流人、篁(10)
雷鳴が轟いた。
まるで、鍾鬼の叫び声に呼応するかのようである。
召雷の術か。
篁は警戒をした。
あの召雷の術は、陰陽師である刀岐浄浜の命を奪い、怨霊であった藤原広嗣を爆死させている。
「篁よ、我は絶対に貴様を許さんぞ」
鍾鬼の口からは鬼火が零れ出てくる。
「絶対に許さんっ!」
鍾鬼がまた吠えた。
雷鳴が轟く。
このまま、待っていたのでは負けることは確かだった。
篁は鬼切羅城の柄を握りしめると、走り出した。
一気に間合いを詰めて、鍾鬼へと斬りかかる。
鍾鬼は刀身となっている右腕で、篁の一撃を受け、左腕で斬りかかってくる。
遅い。
篁は、素早く身体を入れ替えるように動くと、今度は下から斬り上げる。
この攻撃も鍾鬼は受け止める。今度は左腕の刀身だ。
そして、右腕を篁の首を薙ぐように振る。
やはり、遅い。
鍾鬼の攻撃はどこか遅いのだ。
篁は呼吸を整える。
息吹き。
鼻から空気を吸い込み、丹田に気を充実させる。
上段から斬り下ろす。
鍾鬼は両手を頭の上で交わらせ、篁の太刀を受け止める。
普通であれば、ここで力比べとなるが、鍾鬼にはもう一本腕が空いている。
殴りかかってくる拳を篁は避けるために、一歩下がった。
なにかが、おかしかった。
鍾鬼の動きが全体的に遅く感じるのだ。
そのことに鍾鬼は気づいていない様子である。
しかし、罠という可能性も否めない。
先ほどのように、篁の隙ができるのを待っているのかもしれないのだ。
そのため、篁の動きが慎重になる。
雷鳴が轟いた。
先ほどよりも近い。
「そろそろかのう、篁」
にやりと笑った鍾鬼が言う。
「何がだ」
「決まっておろう……お前が我に身体を受け渡す時がよ」
そう鍾鬼が言ったと同時に、鍾鬼の身体から無数の腕が伸び出てきた。
やはり罠だったのだ。
何本もの手が篁に向かって襲いかかってくる。
そのうちの何本かは、篁も斬り落とすことが出来たが、すべてを斬り落とすことは出来ず、篁はその腕に掴まれ、拘束されてしまった。
「愚かな、愚かな」
鍾鬼はそう呟き、何十本もの伸びてきた腕によって篁は殴られた。
次々と殴られるうちに、篁の意識は遠のきかける。
(篁様、気を確かに)
聞き覚えのある声がした。
女の声。
どこかから香を炊いたかのような匂いがする。
「花か……」
薄れゆく意識の中で、篁はそう呟く。
(篁様、強く念じてください。ここはあなたの精神世界なのです。あなたが強く念じれば様々なことが起きます)
その声に促されるように、篁は強く念じた。
雷鳴がまた鳴り響いた。
ピタリと鍾鬼の篁を殴る手が止まった。
何かが起きている。
しかし、篁にはそれを見る力も残されてはいなかった。
「篁をこちらへ」
また聞き覚えのある声だ。今度は男の声である。懐かしい声だった。
「ここは我らに任せて、しばらく休まれよ」
はっきりとした口調。その声の主を見るために篁は目を開いた。
白い水干に烏帽子姿の男と、男装をした女。
女の方は間違いなく花であり、その隣に立つ男は陰陽師のように見えた。
「浄浜……」
篁が呟くように言うと、その男が振り返った。
「久しいな、篁。ここは我らに任せよ」
浄浜はそう言うと、花と共に鍾鬼へ向かっていった。
刀岐浄浜は、死んだはずだった。鍾鬼に体を乗っ取られた吉備真備の召雷の術によって。
しかし、目の前にいるのは間違いなく浄浜である。
自分は何を見ているのだろうか。
篁は呆然としながら鍾鬼と戦う、花と浄浜の姿を見つめていた。
「篁様、お立ちください」
すっと自分の横に立つ人間が現れた。
篁が目を向けると、それは阿古那であった。
阿古那が篁の傷口に手をかざすと、篁の傷が見る見るうちに治っていくのがわかった。
「篁様、ここは貴方さまの精神世界なのです。ですから、篁様が念じたことがそのまま形になります。ですから、強く念じてください。鍾鬼を倒すということを」
「そんなこと……」
「わたしを信じてください。篁様」
阿古那はそう言うと、篁にそっと口づけをした。
篁の中に何か熱いものが宿るのがわかった。
立ち上がった篁は、鬼切羅城を手に取ると、花と浄浜と戦う鍾鬼の元へと向かった。
「下がられよ、ふたりとも」
篁はそう叫ぶと、鬼切羅城を振り投げた。
鬼切羅城は一直線に鍾鬼を目掛けて飛んでいく。
鍾鬼は動かなかった。いや、動けなかったのだ。
浄浜の陰陽の術と花の力により、鍾鬼の身体は動かすことができなくなっていた。
そして、篁の投げた鬼切羅城が鍾鬼の胸を貫いた。
「ば、馬鹿な……」
深々と鍾鬼に刺さった鬼切羅城。
すると蒼い光が放たれ、その光の形が一本角の鬼の形に変化していく。
光として姿を現したラジョウは、鍾鬼の胸を両手で裂く。
「おのれ、篁……」
鍾鬼は断末魔の叫びをあげながら、光に包まれていった。
それが、篁の見た鍾鬼の最期だった。
再び闇が訪れた。
篁の周りには、ラジョウ、花、浄浜、そして阿古那がいた。
「さあ、戻りましょう」
阿古那がそう言うと、目の前の闇が晴れていくのがわかった。




