苦い遠征
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自分の武器や防具を手に入れてからというもの、平太はそわそわと落ち着かない日々を過ごしていた。
まるで新しいオモチャを手に入れた子供、というには物騒な代物だが、早く使ってみたくてたまらないといった感じがありありと身体中からにじみ出ていて、シャイナなどは苦笑いと心配が絶えない数日間だったであろう。
ある日、そんな平太の望みを叶えるような話が急に舞い込んだ。
事の始まりは夕食の際、ドーラが皆に向かって持ちかけた話がきっかけだった。
「みんな、魔王討伐の旅の予行演習として、軽く遠征してみない?」
「遠征?」
代表するように聞き返したスィーネに、ドーラは「そう、遠征」と答えた。
「ヘイタばかり長旅に備えてあれこれやってるけど、実際ボクたちもそれほど経験豊富ってわけじゃないからね。一度くらいは試しにどこか遠出しておいた方がいいんじゃないかと思ってね」
「なるほど。でもそれだと普通に遠出で良いのでは?」
スィーネの指摘に、ドーラは「にへへ」とその質問を待ちかねていたように笑う。
「それがね、いい案件があったんだよ」
ドーラが語るには、今日仕事で書類の整理していたところ、近隣の村から魔物の被害届が多数出ているのを見つけた。
調べてみると、その村は過去十年に渡って魔物の被害に遭っており、被害額も相当な額に達していた。
「ん? ちょっと待て。十年? 魔王が復活したのと計算が合わなくないか?」
「ヘイタ、魔王が封印されている間も魔物は活動してたんだよ。実際、この村みたいに被害に遭う所も少なくないしね」
「なるほど。けれど十年もほったらかしって、どういうことだよ?」
「そこの領主がいい加減な人らしくてね。本当は魔物を討伐したり調査しなければいけないんだけど、面倒だから被害分だけ減税にして、後はほったらかしにしてたそうなんだ」
「酷い領主もいたもんだな」
まあね、とドーラは少しやりきれないような顔をする。
「で、話はここからなんだけど、そのダメな領主に代わって、ボクらでその村に行って調査とか魔物退治とかしない?」
さっきの表情ががらりと変わり、今度は何かを企んでる子供のような顔をするドーラ。
「ああ、それで『遠征』なのですか」
「そう。場合によっちゃあ魔物退治になるかもしれないからね。だから遠征。遠くの者を征しに行く、と書くのだよ」
「なんだそりゃ? なんであたしらがそんなしち面倒臭いことしなきゃなんねーんだよ」
それまで夕食の方に興味を傾けていたシャイナがツッコミを入れる。
「だから、予行演習みたいなものだよ。ついでに世のため人のためになることができるなら、良いことづくめじゃないか」
「ケッ、めんどくせえ。あたしらは慈善事業で魔王を倒しに行くんじゃないんだぞ」
「それはそうだけど……」
いかにも、彼女たちが危険を犯してまで魔王を討伐しようとする理由は、言ってしまえば個人的な私利私欲のためである。
ドーラは己の地位向上。シャイナは騎士叙勲かあるいはそれに準ずる名誉と地位。スィーネは二人を支えることが目的だが、それによって亜人や女性の社会的地位向上に繋がれば良いと考えている。
そして平太はもちろん、元の世界に帰るのが目的だ。
しかしながら、動機が不純だからといって、行動のすべてが不純でなければならないという理由もない。
きっかけは不純でも、結果的に世のため人のためになるのなら、それはそれで良いではないかと平太は考える。
「別にいいんじゃないか? ついでで人助けしても。それで結果的に助かる人がいるのなら、いいことじゃないか」
平太が同意すると、ドーラは味方が増えて嬉しそうに「ねー、だよねー!」とテーブルに両手をついて飛び跳ねる。
「魔物を討伐するかはさておいて、とりあえず遠出を経験しておくのは良いかもしれませんね」
平太に続いてスィーネもドーラ側につくと、シャイナは小さく舌打ちしつつも分が悪いと見て、
「しゃーねーな……。だが手に負えない相手だとわかったら、すぐに諦めて帰るからな。そんで後のことは軍とか専門家に任せる。いいな?」
シャイナがこれ以上は妥協できないとばかりに言い放つと、ドーラは素直に「はーい」と了承した。
「あ、」
そこで平太は重要なことを思い出す。
「どうした?」とシャイナ。
「俺の馬、どうしよう……」
肝心なことに今さら気づき、ドーラが「あー……」と残念そうな声を上げる。シャイナも「しまった忘れてた」という顔で額を掌で打った。
食堂に気まずい沈黙が流れる。シャイナは先日馬を買うなら慎重に選べと言った手前、だったら明日にでも適当に買って来いよとは到底言えず、ドーラも詐欺に騙された手前この件に関して発言権はないし、スィーネに至ってはすべては神の御心のままにとばかりにフォローする気配すら見えない。
食堂に、平太が馬を買うまでこの話はなかったことになりそうな空気が蔓延する。
ドーラがその方向で話をまとめようとしたそのとき、
「あの、その村まではどのくらいの距離なんですか?」
唐突なシズの質問に、ドーラは「へ?」と呆けた声を出す。
「あ、ああ、村ね。うん、ここからざっと片道五日ってところだよ」
最後に小さく「馬でね」とつけ加える。
シズは「そうですか」と独り言のように言うと、平太の方に懇願するような顔で向き直る。
「ヘイタ様、どうぞご遠慮なくわたしをお使いください」
「いや、だけど……」
「初めてでもあるまいし、何を今さら。それに今はそんな瑣末なことにこだわっている場合ではありませんよ。ねえ?」
とシズはドーラに水を向ける。
「え? あ、ああ、うん。そう。ボクだってこう見えてヒマじゃないからね。そうそう遠出する時間が取れるわけじゃないから、できればこのチャンスを逃したくない、かな?」
しどろもどろながらも、こちらの意図を読み取って期待通りの答えをしてくれたドーラに、シズはくすっと小さく笑う。
「ね? ですから今回は特別ってことで、どうぞわたしに乗ってください」
「しかし……」
それでも決断を渋る平太に、シズは急に悲しそうな顔をして、
「それとも、ヘイタ様はわたしがいると何か都合が悪いのですか?」
「へ?」
「シャイナさんやスィーネさんの後ろに乗りたいから、わたしがいると邪魔なんですか?」
「ええっ!?」
いきなり話がとんでもない方向に逸れ、平太は狼狽する。
「ななななに言ってんだそんな馬鹿なことあるわけないじゃないか!」
「では、話はこれで決まりですね」
トドメとばかりににっこり笑うシズに、平太はもう何も言えなくなった。いや、これはもう何も言うなという意味の笑みだろう。
「……わかったよ、今回はシズの言葉に甘えさせてもらおう」
「さすがヘイタ様、話がわかります」
嬉しそうに両手をぱちんと合わせると、シズはドーラに向かってウィンクした。
「それじゃさっそく明日……はあまりにも急だから、明後日出発ということで、各自明日はその準備に当てるようにってのはどう?」
「わたしも明日休暇の申請をしてきますので、それでいいと思います」
農村を苦しめる魔物の調査に行くのに休暇を使うのかと平太は思ったが、よく考えてみればこれはドーラが勝手に始めたことで、別に領主やその村から要請があったわけではないのを思い出した。
「……完全にお節介だな」
「ん? 何か言った?」
「いや、別に……」
こうして準備期間を一日挟み、出発は明後日の朝と決まった。
出発当日の朝、平太は初めて完全武装で外に出る。何だか自分が強くなった気がして、無意味に厩の前で剣を構えたりポーズを取ってみたりする。
「おはよう」
そうこうしている間に、ドーラたちも旅支度を終えて厩に集まってきた。
シャイナの装備は前回見たのと変わりはなかったが、ドーラとスィーネの旅装束は初めて見た。
まずドーラ。初めて会った時の黒いローブの上に、日よけのためか白いケープを羽織っている。ケープは頭巾のように頭を覆えるようになっていて、彼女の特徴であるネコ耳がこれで隠せるようになっている。こうして余計なトラブルを未然に防ぐのだろう。
スィーネの衣装は、普段とあまり変わらないようだった。強いて言えば生地が高そうになったのと、太陽を元にデザインした聖印が刺繍された長衣の袖から除く手甲が少し戦闘的に見える。
シズはすでに馬になっているから全裸であった。
ドーラが勢い良く腕を振り上げて「出発!」の号令をかけてから早五日。道中取り立ててトラブルもなく、一同は件の村の近くまでやって来た。
高台になった草地から馬上のまま見下ろすと、遠くに周囲を木の柵で囲ったような集落が見える。どうやらあれが目的地のようだ。
「順調過ぎて拍子抜けするくらいだったな」
「そりゃ街道を通れば魔物に出会う方が珍しいからね」
平太の言葉に、ドーラは苦笑しながら応える。
「ただずっと馬に乗ってお尻が痛いのはどうしようもないけどね……」
普通に考えれば、よほどの強行軍でもない限り旅は街道を使うものだ。そして遠方の農村とはいえ、王都から馬で五日程度の距離ならば、街道やそれに近い大きな道はちゃんと通っている。
さらに街道と言えば交通の要である。人も馬もよく通る。つまり、多数の人馬が絶えず行き交っている場所だ。そんなにぎやかな所に魔物がホイホイ出るわけがない。出たら即刻軍や傭兵が出張ってきて退治する。でないと流通が滞り、経済的損失になるからだ。
よって街道を通って普通に旅をする限り、劇的なトラブルなどほとんど起きないということだ。ちなみに途中の宿泊だって、旅籠で宿をとっている。わざわざ野宿なんてしない。
「村の名前はなんというのですか?」
「えっとね……」
スィーネの問いに、ドーラは懐から皮紙を取り出して広げる。
「エーンっていう村だね。取り立てて名産や特産はなさそうだ」
「だったらなおさら魔物の被害は痛手だな」
「だね。早く解決してあげられればいいんだけど」
ドーラの中ではすでに魔物を退治する前提で話が進んでいるようで、平太は少し不安を感じる。
目的はあくまで遠距離移動の練習なのだ。そのついでが農村の調査であって、それが目的ではない。目的と手段を間違えて、犯さなくてもよい危険を犯すのは本末転倒というものだ。
ドーラのやる気が正義感なのか、それとも冒険に出たという興奮のせいなのかはわからないが、せめて自分は目的を間違えないように、そしていざとなれば彼女を諌められるようにしておこうと平太は密かに決意した。
見れば、シャイナもスィーネも神妙な顔をしている。恐らく彼女たちも平太と同じ不穏な空気を敏感に感じ取ったのだろう。いや、平太などとは付き合いの年季が違う彼女たちだ。この遠征が決まった時点ですでにこうなることを危惧していたのかもしれない。
平太たちは丘を下り、エーンの村へと向かった。
村に近づくと、遠目では柵だと思っていた村の外周を取り巻くものが、実は丸太を地面に隙間なく打ち込んだ堅牢な外郭だということが判明した。
「すげぇ防壁だな」
首が痛くなりそうなほど見上げ、平太がつぶやく。
王都の外壁と比べるとさすがに見劣りするが、農村の外郭としてはかなり上等な部類のものではないだろうか。
さすが十年続けて魔物の被害に遭う村だ、と平太は的外れな感心をする。
と同時に、爪の先ほどの違和感を憶えていたが、
「おい、止まれ!」
村の入り口が見えたところで、突然どこからか制止の声をかけられた。
一同が馬を止めて声のした方を見ると、丸太で組んだ櫓の中に、見張りが二人こちらに向けて弓を構えていた。
「お前ら、何者だ!?」
厳しい誰何の声に、一同を代表してドーラが答える。
「ボクはドーラ=イェームン。オリウルプスの宮廷魔術師だ。そして彼らはボクの旅の共。怪しい者ではありません」
王都から来た宮廷魔術師という言葉に、見張りたちの間の動揺が走る。二人して小声でやりとりすると、見張りの一人が急いで櫓を下りて行った。
「今確認できる者がそちらに向かう。それまでしばし待て! 決して怪しい動きなどするなよ。こちらは常に狙いをつけているからな!」
言われなくても動かないが、いささか警戒しすぎではないだろうか。いくら長年魔物に襲われ続けているとはいえ、こちらはどう見ても人間なのだ。
いきなりの不躾な対応に不機嫌になりながらも待っていると、入り口の門がゆっくりと開いた。
中から現れたのは、頭はすっかり禿げ上がってるが髭だけは売るほどある強欲そうな初老の男と、手に思い思いの武器を持った若い男が十人ほどだった。
「やれやれ、とんだ歓迎だぜ」
口笛を吹いて皮肉を言うシャイナに、平太も同意したくなる。これではまるで自分たちが野盗みたいではないか。どれだけ神経質なのだろう。これまでは村に対して同情していたが、さすがに今はその気が失せかかっている。
初老の男は集団から一歩前に出ると、
「オリウルプスの宮廷魔術師とな?」
ドーラは敵意の無いことを体現するために馬から下り、フードの下に隠していたネコ耳を露わにする。
年端もいかない少女だと思っていたのが亜人だったとわかり、若者たちの中にさらなる動揺が走る。
ざわざわと騒然となる中を、ドーラはゆっくりと歩く。そして初老の男に何やら紋様の入った金属板を差し出した。恐らく王宮から与えられる身分証明証のようなものなのだろう。
初老の男はドーラから手渡された身分証を確認すると、警戒心に満ち溢れた厳しい顔をわずかだけ緩めた。
「……たしかに、オリウルプスの宮廷魔術師ドーラ=イェームン様というのは確認しました。わたしはこの村の村長、ボーゴンと申します。して、今日はこのようなひなびた村にどのようなご用件で?」
村の代表格の男が認めたことで、平太たちの疑いは晴れた。だがそれでも若者たちの視線の中に残る警戒心か、それ以上の感情に、平太は素直に心を許すことができない。
見れば、シャイナも平太と似たような表情をしていた。一見すると自然な姿勢だが、何かあればすぐ剣を抜けるような体勢をしている。
「この村は、ここ十年続けて魔物の被害に遭っていると聞いて調査に来ました」
ドーラの言葉に、ボーゴンは一瞬驚いたように身を震わすが、すぐに気持ち悪いくらい笑顔になって、
「そ、それはわざわざ遠方よりご苦労なことで。して、その調査とやらはもしや領主様のご依頼でしょうか?」
「いや、この件に領主は関係ない。我々が独自に動いているだけだ。学術調査のようなものだと思ってもらって結構です」
領主は関係ない――その言葉を聞いた瞬間、明らかにボーゴンを始め、背後の若者たちが安堵した。
「なにホッとしてんだよ。まるで領主が来たら困るみてえじゃねえか」
不審過ぎる村人たちの態度に、シャイナが煽りを入れる。するとボーゴンは詐欺師のような嘘臭い笑みを浮かべて、
「いえいえ、ホッとしたのは貴方がたの身分が証明されたからでございます。何しろご覧の通り辺鄙な田舎の村。貴方様やそちらのお方のような、鎧や剣を身につけた方が村に近づいたら、すわ野盗の襲撃ではないかと怯えるのが田舎者の心理というもの。若い者たちが少々過敏になるのも致し方無いとして、どうかお許し願いたいものです」
それを言われると何も言い返せない。シャイナの装備はごく平均的なグラディアースの戦士のものだが、平太の鎧はデギースがグランパグルというカニの甲羅を素材にして作ったため、色も形もシャイナのものとは似ても似つかない。
おまけに平太の身長よりも長い大剣も、この世界では斬新過ぎる。しかも鞘もなく刃の部分に革を当てているだけの剥き出しの大剣である。戦士というよりは蛮族にしか見えないだろう。
「フン、まあそういうことにしておいてやるよ」
気に入らない、とばかりに地面に唾を吐くシャイナの態度を無視し、ボーゴンはドーラに向き直る。
「旅の疲れもあるでしょう。調査とやらは明日にして、今日のところはどうぞごゆっくりとおくつろぎください」
そう言うとボーゴンは若者の一人に何やら耳打ちする。若者は何度か頷くと足早にその場を去り、それを合図に他の若者たちも解散した。
「では宿にご案内いたしましょう。わたしについて来てください」
先頭に立って歩くボーゴンの後を、一同はついて歩く。
入り口をくぐって村の中に入ると、一気に視界が広がる。周囲を丸太の柵で囲われているが、閉塞感はまったく感じない。むしろ開放感すら感じられた。
道は広く、家々や建物は比較的新しい。古い建物もあるが、よく手入れが行き届いていて思ったほど悲惨な印象は無い。
道行く人々がこちらを見ている。さすがに魔物に苦しめられているせいか、村人たちの目はとても荒んでいるように見えた。中には平太たちが通ると露骨に窓を閉める家もあり、心なしか殺気のようなものも感じる。
だが時々すれ違う子供たちは魔物の被害などどこ吹く風か、楽しそうに駆けていった。
「やっぱり子供っていいよねえ」
ドーラが相好を崩す傍ら、平太とはとてもではないが楽観する気分にはなれなかった。
「おい、」
シャイナがこちらに馬を寄せ、小声で話しかけてくる。
「どうした?」
「この村、ちょっとおかしいぞ」
「だろうな」
平太が何気なく答えると、シャイナはお前も気づいていたかと少し意外そうな顔をして、すぐに表情を引き締めると、
「何か悪い予感がする」
「悪い予感? どんなだ?」
「いや、そこまではわかんねーよ。だがこの村の奴ら、妙に胡散臭ぇったらありゃしねえ」
「たしかにな……俺もおかしいと思ってるんだが、」
そこで平太は前を歩くドーラをちらりと見やる。この村に蔓延する不穏な空気を感じていないのか、はたまた旅でテンションが上がっているのか、楽しそうにネコ耳をぴるぴる震わせて村の様子を眺めている。
「……あいつはアテにするな」
「……だな」
冷静な判断力を欠いている今のドーラは、残念ながらアテにできない。なので平太は馬の首の辺りを優しく叩くと、
「――シズ、頼みがある」
目立たないように小声で耳打ちした。その間、シャイナはスィーネに状況を説明する。
シズの了解の意と取れるいななきに、平太はふうと息を吐く。とりあえず打てる手は一つ打った。後は彼らがどう動くか――
平太が事の成り行きを心配していると、前を歩いているドーラが馬を止めた。着いたようだ。
「皆様、本日はここを宿として使ってください」
ボーゴンが案内したのは、村の外れにある一軒の空き家だった。周囲に他の家はなく、見晴らしはいいが殺風景な場所だった。
「おあつらえ向きじゃないか……」
予想通りの展開に、平太は思わず苦笑とともにつぶやく。
長い夜が始まった。




