ドーラリベンジ
◆ ◆
教会での一件で、ドーラは長年の悩みから自分なりの答えを見つけたようで、その日の夕食からそれまでの分を取り返すかの如く食欲が戻った。
自慢の手料理を残さず食べてくれるようになり、シズにも笑顔が戻った。――のは良いのだが、色々振り切れて前向きになり過ぎたのか、
「やっぱり、魔物を退治しよう」
と、ドーラが唐突に言い出した時は全員呆気に取られて何も言えなかった。
「魔物って?」
「エーンの村の魔物だよ。結局調査も何もしないまま帰って来ちゃったからね」
おかわりを差し出しながらシズが質問すると、それを受け取りながらドーラは答える。
「おいおい本気かよ!? お前、あの村であった事を憶えてねーのかよ!?」
テーブルを叩き壊す勢いでシャイナが両手をついて立ち上がるが、ドーラの決意に満ちた表情は1ミリも揺るがなかった。
「まさか。忘れるわけないじゃないか。でもそれとこれとは話が別だよ」
「別なのですか?」とスィーネ。
「あの村が一度魔物の被害に遭って、その魔物が今現在も野放しになっているという現実に変わりはないよ」
「だけどよお、そりゃ領主の仕事じゃねえのか? 何もドーラがやらなくても――」
「十年もほったらかしにするような領主が、今さら横から何か言ったところで行動するとは到底思えないよ。それに、最初に何かすると決めたのはボクなんだ。それを相手の態度次第でやらないというのは、見返りを期待していたみたいで気分が悪いじゃないか」
言い終えると、ドーラは受け取ったおかわりをもりもり食べ始める。まるで今から精をつけて、再度の旅に備えると言わんばかりだ。
「やべえ……始まったぞ。ドーラのクソ真面目なこだわりが……」
力の抜けたように椅子に座り、シャイナはもう駄目だと掌で目を覆う。
「こうなってはもう誰が何を言っても無駄ですね……」
スィーネも諦めたように目を閉じ、片手で聖印を切る。どうやら本当に何を言っても無駄のようだ。
「それで、これはボクのただのわがままなんだけど……」
さっきまでの気迫が嘘のようにしおらしくなったドーラに向けて、シャイナは開いた掌を突き出して言葉を制する。
「わーってるよ。一緒に来てくれって言うんだろ? みなまで言うなよ」
「シャイナ……」
「そもそもお願いすること自体が水臭いですよ。わたしたちが断るとでも思ったのですか?」
「スィーネ……」
「俺もいいぜ。魔物退治は勇者の仕事だしな」
「ヘイタ様が行くのなら、当然わたしもご一緒します」
「ヘイタ、シズ……。みんな、ありがとう」
ずずっと鼻をすすりながら、ドーラは袖で目元を拭う。嬉し涙を隠してにっこり微笑むと、照れ隠しのように再び夕食をかき込み始めた。
こうして、再びエーンの村を訪れることが決まった。
それから五日。
一行は再びエーンの村を見下ろす丘にたどり着いていた。
遠目で見る限り、村に変わった様子は特に見られない。あれから二十日も経っていないので当然と言えば当然か。
「どうする? 村に向かうか?」
丘の頂上で村を眺めていたドーラに、シャイナが馬を寄せて尋ねる。
「無闇に村人を刺激するだけだし、やめとこうか」
「そうだな」
以前そうとは知らず刺激して、半ば暴徒と化した村人に殺されかけたので、ここは大事を取って村には近づかないことにする。
今回は当初の目的通り、魔物の調査をしてその結果だけを報告しようという線で話は決まった。
「さて、どうしたものか……」
シャイナが狩人としての眼で丘の上から地形を見て、どこに魔物が潜んでいるか、あるいはどこにねぐらがあるのか当たりをつける。
「どう? 何かわかる?」
ドーラの質問に、シャイナは「う~ん……」と渋い顔をする。
「何しろ十年も前の話だからなあ。そいつが今もこの辺りにいるっていう保証もねえし、どういう魔物かってのもわからねえんじゃ雲をつかむような話だぜ」
「そうか……」
せめて魔物の種類でも聞いておけば良かったのだが、今さら後悔しても遅い。とにかく今は持っている駒で何とかするしかない。
「とりあえず、ねぐらになりそうな場所は何ヶ所か見つけた」
それなら、と気が早るドーラをシャイナは片手を上げて制す。
「今日はもう昼を過ぎちまってるから、あたしらもねぐらを探さねえと。探索は明日の朝からにしよう」
前回と違い、今回は村での宿泊はできない。となると野宿になるわけで、そのためには日が落ちる前にねぐらを確保しなければならないのだ。
シャイナの判断で、一同は一度街道へと戻ることにした。街道に近い場所なら視界も開けているし、野盗や魔物の襲撃など万が一の事態が起こっても対処しやすい。
その夜は街道を少し外れた木陰で休むことにした。旅籠の宿に泊まる旅に慣れた一同に、地面に厚布を引いただけの固い寝床は痛くて寝苦しかったが、誰も文句を言う者はいなかった。
翌朝。日が昇るのと同時に起き出し、本格的な魔物の探索が始まった。
村長の話を思い返し、そこで得られた情報を元に、恐らく魔物は単独、多くても二三頭。大きさは中型から大型というところまでは何とか絞れた。
「それでもかなり漠然としてるじゃねえか。ったくやってらんねーぜ」
口ではそう言いながらも、シャイナの探索は真剣そのものだった。鬱蒼と木々が茂る森に分け入り、平太やドーラたちでは見逃して当然の足跡や爪跡を見つけては、その深さや古さからいつどんな動物がそこを通ったのか推測する。
時には地面に這いつくばるようにして情報を探し、挙句には落ちてる糞を手でいじくり回して何をいつ食ったかまで調べた。
しかしそこまでやっても芳しい成果は上がらず、魔物のまの字も見ないまま時間だけが過ぎていった。
四日目の夜。一向に成果の上がらない行動は、体力よりも精神力を暴力的までに削っていった。何よりシャイナの疲労は誰よりも濃く、今も食事を済ますと倒れ込むように眠りについた。
平太は何もできない分、彼女の代わりに夜の見張りを買って出た。どうせ昼間は役に立たないのだ。それなら多少寝不足になってもシャイナを少しでも休ませる方が良い。
焚き火の番をしながら、平太は考える。
悪魔の証明だと思った。
存在するものを探すのならまだしも、いるかどうかもわからないものを探すのは不可能に近い。
ましてや十年も前の魔物だ。魔物の寿命など知らないが、とっくに死んでるか他の土地に移動している可能性の方が高い。そうなったら何年探そうが見つかるわけがない。
せめて期限を決めていれば、と今さらながら思う。
終わりの見えない作業もまた、人の心をくじく。初日は食事や休憩時間に雑談す
る余裕があったが、今では皆疲労困憊で身体も口も重くなり、余計な言葉を交わす余裕がない。
このままでは魔物どころか、先にこちらが参ってしまう。もしも明日も手がかりが何もつかめなければ、思い切ってドーラに調査の打ち切りを提案しようと平太は心に決めた。
翌朝。
平太の覚悟を嘲笑うかのように、魔物が見つかった。
正確には魔物の屍骸が、だが。
シャイナが魔物のねぐらがありそうだと当たりをつけた場所をいくつか回っているうちに、本当にねぐらにぶち当たったのだ。
だがシャイナが用心に用心をしながらねぐらの中へと忍び込んでみると、そこにあったのは巨大な猫と猿を足したような白骨死体がひとつと、
それを縮小したような骨が三体分ほど散らばっていた。
大きい方の骨は、頭蓋がシャイナの身長ほどもあり、こいつにかかれば大の大人でも一呑みだろうと思った。
小さいほうはまだ生まれたばかりなのか、小型犬くらいの大きさだった。
シャイナが安全を確認した後、全員で中に入って探索してみる。シャイナとドーラが検死のようなものをすると、確実性には欠けるものの、だいたいのことはわかった。
ドーラは骨の風化具合から、死んでから数年経ったものだと判断した。大きな方が親で、小さな方が子供だというのはすぐにわかった。そして、親が死んだから子供が餓死したのだろうというのも容易に想像できた。
「……決まりだな」
「うん……」
シャイナの声には、これで終わったという安堵があったが、ドーラの声にはこれで終わったのだろうかという疑問の色があった。
この骨が本当に件の魔物だという保証はどこにもない。それに大きな方が親だとして、つがいだとしたら。もう片方はどこに行った。それに子供の方だって、全部が死んだとは限らない。一匹、いや二匹かそれ以上生き残ったという可能性は。
疑い出したらキリがない。
この白骨死体は、きっと見えない何か、それこそ神のようなものが用意してくれたキリのいい落とし所なのだと平太は思った。
そうでないと、ここで止め時を見失うと本当にキリがなくなってしまう。
「それで、どうします? この事をエーンの村に報せますか?」
スィーネの問いに、一瞬みんなの視線がドーラに集まる。
彼女が判断を下すほんの数瞬に、もの凄い緊張が周囲の空気に満ちるを平太も感じた。彼自身も、祈るような気持ちでたったひと言を待った。
「いや、」
戦慄が走る。調査続行か――そう皆の感情で周囲の空気がどんよりしかけたそのとき、
「このことは、領主に直接エーンの村に報告してもらおう。ボクらじゃ何を言っても信用してもらえないだろうしね」
終わった。いい意味で。沈みかけたみんなの心が、ここで一気に浮き上がる。
「ですが、領主の信用も今では地に落ちているでしょう。村人たちが素直に聞き入れるとも限りませんよ?」
スィーネの懸念は至極もっともである。十年もほったらかしておいて、今さら「魔物はもう死んでいるので安心して暮らせ」と言われても、村人たちは「もう魔物はいないんですか? もう村が襲われる心配はないんですね、やったー!」とは喜ばないだろう。
「脱税をしていたのを不問にすれば、彼らだって納得はしないまでも受け入れざるを得ないと思うよ」
「領主の怠慢と村の脱税を相殺するってわけか。けど、かなり怠慢そうな領主だから、今さらそんな面倒なことしないで、もみ消すかもしれないぞ」
平太の疑問に、ドーラは「そこはちゃんと手を打つよ」と答える。
「領主としての義務を十年も放棄してたんだ。ボクがその話を王都に持ち帰ればすぐにでも査察が入る。そのことを交渉の材料にすれば、よほどの馬鹿じゃないかぎりこちらのお願いを聞いてくれるだろう」
「要は脅迫じゃないか……」
「人聞きが悪いなあ。お互い損することじゃないし、れっきとした交渉だよ。ただし、こちらが先に強いカードを切るけどね」
無邪気な笑顔でどす黒いことを話すドーラを見つつ、平太はなぜこんな見た目幼いネコ耳少女が、権謀術数はびこる宮廷で今まで生き残れたかわかったような気がした。
そうと決まれば話は早い。
証拠用の白骨をいくつか拾い、一同は魔物のねぐらを後にした。
今回の復路は、前回と打って変わって明るい旅路だった。道中は会話も弾み、旅籠ではその土地の料理を楽しんだり宿でぐっすり眠ったりした。
ただ平太だけが、何か胸につかえたように悶々としていた。
彼が呑み込めなかったのは、ドーラが言った、この件で誰も損はしないという点だ。
それは間違いである。
確かに、エーンの村の人たちも領主も損はしない。お互いの落ち度を落ち度で相殺し、わだかまりは多少残るまでも、酷い犠牲が出るわけでもない。傍から見れば妥当な落とし所だろう。
しかし、この中で唯一大損をこいている人物がいる。
ドーラだ。
エーンの村人には嫌われ、領主には疎まれ目をつけられる。そのくせ見返りは何ひとつ無く、むしろ心に傷を受けたり政治的に敵を作る始末だ。
割に合わない。
一番の功労者が一番損をしている。
復路の途中、平太は何度もその話をドーラにしようと考えた。
が、できなかった。
そんな事、ドーラはとっくに承知しているだろう。その上で、損な役回りを自ら買って出ている。
本人が承知の上でやっているのだ。自分が納得できないという理由だけで、平太が彼女にどうこう言う筋合いはない。
それにもし、平太がこの事をドーラに話したとしても、きっと彼女なら笑ってこう言うだろう。
「いいじゃないか。それで村人が安心して暮らせるのなら」
平太は大きくため息をつく。まったく、とんだお人好しだ。これではどちらが勇者かわからない。
「どうしたの? 疲れたの?」
平太のため息が聞こえたのか、ドーラが馬の歩みを遅らせて平太の横につけてきた。
平太がドーラの顔を見つめると、「ん?」と彼女のネコ耳がぴくりと震えた。
「そうだな、腹が減ったな」
言いたいことをすべて飲み込んで、平太はドーラにこれ以上余計な心配をかけないように振る舞う。
「もう少し進めば宿場町に着くから、お昼はそこで美味しいものでも食べよう」
「そいつは嬉しい話だが、この旅だけで結構散財してないか?」
「いいんだよ。せっかく外に出たんだから、たまには羽を伸ばさないと。それに、」
「それに?」
「王都に帰ったら、この骨を使って領主と交渉しなきゃいけないからね。忙しくなるよ。だから今のうちに英気を養っておかないと」
「なるほど、それもそうだな」
忙しくなるのはドーラだけなのだが、平太が笑うとドーラも笑ったので、もう何も言うことはなかった。
平太に元気が戻ったのを見て安心したのか、ドーラが列の前へと馬を進ませる。彼女の小さな背中を見送りながら、平太は心の中で決意する。
絶対に彼女を守ろうと。
そのためには、
平太は馬に化けたシズの胴体にくくりつけてある自分の大剣を見やる。結局、刃に被せた革の覆いを外すことはできなかった。
相手が人間だったとはいえ、自分や仲間が窮地だったのに。
敵を、人を斬ることがこんなに難しいことだったとは思わなかった。ゲームだと何の躊躇いもなくできたことが、現実はこんなにも躊躇われる。
弱い。
戦闘力だけではない。
心が弱い。
こんなことでは魔王の討伐なんて夢のまた夢だ。
もっと強くならなくては。
せめて自分の身は自分で守れるくらいに。
そしていずれは、仲間を守れるくらいに。
自分は勇者になるのだから。
平太は握り締めていた大剣の柄から手を離し、手綱に持ち変える。
考え事をしているうちに、ドーラたちから少し離れてしまったようだ。
シズが平太の様子をうかがうように、首を巡らせてこちらを見る。
「大丈夫。心配ないよ」
シズを安心させるように、彼女の背を優しく叩く。
平太は手綱を軽く振ってシズの背に当て、歩く速度を上げさせた。
とにかく今は進もう。
少しでも前へ。




