追跡、追尾、三つ巴
◆ ◆
アルマが魔王の動きを感知してからすぐに、魔物たちも動き出した。
フリーギド大陸中の魔物が一点に集中するように移動を開始し、その光景はさながら大型動物が餌を求めて大移動しているようだった。
ただ、魔物たちは移動する事に集中しているのか、勇者を探すでも人間を襲うでもなく、ただひたすら歩き続けているように見えた。
実際何度か移動している魔物の群れに遭遇する事があったが、こちらが臨戦態勢をしているのにも関わらず、魔物たちは平太たちの事などまったく歯牙にもかけず通り過ぎて行った。
これにより、魔物たちはどこかに到着する事を最優先にしている事がわかった。そして方角から目的地も予測できた。魔物たちは、魔王の城に集結している。
「魔王の野郎、世界中の魔物を集結させるつもりか?」
「果たしてそうでしょうか?」
「あン? そりゃどーゆー意味だよ?」
意見を否定され、シャイナはスィーネを睨みつける。
「確かに総力を挙げて魔王の城を守るのは、一見理に適っているように見えます。しかし、魔王というのはそこまでして守らなければならないほど脆弱な存在なのでしょうか? むしろあらゆる魔物の頂点に立つ最強の存在である魔王を、その他大勢の雑兵が数にものを言わせて守る必要があるのでしょうか?」
「……なるほど」
言われてみればその通りで、シャイナも思わず納得する。
「けど、魔王は一番強いが、それ以前に魔物の親玉だろ? 自分たちの親みたいなのを全力で守るのは、当たり前の事じゃないのか?」
「……それもそうだな」
平太の意見に呆気なく考えを変えるシャイナ。そしてスィーネも「ええ」と頷く。
「ですからこれは、魔王の守護防衛というよりも、わたしたちに対しての人海戦術だと思います」
「そうだ、そうに違いない」
またもやスィーネの意見に同調するシャイナ。
「ボクはそこまで深く考えずに、ただ単に魔王の城に集まってるだけのように見えるけどなあ……」
奇しくもドーラが正解に近い発言をするが、平太とスィーネは「いや、きっと何か裏があるに違いない」と深読みしていた。さりとて、誰も正解を知らない問答をいつまでもしているヒマは無い。一行は慎重に魔物の群れとは距離を置きつつ、後を追う事にした。
☽
一方、魔王の城を飛び出したコンティネンスは、着々と平太たちに迫っていた。
何しろ彼は、かつてここフリーギド大陸から遠く離れたディエースリベル大陸にいる平太たちの居場所を、スブメルススの匂いを追って突き止めたのだ。同じ大陸にいるのなら、匂いを嗅ぎ当てるなど造作も無い事である。
今回も同様、シャイナの持つスブメルススの剣の匂いを追って、核のまま地下を追跡していた。
「近い、近いぞ」
確実に獲物に近づいている感触に、コンティネンスは核の身でほくそ笑む。地下を泳ぐように移動する彼ならば、平太たちに奇襲をかける事も容易であろう。
だがそんな彼も気づかなかった。
平太たちを追っている自分が、まさか追われているとは。
☽
魔王の城から追いかけてきたコンティネンスと、魔王の城を目指す平太たちの進路が衝突するのに、そう時間はかからなかった。
スクートがシャイナとの契約を解除し、平太と契約し直した数日後、ついに二つの線が繋がった。
時刻は昼。平太たちは昼食の片付けを終え、出発しようとしていた。
今回は、完全に不意を突かれた。
だが、付近を魔物の大群が移動している中、ほんの微かな異変を察知したシャイナはさすがだと言うしかない。もし彼女が直前に警告を発していなければ、平太たちは倒れる馬車の中でどうなっていたかわからないのだから。
「みんな馬車から出ろ!!」
そう叫ぶと同時にシャイナは、何が起こったのか理解できずに身体が硬直しているシズの腰に腕を回すと、強引に抱えて馬車から飛び降りた。
同時に、スィーネもドーラを小脇に抱えて馬車から飛び降りる。御者台の平太はシャイナの声に即座に反応し、地面に身体を投げ出すように跳んだ。
間一髪だった。
全員が地面に着地した瞬間、馬車が下から突き上げられるようにして飛んだ。繋がれたままの馬たちも一緒に引っ張られ、悲鳴を上げる。一瞬で馬車が丸ごと木のてっぺんに届きそうな高さまで上がった。
地面に退避した平太たちが見たのは、馬車を片手で頭上に持ち上げたコンティネンスの姿だった。
「なんだと……」と平太が唸る。
コンティネンスは視線を手に持った馬車から地面に散らばった平太たちに移動させると、
「逃したか」
太重い声でつぶやいた。
それから無造作に馬車を放り捨てると、紙くずのように馬車が地面を転がった。それでも車輪が外れたりしなかったのは奇跡なのか、作ったギデレッツの腕が良かったのか。
「復活してたのかテメー……」
以前と変わらぬ剛力ぶりを見せつけるコンティネンスの姿に、シャイナが怒りの声を上げる。かつて自分の失敗で倒し損なった悔しさが蘇ったのか、血が出そうなほど歯を食いしばっている。
自分の相手は決まった。そう言わんばかりにシャイナはシズを地面に下ろすのももどかしく、腰の剣を抜いた。
「シャイナさん!」
一人で突っ走ろうとするシャイナを、シズが腕を掴んで引き止める。
「待って下さい! 一人で先走ってはだめですよ!」
「離せコラ! こいつはあたしがやるって決めてんだ!」
「だったら、せめてヘイタ様たちと一緒に――」
戦って、そう言おうとしたシズの声が恐怖で止まる。突然凍りついたように言葉を止めたシズの異変に、シャイナは彼女の視線の先を追った。
「なに……」
そしてシャイナも息を呑んだ。
シズの視線の先、コンティネンスの頭上の遥か上に、イグニスとウェントゥスの姿があった。
☽
コンティネンスが地面に這いつくばった平太たちを見下ろすように、イグニスとウェントゥスは空の上からコンティネンスと平太たちを見下ろしていた。
「ようやく見つけたか」
眼下の光景に、イグニスはにやりと笑う。
「まさか、私と同じ事を考えるとは」
すぐ隣の意外そうなウェントゥスに、イグニスはやはりにやりと笑う。
「別にマネしたわけじゃねえぞ。たまたまお前とおんなじ事を考えただけだからな」
「いえいえ、別に非難しているわけではありませんよ。むしろ貴方と同じ事を考えた自分が情けないだけです」
「ンだとてめえケンカ売ってんのかよ」
頭の上でケンカを始めそうなイグニスとウェントゥスを見て、コンティネンスはようやく事態を呑み込む。
「自分を尾行てきたのか」
「お、ようやく気づいたのか。まーこの広いフリーギドで勇者たちを探すのは、正直ホネだからな。そこでお前の嗅覚を当てにさせてもらったってわけよ」
「悪く思わないでくださいね。これも魔王様の御命令を確実に遂行するためですから」
そう言うと二人はゆっくりと降りてきた。
「では、こうして無事勇者たちも見つかった事ですし、さっさと始末して魔王様に報告させていただきます」
一歩前に出るウェントゥスを、イグニスが見咎める。
「おいおい、ちょっと待てよ。こいつを始末するのは俺って決まってるんだ。お前は他の雑魚の相手でもしてろ」
「それは貴方が勝手に決めた事でしょう。それに、貴方はすでに一度戦ってるのですから、次は私に譲るのがスジというものではないですか」
「スジもクソもあるか! だいたいお前だって一度は戦う機会があったのを、てめえが間抜けだから見逃したんじゃねえか。スジを通すならそこんとこも考慮しろってんだ!」
「そ、それは――」
「待て。そもそも、見つけたのは、自分だ」
一番の功労者を差し置いて話を進めるイグニスとウェントゥスに、堪らずコンティネンスが割って入る。
「こいつらは、自分が見つけたのだから、ここは、自分に戦う権利がある」
コンティネンスの正論に、二人はたじろぐ。
「こいつ、こういう時に限って知恵が回りやがる……」
「核に傷を受けてから、性格が少し変わったような気がしますね。昔は体格に応じて大らかだったのに」
コンティネンスの言う事は正しいが、だからといって「はいそうですか」と引き下がるわけにはいかない。
これは、またとないチャンスなのだ。
いや、むしろ最後のチャンスと言ってもいい。この機を逃すと、もう二度と勇者たちを倒す機会は巡って来ない。つまりは、魔王の命令を果たす事ができなくなってしまうのだ。
それだけは避けねばならない。自分たちはそこらの雑魚ではなく、魔王直属の配下である四天王の一人なのだから。その地位と名に相応しい働きをしなければ。
すべては魔王のために。
だが、ここで誰が勇者と戦うかで仲間割れを起こしている場合ではない。せっかく相手の意表を突けたのだ。冷静になる時間を与えるのは得策ではない。
「……わかったよ。じゃあこうしようぜ。俺とコンティネンスは一度あいつらと戦ってるから、ここはウェントゥスに譲ろう」
「え……?」
意外にもイグニスが妥協案を出した。しかしそこはイグニス。ただでは折れない。
「その代わりウェントゥス、お前はそこの野郎一人だ。後の連中は俺とコンティネンスがもらうぜ」
「勝手に、話を、進めるな」
後から来たイグニスに場を仕切られ、コンティネンスが文句を言う。本来なら全員自分の獲物だったのだ。それが三等分とは何の冗談か。
「まーまー、そうカッカすんなよ」
そんな話は知らんと憤るコンティネンスに、イグニスは不敵な笑みで宙に浮いて近寄る。コンティネンスの頭に腕を回して抱え込み、顔を近づけて耳打ちするように囁く。
「この状況じゃどっちにしろ話は平行線だ。だったら仲良く獲物を分け合ったほうが利口だろ」
それに、とイグニスは横目でウェントゥスを見る。
「俺たちは二人ずつ殺せるが、あいつは一人だ。後で魔王様に褒められるのはどっちだと思う?」
理解不能、という沈黙。
「二人殺してる俺たちのほうだろうが……」
「なるほど」
ようやくコンティネンスが納得したようで、イグニスは安堵のため息を漏らす。
「ようし、それじゃあ話は決まった。俺は赤毛のほうをもらうから、お前は残りを頼んだぞ」
「おう」
こうしてイグニスたちは三手に分かれた。
平太の前にはウェントゥス。
シャイナとシズの前にはイグニス。
ドーラとスィーネの前にはコンティネンス。
それぞれの戦いが、今始まろうとしていた。
☽
ウェントゥスは平太の目の前に歩み寄ると、爬虫類じみた顔からは想像もつかないほど流暢な声で言った。
「お初にお目にかかります。私の名はウェントゥス。魔王様直属の配下にして、四天王の一人でございます」
自ら名乗りを上げるとは、紳士のつもりなのだろうか。それともこちらを油断させるためか。平太が用心して身構えていると、ウェントゥスは呆れたように鼻から息を吐く。
「こちらが名乗ったのですから、そちらも名乗り返すべきでしょう。まったく、人間というものは礼儀も知らないのですか」
「あ、……えっと、」
礼儀と言われてしまっては、答えないわけにはいかない。仕方なく平太は名乗り返す。
「お、俺の名は日比野平太。異世界から来た勇者だ」
「よろしい。では始めましょう」
言うなりウェントゥスは両手を小さく広げ、上を向く。
次の瞬間、目の前からウェントゥスの姿が消えた。
「な……!?」
いきなりウェントゥスを見失った平太は、慌てて左右を見やる。だがどこにも見当たらない。
「ここですよ、ここ」
上のほうから声をかけられ、平太は顔を上げて空を見る。するといつの間にそこにいたのか、上空にウェントゥスがいた。
「地べたで戦うのは私の趣味ではありません。なので空から攻撃させていただきますよ」
そう言うとウェントゥスは、猛禽類が獲物に襲いかかるように急降下してきた。
こいつは以前、黒竜を一撃で倒した奴だ。その速度から生まれるカマイタチのような風の刃は侮れない。平太はすかさず叫ぶ。
「来いっ! グラディーラ、アルマ、スクート!」
光に包まれる平太。ウェントゥスは目が眩み、急降下を途中で止める。
「っ!?」
光の中から聖なる剣盾鎧に身を固めた別人のような平太が現れ、ウェントゥスは驚く。だが見覚えのある勇者の姿に過去の記憶が呼び起こされ、さらに闘志が増す。
「その光、その姿、見憶えがありますよ!」
それは、五百年前に戦った記憶。
そして敗北と死の記憶。
「たかが人間がぁっ!!」
ウェントゥスが吼えた。
と同時に最大加速で平太に襲いかかり、己の叫び声を追い越す。
「くっ……!」
気づいた時には、ウェントゥスが通り過ぎていた。辛うじて盾で防げたのは偶然ではなく、スクートが反応して自ら動いてくれたおかげだ。
だがウェントゥス自身の攻撃は防げても、もの凄い速度で飛ぶ事で発生する衝撃波はどうしようもない。地面を削るほどの威力を持つ空気の激流に、さしもの伝説の武具もよろけてしまう。
見上げると、ウェントゥスは再び平太の頭上を飛んでいる。剣どころか弓矢でも届かない高さを飛ばれ、平太に打つ手は無い。
『クソ、剣さえ届けばあんな奴、一撃のもとに斬り捨ててくれるのに』
忌々しそうにグラディーラが吐き捨てるが、空でも飛べない限り彼女がウェントゥスを斬り捨てる事は不可能だ。
だが、空を飛べるのなら話は別だ。
「アルマ」
『……ハイハイ、そうくると思ったわよ。この状況だもの、いくら厭だからって反対はしないわよ』
諦めと観念の混じったアルマの思念に、平太は苦笑する。
「そう腐るなよ。空を飛ぶってのも、なかなか乙なもんだろ?」
『鳥じゃあるまいし、いきなり空に放り出されても落ち着かないわよ』
『無駄口を叩いているヒマはないぞ。ヘイタ、やるなら早くやれ』
「了解」
『おそら飛ぶの? やった~』
スクートの歓喜する声が、アルマのため息を消す。それと同時に平太の背中が変形し、スラスターが現れた。
「行くぜ」
平太が発進を宣言するとスラスターの可動フィンが開き、甲高い音とともに膨大な魔力が吐き出される。
地面を思い切り蹴る。瞬間、爆発のような魔力の噴射によって平太の身体は冗談みたいな速度で空に舞い上がった。
『わーい、すごーい、はやーい!』
一秒で雲に手が届きそうな距離まで飛び上がる。空の上では、ウェントゥスが待っていた。
「驚きました。まさか人間が空を飛ぶとは」
顔がトカゲっぽいのでわかりにくいが、どうやらウェントゥスは本心から驚いているようだ。そんな彼に、平太はにやりと笑って言う。
「人間を嘗めるなよ。いずれヒトは鳥よりも速く長く高く、そして竜よりも多くのものを載せて飛ぶ事ができるようになるからな」
今度はウェントゥスが笑う。
「何を世迷い言を」
「俺のいた世界じゃそうだったぜ」
「ここでは違います」
「それはどうかな」
言葉では平行線。だったらここから先は、言葉以外でものを言うだけだ。
二人同時に飛び出す。
平太とウェントゥスは空中で何度も交差し、その度に激しい火花を散らす。だがそれらはすべて平太から発せられた火花だ。
ウェントゥスの機動性は、平太のそれを遥かに上回っていた。おまけに空中戦の熟練度に差がありすぎて、はっきり言って相手にならない状態だった。
つまりはサンドバッグである。
まともに打ち合えたのは最初の一度だけで、後はすべて平太が方向転換を終える前にウェントゥスに攻撃されていた。だが仕方あるまい。ウェントゥスの機動力は常軌を逸しているとしか思えないほどで、動き方や速さは人間大のトンボだと言えばわかりやすいだろうか。そんなすばしっこい者を相手に、一回や二回空を飛んだだけの平太が戦ってまともに相手になるはずがない。
「これだけ攻撃を受けてもまだ飛んでいられるとは、やはり聖なる武具というのは厄介ですね……」
黒竜を一撃で屠った攻撃を幾度となく受けて、平太がまだ生きていられるのは、やはり聖なる武具のおかげであった。
「だが、それもいつまでもちますかね」
ウェントゥスの言う通り、いくら聖なる武具でもこれだけの攻撃を喰らい続けていたら、いつかは防ぎきれなくなる。だからそうなる前にどうにか反撃したいところなのだが、平太は未だウェントゥスを捕まえる事すらできなかった。
『さすがにこのままだとヤバいわよ』
『そうだ。いつまでやられっぱなしになっている。さっさと間合いに入って斬りつけろ!』
「無茶言うなよ……」
ただでさえ飛ぶのに慣れていないのに、でたらめな速度で不規則な軌道を飛ぶウェントゥスに攻撃を当てるなど、飛んでるハエを箸で掴むよりも難しい。
となると、やはり取れる手段はひとつしかない。平太は内心ため息をつくと、
「みんな、先に謝っとく。ごめん」
グラディーラたちに謝罪した。




