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じゅさか山にかかる雲

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 ぎょええ…また視力が微妙に落ちた気がする……。

 こう、近いものばかり見ている生活だとあまり支障を感じないけれど、いざ距離をはなしてモノを見ようとすると、一気に危うくなるねえ。

 人生経験から、だいたいこの形だったら、こういう文字だろうな~とアタリをつけて察することはできるけど、細かいところは不安だ。遠くの景色をぼんやり眺めるにはいいけれど、あそこの木に葉っぱは何枚ある? とか具体的なものを尋ねられたら危ないな。


 その点、若かったころの視力というのがつくづくすごかったなと思うこともある。今に比べると、ほんと細かいところも読めた。先ほどの葉っぱの例なら、枚数だけじゃなくてその上に乗っかる水滴の数でさえも、数えることができただろう。

 衰えを知らないと、自分がどれだけ恵まれていたか分からない。それをいろいろなものでバカとか愚かとか自嘲したり、冷たい笑いを浮かべたりすることあるな。

 そして当人としては、恵まれていると自覚していない無鉄砲さを持つ。ゆえに二の足を踏まず、飛び込める領域がある。君もそうした経験はないかな?

 僕の昔の話なのだけど、聞いてみないかい?


 当時、僕は天気あての名人と呼ばれていた。

 テレビでやっている天気予報は、現代の技術をもってしても100%当たるとは言い難いもの。しかし、一部の人は天気予報以上の精度で、これから訪れる天候の変化を推測することを可能としている。

 理屈的なこと、感覚的なこと、あるいはそれらが合わさったこと。

 理由はきっと様々だろうけど、僕の予報する根拠はかなり単純だった。


 うちの地元を囲む山々のうち、「じゅさか山」と呼ばれる一角がある。

 そこの頂は、いまそびえる山々の中でも一番古くに地上へ姿を見せたところで、神様の住まう場所である……と、まことしやかに話されている。山の隆起するところを本当に見た人がいるのかどうかは分からないが、とにかく古さを際立たせたいのだろう。

 このじゅさか山に雲がかかるか否かが、僕の判断基準だった。山に雲がかかればここの天気は晴れ、かからなければここには雨が降るという、シンプルなものだ。この予測で外すことは当時一度もなかった。

 天気を当て続けることをほめそやされて、僕はこそばゆい反面、どうにも納得がいかなかったよ。

 じゅさか山を見れば、誰でも簡単に天気の判別がつくはずだからだ。まるで、誰にでもできることをほめられているようで、かえってバカにされてるんじゃないかと思った。

 しかし尋ねてみると、みんなはじゅさか山を見ることはできても、そこに雲がかかるのを見ることができるとは、限らなかった。僕には雲がかかっているのが見えるのに、みんなには特にその様子を確かめることができない、といった具合にね。

 天気を判断することができる雲。どうやら、僕にしか見えていない。そう察せられたんだよ。


 それから大っぴらに、じゅさか山の雲について皆に話すことはせず、僕は僕なりの天気予報に従い、淡々とことを進めるようになる。

 異常なことだとしても、しょっちゅう起こり続けていたら、それは日常へ組み込まれる。慣れてきた人間は恐ろしいほどに事物への関心を失い、別のことへかまけていく。きっとそれは限られた脳の機能を、ちょっとでも未知への警戒と生き残りの模索へ振り分けたい命の機能なのだろう。

 その日も、朝起きたらすぐ、習慣になっていたじゅさか山を見る時間になる。部屋のカーテンを開けて、ひょいと見た姿はてっぺんから中腹あたりまで、すっぽり隠れてしまっているものだった。


 ――ははあ、これは盛大な晴れになるぞ。


 そう思っていたのだけど、いざ顔を引っ込めようとしたときに、そいつを見てしまう。

 山を覆う白い雲の中心を、一本の黒い影が入り込んで横切ろうとしていくんだ。そいつは遠目にはひものように細くも、上下へいくらかうねりながら雲の中を右から左へ突き進んでいく。

 これまで、一度も見たことのなかった景色だ。一部始終を見届けたかったが、すでにいつもの起床時間を大幅に過ぎ、母親から朝ごはんを食べるようにとの声がかかる。

 着替えを済ませて、ごはんを食べ終わったあと、あらためて山を見ても例の影はもうどこにもなかったんだ。


 そして、晴れるとにらんだ僕の予想は、はじめて裏切られる。

 山を見た時には青空がたっぷり広がっていたのが、時間とともにもくもくと雲が湧いてきて、2校時が始まるころには空に雨気をたっぷり含んだ、どす黒いもやがかかっている始末だった。

 もう、みんなの前で天気予報を言いふらすことはしていない。僕の天気予報が外れたことなど、みんなも知りようがない。もちろん、あの雲の中で動いていった影のことも。

 ひとり衝撃を心の中へとどめながら、なおも天気は変化を続ける。3校時には雨が降り出し、勢いをぐんぐん増して4校時に予定していた体育は、外の種目を急きょ、体育館でのバスケットボールへ切り替えることに。

 種目内容について、とやかくいうことはないな。問題は体育が終わったあとだった。


 給食が控えていることもあり、当番を先頭にして我先にと教室へ帰っていくクラスメートたち。後片付けを担当する僕は、みんなが去ってしまってから教室へ戻ることになったのだけど。

 体育館から教室のある校舎をつなぐ渡り廊下。そこを歩く際には校庭の一部も見ることができる。

 視界をさえぎるざあざあ降りの中、僕がまず見たのは空を泳ぐ影だった。

 今朝に見た、じゅさか山の雲の中を通り抜けていったものとよく似ている。それがいま、黒々とした雲たちの中にありながらも、はっきりと分かる黒さでもって上空をうねりながら泳いでいくんだ。

 次に、どしゃ降りの中で校庭のただ中を走る子犬らしきものの影が見えた。犬種ははっきり分からなかったが、さほど大きくはない。雨宿りもせず先を急ぐとは、どのような大事な用があるというのか……。


 その答えは、すぐさま出た。

 走っていたはずの子犬が、四足からにわかに二足となった。立ち上がったんだ。

 身体もみるみる大きくなる。そうなりながらも走り続け、校舎の影へ隠れて見えなくなるときにはもう、一人の大人と見間違える姿となっていたんだよ。素っ裸だけどね。

 それから数分後。あの犬? 人? が去るのを待っていたかのように、雨はぴたりとやみ、雲もどんどんとはけて晴れ間がのぞいて来る。

 あいつがどこへ行ったかは知らない。そして僕自身も数か月後には、じゅさか山の天気予報が当たることはなくなったよ。みんなと同じような景色しか見えなくなったようで。

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