表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ニートの俺が勇者に間違われて異世界に  作者: 五月雨拳人
第一章
13/127

第一回素材クエ

今回は初の三分割です。

     ◆     ◆


「これからはカニだよ、カニ」


 デギースは商売用とは違う無邪気な笑みを向けながら、平太に大きなハンマーを手渡した。


「はあ……」


 デギース武器防具店に、平太の生返事が染みわたる。平太はデギースから石の壁でも壊せるようなハンマーを受け取るが、まさかこれで店のリフォームをするわけでもあるまい。


 そもそも今日は鎧の素材について話があるからと、デギースの店に呼び出されたのではなかったのか。


 ちなみに馬は、スィーネが今日休みだというので彼女のを借りた。町に出ると行ったらシズが同行というかぜひ自分に乗ってくれと提案してきたが、さすがにまだ彼女に乗る踏ん切りがつかないので、屋敷の仕事を優先してくれと丁重にお断りした。


「おいおい、話が全然見えないぞ。ちゃんとイチから説明してくれ」


 平太が説明を求めると、デギースは自分の言葉足らずを棚に上げて、察しが悪いなあという顔をした。


「つまりね――」


 デギースが言うには、平太の鎧に新しい技術や素材を使ってみたいと思って試行錯誤していたところ、ようやく条件に合う素材が見つかったのだ。


「ああ、そういやそんなこと言ってたっけな……。で、その素材ってのがカニか」


「そう。正確にはグランパグルっていう巨大なカニっぽい魔物なんだけど、コイツの殻が軽いくせにとんでもなく頑丈でね。防具の素材にうってつけだと思うんだよね」


「ちょっと待てよ。カニじゃなくカニっぽい魔物かよ? カニと魔物じゃ話がずいぶん変わってくるぞ」


 平太が詰め寄ると、デギースは「しまった口が滑った」と小さく舌打ちした。


「滑ったじゃねーよ。お前そういう大事なことはちゃんと言えよ!」


「大丈夫だよ。魔物って言っても下級も下級だから、実質カニと大差ない知能と能力しかないよ」


「本当かよ……」


「そこは嘘つかないよ。命にかかわるからね」


「そこ以外は嘘つくんだな」


「まあね。商売だから」


 悪びれるふうもなく小さく舌を出すデギース。


「この野郎……」


「とにかく、そろそろグランパグルが繁殖する時期なんだ。今ならわりと手軽に狩れるから、ちょっと行ってサクっと狩ってきてよ」


「ちょっと行ってサクっとか言われても、狩りなんてやったことないぞ」


「ああ、それなら大丈夫。プロに同行してもらえるように頼んであるから」


「プロ?」


 プロって何のプロだよ、と平太が疑問を口にしかけたそのとき、店の入り口が開いて、


「ちーっす」


 シャイナが入ってきた。


「やあ、いいところに。今ちょうどシャイナの話をしてたところなんだよ」


 シャイナは平太が初めて見る本格的な鎧姿で、歩くたびに金属のこすれる音をさせながらやってくる。


「どうせロクでもない話なんだろ。それよりさっさと仕事の話をしろよ――あ?」


 そこでようやくシャイナは店の中に平太がいることに気がついた。


「何でお前がここにいるんだよ?」


「何でって、お前こそ」


 二人して疑問を投げかけ合う。


「では僕から説明しよう」


 ぱんぱんと両手を叩いてカウンターから出てくると、デギースはシャイナを改めて平太に紹介する。


「今回はシャイナがきみに同行する――いや、きみがシャイナに同行すると言った方が正しいかな? まあキャリアは明らかに彼女のが上だし、何よりプロだからねえ」


 今さら何の紹介かと思ったら、何箇所か聞き捨てならない単語が出てきた。


「え、ちょっと待て。キャリア? プロ? シャイナが? どういうことだよ?」


 まったく状況を飲み込めない平太に疑問を一度に投げかけられ、シャイナは面倒臭そうな顔をする。


「うっせえな、あたしの仕事だよ」


「仕事?」


 疑問が増えた。コイツ仕事なんてしてたのか。


「あれ? 聞いてなかったの? シャイナは狩りをしたり狩りの手助けをするスペシャリストだよ。主にうちが依頼を出して素材を狩って来てもらったり、ちょっと技術や経験が物足りない連中に付き添ってもらってるんだ」


「マジか……」


 意外だった。てっきり暇と剣の腕を持て余した、自分と同じ無職だと思っていたのに。平太は勝手に彼女に裏切られた気分になった。


「あぁ? 何だその顔は? どーせお前、あたしのこと毎日ヒマでブラブラしてる穀潰しだと思ってたんだろ。ちげーよバーカ、働いてねーのはお前だけだっつーの」


「ぐ……」


 鋭い。そして言葉の切れ味も。異世界に来てまでもニートをしていることに、いささか不安ややましさを感じていた平太の心にぐさりと突き刺さった。


「つーか狩りなんて厳密には副業みたいなもんだ。あたしの本業はあくまでコイツだからな」


 そう言ってシャイナは腰に帯びた愛用の長剣をすらりと引き抜く。


 室内の照明を受けて光を跳ね返す剣は、刃こぼれ一つなくよく手入れされているように見える。が、目を凝らして見るとあちこちに細かい傷が入っていて、自らの歴史を物語っていた。


 剣をこれだけ使い込むには、一体どれだけの獲物を斬ったのだろう。いや、どれだけの人を、というべきだろうか。


 彼女の本業は、あくまで戦士なのだ。


「でも今は大きないくさもないから、開店休業中だよね」


 にこにこ笑いながら、デギースは店の奥から平太に渡したものよりもさらに二回りほど大きなハンマーを持ってくる。小柄な彼では持ちきれず、店の床をゴリゴリ引きずっていた。


「というわけで、今回はその自慢の剣も休業。獲物は固い甲羅のカニだから、そんなの使ったらすぐ剣がダメになっちゃうよ」


 そう言ってハンマーをシャイナに差し出すと、シャイナは軽く舌打ちをするとともに、剣を音もなく鞘に収め、デギースの手からハンマーを軽々ともぎ取った。


「注意しとくけど、カニの背中は絶対叩いちゃダメだよ。そこが大事な材料だから傷つけないように。狙うなら柔らかいお腹。弱点だから忘れないでね」


「甲羅を傷つけずカニの腹だけ叩けって、どうやればいいんだよ?」


 やたら重たいハンマーを持て余しながら平太が尋ねるが、デギースは「そこは自分で工夫してよ。僕は狩る人じゃなく作る人だからね」と取り合ってくれなかった。意外とドライな奴だ。


「ところで、そのカニはどこにいるんだ?」


「ここから南に馬で三日ほど行ったところに、遠浅の海岸が広がってるだろ」


「ワドゥーム海岸か。たしかに、カニの好きそうな地形だ」


 シャイナとデギースの会話に、平太が「馬で三日? 日帰りじゃないのかよ」と割り込む。


「馬鹿言うな。下級とはいえ魔物がいる近くに人が住めるかよ」


「なるほど……たしかに」


 ついRPGの気分で考えてしまうが、よく考えてみれば町のすぐ近くを魔物が闊歩していたら、住民は不安で仕方ないだろう。オリウルプスは王都だから高く堅牢な城壁で守られているが、普通の町や村など防衛もたかが知れたもので、日々不安との戦いであろう。



 シャイナの注文で、デギースは平太に鎧も貸してくれた。


 新米衛兵のような鎧に着られている平太とシャイナが帰り、店はようやく静かになる。


 デギースはそれからしばらく店内を掃除したり商品を磨いたり新しい武器や防具のアイデアを練っていると、


「あ……」


 二人に大事なことを言い忘れていたことに気づいた。が、


「ま、いいか」


 すぐに思い直し仕事を再開した。



 平太とシャイナがドーラ邸に戻り、夕食の場で明日グランパグルを狩りに出かける旨を話すと、


「わたしも行きます!」


 予想通り、給仕をしていたシズが勢い込んで同行を申し出た。


「屋敷の仕事はどうするんだよ」


「でも、ヘイタ様……」


「行き先と日程は?」


 不満を言うシズの言葉を遮って、ドーラがシャイナに尋ねる。


「ワドゥーム海岸に、ざっと十日ってとこかな」


 往復だけなら一週間もあれば十分だが、魔物とはいえ野生動物を狩るのだ。そう予定通りにことが進むわけはないので、あくまで目安である。


「十日? 十日も他の女と二人きりなんて、わたしは許しませんよ!」


「お前は俺の女房か」


「はい!」


「即答すんな!」


「別にお前に許してもらうつもりもねえよ」


 焼いた肉をむっしむっし喰らいながら、シャイナは言う。シズが使用人としてやって来て以来、明らかに食事の質が向上している。彼女はかつて詐欺の仕事がない間は詐欺師たちの身の回りの世話をさせられていたので、家事全般は人並み以上にできるのだ。


「さすがに十日も家を離れられちゃうとねえ……掃除や洗濯物が大変なことになっちゃうよ」


 ドーラもシズの料理だけでなく、掃除や洗濯などの家事労働には大変満足しており、今や彼女のいない生活など考えられないほどになっているようだ。それほどシズの使用人として優秀だった。


「しかし、さすがにわたしの馬を十日も貸すのは不便ですね」


 スィーネの言葉に、「あ~……」と他の連中が納得するように唸る。一日二日ならともかく、この世界では馬は大事な移動手段なのだ。


 特にドーラやスィーネは王都に仕事を持つ身なので、通勤手段を失うのはかなりの痛手である。


「でしょ? でしょ? ここはやはり、ヘイタ様にはわたしに乗ってもらう他ありませんね」


 言質を得たとばかりにシズが勢いを取り戻す。


 詐欺事件以来、平太の馬をどうするかという問題は今の今まで先送りになっていた。それは当初、馬に変身したとはいえ少女に馬と同等の扱いをしても良いものかという倫理的なものだった。が、すぐにシズの使用人としての優秀さが証明されると、馬として使うなんてとんでもない、彼女にはもっといい使い道があるではないかという打算的なものへと変貌していた。


 つまり、金貨十枚で馬を失ったと考えるのではなく、金貨十枚で優秀な使用人を雇ったという方向にシフトしたのだ。


「とにかく、絶対わたしもついて行きますからね!」


「お前なあ……」


「わかったわかった、好きにしろよ」


「ほんとに!? やったあ!!」


 シズの根気に負けて、とうとうシャイナが折れた、と平太は思った。だが、


「どうせ馬が必要なんだ。それに仕留めたカニを解体バラす奴がいた方が効率的だしな。っつーかこの穀潰しよりよっぽど役に立つだろうぜ」


 そう言ってシャイナは先割れスプーンの先で平太を指す。まだ昼間のことを根に持っているようだ。


「ぬう……尻の穴の小さい女め」


「な、何てこと言いやがるこのスケベ野郎!」


 殴られた。どうやらグラディアースにはこの慣用句はないようだ。


「ともかく、今まで使用人なんていなくてもやってこれたんだ。十日やそこらいなくっても何とかなるだろ」


「まあ、言われてみればそうだけど……ねえ、」


「人間は、楽や美食を憶えると際限なく駄目になる生き物ですから」


 粗食に耐えるのが仕事のような僧侶のスィーネですら、シズが同行するのに消極的に反対する。やはり人間、胃袋を握られると弱い。今やシズは、この屋敷にはなくてはならない存在にまで登り詰めていた。


「屋敷の仕事以外ではわたしの自由にしても良い、という約束なので、お二人には申し訳ありませんが、しばらく我慢してくださいね」


「……まあ今回は一応ヘイタの鎧の素材集めっていうし、広い見方をすれば魔王討伐の一環だから仕方ないか」


 とほほ、とドーラはネコ耳を伏せる。この条件を提示したのか自分だけに、それを言われたらぐうの音も出ないだろう。


「それではわたしは明日の準備がありますので、本日は早めに休ませていただきます」


 そう言うとシズはぺこりと頭を下げ、さっさと自室に引っ込んでしまった。


 食堂に沈黙が流れる。


 料理が冷めては勿体ないと、一同はとりあえず目の前の食事をやっつけにかかる。


 最初は黙々と食べていたドーラたちであったが、その動きが見る見る加速していく。彼女たちが何を慌てているのか、最初平太にはわからなかった。


 が、シズが退室したことが起因していることに気づいたときには、すでに完全に出遅れていた。


 彼女らは勝負していたのだ。


 最後まで食っていた奴が、晩飯の後片付けをすると。


 結果は、推して知るべし。



 翌朝。


 シャイナたちは一度、王都オリウルプスで食料や水を補給すると南へ転進。そこからはひたすら南下をたどった。


 初めは馬に変身したシズに乗ることに難色を示していた平太であったが、人間、慣れというものは恐ろしいもので、数時間もすると感覚が麻痺したのか、シズが馬としての性能も高いというのも相まって、普通に乗りこなしていた。


 そもそも中身が人間なので、言葉が通じるのと知能が人間だというのが大きい。言えばわかってくれるし、こちらの気持ちも斟酌してくれる。こんなありがたい馬が他にいるだろうか。おまけに家事万能とくれば、これで金貨十枚は破格の買い物である。



 往路の三日間は取り立てて目立ったトラブルもなく、順調進んだ。


 そして四日目の朝。


「うわあ……」


 見渡す限り遠浅の海。背後には南国風の密林。潮の香りとむせ返るような緑の匂いに、平太は思わず呆然とする。


「ここがワドゥーム海岸だ」


 平太の隣に馬を寄せ、シャイナがにやりと言う。


 ようやく到着した。


 ここが、狩り場だ。


 すぐさま狩りを開始――と言いたいところだったが、まずは拠点となる場所を確保しなければならない。


 明るいうちに安全かつ快適な寝床を確保するのは、サバイバルの基本である。


 幸い海側の反対に広がるジャングル地帯を少し入ったところに岩場があり、それらしい洞穴を見つけた。


 見れば、少し古いが木を燃やした後や炭のカスが残っており、どうやら先人がここを拠点としたのがうかがえた。広さも三人が寝るには十分だ。


 これでねぐらは確保した。シャイナたちは荷物を洞穴の中へと移動させ、馬を近くにつなぐ。馬は周囲の危険に敏感なため、いざという時警報の役割も果たすのだ。


 シズは変身を解き、自分の服に着替える。馬の姿だったとはいえ、これまで平太や荷物を乗せて歩きづめだったのに、彼女は疲れをまったく見せることなく、薪を集めたり洞穴の中を掃除したりとてきぱき働いた。


「さすがというか、旅慣れてやがるな」


 思わずシャイナが感嘆の声を漏らすほど、シズは有能だった。


 彼女が働けば働くほど、平太の無能が際立ち、彼の中に焦りを生む。


「すっかり日が高くなっちまったが、周囲の見回りも兼ねて軽く出るか」


「お、おう!」


 シャイナがハンマーを手に外に出ると、平太も自分の得物を手に後に続いた。


 ここで少しでもいいところを見せないと。そんな気持ちが沸き上がっていることに、平太は気づかなかった。



 わずか三日ほど南に下っただけとは思えない強烈な陽射しの中、平太はシャイナの後を追って歩いた。


 ただでさえ着慣れない鎧のせいで歩きにくいのに、足首が浸かるくらいの深さの海岸を延々歩く。


 おまけにデギースが持たせたハンマーが重くて余計に体力を使う。これが体力作りをしていない頃の平太だったら、三十分でゲロを吐いて倒れていただろう。


 重い暑い疲れるの三重苦の中を一時間ばかり歩いたころ、


「――止まれ」


 前を歩いていたシャイナが左腕を真横に伸ばして制止した。


「いたぞ」


 見れば、遠目には青紫色の岩にしか見えない塊が波打ち際にぽつんと落ちていた。だが目を凝らしてよく見ると、心なしかもぞもぞ動いている。


「あれがそうか」


 静かにシャイナの隣に歩み寄ると、彼女が黙って肯く。


 ようやく見つけた。グランパグルだ。


「思ったよりデカいな」


「いや、あれでもまだ小さい方だ」


「マジか」


 グランパグルはカニというよりは青紫色をした巨大なヤドカリのような形状で、大きさはポリバケツくらいあった。片方だけ無駄に発達したハサミがシオマネキを連想させたが、見た目のヤバさはヤシガニに近かった。あのハサミで挟まれたら、大人の腕や足でも簡単にちょん切れるだろう。


 グランパグルは小さい方のハサミを器用に使って、砂をほじくって何かを懸命に掘り出しては口に運んでいる。どうやら食事中のようだ。


「いいぞ、メシ食うのに夢中になってやがる」


 チャンス、とばかりにシャイナがにやりと笑う。視線は遠くのグランパグルに向けたまま、ぽんっと平太の肩を叩く。


「よし、行って来い」


「はあ?」


「はあ? じゃねーよ。お前の鎧のための狩りなんだから、お前がやらないでどーすんだ」


 おかしい。シャイナが正論を言っている。だからと言って承服するわけにもいかない。何しろ平太は狩りはおろか、ハンマーを使うのも生まれて初めてなのだから。せめて手本をくらい見せて欲しい。


「ああ? ったくしょーがねーな……」


 シャイナは渋面したが、ここで言い争って無駄に時間を使い、目の前の獲物を逃がす方が愚策だと判断したのか、兜の面当てを引き下ろすと、


「今回だけだからな。しっかり見てろよ」


 平太のよりも大きなハンマーを手に駆け出した。


 水しぶきを立てながら、シャイナが駆ける。重い鎧と手に持ったハンマーの重量を感じさせないほど軽快に、グランパグルの死角になるように大回りのコースを辿って近づいていく。


 目標との距離約20メートル。まだ相手はこちらに気がついていない。完全に背後を取った。


 だが10メートルほどにまで近づいたとき、砂をほじっていたグランパグルの手が止まる。飛び出た目が周囲を見回し、遮蔽物の何もない水平線の向こうから迫って来るシャイナの姿をとらえた。


 気づかれた。


 逃げられる――と思ったのも束の間、グランパグルは平太の予想を裏切り、六本の足を器用に使って転身すると猛然とシャイナに向かって走り出した。


「向かってきた!?」


 カニっぽい見た目にすっかり忘れていたが、グランパグルは下級とはいえ魔物である。砂の中のエサよりも、若くて活きのいい人間の方が好みだと言われても納得できよう。


 後ろからの不意打ちが成功するものとばかり思っていた平太は、突如状況が一変したことにすっかり慌てる。


 だがシャイナはグランパグルがこちらに気づいたのも、向かって来ることも想定済みなのか、まったく慌てるどころかさらに走る速度を上げた。


 グランパグルの走る速度は、平太の見たところ中型犬と同じくらいだった。少なくとも、今の平太では絶対に逃げ切れない。


 それにシャイナは逃げるどころか全速力で向かっている。このままではあと数秒で両者が衝突する。


 どうする――平太が何も思いつかないうちに、シャイナが先に動いた。


 左足を前に出したまま、ハンマーを振る体勢に移行。


 水を切るように滑りながら、シャイナはハンマーを振りかぶってトップスイングの姿勢のまま保持。滑走しつつ得物を構えるその姿は、アイスホッケーの選手がシュートを打つ直前に似ていた。


「でりゃああっ!!」


 シャイナが吠える。


 全速力で走る速度と、ハンマーの先端の重量とヘッドスピードが合わさって攻撃力となり、そこにさらに相手がこちらに向かって来た速度とその重量が加算される。


 つまり、破壊力。


 一撃で十分だった。


 装甲の防御力を超える衝撃が腹部に叩き込まれ、ぐしゃり、という音とともにグランパグルが吹っ飛んだ。


「ナイスショット」


 思わず平太がつぶやく。それほど綺麗なスイングで、打球はゆるい放物線を描いて15メートルほど飛んだ。


 シャイナはオーバースイングの体勢で右手をハンマーから離し、その手を額に当てて遠くを見る真似をする。


 そこでようやく、グランパグルは地面に落ちて水しぶきを上げた。


「おし、一丁上がり」


 シャイナはハンマーを浅瀬に突き立て、兜の面当てに指をかけて引き上げる。あれだけ動き回ったのに息一つ乱れていないが、さすがに暑さのせいで汗をかいていた。


 汗で額に貼りついた赤毛が、陽光に照らされてきらきらと輝く。手の甲で額の汗を軽く拭うその姿に、平太は思わず見とれてしまった。


 正直、カッコいいと思った。


 同時に美しいとも思った。


 やはりコイツはカッコいいし強いしその上美人だ。悔しいが、それは認めるしかない。今の自分では逆立ちしたって何一つ勝てないだろう。


 唯一引き分けたあのケンカも、言ってみれば裏技を使ったようなものだ。実力じゃない。


 早くコイツに認められるようになりたい。平太が腹の中に嫉妬にも似た重たいもの抱えてシャイナを見つめていると、


「なに見とれてるんですか」


「うわあ!!」


 いきなり背後から声をかけられ、平太は驚いて声を上げた。


「まったく油断も隙もあったもんじゃない。やれやれ、やっぱりついて来て正解でした」


 振り返ると、大きな袋を背負ったシズが立っていた。


「な、なんだよ。俺は別に……」


 そこで平太はシズの大荷物に気づき、言い訳じみた言葉を止める。


「何だそのデカい背負い袋は?」


「ああ、これですか?」


 とシズを袋を揺すって背負い直す。うら若き少女がいかにも重そうな荷物を軽々と背負う姿に、最近ちょっと筋力に自信が出てきた平太の天狗の鼻がまたもやポッキリ折られる。


「シャイナさんにカニの解体を仰せつかったので、その道具とか色々ですよ」


 カニなんて鍋にちょろっと入った足をほじって食べたことしかない平太には、それだけの荷物がどうカニを解体するのに必要なのかまったくわからない。


 それよりも、シズがここに来てしまってはねぐらの荷物や馬などが無防備ではないか。誰が番をするというのか。


「大丈夫ですよ。盗られて困るものはこうして持ち歩いてますし、さっき鳥になって上から見回してみましたけど、この辺りにいる人間はわたしたちだけでしたよ。それに万が一何かあっても、シャイナさんの馬が教えてくれますって」


「お前馬だけじゃなく鳥にもなれるのかよ!?」


「極端に大きかったり小さい動物や魔物じゃなければ、だいたいの動物に変身できますよ? 言ってませんでしたっけ?」


 聞いたような、聞いてないような。だが荷物が大きい理由は納得した。いや、問題はそれだけじゃない。


「シャイナの馬が教えてくれるって、馬の言葉がわかるみたいな言い方だったけど、」


「だいたいわかりますよ」


 笑顔で当然のように答えるシズの言葉に、平太は目眩を覚えた。家事全般ができて色んな動物に変身できて運搬能力もあって、おまけにサバイバル経験豊富のみならず動物の言葉もわかる。勝てる要素が一つも見当たらない。


 後輩が入って自分の地位が一段上ったと油断してたら、実はそいつが超優秀であっという間に追い越され、自分が下っ端のままだっただけならまだしも以前よりも評価が下がってました、みたいな気分になる。


 いけない。このままでは本当に自分の存在価値がなくなる。言いようもない不安に襲われる平太であったが、如何せん現状を打破する知恵が何一つ浮かばない。


 ただやれることは、今手に持っているハンマーでカニを狩ることだけだろう。

 焦る。


「おう、来たな。早速一匹頼むわ」


「わかりました」


 シャイナが殴り飛ばしたグランパグルを回収してシズに渡すと、彼女は荷物の中からどう見ても拷問用にしか見えない器具を取り出して解体作業に取りかかった。


 鼻歌交じりに甲羅の継ぎ目に鉄釘を打ち込み、ペンチのようなもので捻ると意外なほど簡単に甲羅が剥がれた。


 それから内臓と思われるものをかき出して海水で洗い流すと、どこからか小魚たちが寄ってきてつつき始めた。


 外見がカニっぽいと思っていたが、中身もやっぱりカニだった。固い甲羅を剥がしてみれば、ぷるんとした弾力のある身が詰まっていて、シズが金属のヘラですくうと、足一本分の身がするりとほぐれた。


「どうせならこれ、今晩のおかずにしちゃいましょうか?」


「え? 食えるの? っていうか食うの、それ?」


 さすがにいくらカニっぽいからといって、魔物を食うのはどうだろう。しかし魔物というのを差し引いて見れば、何と見事なピンク色の身だろう。実に美味そうだ。


「ちょっと待てよ」


 待ったをかけたのは、シャイナだった。


 やはり食えないのか、と当たり前のことに安心すると同時に、なんだ食えないのかと残念な気持ちが湧いてくる。


「あたしが仕留めたんだから、ミソはあたしのもんだからな」


「ってやっぱ食うのかよ!」


 何かと思えばまさかの権利主張だった。


「魔物だぞ? 食って大丈夫なのか?」


「まあ魔物っつっても下級もいいとこだからな。実質カニと大差ないって。細かいことを気にするなよ」


 細かくねーよ、と平太がツッコミを入れるが、シャイナの心はすでに夕餉のカニ料理へと向かっていて、「しまった、酒を持ってくるの忘れた」と悔しがっている。


 そうこうしている間にシズはグランパグルの解体を終え、足元の海水で今ばらしたばかりの甲羅を洗っていた。


「中身を抜くと、思ったより軽いですね」


 きれいに洗い終わった甲羅を水から上げると、すくい上げられた海水が甲羅からこぼれる。


「それに、すごく固いですよコレ」


 シズがグランパグルの甲羅とハサミを打ち合わせると、金属同士がぶつかったような硬質な音がした。


「これなら丈夫な鎧が作れそうですね」


「そうだな。けどこれ一枚じゃぜんぜん足りなさそうだ」


「じゃあいっぱい獲らないといけませんね」


 がんばるぞーとシズは両の拳を握り締め、やる気満々といった感じだ。これは負けられない、と平太も対抗意識を燃やす。


 が、彼らのやる気に反して、それ以降グランパグルを見つけることはできなかった。どうやら日が高くなってからの遭遇は稀のようだ。


「やっぱ昼間はダメだな。明日は早朝から探すぞ」


 シャイナの仕切りで、今日の狩りはここまでとなった。


 グランパグルは意外と美味だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ