操作して竜巻のような水柱を生み出した。しかも多数同時に。


 さすが亜人でありながら宮廷魔術師にまでなっただけはある。実力だけで言えば、恐らくあの宮廷で一二を争うほどの実力であろう。


 なにしろ勇者の召喚ができるほどだ。それだけでも実力は折り紙つきである。


 ドーラはいきなり水柱が現れて混乱の最中にある甲板に向けて、勢い良く杖を振り下ろす。


「てやっ」


 その軽いかけ声とは裏腹に、水柱の一つが唸りを上げて海賊の一人に襲いかかる。海賊は気づいた時には渦巻く海水に飲み込まれ、がぼがぼ言いながら海に落とされた。


 まるで海水でできた大蛇に飲み込まれるようにして海に消えた仲間の姿に、海賊たちが今さらながら自分たちがとんでもない相手を獲物に選んでしまったのではないかと気づき始める。


 だが時すでに遅し。試し撃ちのような一撃が無事成功すると、ドーラは気を良くしたのか「よーし、じゃあ一気にいくよー」と杖を頭の上でぐるぐる回した後、「とりゃー」とやっぱり軽くかけ声をかけて振り下ろした。


 すると船を取り巻くように立ち並んでいた海水の柱たちが一気に海賊たちに襲いかかり、瞬く間に甲板から海賊たちを一掃してしまった。



 終わってしまえば、何と呆気ないことであろう。あれだけいた海賊たちも、今やひとり残らず海の中である。さすがに海賊でありながら海で溺れて死ぬような間抜けはいないだろうが、船はかなり沖の方に来ていたので陸まで泳ぐには少しばかり骨が折れるだろう。まあ自業自得なので同情する気持ちは欠片もないが。


 しかしこれで危機が去ったわけではない。甲板では平太が過剰な嘔吐による呼吸困難で白目を剥いて倒れている。


 だが今は彼の介抱など後回しだ。せいぜい自分の吐瀉物で窒息しないように横向きに寝かせておく程度だ。


 スィーネはシズの治療に専念していた。いや、せざるを得ないと言った方が良いだろう。何しろシズの傷は深すぎる。今も必死に治癒魔法で傷を塞ごうとしているが、このままでは傷口が塞がる前に失血死してしまうかもしれない。


 突然虎の身体が変化を始め、ゆっくりとシズ本来の姿に戻っていく。何事かと思ったが、恐らく失血によって失神したために変身が解けたのだろう。


「このままでは危ないですね……」


 珍しくスィーネが弱音を吐く。それほどにシズの背に刻まれた傷は深く長く、流れる血が彼女の裸身を真っ赤に染めている。


「あわわわわわわ……どうしよう、どうしよう……」


 ケガ人とおびただしい血を前に、ドーラが慌てふためく。魔術師と言えど、ケガや病気の治療は専門外のようだ。今はおろおろしながら荷物の中から何か役に立ちそうな物を片っ端から取り出している。だがよほど慌てているのか、枕や衣類など見当違いな物ばかり出てきて邪魔なことこの上ない。


 その点シャイナはよくわきまえている。自分に何ができ、何ができないのか。今がどういう状況で、自分は何をするべきかというのを的確に把握し、実行している。さすが優秀な戦士であり、狩人といったところか。


 実際にシャイナが何をしていたかと言うと、船内を虱潰しにして残った海賊を殲滅していたのだが、血生臭い話なので割愛しておく。


 ちなみにシズは、ドーラがもしもの時のためにと用意しておいた薬草のおかげで、何とか一命を取りとめた。


 そしてすべての海賊を駆逐した後で、誰がこの船を操縦するのかということに気づいたが、すべては後の祭りであったし、海賊を残しておくと不安も残るのでやっぱりそうするしかなかったという結論に至った。



 船は大海原を行く。


 行く先は誰も知らない。

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