常嗣と篁(11)
「――――帰国した真備は、その後、右大臣にまで上り詰めた」
「それは知っておる」
篁は広嗣の言葉に相づちを打った。
吉備真備は帰国して五年で、従二位、右大臣となっていた。
これには、藤原仲麻呂の乱の際の活躍が影響しているという考えもあるが、広嗣の口から語られた真実は違うものであった。
「奴を右大臣にしたのは、その鬼の力じゃ」
「どういうことだ?」
「人の夢を喰らうのじゃ。夢とは欲望であり、その夢を喰らうことによって、鬼の力は増していく」
「では、真備は鬼を唐より連れ帰ったというのか」
「さすがは篁じゃ。話がわかっておる。その通りだ。真備は鬼に夢を喰わせるといって、陰陽の術を掛けて鬼を自分の中に取り込んだのだ」
「……そんなことが可能なのか」
篁の驚きの声に、広嗣はうなずく。
「真備は鬼を取り込むことで人を超えた」
「吉備真備については、わかった。では、私を唐で待つと言っているのは、何者なのだ」
「ここまで話せばわかるであろう……」
「まさか、阿部仲麻呂だというのか」
その言葉に広嗣は無言で頷く。
しばらくの間、篁は言葉が出なかった。
あの法師の正体は阿部仲麻呂であったのだ。仲麻呂は自分を唐へ呼び、何をさせようというのだろうか。
「仲麻呂は、自分を連れて帰ってくれなかった真備を恨んでおる」
「だから、私に力を貸すというのか」
「そうだ。仲麻呂は、真備が取り込んだ鬼の正体を知っておる。真備を倒すための秘密を知るのは仲麻呂だけなのじゃ」
「しかし、仲麻呂もすでに鬼籍に入っているのでは」
「さすがは篁。察しが良いな。やつも鬼と化しているのじゃ」
どうやら篁は、鬼たちのとんでもない争いに巻き込まれてしまったようだ。
しかし、吉備真備だけはどうにかしなければならなかった。あの男は、刀岐浄浜の仇でもあるのだ。
あの時に見せられた召雷術は、恐ろしいものであった。広嗣の怨霊を一撃で粉々に吹き飛ばした。
いまのままでは、吉備真備を倒すことは敵わないだろう。やはり、ここは唐にいるという阿部仲麻呂の力を借りて、真備を倒すべきなのだろうか。篁は腕組みをしながら考えていた。
「広嗣よ、ひとつ聞いても良いか」
「なんじゃ」
「なぜ、私なのだ」
その篁の言葉に、広嗣は少し考えるような顔をしてみせた。
「……似ているからであろう」
「何がだ」
「お前と真備がじゃ。お前たちは似ているのだ。遣唐副使という役目も、藤原氏以外の人間で中央で出世していく様も。それに閻魔との繋がりもある」
「だから、私なのか」
「我はそうだと思っている」
「そうか……」
自分が吉備真備と似ていると言われても、篁にはピンとこなかった。100年近く前の人間と自分が似ていると言われても、わかるわけがない。だが、自分のことも真備のことも知っている広嗣がそういうのだから、そうなのかもしれない。篁は、なんとも言えぬ、妙な気分になっていた。
翌朝、大宰府の政庁が騒がしかった。
対馬島よりの飛駅が、大宰府へとやってきたのだ。
至急、政庁に来てほしいという藤原常嗣よりの使いに呼ばれ、篁は急いで大宰府政庁へと向かった。
政庁に入った篁を待っていたのは、第三船の悲報であった。
遣唐使第三船は、対馬沖で遭難していた。暴風と荒波によって船体が崩壊したのである。
第三船に乗っていたのは140名ほどであったが、崩壊した船体の板を組んで筏としたもので脱出できたのは30名ほどであった。
筏に乗った30名ほどは23日間漂流をしていた。水も食料も無い状態であり、ほとんどの者がここで餓死した。
漂流した筏は対馬島の南浦に漂着したが、生き残っていたのは空海の弟子で留学僧の真済、真然と他一名だけであり、彼らは現地島民によって助けられたとのことだった。
第三船は、船長であった丹墀文雄以下130名以上が死亡。この時の生存者は、たったの3人であった。
その知らせを聞いた常嗣と篁は絶句し、言葉も出なかった。
数日後、朝廷より遣唐大使である藤原常嗣に勅符が送られ、此度の遣唐使は一度仕切り直しということになった。
破損した遣唐使船は大宰府で修理を行い、数名の判官などを残して平安京に帰還せよとのことだった。
常嗣と篁は大宰府に残る判官を選び、遣唐使船の管理を大宰府に託して一旦、平安京へと戻ることにした。
それは、八月の暑い日のことであった。




