熱血! 初代勇者
◆ ◆
「俺が……勇者……?」
ハートリーはごくりと唾を飲みこんだ。覆面の向こうで喉が大きく上下する。
「そうよ。貴方は五百年前、わたしたちと一緒に魔王と戦った勇者よ」
ドーラの張った結界の中が、しんと静まり返る。アルマの言葉がよほどショックだったのか、みな驚いた表情のまま固まっている。
沈黙を破ったのは、シャイナが地面に膝を着く音だった。
シャイナは力なく地面に崩折れると、赤毛を両手でつかみ、
「うそだああああああああああああっ!!」
声の限り叫んだ。
こうなると思った、と予め知っていた平太以外は、みんなシャイナと似たり寄ったりの表情だった。例外は、覆面で表情がわかりにくいハートリーだけだ。
「嘘じゃないわ。いいじゃない、自分の師匠が勇者だったのよ? 喜びこそすれ、嘆く事ないじゃない」
それに、とアルマはまだ動揺しているハートリーのほうを向く。
「貴方だって薄々気づいてはいたんじゃないの? 少なくとも、自分がただの人間ではない事くらいは」
「そ、そいは……」
「じゃあその覆面を外してみなさいよ。そこのシャイナちゃんの師匠だって言うくらいだから、結構歳はいってると思うんだけど」
ぐ、とハートリーが唸り、覆面を守るように腕を上げる。その態度だけで身に覚えがあると言っているようなものだ。
「師匠……」
地面に両膝を着いた状態で、シャイナがハートリーを見る。少し涙声なのは、嬉しいのか悲しいのか。
「俺は……」
ハートリーはためらいがちに、覆面に手をかける。
皆が見守る中、ハートリーはゆっくりと覆面を外していった。
「やっぱり」とアルマが言う。
覆面を取ったハートリーの顔は、平太とそう変わりない年齢の青年のものだった。
「若い、ね……」
ドーラのつぶやきに、スィーネが無言で頷く。「おじちゃんかと思ってた」とスクート。
「そんな……マジかよ……」
「師匠……」
弟子二人の驚愕の声に、ハートリーは辛そうに俯く。だが、それほど悲壮感がしないのは、恐らく長年胸の内に秘めていた、自分自身が何者かという問いに答えが出たからかもしれない。
「俺が、元勇者か」
「そうよ。思い出した?」
「いや、だがこれで少しスッキリした。自分が何者か――ずいぶん長い事悩んだもんだ」
「ごめんなさいね、せっかく忘れて新しい人生を歩んでいたのに」
「構わんよ。この先どれだけ生きるかわからんが、ずっとあんな思いをして生きるよりはよっぽどマシぞ」
愛想笑いではないハートリーの表情に、アルマは「良かった」と胸をなで下ろす。
「そいで、俺の正体がわかったのはええが、俺はホラ、」
ハートリーは自分のこめかみの辺りを指で数回つっつく。
「記憶がごっそり抜けとるポンコツぞ。おんしらの事もすっかり忘れとるし、そんな俺に何ができる?」
「今から貴方に記憶の一部を少しだけ返すわ。そうすれば、恐らくわたしたちと再契約するくらいはできるようになる、」
はず、とアルマは最後だけ自信がなさそうに言う。彼女も、こればかりはやってみないとわからないのだろう。
「記憶の一部?」
「ここからはわたしが話そう」
グラディーラがアルマに代わって説明を始める。
「今からお前にわたしの記憶の一部を移植する。それが呼び水となれば、失った記憶が少しは蘇るかもしれん」
それは、かつて平太に施したものだが、今度は本人にグラディーラの記憶を移植する事になる。
「おい、大丈夫なのか?」
当然平太は疑問の声を上げる。何しろ経験者だし、後遺症で苦労した記憶も新しい。何よりこの状況で大戦力であるハートリーに寝込まれたら、困るどころの話ではない。
「案ずるな。別にお前の時のようにわたしの記憶をすべて移植するわけではない。少し刺激を与えて、こいつの中に微かに残っている記憶を掘り起こそうというだけだ」
「つまり、手加減はするんだな」
「当たり前だ」
心外だというグラディーラの表情に、平太はどうにか納得する。
「それじゃあ、時間も無いし始めるぞ」
「お、おう……お手柔らかに頼むぞい」
グラディーラがハートリーの正面に立つ。ハートリーの顔が緊張で強張るのはわかるが、何故かグラディーラはそれ以上に緊張しているようだった。
「あ、まさか」
悪い予感のようなものが平太の頭をよぎったのと同時に、グラディーラが力強くハートリーの両肩を掴むと、
「ふんっ!」
頭突きと見間違えるほど勢いよく唇を押し当てた。
「な……!?」
一同が見守る中、強烈なキスシーンに動きが現れる。硬直して固く結ばれたハートリーの唇が、グラディーラの唇で力任せにこじ開けられた。
「おおっ!」
妹の強気な攻めに、姉が握り拳を作る。そうしている間に開いた城門から賊が攻め込むように、グラディーラの舌が侵入する。あまりにも生々しい光景に、思わずシズがスクートの目を両手で隠した。
「ぐおおおおおおお……」
まるで口から侵入して脳を食らう魔物から逃れるように、ハートリーは背を反らしてグラディーラから離れようとする。だがグラディーラは逃すまいと身体を倒してハートリーを追う。あたかも熱烈なキスシーンに見えるが、二人の形相は必死だった。
やがてグラディーラの舌から送り込まれた唾液を、ハートリーがごくりと呑み込む。ハートリーが嚥下したのを見届けると、ようやくグラディーラはハートリーを離した。
「ぷはあっ!!」
息を荒げる二人を、平太たちは固唾を呑んで見守った。
変化はすぐに現れた。
「お、おんし、いきなり何を――」
顔を真赤にして唇を手の甲で拭うハートリーの身体が、急にびくんと跳ねた。
「始まったか」
同じく唇を手の甲で拭いながら、グラディーラが言う。
彼女の送り込んだ唾液には、自分の記憶を圧縮した因子が混入していた。それがハートリーの脳を刺激し、忘れていた過去を思い出すきっかけを与えているのだ。
記憶因子がハートリーの脳にあるニューロンをキック。魔術的に封印されている神経の末端に取り付き、封印箇所ごと強制的に切除。断面を強引に加工して他のニューロンと接続させ、力づくで記憶の再構成を行う。
「がっ……!」
脳ミソを直接操作され、ハートリーの身体がやばいくらい痙攣を始める。ひきつけを起こしたまま地面に仰向けに倒れ、口から大量の泡を吐き出す。
「お、おい……これ、ヤバいんじゃないのか……」
凄絶な光景にビビる平太が情けない声を出すが、それ以外の連中はもっと酷い状況だった平太を何度も見ているので結構冷静だった。
「大丈夫だよ。人間って思ってる以上に死なないものだし」
「口から泡を吐いてるだけですし、問題無いでしょう」
「目や耳から血が出てからが本番ですよねー」
淡々と言うドーラ、スィーネ、シズの言葉に、平太は目の前の光景よりも薄ら寒いものを感じた。
「心配するな。さっきも言った通り、十分手加減はしてある。ただ消去された記憶がどれだけ強い魔法で処理されていたかで脳への負荷が決まるから、魔王の忘却魔法クラスだと相当ダメージがあるかもしれないな」
「それ先に言ってあげて……」
事後報告でとんでもない事を言うグラディーラに、平太はドン引きする。
そうこうしている間にハートリーの痙攣が収まると、いきなり目を見開いた。
「思い出した!」
「うわ、びっくりした」
驚くドーラたちを尻目に、ハートリーはたっぷり睡眠をとった朝のような爽やかな顔で起き上がる。
「グラディーラ、スクート、アルマ! 思い出した! 思い出したぞ!」
ハートリーは口の泡を振り切る勢いでグラディーラたちに向き直ると、懐かしい友人に会ったような顔を見せた。
「ついに思い出したのね?」
アルマの問いに、ハートリーは力強く頷く。
「そう、俺は勇者だった。そしてお前たちと一緒に魔王と戦い――」
そこでハートリーは首を傾げる。
「あれ? 戦って、どうなったんだっけ?」
「憶えてないのかよ……」とズッコケながら平太が突っ込む。
「さすがに全部の記憶が蘇ったわけじゃなさそうね。けど、わたしたちの事を思い出してくれればそれで十分よ」
「おう。細かい事はいいじゃないか! 肝心なのは、俺がお前たちの事を思い出したって事だ!」
魔王との対決を細かい事で済まして良いものだろうか、と平太が疑問を感じていると、「あれ?」とドーラも別の疑問を感じたようだ。
「何だか、ハートリーさんの性格が変わってない?」
言われてみれば、目が覚めてからのハートリーは口調が違うし、見た目相応の若さというか溌剌さがある。そして何より妙な訛りが無くなっている。
「問題無い。あれは元々ああいう暑苦しい性格だったのだ。記憶と一緒に本来の性格が戻ったのだろう」
「え? ハートリーさんってああいう人だったの?」
「そうよ~。熱血で正義漢で純情な、本当にめんどくさい人だったわ」
「ああ、アルマはグラディーラたちより記憶が多く残ってるんだっけ」
ドーラがそう言うと、アルマは微苦笑して肩をすくめる。
「ごちゃごちゃ言ってないで、今すぐ始めるぞ! おい!」
ハートリーに乱暴に声をかけられ、平太の身体がびくりと震える。
「な、何でしょう?」
平太が少しビビりながら応えると、ハートリーは何やら言い難そうに頭を掻いたり貧乏ゆすりを始めた。
「あ~、何だ、その、つまりだな。グラディーラたちは、かつて俺の仲間だった連中だ。だが今はお前と契約しているようだし、お前の仲間だ。だから――」
そこまで言って面倒臭そうに「あーもう、とにかく!」とグラディーラたち三人を指差す。
「あいつらを、ちょっと借りるぞ」
どうやらハートリーは、グラディーラたちの今の主である平太に一応のスジを通そうとしたのだろう。いくら前勇者で昔の主だったとはいえ、過去の話を持ち出して自分が聖なる武具の本当の主面をするのは、さすがに彼の中ではカッコ悪い事だと思ったのか。
確かにアルマの言う通り、かつてのハートリーは熱血で正義漢で純情な、本当にめんどくさい人物だ。
だが、嫌いじゃない。
「わかりました。けど、無茶はしないでくださいよ」
「心配すんな。あいつらにはかすり傷ひとつつけたりしねえ」
「そうじゃなくて、」
「ん?」
「無茶しないでってのは、ハートリーさんにも言ってるんですよ」
ハートリーは一瞬平太の言葉の意味が理解できなかったのか呆然とすると、すぐににやりと笑って嬉しそうに平太の肩を叩く。
「馬鹿野郎、誰に向かって言ってやがる。それよりも、きっちり道を通してお前を城までたどり着かせてやるから、絶対魔王なんかに負けんじゃねえぞ」
「了解」
平太が親指を立てると、ハートリーは自分の親指を立てた拳を平太の拳に合わせた。
二人の拳が離れる。
「来い! グラディーラ! スクート! アルマ!」
ハートリーが叫ぶと、結界内が光で塗り潰される。そして光が収まると、平太の時とは違うデザインの白銀全身甲冑姿のハートリーが現れた。
ハートリーの甲冑は平太の筋肉質な有機的デザインとは対称的に、直線的で無機質な印象を受ける。有り体に言えばメタルスーツっぽい。だが手に持つ剣と盾は一般的な片手の両刃剣と盾で、SFとファンタジーが混ざったようなちぐはぐな感じだ。
ハートリーは何度か腕を回したり首を振ったりしてフィット感を確かめると、「よし」と満足そうに頷いた。
「それじゃあ始めるぞ!」
ハートリーの合図で、ドーラは結界の一部を解除した。同時に外に飛び出したハートリーは、構えた剣に魔力を集中させたまま駆ける。
すると結界の外に出たハートリーを見つけた魔物たちが、再び一斉に向かって来た。
襲い掛かってくる魔物の波を前に、ハートリーは動じる事無くグラディーラに魔力を収束させている。しかしこのままだと魔力が充填される前に、魔物の群れに呑み込まれるだろう。
それでもハートリーは僅かも慌てない。むしろ余裕の笑みを浮かべ、こちらに向かって来る魔物たちを涼しい目で見やる。むしろ早く来い、もっと近くに寄って来いと言わんばかりに駆ける速度をさらに上げた。
数万の魔物の爪や牙がハートリーに届く距離まであと僅か、というところで、グラディーラが強烈な光を放った。
「来たか」
早い。同じ事を平太がやった時は倍以上の時間がかかったはずだが、ハートリーはこの僅かな時間でグラディーラに十分な魔力量を充填させていた。
「遅い」
ハートリーが全速力から一転して制動をかけながら、迫り来る魔物に向けて剣を振るった。
次の瞬間、爆発のような光が放たれたかと思うと、ハートリーに向かって来ていた魔物の群れが一瞬で消滅した。
いや、消滅などという生易しいものではない。
グラディーラから放たれた戦略兵器級の空間魔法によって、その射線上にいた魔物は原子単位に圧縮あるいは圧搾されていた。そしてハートリーが宣言した通り、魔王の城に向けて巨大な彫刻刀が削ったように一直線に“道が通って”いた。
「今だ! 行けえええぇえっ!」
あまりの威力の凄まじさに呆然としていた平太が、ハートリーの号令で正気に戻る。この機を逃すまいと身体一つで結界から飛び出し、全力で駆ける。
前にいたハートリーに追いつく。
そして追い越す間際、ハートリーが平太に告げた。
「アルマからの伝言だ。『魔王に小細工は通用しない。ありのままの自分で戦え』」
一瞬の事だったので、意味を十分理解できないまま平太は通り過ぎた。
だが振り返って聞き直している時間は無い。ハートリーが開いてくれた道の外には、まだ半分以上の魔物が残っている。それらが空いた空間を埋めようと集まるのも時間の問題だ。
平太は全力で駆ける。剛身術で強化された脚力をもってしても、魔王の城までの距離は遠かった。
足の早い魔物が何体か追いつき、平太の前に立ちはだかる。しかし平太は武器はおろか防具も身につけていない完全な丸腰。今さらになって、何か武器の一つでも持ったほうが良かったんじゃないかと平太は思った。
とはいえ、その身一つで行けと言ったアルマを信じるしかない。一度魔王と戦った記憶を、僅かにだが持っている彼女が言う事だ。きっと何か重要な意味があるのだろう。
平太は覚悟を決め、とにかく魔物をかわして城に入る事だけを目標に決めた。正直言うと、戦うよりは逃げるほうがよっぽど得意である。
平太の逃げる能力はちょっとしたものだ。元々狩られる側の弱者である。自分よりも強い相手を察知する能力や、それから逃げる危機回避能力は高い。最終的には外敵のいる外には出ず、家から一歩も出ない事で護身が完成し、逃げる事をしなくなって久しいのだが、それでも昔取った何とやらだ。
本能のままに襲い来る魔物たちを、平太はひらりひらりとかわしながら、わずかも速度を緩めずに走る。
足の早い順に魔物が襲って来るので、最初は数が少なかったが、じょじょに追いついて来る魔物の数が増え、さすがに平太も易易とかわす事ができなくなってきた。
「こいつはまずいな……」
そうこうしているうちに、壁の如き大きさの魔物数体に行く手を阻まれた。これはさすがにかわせず、平太の足が止まる。
足止めを食らっている間にも、平太の周囲に魔物が集まり続ける。このままだと包囲され、一斉に攻撃されたらひとたまりもない。
こうなったら多少の負傷覚悟で突っ切るか――そう平太が特攻を仕掛けようとしたその時、
目の前を塞いでいた魔物の巨体に大穴が開いた。
「なに!?」
平太が驚いている間に、次々と魔物の身体に穴が開いていく。あっという間に通せんぼをしていた魔物たちが跡形もなく消えた。
もしや、と平太は振り返る。遥か後方、消えた魔物たちの延長線上。そこには、こちらに剣先を向けて親指を立てるハートリーの姿があった。
それを見て平太が理解するよりも早く、新たな魔物が襲い掛かった。
「しまった……!」
後ろに気を取られていたため、完全に不意をつかれた攻撃を平太はかわしきれない。
剛身術で防御を固める暇さえ無く、生身の平太に魔物の一撃は明らかに致命傷。当たればそれだけで確実な死が待っている。
驚愕に顔が引きつった平太の遥か後方。ハートリーがにやりと笑う。
次の瞬間、ハートリーが向けた剣の切っ先から、弾丸の如く凝縮された魔力が放たれた。魔力の弾丸は音速に届く速度で疾走すると、今まさに平太に一発かまそうとしている魔物の頭を綺麗に吹き飛ばした。
「マジか!?」
目を疑う光景であった。ハートリーはグラディーラの山をも穿つ一撃を弾丸ほどの強さに威力を調節し、平太を援護射撃していたのだ。
平太など全力で撃つだけでも精一杯だし、魔力を充填するのに時間もかかるというのに、ハートリーは半分以下の時間で充填、しかも威力を任意に調節できるのか。
「敵わねえなあ……」
改めて勇者としての能力の差を見せつけられつつ、平太は再び全力で魔王の城を目指す。
そしてついに、平太は魔王の城の中へと足を踏み入れた。




