広嗣の怨霊(1)
大内裏から南東の方角、鴨川を渡った向こう側に鳥辺野と呼ばれる地域が存在していた。
鳥辺野は平安京の風葬地帯であり、亡くなった人々の遺体はこの鳥辺野へと運ばれていた。風葬地帯は鳥辺野の他にふたつ存在していた。平安京の西に位置する化野と北に位置する蓮台野である。当時の地名で《《野》》が着く場所は、風葬地であったとされている。
当時の葬送は、風葬であった。風葬というのは、遺体をそのまま野に放置して自然に還すというものである。当時、土葬や火葬が認められていたのは、高い身分を持つ貴族だけであり、それ以外の人々は皆、風葬で葬られていた。風葬は別名、鳥葬ともいう。その名の通り、鳥に啄まれることで遺体を自然に還すという考えであった。
この葬送には、色々と問題があった。疫病や害虫の発生である。この時代、疫病や飢饉などによって、何度も遷都が繰り返されていた。当時は怨霊の仕業などと考えられていたが、実際にはそうではなく、この風葬に問題があったのである。
この風葬問題については、遣唐使で唐より帰還した高僧の空海が平安京の周りで行われている風葬の様子を見て、すぐに土葬に切り替えるように朝廷へと申し出たという話も残されているほどだ。
そんな風葬地帯の鳥辺野には、冥界への入り口が存在しているといった噂があった。その中でも、六道の辻と呼ばれるその場所には、冥府と繋がる井戸が存在しているという噂が流れていた。
六道。それは仏語で、人間が生前の業により、輪廻転生を繰り返す六つの世界を指す。その世界は、地獄道・餓鬼道・畜生道・阿修羅道・人間道・天道の六つに分かれている。
六道の辻はその六つの世界への分かれ道であり、現世と常世を繋ぐ場所であるとされていた。
そんな六道の辻には、小さな寺があった。珍皇寺。そのような名前があったが、人々はその寺のことを《《六道さん》》と呼んでいた。
夜も更けた頃、その《《六道さん》》には人影があった。寺の坊主ではない。頭には烏帽子を被り、狩衣に狩袴という姿の妙に背の高いその男は、寺の境内に入っていくと、真っ直ぐに井戸のある場所へと向かった。
その井戸には、とある噂があった。井戸は冥府と繋がっており、中へと足を踏み入れれば冥府へと行くことが出来るというものだった。
男は井戸を覗き込んでいた。この男が噂を信じているかどうかはわからなかった。ただ、男は一度だけ辺りを見回した後、井桁に足を掛けて井戸の中へと飛び込んだ。
昼は朝廷の役人として働き、夜は冥府で閻魔大王の補佐をする。そんなまことしやかな噂を持つ男。ひと際体が大きく、偉丈夫と呼ばれる男。豪胆であり、時に狂ったような行動に出る。理にかなわないことがあれば、相手が自分よりも身分が上であっても食って掛かるような男。人々からは、親しみも込めて野狂と呼ばれる男。
そう、この男こそ、小野篁であった。
井戸の中へと飛び込んだ篁は、一瞬、宙に浮くような感覚に陥ったが、すぐに地へと足をつけた。
暗がりの中に聳え立つ、蒼い炎の篝火が焚かれた、真っ赤に染まった巨大な門。その門の脇には、筋骨隆々な立ち姿の上半身が裸で腰には虎の毛皮を巻き付けた男たちがいる。その姿は何とも奇妙であり、ひとりは頭が馬、もうひとりは頭が牛である。彼らは、牛頭馬頭と呼ばれる冥府の羅刹であった。
「また来たのか」
そう親し気に篁へと話しかけてきたのは、馬頭だった。
馬頭は手に鉄製の長い棒を持っており、時おりそれを振っては冥府へとやって来る亡者たちを脅かしたりしている。
「私だって来たくて来るわけではない。呼ばれたのだよ」
篁がそう答えると、その隣にいた牛頭が声を出して笑う。
牛頭も馬頭と同じように鉄の棒を手に持っているが、こちらは長さが短く六角に削られた太いこん棒のようなものであった。
「おい、篁。お前、現世では《《野狂》》と呼ばれているそうだな」
にやにやと笑いながら、牛頭が言う。
「そう呼ぶ者もいるな」
「いいな。格好いい。俺にも何か名前を付けてくれよ」
「別に私が頼んでつけてもらったわけではない」
「そうなのか……」
そんな会話を牛頭馬頭と交わしながら、冥府の巨大な門をふたりに開けてもらう。
冥府の巨大な門扉は、筋骨隆々な肉体を持つ牛頭馬頭が力を合わせなければ開くことが出来なかった。それほどに巨大な門なのである。
門が開くと、篁はその先にある冥府の裁判所へと足を向けた。
冥府の裁判所の前には、裁判を受けるために亡者たちが行列を作っている。特に近年では、流行り病や飢饉で死んだ者が多いため、冥府裁判も引っ切り無しに行われているのだった。
篁は行列を脇目に裁判所の隣にある建物の中へと入っていき、そこで待つことにした。




