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ニートの俺が勇者に間違われて異世界に  作者: 五月雨拳人
第一章
15/127

今そこにある武器

今回は3/3です。

     ◆     ◆


「ごめんなさいあたしが足手まといなばっかりに……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 完全にレクスグランパグルが見えなくなっても、シズは泣き止まなかった。


 今は砂浜に荷物を下ろし、へたり込んで子供のように泣いている。


 シャイナが自らを囮にしなければならなかった原因が自分にあると、責任を感じているのだろう。


 しかし、それは平太も同じである。


 もし彼にシャイナと同じだけ、いや、今よりほんのわずかでも力があれば、彼女と協力して敵と戦っていただろう。


 けれど「もし」は無かった。


 今ここにいるのは、戦力にならなかった者が二人、それだけだ。


 自分の無力さに心底腹が立つ。


 どうしてこう、大事な時に限って自分に力が無い。


 これまで生きてきた中で、そういう事は厭というほどあった。あの日、あの時、あの場で、自分にもっと力があれば、知恵があれば、勇気があれば。


 だから変わろうとしたのに。


 また間に合わなかったのか。


 異世界にまで来たというのに。


「クソッ!!」


 自分に対する苛立ちのあまり、思わず平太は地面に転がっていたシズの荷物を蹴飛ばす。


「ひっ……!」


 平太の怒りが自分に向けられたものだと錯覚したシズが、引き攣るような悲鳴を上げた。その悲痛な声に、自分が酷くカッコ悪い事をしてしまったことに気づいてさらに自分自身が厭になる。


「スマン、シズを怒ったんじゃないんだ……」


「でも……でも……」


「違うんだ。本当に違うんだ、ごめん」


 言葉でいくら取り繕おうとしても、一度与えてしまった恐怖は拭えなかった。怯える少女の痛々しい姿に、平太は自分への怒りで頭が沸騰しそうになる。


 このまま怒りに任せてシャイナを追いかけ、巨大ガニに向かって行きたい気分だった。


 だがそんな事をすれば、シャイナの気持ちを踏みにじったのと同じである。当然、死ぬほど怒るだろう。むしろカニに殺される前に、彼女に殺されるかもしれない。


 それでもいい――と平太の中の感情的な部分が暴走しそうになるのを、行ったところで自分に何ができる――と理性的な部分がブレーキをかけている。


 そう。何ができるというのだ。ハンマーはシャイナに奪われ武器もなく、今着ている吊るしの鎧などあの巨大なハサミの前では無いも同然である。


 せめて、あのハサミを防げる防具でもあれば、何かシャイナのためにできる事があるかもしれないのに。


 しかし、今は無いものをねだったところで何も解決しない。平太は悔しさと苛立ちを噛み殺しながら、自分が蹴飛ばして散らばらせたシャイナの荷物を拾い集める。


 そこで――


「――ん?」


 ある物を見つけたのをきっかけに、平太の頭に電流のように閃きが走った。


「あるじゃないか……」


 歯を食いしばったままの状態でにんまりと笑い、歯の隙間から呻くように声を漏らす。その奇妙な声にシズがまた驚いてびくっと肩を震わせる。


「シズ、」


 平太は興奮に肩を震わせながら、振り返りもせずにうつむいたままシズを呼ぶ。


「は、はひっ!?」


「頼みがある」


「はい?」


 馬鹿な真似をしようとしているのは、自分でも十分承知している。


 だが先に馬鹿な真似をしたのはシャイナの方だ。平太たちを助けるために、自分を犠牲にしようだなんて。そんな事で生き残れたとして、自分たちが喜ぶとでも思ったのだろうか。


 まったく、酷い自己満足だ。これで貸しを作ったなどと思われたまま死なれては、寝覚めが悪いどころではない。


 貸しは早々に返さなければならない。


 さあ、返しに行こう。



 やっちまったな――シャイナはふと、そんな事を思った。


 延々と走り続けて、限界はとっくの昔に超えている。それでも止まったら死ぬという恐怖に背中を押され、足をもげそうなくらい動かして身体を前に動かす。


 視界が汗で滲む。さらに暑さと疲労でぼんやりとした頭が世界をより一層歪ませる。


 もう、どこをどう走っているのかなんてわからなかった。


 ただ、後ろから何かが追いかけて来るのだけは感じていた。


 が、何にどうして追いかけられているのかわからなくなっていた。


 走りながらずっと考えていたのは、何故あんな奴を助けてしまったのかということ。


 ドーラが連れて来た勇者だから、というのもある。


 まあ、結局偽物だったが。


 それでもあいつが死んだら、ドーラはきっと悲しむだろう。


 自分が死んでも彼女が悲しむことは変わらないだろうが、どうせなら彼女が悲しむところは見たくない。


 なら自分が死んだ方がいい。


 理由は、そんな程度だった。


 それにしても、いつまで追いかけて来るのだろう。


 巨体ゆえに陸上での動きはそう速くはないが、いい加減諦めても良さそうなものである。


 苦しい。肺が爆発しそうだ。陸の生き物である自分がこうなのに、あいつは苦しくないのだろうか。


 突然景色が回転した。


 どうやら限界を超えていた足がついにもつれ、転倒してしまったようだ――と妙に冴えた意識の下、ゆっくりと反転する世界の中で冷静に考える。


 だらしなく砂浜に倒れ込む。


 もう立ち上がれない。そんな気力も無い。


 けれどここまで離れれば、あいつらは大丈夫だろう。これでお役御免だ。


 あえぐような呼吸と薄れゆく意識の中、シャイナはぼんやりとレクスグランパグルが近づいて来る足音と、


 馬が走る音を聞いた。


「――ッ!?」


 閉じかけていた目が見開かれる。


 まさか――


 気力を振り絞って顔を上げる。


 やめろ、やめてくれ。そんな祈りにも似た悲痛な心の叫びの中、シャイナが見たのは、


「うおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 無意味に雄叫びを上げながら、馬に乗ってこちらに向かって来るニセ勇者の姿だった。



 見つけた。


 そして間に合った。


 平太は安堵の息を漏らす。


 レクスグランパグルの巨体のお陰で、この広い海岸の中でもどうにか見つけることができた。


 問題はシャイナの安否だけだった。


 だが間に合った。


 だったらもう何も問題は無い。たとえ今から死ぬほどシャイナに怒られなじられようと、そんなことは関係ない。


 平太は怯える馬――シズをなだめながら、可能な限りの接近を試みる。


 レクスグランパグルに近づくのは、青紫色をした巨大な岩山に近づくのに似ていた。その威圧感はあまりにも圧倒的で、1メートル近づくごとに恐怖が倍増していく。


 下腹部の辺りに込み上げる奇妙な圧迫感に、平太は自分の限界を感じる。馬上の自分でもこれだ。自らの意思で近づこうとしているシズにはもうこれ以上の無理はさせられない。


 そう決意した平太は、軽くシズの背中を二回叩く。


 その合図でシズが一瞬だけブレーキをかけ速度を落とすと、それに合わせるように平太は馬から飛び降りた。


 着地失敗。無様に砂地を転がる。それでも手に持った武器と装備を守るために、丸太のように地面を転がって勢いを殺す。


 急いで立ち上がり、走る。


 走りながら装備の点検。大丈夫、どこも壊れていない。作戦続行。


 レクスグランパグルを回り込み、倒れているシャイナへと駆け寄る。


「大丈夫か!?」


 返事も待たずにシャイナの腕を自分の肩に回し、起き上がらせようと足を踏ん張る。が、


「ぐ……重っ!」


 大柄な上に鎧の重さが加算され、大の男よりも重く腰が壊れるかと思った。どうにか踏ん張って立たせる。


「テメェ……」


 もの凄い形相でシャイナが睨んでくる。重いと言ったことへの怒りなのか、それとも平太たちが引き返して来たことへの憤りなのか。恐らく後者なのは間違いないが、今はそれをどうこう言っている暇はない。


 巨大ガニは目の前の獲物を引きずって逃げようとする新たな闖入者に、器用な方の小さいハサミを向けて牽制してくる。


 必死でシャイナの引きずり、ハサミをかわす。しかしこちらの動きも遅い。このままではすぐにつかまってしまう。


 そこに再びシズが颯爽と現れた。


 正確には、恐怖に泣き喚き色んな汁を垂れ流しながらだが、馬の姿だからよくわからない。


 とにかく鞍に予め結んであったロープを平太たちの前をよぎるように走り込む。


「つかまれ!!」


 先に平太がそのロープをつかみ、自分の掌に何度も巻きつける。すぐにシャイナもロープをつかむと、もの凄い力で二人は引っ張られた。


 西部劇の悪役ように馬に引きずられて、レクスグランパグルの前から緊急脱出する。平太の掌に二人分の重量がかかり、ロープが締まって手の骨が砕けそうに痛む。


 奥歯が砕けそうなほど歯を食いしばってそれに耐えると、じょじょに速度が落ちてきた。どうやら多少は安全な距離を取れたようだ。


 掌に巻きつけたロープを解くと、二人そろって砂を削りながら滑っていった。ようやく止まると、いきなりシャイナに顔面を殴られた。そのすぐ近くで、重装備をした二人を引きずって全力で走ったシズが、精も根も尽き果てたように横倒しになった。


「テメェこの野郎……テメェ」


 怒り心頭で言葉が上手く出てこない、といった感じだった。それにしてもなかなかいいパンチだ。まだ完全に体力切れというわけではなさそうだ。これなら勝てるかもしれない。


「待て! 落ち着け! まずは俺の話を聞け!」


 シャイナが馬乗りになってさらに殴ろうとするのを、平太は両手を掴んで落ち着かせる。


 平太を一発殴ったおかげで頭が少し冷えて周囲が見えるようになったのか、シャイナは平太の格好を見て「おい、」と不思議そうな声を出した。


 彼女の疑問も当然で、平太はデギースから借りた鎧の上に、今朝自分たちが狩ったグランパグルの甲羅をロープでがっちり括りけていた。見た目はかなり不格好だが、簡易の追加装甲としては十分過ぎる。何より現在入手可能な範囲では最高の強度を誇るだろう。


 その姿に、シャイナは一目でピンときたようだ。


「お前……」


 荒ぶっていたシャイナの腕から力が抜ける。平太の意図と覚悟を察したのか、真意を探るように平太の目を見つめる。


「時間がない。すぐにでも奴が追いつく。その前に作戦を説明するから、耳かっぽじってよく聞け」


 そう言うと平太は、腰にロープで括りつけておいたものをシャイナに手渡す。


 シャイナは説明を受けながらそれを受け取ると、


「マジか?」


 平太の正気を疑うような声を出す。


「マジだ」


 それに対して平太がシャイナの目を真っ向から見据えて答える。


 沈黙と逡巡は一瞬だった。


「ったくこの馬鹿野郎が……」


 シャイナは困り笑いのような顔をすると、右腕の拳を平太の眼前に突き出す。


「生きて帰るぞ」


 平太はにやりと笑いながらその拳に自分の右拳を合わせる。


「当たり前だ」


 合わさった二つの拳が離れると、平太が一目散に走り出す。


 その手には、あのクロスボウがあった。


 平太はクロスボウを両手で支え持ったまま、レクスグランパグルの正面に走り込む。


 巨大ガニは真っ直ぐこちらに突き進んでくる。今度は平太が囮になる番だ。ここは確実に狙いをシャイナから自分に変更させなければならない。


 それにはどうすればいいか。


 簡単だ。


「タゲチェンだ。お前の相手はこの俺だよ」


 平太はゆっくりとクロスボウを構えると、狙いを定める。そのまま静かに息を吐き出しながら、引き金に指をかける。


 しかしいくら的が大きいからと言っても、相手はあのグランパグルの親玉である。剣も通さぬ強固な甲殻を相手に、クロスボウの矢が通じるはずもない。


 だが、


「自慢の甲羅も、ここだけは守れないだろ」


 平太は不敵に笑うと、引き金を絞った。


 矢は空気を切り裂いて、一直線に目標へと疾走はしる。


 レクスグランパグルの眼に。


 いかに硬質な甲羅を持っていても、生物である以上ある程度の制限は受けるであろう。


 例えば、眼や口の中などの粘膜は、その性質上硬質化しようにもできない器官である。それは恐らく異世界であろうと、魔物であろうと、生物という形をしている限り平太の世界とそう変わらないはずである。


 だから平太はそこを狙った。


 そして平太の狙った矢は、


 絶対に外れない。


「ヒット」


 当たる前からわかっていた。


 矢は当然のように、レクスグランパグルの眼に吸い込まれた。


 飛び出た眼の片方に矢が突き刺さり、身体の色と同じ青紫色の体液が飛び散った瞬間、山が揺れた。


 片目を潰されたレクスグランパグルが痛みに暴れ、遠浅の海に激しい波を作る。六本の足がでたらめに動き、砂をかき分け地面を揺らす。


「ははっ、ざまあみろ」


 心底楽しそうに笑いながら、平太はクロスボウをその辺に投げ捨てる。二射目を装填している時間は無い。それに両目を潰す必要はないので、これで用済みだ。それよりこれからのために両手は開けておかなければならない。


 暴れる巨大ガニの足に巻き込まれないように距離を取りつつ、平太はわざと敵の視界に入いるように動く。


 狙い通り片目を潰し、狙い通り敵の怒りの矛先を自分に向けることに成功した。


 ここからが本番だ。


 ビビるなよ自分、と腹に力を込める。常にそうしていないと足が言うことをきかない。けれどシズだって恐怖に泣き喚きながらもやってくれたんだ。男の自分が根性見せないでどうする。


 何より、勇者になろうって奴がこれくらいでビビってどうする。そう喝を入れてレクスグランパグルの前に立つ。


 残った片方の眼がこちらを見た。それだけで小便が漏れそうになる。


 巨大なハサミを持ち上げる。ここまで来たら、もう後悔しても始まらない。自分の作戦と、身体中に巻きつけたグランパグルの甲羅の強度を信じるしかない。


 ハサミが振り下ろされる。


「おわっ!?」


 てっきり挟みに来ると思っていたが、まさか叩き潰しにかかるとは予想外だった。危うくぺしゃんこになるところだったが、飛び込むように地面に身体を投げ出してどうにかかわした。


「テメェ! カニだったらハサミで挟んでこいやぁっ!!」


 自分勝手な文句だが、あの大きなハサミを腹から離さないと話にならない。何しろ人間の身体より大きなハサミだ。そこにあるだけで壁のように腹が隠れる。


 それではこちらが絶対に勝てない。


 だから、平太はどうしてもレクスグランパグルのハサミを腹から離さなくてもならないのだが、


「クソ、思ったように挟みにこないな……」


 相手が思ったように動いてくれず、平太の苛立ちが募る。このまま時間が経てば、シャイナの体力は回復するかもしれないが、それよりも先に自分の勇気がしおれてしまう。


 こうなったら、厭でも挟んでもらうしかない。


「畜生、我ながら頭おかしいぜ」


 自分で自分に毒づきながら、平太は来るべき時に備える。


 その時は意外と早く来た。


 再びレクスグランパグルが平太を叩き潰そうとハサミを振るう。それをかわした平太は、


「挟めるもんなら挟んでみろやコラァッ!!」


 チンピラみたいに叫びながら、なんと自分からハサミの中に身体を入れた。


 もうヤケクソだった。これで挟まれなかったらもう打つ手はなかった。だがさすがにここまでお膳立てしてやると、巨大ガニはこれ幸いとハサミで平太を締め上げ始めた。


「頼むぜ……もってくれよ」


 うまくハサミが当たる部分にグランパグルの甲羅が来るように調整できた。ハサミの構造はグランパグルでだいたいわかっているので、余った甲羅はハサミの間に差し込んで、挟もうとする力を少しでも削ぐのに使う。


 それでもハサミが締めつける力がぐんぐん強くなってくると、鉄の鎧がメキメキ軋み始めた。


 メキとかミシという音がするたびに寿命が縮む思いをする。今すぐにでもハサミに耐えていた甲羅が音を立てて砕け散り、鎧が紙コップみたいにくしゃくしゃに潰されて、自分の胴体が真っ二つに切断されるんじゃないかと気が気じゃない。


 しかし平太の心配をよそに、甲羅はどうにかレクスグランパグルのハサミを止めていた。しかしハサミを止めるだけでは意味が無い。ハサミをどうにかして腹の前からどかさなければならないのだ。


 そこで平太の計画が第二段階に移行する。


 自慢のハサミで懸命に挟み込むが、どれだけやっても獲物がちょん切れない。そうなるとレクスグランパグルは次にどういう行動に出るか。


 ハサミでちょん切れないのなら、別の、何か硬いもので獲物を切ろうとする。


 もしくは、切ることを諦めて、


 直接口に運んで食べようとする。


 そこが平太の狙いであった。


 デカいハサミが腹を守っているのなら、そいつをどかしてやればいい。


 ではどうするか。


 自分が餌になってやればいい。


 そうすればハサミは自然と口のある上部に運ばれ、腹がガラ空きになるという寸法だ。ちなみにグランパグルの口の位置は、昨日の食事風景を見て確認している。


 一つ問題なのは、グランパグルの普段の食事は、器用な方の小さなハサミを使っていることだった。そっちを使われては元も子もない。


 だから平太は自分を囮にして、巨大なハサミに自ら飛び込んだ。そこに居座ってしまえば、カニは必然的にそっちのハサミを使うしかないだろうと読んだのだ。


 ただし、恐ろしく危険な賭けだった。


 まず盾となるグランパグルの甲羅が、果たしてレクスグランパグルのハサミに耐えられるかどうか。


 いきなり大博打だった。


 何しろテストしてる時間もない、前例も情報もない。そのくせ賭けるのは自分の命だ。分が悪いなんてもんじゃない。


 次にレクスグランパグルがハサミを持ち上げて自分を口に運ぶかどうか。これも賭けだ。何しろ平太の知識はあくまで「地球のカニの知識」だ。異世界グラディアースの魔物の知識ではない。


 いくらグランパグルがカニっぽいからと言って、カニと同じ習性があったり行動が似てるという保証はどこにもない。あくまで昨日と今日観察して得た情報での判断だ。


 しかしそれでも、平太には命を賭ける理由があった。


 シャイナが先に自分の命を賭けたからだ。


 しかも、負けるとわかっている賭けにだ。


 そんなことをされちゃあ、やらないわけにはいかない。


 何しろこっちの賭けは、勝てば全員が助かる賭けだからだ。


 それに命を賭けたのは平太だけではない。


 シズがいてくれたから間に合った。


 彼女がいてくれなかったら、シャイナを抱えた平太は逃げきれなかった。


 そしてシャイナが無事でいてくれたから、最後の希望を彼女に託すことができた。


 つまり、これは全員がいてこその賭け。


 これで勝てないはずがない。


 そんなでたらめな理屈が通じたのかどうかわからないが、事実グランパグルの甲羅は見事ハサミの力に耐えたし、邪魔だったハサミは平太を口に運ぼうと腹から離れていく。


 今、レクスグランパグルの弱点は、完全に無防備な状態だった。



「あの野郎、本当にやりやがった……」


 巨大なハサミに持ち上げられる平太を見て、シャイナは驚きの声を漏らした。


 ここまでは、すべて彼の話した作戦の通りに進んでいた。


 次は自分の番だ。


 少し休めたおかげで、いくらか体力は回復していた。これなら少しは動けるだろう。


「行くか」


 ハンマーを左手で握り締め、シャイナは走り出す。


 最初は疲労を感じさせる速度だったが、すぐに全速力に変わる。へばってなんかいられない。あいつが根性見せたのだ。今度はこっちの番だ、という気持ちがシャイナの足に、全身に力を取り戻させた。


 レクスグランパグルの腹が見えた。


 邪魔なデカいハサミは、もう無い。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 鼓舞するように雄叫びを上げながら、平太に渡された物を右手でしっかりとつかむ。


 そして走り込む勢いと自分の持てる力をすべて打ち込むつもりで、レクスグランパグルの腹の甲羅の隙間に、


 平太から渡された、グランパグルのハサミをぶち込んだ。


 装甲のような殻と殻の継ぎ目に、鋼よりも硬いハサミが打ち込まれる。


 だがいくら防御力の低い殻と殻の隙間を狙ったといえど、所詮ヒトの力では突き立てるのがやっとで、とてもそれだけで巨大なカニをどうこうできるものではなかった。


「からの――、」


 シャイナは左手に持っていたハンマーを両手で握り直すと、


「くたばれっ!!」


 渾身の力を振り絞って突き立てたハサミの尻に叩き込んだ。


 戦士シャイナ会心の一撃。レクスグランパグルの腹に、グランパグルのハサミが真ん中あたりまで埋まる。


 だがそこで終わらない。


「こいつでトドメだ!!」


 シャイナはハンマーを目一杯振りかぶると、突き刺さったハサミの尻を上から思い切りぶっ叩いた。


 するとテコの原理で隙間に食い込んでいたハサミが跳ね上がり、驚くほどあっさりと腹の甲羅の一枚が剥がれた。


 これぞ、シズがグランパグルを解体していた時の様子をヒントに、平太が考えた作戦である。


「やった!!」


 硬い甲羅という箱の中にぎゅうぎゅうに詰め込まれていた内臓は、一箇所隙間が開いた途端に堰を切ったようにどばどばこぼれ出た。


 これが鳴き声を持った生物なら、断末魔の悲鳴でも上げていたかもしれない。けれどカニはどこまで行ってもカニなのか、鳴き声一つ上げることなく無言のまま徐々に体液とともに力を失っていき、やがてその巨体を地面に横たえた。


 平太を挟んでいたハサミも力を失い、ゆっくりと地面に降りていく。


「ふう……」


 ハサミから解放され、息をつく平太。


「まったく、無茶しやがるぜ……」


 自分ことを棚に上げ、シャイナは平太を見て苦笑いする。


 それにしても、剣もまともに扱えないド素人に命を助けられるとは。


 もう何度目だろう。この男に驚かされるのは。


 初対面で鼻っ面をへし折ってやったときは、本当になんの変哲もない貧弱な野郎だった。


 それが毎日鍛えているせいか、最近心なしか少しだけ、ほんの少しだけ逞しくなったような気がしないでもない。もちろん、自分や本職の戦士に比べたらまだまだひ弱な部類だが。


 なのに自分が命を捨てて仲間を逃がすことしかできなかった状況を、思いもよらぬ方法で逆転させ、あまつさえ全員助けるという離れ業までやってのけた。


 最初作戦を聞いたときは眉唾だったが、実際あいつの言う通りに敵が動き、言う通りにやったらカニの腹がめくれた。


 まるで魔法だった。


 自分には、バラしたカニの甲羅をあんなふうに使おうとか、カニのバラし方が応用できるかもしれないなんて発想は逆立ちしたって出ないだろう。


 何なんだあいつは。これが異世界の知識というやつか? ――シャイナは平太を凄いと思う反面、自分の戦士としての経験や努力を否定されたような気がして、素直に今の状況を喜べない自分を見つけた。


「バカな……何考えてんだ」


 違う、そうじゃない。


 平太は自分の役目を果たしただけだ。


 そして自分も自分の仕事をした。


 それだけだ。


 仲間が互いを信じ、それぞれできることをやっただけ。それでいいじゃないか。


 シャイナは自分を納得させるように一度肯くと、平太を労うために歩み寄ろうとした。


 が、


「ベイダざま~~~~、ジャイナざ~ん!」


 みっともないほど涙と鼻水にまみれながら、シズがこちらに向かって来た。服を着るのがもどかしいほど心配だったのか、裸のまま服だけ抱えて走っている。


「だーーーーーーーーーっ!!」


 最後にはもう服など邪魔でしかなくなったのか、その辺に放り捨てて平太目がけて飛び込んだ。


 慌ててシズを抱き止める平太だが、全裸なので目のやり場に困っている。やはりコイツ童貞か。


「よかった~無事で~、よかった~。心配しましたよ~……うえ~~~ん」


 見ているこちらが心配になるくらい、シズは自分たちが無事な姿を見て感涙している。数日留守番をさせた犬ような彼女の姿に、シャイナはもう何かを言う気力が失せてしまった。


 シャイナは砂地に横たわったレクスグランパグルの死骸を見上げる。


 落ち着いてよく見ると、本当にデカい。思わぬ大物だ。


「さあ、今度こそ帰るか」


 号令をかけると、平太もシズも勢いよく返事を返す。今度こそ帰ろう。みんなの家に。


 そして今ごろ気づいたが、


「ところでさ、これどうやって持って帰ろう……」


「あ……」


 シャイナがぽつりとつぶやくと、帰路に向けて意気揚々と盛り上がっていた二人の動きがぴたりと止まる。


 三人そろって巨大ガニを見上げる。


 さすがの異世界人も、すぐには妙案が出なかった。

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