レイド
◆ ◆
平太たちの頭上で、一羽の鳥が大きく鳴いた。
鳥は大きな翼を広げ、平太たちに向かってゆっくりと降りてくる。
最後に地面を叩くように翼を羽ばたかせると、鳥は一瞬でシズに姿を変えた。
シズはふわりと地面に降り立つと、予めそこに用意しておいた自分の服を拾い上げ、上着のボタンを止めるのももどかしそうに、急いで平太たちの元に駆け寄る。
「いました。すっごい数の兵隊さんたちです」
そう言うと、シズは近くに落ちていた木の枝を拾い、地面に大まかな図を描いた。
大きな丸をキリウム山に見立て、その前方の拓けた空間に省略されて線になった兵隊がずらりと並んでいる。シズ曰くざっと五百。その後ろには、いくつか小さい丸が並んでいた。
「なあ、この小さい丸は何だ?」
平太の問いに、シズは「ああ、それは――」と捕捉しようとするが、言葉が出てこないようだ。
「えっと、車輪のついたとっても大きな櫓みたいな、それで、」
ここにこういう感じに柱が通っていて、とシズは懸命に図を描き足していく。が、長方形に一本線が貫通しているようにしか見えなかった。
だが、「あと、この棒の先にカゴみたいな物が取り付けてあって」と言ったところで、平太はピンと来た。
「投石機か。よくもまあこんな山の中まで運んだもんだ」
「という事は、彼らは竜の巣ではなく平地で決着をつけるつもりのようですね」とスィーネ。
「これだけの人数だ。そうするしかねえだろ」
だが悪手だな、とシャイナがつぶやく。言うまでもなく、竜を相手に拓けた場所で戦う事ほど愚かな事は無い。相手は空を飛べる上に、広範囲攻撃を持っているのだ。いくら対空攻撃ができる投石機があるとはいえ、このままでは無駄に被害を大きくするだけである。
「ところで、キリウム山にいるのがどの竜なのかはわかった?」
平太の問いに、シズは「それが……」と暗い顔で言葉を濁す。悪い予感がした。
「……どうやらキリウム山にいるのは、黒竜みたいなんです」
「お、おう……」
シズの報告にドーラとシャイナが頭を抱え、スィーネは目を閉じて神に祈った。
「まさか、よりにもよって黒竜かよ……」
シャイナが恨みがましくつぶやく。
どうする。平太は悩む。別に竜は黒竜だけではないのだ。この場を去り、他の竜を探すという手もある。だが、
「あの兵隊さんたち、このままだと大変な事になるんですよね?」
「……勝ち目は、ないだろうね」
答えるドーラの声に、力は無い。黒竜の力が噂通りなら、人間がいくら束になろうと敵いはしないだろう。
「何とかなりませんか……?」
シズが平太の向けて、懇願するように言う。だがこればかりは平太も「う~ん」と唸るしかできない。
彼とて、目の前で無駄な人死が出るのは避けたい。だが、すでに軍隊が動いてしまっているこの状況で、自分に何ができるというのだろう。
もし彼らよりも先にここに来て、黒竜を倒していたら――と思ったところで後の祭りである。
もう、どうしようもないのだ。
「いや待てよ。これって考えようによっちゃーあたしらに都合が良くねえか?」
「う~ん……」
言いにくい事をさらっとシャイナに言われ、平太はまたも唸る。実際彼も同じ事を考えていたのだが、さすがに空気を読んで口にはしなかった。
だが、シャイナの言う通り、考えようによってはこの状況は悪くない。
何しろこの数だ。黒竜にとって獲物はよりどりみどりだ。そうなると平太たちは、黒竜とサシでケンカをしなくて済む。
つまり、自分たち以外の大勢の誰かが犠牲になっている間に、漁夫の利の如く黒竜を倒す。
実に合理的で、
最高に後味が悪い。
「でしたら、向こうの偉い人に話をつけて、わたしたちが先に竜と戦えるように話をつけるというのは――」
言いながら、それが不可能な話だとシズも気づいたのだろう。最後まで言い終わらぬうちに、声が小さくなって途切れてしまった。
「これだけの数で軍が動いてるんだ。相当の覚悟をしているんだろう。それを今さら俺たちを先に戦わせてくれって言ったところで、聞く耳を持ってもらえるかどうか」
「遠回しに、キミたちじゃ勝てないって言ってるようなものだしね……まあそれ以前に相手にされるかどうか」
「下手をすると拘束されるか、黒竜をおびき出すエサにされかねませんね」
ドーラとスィーネの追い打ちのような言葉に、シズは悲しそうに俯いてしまう。人が傷つくのを嫌う彼女は、たとえそれが他国の軍隊であっても無闇に蹂躙されるのが耐えられないのだろう。
「みんな聞いてくれ」
平太の声で、一同の視線が集まる。
「俺らには何の関わりもないよその国の軍隊だが、できれば俺は彼らを無駄死にさせたくはない」
ここで彼らを利用してうまくやるという選択肢もある。だがそれをやると、自分で自分が許せなくなるだろう。何しろかかっているのは、見ず知らずの他人とはいえ人の命だ。
それに、助けられる力を持っているの助けないというのは、勇者のやる事ではないと思う。
「けどよう、ここに来た時点でもうあたしらは出遅れちまってるんだぜ? 今さらどうやってあいつらを出し抜いて竜と戦うんだよ?」
「それは……」
策など無い。
だがこのまま手をこまねいていては、手遅れになるだけだ。そうすると彼らは黒竜の圧倒的な力に蹂躙され、山のような死体を築き、川のような血溜まりを作るだろう。そして平太たちはその中で、当初の予定通り竜と戦う事になる。
地獄絵図だ。
こんな事ならあと一日早く来れば良かった。
などと悔やんだところで、今さらどうしようもあるまい。そもそもグラディーラとスクートによる移動魔法がなければ、キリウム山に到着するのは何日も後だったのだ。そしてそこで自分たちが見るのは、腐臭漂う死屍累々の戦場跡だったはずである。
こうして事前に着いただけ――何か可能性があるだけましなのかもしれない。
だが、だからと言って、自分に何ができる。
仮に彼らの指揮を取っている責任者、将軍とか司令官とか、そういうのに面会できたとして、何と言うのか。
自分は勇者だから、先に黒竜と戦わせろ、とでも言うのか。
そんな話、誰が信じるというのか。
だったら、勇者の証として伝説の武具たちを見せれば、
いや、そんな悠長な事をしている暇は無い。
だったら、
そこで平太は、以前思いついたと思ったら忘れていたあるイメージが、頭の中で形になっていくのを感じた。
「そうか、そうすれば――」
勇者である事を証明しつつ、被害を最小限に食い止められるかもしれない。
「お、やっと何か思いついたようだな」
沈んだ表情が一転する平太を見たシャイナが、待ってましたとばかりににやりと笑う。
「ああ。もしかしたら、何とかなるかもしれない」
同じように平太がにやりと笑うと、緊張した仲間たちの表情がほぐれて笑顔が戻った。
☽
キリウム山に向けてずらりと兵が並ぶ遥か後方。
少し高台になった場所に、この作戦の指揮を取るケインはいた。
部下から全員配置完了の報告を聞いてから、すでに一刻ほど経っている。それでも士気は僅かも衰えず、皆黒竜が現れるのをまだかまだかと待ち侘びている。
皆、ここで死ぬ覚悟はできているのだろう。
当然、自分もそのつもりだ。指揮官であろうと、戦場で一人おめおめと生き残って恥を晒すつもりなど毛頭無い。
これだけの部下を一度に失うのだ。せめて黒竜に一太刀浴びせてやらねば、あの世で部下たちに顔向けできぬというものだ。
いや、始まる前から負けて死ぬ事を思ってどうする、とケインは良からぬ想像を振り払うように頭を振った。
黒竜といえど、これだけの数の兵士と投石機があれば、もしかすると――
ふ、とケインは苦笑する。無意味な考えだった。そんな事、奇跡でも起きない限り不可能なのはとうに知っているくせに。
こんな時、考えずにはいられない。
もし、自分にも師匠と同じ能力があれば。
剛身術が使えたなら、
再びケインは苦笑する。
それこそ、無意味な仮定だ。
そうなっていないから今の自分があり、今こうしてここにいるのだというのに。
剛身術と言えば、と苦笑いをしたままのケインの頭に、ふと思い出す男の顔があった。
彼らは今、どこで何をしているのだろう。
師匠との約束が果たせぬ事も心残りであったが、弟妹弟子たちのこれからの成長を見られないのも残念だった。
願わくば、彼らの志が無事果たされるようにと、ささやかな祈りを込めていると、
「来ました!」
眼下で部下の叫び声が聞こえた。
祈りを中断し、顔を空に向ける。
来た。
黒竜だ。
澄み切った空に際立つ巨大な黒が、禍々しい気配と共に近づいて来る。
死と破壊を具現化したような姿に、兵たちに動揺が走る。その姿が少しずつ大きくなるにつれ、あれほど勇猛果敢な兵たちに怯えの色が見え始めた。
ケインは大きく息を吸い込む。
「怯むな! 所詮大きいだけのトカゲだ! 生意気に空など飛んで人間を見下している報いを、痛みと恐怖にして奴に与えてやれ!」
朗々とした声が、遥か前方に構える全軍にまで届く。
指揮官の飛ばす檄に、兵たちが負けぬほどの大声で答えた。五百の兵が一斉に上げた叫び声で、目の前の山が震える。
だが、黒竜は涼しい顔で数度羽ばたくと、彼らの雄叫びをあっさりと打ち消す咆哮を上げた。
そのひと咆えで、勝負がほぼ決まった。
聞く者の魂をわし掴みする竜の咆哮を直接聞いて、即死しなかったのは彼らが鍛えあげられた兵士だったからであろう。
だが、それでも戦意のほとんどを奪われ、武器を捨てて逃げ出す者が現れた。一人が恐怖に負けて逃げ出すと、恐怖は爆発的に伝播してあっという間に兵士は武器と一緒に矜持まで投げ捨てた。
たった一回の咆哮で烏合の衆と化した彼らをあざ笑うかのように、逃げ惑う人々の中心に悠然と黒竜が降りてくる。巨大な羽が空気を叩くたびに、もの凄い風が起こって逃げ惑う兵たちを煽る。
そして、もはや完全に勝利は確定しているというのに、残忍極まりないトドメが放たれた。
重力波照射。
一瞬で、黒竜を中心に重力が何倍にも跳ね上がった。
逃げていた兵たちが高重力の網に囚われ、なす術もなく地面に倒れ伏していく。地面に倒れられた者はまだ幸運で、垂直に荷重を受けてしまった者は両足が同時に折れて案山子のように地面に埋め込まれる。
軍馬が悲鳴を上げて倒れる後方で、木材の軋む音がした。
投石機が、重力に負けて次々と崩壊したのだ。
「くっ……! やはり、無理か……」
辛うじて重力波の圏外にいたケインには、絶望的な状況が残酷なくらいはっきりと見えていた。
こうなったら玉砕覚悟で黒竜に向かい、兵たちと運命を共にするしかない。そう思って剣を手に飛び出そうとするケインを、側近の者が必死になって止めた。
「放せ! せめて奴に一矢報いねば、兵たちの無念は晴れぬ!」
「我ら雑兵など、いくら消耗しようが構いません。しかし、貴方にもしもの事があったら、我が国の損害は計り知れません! 我らの屍を越えて、ここは生きて逃げ延びてください!」
血を吐くような部下の声に、ケインの身体から力が抜ける。生き延びて、何になるというのだ。生きて城まで落ち延びて、再び兵を集めて黒竜に雪辱せよとでもいうのか。
それこそ、酷い仕打ちというものではないか。
死に時を逸した敗軍の将ほど、無様なものはない。この部下は、それでも自分に生きろというのだろうか。
いや、きっと彼は、自分ならばいつか必ず死んだ兵たちの仇を取ってくれると信じているのだろう。
ケインが部下の重い期待に呆然としかけた時、ふと前線におかしなものが見えた。
「あれは……?」
目の錯覚だと思った。
黒竜の放つ重力波によって数倍になった重力の中を、平然と歩く人影がそこにはあった。
「だ、誰だあれは?」
ケインの声に、部下もそれに気づいた。彼もまた驚きのあまり、ケインの身体を掴んでいた手から力が抜ける。
「遠くてわかりませんが、服装から我が軍の者ではないと思われます」
二人はついさっきまでもつれ合っていたのを忘れ、横に並んで戦場を見やる。
その時、目も眩むような光が起こった。
「うわっ!?」
光によって白けた視界から回復したケインたちが見たのは、
巨大な剣を携え、見たこともない鎧を着た騎士の姿だった。
☽
完全に戦意喪失した兵たちに、追い打ちのように重力波が浴びせかけられる。
それまで恐怖で逃げ惑っていた彼らの叫びが、痛みと絶望の断末魔に変わるのを、平太たちはグラディーラの空間から見ていた。
「くそ、黒竜め。虐殺を楽しんでやがる……」
一方的に蹂躙される戦いが始まってしまった。平太は戦いを止められなかった悔いを噛み殺し、それならせめて被害を最小限にするべく動き出した。
「ヘイタ、行くの?」
「ああ。ドーラたちはそこで待機しててくれ。あいつは俺とグラディーラとアルマでやる」
「でも――」
「黒竜の重力制御に対抗できるのは、俺たちしかいないんだ」
平太がそう言うと、ドーラは言葉を無理やり飲み込んだ。事実、ドーラの魔法であっても、黒竜クラスを相手にするのは荷が重い。ここは平太の剛身術と、アルマの中和魔法に望みを託すしかないのだ。
「ねー、スクートはー?」
ドーラたちと一緒に待機を命じられたスクートが、不満とばかりに両手を上げて主張する。
「黒竜の重力制御はスクートじゃ防ぎようがないからなあ……。悪いけど、今回はお留守番ってことで」
「ぶー……」
今度は頬を膨らませて露骨に不満なスクートに、平太は苦笑する。
「もしもの時は、ドーラたちを守ってやってくれ。これはスクートにしかできない事だから、しっかり頼むぞ」
この空間にいる限り、もしももクソもないのだが、そう言って平太が頭を撫でてやると、スクートは「うん、わかった!」とあっさり機嫌を直した。
「それじゃ、行ってくる」
平太が軽く右手を上げ、皆に背を向ける。
「ヘイタ様、お気をつけて……」
「無理すんじゃねーぞ」
「ご武運を」
「危なくなったら、すぐ戻ってきてね」
皆の言葉を背中に受けて、平太はグラディーラの空間から元の空間に飛び出した。
地面に足が着いた瞬間に、黒竜の操る重力に飲み込まれ、何倍にも増幅した体重に足が地面に沈む。
「おおっ、いきなりだな」
ざっと10Gといったところか。平太の体重が65kgとして、今は650kgに増えた事になる。武装していない平太でこれなのだから、武装した兵隊ともなればその比ではないだろう。現に平太の近くには、そこが泥沼であるかのように地面に沈み込んでいる兵士がちらほらいる。
「待ってろよ、今助けてやるからな」
試しに平太は一歩前に進む。足がぬかるみにはまったようなねばつく感触はあったが、難なく前に進んだ。どうやら剛身術で重さは無視できるが、重力制御を受けた体重そのものが消失したわけではないようだ。つまり、今の平太は650kgの重さのまま動いている事になる。
「まあどっちでもいいや」
動けるなら問題は無い。平太はのしのしと歩き出すと、近くで埋まっている兵士に手を伸ばす。
「よっと」
鎧の襟元を掴むと、そのまま彼を地面から引き上げるが、重力波が生きた状態なので手を離すとまた「あ~……」と地面に沈んでいった。
「こりゃいたちごっこだな」
やはり彼らを助けるには、重力波の発生源である黒竜を何とかするしかないのだろうか。
「けどその前に、」
そう、こういう時に役に立つ能力を持っている奴がいたではないか。黒竜とタイマンを張るのは、まずはそれを試してからでも遅くあるまい。
「来い、アルマ! グラディーラ!」
平太が彼女たちの名を呼ぶと、平太が爆発したかのように光に包まれる。その光は、上空にいる黒竜の目をも眩ませた。
だがそれによって、黒竜の目を引いてしまった。これまで自分の足元で小虫どもが地面に埋まってもがいているのを楽しそうに見ていたが、どうもそうでない生意気な虫が一匹いるのに気づいたようだ。
「やべ、めっちゃ見てる」
『ま、あれだけ派手に光ったら当たり前よね~』
「そう思うならもう少し光を抑えるとかできなかったのかよ」
『無理よ~。そういう仕様だし』
「仕様!?」
『それよりも、これからどうするのだ?』
「ああ、そうだ。まずはこの埋まってる連中を何とかしないとな。アルマ、」
『な~に~?』
「中和魔法で黒竜が重力制御をしている範囲すべてを中和できないか?」
『できるけど、これだけの範囲となると一度にそう長い時間できないわよ』
「できる限りで構わないから頑張ってくれ。とにかく少しで多く彼らをここから逃すんだ」
『え~、それって意味ある? このまま埋まってもらっててもおんなじじゃないの?』
無駄に魔力を使うのが不満なのか、アルマが文句を言う。が、
『アルマ姉』
『なによ?』
『ヘイタはそういう奴なのだ。こいつがやると言ったら、もう誰が何を言っても聞かん。時間の無駄だから諦めて従ったほうがいい』
『え~……、』
アルマは何か文句でも言おうとしたが、妹のやたら誇らしげな声にその気が失せたのか、小さく鼻を鳴らすと、
『じゃあ、しょうがないわね』
言葉は仕方なしに、だが口調はまんざらでもなさそうに言った。
『うむ。しょうがないのだ』
「すまない。けど本当に無理はしなくていいぞ。できる限りで構わないから」
『いいわよ。ご主人サマのご命令だもの。せいぜい頑張ってやらせていただくわ』
『違うぞアルマ姉。我々はヘイタとは契約したが、彼は主ではない』
『あら、じゃあ何だっていうのよ?』
グラディーラは、さっきよりもさらに誇らしげな声で言う。
『仲間だ』
『ぶふっ……』
アルマは思わず吹き出しそうになるのをどうにか止め、ごまかすように何度か咳払いをする。
『はいはい、無駄話もこれくらいにして、そろそろ行くわよ』
「おう」
返事とともに、平太が構える。重力制御が中和されたと同時に動き出すつもりだ。
アルマは精神を集中し、黒竜の重力制御に対して抵抗をかける。上手くすれば、少しの間は重力制御を中和できるはずだ。
いや、きっと思った以上に長くできるはずだ。アルマには確信めいた予感がする。
何故なら、今の自分はもの凄く気分がいいからだ。




