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ニートの俺が勇者に間違われて異世界に  作者: 五月雨拳人
第一章
20/127

魔物はどっちだ

     ◆     ◆


 村長のボーゴンの計らいで、その夜は歓迎会と称してささやかな宴会が開かれた。


 平太たちが宿として貸し与えられた一軒家に、大勢の村人たちが酒や料理を持って集まり、歓待してくれた。


 最初は警戒していた平太たちであったが、ドーラが馬鹿正直に出される料理と酒に手をつけ始めたので、シャイナたちも仕方なく飲み食いを始めた。


 村人全員が集まったのではないかと思われるくらい、宿に人が押し寄せてきた。皆それぞれ平太たちに飲み食いさせる料理や酒を持ってきていて、しかもそれが思いの外美味い。


 王都でもなかなか口にできないのではないかと思えるような料理や酒に、ドーラは「魔物の被害で大変なのに、こんなに良くしてくれて優しい人たちだなあ」と感動していた。


 宴は夜遅くまで続き、人の波が引くころにはドーラは酔い潰れてすっかり寝入っていた。


 シャイナは眠っているドーラを抱えて寝台へと運ぶと、自分は彼女の寝ている横に座り込み、寝台に背と剣を預けて膝に額を乗せて目を閉じた。


 スィーネはさりげなく入り口の反対側、室内全体が見渡せる場所に陣取り、床に毛布を敷いて横になる。


 平太も少し迷った末、彼女たちと同じ部屋の隅に座り込む。シャイナのように、武器をいつでも手に取れる位置に置いておくことにした。


 窓から月明かりが差し込み、虫の鳴き声とドーラの寝息が混じる室内で、一同はようやく休むことができた。



 それからどのくらい時間が経っただろう。


 平太がうとうとし始めたころ、


 唐突に、虫の声が止んだ。


「来たか」


「シッ」


 平太の声を、シャイナが制する。


 窓の外を人の影が一人、また一人と横切って月光を遮る。


 姿を隠しながら窓に近寄って外を窺い見ると、家の周囲を何十人という村人が取り囲んでいた。


「やっぱりなあ……」


 平太はため息を漏らす。村の入り口辺りで違和感を憶えたときから、こうなるんじゃないかと思ってはいたが、まさか今まで見てきたフィクションのベタベタな展開に自分が巻き込まれるとは夢にも思わなかった。


「まあ異世界に連れて来られる時点でもうベタベタか……」


「ん? 何ブツブツ言ってんだ?」


「いや、なんでもない。ん?」


 そのとき、平太は集団の中心にボーゴンの姿を見た。彼の元に数人の若者が駆け寄り、何事かを耳打ちすると、ボーゴンは満足そうに何度か頷いて若者たちを下がらせた。


「ああもう、何から何まで……」


 この分だと出入口はすでに塞がれているだろう。


 となると次は――


「おい、何か焦げ臭くねえか?」


 シャイナの声に、平太はうんざりする。本当に何から何まで教科書通りだ。


「恐らく家に火をかけたんだろう。出口に行っても無駄だぞ。きっともう塞がれている」


「なに!? じゃあ窓からしか出られねえじゃねえか!」


「やめとけ。出て行った途端囲まれて終わりだ」


「じゃあどっから逃げればいいんだよ!?」


「それより火が中に回るまでまだ時間がある。今のうちにドーラとスィーネを起こせ。それから頭を低くして煙を吸わないようにしつつ、装備を整えて荷物をまとめろ」


「お、おう……お前、妙に落ち着いてるな」


 こうなることを予め予想していなければ、平太など慌てふためいて足手まといだったであろう。ともあれ平太の的確な状況判断と指示に、シャイナは反論も疑問も忘れてただ素直に従った。


「なに? なにが起こってんの? なにこの煙? 火事!?」


「いいから黙ってろ! 後で説明する!」


 目が覚めたらいきなり室内が煙にいぶされていたためパニックになるドーラを、シャイナが力づくで頭を押さえ込む。


 平太の言葉通り火が屋内に入るまでは十分ほど時間がかかり、その間に武装と脱出準備は完全に終了した。


「おい、準備はできたがいつまでもこうしちゃいられねえぞ!」


 部屋の扉が焼け落ち、火の海となった廊下が見えた。火はゆっくりと室内へと伸びていき、扉側の壁はわずかな時間で火に埋め尽くされた。


 どうする――平太は必死に脳ミソをフル回転させて考える。家には火を放たれ、逃げ道は窓のみ。しかしその窓の外には待ち構えてる敵がわんさか。


 ヤバい、詰みかけてる。こうなることを読んで、先手を一つ打っていなければどうなっていたことやら。


 こんな時、こんな状況、こんなピンチ、これまで見た映画やアニメや漫画、どのジャンルでもいい、どうやって切り抜けてきた。せめて窓の外で待ち構えてる奴らの注意を逸らさないと逃げることもままならないぞ。


 思い出せ。思い出せ。思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ。


 考えろ。考えろ。考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ。


 早くしないと死ぬぞ。


「いいから言われた通り待て! 必ずチャンスは来る!」


 言いながら平太は窓側の床に大剣を突き立て、テコの原理を利用して床板をメリメリ剥がす。案の定、まだ床下にまで火と煙は来ていなかった。これなら――


「何やってんだよお前!?」


「みんな荷物を持って中に入れ!」


「は!?」


「早くしろ!」


 まだ何か言いたそうだったシャイナだが、平太の真剣な表情を見るとすぐさま言われた通りにした。ドーラたちが床下に潜り込むのを見届けると、平太も穴の中に飛び込む。


 火は床下にまで伸びてこなかったが、室内を蔓延する火の手のよって蒸し焼きにされているようで、熱と息苦しさが彼らを苦しめた。


「苦しい……このままじゃ焼け死ぬ前に息ができなくなっちゃうよ……」


「もうちょっと我慢してくれ。もうすぐ室内の酸素が足りなくなって、火は落ち着くはずだ」


 そうしている間にも、火の手はどんどん回ってきた。今や室内はほとんど火に飲まれている。


「酸素がほとんどなくなってきた……。まだか、シズ……」


 予定通り酸素が足りず火の手は収まってきたが、このままでは今度は酸欠で死んでしまう。だが今窓を開ければ、どの道待っているのは死あるのみだ。


 視界がぼやける。汗でそうなったのか、酸欠でそうなったのかわからないが、そろそろ本当にヤバい。平太がそう思ったそのとき、


「うわ、何だこの馬!?」


 外で待ち構えていた村人たちに異変が起こった。


 突然どこからか現れた暴れ馬に、村人たちが次々と蹴り飛ばされたり、体当たりを食らってもんどり打つ。


 騒ぎが騒ぎを呼び、村人たちに混乱が生じる。そのチャンスを、平太は見逃さなかった。


「今だ! お前ら、頭下げて息止めろよ!!」


 大剣を背に、平太はここぞとばかりに穴から飛び出した。くすぶっている床を蹴り、全力で走って窓に飛びつく。


 平太は意を決し、窓を全開にした。


 瞬間、酸欠状態の室内に一気に外気が侵入し、不完全燃焼していた火に酸素が追加されて爆発的に燃え上がる。その突如発生した吸引力に、平太が部屋の中央に引っ張られる。


 そして室内に大量に入り込んだ空気が熱せられ、爆発的に膨張する。


 バックドラフトだ。


 火薬が爆発したような内部からの衝撃に、木造建築などひとたまりもなかった。


 どん、という爆音とともに、平太たちのいた部屋が吹っ飛ぶ。屋根も壁も、ベニヤ板のように軽々と砕けて飛び散った。


 爆風と飛び散る家の破片の強襲に、村人たちの悲鳴が上がる。中には火の点いた木材が当たって服に引火し、火だるまになって地面を転がっている運の悪い者もいた。


 今や家の外は、混乱の渦にあった。火と煙にあぶり出されて窓から逃げ出したよそ者を、取り囲んで袋叩きにするだけの簡単な仕事だと思っていたのに、まさか家が爆発して爆弾のように襲いかかってくるとは想像もしていなかっただろう。


 そんな中、爆風ですっかり火の勢いの衰えた屋内に、もぞもぞと動く影があった。


 辛うじて原型をとどめた床下から、三つの人影がゆっくりと立ち上がる。


「やれやれ……お前ら無事か?」


「大丈夫、と言いたいところですが、服が少々焦げてしまいました」


「あの爆発でその程度で済んだのなら良かったじゃないか……」


 咳き込みながらドーラが頭とネコ耳を振ると、大量の煤が落ちた。


「そうだ、ヘイタは!?」


 自分たちは床下に避難していたから無事だったが、平太は何も身を守るものがない。あの爆発をモロに受けたのだとしたら、とても無事では済まないだろう。


 三人は慌てて平太を探す。だが周囲は爆散した家の破片や家具の燃えカスばかりで、平太の姿は見当たらなかった。


「まさか……」


 シャイナが不吉な言葉を口にして現実にならないように、言葉を飲み込んだ。


「そんな……」


 ドーラが両手で顔を覆う。最悪の想像が彼女の頭をよぎり、涙が溢れそうになったそのとき、床の巨大な燃えカスが動いたかと思うと、


「あ~クソ、死ぬかと思ったぜ……」


 煤だらけになった平太がのっそりと起き上がった。


「ヘイタ!」


 頭を振って炭や灰を払っていると、いきなり背後からドーラに抱きつかれた。だが爆発のショックでまだ朦朧とする頭のせいで踏ん張りがきかず、二人して瓦礫の散らばる床に倒れた。


「おわっ!?」


「ヘイタ、無事で良かった!」


 煤や灰で汚れることなどお構いなく、ドーラは床に転がったまま平太の背中に顔や頭をこすりつけた。


「まったく、無茶しやがって……。あんまりドーラに心配かけるなよ」


 目の前に手が差し出される。掌の先を目で追っていくと、困ったような嬉しいような複雑な顔をしたシャイナが立っていた。


 平太はシャイナの手を取り、引き起こされる。そして平太に付属するようにドーラも立ち上がった。


「あら、心配していたのは貴方もでしょう」


 ドーラの服についた汚れを手で払ってやりながら、スィーネが冷静にツッコミをいれると、


「ば、馬鹿野郎! あたしは別に心配なんかしてねえよ!」


 握っていた平太の手を乱暴に振り解いた。


「けどあたしら何で無事だったんだ? 床下に逃げたことが関係してるのか?」


「以前何かで読んだんだ。爆発は上や横方向には向かうが、下には行かないってな。もちろん真下には衝撃が行くが、少し離れた床下に避難すれば、それほど被害はないと思ったんだ」


「お前、おかしなことばっか知ってるなあ……」


「でも本当に無事で良かった。爆発したとき一緒に吹っ飛んだんじゃないかと思って心配したよ」


「大丈夫、その辺はちゃんと考えてあったさ。まあ賭けの部分は大きかったがな」


 そう言うと平太は灰や煤が積もった床の中から、自分の大剣を拾い上げた。


「あ……」


 それを見て、ドーラは平太が無事だったからくりを一瞬で見抜いた。


「そうか、その剣を盾にしたんだね」


 剣を盾に、という言葉の矛盾にシャイナが眉をしかめる。


「ああ。コイツはこうやって背負えば俺の身体がすっぽり隠れるからな。盾を背負ってるようなもんだ」


 平太が大剣を背負って見せると、言う通り本当に平太の身体が隠れてしまった。


「それよりこの爆発で奴らが混乱している今がチャンスだ。さっさとこの村から出るぞ」


 平太が外を指差す。壁に開いた大穴から見える外は、未だに混乱の様相だった。暴れ馬から逃げ惑う人々。怪我人を手当する人、運び出す人。今なら出て行ったところで、誰も気に留めないように思えた。


「村から出るって、魔物はどうするのさ?」


 この期に及んでまだ信じているドーラに、平太はどう説明したものか悩んだ。

 だが、


「馬鹿野郎! そんなモン端からいなかったんだよ!」


 直球を投げつけたのはシャイナだった。


「全部嘘だったんだよ! こいつらは魔物の被害に遭ったことにして、税をちょろまかしてたんだよ! それがバレるのが怖くて、調べに来たあたしたちを殺そうとしてんだろうが!」


 言ってしまった。


 ドーラの素直な心が壊れてしまわないか案じているうちに、


 シャイナが全部言ってしまった。


「でも……」


「今は言い争っているヒマはありません。とにかく急いでこの場を離れましょう」


 激しく混乱しているドーラには悪いが、今はスィーネの意見が正しい。この場でまごまごしている間に村人たちが冷静さを取り戻したら、平太が己の身を危険に晒した苦労が台無しになる。


「よし、とりあえず馬を取り返すぞ。厩まで走れ!」


 シャイナが走りだすと、ドーラもスィーネに手を引かれて力なく走る。


 馬のいななきと悲鳴が飛び交う中を抜け、平太たちは夜の闇にまぎれて村の中を駆け抜けた。


 ほとんどの村人が宿を取り囲んでいたためか、平太たちは誰にも見つからずにどうにか厩の近くまで来ることができた。


 ここまで来れば、後は馬に乗って村を出るだけだ。シズには予めある程度暴れたら逃げ出して、自分たちの後を追うように言ってある。


 だが平太たちが厩にたどり着くまであと少しといったところで、


「やっぱり来やがったか。先回りして正解だったぜ」


 ボーゴンの声がした。


「しまった。待ち伏せか」


 シャイナが舌打ちとともに周囲を見回すと、厩や家屋の影から武器を持った村人が姿を現した。その数ざっと、十人以上。


「身体ひとつで逃げれば命だけは拾えたものを。欲をかきやがって阿呆どもめ」


 ボーゴンは、最初に会った頃の愛想笑いとは打って変わって残忍な笑みを漏らす。もう隠す必要がないと思ったのか、言葉遣いも荒くなっていた。


「てめえ、ようやく本性現しやがったな」


 シャイナが剣を抜くと、その迫力に村人たちがわずかに後退る。だがすぐに自分たちは相手の三倍以上の数がいることを思い出し、下がった以上に前に出た。


「馬鹿な奴らよ。あのまま煙にまかれて大人しく焼け死んでいれば――いや、そもそも魔物の調査などとくだらないことを考えさえしなければ、死なずにすんだものを」


 やはり、魔物のことを調べられては拙いのだ。そしてそれは、人を殺してでも守りたい秘密なのだ。


「全部……ウソだったの?」


 よろよろと、力なくドーラが前に出る。助けに来たはずの村人に逆に殺されそうになったことが、よほどショックだったのだろうか。


「全部ではない。村が魔物に襲われたのは事実だ――」


 ボーゴンが語るには、十年前、確かに村は一度魔物の被害に遭った。畑や家畜が襲われ、村人自身にも多くの被害者が出た。だがそれ以上に経済的被害が著しく、この年は下手をすれば餓死者が出る危険があった。


 そこでボーゴンは村長としての責任を果たすべく、意を決して領主に減税を懇請しに行った。


「あの時俺は、命を捨てる覚悟で領主の館に赴いた。税を減らしてもらえなければ、その場で腹を裂いてでも約束を取りつけるつもりだった。だが、」


 だが、覚悟を決めて赴いたボーゴンは拍子抜けした。


 なんと領主はあっさりと減税を認めたのだ。


 命拾いしたことよりも、これで村から餓死者を出さなくて済むことに、ボーゴンは心から安堵した。


 しかし、それだけだった。


 領主は減税だけを認めて、魔物の討伐や調査は一切しないと言ったのだ。


 ボーゴンは懇願した。魔物が放置されたままでは村人は安心して生活できない。せめて一度でいいから村に来て調査をし、村人を安心させてくれと。


 結果は、一蹴された。


 魔物など知らぬ。だが被害が出たらその分減税してやる、と領主は言ってのけた。


「魔物の討伐は危険を伴う。あいつら貴族様は、そんなことをするくらいなら俺ら農民の税を軽くすればいいって考えだったのさ。税は他の村からでも取れる。要は、俺たちがいくら死んでもあいつらは困らないってことだよ!」


 血を吐くような怒りとともに、ボーゴンは叫んだ。


「そんな……酷い」


 ドーラの悲痛な声は、果たしてどちらに対してのものだろう。領民を見捨てた領主か、はたまた絶望の果てに領主を騙し続けた村人か。


 だがこれですべて合点がいった。


 実際に魔物の被害があったから、あの堅牢な外郭ができたのだ。


 そして囲いのおかげか魔物の気まぐれだったのか、被害はそれ以降なくなった。


 本来なら、そこで話は済んでいたはずだった。


 彼らは知ってしまったのだ。


 領主の自分たちへの態度と、


 彼らの怠慢さを。


 調べに来ないのなら、ごまかしようはいくらでもある。毎年魔物の被害が出たことにして、エーンの村は減税の恩恵を受け続けた。


 そうして浮かせた税の分だけ、村は豊かになった。村の家並みが綺麗なのと、辺鄙な村に似つかわしくない豪華な酒や料理がその証拠だろう。


 百歩譲ってそれが領主への意趣返しだとして、それをドーラたちがどうこう言える問題ではない。脱税はたしかに罪だが、先に領民を守るという領主の義務を放棄したのは向こうである。


 けれど、命を狙われてしまえば話は別である。


 いや、問題はそこではない。


 第三者を殺害してまで脱税を隠蔽しようとした時点で、エーンの村に正義はなくなっているのだ。


 正義を見失い、自分たちの利益を守らんがために、今こうして武器を手に取り囲んでいる。


「魔物はどっちだよ……」


 唸るように平太がつぶやく。


「うるさい! お前らに何がわかる! お前ら王都の壁の中でぬくぬく生きてる奴らに、領主に見捨てられ、魔物の姿に怯えながら生きてる俺たちの気持ちがわかるもんか!」


 そうだそうだ、と周囲の村人が同意の声を上げる。だが平太はとてもそうは思わなかった。


「わかるわけねえだろ馬鹿野郎!」


 逆ギレのような怒声に、さっきまで威勢の良かった村人たちが一瞬気圧される。


「なにが俺たちの気持ちだ!? 甘えんじゃねえ! だったら一揆でもなんでも起こして直接領主に文句言えよ! 脱税なんてセコい真似した上に、バレそうになったら口封じに殺そうとしやがって。要はお前ら楽していい思いしたいだけじゃねーか!」


 核心を突かれ、村人たちがおののく。だが平太の言葉はブーメランのように自分に返って来て、彼自身にも大ダメージを与える。


「どうしたヘイタ?」


 突然膝をついた平太に、シャイナが驚く。


「……いや、何でもない」


 目の前の辛い現実から目を逸らし、楽な方へばかり流されて生きてきた。その結果ニートでネトゲ廃人になった自分が、どの口でこの村を糾弾できよう。


 だが今は、今だけはそこを棚に上げよう。


 棚に上げさせて欲しい。


 何故なら、いま平太は己の憤りをただぶつけているのではない。


 両足に力を込め、膝をついた姿勢から立ち上がる。


 一歩前へ。


「俺はお前らが脱税しようが、隠蔽のために人を殺そうがぶっちゃけどうでもいい」


 さらに一歩前へ。


 平太のただならぬ迫力に、一歩下がる村人たち。


「俺が我慢できないのは、お前らを助けるつもりでわざわざこんな辺鄙な村くんだりまでやってきた俺の仲間の純粋な気持ちを、お前らが汚い心で踏みにじったことだ!!」


 背中から大剣を抜く。その異様な形と大きさに、村人たちがさらに一歩下がった。


「素直にこのまま通すなら、脱税の話は俺たちの胸の中にしまっといてやる。そうでないなら――」


 それ以上は言えなかった。


 殺してでも通る。シャイナとは違い、平太が言ったところで、それはただの言葉だ。脅しにすらならない。


「そうでないなら――どうだって言うんだ?」


 案の定、ボーゴンや村人たちには通用しなかった。向こうだって必死だ。ここで平太らをみすみす逃したら、必ず領主に密告されて殺されるのは自分たちだと知っているからだ。


「ヘイタ……」


 ドーラが手を握る。


 平太も彼女の手を握り返した。


 下がっていた村人たちが一気に前に出る。


 もう戦闘は避けられなかった。


 戦闘――対人戦。


 初めて、人を傷つける、


 否、殺すかもしれない。


 戦いの恐怖は、殺されるかもしれないという恐怖は、グランパグルやレクスグランパグルで経験していた。


 だが、人を殺す恐怖は、


 まだない。


 しかし自分がどうなろうと、仲間だけは――ドーラだけは守ると平太が腹を決めたとき、


「こうだって言ってんだよ」


 シャイナが動いた。


 一瞬で三人が腕を斬られ、武器を取り落とした。


 そのままシャイナは集団の密度が低い箇所へと駆ける。


「う、うわあああああっ!」


 疾風のように迫り来る戦士の姿に、村人が恐怖の声を上げる。


 悲鳴は連なって起こり、その数だけ戦闘不能の人間が生産されていった。


「す、すげぇ……」


 これが戦士の戦闘力か。平太が唖然と見ていると、


「死ねやぁっ!」


 隙ありとばかりに村人が襲いかかってきた。


「クソが!」


 すかさず平太も大剣で応戦する。辛うじて一撃目は弾くことができた。だがそこで命取りとは知りつつも、平太は逡巡する。


 刃に被せた革の覆いを外すか否かを。


 今はただの大きな板切れのようものだが、これを外せば大剣は一瞬で凶器と化す。レクスグランパグルの甲羅の強度は鋼よりも高く、それを研いで磨いた刃の切れ味は、並みの剣よりも鋭い。


 平太でも思い切り振れば、人の手足など簡単に斬り飛ばせるだろう。


 迷う。


 命を狙われているこの期に及んでも。


 けれど相手は迷わない。容赦なく平太に襲いかかる。


 平太は大剣を盾のように使い、防戦一方だった。背後にはドーラがいる。守らなければと思いつつ、それでも踏ん切りがつかない。


「何を迷っておられるのですか?」


 その時、スィーネの声がした。


 と同時に、さっきまで平太を攻め立てていた村人が、顔面に鈍器の一撃を食らって歯を飛ばしながら吹っ飛んだ。


「なに!?」


 見れば、スィーネが血まみれの鈍器を手に立っていた。彼女が手に持った肉叩きの親玉みたいな鈍器を勢い良く振ると、まとわりついていた血や歯やどこかの肉が地面にぱらぱらと降り落ちる。


「それとも、怖いのですか?」


「何だと?」


 スィーネは流れるような動作で村人の攻撃をかわし、すれ違いざまに鈍器の一撃をお見舞いしていく。明らかに戦闘訓練を受けた動きだ。


 華奢で繊細なスィーネには似つかわしくない凶悪な武器なのに、彼女が振るうとバトンのように優雅に見えるから不思議だ。


「怖いのは仲間が傷つくことですか? それとも、自分が傷つくことですか?」


 肉を打ち、骨が砕ける音に混じって、声にならない悲鳴が上がる。一人、また一人と顎を砕かれ、来年までスープ以外食えない身体にされた村人が生まれる。


「いつまで甘えているんです。貴方ひとりが傷ついているような顔をして。そうして誰かの同情を引きたいのですか?」


「しかし……」


 それでも、この覆いを外してしまうのにはまだ抵抗がある。いくら敵だからと言っても、相手は生きた人間である。迷うなという方が無理というものだ。


「いい加減にしなさい! いつまで悲劇のヒロインぶっているのです。だいたい、もうそんな歳ではないでしょう!」


「だ、誰がヒロインだ……それに歳は関係ないだろ!」


 聞き捨てならない言葉に平太がツッコミを入れると、スィーネは「は?」と意外そうな顔をする。


「貴方に言ったのではありません。わたしが今話しているのは、」


 そう言うとスィーネは手に持った鈍器で平太の背後を指し、


「貴方ですよ、ドーラ」


 普段聞いたことのない厳しい声で言った。


「でも……」


「でもではありません。また信じていたのに裏切られて傷ついた貴方の心中は察します。ですが、これが人間なのです。生きるために嘘をつき、他人を蹴落とし、その欲に限りはない。ですがその一方で己を顧みず、愛する者を身を挺して守る人もいる。清さと汚さを兼ね備えた、矛盾した存在なのです」


 尼僧らしく説教をしながらも、スィーネは舞うように戦う。


「そしてわたしやシャイナも、そんな矛盾した人間のひとりなのです」


「違うよ……スィーネやシャイナがこんな連中と同じなわけないじゃないか」


 いいえ、とスィーネが首を横に振る。


「そんな……」


「どうか世界に絶望しないでください。人間に幻滅しないでください。貴方が救おうとしている世界には、絶望と幻滅だけではないことに気づいてください。そして何より、貴方の周りにはわたしたちがいることを忘れないでください」


 最後は、まるで母親のような優しい口調の中に、心から信じて欲しいと訴える力強さがあった。


「そして一度助けようと決めたのなら、裏切られて殺されそうになっても投げ出さずにきちんとケリをつけてください」


 つまり助けにきてやった村人が感謝するどころか逆らってきたからって拗ねてないで、やることやってさっさと終わらせろということか。


「……わかったよ。まったくスィーネは優しくないなあ……」


 ドーラは唇を尖らせつつも、杖を振りつつ早口で呪文を唱える。


 するとそれまで出ていた月が瞬く間に雲に隠れ、夜の闇が辺りを完全に覆い尽くした。


「さあ、見せるのです。圧倒的な力の差というものを。そうすれば、彼らも無駄な抵抗をやめます。それが結果的に被害を最小限に抑えるでしょう」


 スィーネが芝居がかった口調や動作をしている間に、空の雲はどんどん勢力を増していく。やがて中にときおり光る稲光を孕んだ暗雲へと成長していった。


「すげぇ……天候操作の魔法かよ」


 平太はつい今の状況を忘れて空を見上げる。村人の中にも異常に気づき、平太と同じように上を向いている者がいた。


 嵐の直前のような黒雲が村の上空を覆い尽くすと、ドーラは頭上でくるくる回していた杖を一気に振り下ろす。


「えいやっ!」


 その杖の動きに合わせるように、平太たちの目の前で落雷が起こった。


 超至近距離で木に落ちた雷は、大気を震わせる轟音とともに巨大な質量を持って木に衝突した。


 瞬間、地震が起きたのかと錯覚するような振動と同時に、落雷を受けた木が途中の工程をすべてすっ飛ばして炭化した。


「ほいっほいっ、ほいほいほいっ」


 リズムに合わせてサイリウムを振るヲタ芸のようにドーラが杖を振ると、その通りに次々と落雷が続く。


 まるで隕石が落ちてくるかの如く襲いかかる轟音と衝撃。そして目の前で次々に炎上、炭化していく家屋や街路樹に村人たちは悪魔が降臨したかのような恐怖と混乱に泣き喚いて逃げ惑う。


「圧倒的すぎる……」


 もはやすることが無くなって完全な傍観者となった平太のつぶやきは、落雷と破壊の音と村人たちの悲鳴にかき消された。


 それからはもう、ただの作業だった。


 村人が逃げる手前に雷が落ち、牧羊犬に追われる羊さながらに一箇所に集められていく。


 蟻の群れを上から棒で潰す遊びにも似た完全なる蹂躙に、村人たちはあっさりと抵抗をやめた。


 逆らうことすら無意味と思うくらい完膚なきまでに叩きのめされ、心をバキバキに折られた村人たちは五分も経たずに集められた。


「さあ、まだやるかい?」


 精も根も尽き果ててへたり込む村人たちの前に、ドーラがこれ見よがしに袖をまくって立ちはだかる。


 答えは言わずもがなだった。


 寝込みを襲うのならまだしも、臨戦態勢になった魔術師を、しかも宮廷魔術師クラスを敵に回すなどどれだけ無謀か、身に沁みてわかっただろう。


「ボクらを襲ったことはともかく、脱税に関しては見逃せないからね。しっかりと領主に報告しておくから、そのつもりでいるように」


 厳然とドーラが言い放つと、村人たちから嗚咽が漏れる。否は完全にあちらにあるのだが、大の男たちが悲痛にむせび泣く痛ましい光景に、ドーラは心苦しそうに眉をしかめる。


「お前らさえ……」


 村人のひとりが呪詛を込めるように吐き出す。


「お前らさえ来なければ、こんなことにはならなかったんだ!! 悪いのは全部領主の野郎じゃないか! あいつら貴族が俺たちから税を吸い上げて生きてるくせに、俺たちを蔑ろにしたから悪いんだ。仕返しにちょっとばかり税をちょろまかしたってバチは当たらないだろ!」


 村人の叫びに、他の村人たちがそうだそうだと口々に同意を示す。


 拙いな、と平太は思った。


 集団心理は、悪い方向に動き出すと止めどなく最悪へと加速する。


 このままではいつまた再燃するかわからない。これ以上村人たちを刺激する前に、早々に村から立ち去ろう――そうドーラたちに提案しようとした。


 そのとき、


「よそ者が余計なことを、」


 誰かが口走った。


 厭な予感がした。


「亜人のくせに」


 平太は一瞬迷った。


 ドーラを止めるべきか、


 それとも、


 ぶちん、と音が聞こえた気がした。


 音のした方を振り返る。


「黙れ」


 シャイナが、地獄の底から響いてくるような声で言う。


「それ以上言ったら全員殺す」


 ドーラが圧倒的な戦力の差を見せつけて村人の戦意をくじいたのに対し、シャイナは圧倒的な恐怖で村人たちの心を凍えさせた。


 それが可能な人間が口にするだけで、言葉というのはここまで現実味を持って人を恐れさせることができるのか。平太は改めて、シャイナの戦士としての力や業のようなものを見せつけられた。


「――行こう」


 かすれた声で平太が皆に告げる。シャイナの迫力に当てられて、すっかり口が渇いていた。


 ドーラは一度だけ村人たちを振り返る。


 だが何も言わずに再び歩き出す。


 平太も何も言わなかった。いや、何も言えなかった。ただ黙々としんがりを歩いた。


 村を出てシズと合流しても、一同に言葉は無かった。


 誰もがひたすら、一刻も早く家に帰りたかった。


 往路に比べ、なんと暗鬱たる旅路であろうか。数日前や、エーンの村の入るまで、誰がこんな結末を予想しただろう。


 そんな中、一度だけシャイナが馬を寄せて平太に話かけてきた。


「お前、よく気づいたな」


 一瞬何のことだろうと思ったが、すぐにシャイナの言葉の意味がわかった。


「まあな。こういう話は今まで飽きるほど見たからな」


 平太はアニメや漫画などフィクションでの話をしたつもりだったが、言葉足らずだったせいかシャイナは「そうか……」と一言だけ言って馬を離した。


 その態度から見るに、彼女もたくさん見てきたのだろう。


 平太とは違って、その目で。


 最後尾から眺めると、皆うつむくように下を向いて馬が歩くに任せている。


 山の稜線から太陽が顔をのぞかせ、朝日が一同を照らす。夜明けだ。この分だと今日もいい天気になりそうだが、いくら太陽でも今のみんなの心中を明るく照らすことはできそうにない。


 人知れずため息をつきながら、平太は思う。


 苦い遠征になったものだ、と。

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