はぐれ狼が自覚するまで。
「希薄な関係が嫌になって一人に慣れてたけど……一番薄っぺらいのは自分かなって思うんだ。だから京谷くんに言われて、言い返せなかったんだなぁって」
そんなことはないと思う。
色んなことを考えて、感じていて、想っている彼女なんかより、何も考えていなかった俺の方がよっぽど希薄だと思う。
彼女が好きだと言う度に――――――…彼女を好きになるといいのに。
「何しに来たの」
生まれ育った家の自分の部屋の椅子に座って、ベッドを占領した友人を見下す。
「なにって。寂しいからたまには来いって言ったのは、健じゃん」
雰囲気や性格が似ているとよく言われる友人の名前は、櫻木暁。暁は最近交際を始めた恋人の金原呉葉の首に腕を回している。
俺のベッドの上で。
「カノジョ持参を許可した覚えはない」
「カノジョを手放したくはありません」
「ちょっと待って。私を物扱いしないで」
表情を変えないまま暁と話していれば、金原が苦笑を浮かべて割ってはいる。
発言を許した覚えないんだけど。
中学校は一緒だった。
暁の他に三人、仲のいい友だちといつもつるんでいた。
三年の時に、修学旅行の自由行動でたまたま居合わせたことがきっかけで、金原が俺達のグループに入り込んだ。
女子のくせに男子のグループに居座った金原に、俺はポジションを奪われた。
志望校は全員同じだったのに、定員オーバーのせいで俺だけが締め出されて、他の高校に通うはめになってしまった。
絶対にこの女さえいなければ俺は暁達と同じ高校に通えていた。
……この女さえいなければ。
「健くん……睨まないでよ……。私もお邪魔しちゃだめだって言ったんだよ、でも暁が無理矢理」
「人のベッドに正座して本読んでるくせに白々しいよ」
嫌われている自覚がある金原は申し訳なさそうに謝るが、手には小説。さっきから遠慮なしにベッドの上に正座していた。
無理もないことはわかっている。
暁は強情だ。自分の要求は必ず通すから、金原が反対しても無駄だって理解してる。
前から暁が金原が好きだと言っていたから、付き合うのも時間の問題だと思っていた。
けれども、俺の家に遊びに来る時に持参することまでは予測できなかった。
女子は面倒だから、嫌いだ。
金原は図々しいから、大嫌いだ。
「……それ」
「ん?」
「そのヒロイン。どんなキャラだっけ」
ため息をついて背にした机に頬杖をつく。ふと金原が手にした小説の表紙に目が留まった。
さっきも見た表紙だ。
「え? どうして」
「そのキャラが好きだって言う友だちがいるから、描いてみる」
「友だち……?」
俺の発言に金原は首を傾げる。
聞いていた暁も注目した。
友だちと呼ぶには少しだけ躊躇したくなる、クラスメイトの女子。
昨日から文化祭準備の仕事を押し付けられて、彼女と二人でやることになった。
その昨日に告白紛いのことをしたからその場で断ったけれど、少し泣いたくせに今日もめげずに話し掛けては仕事を続けた。
名前は水梛七未さん。
その彼女がめげずに俺に話し掛けた理由は、その小説の作者のおかげとか言っていた。
告白されたら暁達によく愚痴るけど、金原の前ではしたくない。女子の意見はいらないから。
「貸したくないなら別にいいけど」
「あ、ううん。いいよ」
水梛さんが言っていた可愛いヒロインとやらを描こうと思ったけれど、貸してくれないならいい。
でも金原は小説を差し出した。
それを受け取ろうとしたら、横から暁が奪う。
……なんだよ。
「誰、その友だちって。俺というものがありながら、浮気ですか? 健さん」
「俺は暁さんの専属絵師ではありませんから。寄越せ」
「健の浮気者。呉葉、健が浮気するんだけど、止めてよ」
「……その冗談に乗るべきかな? それとも普通に相手を訊いてもいいかな?」
「訊くなよ、甘えるな」
「自分甘えてました……すみません」
「呉葉をヘコませるなよ」
「寄越せってば」
小説を奪おうと手を伸ばすが、暁は背中に回して隠す。
中学から漫画好きの暁にせがまれて絵を描いてきた。
要求を押し付けるコイツは恐ろしい。
本当に四日間ひたすら「描いて」としか言わないから、俺が折れて毎回描いていたら、周りに「上手い」って言われるレベルにまでなった。
今日も水梛さんの前で描いたら、「上手い」って驚かれたっけ。
「昨日コクってきた女子が、今日その本のヒロインが好きだって言ったんだよ」
「え。なに。健、女と浮気してんの?」
「そろそろ浮気ネタやめてくれないと腐な想像しちゃうんだけど、暁くん」
「え、だって。どこのキモオタが健にせがんだかと思えば……女子って、超意外」
「失礼な。男子にも好評な小説だから、ヒロインに皆メロメロだから」
四日間格闘するなんてごめんだから、話せばやっと本を渡した。
驚く暁を他所に、俺は机についてさっさと描いて、返して追い出すことにする。
「健くん、その子のことまだフッてないの?」
「まさか。その場で断った」
「……また迷惑だなんて言ったんじゃないよね。暁のアドバイスを鵜呑みにして冷たくフるのはよくないと思うよ」
「いいじゃん。好きでもない子にありのままのこと返しても」
「好きになってくれたのに、酷い仕打ちだよ、それ」
「それで嫌いになるなら、希薄な想いってことで相手も簡単に気持ち整理できるでしょ」
アングルを決めて絵を描いていたけれど、後ろでカップルが会話しているのを聞いて、手を止めて振り返る。
「……迷惑だって言ったのにめげずにまだ話し掛けてくる場合は、希薄な想いじゃなかってことなの?」
暁と金原は、顔を合わせた。
「なに、まだ好きだって言ってくるの?」と暁は怪訝な顔になる。
「健くんは、すぐ好きなキャラを聞くと描いてあげるくせあるから、絵を描くのはわかるけど……君にフラれてもなお話し掛けてくる女子ってすごいね。強気な子なの?」
「いや、フッた日は泣いたし、結構ビクビクしてた」
「……健くん、本当に容赦ないくらい冷たいからだよ。可哀想……」
俺の態度を非難して、金原は水梛さんに同情した。
だから女子の意見は求めてないから。
容赦ないと言えば、人間観察が趣味でもある水梛さんに俺の悪い点を言われたことを思い出す。
あれは腹立たしくて顔をしかめた。
女子を拒絶しすぎだの、協調性がないだの、愛想を見せろだの。
ムカついた指摘のあとに、窓を見て「いつも、なにを眺めているのかな、とか……なにを考えているのかなって……知りたかったもん」と言ったことも思い出す。
そう言えば、昨日も何度も窓に顔を向けていた気がする。
俺に拒まれて俯いて涙を落としたくせに、今日は「不思議と嫌いにはならない」と笑っていた。
「ねー、健。その絵あげる気? 勘違いするって、やめときなよ」
「勘違いするなって言う。これはただ、頼み事を引き受けてくれたお礼だから」
「本当は描いてあげたいだけでしょ。健、好きなキャラを描いてあげる献身的な優しさがあるしね」
「そんな優しさ、持ち合わせてないから」
暁がべったりとすがり付いてきたから退かして絵を描き続ける。
反対側で金原がそのキャラのチャームポイントを説明しながら、どれほど可愛いヒロインかを熱弁していたけどチャームポイント以外は聞き流した。
これはただのお礼だ。
俺がイラスト描けるってことを黙ってもらう。
文化祭の出し物でお化け屋敷の内装のデッサンを俺が描いたけど、水梛さんが描いたことにしてもらうから。
ただのお礼だ。
翌日、登校してから、水梛さんを観察してみた。
仕返しで、悪い点を放課後に言ってやろうと思ったからだ。
俺とは反対側の入り口近くの壁際の席。
明るい茶髪に染めたセミロングで滑らかに緩んだ髪型をしている水梛さんは、教室の隅で一人本を読むようなタイプとは思えない明るい容姿をしている。
悪い言い方をすれば、派手め。
目がぱっちりしているせいか、口紅をしているだけで派手な印象を持つ。
多分笑顔がチャーミングポイントとやらだと思う。
笑顔が印象的だが、教室の隅で本を読む彼女に笑みはなく、まるでそこに隠れているみたいに息を潜めてしまっていた。
彼女に挨拶する生徒は一人もいない。
本当に友だちいないんだ。
女子って結構群れると思ってたけど、彼女は一人ぼっち。
読書に熱中していると思っていたけど、学級員が来るとすぐに反応して話し掛けた。
昨日の報告か。
俺は頬杖をついて窓を眺めた。
昨日ざっと描いた聳え立つ屋敷のイラストを見て、学級員が上手いと騒ぐから人が集まる。
それが窓から見える紅葉部分の窓ガラスにうっすらと映り込む。
囲まれる水梛さんが俺を見ているのが、なんとなくわかった。顔はよく映らないけど、そわそわしてるのはわかる。
彼女は、ちゃんと俺が描いたことは黙っていた。
それからも紅葉に映り込む教室を眺めて、人間観察とやらをやってみる。
対象は主に水梛さん。
彼女はよく、俺の方に顔を向けることがわかった。
こんなにもよく見ていたのかって驚くほど、何度もこっちを向いていた。
休み時間はほとんど読書。
窓ガラスを通して教室を眺めることに飽きて、窓ガラスの向こうを眺めることにした。
そう言えば、水梛さんがこの光景がみたいって言っていたことを思い出す。
俺が何を考えて、これを見ているか。
それが知りたいって、言っていたっけ。
別になにも考えてない。
暁達がいなくて退屈だなって、思うくらいだ。暁達がいない学校は本当に退屈だなって、いつも思ってた。
あとはそうだな。
紅葉が先週よりほんの少し染まったってことくらいだ。
なんでこんな些細なことを知りたがるんだが。
理解できず、つい、水梛さんを振り返った。
昼休みも本を読んでいる水梛さんの目に、涙が浮かんでいたから驚く。
どうやら本のせいで泣いてしまいそうになっていて、堪えていた。
そこまで心に響く話なのだろうか。
俺の部屋が一番広いって理由で、よく暁達が転がり込んで漫画を漁って読むけど涙を浮かべたことは一度も見たことない。
感情的なのか。
一体、どんなシーンで涙を浮かべてんだろうか。
ほんの少し、水梛さんの横顔を眺めてから窓の外の景色を眺めた。
今日の空に浮かぶ雲は、ゆったり流れている。
ああ、この景色。
見せてやろう。
そう思い立った。
「座って」
放課後になって、仕事するために俺の元にきた水梛さんを、俺が座っていた席に座らせた。
意図がわからないとぱちくりと瞬きする彼女の前で窓の外を指差す。
「俺がいつも見てるのは、これ」
彼女は丸めた目を、窓の外に向ける。
俺が毎日見ているただの景色。学校の敷地内に紅葉が並んでて空が見えているだけ。
ただそれだけ。
それだけなのに、彼女の瞳に涙が浮かんだ。
見間違いかと思い、向かいから覗けば、やっぱり涙だった。
その大きな瞳から溢れて落ちる前に、ベージュのセーターの裾で、彼女は目元を押さえて隠した。
「……泣くほど、酷いの?」
どうしてこれだけで涙を流すのか、理解できなくて呆然としたまま問う。
「ご、ごめん、嬉、涙、です」
「……君って涙脆いんだ。昼も本読んで涙目になってたでしょ」
「み、見てたの?」
「水梛さんを観察した、仕返し。窓って結構教室の中映すからさ、何しているか大体見えるよ。今日は俺を見すぎだし、本ばっか読んでるよね。そんなに好きなんだ、あの小説」
「……っ」
涙脆い。脆すぎる。
呆れてしまうくらい、感傷的。
俺にフラれた時よりも、泣いている。それとも、帰ってから大泣きでもしてたのかな。
本人も、泣き寝入りしていたかもしれないと言っていたっけ。
「ご、ごめんね……多分私が君にフラれた噂が流れる……事実だけど……」
暫くして収まったのか、水梛さんは俺に向かって笑いかける。
なんのことかと思ったけれど、さっきまで教室にいた生徒達を気にしているらしい。
別に俺が女の子をフって泣かせるのは今に始まったことじゃないし、周りのことなんて興味ないから話を変えた。
「……なんで、泣くの。ただの景色じゃん。特段感動するような絶景でもないし、先週よりは色付いてるなって思うくらいの変化しかない景色だよ」
「京谷くんのいつもの位置から見た景色って、やっぱり少し違うじゃん。隣で見るのと、ちょっとだけ違うよ。京谷くんはいつも頬杖をついて、紅葉を観察してたんだね」
まだ涙で目が潤んでいる水梛さんは、頬杖をついてまた景色を眺める。
にっこりと口元を緩ませて目をほんの少し細める彼女の頬は、紅葉見たいにほんのりと赤に色付いていた。
「本当だ、少し教室が見えるね」と水梛さんは楽しそうに笑う。
なんでこんな何処でも見える光景で、泣いて、笑うだろうか。
わからなかった。
不意にきょとんとした顔をした水梛さんは、他所へとその顔を向ける。
彼女は、コロコロ表情を変える。俺とは、違う。
「机の中」
「え?」
「あげる」
さっと渡せるように、机の中に残していたイラストを見たらどんな顔をするのか。
間近で観察しようと、水梛さんの顔を見張った。
「友だちが、厳密には昨日話した友だちの恋人が持ってて、昨日家に上がり込んできたから借りて描いてみた」
「……く、くれるの? 私に?」
「いらないならいいけど」
「い、いりますっ! ぜひください!」
ただただ目を瞬いている水梛さんから奪い返す素振りをしたら、慌てた様子で水梛さんはガードをする。
その水梛さんは、また瞳に涙を浮かべるとキュッと唇を噛み締めるみたいに閉じた。
溢れてしまいそうなほど出てきた涙が落ち始めれば、隣の机にイラストを置いてまたセーターの裾で、拭き始める。
「泣きすぎだから……」
また泣いた。
ため息をついて俺はしゃがんで、泣く水梛さんを見上げる。
この場合、どうすればいいのか、困る。
「ご、ごめんね……嬉しすぎてっ」
水梛さんは、涙を拭きながら笑おうとした。
嬉しすぎて、泣いている。
ただのイラストなのに。
「そんなに好きなの? このキャラ」と訊いてみた。
泣くほど好きな小説のヒロインだ。
「とても好きなキャラだけど…………京谷くんが描いて、私にくれたことが、何より嬉しいの」
涙を拭いているから目元が見えないけれど、水梛さんの口元は笑っている。
明るい声で、平気で、そういうことを口にした。
俺が描いたものを、あげたから、嬉しくて涙が出る。
まだ、俺が好きなんていうのだろうか。
初めは、傷付けて泣かせたのに。
こうしてまた、泣かせているのに。
なんで彼女はまだ、俺に笑いかけるんだろう。
わからない。
「…………君って、なんでめげないの」
俺が訊いてみれば、目隠しするみたいに目元を押さえた水梛さんは答える。
「ごめんなさい。今日は……もっと京谷くんのことが、好きに、なりました」
やっぱり――――水梛さんは、笑っていた。
もっと、俺が好きになったと言う。
やっぱり、俺にはわからなかった。
「ありがと、京谷くんっ……」
「……泣かれると、罪悪感しか沸いてこないんだけど」
「ちょっと待って。すぐ止まるからっ」
水梛さんは、泣き続けるからお礼を言われても嬉しさを感じない。
暁達に描いてあげて喜ばれると嬉しいのに、その感じが全くなかった。
多分、水梛さんが泣いてるせい。
水梛さんは、慌てて涙を拭く。少しして手を退けた水梛さんは、俺と目を合わせたけどじわじわと涙を込み上がらせてまた泣く。
本当に、泣きすぎ。
水梛さんがその涙を拭く前に、俺は手を伸ばしてその袖でそっと当てるように拭いた。
水梛さんは、目を丸める。
「………………泣き止んだ?」
俺をぽかんと見上げる水梛さんの涙は、止まったみたいだ。
首を傾げて問うと、水梛さんはにっこりと笑った。
「私はやっぱり京谷くんが好きです」
また、そんなことを言う。
嬉し涙で潤む瞳を細めて、にっこりと頬を赤らめて笑いかける。
「そうで、すか」
何故だろう。
その瞬間、嬉しさにも似たものを感じた。
もっと別のなにかも、感じた気がする。
よく、わからなかった。
その日は井戸のデザインを描いた。水梛さんはイラストを嬉しいと何度も言いながら好きな小説について語る。
ヒロインの相手役である男キャラのかっこよさまで語り始めたから、なんとなく聞いておいた。
翌日、水梛さんに座らせた席から見た窓の外に目を向けたら――――…何故だろう。
いつもと違って見えた。
いつもと違うように感じる。
間違い探しをするように、隅々までそれを見た。
紅葉がまた色を深めたのかと思ったけど、違う。
多分、水梛さんのせいだ。
水梛さんが、泣いたからだ。
この席に座ると、この景色を見ると、彼女の泣き顔が浮かぶ。
嬉し涙を浮かべた笑顔が浮かぶんだ。
何度も、何度も、何度も、窓に目をやる度に俺にはっきり"好きです"と言った彼女を思い出す。
その机で眠ろうとしても、やっぱり瞼の裏に浮かんできて、なかなか離れなかった。
放課後に、水梛さんに昨日話していたキャラのイラストを渡したら、感動したみたいで涙を浮かべたけど、今日は堪えて泣かなかった。
「京谷くんって、人にイラスト描いてあげるの好きでしょ。好きなキャラ言うだけで描いてくれるなんて、優しいね」
「たまたまだし、これは泣かせたお詫びだから」
喜んで笑う水梛さんは、暁と同じことを言う。
違うから。俺は、優しくなんかないよ。
否定しても、水梛さんはにっこりと笑う。
それからも放課後は、水梛さんと二人きりで仕事をした。
水梛さんは真面目に集中して、イラスト以外の仕事をこなす。
あれ以来、水梛さんは"好き"だとは言わない。
でも窓を向く度に、あれが浮かぶ。
嬉し涙を目尻に溜めてにっこりと笑いかけて"好きです"って言う水梛さんが、やっぱり頭から離れなかった。
連休は、なんだか物足りなく感じる。
でも暁が遊びに来てくれた。恋人持参だったけど。
「そう言えば、あの子は? イラストの子は? 反応どうだったの?」
金原と一緒に俺のベッドを占拠して漫画を読む暁が、大して興味がないくせに水梛さんの話題に触れた。
「あー……すっごく泣いた」
「またきつく勘違いするなって言ったんだ!?」
食い付いた金原がすぐに俺を責め立てる。
勘違いするなって、言う暇なかったけど。
「彼女、すごく泣き虫なんだ。泣きすぎってくらい、泣いた。でもめげないんだよ」
「……なんか、すごい嫌な子に付きまとわれてるみたいだね」
「……?」
暁が同情の眼差しを向けるけど、いまいち理解できない。
嫌な子、に賛同は出来なかった。
「健に泣かされながらも付きまとうなんて……想像するだけでも恐ろしい子だ」
「暁、多分誇張しすぎ、マゾな子だって変な想像しちゃだめ」
水梛さんを見たことがない二人は言いたい放題だ。
暁は淡々と表情を変えずに、金原は笑いながら暁の肩を叩く。
どんな想像しているのかは、知りたくない。
水梛さんと仕事を初めて丁度一週間。連休明けの月曜日に、席に座ればやっぱりあれが浮かんでくる。
紅葉は、先週より染まっているように感じた。
何故だろう。
気に入っている気がする。
この席から見える、窓の景色が、気に入ってしまった気がした。
「水梛さん?」
放課後は水梛さんが俺の元に寄ってくるのを待っていたのに、水梛さんは鞄に教科書を詰め込むと教室を出ようとしたから呼び止める。
「帰るの? 仕事は?」
「あれ、言わなかったっけ。もうオッケーが出たから、終わりだよ。だから残らなくていいんだよ」
「ああ……そっか」
「うん」
ドアの前で立ち止まった水梛さんの元に行けば、仕事は終わりだと告げられた。
もう水梛さんと放課後に残る理由はない。
休みの間、放課後に水梛さんと話すのを待っていたのに。
もう放課後に水梛さんの笑顔を見ることもない。
また退屈な放課後に逆戻り。
それを思うと、何故だろう。
何かが込み上がった。
これはあの時に、似てる。
暁達と違う高校に通うことが決まってから付きまとってくるもの。
水梛さんはこちらを見ているクラスメイトの女子達の視線を気にして、俺に挨拶すると教室を出た。
その水梛さんの手を掴んで、引っ張り戻す。
「……寂しい」
「えっ」
俯いて、今感じていることを口にする。
よろけて俺の目の前に戻ってきた水梛さんから、甘い香りが届く。ヘアースプレーだろう。
「……じゃあ、本屋に……行きませんか?」
水梛さんは、提案する。
そうすれば、水梛さんと話が出来るか。
俺は顔を上げて「行き、ます」と頷く。
水梛さんに"好きです"と言われた時みたいな、嬉しさに似たものが込み上がった。
「顔。真っ赤だよ」
「……泣きそう」
「泣き虫」
鞄を取って水梛さんの元に戻れば、真っ赤な顔をしている。目には涙が浮かんでいた。
水梛さんの頬を軽く拭ってみたけど、その頬の赤みは拭き取れない。当たり前か。
「水梛さんは、感動しすぎ、泣きすぎ、真っ赤になりすぎ」
「……京谷くんが好きすぎるからです」
「……はいはい」
一緒に教室を出て歩けば、水梛さんはまた俺を"好き"と言う。
また嬉しさに似たものが込み上がった。
なんて返せば妥当なのかわからず、俺は聞き流すみたいに返事をする。
先週みたいに、"迷惑だから"って言葉は出なかった。
何故だろう。
駅ビルにある本屋へと向かったら、水梛さんはあちらこちら行きながら俺が読んだことのある漫画や本はどれかを知りたがった。
俺への探求心は尽きないようだ。
俺のことを聞き出されるより、水梛さんが読む漫画や本を知りたくて訊いた。
水梛さんはどこで感動して、どこで笑って、どこでなくのかを、訊いた。
困ったように苦笑を浮かべたけれど、水梛さんは思い出しながらも語る。
このシーンが印象的で、このシーンに共感して、だから涙が出てしまったとか。
このキャラのこういう性格が自分に似ているから、苦しくなって読むのが辛いだとか。
そういう話が、尽きなかった。
「あっ、この漫画はね、ラブコメなんだけどギャグがすっごく面白くて! 登場人物の個性さが合わさってもうお腹が痛いほど笑っちゃうからオススメだよ!」
「水梛さんってなんで友だちいないの?」
差し出された漫画を受け取って、別の質問してみた。
「外見からして、水梛さんって明るいし、今も明るく語るし、なんで友だちいないの?」
突っ込みすぎた質問かもしれないけど、彼女も結構ずけずけ訊いてくるからおあいこだろう。
こんなにも明るくて雄弁な水梛さんに、何故友だちが出来ないか不思議でしょうがない。
きょとんとした水梛さんは、少し考えるように他所に目を向ける。
「……女子って、面倒でしょ。ケタケタと仲良さそうに笑いあうのに影では悪口言って、そういうのにどうしても嫌気がさしちゃって、そんな子達と離れてたら一人になっちゃったんだ」
水梛さんが嫌気をさすのも理解できる。
そういう女子の付き合いが嫌になって投げ出したら、自然と一人になってしまったのか。
「ボロボロと悪口を言うのに、親友だのマブダチだのって呼ぶのがすごく気持ち悪く思えちゃうんだよね。親友だって呼び名がすごく希薄に聞こえてしまうんだ……女の子って、嘘つき」
水梛さんは、俯いて薄く笑う。
「でもね」と顔を上げて、俺に笑いかける。
「もしかしたら、それはそういう友情なのかなって思うの。悪口を言ってしまうけど、ちゃんと固い絆があるのかもしれないって。私にはそんな絆がないから、嫌になってしまうだけなのかもしれないって」
また水梛さんは、俯く。
ほんの少しだけ、悲しげに見える。
「希薄な関係が嫌になって一人に慣れてたけど……一番薄っぺらいのは自分かなって思うんだ。だから京谷くんに言われて、言い返せなかったんだなぁって」
そんなことはないと思う。
色んなことを考えて、感じていて、想っている彼女なんかより、何も考えていなかった俺の方がよっぽど希薄だと思う。
俺は何も考えず、あの教室で一人でいた。
水梛さんは、一人になっても敬遠する女子達を嫌わず、そして俺より上手く人付き合いしてて、それから俺のことを知ろうとした。
そんな水梛さんが、薄っぺらいなんて思えない。
色んなことを感じている水梛さんが、俺は羨ましい。
見習いたいくらいだ。
感情的な水梛さんの、その感情を少し、分けてほしいくらいだ。
彼女が好きだと言う度に――――――…彼女を好きになるといいのに。
不意に過った考えに、自分で驚く。
黙ったままの俺を見上げて、隣に立つ水梛さんはきょとんと首を傾げる。
俺の視線の先には、暁達がいた。
水梛さんと並んで立っている俺を、皆してニヤニヤ見ている。
「ごめん、つまらない話して」
「……水梛さん、友だち紹介してあげようか?」
「え?」
「あれ、俺の友だち」
気付いていない水梛さんに、俺は指差して暁達が見ていることを教えた。
「あ、私、帰った方がいいよね」
「なんで。紹介するよ」
「えっ……ああ、うん」
浮かない顔をする水梛さんが躊躇するから、不審に思ったけどついてきたので気にしないことにする。
店の中で大勢で立って話してちゃ迷惑だから、通路に出た。
「アンタが泣き虫? なんか想像と違う。もっとこう……終始涙流して健にすがり付いてるイメージだった」
「なにそれ、何のホラー映画?」
「健もちゃっかり青春してんじゃん」
「健がこんなにも早くカノジョ作るとは思ってなかったなー。泣き落とされたって本当なの?」
「いっぺんに喋るなよ」
暁が開口一番に水梛さんに問い詰めた。
次に胡桃優太が笑う。
次に眼鏡をかけた優等生風の因幡晴彦が俺に言った。
一番背が高い長谷川光國が、暁が妙な風に話したらしく誤解している。
「カノジョじゃないから。友だちの水梛さん」
「あ、ど、どうも……」
俺が紹介すると、おずっと水梛さんは軽く頭を下げた。それからは口を閉じたまま左右に視線を泳がす。
それを見て気付く。
水梛さん、人見知りするのか。
「ほら、呉葉行け」
「あ、う、うんっ! 初めまして、この暁って人の恋人の金原呉葉です! えっと……えっと……健くんを泣き落としたんですか!?」
「いや、そうじゃねーだろ!」
「先ずはどういう経緯で本屋デートしてるか訊いて」
「ドMかどうかを訊いて」
「背の低い子は好きか訊いて」
「優男は好きかを訊いて」
「え、えっと……とりあえず映画を一緒に観ませんか!?」
「お前ら全員自由すぎだろ! 呉葉、それとりあえずになってねぇから! 突拍子過ぎだから!」
晴彦が察して同じ女子である金原の背中を押したけど、金原は光國ことミッツーの言葉を鵜呑みにして問い詰める。
続いて暁がまだマゾかどうか気になっているから金原を通して問う。
次に優太が自分はどうかと金原を通して問う。
便乗してミッツーまで自分はどうかと金原を通して問う。
自由すぎだろ、お前ら。
「……こんな奴らだけど、俺の中学からの友だち」
どんな奴らかはよくわかっただろうから説明はいらないだろう。
水梛さんに言えば、水梛さんは顔を真っ赤にしていた。
「……私、泣き落としたんですか」
「君も鵜呑みにしないの。この人達が言うことは大半が冗談だから」
水梛さんにコイツらを一度に紹介するのは刺激が強すぎるみたいだ。
人見知りに、コイツらのテンションは高過ぎるよな。
「あーほら、あの小説の話すれば。金原と。俺は漫画買うからさ」
「あ、タケちゃん、俺の漫画も買ってー」
「俺が前から欲しい漫画も買ってー」
「俺も小説買いに来たんだよな、探す」
「じゃあ俺はくれっち達と待つ」
好きな小説の話なら水梛さんも喋りやすいと思い背中を押して、あとは騒がしい男子を引き離すことにした。
水梛さんに勧められた漫画をレジに持っていく。
「なんで本屋デートしてるの? 仕事のうちですか、京谷さん」
「仕事は終わったよ」
「じゃあ打ち上げ? 二人っきりで?」
「別にいいじゃん」
「……ふぅん」
本屋デートなんかじゃない。ただ会話しながら本屋に寄っただけだ。
放課後に教室で二人っきりで残るのとそう変わらない。
暁は意味深に頷くとポンと漫画を俺に渡す。仕方なく一緒に買ってやった。
「タケちゃん達も映画観る? アクションだぜー」
「本当に映画を観に来たんだ」
「でも水梛さんだっけ? なんか人見知り激しいみたいだし、やめた方がいんじゃないか」
優太は自分で買うらしく、俺の後ろに並ぶ。その後ろに並ぶ晴彦は、相変わらず真面目な発言。
「君達が少しテンション下げれば、水梛さんも話すと思うよ。根は明るいから」
「え? なに言ってんの、俺達めっちゃクールでしょう。絶対零度でしょ」
「俺達はいつもクールだぜ!」
「そのノリのこと言ってるんだけど」
暁と優太が顎に手を添えて、クールと思い込んでいるポーズをする。
常日頃頻繁に冗談を言うから、それを控えろってば。
「しっかし、お前が女友達とは驚きだな。フッた子なんだろ? なんで友だちになれた?」
「水梛さんがめげないからだよ。それになんか……」
晴彦に問われて、答える。
水梛さんがめげずに話し掛けてこなければ、仕事が終わったあとでもこうして一緒にいなかったはずだ。
それに、もっと水梛さんのことを知りたい。
まだ知らないことが多いみたいだから。
さっき過った考えを思い出して言葉を止める。
「暁……水梛さんのこと、気になって知りたくて知りたくてしょうがないんだけど……これって、変?」
レジの行列から見えた通路にあるベンチに座る水梛さんは、金原とミッツーの話に必死に相槌を打っていた。
ほっぺ、赤い。
「…………それって、多分、好きなんじゃない?」
金原がいない隙に、暁に相談すればそう返された。
「……なんで。俺水梛さんのことフッたんだけど」
「でも、気になって、知りたいんでしょ。他の女子はどうでもいいけど、あの子のことは知りたいんでしょ。それって、多分好きだってことでしょ。多分そうだよ、俺は呉葉以外の女子は全く興味ないもん。呉葉のことが知りたくて、ずっと見てたから。それと同じだと思う」
暁は淡々とそれは"好き"からくるものだと答える。
「ああー、タケちゃん、好きになっちゃったんだー」
同い年とは思えないくらい幼い笑みを深めた優太が笑った。
「青春してんじゃん。健までリア充かよ、全く」
晴彦も笑う。
俺は三人を見てから、またベンチにいる水梛さんに目を向ける。
水梛さんも俺を向く。
心細いのか、早く戻ってと言わんばかりの視線だ。
「健、水梛さんが三毛猫に見えてきたよ」
「うん、ベンチが段ボールに見えてきたよ、タケちゃん」
「捨てられてる猫みたいだぞ、健」
「……皆が言うからそう見えてきちゃうじゃん」
暁と優太と晴彦が言うから、ベンチに座る水梛さんが段ボールの中の三毛猫に見えてきてしまった。
さっきまで笑顔で雄弁に語っていた水梛さんが、今では借りてきた猫みたいだ。
例えるなら、教室ではおすまし猫、俺と二人きりの時は猫じゃらしと戯れてるみたいな猫か。
「水梛さん、暁達と映画観る?」
「あー、どうしようかな。私お邪魔じゃないかな」
「そんなことないよ、一緒に観よう」
「そうそう、楽しいよ」
漫画を購入して戻って、水梛さんを映画に誘う。
遠慮しようとする水梛さんを金原とミッツーが促すから、水梛さんは首を縦に首を振った。
「まー、あの子いい子みたいだし、交際を許すよ」
「お前何様だよ」
「俺様猫様だよ」
「なんだそれは」
まだ結論を出していないのに、後ろの方で暁と晴彦が勝手に喋ってる。
一週間前にフッたくせに、好きだって言うのは希薄に思われないだろうか。
俺は映画の上映中考えた。
たった一週間で、気持ちは変わるものだろうか。
たった一週間で、好きになるものだろうか。
そんな気持ちは、希薄じゃないのだろうか。
俺ってほんとに、薄っぺらいなぁ。
一番薄っぺらいのは、俺だ。
「京谷くんの友だちがあんなに賑やかな人達だなんて、意外だなっ。皆面白くていい人達だねっ」
暁達に「送れ」と背中を叩かれたから、すっかり暗くなった道を歩いて水梛さんを家まで送ることにした。
俺と二人っきりになった途端、水梛さんはにこにこしながら雄弁に喋る。
外灯でうっすら見える笑顔を見て、あの時を思い出す。
嬉し涙を浮かべて"好きです"と言ったあの笑顔。
「水梛さんは、人見知りするんだね」
「あ、うん……初めて会う人は苦手で……」
「暁達に遠慮はいらないから。というか、暁達は遠慮しないから」
「うん……ふふふ、面白い人達だね。常に笑いそうになっちゃう」
「常に笑ってたけどね、水梛さんは」
「京谷くんが学校でつまらなそうにしている理由がわかった。あんなに楽しい彼らと離れ離れじゃ、退屈なのもしょうがないよね」
楽しげに笑い声を漏らす横顔を眺める。
水梛さんは、俺が学校で退屈している理由を見抜いた。
暁達がいないから、学校は楽しくない。色褪せているように、物足りなかった。
でも今は違う。
それは水梛さんが、いるから。
「あ、ここ。私の家です。送ってくれてありがとう、今日はすっごく楽しかった! ありがとう、京谷くん」
水梛さんは自分の家の前で足を止めた。
一軒家から漏れる明かりで、水梛さんの頬を赤らめたにっこりとした笑顔がよく見える。
ここで、さよならか。
「……水梛さん。俺のこと、どう想ってる?」
まだ物足りなくて、俺は自分と水梛さんの気持ちを確認するために問う。
「……一匹狼……いや、はぐれ狼!」
「そうじゃなくて。気持ちの方」
「えっと……好きです」
水梛さんは、俺を好きだと言う。
彼女が好きだと言う度に、彼女を好きになればいいのに。
「本当に?」
「はい、京谷くんが好きです」
「本当に?」
「本当に、好きです」
「本当に嫌いにはならないの?」
「今日はもっと好きになりました」
「嘘じゃないの?」
「本当に大丈夫です」
「よく考えて」
「京谷くんが大好きです!」
しつこく訊く俺を嫌がることなく、水梛さんは楽しそうに笑いながら答えた。
好きですって。
今日はもっと好きになったって。
本当に好きですって。
大好きですって。
それを聴く度に、やっぱり俺の中で嬉しさに似たものが膨れ上がる。
嗚呼――――多分それが、"好き"ってやつなのかもしれない。
「俺も好き、です」
「私も好きです……え?」
条件反射でまた好きだと返した彼女は、目を丸めてきょとんとした。
少し理解するまで時間がかかって、水梛さんは徐々に顔を真っ赤にする。
「…………う、嬉しい、です」
「……俺も、です」
俺を見上げる彼女の目が潤む。涙がついに溢れては落ちていく。
ここを通る度、水梛さんは俺の"好き"を思い出してくれるのだろうか。
そうだったらいいと思う。
俺は水梛さんの首に腕を回して引き寄せる。
俺まで嬉し涙が出てきてしまったから、それを見られないように胸に水梛さんの顔を押し付けていた。
甘い香りがする。
確かにこの感情が薄っぺらいものではないと、水梛さんの温もりを感じているだけでそう思えた。
泣き虫な彼女が、やっぱり俺は好きだ。
水梛さんの両腕が背中に回ってきて、ぎゅっと抱き締められた。
熱が覚める前に、京谷くん視点を書き上げました!
前編を書いている時から、「俺様猫様」の愉快な逆ハー達が友だちという設定で書き進めていたので登場させました(笑)
京谷くんに、やはり私はメロメロです。←
以上、京谷くんの自覚するまでのお話でした!
お粗末様です!(*´∇`*)