はたらくゆうしゃ
◆ ◆
スィーネに外壁補修の仕事を紹介してもらった平太は、次の日すぐにシズとともに王都に向かった。
工事責任者にスィーネの名前を告げると、あっさりと仕事が決まった。責任者はゼーネといい、五十を過ぎているとは思えない、いかにも肉体労働者といった感じの日焼けした筋骨隆々のオッサンだった。やたら声が大きいのと、熊にでも襲われてできたのではないかと思うようなデカい傷が顔面を真横に通っている以外は、気のいい人物であった。
連れて行かれた現場は、まさに壁だった。
王都オリウルプスをぐるりと取り囲む堅牢な防壁が、平太の目の前だけぽっかりと穴が開いている。
作業現場には平太の他に二十人ほど人がいて、半分が瓦礫を運ぶなどの雑務をしている。残り半分は壁に開いた穴をふさぐ職人のようで、丸太で組まれた足場を意にも介さず作業をしている。
初日に平太に与えられた仕事は、壊れた外壁の破片をただひたすら集めて運ぶ、ただそれだけであった。
体力仕事なので自分にできるかと心配していたが、日頃の体力作りが功を奏したのか何とか途中でヘバることなくやり遂げることができた。昼休みにシズが届けてくれた弁当が死ぬほど美味かった。
夕刻。日が暮れてゼーネが作業の終了を宣告すると、みな一斉に大きな唸り声とともに仕事の手を止める。
平太もキリのいいところで作業を止めると、同じように唸りながら大きく伸びをする。
腰から背中にかけての筋肉が悲鳴を上げながら伸ばされ、拷問にも似た気持ち良さが脳を駆け巡る。
終業直後は心地良い疲労感も、時間が経つごとに耐え難い睡魔へと変わっていった。平太が意識を保っていたのは町を出るまでで、屋敷に着いてシズに起こされるまでぐっすり寝てしまっていた。
こうして平太の労働初日は無事終了し、瞬く間に数日が過ぎた。
ある程度仕事に慣れると、別の仕事を任せれるようになった。
仕事と言っても、鶴嘴で壁の破片を運びやすい大きさに砕くという、結局は肉体労働である。
瓦礫を運ぶ役と破片を砕く役はシフト制になっていて、ある一定日数で役割を交代するシステムのようだ。
こうして平太の日がな一日鶴嘴を振るう日々が始まり、数日したある日、
「そういやこの穴、何で開いたんスか?」
ゼーネとの世間話の中で、ふと平太は疑問に思ったことを口にした。
王都オリウルプスをぐるりと取り巻く外壁は厚み約5メートル、高さは20メートル以上あり、王都を守護するに相応しい堅牢さを誇る。
だが平太たちが補修している箇所は、高さ約10メートルの所に直径2メートルほどの穴が開いて町の外が見えている。万が一にも魔物が中に入ってこないように、衛兵の姿も見える。
穴の断面と破片の散布状況を見るに、外側から何かがぶつかってできた穴のように思える。少なくとも、経年劣化による破損には見えなかった。
しかし、何がぶつかればこれだけの壁に穴を開けられるのだろう。そう思って漏れた言葉が、先の質問であった。
「ああ、これか。こいつは魔物が開けたんだ」
「マジすか!?」
「俺もこの目で見たわけじゃないが、見張りの奴から聞いたんだ。すげぇバカでかい魔物がもの凄い勢いで壁に向かって走ってきたかと思うと、ドーンって思いっきりぶつかって壁に穴開けて行きやがったってよ」
「その魔物はどうなったんスか?」
「さあな? 壁に大穴開けた後、また走ってどっかに行っちまったそうだ」
「穴を開けただけ? 一体何しに来たんスかねえ?」
「きっと頭がかゆかったんだろ」
「はあ?」
あまりにもくだらない答えに、平太は思わず頓狂な声を上げる。
「あながち間違いじゃないかもしれんぞ。何しろあいつらの中にはとんでもない大きさのがいるからな。森の木や山の岩くらいじゃ物足りなくて、わざわざこの壁を使って背中をかく奴だっているくらいだ」
「マジすか……」
犬や猫がアスファルトを転がって背中をかいている姿は見たことあるが、異世界の魔物となるとスケールが違う。それ以前に、イメージにそぐわない。間抜けというか、ほのぼの過ぎる。
「まあ魔物とひと口に言っても色々いるからな。俺たちより頭のいい奴から、まるっきりケモノと同じ程度の奴。今回のはきっと頭の悪い奴だったんだろう。そうでないと、穴開けたのに中に入って来ないわけないからな」
「でも、危なくないっスか? 攻め込んで来ないとはいえ、壁にこんな穴開ける魔物が町の外にいるなんて」
平太が尋ねると、ゼーネは「今さらそんなことを改めて言う奴を初めて見た」というように目を見開いて平太の方を見て、それでもその問いに真摯に答えようとゴツい腕を組んで考えると、
「そのためにこうして壁があるし、壊れたら俺たちが直すんだろう。ま、たまに壊してくれた方がメシの種になってありがたいしな」
そうぶっちゃけて豪快に笑った。
たくましいなと思った。
よく見ると、ゼーネは顔以外にもあちこち傷跡があった。刃物で斬られたようなもの、爪か何かで引っかかれたようなもの、矢か何かが貫通したようなもの、焼けた何かが当たったようなもの。明らかに工事の事故なんかじゃできない類のものがいくつも混じっている。
もしかすると、ゼーネの過去には壮絶な物語があるのかもしれない。身体中の傷がそれを感じさせる。もしかすると冒険者、あるいは魔物を狩って生活をしていたのかも。
そんなことを考えていると、ゼーネが両手を口に当てて、
「メシにすっぞー!!」
現場全体に響き渡るような大声を出した。
昼飯の時間だった。
ゼーネのひと声で作業員全員が作業を中断し、みな思い思いに昼食を摂りだす。手弁当の者、これから店に食べに行く者。
そして、妻や家族に弁当を届けてもらう者。
そんな昼飯ラッシュの中に混じって、聞き覚えのある声が響いた。
「ヘイタ様ーーーーーーーーー!」
若い女の弾けるような声に、男どもが一斉にそちらを見る。
平太とゼーネも声のする方を見ると、そこには昼飯の入ったカゴを頭上でぶんぶん振ってこちらに向かっているシズの姿があった。
「お、今日も来たな。相変わらず元気のいいこって」
にやりと笑いながら、ゼーネはゴツい肘で平太の脇腹を突っつく。
「あ~……」
平太は片手で顔を覆う。
肉体労働者たちの群れの中に躊躇なく分け入り、シズはずんずんこちらに近づいてくる。途中何人もの男に声をかけられ、その度に挨拶や笑顔を返すと、返された野郎たちはだらしなく顔を緩める。すっかりこの現場の人気者だった。
しかし男たちの顔が緩むのも一瞬だけで、すぐに人を殺さんばかりの怒りの形相となってある一点を睨みつける。
当然ながら、視線の先には平太がいる。何かされるわけではないと知っているものの、ガタイのいいガテン系の男たちにガンをつけられ、平太は毎日この時間は生きた心地がしなかった。
「おう、嬢ちゃん今日も届け物かい。精が出るねえ」
「あ、ゼーネさん、こんにちは~」
ぺこり、とシズは頭を下げる。朝は馬になって平太を王都まで運ぶと鳥になって取って返し、昼は弁当を作ってまた王都に来る。夕方また平太を迎えに来るのを含めると精が出るどころの話ではないが、本人はやけに嬉しそうだ。
「はい、ヘイタ様。今日のお弁当です」
小走りに駆けやって来ると、シズはカゴを平太に差し出した。
「シズ、頼むから外で『様』はやめてくれって言っただろ……」
カゴを受け取りながら平太が小声でシズに注意するが、
「いいえ。ヘイタ様はわたしの恩人です。こればかりはヘイタ様の頼みでも、聞くわけにはいきません」
「いや、だから……」
「何度言われてもダメなものはダメです」
聞く耳持たぬとはこのことだった。王都の行き帰りの送り迎えと弁当の配達を頼んだことで機嫌が良くなったはずなのだが、それとこれとは別なのか何度言っても改善の兆候がまるで見えない。
「どうした、内緒話か? 昼間っからお熱いこった」
「やだ~、ゼーネさんったら~。そんなんじゃないですよ~」
そこにゼーネが余計なひと言を加え、シズが照れながら身体をくねらせると、平太に絡みつく負の感情がさらに濃度を増す。これ以上荒くれ男どもの嫉妬や誤解を買うと本当に無事では済まなくなりそうなので、早く何とかしなければならないと本気で思った。
「ちょっとこっちに」
「あ、」
急いでこの場を離れなければ。そう本能が危険を察知し、平太はシズの手を取って逃げるように駆け出した。
「あの、ヘイタ様……手が、痛いです」
「あ、ご、ごめん」
シズの控えめだが切実なひと言で我に返り、
平太はつかんでいたシズの手を離して足を止める。
人のいない方を選んで走り続けていくうちに、ずいぶん現場から遠く離れた場所まで来てしまった。
しかしここなら誰もおらず、二人きりで話をするには持ってこいだろう。
「シズ――」
「こんなひと気のない所に連れ込んで……もう、ヘイタ様ったらようやくその気になってくださったんですね」
「ちーがーうー!!」
顔を赤らめてもじもじ身体をくねらせるシズの姿に、平太は思い切りツッコミを入れる。
「そうじゃなくて、何度も言ってるが――」
その時、平太の腹の虫が盛大に鳴った。
台無しだった。
シズはにっこり笑うと、
「まずはお昼にしましょう。ね?」
平太の手からカゴを取り上げた。
適当な岩に腰掛け、平太とシズは並んで昼食を摂り始めた。
しばし二人は黙って弁当を食べる。
一度間を外してしまうと、なかなか話のきっかけが取りづらかった。平太がどうやって話のきっかけを作ろうか思案していると、
「あの、聞いてもよろしいですか?」
シズの方から話題をふってきた。
「うん? なに?」
唐突な質問に驚きつつ、平太は弁当をもぐもぐ食べながら応える。
「どうしてヘイタ様は急にお仕事をなさる気になったのですか?」
「んぐ……」
いきなり核心に迫る質問に、弁当が喉に詰まった。咳き込む平太に、シズが水筒の水を手渡す。勢い込んで飲み干すと、どうにか落ち着いた。
「どうしてって……」
言い出しにくい。が、いつまでも内緒にしておけることでもないので、これはこれで良い機会なのかもしれない。
平太は緊張で乾いた口をもう一度水を飲んで湿らせる。
「実は、馬を買おうと思って――」
「何言ってるんですか、わたしがいるじゃないですか! 馬を買うなんて、わたし絶対に認めませんからね!!」
かぶせ気味にシズが反論してきた。これまでの経験から怒るだろうなとは思っていたが、まさかここまでとは。平太はどう説明したものかと頭をかく。
「いや、認めるもなにも、前にも言ったがそもそもシズはもう馬じゃないだろ」
「でも、」
以前から――いや、シズが仲間になったときから漠然と考えていたことだ。
元より、シズを馬と同列に置いておくことがおかしいのだ。いくら馬や動物に変身できるからといって、動物を使うように彼女を使って良いはずがあろうものか。
いくら彼女自身がそれを望んでいたとしても、平太が厭なのだ。
この時点でシズと平太の意思は平行線だ。
それをお互いのわがままだと言えば、そんなものは平太もとっくに理解している。
たぶんシズも本当は理解しているだろう。
それよりも平太の役に立ちたいという願望が強いだけで。
その気持は嬉しい。
だから平太はシズの役に立ちたい気持ちを汲みつつ、それを否定したりしないで彼女を説得することにした。
「前にも言ったよね? 俺はシズの自由を尊重してるって」
「はい……」
「ゴメン、それ嘘」
「はい……?」
意表を衝かれたようで、シズの声が裏返る。
「いや、嘘っていうのは冗談だけど、それだけが理由じゃないんだ」
「ど、どういう意味ですか?」
「シズの自由を尊重したいってのは本当だよ。でもそれと同じくらいに、俺の自由を尊重したいんだ」
「ヘイタ様の……自由?」
まだよく飲み込めないのか、シズは細い眉をしかめる。
「うん。俺だってたまには一人で気ままに出かけたいときだってある。好きなときに町に出て、好きにぶらついて店に入ったり買い物したりメシ食ったり、それで好きな時間に帰る。でもシズを待たせてると思うと、落ち着いてぶらついていられない。誰かに気を遣ったままじゃ、買い物だって楽しくない。この気持ち、わかるだろ?」
シズは少し考える時間を置いてから、小さく「はい……」と答えた。その表情と声のトーンに誤解を感じ、平太は慌ててつけ加える。
「別にシズが邪魔だって言ってるわけじゃないんだ。ただ俺が自分のわがままを通したいから、そのために馬が欲しいんだ。だからこうやって働いて金を稼いでいる。これがさっきの質問の答えだよ」
言い終えると、平太は思い出したように弁当を口に運んだ。言いたいことは言った。間違ったことは言ってないし、シズの気持ちを蔑ろにしたつもりもない。これでシズが納得しないのなら、あとはもう肉体言語しかないなと考えていると、
「わかりました、」
今度ははっきりとした声でシズが答えた。どうやらわかってくれたようで、平太はほっと胸をなで下ろす。
「けど、だったらわたしはどうやってヘイタ様に恩返しすればいいんでしょうか?」
「そうだな、今まで通り毎日美味いメシを作ってくれるだけでいいよ。これからも、ずっと」
ドーラやスィーネの料理も慣れてしまえば悪くないが、如何せん味つけや調理が単調で物足りない。
その点シズの料理は味つけも調理の仕方もバリエーションが豊富で言うことなしだ。このままずっと料理担当として屋敷にいてくれればありがたい。平太はそのつもりで言ったのだが、
「ヘイタ様……それって……」
何故かシズは顔を真赤にしてうつむいてしまった。
「あれ? 俺何かおかしなこと言った?」
「いいえ、そんなことは……全然、ないです」
シズはまだ恥ずかしがっている。やはりまだ言葉が上手く使いこなせておらず、知らないうちに変な言い回しをしてしまったのかもしれない。
しかしまあ怒るわけでもなし、それほど変な間違いをしたわけでもなさそうだ。シズの態度を見ながらそう思う。
のんきにそんなことを考えながら、平太が残りの弁当を食べていると、ようやくシズも自分の弁当に手をつけ始めた。
その後は特に会話もないが、終始穏やかな雰囲気で昼食を終えることができた。何よりシズに馬を買うことを認めさせることができたのは、一番の収穫だ。
墓穴がより深くなったことはさておいて。
昼食を終えてシズと二人で現場に戻ると、いやらしい笑みを浮かべたゼーネに
「二人してどこにしけ込んでたんだ?」などとからかわれた。
シズは屋敷の仕事をするためにまた戻り、平太も作業を再開した。
この日の作業も順調に進んだ。
そんな中、平太は考える。
こんな平和な日常も悪くない、と。
けれど現実にはこの壁の向こうには魔物がいて、世界のどこかには魔王と呼ばれる凶悪で強大な災厄が存在する。
いま自分が感じている平和は、この壁の内側だけのもの、
つまり、偽りの平和だ。
壁の中の、選ばれた者だけに平和が与えられ、壁のない、選ばれなかった者たちは今もどこかで魔物の恐怖に怯えている。
このままで、本当にいいのだろうか。
漠然とした不安に苛立つように、平太は鶴嘴を振るう。
いいか悪いかで言うと、悪いに決まってる。
だが、自分に何ができる。
己の無力に湧いた怒りをぶつけるように、平太は鶴嘴を振るう。
一番手っ取り早い方法は、やはり魔王を倒すことだろう。諸悪の根源――と言って良いものかわからないが、元を断てば魔族の勢いも衰え、時間はかかるが世界が平和になるだろう。
あくまで理論上は、だが。
魔王が倒れたところで、人間は所詮人間である。そう短くはない歴史の中でも、戦争という争いのない期間を持てない生き物だ、と平太は考えている。
魔族がいるから目を逸らしていただけで、いなくなればすぐにでも人間同士で争い始めるに決まっている。
では魔族が戦争の抑止力となっている今現在の方が、ヒトとしてまともな状態なのではないだろうか。
共通の敵の存在が抑止効果となって、今の限定的な平和があるのならば、むしろ魔王など倒さずこの状況を少しでも長く維持した方が得策なのではなかろうか。
そんなわけないだろ――平太は頭を振って馬鹿げた考えを振り払う。
そもそも、魔王を倒す目的は元の世界に帰るためだ。
この世界の平和や事情は関係ない。
いや、関係してはいけない。
だいたい世界の平和とか、自分ごときがおこがましい。そういうのは、この世界の誰かがやればいい。
目標はあくまで魔王討伐。
そのためには今の何倍も強くならないと。
それこそ、こんな鶴嘴など軽々と振れるような。
渾身の力を込めて、平太は鶴嘴を振るう。
こうして一日、また一日と過ぎていった。
三十日後。
約束の期間を終え、平太は久しぶりにのんびりした朝を迎えた。
すっかり早寝早起きが定着したものの、少し気を抜くと簡単に寝坊してしまう。慣れない肉体労働の疲れもあるが、やはりまだまだニートの気質は拭い切れていないようだ。
寝癖だらけの頭を掻きながら、大きなあくびを一発、
二発、
三発目を終えたところで食堂に入ると、珍しくドーラたちがまだいた。
「おいーっす」
「おはよう」
「おはようございます」
「おっす」
朝の挨拶をして自分の席に座ると、すぐにシズが平太の分の朝食をテーブルに並べてくれた。
「おはようございます、ヘイタ様」
「おはよう」
しばらく寝ぼけた頭で朝食を食べていると、平太は奇妙な視線に気がついた。
「……お前ら、なにジロジロ見てるんだよ」
「いやあ、何だかこうして朝みんな一緒なのは久しぶりだなあって」
何がそんなに嬉しいのか、ドーラはにこにこしながら言う。
たしかに、建築現場は朝が早いため、ここ最近ずっと皆より早く起きて出かけていた。朝食はシズと二人っきりが多かったし、言われてみればこうしてそろっての朝食は久しぶりかもしれない。
「だからって、そんなに珍しそうな目で見るなよ。食いにくいだろ」
「それにしても……」
珍しくスィーネが平太をまじまじと見る。
「ずいぶんと逞しくなりましたね」
「そうか?」
「いや、けっこう変わったよ。すっかり日に焼けたし、なんだかこう、全身が引き締まったっていうか、ガッチリしてきたっていうか」
「まー短期間でもあれだけ肉体労働すりゃあ誰だって多少は鍛えられるだろ」
シャイナの言葉に平太は改めて自分の身体を見てみるが、毎日見ている自分の身体だけにどこがどう変わったのかさっぱり自覚がない。
だが言われてみれば日に焼けて色が黒くなったのと、最近服が少々きつくなってきたような気がする。
平太は自分の掌を見る。
これまで労働とは無縁だった白く細い軟弱な手はすでになく、今目の前にあるのは褐色でマメだらけのごつごつした手だった。
自分がこんな手になるとは夢にも思っていなかったが、
これはこれで悪くないと思えた。
少しカッコいいとも思えた。
「でも、まだまだだよ」
掌をぎゅっと握り締め、平太は照れ隠しのように笑う。
「ところで、いくら貰えたんだい?」
ドーラの問いに、平太はそうだな、と前置いて、
「金貨三枚貰えたよ」
おー、と一堂が感嘆の声を上げる。多いのか少ないのかわからないが、とにかく初めて自分で金を稼いだことが嬉しかったし、誇らしかった。
ちなみに、グラディアースで一日に必要な金額は、贅沢さえしなければ銅貨五枚で事足りる。一度の食事に一枚ずつと、寝るための安宿に二枚。
工事現場での仕事では日当銀貨一枚であるから、普通に生きていれば毎回銅貨五枚ほどの貯金ができるはずなのだが、酒を飲むか博打に使ってしまう者が多いので貯蓄をしている者の方が少ない。
平太は金貨三枚のうちいくらかを、ドーラにこれまでの生活費として渡そうとしたが、彼女はそれを固辞した。平太をこの世界に連れて来たのは自分だから、その責任の一端として生活の面倒はすべて見ると固く決めているらしい。
ここで押し問答しても無意味なので、ドーラの厚意は甘んじて受けることにした。感謝を現すのなら、金銭じゃない別の方法を考えればいいだけの話だ。
「それで、そのお金は何に使うかもうお決めになられたのですか?」とスィーネ。
「うん、前々から考えてたんだが、馬を買おうと思うんだ」
馬、という単語に、ドーラたちは一斉にシズの方を見る。すぐに動けるように椅子から腰を浮かしているあたり、よく訓練されていると言えよう。
が、シズは静かに自分の仕事をしていて、一堂はほっと胸をなで下ろした。ついでに椅子に尻も下ろした。
「金貨三枚か。まあ慎重に選べばそこそこの馬が買えるだろうから、焦って変なのに手を出すんじゃねーぞ。絶対先にあたしたちに相談しろよな」
まるで他の誰かに聞かせるような念の押し方をするシャイナと、あからさまに目を逸らすドーラ。
「わかってるよ。馬の良し悪しなんてわからないし、そもそもどこで買えばいいのかすらわからないからな」
「っと、忘れてた。そういえば、お前の鎧ができたってデギースの奴が言ってたぞ」
「マジで?」
「明日ならあたしも町に行くから、ついでに乗っけてってやるよ」
「わり、頼む」
ついに自分の鎧が手に入る。平太は感動を噛み締めるように両手の拳を握る。レクスグランパグルとの死闘を思い返すと、感動もひとしおだった。
明日が待ち遠しい。久しぶりに感じる気分に、平太は興奮を抑えきれなかった。
「勝手にサイズを変えるなよなあ……」
翌日。
ひと月ぶりに店にやって来た平太を見て、デギースは開口一番不機嫌さを隠しもせずつぶやいた。
「なんだよその身体……最初にサイズ計ったときと全然違うじゃん」
「そ、そうか?」
慌てて平太は自分の身体をまさぐるが、やはり自分ではどこがどう変わってるのか自覚がなかった。
「まあ、こういうときのために調整できるようにはしてるけどさ」
「できるんじゃないか」
「あくまで微調整用だよ。基本は最初に計ったサイズに準拠してるからね。だいたい、子供じゃあるまいしもう背も伸びないだろ? 太る痩せるはそっちの勝手だけど、変わるなら変わるって最初に言って欲しかったなあ」
「無茶言うなよ」
ぶつぶつ文句をいいながらも、デギースは店の奥から平太の鎧を持ってきてくれた。
順番に装着しながらサイズを調整していくと、次第に見た目がそれっぽくなっていく。
「どうだい? 元がカニとは思えないくらい良くできてるだろう」
「ああ、思った以上に軽いな」
「けど硬度はそこらの金属より高いよ。苦労して狩った甲斐があるってもんだろ?」
パーツごとにデギースから一人でも着脱できるように説明を受けつつ、鎧のフィッティングは続く。
「よし、完了」
姿見で全身を見ると、平太は全身プロテクターをまとった姿になっていた。グランパグルの甲羅が青紫色のせいか、アメリカンフットボールのプロテクターにイメージは近いかもしれない。
「すげえ……」
平太は何度も回転しながら姿見を見る。これが生まれて初めての、自分だけの鎧。これは、ゲームなどとは比べ物にならない感動があった。
「あとね、余った材料で作ったんだけど――」
そう言ってデギースが持ってきたのは、
「マジかよ……」
レクスグランパグルの甲羅を使った、平太の身長よりも長い大剣だった。
大剣は甲羅を横長の台形に加工しただけのようなシンプルなデザインだったが、甲羅の表面の手触りや質感を生かしつつ、刃のエッジが利いていてなかなか頼もしく見えた。
「シャイナが言ってたのを参考に作ってみたんだけど、どうかな? 素材はカニだけど切れ味は保証するよ」
「あいつ……」
そこで平太は思い当たる。以前平太に合う武器を模索していたとき、シャイナの態度が妙だったのを。あのとき彼女はこの大剣のことを考えていたのだろう。
「こいつは思ってもないサプライズだぜ」
「彼女に感謝しなよ。わざわざうちまで来て説明してくれたんだから。しかも慣れない絵まで描いて。まあ、絵の方は何が描いてあるのかさっぱりだったけど、あんな熱心なシャイナは久しぶりに見たよ。よっぽどキミに持たせたかったんだろうねえ」
「ああ、そうだな。後で礼を言っとく」
デギースから受け取ると、大剣も見た目とは想像もつかないくらい軽量だった。デギースが普通に持って歩いていたので、何か違和感があると思ったらそういうことか。
「めちゃくちゃ軽いな」
「ヘイタの筋力に合わせたんだけど、こうなるんだったらもう少し重くしても良かったかなあ」
「せっかく軽くしたのに重くしてどうするんだよ」
「軽いと威力が弱いんだよ。軽い武器なんて、当たったところで大したダメージにならないからね。いいかい? 重さは威力なんだよ。だから戦士は己の身体を極限まで鍛え、可能な限り重い武器を持つんだ」
「なるほど……」
たしかに、仮にあのグランパグルやレクスグランパグルとの戦いのときにこの大剣を持っていたとしても、奴らに有効な攻撃を与えられなかっただろう。実際に戦った今なら間違いなくそう思える。
あれは相性もあるが、ずっしりとした重量のあるハンマーだからこそ、倒し得た相手なのだ。
そう考えると、この見た目よりはるかに軽い大剣が通用しそうな相手はかなり限定されるような気がする。
たとえば、自分と同等、あるいはそれより小さく軽い相手。動物やケモノの類、あるいは――
人間。
ぞくり、と寒気がした。自分の想像に嫌気が差し、平太は頭を振って馬鹿な想像を振り払う。
気分直しにもう一度姿見で自分を見る。
鎧を纏い、大剣を構えた姿は、まさにゲームの中で自分が操作してきたキャラクターのようだった。
「うん、とりあえずひと通りそろったね」
自分の作った装備の出来具合に、デギースは満足そうに頷く。
「何か気づいた点があったら、いつでも相談して。調整してあげるから」
「ありがとう」
平太は礼を言うが、頭の中は興奮状態で居ても立ってもいられない。自分でもヤバいくらいにテンションが上がっていた。
今すぐにでも、慣らしを兼ねて何か狩りに行きたい気分だった。
平太は、自分の鎧と剣を手に入れた。




