他人の代わりに縛り首になる女
「あっ、あっ……ぅあ……!」
隣に立つ若者が言葉にならないうめき声をあげて指さす先を、この仕事を20年以上も続けることができている赤髪の中年男はさして慌てもせずに見た。
そして予想通りの光景があったので、赤髪の中年はもう何度繰り返したかわからない説明を、若者にもしてやる。
「あいつはな、吊るされた後でも……、なんでかね。そう、起き上がってくる。いつものことさ。気にしなくていい」
気にするなという慰めが、若者に効果があるのを期待した。そう、奇跡のようなものが起こればそういうこともあるだろう。
だが若者は、自分の言葉など聞こえていないように背中を向けて、一目散に走り去ってしまった。
「やれやれ……」
赤髪の中年は頭をかく。
今日、この仕事をするとやってきたばかりの新人が、日暮れ前にいなくなってしまった。
どんなことでもする、死体を運ぶくらいのこと恐れてはいない、そう言っていたが、死体は恐れずとも、縛り首になった人間が起き上がってくるのは恐ろしかったらしい。
本来ならば起きるはずのない光景を前にして、赤髪の男が動揺していないのは、なにか特別な理由があるわけではない。
ただ、慣れたのだ。
縛り首になった女が、起き上がってくるという異常に。
吊られた後の人間――死体が無造作に並べられた列から、のっそりと起き上がった女は、律儀に声をかけられるのを待っている。
「いいよ。いっちまえ」
犬を追い払うように手を振ると、女はうなずいたのか、うなずいていないのか。
ちいさく首を動かした気がするが、それだけでのそのそと歩み去っていった。
刑に服した者は、その罪を再度問われることはない。
だから、縛り首になった者が生き残ったとしても、もう一度罪に問われることはない。
縛り首になった者が生き残ることなど、ありえないのだから。
だがこの女は、吊られた後に起き上がった。
中年男も初めて目にしたときは肝をつぶし、女を追い払うことしかできなかった。
それから何度か女は吊られ、起き上がり、どこかへ去っていく。
聞いた話では、本来縛り首になる誰かの代わりに吊られているらしい。
役人としては人数の帳尻が合っていればいいのだろう。
市民は絞首刑になるような罪人が減ったことに安心し、中年男は死体を埋めて金をもらっている。
罪人に興味がある者などいない。
だから、善良な市民が寄り付かないこんなところで、誰かに話す気になれない奇跡が起こっていることを知る者は少ない。
「やれやれ……また代わりを探さにゃならん」
逃げた男の代わりはすぐ見つかるだろうか。
穴掘りを一人ですることになった中年男は天を見上げた。
女は足を引きずるように歩いて、やっと街の外縁にまで戻ってきた。
探していた老女のそばに歩いて行く。老女は女が目の前に来ても、女の存在を無視した。
だから女は、酒瓶をのぞいて、一滴も垂れてこないことに悪態をつく老女に向かって、手を差し出す。
「お金を……」
老女は無視していたが、女が去っていきそうにもないので、仕方なく思い出したふりをした。
「ああ、あんたか。ありがとうよ、代わりに縛り首になってくれて」
女は「お金を」と繰り返す。
代わりに縛り首になれば戻った時に金を渡す約束だ。
「うるさいねえ! 金なんてないよ! これになっちまったからね!」
老女は苛ついて酒瓶を投げる。
老女の力では酒瓶は割れず、転がっていった。
「次また生きてたら払ってやるよ!」
女は金がもらえないとわかって、どこかへ歩み去っていった。
赤髪の中年はまた女と顔を合わせた。
男の仕事はいつだって変わらない。吊られて、動かなくなった体を埋めに行くのだ。
女はおとなしく自分の首に縄がかけられるのを待っている。いつもと同じに。
だが今日は、女が口を開いた。
「この子は……」
女が口を開くとは思わず、中年男はのけぞっていた。
死体に話しかけられたような気がした。
「……なんだって?」
なんとか取り繕って姿勢を戻す。声が上ずったのだけはどうしようもできなかった。
女がもう一度口を開く、ぼそぼそとしゃべっているようで、意外に明瞭だった。
「この子はなんの罪なんですか」
女の隣に子どもが立たされている。
子どもは恐怖のあまりに固まっていた。
「さぁな。パンを盗んだとか、そんなもんじゃないか」
中年男は女の質問を適当にあしらったわけではなく、本当に知らなかった。
毎日やってくる罪人の事情など知らない。しかしおおかた、そんなもんだろうとは思った。
「この子の代わりに縛り首になります」
女が言う。
中年男はまたも驚きで体が少し後ろに傾いた。
「おまえは誰かの代わりに来てるんだろう。そいつの代わりはどうする」
「本人を連れてきてください。私はこの子の代わりに吊られますから」
誰かの代わりに縛り首になる。
知る者が少ないから目こぼしされているだけで、本来なら許されないことだ。
そして女が身代わりをやめる、と言っている以上は、刑を受ける本人を連れてくるのが筋ではあるんだろう。
中年男は面倒なことになった、と思いながらも役人に「今日、刑を受けるはずの罪人がいない」と伝える。
役人の方も自分の失態になるのはご免なので、面倒でも罪人を連れてくるしかない。
やがて、酒臭い息と罵倒をまき散らしながら老女が連れてこられた。
老女はしきりに「こんなことはおかしい、こんなはずではない」というようなことを言っていたが、抑えつけられて首に縄をかけられた。
女の隣に立たされた子どもの首から縄が外される。
子どもはわけがわからず、その場で固まったままだ。
女が何も言わないので、仕方なく、中年男が子どもに話しかける。
「もういい。行っちまいな」
子どもは本当のことを言われているのか疑うように、男と役人を交互に見て、わけがわからない様子ながらも絞首台を降り、足をもつれさせるように駆けていった。
自分がなぜ助かったのかも、誰が助けてくれたのかもわからないだろう。
女は目をつぶって足元の板が開くのを待っている。
隣ではすべてを罵る声が、絶え間なく聞こえている。
女は、はやく終わりますようにと祈る。
祈りが正しいのか女にはわからない。しかしいつもそうであるように、今日も女は祈るのだった。
はやく終わりますように。次こそは目覚めませんように。




