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歴史書

xxxx年××月○○日


革命勃発。ユラァニュス帝国からユラァニュス民主主義国へと変貌した市民革命である。

王宮全壊。兵士棟半壊。死者1億人以上。

王宮襲撃に始まり兵士棟襲撃に終わったとされる。


革命により、王政が崩壊、封建的諸特権は撤廃され、民主主義権が確立した。ユラァニュス革命が生んだ理念(敬愛・平等)と諸制度は、現代社会にも多大な影響を残している。


右大臣であり、王の愛人であるべスティーユ・ダンカンがもともと小規模な反乱を起こしていた、バベット軍と呼ばれる反乱軍と手を組み、起こった。

この革命が起きる2年前からべスティーユはバベットと組んでいたとされ、王宮での情報は彼女によって反乱軍に筒抜けとなっていた。


王はべスティーユ自身の手によって刺殺。第一王妃エリアーヌは逃亡中に反乱軍の一つであるクロティルド軍に撲殺。第二王妃クロエは王宮内で爆発に巻き込まれ、死亡したと推定される。第三王妃アンヌは王宮内で反乱軍の一つであるバベット軍に射殺。第二王女は死体が見つからず、瓦礫に埋もれたと推定されるが定かではない。第二王女の付き人ごと死体が見つからないため、逃亡した可能性も。


王が設定した税金90%がxxxx年××月∇∇日に変更され50%に。

それと同時にべスティーユが大統領として職に付いた。


xxxx年☆★月〇∇それまで140年にわたって鎖国していた民主主義国として開国。


【これを読めばユラァニュス民主主義国の全てが分かる!】より参照。


ユラァニュス革命はxxxx年××月○○日に起きた市民革命で多大過ぎる税と赤字に市民が反発したために起こった革命である。

王宮全壊から始まり、兵士棟半壊に終わった。


革命により、王制が廃止され民主主義となった。その後掲げた「敬愛・平等」はその後もユラァニュス民主主義国の根となっている。


革命を率いたは右大臣であり、王の愛人であるべスティーユ・ダンカンである。その後べスティーユは大統領となり善政を貫いた。


【ユラァニュス民主主義国善政の秘密】より参照。

次回で晴れてユラァニュス帝国の革命は終わらせて頂きます。

いやぁ、長かった。マジで長かった。結局何個か分かってないことが残っている気がする・・・。

気になってくださる人は『ユラァニュス民主主義国大統領の死亡(仮)』を読んで下さると光栄です。

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