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常嗣と篁(2)

 初めて飲む酒であった。口当たりも良く、口に含んだ時に広がる香りがとても良かった。ここまで飲みやすい酒を飲んだのは、初めてかもしれない。

 あまりに美味であるため、飲みすぎる恐れがあると思った篁は、酒と水を交互に飲むことにした。


 藤原常嗣が用意した酒宴の席は、豪華なものであり、酒も良ければ、食べ物も良いものばかりであった。特に魚は海で獲れたものらしく、塩をかけて焼いただけであるにもかかわらず、旨味が口の中に広がり、ついつい酒が進んでしまう。

 これほどまでに、うまい料理を食べたのは初めてのことである。酒席ひとつで、藤原北家が名門であるということを再認識させられていた。


「して、野狂殿。此度こたびの遣唐使の派遣はどう考えておる」


 酔っているせいもあり、普段よりも大きな声で常嗣が話しかけてくる。

 常嗣と篁はそれほど親しい仲というわけではなかった。

 大内裏の中で会えば挨拶をする程度であり、共に仕事をするのもはじめてのことであった。


「私は、記録上での遣唐使しか存じておりません。なぜ唐へ行く必要があるのか。そこから調べてみようかと思っております」

「なるほど、野狂殿は勉強熱心なお方じゃな」


 そう言って常嗣は笑うと、盃を傾けた。

 酒はあまり強くないのか、常嗣の頬はほんのりと赤らんでいる。


此度こたびの遣唐使は、天台宗の円仁えんにん殿が唐への留学を熱望されたことから計画がはじまったのじゃ。三〇年前、空海様は唐から戻られ、真言宗を開かれた。だから、円仁殿にも空海様のような立派な僧になっていただければと思っておる」

「なるほど」

「だが……」


 急に常嗣の口が重くなる。

 篁は盃を手に取るのはやめ、常嗣の次の言葉を待った。篁の中でこの男は何を言い出すのだろうか。不安と期待が入り混じっていた。


「遣唐使の復活も決まり、事が進められると思っておったのだが、遣唐けんとう判官はんがん藤原ふじわらの豊並とよなみが妙なことを言っておってな」

「妙なこと……ですか」


 篁はこの時、嫌な予感を覚えていた。


「ああ。あやつの父は陰陽師だった藤原ふじわらの並藤なみふじ殿であろう。豊並にも、そういった力が宿っておるようで《《あやかし》》が見えるというのじゃ」

「《《あやかし》》ですか……」

「その豊並が先日、奇妙な老人に声を掛けられたそうだ。その老人は豊並に『お前のことを唐で待ってる』と言って姿を消してしまったそうなのじゃが、なぜかそれが妙に気になってな。野狂殿も《《あやかし》》が見えるという噂を聞いておる。忙しいのは承知しておるのじゃが、その《《あやかし》》について調べてほしいのじゃ」


 嫌な予感というものは当たるものだ。そう思いながら、篁は口を開いた。


「とりあえずは、豊並殿から話を聞いてみましょう」

「おお、さすがは野狂殿じゃ。妻の言っていた通りじゃな」


 常嗣は笑いながらそう言うと、酒の追加を家人に申しつけた。

 篁には《《あやかし》》が見える。そう常嗣に吹き込んだのは、常嗣の妻であるともの右大うだいだったようだ。伴右大といえば、生霊を飛ばして常嗣の浮気を邪魔しようとした人である。


 食えぬ夫婦よ。篁は苦笑いを浮かべながら、盃を傾けた。



 藤原豊並の屋敷を篁が訪ねたのは、翌日のことであった。

 豊並の屋敷は常嗣つねつぐほどの大きさは無かったが、藤原ふじわら京家きょうけの流れを汲むだけあって、立派な屋敷であった。

 豊並の父である藤原並藤はかつて陰陽おんみょうのかみを務めていた人物であり、篁も並藤とは面識があった。ただ、その息子である豊並とは会うのは今回が初めてのことである。豊並の官位はしょうろくのじょうであり、じゅのげである篁の方が官位は上であった。


「これはこれは、小野少弻様ではございませぬか。お忙しい中、来ていただき感謝いたします」


 篁が訪ねてきたことを家人に取り次いでもらうと、豊並は低姿勢で篁のことを迎えた。

 豊並はまだ若かった。おそらく二十歳はたちそこそこであろう。色が白く、ふっくらとした頬をしている。大きな瞳は父である並藤によく似ていた。ただ見た目は、どこか気の弱そうなお坊ちゃんとしか見えない。

 このような男が遣唐判官で本当に大丈夫なのだろうか。篁はそんなことを思いながら、豊並に挨拶をした。


「藤原常嗣殿に話を聞きましてね。豊並殿がお困りだというので訪ねてまいりました」

「大変恐縮にございます」


 豊並は頭を低くして、篁に言う。

 こういった行動がますます、豊並を気の弱いお坊ちゃんという姿に見せていた。


「老人のあやかしに会われたとか」

「そうなのです。私の場合、父が陰陽師でしたので、父に使役する式神の姿は何度か見たことがありました。しかし、今回のようなことは初めてでして、どうすればよいのかわからず……」

「そうでしたか。その老人の《《あやかし》》というのはどのような姿だったのでしょうか」

「見た目は普通の老人でしたが、目が三つありました。第三の目があったのは、ちょうど額の真ん中です」


 豊並は、つるりとして鳥の卵を思わせるような自分の額を指でさしながら言う。


「ほう、三つ目の老人ですか。それで、その老人のあやかしに会った場所というのは」

神泉苑しんせんえんの南、三条大路と大宮大路が交わる辻の辺りでした」

「なるほど。では、そちらに足を運んでみませんか」


 篁が立ち上がろうとすると、豊並は慌てた様子で口を開いた。


「え、私も行くのですか」

「ええ。何か行きたくない理由でも」

「い、いや……」


 豊並はどこか怯えたような表情を浮かべる。


「無理にとは言いません。ただ、豊並殿が一緒にいた方が、そのあやかしに再び会えるのではないかとも思いましてね」

「そ、そうですか」


 豊並の怯え方は異常であった。たしかに、あやかしと出会った場所へもう一度行こうと言われれば、普通の人間だったら嫌がるだろう。しかし、豊並は仮にもあの並藤の息子である。例え、並藤の能力を受け継いでいないとしても、ここまで怯えるだろうか。これは何か裏があるのではないか。篁はそう思った。


「ご安心ください。豊並殿の身の安全は、この小野篁が保証いたします」


 篁が笑みを浮かべて言うと、豊並は渋々ながらも重い腰をあげた。

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