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ニートの俺が勇者に間違われて異世界に  作者: 五月雨拳人
第六章
116/127

魔王の帰還

          ◆     ◆


 フリーギド大陸、魔王の城。


 玉座の間は、無人だった。

 だが、荒れ果てているわけではない。ただ閑散としているだけで、玉座も床も天井も隅々まで掃除が行き届いている。魔王の城のイメージにはそぐわないだろうが、これも几帳面なウェントゥスが、いつ何時この玉座の主が戻ってきても良いようにと目を光らせているからだ。


 そう。魔王は長い間不在だった。

 五百年の時を経てようやく復活した魔王は、この玉座に触れる事なく唐突に姿を消した。

 ただ一つ、「ちょっといせかいにいってくる まおう」という冗談みたいな書き置きを残して。


 だが今、主が留守の玉座の間に、突如変化が現れた。玉座の前に膨大な魔力が凝固した真っ黒な球体が出現した。球体はバスケットボールほどの大きさで、玉座の前で宙に浮いていたかと思うと、いきなり縦に長い楕円形に変形した。

 黒い椰子の実みたいになったかと思うと、その中心に裂け目が現れ、中から光が漏れ出す。そのまま裂け目がゆっくり広がり盛大に光が漏れ出す中、裂け目から小さな腕がにょっきりと伸びてきた。


「ん~……」

 子供のものかと思うような細くて白い腕は、しばらくこちらの事を探るように裂け目の周囲をあちこち手探りすると、一度引っ込んだ。

 かと思うと、すぐに裂け目の両端を両手で掴み、裂け目を広げ始めた。

 じわじわと裂け目が広がり、人が通れる十分な大きさになったところで、手が再び奥に引っ込む。

 今度は金髪の頭が出てきた。頭は少年のものだった。金糸のような髪を眉の所で一直線に揃え、長さは肩に届くかどうかのボブカット。顔には幼さを残しながら、その髪と同じく金色に光る両の眼には歳相応とは思えない知性と妖艶さを感じさせる。ひと口に美少年と評せない、どこか妖しくて不思議な少年だった。


 少年は裂け目から出した顔をぐるりと巡らす。

「あれ? 誰もいない」

 無人の室内をひと通り見渡すと、少年は「まあいいや」と勝手に納得して裂け目から出てきた。

 少年が玉座の間に出てくると同時に、裂け目が消失する。

 ついに全身を玉座の間に現した少年は、ごく自然な動作で玉座に腰掛けた。足を組み、肘掛けに右肘を乗せ、頬杖をつく。まだ年端もいかない子供とは思えない、実に堂に入った仕草だった。


 少年が独りごちる。

「ようやく勇者がその気になったか」

 魔王の城の玉座に座る少年。彼こそが、魔王であった。

          ☽

 魔王の城の会議室。

 ちょうど朝の定例会議をしていた頃、何の前触れもなくウェントゥスとイグニス、コンティネンスの三人は、莫大な魔力の出現を感知した。

「これは……」

 ウェントゥスの声が震えている。だがそれは、いきなり現れた魔力に驚いたとか、魔力の量に脅威を感じたのではない。

「ああ、間違いない……」

 珍しくイグニスも動揺を隠せないでいた。この魔力、決して正体不明などではない。むしろ、彼らにとっては最も馴染み深い魔力の気配。

「ようやく、か」

 つい先日身体が元に戻ったコンティネンスが、岩をこすり合わせたような声で呻く。この気配、間違いない。

 三人はお互い顔を見合わせ、深く頷く。


 来た。

 とうとう来た。

 出現した魔力の場所を詳しく探る。

 場所は城の深部。

 玉座の間。


 次の瞬間、三人は弾かれたように椅子から立ち上がった。ここで速さに定評のあるウェントゥスが、風のようにドアをくぐって一歩リードする。出遅れて舌打ちするイグニス。

 だがここで一番鈍重だと思われたコンティネンスに異変が現れる。何と彼の巨体が突如崩れ去り、砂となって会議室の床に砂山を築いたのだ。

「野郎! コアだけ移動しやがったな!?」


 コンティネンスはその巨体ゆえに動きだけでなく喋る言葉まで遅いが、それは彼の身体が血の通った生身の肉体ではなく、岩や砂で作った身体を核から供給される魔力によって遠隔操作しているからだ。

 なので身体の大きさを調整すれば人並みの速度を得る事もできるし、極端な話をすれば核だけの状態が彼にとって最も身軽な状態だと言える。

 しかも、彼の核は土系の物質内を自由に移動できる特殊能力があり、会議室の床の中を移動する核の速度はウェントゥスには遠く及ばないまでも、手負いのイグニスよりは速い。


 だが、イグニスもようやく胸の傷が完治したところだ。いつまでも痛む胸をかばって、年寄りのようにのんびりと動いている彼ではない。

 こうして三人は、それぞれ出せる限りの全力で玉座の間へと向かった。

          ☽

 最初に玉座の間に駆け込んだのは、やはりウェントゥスだった。

 続いて僅差でコンティネンスの核が床から現れ、床石や周囲の石材を分解して身体を構成している途中でイグニスが到着した。

「あ……ああ……」

 三人とも、すぐには声を出せなかった。

 玉座の間の入り口で立ち尽くし、じっと前を見たまま金縛りにあったように動かない。


 唐突に、ウェントゥスの目から涙がこぼれた。見れば、イグニスもコンティネンスも同様に泣いている。

 男泣きに泣き濡れている三人に、室内から声がかけられた。

「やあ、久し振り。元気してた?」

 何とも軽い、そして幼い少年の声。だがそのひと言で、三人の涙はさらに堰を切ったように溢れ出す。

 三人はよろよろと歩き出し、玉座の前へと進む。魔族の四天王とは思えないほど号泣していた三人であったが、一歩進むごとに涙が乾いていき、玉座の前に到達する頃には四天王の名に相応しい威厳と風格を取り戻していた。


 三人同時にその場に片膝をつき、玉座に向かって頭を垂れる。絶対的な忠誠を姿勢で示すと、再び三人が同時に口を開く。

「お帰りなさいませ、魔王様」

「うん。ただいま」

 にっこりと笑ってそう答えたのは、玉座の背もたれに隠れるほどの少年だった。

          ☽

 少年――魔王は、目の前で跪いている配下たちを見て、今気づいたような声を上げた。

「あれ? 一人足りなくない?」

 その言葉に、ウェントゥスとイグニス、コンティネンスはびくりと身体を震わす。

「そ、それは……その、実は、スブメルススは人間に不覚を取り……、」

 ウェントゥスがしどろもどろになりながらも説明すると、魔王はわずかに首をかしげながら、小声で何やらぶつぶつと呟く。

「そうなの? 今回の勇者は全然やる気がないから心配だったけど、結構やる事やってるんだな……」

「申し訳ありません! 魔王様ご不在の時に勝手な行動をしたばかりか、人間如きに敗れ四天王の――いや、魔王様の顔に泥を塗るような真似を! この不始末の責任は、すべてこのウェントゥスに――」


「ああ、そういうのいいから」

 今すぐにでも腹を切らんばかりのウェントゥスの勢いを、魔王の軽い声と言葉がいなした。

「え…………?」

「キミたちに何も相談せず、勝手に長期間留守にした僕も悪いんだ。それに魔族なんだから、僕がいないからって黙って大人しくしてるよりは、戦いに行って死んだほうが元気があっていいさ。だから、気にしなくていいよ」

「は、はあ……」

 あまりにも軽い裁量に、呆然とするウェントゥス。それを聞いていたイグニスとコンティネンスも、安堵してよいのか呆れてよいのか判然とせず戸惑っていた。


「それよりも、今この城に向かって勇者たちが来てると思うんだけど、それに対しての準備はできてるんだろうね?」

 魔王の言葉に、ウェントゥスが再び激しく動揺する。

「ま、まさか。そんなはずは――」

 あの時、確かに黒竜と一緒に四つ切りにしたはずだ。あれで生きているわけがない。

「間違いないよ。だから僕が戻ってきたんじゃないか」

 魔王が断言した。という事は、絶対なのだ。あれほど念を押したはずだったのに、最後の最後で詰めを誤った自分の愚かさに、ウェントゥスは血が出るほど奥歯を噛みしめた。


「勇者など、このイグニスが蹴散らしてくれます」

 ここが好機とばかりにイグニスが名乗りを上げた。ウェントゥスは屈辱と嫉妬の混じった視線を向けるが、今しがた自分の失敗を見咎められたばかりなので糾弾できない。

 歯噛みしているウェントゥスをよそに、さらにコンティネンスまでもが主張する。

「ここは是非、自分にお任せを」

 後から名乗りを上げたコンティネンスを、イグニスが睨みつける。だがコンティネンスも一歩も引くまいとイグニスの視線を真っ向から受け止めた。

 二人の睨み合いを前に、魔王は腕を組んで「ふむ……」と軽く息を吐くと、

「みんなで行けばいいよ」

 とんでもない事を言った。


「え……?」

 三人同時に問い返す。魔王はぽかんとしている部下たちに向けて、無邪気な顔で言う。

「一度に一人ずつ行かなきゃダメっていう決まりはないんだから、みんなで行ってくればいいよ。あ、そうだ。どうせならこの大陸にいる魔物を総動員して、大部隊で迎え撃ってやるっていうのも面白そうじゃない? うん、」

 それがいいや、と魔王は楽しそうに両手を叩く。玉座の間にぱちんと軽快な音が響いたが、玉座を見上げる三人は重苦しい沈黙しかできなかった。


 それは、取りようによっては『お前ら単品のみならず、三人まとめても力不足だから総力戦してこいよ』と言われているようなものだった。

 四天王としての、魔族としてのプライドがずたずたに引き裂かれる言葉であった。が、彼らは不満を言う事も、それを表情に出す事もしない。


 何故なら魔王の言っている事は事実であり、それ以前に絶対的権限を持つ彼の命令は、例え自分たちの命を軽々しく捨てるようなものであっても反対はおろか意見を言う事すら許されないものなのだ。

 魔王こそ、彼らにとって、いや、この世界の全魔族にとっての絶対であり、すべてだ。極論を言えば、世界中の全魔族が彼の為に死ねるし、死んだとしても魔王一人が生き残っていればそれで満足なのだ。

 人間が、魔族に対して負けているところは多々ある。それは単純な身体能力であったり特殊な能力だったり様々だが、それよりも何よりもこの圧倒的忠誠心こそが、未だ同族同士でいがみ合っている人間などが逆立ちしても敵わない最大の要素である。


 騎士などは、仕える王のためなら己が死ぬ事など厭わない。だがそれは種としての人間全体の割り合いでいうとほんの一部である。

 だが魔族は違う。

 すべての魔族が、魔王のために死ねるのだ。

 上位種、下位種を問わず、彼らはひとたび魔王の声がかかれば、何の躊躇いもなく死ねる。ある意味、狂信者にも似た忠誠心で、魔王の命令を実行する。そこにほんの僅かも疑問や恐怖は無い。彼らにとって最も恐ろしいのは、魔王が、自分たちの創造主たる彼がこの世からいなくなる事なのだ。

 そして、今ここでその絶対者によって総力戦が唱えられた。

 最終決戦の始まりである。

          ☽

 パクス大陸のとある港町。

 ハートリー=カインズは、脳ミソを串刺しにされるような痛みとともに、ある気配を感じた。

「この邪気は……」

 目眩を堪え、ハートリーは気配のする方向――北に顔を向ける。

 一瞬ではあるが、頭を通り抜けた強烈な痛みが思い出させた。あの気配は、間違いなくかつて感じた事のあるものだった。


 胸騒ぎが止まらない。特に理由も無いのに、気持ちがざわつく。こんな事、今まで無かった。この五百年の間。

 自分は、この気配を知っている。だが、どこで知ったのか、そしてこの気配が何なのか、肝心な事は思い出せない。その中途半端な状態と、まるで自分が呼ばれているような感覚がさらに彼を惑わせる。


 カリドス大陸に向かう船の出港を報せる声が響く。

 自分が乗る船だ。これに乗ってスキエマクシに帰る予定だ。そういえば、平太たちに関する根回しのために、ずいぶんと長い間海上警備隊を留守にしてしまった。自分が何年もかけて鍛えた隊員たちなので、留守中の心配はしていないが、それよりも溜まった仕事のほうが気にかかる。

 なるべく急いで戻らなければ。頭ではそう考えているのだが、何故か足は一歩も前に出ない。まるで身体が、南に帰らず北に行けと言っているようだった。

 立ち尽くし、ハートリーは考えるのではなく、己の心に問う。


 スキエマクシに戻るか。


 それともこの気配の正体を確かめるために、北へ向かうか。


 踵を返す。ハートリーは、スキエマクシに向かう船に背を向けた。

 部下たちには悪いが、帰るのはもう少し先になりそうだ。

 それに、自分があと何十年何百年生きる事になるかわからないが、この先これを確かめなかった後悔を背負って生きる事を考えたら、どうしても我慢できなかった。

 答えはきっと、その先にある。恐らく自分の失われた記憶もそこに。

 ハートリーは向かう。新たな決意とともに。

 北へ。

          ☽

 ケイン=ムマーキは、船の上にいた。フリーギド大陸に向かう客船である。

 乗客は、ケインの他には数えるほどしかいなかった。当然といえば当然である。何しろ行き先はあの魔王の城がある大陸だ。そんな所に行くのはよほどの用事があるか、仕事で行かなきゃならない商人か、そうでもなければとんでもない酔狂か阿呆のどれかだ。


 甲板に出て海を眺めながら、ケインはあれこれ考える。

 ここまで旅をしてきて、それなりに平太たちの話を耳にするようになってきた。ようやく彼らの噂が市井に広まり、その想像を絶する強さや数々の功績に興味を持ち始めたようだ。

 だが、それと同時に彼らの強さに目をつける権力者たちも現れ始めた。

 その辺りは、彼の師であるハートリーも危惧した通りになった。何しろ山をいくつも穿つほどの威力を持った剣撃や、黒竜を力で屈服させるほどの強さである。一国の軍隊をもってしても到底できないような事を、たかが一個人の力で達成したとなれば、他国の王が欲しがらないはずがない。


 それに例え平太を手に入れられなくとも、彼の持つ聖なる武具のどれか一つでも手に入れば、などと考える輩もいるようで、平太のみならずグラディーラたちも狙われているようだ。

 それでも、誰も表立って平太たちにちょっかいをかけないのは、権力者たちがそれぞれを牽制し合っているからだ。これもハートリーの読み通りである。

 どちらにしても、すべてはもう遅い。

 平太たちは、すでにフリーギド大陸に到着しているはずだ。黒竜に乗っていたのだから、よほどの事が無い限りは間違いない。もしかすると、すでに魔王の城に着いて壮絶な戦いを始めているかもしれない。だとすると、ますます誰にも手が出せないだろう。あそこは何と言っても魔王の城がある無法地帯。いくら喉から手が出るほどの宝がそこにあると知っていても、わざわざ世界一危険な場所に取りに行く物好きはいない。


 ただでさえ手を出しあぐねていた権力者たちは、平太たちが今フリーギドにいると知ったらどういう顔をするだろう。ケインは想像するだけでおかしくて吹き出しそうになる。

 だが一番おかしいのは、自分自身だ。

 どうして今さら彼らを追いかけているのだろう。

 仮に追いついたとして、自分がいったい何の役に立つのだろうか。むしろ足手まといになるのではなかろうか。


 考えるほど後ろ向きになる思考を、ケインは振り払うように頭を激しく振る。

 今さらあれこれ考えてどうする。もう北に向かう船に乗り、船は港を出てしまったのだ。役に立つかどうかを考えるヒマがあったら、どうすれば役に立つかを考えるほうが有意義だ。

 いや、それよりも、まずはどうやって彼らに追いつくか、その方法を考えるのが先か。フリーギドの、恐らく魔王の城へと向かったのは推測できるが、それだけではさすがに情報が足りない。


 まあ最悪の場合でも、魔王の城の前で待っていればいつか必ず合流できるのだが、さすがに魔物の本拠地で人を待つ度胸はケインには無い。

 もっと他に確実な方法はないものか、と思い悩んでいたケインの厳しい顔が、ふっと緩む。

 自分は一度、ハートリーの依頼で彼らを捜索し、見事合流できたではないか。きっとあの時のように、放っておいても彼らの方から自分たちの居場所を喧伝するような騒動を巻き起こしているに違いない。

 だとすると、やはり考えなければならないのは、自分が如何に彼らの役に立つかだ。ケインは改めて考え始める。


 甲板の縁に覆いかぶさるようにして海を眺めるケインの髪を、潮風が揺らす。船は先日港を出たばかりで、まだ当分次の港には着かない。考える時間はまだ十分あるだろう。

 ケインは船がフリーギドに到着するまでの時間のほとんどを、平太たちのために何ができるか考えるのに使った。

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